15話 ドワーフ娘と乙女の部分
そこはまるで異世界であった。
現世とは異なる邪悪なる臭いは少女たちの思考能力を奪い、モザイク必須な用途不明の物体が山成す空間は、正常な精神をことごとく穢すであろう。
早い話が汚部屋である。一人暮らしの男の部屋である。汚い、ひたすらに汚い。
「ひぃっ、なんて状態にしているんですかっ!?」
「いやいや、普通だろっ」
「釈明する前に服を着なさいっ!」
鬼のような形相のルーティーに叱られ、情けない格好の銀の英雄はそそくさと普段着に手を掛けた。
彼は、自分の家なのに何故、怒られなくちゃならないんだ、と文句を垂れながらもナンパ男に相応しい姿へと変貌する。
世も末な部屋にあっては浮いている、としか言いようがない清楚な主の姿に、汚部屋は悲鳴を上げているかのような異臭を撒き散らす。
「取り敢えずは掃除ですっ! 例え神がお許しになられても、この私が許しませんっ!」
「あっ、ちょっ!」
ルーティーは、お母ん力を発揮。不要と思わしき謎の物体群を部屋の外へと叩きだす。
彼女は元々掃除が好きだ。汚い部分が綺麗になった際の快感に勝る物は無い。
だから、このような触るのもおこがましい汚部屋であっても、なんら抵抗なく素手での作業を実行可能にした。
流石に袖は捲るようだが。
「……エリドさん?」
「エ、エロ本の一冊や二冊、男の部屋なら当たり前だろっ」
「ドワーフ娘特集。たわわな桃尻をつら……」
「やめろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」
エリドの精神はその後も減り続け、汚部屋が片付く頃には骨と皮だけになっていたという。
そんな彼の謎の苦労もあってか、汚部屋はすっかりと片付いた綺麗な部屋へと変貌している。
尚、彼のコレクションは全てゴミ捨て場へと直行した。
「これで良し」
「とほほ……俺のエロ本たちが」
エリドはナナシと出会って以来、人間の女性に殆ど欲情しなくなったという。
実に罪作りなナナシは、う~ん、と呻き、ようやく再起動を開始したもよう。
「……はっ!? お、俺は何を? とんでもない幻を見た気がする」
「えぇ、幻だったわ」
「そっか~、そうだよな。エリドがパンツ一丁で出てくるわけないもんな」
その幻を思い出し、再び顔を真っ赤にさせる褐色ドワーフ娘。
お気に入りのコレクションは失ったものの、ナナシの恥じらいの顔を見る事ができた。
これにエリドは大いなる収穫を感じる。
「でも、いつの間にエリドの部屋に入ったんだろう?」
「えっとね、ナナシちゃんは疲れてたの!」
「そ、そうそう! 急にパタンって倒れちゃったんだよ!」
「え? そうなのか?」
ナナシはあまりの衝撃的な光景に、記憶が飛んでしまっていた。
彼女は、その男らしい性格とは裏腹に、純情で乙女な部分を持ち合わせている。
普段は顔を覗かせない乙女部分は、やはり気になる異性を前にすると顔を覗かせるようだ。
しかし、それを完全に理解するには時間が足りないもよう。
「っと、そうだった。エリドっ、これ、お礼に作ったんだ」
ナナシは、ここを訪れた理由を思い出し、籠の中から禁断の鎧を取り出す。
非力なドワーフ娘が苦も無く取り出せるように、このブレストアーマーは非常に軽い。
片手剣を用い、素早さに重きを置くエリドには相性がいいだろう。
尤も、その軽い理由は【羽根のごとき軽さ】という反則級の特殊能力が付与されているからだが。
「うおっ、こんな立派な胸鎧を作れるんだ? 直ぐにでも職人としてやっていけるじゃないか」
「あはは……まぁ、そういうわけにもいかないんだ。やんごとなき事情があって」
「?」
苦笑いをするナナシとルーティーに首を傾げるエリドは、気を取り直し立派な胸鎧を早速、身に着けてみる。
「どう?」
「うん、少し大きいかな?」
「あちゃ、寸法を計らなかったもんなぁ」
通常のスケールアーマーであれば問題は無かっただろう。
しかし、ナナシが完成させたブレストアーマーは調整が利かないタイプだったのだ。
だが、このブレストアーマーはゴッズランクである。
「うわっ!? 鎧が縮んだっ!?」
パシュッ、という軽い音が鳴った瞬間に、落ち着いた色合いの胸鎧は縮み、エリドに適したサイズへと整形してしまったではないか。
これはもちろん、作品が自らを成型する能力を応用したものであり、ナナシの作品の全てに備わっている能力である。
「うわぁ、そういう性能が付いてるんだ」
「これはやっぱり、販売できないやつですね」
分かっていたことではあったが、とんでもない特殊能力がわんさか盛られているのだろう、と作った本人はもちろんの事、それを見届けた者も呆れた。
「なんなの、これ?」
「え~っとな? これは内緒なんだけどさ」
ちらり、とルーティーを見るナナシ。
それにルーティーは苦笑しつつ頷く。
「それは、昨日のイリュージアの鱗で作った鎧なんだ」
「そ、そうなんだ」
「でな、問題はそこじゃなくて、それがゴッズランクだという事」
「……うん、意味が分からない」
「ですよねー」
ナナシだけでは説明が追いつかない事を悟ったルーティーが助け舟を出す。
詳しい事情を語る聖職者に、エリドは段々と理解を深め、やはり顔を青褪めさせた。
「ま、待ってくれ。俺なんかが伝説級の鎧を貰っちまっていいはずがないっ」
「アイレーンの英雄なんだから、いいじゃないか」
「ここは平和だけど、それも勇者一行が魔王軍と戦っているお陰なんだ。俺みたいな凡人が持っていていいわけがない」
本当は喉から手が出るほどに欲しいが、勇者一行を【知っている】彼は、どうしても欲しいの一言を出せない。
しかし、衝撃の事実がナナシの口から飛び出す。
「あっ、そいつ、もうエリドが気に入ったっぽい」
「へ?」
「そういえば……伝説級の武具は使い手を選ぶとか」
ルーティーは手を頬に添えるお決まりのポーズで虚空を仰ぐ。
ゴッズランクは基本的に自らの意思を持つと古き伝承にて伝えられている。
実のところ、それは正しい。
「じゃ、じゃあ……?」
「うん、もうその勇者一行とやらに渡しても、そいつは頑張らないだろうなぁ」
「もう駄目じゃないか」
がっくり、と肩を落とすエリドに対し、紫の胸鎧はご機嫌そのものであったという。
こうして、新たな相棒を手に入れたアイレーンの英雄。
これから彼は望まない災難に巻き込まれ、真なる英雄として名をとどろかせることになる。
だが、その話はまだまだ先の話であり、今は愛しいドワーフ娘をどう攻略しようか頭を悩ます普通の青年であった。
日も傾き薄暗くなったので、エリドは二人を教会にまで送り届けると告げた。
これに対し、二人はそれなら、と申し出を受け入れ帰路に就く。
春から夏へと向かう季節にあっても、日が沈むのは早いものだ。
石畳を照らす青い月は神秘性を持つ三日月の形。
この形状は狩人に祝福を与えると言われている。
その形がしなる弓に似ているから、というのが理由であるらしい。
「そろそろ、羽虫も元気に飛び回ってるなぁ」
「苦手なんですよねぇ、小さな虫がこう……ぶわ~ってのが」
「それは、誰だってそうだろ」
エリドの何気ない独り言に反応するルーティー。
ナナシはというと、ぽやん、と青い輝きを地上に送り届ける月を眺めながら、ふらふらと歩いていた。
おかしな点は見受けられないが、よく観察してみると黄金の瞳が薄っすらと輝いている。
目には輝きが無く、しかし、その器には神秘性が溢れ返っているかのようでもあった。
確実に何かが起こっているのだが、エリドとルーティーは雑談で盛り上がっている。
「? ナナシちゃん?」
「どうかしたのかい? ぼぅとして」
「……えっ?」
二人の偶然の声掛けで現に引き戻されるドワーフ娘。
自分でも数秒前の事を思い出せない。
「な、なんでもないよ。月が綺麗だなって」
「あぁ、綺麗だね。で、でででででででっ!」
でも君の方がもっと綺麗だよ、そう言いたいのに意識すると喉で詰まってしまう。
いつから自分はこんなに純情になってしまたのか。
エリドは肝心な時に勇気が出せない自分を恨めしく思う。
「ぷーくすくす、ヘタレ」
「う、うるさいっ。分かってるさ、そんなこと」
「?」
妙に仲が良い二人を見て、ナナシはもしや、という勘違いを起こした。
「(まさか、この二人は既に……っ!?)」
大いなる勘違いである。
ルーティーは男が好きではない。表面上は体裁を取り繕っているが、男は皆、汚物であるとすら思っている。
ズモン司祭や一部は免罪しているものの、それ以外は全て神の雷にて灰にならないかなぁ、とすら願っているのだ。
その原因は彼女の過去にあるのだが、色々と話が長くなるのでまたの機会にしよう。
今は男嫌いである、と認知していただければ結構。
「教会に来るのも久しぶりだな」
「それならばお祈りしてゆきます?」
ルーティーの申し出に、エリドは苦笑しつつ、やんわりと断った。
「いや、穢れた身で中に入るのは憚られる。遠慮しておくよ」
「神に許しを請えば、穢れも払われるでしょうに」
「戒めだよ。それじゃ、二人とも、おやすみ」
銀の英雄は、これで話は終わりだ、といわんばかりに背を向けた。
「お休み~」
「おやすみなさい、お気を付けて」
ナナシは無邪気にエリドを見送り、ルーティーは彼の背に暗い過去のようなものを見た。
チャラチャラしているように感じるも、妙なところで教養を感じさせる男性に、ルーティーは普段感じない感情に焦らされた。
だが、その感情が分からない。それは男嫌いを公言するからこそ。
「……まぁ、いっか。ナナシちゃん、中に入りましょう」
「おっ、そうだな」
ナナシとの出会いは、停滞していたルーティーの時間を再び動かすことになる。
それが良い事なのか、悪い事なのかはこれから綴る物語が示してくれることだろう。
さて、ナナシの自室へと戻った両者は、そこで見てはいけない光景を目の当たりにしてしまう。
「ひえっ」
「こっ、これはっ」
机の上で休ませておいた骨製の櫛、それが月の輝きを吸収し、青と銀とが混じった不思議な色合いに変化していたのだ。
そして、あろうことかナナシが気合を入れて意匠を施した部分が色とりどりの宝石をちりばめたかのように変化している。
間違いなく、この世に二つとない櫛。
神が戯れで地上に残した究極の一品に進化を果たしてしまっていた。
「これ、大丈夫かな?」
「あくまで櫛だから、大丈夫だと思いますよ?」
既に大概なことには慣れてしまったルーティーは、無造作に櫛を手に取った。
すると、櫛に蓄えられていた月の輝きの力が一瞬にして彼女の体内を駆け巡る。
「ふぁ……」
それは快楽にも似た心地良さを彼女に与えたではないか。
だが、それは櫛がルーティーを支配してしまった証。
「ル、ルーティーさん?」
「うふふ、我が世の春が来た」
「ま、待てっ。話せばわかるっ」
「ナナシちゃんも、お甘いようで」
ドワーフ娘の「ひにゃ~ん」という悲鳴がライバー教会に響く。
何事か、とズモン司祭とマリアンヌがかけつける、とそこにはとんでもない光景が。
「ふぁっふぁっふぁ、どうだ、ここか? ここが良いのだろう?」
「ふあぁぁぁぁぁ……気持ちいい」
神秘的な櫛を用いてナナシの黒髪を梳くルーティー。
別にそこまでは、とんでもない、というわけではない。問題は梳かれた後の黒髪だ。
なんと、その黒髪が自力で輝いているのだ。
よくよく見れば黒の中に銀が垣間見えている。それがナナシの魔力に反応し、艶やかな黒髪を蠱惑的に、そして淫らに輝かせる。
「あんたら、何をやって……ひえっ、ゴッズランク!」
「何をしておるんじゃ、ルーティーっ!」
「おまえも、キラキラにしてやろうか」
「あ、悪霊退散っ!」
「残念、私は美の神だ」
ライバー教会に悲鳴が響く。愉快な宴はまだ始まったばかりであった。
翌朝、アイレーンのライバー教会に住まう者たち全員の髪が煌めいていたのは言うまでもなく。
この美の神のおちゃめな悪戯に、女神ライバーは腹を抱えて大爆笑したという。
もちろん、この櫛も秘密の小部屋の仲間入りを果たした。




