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無造作に床に積み上げられた書物を、適当に眺めてみる。
最初に目に入ったのは、「今日の晩御飯」。
それから、「大陸全土の歴史」「固有物体における物理法則論」「世界のワイン事典」「歴史的生体学入門」「森林の変遷」「お酒に合う甘いおつまみ」…
どうやら、平原の民の言葉で書かれた書物ばかりだ。
なんとか、平原の民の言葉も、書いたものなら読めるようになったんだけど。
やっぱり読むのは一苦労だし。
今、無理して読みたい、ものはなさそうかな。
それにしても、ここの書物の脈絡のなさは、いったいなんなんだろう。
それがそのまま、ここの主の人柄を現しているようで、ちょっとびびる。
ピサンリは、「じいさま」のことをすごくいい人だって言うんだけど。
なんだか、変わった人?っぽい印象。
ルクスはもう夢中になって書物に没頭している。
アルテミシアは、隅に積み上げてある道具を興味深そうに眺めている。
ピサンリは、…あれ?どこに行ったのかな?姿が見えない。
もしかしたら、階段の上にでも行ったのかな。
とりあえず、相手してくれる人は誰もいなさそうなので、仕方なく、僕はもう一度、書物の山に戻った。
一番上に置いてあった、「今日の晩御飯」。
開いてみると、美味しそうなご飯が色付きの絵でたくさん載っている。
…って、あ、れ?
なんか、これ、匂い、しない?
いや、絵、動いてる?
見開きいっぱいの大きな鍋から、湯気が上っていて、ほんのりと美味しい匂いがする。
あれ?あれ?あれ?
まじまじと見ていると、いきなりぱっと絵が変わって、そこに前掛けをつけた小さな人の姿が現れた。
その人はお鍋をひとつ持っていて、それをずいっとこっちに差し出す。
すると、さっきまで湯気の上っていたお鍋が、何も入ってない、からっぽなお鍋にすり替わった。
え?え?え?
小さな人はお鍋の傍らに現れる。
その手には包丁を握っている。
どこからともなく現れる野菜を、とん、とん、とん、とリズムよく刻んでいく。
刻まれた野菜は、たたたたたっ、とお鍋へと滑り込んでいく。
じゅうじゅうといい音を立てて、お鍋の野菜が炒められ。
じゅうとお水が入ったら。どこからともなく蓋が閉まって。
ぐつぐつ。あっという間にお鍋は煮立っていた。
それから、ふわり。
蓋を取ったお鍋から、湯気が立ち上る。
それはちょうど、僕がこの書物を開いたときに見た場面。
湯気はいい匂いがして、あ、これ、ピサンリがときどき作ってくれるスープだ、って思い出した。
「おやおや?
なんだ、そんなところにあったんですか。」
突然、後ろからそう言う声がして、ぎょっとして振り返った。
すると、にこにこと微笑みながら、背の高い森の民が、後ろから僕の見ている書物を覗き込んでいた。
「こんにちは。小さなお客様。どちらからおいでですか?」
森の民は僕を見て、わずかに首を傾げながら言った。
も、もしかして、この人は、この家の主?
いやでも、ここって、じいさま、の家だって…
ピサンリはそう言ったよね?
その人は、とても、じいさま、には見えなくて、いや、おじさま、でもない。
せいぜい、にいさま、程度だろうか。
プラチナブロンドの明るい髪は、見ようによっては、白髪に見えなくもないけど。
肌には皺ひとつなく、背筋もしゃんとして、はりのある声も、とてもじゃないけど、じいさま、ではなかった。
あ。そっか。
もしかして、この人は、じいさま、の孫かなんか?
同居人とか。
それとも、僕らみたいに、じいさま、に会いに来たお客さんかな?
一瞬の間に、そんなことを考えた。
その考えをぶち破るように、ピサンリの声が響いた。
「おう。じいさま。邪魔しておるぞ?」
「久しぶりですねえ、ピサンリ。
この方たちは、あなたのお友だちですか?」
じゃあ、やっぱり、この人がじいさま?
僕はもう一度、背の高い森の民を、まじまじと見た。
「そんなにじっと見つめられたら、照れてしまいます。」
じいさま?は恥じらうように頬を染めると、そっと僕から視線を逸らせて、部屋の中央に歩いて行った。
それから、腕にぶら下げていた籠を重そうにテーブルに置いて、ふう、と息を吐いた。
「なんじゃ、なんじゃ、じいさま?
何を買うて来たのじゃ?」
ピサンリは祖父に甘える孫のように、じいさま?に駆け寄ると、籠の中を覗き込む。
じいさま?は、小さな子どもにするみたいに、よしよし、とピサンリの頭を撫でた。
「森の民のお客様がおいでだというので、久しぶりに木の実のパイを焼こうかと。」
すると、じいさま、を見上げたピサンリの顔が、少しばかり引きつった。
「木の実のパイを…焼く?」
じいさま?は、ぱしぱしと、ピサンリの背中をはたきながら笑った。
「やだなあ。
大丈夫。
今度こそ、黒こげにはしません、って。」
え?ちょ…
もしかして、じいさま?のお料理って、かなり、やばい、の?
じいさま?を見上げるピサンリの顔には笑顔が張り付いていたけど、目は、まったく笑ってなかった。
「いやいやいや。
じいさま、木の実のパイならわしの得意料理じゃ。
わしに任せておけ。」
ピサンリは素早く籠を奪い取ると、にこっとじいさま?を見上げた。
けれど、その籠の持ち手を取って、じいさま?は籠ごとすっと上に引き上げた。
「いぃえぇ。
今日はあなたはお客様なのですから。
ゆっくり座っててくださいな。」
「い、いやいやいや。
じいさま。
久しぶりなのじゃから。
じいさまに、わしの料理を食べてほしいのじゃよ!」
ピサンリは、高いところに持ち去られかけた籠に、素晴らしい跳躍力で飛びつくと、電光石火の早業で奪い取った。
なんか。
今、僕は、なにを見せられているんだろう。
どっちも、すごい。
というか。
目の前のこのにこやかな背の高い森の民は、じいさま、で間違いなさそうだとして。
話し言葉だけ聞いてたら、どっちがじいさまか、分かんないな。
ピサンリのじいさま、は、勝手に、髭の生えた、森の古木みたいな人、って想像してたから。
想像してたのとかなり違うな、って僕はショックを受けていた。




