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それでも、森のなかを旅している間はまだよかったと、後になって思うことになる。
平原が近づくにつれて、森の荒廃はますます酷くなっていった。
これを見ても、平原の民は異変なんて感じてないのだろうか。
立ち枯れの木々を見ると胸が痛い。
木がまばらになると、木の葉に遮られなくなって、真夏の日差しは直に僕らに照りつけた。
夏至祭りを越えて、暑さは日に日に増していく。
この辺じゃ枯れてない水場を見つけるのも大変だった。
全身を覆うマントも、重く、暑苦しかった。
けれども、これを脱ぐと日差しが直接肌を焼いて、それはもっと辛かった。
僕らは次第に無口になり、ただ、はあはあと熱くて荒い息を吐きながら、ひたすら歩き続けた。
あの涼しくて居心地のいい郷に戻りたい。
もうとっくに僕は心が挫けていたけど、黙々と前を歩くルクスに、ただ黙ってついていった。
文句は言わない、って、アルテミシアが言ったとき、僕だって頷いたんだし。
ここは文句を言っちゃいけないくらいには、思っていた。
アルテミシアは僕の後ろを歩きながら、ときどき、大丈夫?と声をかけてくれる。
僕は、そのたんびに、大丈夫、と応えていたけれど、そのうちに、それも言えなくなって、ただ頷くだけになった。
アルテミシアは水場を見つけるのが上手くて、水を汲めそうな場所があると、僕らに教えてくれた。
何より、水が無ければ旅なんて続けられないから。
僕らは少々遠回りしてでも、水を確保しながら、先へと進んで行った。
食べ物はもう何日もまともに手に入らなかった。
普段は食べないような草や木の根っこまで齧ったけれど、それでも、お腹はいっぱいにはならなかった。
ルクスは小さな鳥や獣を狩ってきた。
お肉は苦手なんて、もう言ってられなかった。
辛い。苦しい。やっぱり、旅なんて、嫌だ。
口には出さなくても、頭の中は、泣き言ばかり、ぐるぐるしていた。
ようやく、あの旅人たちの暮らしていた郷らしい場所に辿り着いた。
そこは、元々は、森と平原との境目辺りだったと聞いていた。
けれども、もうほとんど森ではなくなっていて、灼熱の太陽に晒された平原になっていた。
ここいらは、野盗というものが出るらしく、家はがっちりと戸締りがしてあった。
けれど、僕らはちゃんと鍵をもらってきていた。
郷にある物は自由に使っていいという許可ももらっていた。
喜んだのも束の間、郷には食料はほとんど残っていなかった。
きっと、全部、持って行ってしまったのだろう。
この旅は、もう戻ってこない片道の旅だ。
郷に食料を残しておく必要はない。
この辺りの森では、食料を集めることはとても難しかった。
旅人のため、と言って、食糧庫に残しておいたうちの郷は、もしかしたらまだここよりは荒廃の影響を受けていなかった、ということかもしれない。
泉や沢はなくて、ここの水場は井戸だった。
井戸の水はまだたっぷり残っていて、それはとても助かった。
僕らは久しぶりにたっぷり水を使って、水浴びをした。
ほこりっぽくなった服も、全部洗って、すっきりした。
森の民の家々は簡素な造りをしているけれど、強い日差しの中で、屋根の下に入れるのはとても助かった。
久しぶりに屋根の下のベットで、僕らはぐっすりと眠った。
僕ら森の民は、あまり食べなくても生きていける一族だ。
年を取った人だと、水だけで、ずっとずっと生きている人もいる。
僕らはまだ若くて、そこまでの境地には至っていないけど。
からだを洗い、ぐっすり眠っただけでも、ずいぶんと回復できた。
そうして、僕らは平原へといよいよ、踏み出していった。
しかし、平原の旅は思ったよりもずっとずっと過酷だった。
アルテミシアですら、水場を見つけることができなくて、何日も水を補給できないこともあった。
ずしりと重たい水袋を抱えて、僕らは歩き続けた。
重荷を背負って、ずるずると足を引きずりながら、歩いていた。
木も草も、食べられそうなものは何もない。
辺りは石ころと砂、それに大きな岩ばかり。
荒野、という言葉が、初めて理解できた。
こんなんじゃ、世界を救うどころか、人の棲む場所に辿り着くことすらできそうにないと思った。
僕の両親は、もう何年も平原を旅していた。
だけど、僕は旅にはまったく興味はなくて。
ましてや、自分が平原を旅することになるなんて、思いもしなかったから。
もう少し、旅のコツとか、聞いておくんだった。
後悔なんてものは、いつも役に立たない。
よろよろ、ふらふらと、重たい足を引きずって歩き続けた。
少しでも足を止めたら、きっともう立てないから。
からだを前に倒して、一歩、一歩、足が前に出るようにして。
けど、少しずつ、少しずつ、地面は近づいてきて。
気が付いたら、僕はそのまま地面に倒れていた。
だめだ。
もう、一歩も歩けない。
起き上がることすら、できない。
ルクスが何か言ってるけど、音が遠くて聞こえない。
誰かが抱き起こしてくれて、干からびた唇に何か押し当てられる。
貴重な水の入ったカップだった。
だけど、水はほとんど僕の喉は通らずに、胸元に零れてしまった。
大事な水なのに、ごめんなさい。
こんな僕に飲ませるより、ルクスかアルテミシアが飲んでくれた方がいいのに。
僕は申し訳なくて、いやいやと首を振ろうとしたけど、ちゃんと動かせたかどうかも分からない。
そのときだった。
遠く、遠くから、誰かの声がした。
誰だろう。聞きなれない声だ。
「…ん、ゃ、まぁ…
ぃ……
っち……」
もしかしたら、平原の民が現れたのかもしれない。
怖い。どうしよう。
そうだ、ルクス、僕を置いて逃げて?
そうしたら、僕が食べられている間に、ルクスとアルテミシアは逃げられるから。
ふわり、とからだが持ち上げられた。
いよいよだと思った。
覚悟を決めよう、と思ったところで、そのまま気を失っていた。
はっと目を覚ましたのは、ベットの中だった。
ちょっと窮屈だけど、寝具は清潔で、洗い立てのいい匂いがしていた。
うーんと背伸びをしたら、ベットから足が出て、そのまま落ちそうになった。
このベット、ひどく小さい。
子ども用、かな?
恐る恐る起き上がると、ああ、起きたか、と言うルクスの声が聞こえた。
よかった。
どうやらまだ、生きてるみたい。
返事をしようとしたけれど、口の中が粘っこくて声にならない。
ああ、これを飲めと、ルクスは僕の前にカップを差し出した。
「支えといてやる。いいから、そのまま、飲め。」
カップを取ろうとしたら、そう言われた。
確かに、手に力があんまり入らなかったから、そう言ってもらえて助かった。
「慌てずに、ゆっくり、飲め。」
注意するように静かに言うルクスの声を聞きながら、僕はカップのなかの飲み物を飲んだ。
ただの水じゃなくて、ちょっとすっぱくて、ほんのり甘くて、いい匂いのする飲み物だった。
「果実の汁と花の蜜を入れてあるんだと。
俺たちももらって飲んだけど、元気になるぞ?」
そうだね。うん。分かるよ。
こうしている間にも、からだのなかに力が湧き上がってくるのを感じる。
そこへ、いきなり、甲高い声が響いた。
「おんやあ?目を覚ましなさったか?
これはよかった。
ご気分はどうじゃ?」
は、い?
僕はぎょっとして顔を上げた。
甲高い声に似合わない、お年寄りみたいな口調。
両手を高く差し上げて、ぶんぶんと陽気に振っているのは…
子どもなのかお年寄りなのか分からない不思議な人だ。
その人は、顔半分口かと思うくらい、にぱっと全開に笑っていた。




