136
遅くなった朝食をとりながら、ヘルバと僕は、昨夜のことを話した。
ブブのあとを追って新々街に行ったこと。
それから、狂乱のお祭り。
黒枯虫と祓い虫が出て、だけど、その後にはエエルの石のようなものは何も残っていなかったこと。
みんな、その話しを聞きながら、ひたすら、うーんうーんと唸ってばかりいた。
「人を浮かせる?そんな秘術があるのか?」
ルクスはそこにまず興味を持ったみたいだった。
ヘルバは、あるんですよ、とにこっとした。
「そもそも、秘術というものは、人の想像の及ぶ限り、ありとあらゆることができるものです。」
???
そういうものなの?
へえ~…
「軽く浮くのも、高く飛ぶのも、風を起こすのも、みな、原理は同じ。」
そう話すヘルバに、みんな目を丸くして注目している。
なかでも、アルテミシアは、なるほど、と人一倍深く頷いていた。
「基本的な秘術の紋章は、全部、あの本に描いてあったよな?」
「ええ。
後は多少の応用、でしょうか。
力加減や、効果範囲の増減や…」
「それは、アルテミシアはもうやってるよな?」
「やってみよう、とはしている。
けど、あまりうまくいってはいない。」
「微妙な力加減、というものは、紋章にはしづらいのです。
そもそも、紋章にすること自体、細かい部分には目を瞑るのが前提で…」
「それを全部描くには、全体をよほど大きくするしかない?」
「しかし、紋章を大きくすれば、それを描き上げる時間もかかります。
それに、複雑になればなるほど、描くことに高い技能が必要になる。
なにせ、途中で一度も間違えてはいけませんから。
何も発動しないだけなら、まだいいのですけれど、思ってもみない術が発動してしまえば、それこそ、大変なことになります。」
しかし、とヘルバはちょっと考えてから言った。
「あなた方のもたらしたあのエエルの石。
あれなら、持続時間は格段に長いし、その分、落ち着いて紋章を描くこともできる。
より複雑で、より精密な秘術の発動も、いずれ可能になるかもしれません。
けれど、そのためには、緻密に正確に紋章を描く、その技術の習得が、大前提です。」
なんだか、ヘルバとルクス、アルテミシアの三人で、紋章の話しで盛り上がってしまった。
ちょっと話しについていけない僕は、朝食のサラダをつつきながら、聞くともなしに聞いていた。
ルクスはアルテミシアのほうを見て言っている。
「緻密に正確にか。
けど、その条件を満たせば可能だってんなら、できるようになるまで、やるだけだな。」
「そうだな。」
ときどき、思うんだ。
ルクスもアルテミシアも、なんでもできるけど、多分、それって、できるようになるまでやるから、なんだろうな。
僕は、やったってきっとできっこない、って、諦めちゃうこと、多いけど。
ふたりとも、やればできないはずはない、って思ってる。
何がすごいって、それがこのふたりのすごいところなんじゃないかな。
ただ、分かってたって、そう簡単に真似はできないけど。
秘術とか使えたら格好いいだろうな、って思うけど。
自分が使えるようになるとか、想像もつかない。
「…あのエエルの石は、本当に特別なものです。」
ぼんやり考え事をしている間に、いつの間にか話しはエエルの石のことになっていた。
「あ。
黒枯虫は、まったくエエルの石にはならなかったんだけどさ。
本当に、何も残ってないかどうかは、分からないんだ。
僕、足を怪我していたし。
また人に見つかって騒ぎになりたくなかったから。
急いで帰ってきちゃったんだよね。」
僕はまだそのことが気になっていた。
「けど、もっとよく探したら、何か、残ってるんじゃないか、って思う。
だから、後でもう一度、行ってみたいんだけど。」
「ダメだ。怪我してるのに。」
「その足じゃ無理だ。」
「もうそんな無茶はよしましょう。」
「ダメに決まってるじゃろう!」
みんな一斉に言ったからよく聞き取れなかったけど。
ダメだって言われてるってのは、みんなの顔を見たら分かったよ。
「けどさ。
エエルの石だって、けっこう、役に立ってるじゃない?
もしかしたら、それみたいに役に立つ何かを、見つけられるかもよ?」
こっちを見てるみんなの顔が怖いから、僕は下をむいて、ぼそぼそと続けた。
「白枯虫のときだって、僕、最初は怖くて逃げ帰っちゃったんだけどさ。
後からもう一度確かめに行って、エエルの石を見つけたんだ。
あのときから、エエルの石には不自由しなくなったし。
そんなにいい物があるかどうか、そうそう毎回、いいことがあるってのも都合よすぎる気もするけどさ。
いや、もしかしたら、いい物どころか、何か害になるものがあるかもしれないし。
それならそれで、それを放置するのもよくないと思うし…」
「確かにな。」
ルクスの声がぼそっと言った。
ふう、とピサンリの声が、特大のため息を吐いた。
「なら、わしが行こう。
わしなら、そう目立たんし、足も無事じゃからのう。」
「…そうしてもらえると、助かる、かな?」
手間かけちゃって、悪いけどさ。
確かに、僕だって、足は痛いし、行きたいかって言われると、そうでもないんだよね。
ただやっぱり、確かめずにいるのは、気持ち悪いって言うかさ。
ピサンリは顔を上げた僕と目を合わせて言った。
「じゃから、今日は大人しく足を休めること。よいな?」
僕は素直に頷いた。
すると、ピサンリはまたちょっとお説教の口調になった。
「本当に、お前様は、ちょっと目を離すをすぐに突拍子もないことに首を突っ込む。」
ええっ?
それは心外だなあ。
僕ってば、大人しくて、お行儀もいいほうだと思うんだけど。
いろいろ首を突っ込むのは昔からルクスの役目だし、僕は、後ろから、やめとこうよ、って引き留める役だったんだよ?
だけど、ここでそんなことを言ったらますますお説教が長くなる気がしたから、僕は余計なことは言わないようにした。
ただ、これだけは言っとかなくちゃって思ったことは付け足した。
「靴底のしっかりと固い靴を履いて行ってね。
ちょっと歩きにくいかもだけど。」
「そうするかのう。
家には木靴もあったはずじゃ。」
木靴かあ。
僕も小さいころはよく履いたなあ。
重たくて歩きにくいんだけど、怪我、しなくていいんだ。
足を怪我してしまった僕は、結局、その日は一日中長椅子に座りっぱなしで、みんなからお世話してもらって過ごした。
なんだかくすぐったいんだけど、ちょっと幸せな気持ちだった。
暇だったから、ヘルバに枝をもらって、せっせとみんなの分の木靴を作った。
もしかしたら、この先、必要になるかもしれないって思って。




