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もう一つの楽園  作者: 村野夜市


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家を出た途端に、ヘルバは僕の腕にしがみつくようにして歩いた。

歩きにくいんだけど。


だけど、しょんぼりうつむいているのを見たら、なんだか、文句も言えなかった。

心底行きたくない気持ちが、顔にありありと表れていて、進む足も、とぼとぼ遅い。

みんなといたかったのかなあ、と少し気の毒になったけど、掃除がいつまでたっても終わらないのも困る。

本当は、少しでも長くヘルバと外にいたほうが、みんな助かるんだろうけど。

なるべく早く、帰ろうかな。


なかなか進まないヘルバを見上げて、ふと、思った。


「そういえば、市場って、こっちで合ってる?」


さっき、家を出たところから、適当に歩いてしまっていた。


ヘルバの木のある広場から続いている道は、たくさんあったみたいだ。

あんまり気にしないで、適当に、扉の真正面にあった、一番広そうな道に入ってしまってたんだけど。


ヘルバは何も言わずに、ただ、こくこくと首を縦に振った。

とりあえず、合ってるってことで、いいのかな?


もう少し歩くと、家並みに紛れて、ヘルバの木が見えなくなった。

すると、ヘルバは僕の後ろに隠れるようにしながら、ぺったりと背中にくっついた。


ものすごく、歩きにくい。


ヘルバと僕とじゃ、僕のほうが背は低いから、全然、隠れてないんだけど。

ちょっと背中を屈めて、なんとか僕の後ろに入り込もうとしていて。

だから、ますます、歩きにくい。


「なんで、そんなとこ…

 こっち、歩いてよ?」


隣を指さしたら、ぶんぶんと風が来そうなくらい強く首を振った。


そして、小さな小さな声で、言い訳するみたいに付け足した。


「…すみません…

 わたくしは、あの、外の世界が恐ろしくて…」


外、と言っても、街の中なんだけどね?

けど、ヘルバは本当に、心底、怯えてるみたいに見えて、だから、僕はちょっと気の毒になった。


僕だって、その気持ちは、分からないこともない。

今まで通ってきた町や村も、慣れないうちは、外に行きたくなかった。

いや、慣れてからだって、あんまり外に行きたくない町もあったっけ。


だけど、ヘルバは、この街には、ずっと長く棲んでいるんだろうし。

いや、もしかしたら、誰より長くここにいる、街一番の長老なのかもしれないのに。

そんなに長くいても、まだ、慣れないものかな、とちょっと思った。


「ここは、平原でも、とても旧い街でね?」


ヘルバは、言い訳を続けるように言った。


「わたくしは、どれだけここに長く棲もうとも、いつまで経っても、自分はこの街にとっては余所者、異邦人のような気がするんです。」


そういうものかな、とちょっと思った。


街並みは、見渡す限り、石作りの家、家、家。

道も固い石畳だし、家の前にある花壇も、石で囲って、その中に小さな土がある。

いかにも、な、平原の街だ。

僕らにとって、落ち着くのって、やっぱり、見渡す限り、木のある場所だし。

こういう場所にいると、どうにもむずむず落ち着かない、って感覚は、僕も一緒だった。


「どうして、森に帰らないの?」


そんなに街が暮らし難いなら、やっぱり、森に帰るのが一番なんじゃないかな。

ヘルバにだって、生まれ故郷の森はあるだろう。

森の民は、外に行ってしまった仲間だって、ずっと帰りを待っているはずだ。


「わたくしの郷は、もうないんですよ。」


そうか。ヘルバの郷の仲間も、僕らの郷のみんなみたいに、もう彼の地へと出立してしまったんだ。


「生まれ故郷じゃなくったって、どこの郷でも、仲間は受け容れてもらえるよ?」


うちの郷にも、余所から来た仲間はいた。

婚姻とかで、余所から来たり、余所へ行った仲間もいる。

そういう人たちを、ことさらに、余所者扱いするようなことは、なかったと思う。


だけど、そんなこと、僕でも知ってるのに、ヘルバだって知らないわけはないよな。


それに、今は、どこの郷も、続々と、彼の地にむけて出立してしまっているから。

今から、帰る郷を探そうとしても、なかなか難しいかもしれない。


だけど、そんなふうに仲間たちが彼の地へと出立し始めたのは、最近になってからのことだ。

ヘルバはもうずっと長くここに棲んでるんだから。

その間に、森へ帰ろうと思えば、帰れたはずだった。


「どうして、森に帰らなかったの?」


僕は少し聞き方を変えてみた。

今なら、帰るのはちょっと難しいかもだけど。

ずっと、帰るチャンスはあっただろうに。


「わたくしはもう、どこかに帰るわけにはいかなかったから。」


ヘルバの答えは少し変わっていた。


「わたくしの森は、ここなんですよ。」


木なんて、ほとんどない。

石ばっかりのこの街は、僕にはやっぱり、森だとは思えないんだけど。


「あ。そっか。森には平原のお酒がないから、だっけ?」


前にピサンリに聞いたことを僕は思い出した。


「それって、あの、エールのこと?」


そう尋ねたら、ヘルバは、ちょっと笑った。


「ええ、そうですね。

 本当に、あれだけは、どうしたって、やめられません。」


ふうん。そんなに好きなんだ。


「だけど、そんなんじゃ、ここで暮らしていくのは大変だろうね?」


家から出たくないなら、食材ひとつ、買いにいけない。

ピサンリがいれば、なんとかしてくれるかもだけど。

ピサンリが旅してた間、どうやって生きてたんだろ?


そこで、あっと思った。

あの、階段の、誰それが持ってきてくれた、ってお酒の瓶。

いろんな人がヘルバのところには、お酒を持ってきてくれるんだなって思ったけど。

あれって、もしかして、ヘルバにとっては、非常食みたいなものなのかな?


この街にはヘルバのことを気にかけてる人はいっぱいいて、その人たちが、あれを持ってきてくれたんだ。


「だけど、お酒ばっかり飲んでないで、ちゃんとご飯も食べないと。」


言ってしまってから、僕もピサンリみたいだなって思ったけど。

これは、誰だって思うよね?


ヘルバはさっきよりもうちょっと明るく、苦笑した。


「年を取った森の民は、水さえあれば、生きていけるんです。」


ちっともお年寄りの貫禄を感じさせないくせに、そう断言する。

僕もちょっと苦笑した。


「なんだって、お年寄りって、みんなそう言うんだろうね?

 森の木だって、水だけじゃなくて、土もお日様もないと生きていけないのに。」


これって、郷なんかだと、お年寄りとよくする、まあ、決まり切った言い合い、みたいなもの。

あんまり食べないお年寄りに意見すると、大抵、そう言われるもんだから、それに対しては、いつもこう言い返すんだよね。


ヘルバもそれを知っているのか、またちょっと笑って言った。


「わたくしの場合、水だけ、ではなくて、お酒をいただいておりますので。

 どうぞ、ご心配なさいませんよう。」


ほう。

うちの郷のお年寄りより、ちょっと上手じゃないか。


「心配はしないけど。

 ピサンリのご飯は美味しいから、食べたくなるでしょう?

 それに、アルテミシアだって、お料理は上手なんだよ?

 アルテミシアの作るご飯は、ヘルバには、懐かしいんじゃないかな?」


「確かに。それはごもっとも。」


ヘルバはもっと苦笑しながら、何回も頷いてみせた。









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