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辺りの沈黙を破ったのは、僕のお腹の音だった。
「おや。
もうそんな刻限かの?」
ここは窓がなくていかん、とかぶつぶつ言いながら、ピサンリは扉を開いた。
外はもうすっかり暗くなっていた。
「おう!
流石、賢者様。
腹時計もぴったりじゃ。」
なんか、そんなこと言われても、褒められてる気はしないけど。
ヘルバはぼんやり扉の外を眺めたかと思うと、ふらふらと立ち上って、部屋の隅へ行った。
そして、そこに転がっていた瓶を取ると、直接、口をつけて飲んだ。
「これ、じいさま。
せめて、コップに入れて飲みなされ。」
ピサンリは顔をしかめて、辺りをきょろきょろ見回したけれど、コップは見つからないみたいだった。
「…ったく、わしがいないと、すぐにこれじゃ…」
ヘルバはそんなピサンリを見て、へらっと笑った。
「ごめんなさい。ピサンリ。」
それから、ふぅ、とひとつ息を吐いた。
「あまりに驚いてしまって、少し、正気を取り戻さないとと思いまして。」
「それが取り戻すのは正気ではなく、狂気じゃろうて。」
ピサンリはそう言って顔をしかめたけれど、ヘルバはふふふと笑うだけだった。
「さて、と。」
ヘルバは瓶を片手に戻ってくると、テーブルの上のごちゃごちゃしたものの中から、大きさも形も不揃いだけど、人数分のグラスを発掘した。
よくこの混沌の中から、見つかるものだと、素直に感心する。
どこに何があるか分かってる、というのは、あながち嘘じゃなかったみたい。
おもむろに発掘物を並べて、そのまま瓶の中身を注ごうとしたヘルバを、ピサンリが慌てて引き留めた。
「無理やり注ぐものじゃない。
賢者様方がお酒を召し上がるかどうかも分からんのに。
だいたい、そんないつ洗ったか分からんグラスをお客人に使うなどと…」
「まったく…
相変わらず口うるさいですね?」
ヘルバは面倒くさそうに、ちらっとピサンリを見た。
すると、ピサンリは本気でむっとした様子になった。
「じいさまが、いい加減すぎるのじゃ!」
口喧嘩を始めそうなふたりに、僕は慌てて割って入った。
「あ。僕ら、見た目はこうですけど、お酒もいただけます。」
僕も夏至祭りや冬至祭りのときには、ベリーを発酵させて作ったお酒を飲んだこともある。
「森の民の年齢はね?
平原の民の常識とは少しずれているのです。
若い見た目をしていても、平原の民でいえば、立派なお年寄り、だったりするのですよ?」
ヘルバはちょっと勝ち誇ったようにピサンリを見た。
「それは、じいさまのことじゃろ!」
ピサンリはすかさず言い返した。
僕はそのふたりに割り込むようにして、テーブルの上のグラスをかき集めてから尋ねた。
「あの。グラス、洗ってきます。
洗い場は、どっち?」
「お客人に、そんなことはさせられませんわい。」
ピサンリは、ぷりぷり怒りながら、僕の手からグラスを奪った。
その腕からグラスが一個転がり落ちそうになったけど、おっと、と言って、ヘルバが見事にキャッチした。
「洗い場なら…」
「外ですじゃ。」
指差しかけたヘルバを、ピサンリは見事に遮って言った。
「この家の厨房には、何が落ちとるか分かりませんからのう。
うちに持って帰って、洗う方が安心じゃ。」
っそ、それは、怖いね?
と、何を思ったのか、いや、と呟いて、ピサンリは手に持ったグラスをいったんテーブルに戻した。
「そのくらいなら、うちからグラスを持って来たらよいのか。」
そう言いかけて、いや!と今度はさっきより強く言った。
「こんなものをここに残しておいては、お客人の身が危険じゃ!
じいさまは、何をしよるか分からんからのう!
これはやっぱり、持って行くとしよう!」
「…あなたは、いったい、わたくしを、なんだと…」
苦笑したヘルバはそう言いかけたけど、ピサンリにじろっと睨まれて、はい、すいません、としゅんとなった。
でも、黙っていられなかったのか、うつむいたまま、ぼそぼそと言った。
「それ、いつも、わたくしが使ってるやつですけど…
この通り、ぴんしゃん、しておりますよ?」
「この辺りの病は、もうじいさまには呆れてしもうて、憑りつこうとも思わんのじゃろうよ。
しかし、お客人は、そうはいかん。…って…」
ヘルバに対するピサンリはなかなか辛辣だ。遠慮がない、のはいいのかもしれないけど。
そんなことを思ってたら、ピサンリは、あれ?と首を傾げた。
「ということは!
自分の使った食器を洗いもせずに、お客人に使わせようとしとったのか!」
ピサンリは激怒した。
ヘルバは、きゅん、と首をすくめた。
「…そんなこと、昔いた森の郷ではしょっちゅう…」
「じいさまのだらしない過去を、お客人に押し付けるのじゃない!」
「あ。いや。
僕らも、郷では、そうだったよ?」
僕はヘルバがちょっと気の毒になってきて口を挟んだ。
ヘルバは、僕のほうを見て、そうですよねえ?って言ったけど、ピサンリにまた睨まれて黙ってしまった。
「…っと、とにかく、これ、洗ってくるね?」
僕はいそいそとグラスを抱えて外へ行こうとした。
ピサンリは、ああ!と引き留めようとしたけど、その手をすり抜けて、逃げるように外へ出た。
扉を潜るときに、ちょっとくらっとしたけど、なんとか、グラスは落とさなかった。
僕の後から出てきたピサンリは、慌てたみたいに、僕の手からグラスを奪った。
こんなことで喧嘩するのもつまらないし、僕は、素直に半分、ピサンリに渡した。
「ピサンリとヘルバってさ、なんか、家族みたいだね?」
僕はピサンリを振り返って言った。
ピサンリは、家族かのう、と呟いて、ちょっと照れたみたいに笑った。
「わしの家族は、わしの小さいころから、あまり家にはおらんでのう。
わしは、じいさまの家に、自分の家みたいに、入り浸っておりました。」
あの遠慮のなさは、それだけ互いに安心感があるからこそ、できるんだよね。
「ピサンリの毒舌に、ちょっと驚いちゃった。」
「すみません。
昔から、じいさまには、あんなものじゃ。
しかし、よう考えたら、わしは、じいさまに…」
言いかけて、ピサンリは、いや、と真顔になった。
「育ててもろうた、ということは、金輪際、あり得ませんわい。
むしろ、うんと小さいころから、わしのほうがじいさまの世話をしとった。
なにせ、じいさまときたら、放っておくと…」
長くなりそうだと思って、僕は、先に歩き出した。
ピサンリはヘルバのことをさんざんに言うけど、でも、そんな言葉ですら、家族のぬくもり、みたいなものを感じられるなあって思ってた。




