3話 ドワーフ娘と仮の名前
開け放たれている巨大な鋼鉄の門を潜る。
旅人たちを迎えるのは、とても広い石畳だ。
古都らしく、それは灰色と自然の緑とで飾り立てられ、加えて調和していることから一種の芸術性を持っていた。
無論、緑は人が良く歩く場所には居座らない。石畳の端でひっそりと自己主張するに留まっている。
町に入って直ぐの両脇には、これから旅立つ者のための必需品を取り扱う店が並んでいる。それに混じって土産屋も当然のように並んでいた。
大都市であるが故に、土産を買って故郷に戻る者は少なくなく、その利益は潤沢といえる。
建物の基本はレンガ造りで三角屋根。二階建てが多く平屋は見受けられない。
街路樹はほとんど存在しないようで、茶の三角屋根と、くすんだレンガ壁が織り成す景色がどこまでも続く。
ただし、町の中央はその限りではなく。多くの緑が植えられ、巨大な噴水をいただく人々の憩いの場となっていた。
ルーティーに連れられてアイレーンの町へと進むドワーフ娘はしかし、その褐色の腹から怪音波を解き放つ。
人々が織り成す生活の香り、それに混じるのは食欲に直撃する濃厚な料理の香り。
それを空腹で我慢するのは中々に困難だろう。
「あらあら、うふふ。先に何か食べましょうか」
「まった、俺、金が無い。だからこれでいい」
そう言ってドワーフ娘は草袋から苺を取り出した。
この苺にルーティーは即座に反応。
口に放り込もうとしていたドワーフ娘の手首を掴み制止する。
「ルーティーさん?」
「うふふ、これを食べるだなんて、とんでもない」
笑顔が妙に怖い聖職者は、この苺がなんであるかを説明する。
「この果実は【エロスの果実】と呼ばれていて、その果汁は媚薬と同じ効果があるんです」
「マジかっ!? めっちゃ食べてた!」
「相当に毒に耐性があるのか、それとも別の要因があるのかは分かりませんが、この果実は口にしてはいけません。あと、これは薬になるのでお金に替えましょう」
ルーティーはこの町の出身であり、どこにどの店があるか、をほぼ把握している。
統一性の無い建て方をされている民家の脇道を通り抜け、裏道を迷うことなく進む灰色の乙女。
そんな彼女に手を引かれ、辿り着いた先には、おどろおどろしい雰囲気の薬専門店【ハイキラー】の姿があった。
「うおぉ、なんじゃこりゃっ」
「薬屋さんですよ」
その薬屋の壁は、得体の知れない植物によって壁一面が占領されてしまい、奇妙なまだら模様の花を咲かせている。
そんな店のドアを躊躇なく開け放つシスター。それは明らかに強者のそれであった。
「ごめんくださ~い」
「……その声はルーティーだね?」
薄暗い店内は、なんともいえない独特のにおいが入り混じった空間であった。
その奥にて人影がもぞもぞと蠢き、億劫そうに移動を開始。ルーティーたちの前に姿を現す。
その正体は、店の主である老婆だ。
「お久しぶりです、ファレッタさん」
「あぁ、久しぶりだねぇ。前に会った時はこんなに小さかったのにねぇ」
「三日前に会ったばかりです」
「おや? そうだったかねぇ? ひっひっひっ」
すっかり腰が曲がり、全てが白くなった髪を纏めて三角帽にしまい込んでいる姿は、否応にも魔女を想起するだろう。
紫色のローブも、それを手助けしていた。
「実はこれを買ってほしくて」
「どれどれ……んん? エロスの実じゃないかい。誰ぞ好きな男でも堕とそうとしたのかい? いっひっひっひっ」
「違います。私は神に仕える身ですよ」
「あぁ、そうだったかい? まぁ、いずれにしても勿体ないこって」
老婆は懐から皮袋を取り出し、中から金貨を一枚ほど取り出した。
「まぁ、こんなにですか?」
「これでも、ぼったくっている方さね。こりゃあ良い薬になるよぉ」
金貨を受け取ったルーティーは、それをドワーフ娘に手渡す。
「うおぉ……ただで手に入れた物が金になった!」
「なんだい、その子は……って、待った」
ファレッタは目利きができた。
そして、ドワーフ娘が身に着けている獣の毛皮が何であるかを察してしまった。
「それは【黒獣】の毛皮だね?」
「うん? あいつって、そう呼ばれていたのか?」
「そうともさ。ここいら一帯を縄張りにしている狂暴な獣でねぇ。最近、襲われたって話を聞かなくなったのは、そういう事だったのかい。ひっひっひっ」
ファレッタの話を聞いて背筋が凍ったのはドワーフ娘だけではなく、ルーティーもだ。
彼女は黒獣に襲われ、アイレーンに運び込まれた旅人を、神聖魔法で治療したことがある。
その患者は右腕と左足を失っており、頭部の半分も消失していた。
生きているのが不思議なくらいの男性だったが、努力の甲斐なく息を引き取っている。
運び込まれた男性が、実は高名な冒険者だったことを知ったルーティーは、それ以来、黒獣を恐れるようになってしまったのだ。ある種のトラウマである。
「しかし、よくもまぁ、あんな狂暴な獣を仕留める事ができたねぇ」
「何か、良く分からない内に倒せてた。こう、喉をぶちって」
「はぁ? 喉って……よく分からない子だねぇ」
「実際、俺自身も自分をよく分からん」
衝撃の事実にトラウマを思い出し硬直していたルーティーだったが、なんとか再起動に成功。
ドワーフ娘の今の状況をファレッタに説明する。
「記憶喪失、ねぇ」
「はい。それで司祭様に相談を、と」
「ふふん、精々、利用されんようにな。ルーティーも、しっかりとこの子の手綱を握っておくことだよ」
「はい」
「んで、名前はどうするんだい? 仮にでも決めとかなきゃ不便だよ」
ファレッタの提案は、そういえば、とドワーフ娘とルーティーを困惑させた。
ドワーフ娘に至っては気にも留めていなかったのである。
「呆れたねぇ。最近の若いもんは」
「す、すみません」
ルーティーが謝ることではないのだが、何故か謝っている。
そして本人は、ぼへ~っと店内の商品を眺めているという。
このドワーフ娘は、自分の興味のあることに関しては驚異的な集中力を発揮するが、それ以外は無頓着で無関心だった。
「では、仮初の名前を付けてしまいましょうっ」
ぽむっ、と両手を合わせて、幾つかの名前を提示する若きシスター。
しかし、ドワーフ娘は女の子過ぎる名前に難色を示した。
「う~ん、可愛らし過ぎるというか」
「え~? いいじゃないですか。マリリンとかキラリンとか」
何かが違う、ドワーフ娘はそう思ったところで、送り出される際に耳にした言葉を思い出す。
「そうだ、俺の名は【ナナシ】でいい」
「名無しですか?」
「そう、名無しのナナシ。その内、記憶を取り戻すかもしれないし、これくらいで丁度いいだろ」
「そんな適当なぁ」
ドワーフ娘に可愛い名前を付けたかったルーティーは残念がったが、本人がそれでいいというなら引くより他にない。
こうして、ドワーフ娘は【ナナシ】と名乗るようになった。
薬専門店ハイキラーを後にしたナナシとルーティーは、まず腹ごしらえをする流れとなった。
アイレーンの町は、そこかしこに飲食店が存在する。
中には専門店までもが存在する辺り、食料の流通が盛んであり、冬に至っても物流が途絶えることが無い。
したがって、冬の餓死者は相当に少ない事で有名である。
尚、アイレーンには四季があり、冬には積雪もする。
今は春なので、ナナシが過酷な時期になる前に町に辿り着けたのは幸運、というより他にない。
また町は川のすぐ傍に建てられている。
そこから水を引いて水路を形成し、多くの荷物を水路で運搬する方式が取られていた。
この運搬方法のお陰で荷が傷まない内に大量に町中に運ぶことができる。
そのためか、割と価格が安く抑えられているのだ。
「今日のお昼は、ここにしましょうか」
ルーティーが選んだ店は、水路のすぐ傍の大衆食堂【ひらや亭】だ。
ここの店主は美味しく安くを心がけて十年。堅実に店を営んできた。
この心意気は裕福ではない労働者や駆け出しの冒険者たちに強く支持され、今では貧乏人の味方、とすら呼ばれている。
少し古臭い外見をしているのは、店主が前の店主から譲り受ける形で店を引き継いだからだ。
この店の前身は高級料理を出すレストランであった。今の店主は、そこの弟子だ。
木製のドアを開け放ち店内に入る。そこには大勢の客の笑顔があった。
店内は決して広くはない。カウンター席が六、テーブル席が六つだ。
傷んだ壁を隠すかのように、地図や肖像画が張られており、そこに混じって本日のおすすめメニューが張り出されている。
必要最小限のランプしか備えていない故の暗さは、ある種の雰囲気づくりに役立っていた。
カウンター席、テーブル席共々に木製で、かなり使い込まれている。
味があるともいえるが、古臭いともいえるそれは、店の歴史を知る者でもあった。
カウンターには各種酒が並べられており、食事だけではなく飲酒も楽しめる事を主張している。カウンター奥には棚があり、更に多くの酒が並べられていた。
その脇には大樽の姿があり、磨かれたジョッキの姿も確認できる。
日が暮れれば、この大衆食堂は酒場へと姿を変えるのであろう。
「へ~、良い感じの店じゃないか」
「私も、よくお世話になっているんですよ」
偶然にも空いているカウンター席を発見したので、ナナシはその巨大な尻で場所を確保する。木製の椅子は、なんの、とその桃尻を受け止めた。
「この席は死守するっ!」
「もう、誰も取ったりなんかしませんよ」
やんちゃな弟がいたらこんな感じなのかな、とルーティーは思ったが、ナナシの容姿はとても弟とは言えず。
しかし、妹と呼ぶにはアレやコレやが大き過ぎた。
「いらっしゃい」
「あ、マスター。今日のお勧めは?」
「今日は【ヒルラルの香草焼き】だ」
「では、それのセットで」
「かしこまり」
コック姿のがっしりとした体形の男性は、茶色の髪を短く刈りこみ、チョビ髭をトレードマークとしていた。
名を【ウラザン】という。三十三歳独身、彼女募集中だ。
ウラザンがカウンター奥の厨房に姿を消す、とナナシはいつ水が出てくるのか、とそわそわしていた。
しかし、一向に出てこない水。それに対してナナシはルーティーに不満を漏らす。
「水が出てこねぇ」
「え? お水が飲みたいのですか? 注文をしないと出てきませんよ?」
「……マジか」
「はい、お水は……十ルイン銅貨五枚ですね」
ナナシは水が有料であることに衝撃を覚えた。
そして、貨幣の単価もよく分からない事に気付く。
この世界で扱われている貨幣は日本国のそれとよく似ている。
違いがあるとするなら紙幣が無い点であろうか。
銅貨は一、五、十の種類があり大きさが違う。
もちろん、価値が高まるにつれて微妙に大きくなってゆくのだ。
銀貨は五十、百、五百となり、金貨は千、五千、一万の位を司る。
「ふ~ん、ということは、この金貨は一万という事になるのか」
「はい、結構な収入ですが、もし冒険者ギルドや、薬剤師ギルドに加入していたなら、もっとお金をくれたかもですね」
これはつまり、ナナシに信用が無かったということだ。
それとルーティーからの信用を加算しての利益、という事になる。
「やっぱ、どっかのギルドに所属した方が良いのかな?」
「人によりますね。ゼロから信用を積み重ねて、ギルドに加入しなくとも、しっかりと公平な取引されている方もいますし」
「う~ん、でも何十年もかかるんだろ?」
「ですね」
ナナシは素直に面倒臭い、と考えた。
しかし、人付き合いも同じくらいに億劫とも考える。
であれば親しい人間を限定して取引すればいいのでは、と考えた。
つまり、ナナシはギルドは不要、と考えたのである。
「ま、色々と調べてからでいいや」
「はい、ヒルラルの香草焼き、お待ちどうさん」
運ばれてきたヒルラルの香草焼きとは、【ヒラメの香草焼き】と同じものであった。
この世界ではヒラメは【ヒルラル】と呼ばれており、基本的にソテーにされて食卓に上がる。
セットでは、これに黒小麦のパンと、塩スープが加わった。
黒小麦のパンは焼き上がると相当に硬くなるため、塩スープに浸すことは必須である。
しかし、スポンジのように水分を吸収することから、皿に残ったソースなどを吸わせて食べることもできた。
「おぉ、美味そう!」
「それでは、いただきましょう」
ルーティーは聖職者らしく神に祈りを捧げてから料理に手を付けた。
ナナシは神などいない、と信じているので速攻で料理に齧りついた。
ただし、彼女の場合、神にではなく食材に限りない感謝の気持ちを捧げる。
それ故にだろう、彼女は食べ物を残すということが無かった。
単に食い意地が凄い、というだけなのかもしれないが。
「うまっ、うまっ……ずびびびびっ」
そして、食い方が小汚かった。
「あっ、先に全部、スープを飲んだら……」
ルーティーの忠告を忘れていたのであろう。
ナナシは塩スープを全て飲み干してしまう。
ポツンと残った硬いパンは、食えるものなら食ってみろ、と存在感をアピールしていた。
「やべっ、そういえば、こいつ硬かったんだよな」
といったところで、ナナシは草袋から例の水玉を取り出し黒小麦パンに押し付けた。
すると水玉は、パチンと割れて硬いパンをふやけさせる。
「これでよし……」
ふやけた黒小麦パンを口に運び、咀嚼するナナシは、次第に表情を曇らせた。
「よし、じゃねぇ。単品だとくそ不味いな」
「色々と聞きたいことがありますけど、パンは基本、それ自体に美味しさは無いですよ」
「ふぅん、残念なパン事情なんだな」
それでも腹を満たすために、貧しい人々は黒小麦パンと水だけを糧とする。
これだけの大都市であっても光と影は存在し、大きな格差を生み出しているのだ。
だが、群れで生きる以上、これは必然であり、力無き者が淘汰される世界だ、という証明でもあった。
「ごっそさん」
「ごちそうさまでした」
「まいどあり。支払いは?」
「あ、私が支払います」
二人で千二百ルインは、セットにしては安い方である。
通常であるなら二千四百ルインはするであろう料理を手軽に食べられるのが、ひらや亭なのだ。
「それじゃあ、教会の方に向かいましょうか。司祭様より、いろいろと説明を受けられるはずです」
「勉強は気が進まないけど、生きるためだもんな」
「その意気ですよ」
ルーティーはナナシの手を引きアイレーンの町を行く。
やがて二人の前に、奇妙な形の紋章を掲げる白い建物が見えてきた。