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森の崩壊が始まったとき、森の仲間たちは、少しずつ少しずつ、永遠の至福のあるという彼の地を目指して旅立っていった。


そして、僕らの郷にもとうとう、旅立ちの時はやってきた。


僕らはどうしても捨てられない大切な物だけ詰めた荷を背負い、しずしずと、住み慣れた森の住処を後にした。


僕らは仲間たちと一団になって森の道を歩いた。

幼いころから遊んだ小径や、雨宿りをした大木のがらんどう。

どっちをむいても、そこにもここにも、よく馴染んだ懐かしいものばかりの森だ。

もうここには帰ってこないなんて、なんだか実感が持てなかった。


森はどこまでも続いていた。

崩壊の闇は森を少しずつ侵食しているという話だけれど、少なくとも僕らには、いつもの森が荒廃しているようには感じられなかった。


けれど、森の木々は昔のように朗らかに歌わなくなった。

零れ落ちていく砂のように、世界からは力が失われていく。

僕らのように他の場所へと歩いて行けない木たちは、ただこの場所に残って、滅びを見ていることしかできない。


その苦しみはどんなものなのか。

僕らの想像は到底及ばないけれど。

ただ、僕らの間にも、言いようのない重苦しさは圧し掛かっていた。

道行く僕らは、口を閉ざし、必要最低限の言葉以外は話さなかった。


元々、僕らは、朗らかな民だ。

騒々しいのは好かないけれど、歌や楽器は好む者が多い。

けれど、誰も、鼻歌ひとつ歌うこともなく、楽器は荷のなかに大切にしまいこまれてあった。


もうこれ以上は遠くへ行ったこともない辺りも過ぎて、知らない森へと入って行く。

その辺りでちょうどいい水場を見つけて、最初の野営になった。

野営と言っても、さほど苦には感じない。

森のなかなら、僕らはいつも、我が家にいるように安心して眠ることができたから。


この地にも棲む者もあったのだろうけれど、誰かと行き会うこともなかった。

もしかしたら、この地の民は、もうとっくの昔に、彼の地へと旅立ってしまっていたのかもしれない。


持ってきたレンバスを齧り、泉の水を飲むと、それぞれ気に入った木の上で休むことにした。

火を炊くことはしない。

危険なことなどありそうもなかったけれど、大人たちは一応、交代で見張りに立つことになった。


一日歩き詰めで疲れていた。

けれども僕はどうしても確かめておきたいことがあって、自分の荷を解いていた。


いつも肌身離さず持っていた大切な土笛。

作り方を教わりながら、この手で土を捏ね、窯で焼いて作った。

いつもは紐で首にかけていた。

ただ、今は遠いところへ行く長い旅の途中。

落としたりぶつけたりして壊したらいけないと思って、荷のなかへしまいこんだんだ。


否。

しまいこんだ、と思っていた。

しまいこんだ、はずだった。


実は、ぎりぎりまで、迷っていた。

いつも、首からかけていたものだったし。

いつも通りに、首にかけていこうかと。

それで壊したことなんか、なかったのだから。


だけど、それも不安だと思った。

土笛はとても壊れやすくて、落として割ったりしたら取り返しがつかない。

だから、荷物のなかへ、大切にしまいこんだ、つもりだった。


けれども、荷物のどこを探しても、あの大切な土笛は見当たらなかった。


からだじゅうから力が抜け落ちていくような感じがした。

なのに、顔はかっと熱くなった。

どきどきどき、と鼓動が響く。

どうしよう、どうしよう、という言葉だけで頭の中がいっぱいになる。


あれを置いて行くなんて、あり得ない。


迷ったのがいけなかった。

さっさと首からかけるなり、荷にしまいこむなり、すればよかった。

だけど、ぎりぎりまで、僕は迷っていて…

それで、そのまま、置いてきてしまった。


次の瞬間、僕は族長の休む木を探して駆けだしていた。


族長は、仲間たちの休んでいる場所のほぼ中央の大きな木の根元に凭れるようにして座っていた。

いつも持ち歩いている銀色の表紙の書物を開いて、月明りに透かしながら眺めていた。


僕が近づいていくと、族長は本から目を上げた。

その何もかも見通すような銀緑色の目で、族長は僕をじっと見つめて、一言、諦めなさい、と言った。


「あの、明日の朝までには必ず、戻ってきます。

 みんなが休んでいる間に、駆け通しに駆けて行きます。

 どこに置いたか、僕、覚えているし、土笛ひとつ、取って来るだけですから。」


僕は跪いて、懇願するように両手を合わせた。

けれども、族長は、悲しそうな目をして首を横に振った。

それから諭すように静かに告げた。


「それが、残ることを、選んだのです。

 それが、その物の意志、なのですよ。」


どうして。

そんなはずはない、と思った。

ずっとずっと一緒にいたのに。

あの土笛が僕と別れることなんか選ぶはずがない。


あれはやっぱり、僕が忘れてきただけで。

もしも、土笛に意志があるとしたら、きっと、忘れられたことを悲しんでいるに違いない。

だから、取り戻しにいかなくちゃ。

なんとしても、あれを持ってこなくちゃならない。


だけど、族長は目を閉じると、頑なに首を振った。


「なりません。

 わたしたちは、戻ることのない旅を始めたのですから。

 戻ることは、認められません。」


どうして?

忘れ物を取りに帰るだけなのに?

族長は意地悪な分からずやだと思った。


いつもの族長は、こんなふうに意地悪じゃなかった。

むしろ、郷の誰より、優しくて、物分かりのいい、穏やかな方だ。

いつも郷の仲間たちのことを、誰より深い思いやりを持って包み込んでくれるような方だった。

なのに、このときは、どうしたって、僕の気持ちを分かってくれようとはしなかった。


だけど、族長の言葉は絶対だ。

逆らうことはできない。


僕はすごすごと引き返すしかなかった。


寝床に就いても、休める気はしなかった。

頭に浮かぶのはあの土笛のことばかり。

どこまでも森のなかに響いていたあの音色。

嬉しいときも辛いときも、僕と一緒だった。


それでも、疲れた体は、ゆっくりと眠気に浸されていく。

そうして、うとうとしかかったときだった。


いきなり肩を掴まれて、はっと目を開いた。

いつもなら、一度眠れば朝まで目を覚まさない僕が、それでも目を覚ましたのは、やっぱりいつもと違う状況に、緊張していたからかもしれない。


僕の肩を掴んでいたのは、ルクスだった。

そのむこうには、アルテミシアの姿も見えた。

僕らは郷にたった三人だけの子どもで、幼馴染の親友だった。


何か言おうとした僕を、ルクスは、しっ、と指を唇に立てて制した。

僕は、こくこくと頷くだけで、分かったとルクスに伝える。

ルクスはにやっと笑うと、下へ下りるようにと腕を振った。


かさり、と小さな音ひとつ立てただけでルクスは身軽に下に飛び降りた。

アルテミシアもそれについていく。

僕は、ちょっと怖くて、ためらっていたら、アルテミシアが受け取ろうというようにこっちに手を伸ばしてくれた。


それを見て、僕は思い切って、アルテミシアの腕のなかへと飛び込んだ。

あったかくてふわっといい匂いがしたかと思ったら、僕はもう地面に立っていた。

大丈夫か?とルクスが声をかけてくれる。

僕は、こくこくと頷くだけで返事をした。


見張りの大人に見つからないように、身を潜めながら、ルクスは木陰を進んでいった。

その後ろには僕。

一番後ろは、アルテミシアが、周囲に気を配りながら、ついてきていた。


そうしてしばらく行った辺りで、ルクスはくるりと振り返った。


「郷に戻るんだろ?」


にやっと笑って、立てた親指で肩越しに郷の方を指さして見せる。


僕は目を丸くして、そんなルクスをじっと見つめた。


「大事な物なんだろ?

 だったら、誰がなんと言おうと、取りに帰らなくちゃ。」


黙っている僕に念を押すようにルクスは言った。


「…けど、族長は、行っちゃだめ、って…」


僕は恐る恐る口を開いた。


「んなもん、気づかれないうちにこっそり行って、こっそり戻って来りゃいいんだ。

 明日の朝までに無事に帰ってくれば、何も、問題なんかないだろ?」


ルクスはそれだけ言うと、もうすたすたと来た道を引き返し始めた。

そうしてついてこない僕らを振り返って、ついて来いと手招きをした。


「早く行こうぜ。

 朝までに戻ってこられなくなるぞ?」


でも、と言いかけた僕の肩に、アルテミシアがそっと手を置いた。


「あんた一人じゃ、きっと族長に逆らって戻ったりできない、って。

 だけど、あたしたち、あの土笛があんたにとってどれだけ大事な物か、知ってるから。」


「俺たち、三人のうちの誰かが困ってたら、あとの二人は全力で助けるって。

 そう誓っただろ?」


ルクスは足を止めようとしないまま言った。


「水臭いんだよ、お前。

 そういうことは族長じゃなくて、俺たちに真っ先に相談しろ。」


「行こう。」


アルテミシアは僕の肩をそっと後ろから押した。

僕の両方の目から、ほろほろと涙が零れだした。


そうして、僕は、一歩、足を踏み出していた。










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