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一休みしてから、僕らはいよいよピサンリのじいさまを訪ねることになった。
アルテミシアは道々作ってきた保存食や薬草をたくさん用意した。
手土産とか、僕ら、全然、気づいてなかった。流石、アルテミシア。
じいさま、の棲む家は、ピサンリの家のすぐ近くにあった。
何人も手を繋がないと周りを取り囲めないくらい、大きな大きな木だった。
ピサンリによると、この木は、この街ができたときからあって、この街のどの家より古いらしい。
広げた樹冠の下にはちょっとした広場ができるくらい大きな木だった。
「ピサンリたちは、小さいころ、ここで遊んだりしたの?」
いかにも、幼い子どもたちの遊ぶのにちょうどよさそうな場所だ。
強い日差しや風は、木が適度に遮ってくれる。
巨木に護られたような土地だ。
けれどピサンリは苦笑して首を振った。
「いいや。
近所の子どもらは、あの木にはお化けが棲んでおる、と言うて、ここには近づかんかった。」
えっ?そうなの?
なんて、もったいない。
大きな木は子ども好きなことが多いから、きっと、守ってくれるのに。
もっとも、悪戯なんかしたら、ちょっときつめに叱られることもあるけど。
それすらも、木は子どものために、叱ってくれるんだ。
あ。でも、そうか。
この木には、森の民が棲んでいる。
森の民は、子どもの声を嫌ったりはしないけど。
あんまりぞろぞろと人の多いのは得意じゃないから。
それに遠慮して、大人たちが、ここに子どもを近づけないように、お化けがいる、とか言ったのかな?
「ところで、その、じいさま?の家は、どこだ?」
木の方へ近づきながら、ルクスは樹冠の中を覗き込んだ。
森の民の家は、木の上に作ってあることも多い。
見たところ、木の下に家らしきものは見当たらないし、これだけの大きな木だもの。
きっと、枝の上に作ってあると思ったんだ。
「家なら、これじゃよ?」
けれど、ピサンリの指差したのは、木の幹、そのものだった。
よく見ると、そこには、人がやっと潜れるくらい、まぁるく、扉の形が作ってあった。
いやでも、まさか、これが入り口?
とてもじゃないけど、立ったままの人の通れる大きさじゃない。
四つん這い、いや、地面を這って蛇みたいになれば、ようやく通れるかな、って感じ。
それに、木の幹だって、確かに、大きいのは大きいけど、中に人の棲める大きさとは言えない。
ここで眠ろうと思ったら、立ったままか、思い切りからだを丸めて、小さくなるか、どっちにしろ、帰って安らげる家、には見えなかった。
「もしかして、その人は、ものすごく、からだの小さい種族とか?」
森の民は、だいたい、平原の民より少しからだは大きい。
だけど、もしかしたら、うんとうんと小柄な、掌に収まるくらいの人だっているのかもしれない。
けれど、ピサンリは、笑って首を振った。
「みなさんより、少し、背はあるかのう。
まあまあ。
見ておれ。」
僕らより大きいの?
それじゃあ、とてもじゃないけど、この中に棲むのは無理だよ。
戸惑う僕らをそこへ置いておいて、ピサンリは、扉に手をかけた。
扉には鍵はかかっていないのか、簡単に手前に開く。
中はどうなってるんだろうって、僕ら、一斉に覗き込んだ。
けれど、そこに見えたのは、深淵に続きそうな、暗闇だけだった。
「え?
お留守、かな?
暗い、ね?」
幹だし。
見たところ、どこにも窓もないみたいだし。
灯りのない、真っ暗な、木の幹の中…
中から、誰かの現れる気配もなかった。
「留守でも勝手に入ってよいと言われておる。
さあ、どうぞ。」
ピサンリは僕らを通すように扉を抑えているけど。
誰一人、ルクスでさえ、そこへ入ろうとはしなかった。
「なんじゃ?
入らんのか?」
ピサンリは不思議そうに僕らを見回す。
「し、知らない、お家だし…
お留守にお邪魔するのも、その…」
「かまわん、かまわん。
ああ、そうか。」
ピサンリは僕らが躊躇っている理由に気づいたみたいに、にこっとした。
「そうじゃった。
初めて見たら、そりゃ、そうじゃ。
わしはもう、慣れてしもうて、すっかり忘れておったわい。」
ピサンリはぽんと手を叩くと、自分が先に扉を潜った。
え?と思った。
ピサンリはとりたててからだを縮めたりしたわけじゃない。
けれど、扉に足を踏み入れた、かと思った瞬間、その姿が僕らの目の前から、掻き消えていたんだ。
「続けて、入ってきなされ。」
中からピサンリの声がする。
僕ら、三人、顔を見合わせた。
ええい!と言って、ピサンリの真似をして足を踏み入れたのはルクスだった。
そうして、ルクスも、ピサンリみたいに、一瞬で、僕らの前から姿を消していた。
ええっ?!
「おおっ?
ほう!
おぉーい、お前ら。
大丈夫だから。
入ってこい。」
木の幹のなかから、ルクスの声もする。
アルテミシアと僕は顔を見合わせた。
ええい!
僕は思い切って、足を踏み入れた。
アルテミシアに意気地なしだ、って思われたくなかったんだ。
足を踏み入れた瞬間、ちょっとくらっとして、気がつくと、家のなかだった。
ええっ?
これって、どういうこと?
広々としたお屋敷、とは言わないけど、僕らの郷の家と大差ない。
普通に、ちゃんとした家だった。
家の中は、暗くもなかった。
僕らの通ってきた扉は、まだ開けっ放しで、そのむこうに、広場の景色が見えている。
それ以外に窓はなくて、その代わりに、壁のいたるところに、不思議な光が灯っていた。
僕のすぐ後から、アルテミシアも家のなかに入ってきた。
ほう、と言って、あちこち見回している。
多分、僕も、おんなじ顔、してたと思う。
「おう!すっげー!!」
そう言って駆けだしたのは、ルクスだった。
部屋の中は雑然としていて、
あっちこっちに、書物や、何か分からない道具がたくさん、積み上がっていた。
全体は円い形をしていて、壁に沿って円く、階段がある。
天井の上にまだ部屋があるみたいだ。
ルクスは部屋の隅に積み上げてある書物に飛びつくと、早速、吟味を始めた。
そうして、すげー、すげー、と叫び声を上げ続けていた。
勝手に触っちゃって、大丈夫なのかな。
ちょっと心配になったけど、ピサンリはそんな僕の考えを読んだみたいに言った。
「問題ない。
じいさまは、ここの書物はいつでも好きに読んでええと言うとったからのう。」
そうなの?
じゃあ、僕も失礼して、見せてもらおうかな?
アルテミシアは僕より先に、無言のまま、書物を見ている。
目をきらきらさせているところを見ると、だいぶ、お気に召しているようだ。
ほんのちょっとだけ迷ってから、僕も書物を見せてもらうことにした。




