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ブブは、僕の笛を聞いてくれてるかな。
あわよくば、もう一度出てきてくれないかな。
そんなことを思いながら、僕は笛を吹いた。
心のどこかでは、そんな都合のいいこと、あるわけない、って思ってたけど。
ブブの気持ちはやっぱりよく分からない。
ブブのこと好きってのも、僕の側だけかもしれない。
だけど、いなくなってほしくない。
ずっと、友だちでいてほしい。
虫だし。
虫だから。
虫だけど。
ブブが、たとえ、いなくなったわけじゃなくても。
白枯虫を食べて、エエルの石になったわけじゃなくても。
出てきてくれる保証はない。
それでも、僕は、ブブの好きな笛でブブの好きな歌を吹いた。
そうしているのが、僕にとって安心だから。
ブブが楽しそうに飛び回ってたのを思い出すんだ。
いや、楽しそう、なのかどうかは、本当のところは分からない。
僕にそう見えてただけかもだけど。
ただ、そんなふうにしてたとき、僕はとても楽しかった。
それは、間違いないんだ。
笛を吹いていると、泡はゆっくりと水面にむかって浮きあがり始めた。
そういえばこれ、体重をかけたら少しずつ少しずつ沈んでいったんだけど、どうやったら浮かぶのかは知らなかった。
よかった。水面には帰れるみたい。
僕は泡の薄い膜越しに、外の水をじっと観察する。
やっぱり、虫、みたいなのは、見えない。
ときどき、小さなゴミ?は浮かんでるけど。
それって、池の水にはよくあるよね?
それともあれが白枯虫なのかな。
だけど、白枯虫だとしたら、あまりにも少ない気もする。
あんなに、池全体が、光るんだから。
白枯虫もだけど、僕が外を見ていたのは、ブブを探していたのもあった。
ブブ、戻ってきてくれないかな。ブブ…
何回も何回も、いなくなった、と思っても、戻ってきてくれてたから。
だけど、ブブは戻ってこなかった。
泡はぷかりと水面に浮かぶと、そのまま小さな舟みたいに池の畔に辿り着いた。
そこにはピサンリがいて、なにやら両手を振り回して叫んでいた。
ちょうどピサンリの前に着くと、泡は、いきなり、ぷちん、と弾けて開いた。
僕はそのまま、どぼんともう一度水に落ちかけたけど、ぎりぎりのところで、ピサンリが捕まえてくれた。
ピサンリはびっくりするくらいの怪力で、僕を水から引き揚げると、そのままそこへ座り込んで、ぜいぜいと息を切らせていた。
僕は申し訳ないやら有難いやらで、せっせとそのピサンリの背中をさすった。
「わしはいいから。
それより、賢者様、怪我はないか?」
ようやく話せるようになって、ピサンリは真っ先に僕の心配をした。
僕は、頷いて、水の中であったことをピサンリに全部話した。
「確かに、その光はわしも見た。
お前様が池に落ちてしばらくすると、突然、池が光って。
すると、どこからともなく、祓い虫の大群が飛んできて。
まるで、雨のように、池に飛び込んでいきおった。」
ピサンリはちょっと興奮したみたいに話してくれた。
それは、僕の見たのと、そっくりな光景だった。
「しばらくすると、池の光は消えてしまって。
そうしたら、お前様が、ぷかぷかと浮かんでくるのが見えた。」
「あの泡ね、ブブが作ってくれたんだ。」
「ブブ?
というのは、あの祓い虫のことじゃな?」
うん、と僕は頷いた。
「あの泡がなかったら、僕はたぶん、溺れてた。
ブブは僕の命を助けてくれたんだ。」
ブブの話しをしていたら、なんだか泣きそうになった。
ピサンリはそんな僕をちらっと見て、しみじみしたように言った。
「あの虫は、お前様に懐いておったからのう。」
「懐いてた?
…そうかな?」
僕以外の人にもそんなふうに見えてたのなら、嬉しいな。
だって、僕の他にも、ブブのこと、僕の友だちだ、って認めてもらえたみたいだから。
見上げるようにして見たら、ピサンリは大きく頷いてみせた。
「懐いておったろう。
いつもいつもお前様にくっついて。
食べるものも、お前様と分け合っておったし。
お前様が笛を吹くと、楽しそうに飛び回っておったじゃろう。」
「…そっか。」
よかった。
あれ、僕だけの勘違いじゃなかった、かも。
ブブは僕の友だちだった、よね。
「もしかしたら、また何かの用を足しに行ったのじゃないか?
わしを呼んできたように。」
そっか。
畑ではぐれたって思ってたときも、ブブはピサンリを呼びに行ってくれてたんだ。
「…だけどさ、祓い虫って、白枯虫を食べるんだよね。」
おっちゃんも言ってた。
白枯虫を前にした祓い虫は、白枯虫を食べることだけに夢中になる、って。
さっき、ブブは白枯虫が現れる直前まで、僕と一緒に水の中にいた。
そして、僕が白枯虫に気を取られていたら、その間にいなくなってしまっていた。
あの場所にいたんなら、ブブも、仲間たちと一緒に白枯虫に夢中になってたんじゃないかな。
そうして、エエルの石になってしまったんじゃ…
そんなことを考えかけて、僕は、いやいや、と首を振った。
なんだって、そんなふうに考えるんだ、僕。
うん。まだ、どうなったか、なんの手掛かりもないのに。
こんなふうに悪い方へ考えるみたいなのはよそう。
ブブは何か用事があって、どこかへ行っている。
そうに決まってる。
そこへ、おおーい、という声がまた聞こえてきた。
畑のむこうで手を振っていたのは、おっちゃんだった。
「いやいや。すっかりはぐれてしまいました。
大丈夫、でしたか?」
僕らを見つけて走ってきたおっちゃんは、にこにこと長閑に尋ねた。
どうやらおっちゃんは、一番、なんにもなく、平和に、畑のなかで迷っていたようだった。
「いやいや。こいつに助けられましたよ。
って、あれ?」
おっちゃんはきょろきょろと見回している。
あっと思って、僕は自分の胸元を見下ろした。
そこにはいつものように、ブブがブローチに擬態してとまっていた。




