2話 ドワーフ娘と審査
どこまでも伸びるかのような灰色の壁。それには多少色の違う部分が垣間見える、
それは表面の塗装が長年の雨風で削られ、基礎の石材が露出し始めているからだ。
今は修理工の代わりに自然が壁の修理を行っている。
この壁が灰色から瑞々しい緑に染まるまで、あとどれくらいかかるであろうか。
この空高くそびえる頑強な城壁に護られるのは歴史深い古都。大都市アイレーン。
三大大国が一つ、ハーティス王国に所属する商業都市だ。
この町はその立地から様々な商人たちの中継地点として発展し、今では世界中から物や人が集まる、ある意味で最も栄えている場所といっても過言ではない。
その利便性から各種の組合、即ち【ギルド】が本拠地にするほどである。
人が集まれば、それに特殊な能力を持つ者も引き寄せられるのだろう。
アイレーンの文化は飛躍的に向上し、ハーティスの王都をも凌駕するほどと称えられるようになる。
そのような都市に、一人のドワーフ娘がやって来た。
彼女の姿を見た者は一様にギョッとする。
知る者が見れば、彼女が身に纏っている物の正体を理解し腰を抜かすであろう。
真っ黒なドワーフ娘は武器も携帯せず、悠々と歩を進める。
町へ入る審査待ちの旅人や商人たちは、異様な雰囲気のドワーフ娘に次々と道を譲った。
それなるドワーフ娘とは、捏ねる能力を持つ彼女の事だ。
彼女は妙な様子の旅人や商人を見て首を傾げるも、そのまま町への入り口を護る兵士に声を掛けた。
門を護る兵士は鉄の胸鎧と鉄の槍を装備している。いずれも若い人間だ。
「あー、あー、俺の言葉が理解できますか?」
ドワーフ娘のまさかの一声に門兵は一瞬、返す言葉を見失った。
それでも、なんとか返事を絞り出すことに成功する。
「い、いや……分かるけど」
「マジかっ!?」
「うん」
返事を返した門兵【マカック】は新兵である。
黒髪に黒い瞳を持つ、どこにでも居そうな青年は、ともすれば痴女の褐色ドワーフ娘に気圧され困った表情を見せる。
というか、どこを見るべきかに困っているもよう。
「そういう時はな、おっぱいを見るんだ」
「違うと思います、先輩」
困っている後輩を更に困らせようとするのは、金髪碧眼の軽そうな青年だ。
名を【ケイク】という。
「おまえら、ムラムラしすぎだろ」
「いやいや、お嬢さんがムラムラさせ過ぎなんだ」
「いやいや」
「いやいや」
なんだか、くだらない展開になりそうだ、そう予想するマカックはしかし、分かっていても口を挟んだ。
「話が進んでいないかと」
「「えっ!?」」
打合せでもしているのか、というほどにドワーフ娘とケイクは息の合った返事を返したのであった。
「こほん、エロ娘。アイレーンに入るには厳正な審査が必要だ」
「エロ娘いうな。というか、そこを何とかっ」
「審査する前に諦めるのかぁ」
流石のケイクもこれには呆れる。
しかし、彼は職務に関しては真面目だ。
軽口は叩くものの、規則を怠ることはただの一度もない。
「規則だからな。問題無し、と判断できれば中に入れてやるさ。それじゃ、名前と所属ギルドを」
「名前……無し! ギルドも知らん!」
「うっひょう、初っ端から問題だぁ」
何故か胸を張って堂々としている褐色ドワーフ娘に、門番たちは頭痛を覚える。
「あのな、嬢ちゃん。名前が無い、とかあり得ないだろ」
「しょうがないじゃないか。思い出せないんだよ」
「あ? おまえ……記憶喪失ってやつか?」
「それが結構、あやふやでさ。思い出せるものと、思い出せないものがあるんだよ」
目の前のドワーフ娘が嘘を言っているようには見えない。
ケイクは暫し考え、詰所に声を掛けた。
「お~い! ガヤッサ!」
すると中から屈強な兵士が一名、面倒臭そうに出てきた。
スキンヘッドでマカックよりも二回りほど身体が大きい大男だ。
「どうしたよ?」
「ちょいと取り調べをするから変わってくれ」
「あ? おまえなぁ……真昼間からヤルつもりか?」
「んなことすっかよ。先生は?」
「いるよ」
親指で詰め所を示すガヤッサに頷いたケイクは、ドワーフ娘を連れて詰所へと入る。
門兵の詰め所は簡素な石作りとなっており、兵士たちが休憩できる最低限の家具が揃っていた。
その片隅の粗末な机にて羽ペンを走らせる灰色の長髪女性が一人。
彼女の清楚で飾りっ気が無く、穢れの無い純白の服装から、神職、或いはそれに準じた職業に就いている事が想像できるだろう。
「ルーティー先生。この娘を見てやってほしいんだけど」
「あら、どうしたのかしら?」
ルーティーと呼ばれた女性が振り向く。
穏やかな顔でエメラルドのような瞳が印象的に残るだろう。
顔を構成するパーツの一つ一つが高水準で且つ、全てが調和する。
間違いなく美女だ。
「どうやら記憶喪失らしいんですけど」
「まぁまぁ、それは大変でしたね」
「調べる前から信じるんだ」
ケイクは大丈夫かな、と心配になるも彼女の【魔法】は信頼している。
「それじゃあ、そこの椅子に座って。怖がらなくても大丈夫よ」
「はぁ~、どっこいしょ」
妙におばさん臭い掛け声と共に椅子に座る、うら若き乙女。
年齢を詐称しているのでは、と思ったケイクだが、記憶を失っていれば年齢も思い出せないのだから仕方がないか、とも考える。
「では、嘘をついていないかどうか、判別魔法【ジャッジ】を施します」
「おー、魔法って存在するんだ。ふぁんたじー」
「存在しますよ。もちろん、神様もね」
にっこりと微笑みを見せるルーティーはしかし、今からえげつない魔法を施そうとしていた。
「審判の神よ、正しき者に祝福を、偽りし者に罰を」
力ある言葉と共に、ドワーフ娘の足元に黄金色に輝く魔法陣が出現した。
それを物珍しそうに眺める彼女に対し、ケイクは尋問を開始する。
「それじゃあ、名前を言ってくれ」
「知らん」
ほう、とドワーフ娘の足元の魔法陣が一瞬、青く輝いた。
「マジで記憶喪失かよ」
「そう言ってるじゃん」
「じゃあ、ギルドにも所属してないのか」
「そもそも、ギルドって何さ」
「そっからかぁ……お兄さん、心配になって来ちゃった」
額を押さえて天を仰ぐケイク。
ルーティーもまた、頬に手を添えて「あらあら」と困り顔を見せている。
「どこから来たんだ?」
「あっち」
来た方角を指で示す褐色ドワーフ娘。
やはり、魔法陣は一瞬、青く輝いて金色の輝きに戻る。
「え~っとだな。その格好は?」
「黒い獣をやっつけて加工した。俺、気付いた時には真っ裸だったから」
「えっ? その身体で全裸っ!? く、詳しくっ!」
すると、褐色ドワーフ娘の足元の魔法陣が赤く輝き電撃が迸ったではないか。
「あばばばばばばばばばばばばばばっ!?」
ただし、対象はケイクに、であるが。
「ジャッジ中に、邪悪な欲望を持ってはいけません」
「そ、そうでした……がくっ」
神の裁きを受けたケイクは顔面から床に突っ伏し力尽きた。
これがジャッジの効果であり、嘘や邪悪な考え、淫らな欲望に反応し、対象に電撃を加えるのである。
ただし、それは尋問される側だけではなく、尋問する側にも適用された。
「もう、ケイクさんったら。では、代わりに私が質問しますね」
「お、おう。結構えげつない事をしてるな」
「最初に説明したら逃げちゃうでしょ?」
うふふ、と微笑むルーティーに、そこはかとない恐怖を覚えた褐色ドワーフ娘は、その後も分かる範囲で素直な返事を返した。
「最後に……あなたは、なんの目的でアイレーンにやって来ましたか?」
「とにかく人に会いたかった。それだけ。後はここで考える」
やはり魔法陣は青く輝き、そして床に溶けるかのように消えてしまった。
「はい、お疲れ様でした。問題は無しです」
「おおう、これで町に入れるのか」
「ただし、条件付きですけどね」
「なんですとっ!?」
やはり、頬に手を添えて上品に微笑むルーティーは、その理由をドワーフ娘に説明する。
「記憶喪失の子を、独りで町に放り出すわけにはまいりませんから」
「え~、大丈夫だと思うけど」
「ダメですっ」
ルーティーはチラリと窓際の棚を見た。
そこには砂時計があり、赤色の砂がさらさらと流れ落ちている。
そして、その砂時計の上部には輝く数字の姿があった。
輝く数字は丁度、十二を示している。
「うん、そろそろ交代の子が来る時間ですね」
「ちわ~っす! ルーティー先輩っ! 交代っすよ!」
赤髪の少女が詰所に飛び込んできた。
青い瞳がキラキラと輝き、彼女の穢れなさが強調されている。
「エイミー、もう少しお淑やかに、ね?」
「えへへ、努力しまぁす!」
元気が人の形をすればこうなるのだろう、といった感じの少女は、ルーティーに負けず劣らずの魔法の素養を秘めている。
先ほどルーティーが使用した判別魔法もお手の物だ。
「あれぇ? そのエロい娘はどうしたんです?」
「記憶喪失みたいなのよ。名前も思い出せないみたいで……でもね、邪悪な子じゃないから審査は合格したの」
「あぁ、そういうことっすか。じゃあ、司祭様に?」
「えぇ、基本的な事も思い出せないようで」
「了解っす! じゃあ、名無しちゃん。良きアイレーン暮らしをっ!」
ぶんぶんと激しく手を振って送り出すエイミーに、ドワーフ娘は「お、おう」との返事を返すので精いっぱいだった。