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何を言っても、ヘルバは僕から離れてくれなくて、結局、しがみつかれて歩きにくいままで、僕らは市場まで行った。
僕の選んだ道は、間違ってはいなくて、まあ、けど、街の大きな市場なんてものは、たいてい、一番大きな道の近くにあるもんだよね。
大きな道、大きな道、って選んで歩けば、街の一番賑やかな場所に出るってのは、いつの間にか僕が身につけていた、平原の街の歩き方、かもしれない。
それにしても、この街の市場は大きかった。
市場の広さだけでも、村か小さな町くらいある。
お店も、それこそ、数えきれないくらいあった。
ピサンリに頼まれていたのは、新鮮な食材と、あと、いくつか調味料。
だけど、野菜を売っている店は、見えるところだけでも、いくつもある。
「…どこで、買ったら、いいんだろう?」
僕の知っている感じだと、ひとつの市場に、ある種類のものを売る店はひとつだけ、というのが普通だったから、この状況にはいきなり困った。
「…ああ、それなら…」
僕の後ろからお買い物メモを覗き込んだヘルバは、僕の両肩に手を置いて、くいっとむきを変えさせた。
「こっち、です。」
あ。こうやって案内してくれるのね?それは助かる。
なんだかヘルバは御者で、僕は馬車の馬になったみたいだけど。
そうやって、操られながら、僕は市場を歩き出した。
「〇△◇!〇▲□●△▲!!」
すると、突然、むこうから何か叫びながら、人がこっちに走ってくるのが見えた。
その人は目を見開き、手を振り回しながら、なにか、大きな声で叫んでいる。
慌てて、周りをきょろきょろと見回したけれど、どう見ても、その人は、僕らに何か言いかけているように見えた。
ぎょっとして立ち止まろうとしたら、いきなり背中を強く押された。
「いいから。逃げましょう!」
ええっ?逃げるの?
僕は慌てて走り出す。
だけど、市場は人が多くて、うまく進めない。
そのうちに、叫んでいる人の声に気づいた周りの人たちが、ちらちらとこっちを見るようになった。
え?っと…僕ら、何かしましたっけ?
ただ、こっちを見ている人たちの目は、概ね好意的な感じで、憎しみや怒りは感じられない気がした。
にこにこと笑って手を振っている人たちも大勢いる。
これなら、ちゃんと立ち止まって、話しを聞いたほうがいいんじゃない?
だけど、ヘルバは僕の背中をぐいぐいと押し続けた。
「いいから。
行きます。」
もうそれは宣言だった。
だけど、そんなヘルバの宣言もむなしく、僕らは、すぐに周りの人たちに腕を取られていた。
「〇△◇?」
「〇△◇!」
「〇△◇!〇△◇!」
みんなこっちを見て口々に何か言ってる。
どうも、みんな同じことを言ってるように聞こえる。
あれは、なんて言ってるのかな?
「センセイ!センセイ!」
突然、ちょっとだけ分かる言葉が聞こえた。
先生?
どうやらそう呼ばれているのはヘルバらしい。
僕らはあっという間に人々に周りを取り囲まれていた。
「センセイ!ミセテ!アレ!ミセテ!」
そう言うのが聞こえて、いきなり目の前に、大きな桶がひとつ、差し出された。
すると、後ろで、小さなため息が聞こえた。
「…あれは、けっこう、疲れるんですよ…
でも、こうなったら、仕方ありませんか。」
小さな愚痴のようにヘルバは呟いた。
「分かりました。
じゃあ、ほんのちょっとだけ。」
いきなり僕の前に出ると、背筋をぴんと伸ばして、ヘルバはよく通る声で平原の言葉で何か言った。
その姿は、さっきまでこそこそ隠れようとしていたのとは、違う人のようだった。
それを見ていた人々はいっせいに歓声をあげた。
ヘルバはまんざらでもない様子で手を挙げると、その歓声に応えていた。
いったい、これから何が始まるんだろう?
僕が固唾を飲んで見守っていると、ヘルバはゆっくりと歌いながら、桶の水に手を浸した。
歌が始まると、周りの人たちも、いっせいに押し黙って、ただ、ヘルバのすることだけに注目していた。
こんなに大勢人がいるのに、不思議な沈黙が辺りに満ちる。
ヘルバは、桶の水を軽くかき混ぜながら、歌い続けた。
静かな、森の歌だ。
すると、ゆっくりと、桶の中に、小さな流れができ始めた。
ヘルバの歌に合わせるように、水は小さく波を打つ。
ぱちゃり。ぱちゃり。と、心地よい水音が、まるでヘルバの歌にアクセントをつけるように鳴った。
リン。
どこかで、風に揺られたような鈴の音が響く。
その瞬間だった。
ヘルバは大きく手を振り上げて、桶の水を撒き散らす。
周りの人たちにお構いなく、水飛沫が盛大に飛び散った。
え?
そんなことして、大丈夫なの?
不安に駆られて辺りを見回すと、ヘルバの飛び散らせた水滴は、人々には飛び掛からずに、全部、きらきらした小さな玉になって、宙を舞っていた。
ヘルバは、両手に水をすくいながら、くるくると舞い踊る。
両手から放たれる水飛沫は、透明な宝石のように、そこいらじゅうをきらきらと漂っていた。
だけど、水滴はまるで意志を持つように、人々のことは避けていた。
そっと指を出して水滴に触れようとしたら、ぱつんと弾けて、指先が少しだけ濡れていた。
水滴は、風に乗り、僕らの手の届かない高いところへと舞い上がっていった。
そこにお日様の光が当たって、辺り一面、得も言われぬ光の世界へと変わっていく。
きらきら。きら、きら…
なんて。綺麗なんだ。
周りの人たちも、それから、その外側の人たちも、市場中の人たちが、突然現れた光の世界に、ただただ、ほう、とため息を漏らす。
そっか。みんな、これをやってほしかったんだね?
こんなの、僕だって、ヘルバに、もう一回やって、ってせがみたい!
これは、何かの秘術なのかな?
ヘルバのさっき歌ってた歌は、祝福の歌にも似ていたけれど。
でも、祝福の歌って、それぞれの郷の族長にしか、伝承されないものだよね?
ヘルバは、郷を出た森の民だし。
族長自ら、郷を出る、なんて聞いたこともないし。
だいたい、族長なんてものは、もっと、威厳があって、強くて、賢そうな人のなるものだ。
ヘルバみたいに、頼りない族長なんて、見たことも聞いたこともない。
そんなことを考えていたら、いきなり、ぐい、と腕を引かれた。
「今のうちに。逃げますよ。」
有無を言わさずに強い力で引っ張られて、僕は、そこから連れ去られていた。




