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屋根裏部屋とミス・ダイアリー

作者: じゃはなみあき

 大学に通う為、学校の近くに部屋を借りた。今日は実家を離れる日。


「まだ始まるまで1ヶ月もあるのに……。休日には帰って来てね、行ってらっしゃい。毎日でなくても連絡は入れること。これからの日々が貴女にとって輝くものとなりますように」

「沢山の事を吸収して、充実した日々を過ごしておいで」


 駅のホームで、左右から挟まれるように抱きしめられながら、母と父から言葉を貰う。


「早めに行くのは町に馴染んでおきたいから。出来るだけ連絡は入れるね、お母さんお父さんありがとう。行ってきます」


 数日分の着替えが入ったスーツケースと共に電車に乗り込み、窓際の座席を探す。腰を下ろしホームに佇む両親に手を振ると、発車のアナウンスが流れ、動き出した列車に母がずっと手を振り続けていたのが目に焼き付いて、なんだかほろりとしてしまった。


 電車に揺られる事6時間。美しい石畳で有名と言うのが、私がこの町に居を定めた一番の理由。勿論大学が近いのもある。しかし、石畳と言うものはスーツケースを引くにあたってはとてもよろしくない。引っかかる車輪にちょっとイライラしながら目的地に着いた。


 石造りの建物の前で、待ち合わせていた大家さんと会い部屋の鍵を貰って、1ヶ月分の家賃を前払いした後、近隣情報を聞いた。

 歩いて4~5分の所にスーパーがあるらしいが割高との事。大家さんは「10分程歩くけど、広場の朝市の方がお勧めよ」とウインクして颯爽と去って行った。


 先に送っておいた荷物が一向に届かないので業者へ連絡した所、日にちを間違えて明日届くことになっていると言われた。謝罪の言葉は一切ない。

 いつまでも建物の入り口で待っている訳にもいかず、スーツケースを抱えて部屋に上がる事にした。


 私の部屋は5階建ての最上階。いわゆる屋根裏部屋。屋根裏部屋にしたのは勿論安いから。それと、秘密基地っぽいのが決め手。エレベーターがないのはまあ古い建物だし仕方が無いとして、天気が良い時に窓から屋根に上がり石畳の街を眺めながらお茶でも飲めば、エレベーターがない事など空の彼方へ飛んでいくことだろう。


 ドアを開けるとそこは私が思い描いた通りの部屋があり、これからここで過ごす事を考えるだけで、今日受けた仕打ちがチャラになった。我が事ながら現金だと思う。

 

 無事に着いたことと、荷物が届いていないことを両親に報告すると「あらあら、さっそく洗礼を受けたわね」と母が穏やかに笑った。


 家具が届いていないので、今日は床で寝る事は決定事項。せめて綺麗な床で眠りたいので、掃除用具を買いに行くことにした。


 道行く人に尋ね掃除用具を手に入れ、夕食の為にサンドイッチと飲み物も買い屋根裏に帰って来た。

 箒で床を掃いていると、部屋の隅に小さな段ボール箱を見付けた。中を確認すると本が数冊入っていた。大家さんに連絡して本の事を伝えると、「好きにして構わない」と言われたので、今夜寝しなに読むことにした。


 ストールやひざ掛けをぐるぐるにしたもので簡易クッションを作り、ジャケットを数枚床に敷いてその上に横になる。思ったよりも冷たくなくて、これなら何とか眠れそうだ。

 前の住人の持ち物だったであろう本をおもむろに開くと、それは本ではなくて日記だった。

 人様の日記を読むのは躊躇われたけれど、ここに住んでいたのなら何か有益な情報が得られるかもしれないとページを捲った。少しの好奇心があった事も間違いではない。


 日記の主は何処にも名前が書いていなかった。内容からして女性と思われるので、私は彼女を“ミス・ダイアリー”と呼ぶことにした。


 合計3冊の本は全て彼女の日記で、初めての一人暮らしに対する不安から始まり、講義内容、近所の美味しい食堂やパン屋さん、お気に入りの本屋さん等。私と境遇も似ており同年代の彼女にとても親近感が沸いた。


 とても真面目な“ミス・ダイアリー”に変化が訪れるのは日記で言う所の1冊目の終わり頃。


 彼女は恋に落ちたのだ。


 講義と食べ物、読んだ本の感想で埋まっていた日記が、“彼”で占められて行くのは一目瞭然。“彼”は“グィド”と言った。生真面目な彼女は“グィド”についても細かく記していた。


『朝焼けの髪、青空の瞳。微笑みひとつで雲を払う。彼の周りはいつも晴れ』


 詩人だな……とページを捲るとはらりと何かが落ち、それに手を伸ばすと、それは間違いなく“グィド”の写真だった。ベビーフェイスに人懐こい笑顔。太陽と形容されるに相応しい。


「“ミス・ダイアリー”これはヤバいでしょ。ストーカーっぽいよ」


 写真の裏には“グィドと私”とあったので、“ミス・ダイアリー”は自分の写った所だけ切り取ったようだった。

 よかった隠し撮りじゃなくて。ストーカーなんて言ってごめん。


“ミス・ダイアリー”は少しずつ“グィド”と仲良くなっていった。やはり共通の話題や趣味は強く、二人はトレッキングやアウトドアで仲を深めていく。


『何度か一緒に出掛けているのに、グィドは私の名前を覚えていないみたい。悔しいからもう名乗らないことにした。その代わり彼の好きな小説の登場人物“シャンディ・ガフ”を名乗ることにした』


「いやいやいやいや、“ミス・ダイアリー”どうしてそこに行き着いた? 不可解極まりないし発想がずれている。もしかすると“グィド”は“ミス・ダイアリー”を意識し始めて照れて口に出せなかったのかも、とか思わなかったのかな」


 発想が斜め上過ぎる“ミス・ダイアリー”を私は随分好きになっていた。恋に溺れて成績を落とすこともなく、何事にも真面目に取り組んでいて、それでいてちょっと……大分間が抜けていて。

 彼女の恋が上手くいく事を祈り、ドキドキしながらあっという間に3冊目へと読み進めていく。


 そんな彼女に訪れたのは、望まぬ、恋の終わりだった。


『グィドがヒマラヤのトレッキングに行く。私も誘われたけど、どうしても出ないといけない講義があって残念ながら断った。事前準備の為の買い物には一緒に行くつもり』


『今日はトレッキングの出発の日だった。空港でグィドが現地から手紙を送る約束をしてくれた。会えない間は寂しいけど、手紙がもう待ち遠しい』


『手紙が届かないまま帰国の日が来た。急いで空港に迎えに行った。そこに、彼の姿は、なかった。グィドは、ザイルが、切れて、滑落、した。と、一緒に行った彼の友人が告げた』


『私の太陽はもう私を照らすことはない』


『彼の口から私の名前が呼ばれる事ももうない』


『彼の声が聴きたい』


『会いたい』


『グィド グィド グィド グィド グィド グィド グィド グィド グィド グィド………………』


 そこから最後のページまで彼の名前が書き綴られていた。


 どこからか、ふわりと写真が舞う。日記に挟まっていたあの写真だ。

“ミス・ダイアリー”が写真を切り取った意味がよく分かった。一緒に写る自分が許せなかったのだ。時を止めてしまった“グィド”その隣にいられない自分。


 空が白み始めた窓の外が、淡く哀しく太陽を迎えようとしている。

 心が千々に乱れる。

 喉の奥がぎゅっと苦しく息をするのも困難で、本当に心が粉々になってしまったかのよう。

 抑えきれない悲しさと、どうしようもない胸の痛みに耐えきれず、急拵えしたストールの簡易クッションに顔を埋め嗚咽を上げた。






 ぱちりと目を覚ます。気が付くとベッドの上で、軽く伸びをすると時計が目に入った。


「遅刻しちゃう」


 クローゼットの手前にあった服に着替え、急いで顔を洗ってバッグを掴み、手櫛で髪を整えながら階段を下りる。

 石畳は走ると足の裏が痛い、足元に気を付けて速足で歩く。学校が近くで本当に良かったと学舎が見えて安堵した。


 思っていたよりも早く着く事が出来たので、構内のカフェに入ってサンドイッチとカフェオレを買い、ベンチに座って朝食を摂ることにした。


 パストラミとトマトとチーズのサンドイッチはとても美味しく、お昼も同じものを食べようかな、と考えていると人が歩いて来て隣に座った。待ち合わせていたら迷惑になるかもと立ち上がろうとした時、隣の人が「シャンディ」と言った。


 誰の事? と横に座った人を見る。


「グィド」


 写真を何度も見た。朝焼けの髪、赤茶色の髪に青空の瞳、夏空のようなブルー。

“ミス・ダイアリー”の想い人“グィド”がそこに居た。


「シャンディ。今日買い物に行くよな、待ち合わせは何処にする? 迎えに行ってもいいけど」

「かいもの……」

「俺と友人達でヒマラヤに行くだろ? 一緒に装備を買うって約束、もう忘れた?」


 ヒマラヤ。日記で読んだ。

 ふと気付く。

 きっとここは分岐で、私はジャンプかタイムリープしたんだ。

 グィドが「シャンディ」と呼んでいる。なら、“私”は今“ミス・ダイアリー”の姿らしい。朝は慌てて顔洗ったから、鏡を見てない。服や持ち物の趣味も似ていて、全く気が付かなかった。


「シャンディ?」


 グィドが顔を覗き込み、“私”の頬にかかった髪を耳に掛ける。すごく優しい手つきで。

“ミス・ダイアリー”貴女は彼に愛されている。間違いないよ。


 胸が軋む。眦に涙が溜まって行くのが分かった。この痛みは“私”のものか“ミス・ダイアリー”のものなのか。


「シャンディ?! 具合悪い? 大丈夫?」

「ごめん。約束忘れてないよ。具合も悪くない。ありがとう」


 ありがとうございます。“ミス・ダイアリー”と彼を逢わせてくれて。

 ありがとうございます。もしかするとこの先を変えられるかも知れないチャンスに巡り合わせてくれて。

 一筋の光明が見え、普段は祈らぬ神様へ感謝を告げた。


 講義が終わった後、グィドと買い物に行き、私は丈夫なザイルを彼にプレゼントした。ちょっとやそっとでは切れたりしない代物だ。


「ありがとう。すごく嬉しい。ついでにアイゼンも良いの買っておこうかな」

「絶対そうして」


 私の、いや“ミス・ダイアリー”のクレジットカードが悲鳴を上げるかもしれない装備をグィドに揃えさせて、気持ちが少し楽になった。


「俺が帰ってきたら、今度は一緒に行こう。向こうに着いたら手紙を送るよ」

「手紙……」


 手紙を送る事は空港で約束したと、日記に書いてあったけど、装備を揃えた事で変化が起こっているのかも。これが良い方向に進めば尚良い。


 そして彼は旅立って行った。再度「手紙を送るよ」と約束して。


 グィドが戻るまでの3週間は手紙を待つ日々だった。“ミス・ダイアリー”もこんな気持ちだったのだろうか。結局日記の通り、手紙は届かないまま帰国の日を迎えた。


 逸る気持ちを抑え空港へ向かう。今回は大丈夫、大丈夫と心の中で繰り返して。

 ゲートに着き、掲示板の到着時間を何度も確かめる。遅延ディレイの文字は見当たらないので予定通り到着しているはず。手荷物受取で時間が掛かっているのかもと、色々考えが頭の中を走る。


 ようやく友人の一人を見付け、側に駆け寄った。


「おかえりなさい。グィドは?」


 彼の口から出た言葉は、何度も日記で目にした「グィドは、ザイルが切れて、滑落した」だった。


「そんなはずない! 新品の! 丈夫なザイルを彼と買いに行った!」


「グィドは現地でシェルパの少年とザイルを交換していた。少年のザイルが古くて気になったそうだ」


 もしかしたら、“前”もそうだったのかも。グィドは古いザイルと交換して滑落した。

 何度装備を揃えたとしても、優しい彼は誰かの古い装備と交換するのだろう。

 

 こんな、これは、ジャンプやタイムリープではなく記憶の追従(メモリーリーディング)だ。


 人目もはばからず、“私”は叫び泣き崩れた。






 首が痛い。目が重い。顔がパシパシする。


 身体の痛みで目が覚めた私は、家具の無い屋根裏部屋でお手製のストールクッションに顔を半分埋めたままだった。首の痛みは、顔を横向きにしていたせいで、目が重いのは泣き過ぎたからだ。涙の跡は乾いてカピカピになっていて、皮膚を引きらせている。


「救えなかった。助けられなかった。変えられなかった」


 自分が神にでもなったつもりか、烏滸おこがましい。

 昨夜思い切り泣いたと思っていたのに、涙は更に溢れてくる。

“ミス・ダイアリー”はもっともっと辛かっただろう。それでも、彼女に感情移入してしまった私は流れる涙を止めるすべが分からなかった。


 どんなに悲しかろうがお腹は空く。空腹に耐えられなくなり、痛む体をノロノロと起こして洗面台で顔を洗う。鏡に映るのは勿論自分。結局“ミス・ダイアリー”の顔は見れなかった。見たかもしれないけれど、それどころではなくて記憶に無い。

 グィドがあんなに優しい顔で見詰めていた彼女は、辛い出来事に表情の変化があったかも知れない。


 身支度を整え出かける準備を終えた所で、ビィーーっとドアのブザーが鳴った。

 

 来客の予定はなかったような、と思い返事をすると、業者が家具と荷物を持ってきた。床で眠って体が痛くて目覚めたのに、家具の事はすっかり忘れていた。


 窓の上に付いている滑車にロープを通し、家具と荷物を引き上げて貰う。

 業者のおじちゃん達は気の良い人たちで、「昨日は悪かったね」と謝罪してくれた。家具や荷物の事を忘れていた私は「そんなの良いですよ(忘れていたし)」と返した。そんな私におじちゃん達は、トラックの前に整列し「この町へようこそ」とミュージカル俳優のように両手を広げ、歓迎の言葉とバラの花を渡してくれた。


 ここ数日ですっかり涙脆くなった私は、思わず涙を零してしまいおじちゃん達をアワアワさせてしまった。申し訳なく思いながら、おじちゃん達に囲まれ涙をぬぐっていた時、配達員が来た。


「きみは屋根裏の住人?」

「そうです」

「じゃあ、きみ宛だ。よい一日を」


 絵葉書を渡され宛名を見る。

 住所の初めに『屋根裏のお嬢さん』と書いてあり、葉書を裏返す。

 

 そこにあった写真は、天高くそびえる霊峰。山頂には雪をいだく、神々の山。ヒマラヤの風景だった。

 震える手で葉書を裏返し、文章に目を移す。


『やあ、シャンディ。


 約束通り手紙を送る。

 今日は麓の町に到着した。

 きみと買った装備はとても役に立っている。ありがとう。

 これから案内人を雇って明日キャンプ地に向かって出発する予定。

 とても美しい景色だから機会があれば、是非きみと一緒にまた訪れたい。


 俺は、きみの唯一になりたい。

 帰ったら俺の口から伝える。待ってて。


 マイ・エリザ。

 

 グィド x』


 間違えようもない、“ミス・ダイアリー”宛の手紙だ。


「遅い、遅いよ」


 折角拭いた涙が止めどなく流れる。

 周りを囲むおじちゃんがやさしく宥めてくれる。


「ミス・エリザ。大丈夫かい?」

「? 私は“エリザ”ではありません」

「じゃあ、ミス・マーイかな」

「?……」


 おじちゃんの目線を辿ると、宛名が目に入る。

 そうか、彼女、“ミス・ダイアリー”の名前。

 食い入るように見るその名前には見覚えがあった。


「……彼女に届けないと。皆さん、荷物ありがとうございます。バラもとても嬉しいです」

「俺たちも嬉しいよ。よい一日を」


 おじちゃん達に挨拶して屋根裏部屋まで階段を駆け上がる。途中「静かに上って!」と注意を受けたが、それどころではない。

 貰ったバラを水を張った洗面台の中に入れた後、3冊の日記と葉書をバッグに入れ、施錠して部屋を出る。

 階段を降りる時は、心持ち静かに下りたつもりだけど1階に着いた時に「うるさくしてごめんなさい」と住人に謝っておいた。


 タバコ屋で電車のチケットを買い、ホームへ急ぐ。順調に行けば夕方には着ける。

 そう言えば、何か食べようと思って外出するつもりだったな、と気付けば、乗り込んだ車内で騒音の如くお腹が鳴ったのは言うまでもない。






 ドアをノックする。出てきた女性は凄く驚いた顔をした。


「どうしたの? 忘れ物? まさかお母さんの料理が恋しくなった?」


“ミス・ダイアリー”は私の母だった。


 母の名前を思い出して、色々合点がいった。昔、名前を言って揶揄からかわれたと教えられた。

 母は“麻合 映里咲”。“まあい えりさ”。“Myマイ Ellisaエリザ”と聞こえる。


 グィドが中々名前を呼べなかったのも頷ける。ちょっと気になる相手にいきなり「俺のエリザ」って言えない。絶対に周りに冷やかされる。上手くいけばいいけど、下手するとギクシャクする。


 母の顔を見詰めていたら、思わず。「ミス・ダイアリー」と呼んでいた。


「何のこと?」


 不思議に思っている顔に、「シャンディ・ガフ」と言うと、穏やかな表情が一瞬で消えた。


「とりあえず、入って。皆でお夕飯にしましょう」

「じゃあ、その後話したい事があるんだけど」


 促され昨日ぶりの実家へ入る。

 漂う夕食の香りは幼い頃より変わらないもので、落ち着いて話せそうだと確信した。



 夕食後リビングのソファーへと場所を移して、母と父と私の三人で話すことにした。

 バッグから日記と葉書を取り出し、母へ手渡した。


「これ、私の日記?! 読んじゃった?」


 顔を赤くする母は葉書の写真に目を止めて、ゆっくりと裏返す。


「!」


 息をのむ音が聞こえた。かすかに動く唇は「グィド」と形づいた。

 静かに涙を流す母に私は、私の身に起こった甘く悲しい出来事について語った。


「そんな事があったのね。偶然にも私と同じ部屋に貴女が住むことになるなんて。天の巡り合わせかもね。グィドは手紙を送る約束守ってくれていたのね。リビングに飾って置くわ」


「グィドは本当にいい奴だった。僕とは学部が違ったけど話が合って、たまに昼食を一緒に食べていたよ。僕も彼と登山の約束をしていたんだ」


 父が母の肩をそっと抱き引き寄せる。母は、父をそっと見上げ、涙で潤む瞳で微笑んだ。

 グィドが父とも知り合いとは驚きだ。偶然本人を目にすることが出来たけど、本当に太陽のような人だった。


「とても悲しかったけど、あのことが無ければお父さんと今こうしている事も無いし、貴女とも出逢えなかった。そう考えると全ては決まっていた事なのかもね。あんまりグィドの事を言うとお父さんがヤキモチ妬いちゃう」


「友人の手紙だし、飾るのも勿論賛成だ。でも葉書に乗せているささやかなキスはいただけない。この時、まだ恋人じゃないだろ」


 そう言って父は、母の持つ葉書の文章、最後に小さく書かれたキスマーク『x』を指でトントンと指し、私に向けて「好きな人が出来たら、まず報告」とか「ドアを開けてくれないヤツはダメ」とか「荷物を運ぶ手伝いもしないヤツもダメ」等つらつらと注意事項を述べ、私の知らなかった親馬鹿な面をたっぷり知る事となった。


 お風呂に入り、母におやすみの挨拶をしに行くと、母は言った。


「実は……日記。あの後悲しくて全部燃やしたつもりだったんだけど、別の本を処分しちゃったのかしらね。何年か経って、手元に残したかったと後悔したから、嬉しい」


 少女のように笑う母に、ひらりと写真が落ちて来た。グィドのあの写真だ。

 映る彼の顔は、悪戯が成功した時のような顔をしていた。

 気がした。

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