前編
初めての投稿で緊張しています。
どうぞよろしくお願いいたします。
前世の記憶は現世の自分にどの程度影響を与えるのか。
個人差はあるだろうが、私の場合は殆ど影響を受けていないと思っていた。
基本的な性格は変わらなかったし、転生先の物語に変化が無かったからだ。
グレイ伯爵家の長女、オリビア。
前世大好きだったシリーズものの小説「共に乗り越えていく者達」で、悪役令嬢として描かれていた伯爵令嬢。
それが、現世の私である。
その事実を思い出したのは、再婚相手の連れ子として我が家へとやってきた義理の弟ルークと対面した時だ。
新しい家族ができることに何も不満はなかった。
5歳の時に母を亡くしてから6年。
その間、父は充分に私を愛してくれていたし、1年前から再婚相手であるマリーの話をちょくちょくするようになっていたので、結婚は秒読みだと予想していた。
マリーには私より1つ年下の子供がおり、将来的に義理の弟ができることも受け入れていた。
そして2人は予定通り家族となった。
やってきた義理母となるマリーはとても美しかった。
そして、義理の弟のルークも。
幼いながらに顔だちの良いルークを前にして私は胸が高鳴ったのを覚えている。
(仲良くなりたい)
そんなことを考えながら自己紹介が終わり、親睦がてら夕食を共にする。
その時、不意に父が
「将来的にこの伯爵家はルークに継いで貰おうと思う」
そう発言したのだ。
父の言葉に、私は目の前が真っ暗になるのを感じた。
なぜならグレイ伯爵家の唯一の子供である私は、将来的に婿養子を取り伯爵家を継ぐべく日々努力し続けていたのだ。
それは、5歳の時に病気で亡くなった母に「伯爵家を継いで父の支えとなって欲しい」と何度もお願いされたことによる。
死にゆく母は、少し頼りない父をとても心配していたのだろう。
私は母の願いを叶えるため、それだけでなく私を愛してくれる父の力になるため、この6年間毎日欠かさずに努力を重ねてきた。
それなのに、ぽっと出の義理の弟に伯爵家を継がせるなんて。
食事中にも関わらず、私は思わず立ち上がった。
「お父様。伯爵家なら私が継ぎますわ」
「いいや、オリビア。
私はお前に女として幸せになって欲しいんだ。
幼いながら領地経営や経済学など、毎日勉強ばかりのお前がずっと気掛かりだった。
今更だが、伯爵家当主としての責務を女のお前に負わせたくはないんだよ。
お前の母親との約束もあるのだろうが、私を支えようと家の事ばかり優先する人生を強いてしまい、父として不甲斐なかった」
『父親の優しさだとは分かってはいても、オリビアは絶望せずにいられなかった』
「…伯爵家を継ぐことが、私の夢ですのに...」
『俯いたまま小さくそう呟くと、オリビアは静かに席に着いた。そして何事も無かったような顔で父に向かって微笑んだ』
「...お気遣いありがとうございます。取り乱して申し訳ございませんでした」
お父様は私を選んでくださらなかった。ルークに全てを譲るなんて。
ルークがこの家に来なければ、私は伯爵家を継げたのに。
『ふと目の前に座るルークと目が合った。彼の目は不安げに揺れており、私が隠す感情に気がついている様だ。出会ったときに感じた胸の高鳴りは、黒く塗りつぶされてゆく』
「・・・?」
そこまで考えて、オリビアは違和感を覚えた。
会話と思考の合間に頭の中で今の状況と一致する小説の一文が浮かぶ。
(なんだか既視感があるのよね。こんな状況だから頭が混乱しているのかしら…)
そう思いながら、再び目の前に座るルークを見やる。
(美少年っぷりも、小説通りね。けれど、私の夢を奪う相手...。当事者になってしまったら憎くてたまらない!...て。あら?小説?)
その瞬間、私は前世の記憶を思い出した。
目の前にいる憎き義理の弟は、「共に乗り越えていく者達」の第二作目の相手役。
主人公であるアリスと共に様々な苦難を乗り越え、最終的に結ばれる…そんな役柄だった。
そしてそんな2人の前に立ちはだかるのは、後継者の座を奪われたことでルークを憎む義理の姉、オリビア。
そう。私だ。
「なんてことなの!」
大きな声を上げ、再び立ち上がった私に全員が注目する。
「お、オリビア?
やはり突然のことで動揺させてしまったようだね。本当に父親として不甲斐ない…」
一人嘆き始めたお父様に気づき、ハッとする。
慌てて普段通りの振る舞いを意識した。
「不甲斐ないなんてことありませんわ!突然のことで理解が追いついていなかっただけですの。おほほほほ。私、少々疲れているようですので、先に部屋で休ませていただきますわね。おほほほほ」
隠しきれなかった動揺は無視して、急いで部屋に戻った私は、蘇った記憶と現状を照らし合わせる作業に没頭した。
結果、小説の世界へ異世界転生したのだと確信したのだった。
そして、前世の記憶を思い出してから約1か月。
小説と何か物語が変わったのかというと、特に何ら変わっていない。
なぜなら、私は結局ルークを憎んでしまったからだ。
前世を思い出したからといって、基本性格は元のオリビアのままだ。
今までの努力を無にしたルークを受け入れられる訳もなく。
ルークも前世の小説通りであれば、私のことを嫌いでは無いが苦手には思っているだろう。
というわけで、ルークと私の関係は大変よろしくない。
小説のオリビアは最終的にルークを殺害しようとしたことで断罪され牢に入れられた。その後は死ぬまで牢獄でルークを憎み続けるのだ。
もしかすると今ならその未来を回避出来るのかもしれない。
けれど結局憎んでしまった今、気持ちを誤魔化すことはできない。
きっと、このままいけば私は小説通り牢に入れられるのだろう。
それを理解していてもなお、ルークに会いに行き嫌味を言ってしまう。
なんと嫌な女だろう、と自分でも思うが止められない。
友達と仲良く遊んでいたり、女の子と話したり...
とにかく私の知らないところでルークが幸せそうにすることが、許せなかった。
私はこんなに憎んでるのに、イラついているのに。
憎しみを前面に出し、ルークに接する私は小説のオリビアそのものだ。
私たちの関係を心配したお父様は、嫌味を言う私を諫めようとしてくるが、そもそもお父様がルークを後継者に指名したことが原因なので、諫められる度に苛立ちを覚えている。
ちなみに、義理母であるマリーとの関係は思いのほか良好だ。
気遣い上手なマリーは、私の心の動きにも敏感で、父やルークに対して苛立ちを覚えているときにさりげなくフォローしてくれる。
そんなマリーに悪印象を抱くはずもなく、時間のある時は共にお茶を飲み雑談をしたりする仲である。
「このままいけば、19歳の誕生日当日に断罪されるのね。
それでもいいわ。一生ルークを憎んでやる...」
19歳の誕生日まであと7年と少し。
子供ながらに私は、その運命を受け入れていた。
―――けれど、変わることのないと思っていた運命は、ある時を境に大きく変化することになる。
ルークと出会ってから5年。
私は16歳になった。
断罪まではあと3年。
主人公とルークが出会うのが2年後なので、私が悪役令嬢として道を外し始めるのも同じく2年後である。
16となった私は、貴族が通う学園へ通うことになった。
そして、そこで大きな出会いを果たした。
なんと、「共に乗り越えていく者達」シリーズ1作目の登場人物達も同じ学園に入学してきたのだ!
主人公のメアリー、お忍びでこの学園に通う隣国の王太子アラン殿下、そして悪役の公爵令嬢マリベル、その他メインキャラの面々。
元々、前世の私は「共に乗り越えていく者達」の1作目にドハマりしオタクとなった。
そして、そこから2作目、3作目と深い沼に嵌っていった。
私の青春は「共に乗り越えていく者達」を追いかけて終わったといっても過言ではない。
特に、きっかけとなった1作目のキャラクター達は強い思い入れがある。
同じ世界線のキャラクターであることは知っていた。
けれど、まさか実在するなんて考えてもみなかった。
しかも同じ年に入学していたなんて、小説にも書いていなかった。
私はこれから大好きなキャラクター達と共に、学園生活を過ごすのだ。
前世の記憶が現世の自分に殆ど影響を与えていないと思っていた私は、それが勘違いであったと気づいた。
私は大いに歓喜し、小躍りした。
前世で1作目を読み込んでいた時と同じ様な胸の高鳴り。
オタクの血がふつふつと滾り始める。
1作目の物語が繰り広げられる今のこの学園では、私は名前も登場しない第3者。モブキャラ以下である。
傍観者としてうってつけの立場だ。
「目の前であの物語が繰り広げられるってこと!?なんて素晴らしいの...!
見られるイベントは余すことなく、この目で見なくちゃ!!」
私は全てを投げうって、全力で物語を追いかけることにした。
それから、小説と同じ場面を見るために主人公たちを追いかけ始めた私は、2作目の悪役令嬢という立場をかなぐり捨て、オタクと言う名の追っかけとなり果てた。
主人公たちに見つからないように、物陰からこっそりと覗く様はただのストーカーである。
貴族令嬢とは思えない行動だと思っているが、大好きな小説を目の前で見るためならば致し方無いと開き直っている。
おそらくアラン殿下の護衛の人たちは、私の存在に気づいているだろう。
しかし、害は無いと判断されたのか、放っておかれている。とても有り難い。
そうして様々な場面を物陰から覗き見ては、興奮で悶える日々。
屋敷に帰っても、今日見た場面を何度も思い出しているので常に顔が緩みっぱなしだ。
父やマリーは、私の態度が学園に入学してから一変したので、最初はとても心配していた。
けれど、どうやら楽しく通っていると分かると、私の変化をとても喜んでくれた。
ルークは訝しげにこちらの様子を窺っているようだが...
大好きだった小説を追いかける日々。
あぁ、なんて幸せなんだろう。
いままではルークを憎むことに心が囚われていたけれど、1作目のキャラを追うことで気が紛れている。目を背けているだけかもしれないが...。
けれどこのままいけば、ルーク憎しの気持ちで犯罪に手を染めることはなさそうだ。
そうなれば、私の未来はそこそこ明るい。
オタク活動中の姿は置いといて、その他の振る舞いは貴族令嬢として完璧だと自負している。高位貴族の方から見て、身分的にも結婚相手としての条件は良い方だろう。
どこかへ嫁ぎ夫の手助けをしつつ、実在するであろう3作目以降の登場人物達を追いかけるのも良いかもしれない。
折角前世の記憶があるのだ。
こうなったら死ぬまでオタク活動をしようではないか...!
そう心の中で決心した私は、悪役令嬢からオタクへと本格的にジョブチェンジした。
私がこうなった以上、2作目の物語はこれ以上展開しないだろう。
主人公であるアリスの活躍が見られないのは残念だが、普通に気立ての良い子なので、ルークの婚約者としてお父様へ推しておくのもいいかもしれない。
そうすれば、小説通りルークもアリスと結ばれてハッピーエンドだ。
ルークなんてどこぞで勝手にアリスと幸せにでもなればいいんだわ!
まあ相手が主人公以外でも、私がいなければ幸せになれるでしょうけど...
私にとっては腹立たしいが、物語的にはめでたしめでたしだ。
そんなことを考えながら、私はオタク活動で充実した日々を過ごしていた。
―――ルークの中に芽生えた、仄暗い感情に気づきもせずに。
★★★
俺には義理の姉がいる。
仲が良いとは言い難い。
正直言うと、苦手な相手だった。
けれど、始めから苦手に思っていた訳ではない。
初めて姉に会った時は、苦手どころか好意すら芽生えていた。
つやつやの長い黒髪は揺れるたびに輝き、
凛とした黒い瞳と目が合う度に、吸い込まれるような錯覚に囚われた。
穏やかに弧を描く口元から発せられる声は、鈴のように軽やかだった。
とにかく義理の姉となるオリビアは、今まで見た誰よりも美しかったのだ。
こんな姉が出来ることを喜ばしく思ったし、胸は自然と高鳴った。
しかし、そんな小さく芽生えた想いも早々に打ち砕かれることになる。
父の一存で、俺が伯爵家を継ぐと決まった時だ。
その時の絶望した姉の表情は忘れられない。
本当に一瞬のことだったので俺以外はその表情に気づくことはなかっただろうが。
けれど、その後からだ。
俺を見る姉の目に嫌悪が浮かぶようになったのは。
会えば嫌味を言われるし、姉の表情はほとんど睨むような顔ばかりで微笑みもしない。
俺に対しての態度は一貫して冷たいものになった。
「まだその程度の知識しか無いのね。これでは伯爵家も貴方の代で落ちぶれてしまうわ」
「歩き方に品位が無いわ。伯爵家に泥を塗るつもりかしら」
「エスコートもまともに出来ないのね。私の品位まで下げないでくれる?」
母と暮らしていた時は、貴族といえど平民のような暮らしをしていたため、貴族の振る舞いを学んでこなかった。
姉の指摘はもっとなものだったのだろうが、言い方がきつかったこともあり、酷く悲しかったのを覚えている。
姉は伯爵家を継ぐために、今まで努力を重ねてきたと聞いた。
きっと俺が父に後継者と指名されたことを恨んでいるのだ。
今からでも姉に継承権を譲ればただの弟として好きになってくれるだろうか。
けれど、現当主である父が決めたことなので、俺にはどうすることもできない。
それならば、伯爵家を継ぐに足る男となり、姉に認めてもらおう。
そうして、俺は日々奮闘し続けた。
姉に嫌味を言われるのは正直辛かったが、指摘される内容は尤もなものだったので、俺自身を見てくれている証拠だと前向きに捉えた。
今思えば、どんな言葉でも態度でも、俺を意識してくれることが嬉しかったのだと思う。
憎しみでもなんでも、姉の中で俺の存在がそれだけ大きいということなのだから。
そして同じように、日々姉を意識する俺にも、姉の存在はとても大きかった。
けれど、姉が学園に入学した日。
俺と姉との関係はガラリと変わってしまった。
学園へ通いだして、姉と俺が会う時間は極端に減った。
姉は朝早くに家を出て、夕飯間近まで帰ってこない。
家族として朝晩共に食事はするが、その時もどこか上の空である。
よほど学園生活が楽しいのか、常に学園でのことを考えているようだった。
俺を意識する時間など皆無と言っていい。
嫌味すら言いに来なくなったのだ。
俺は、酷く動揺した。
今まで殆ど俺だけに意識を向けていた姉が、まるで俺を忘れているかの様に見向きもしない。
憎まれていようと、苦手に思っていようと、お互いがお互いに誰よりも意識する相手であることは、変わらないものだと思っていたのに。
さらに変わってしまったのは、それだけではない。
感情を殆ど顔に出さず少し冷たい印象を与えていた姉が、良く微笑むようになったのだ。
社交の場で浮かべる作られた笑みではなく、自然な微笑み。
誰もが見惚れてしまうようなその表情は、姉の美しさを際立たせた。
今までとは違うその表情に、無性に心を掻き乱されてしまう。
どうして姉は変わってしまったのか。
学園で何があったのか。
微笑みが増えた原因は何だ。
そんなことを考えている時、父と母の会話がふと耳に入った。
「あんなに幸せそうなオリビアは見たことないな。好きな人でも出来たかな」
「そうね、思い出して顔が緩むくらいですもの。
どんな方を好きになったのか気になるわ!」
「相手を教えてくれれば、婚約の打診もできるんだが教えてくれなくてね」
「ふふふ、いつか紹介してくれるといいわね」
何気ない会話だというのに、心が黒く塗りつぶされていく。
姉に想い人がいる?
俺を見ていた姉が、今は別の人を見ている。
しかも、憎しみではなく好意的な気持ちで。
「オリビアちゃんが結婚する日も遠くないのね」
嬉しそうに話す母の声が、酷く遠く聞こえた。
そうして俺は気づいてしまった。
姉が俺を意識しなくなり動揺したのは何故か。
微笑む顔に心が乱されるのは何故か。
想い人がいると考えるだけで、こんなにも心が抉られるその理由を。
なんて簡単な疑問だと、笑いがこみ上げてくる。
俺は姉を、愛しているんだ
俺だけを意識して欲しい。たとえそれが憎しみでも良いから。
他の誰かが姉の心を奪うなんて、考えただけでも嫉妬で気が狂いそうだ。
姉の心を揺り動かすのも全て、俺でなくては我慢ならない。
この感情を愛と呼ばずして、なんと呼ぶのか。
きっと、姉が俺を憎しみ続けていたなら、この想いに気づけなかっただろう。
「今更、気が付くなんて...」
自嘲気味にこぼした独り言が、夜更けの暗闇に消えていく。
気が付けば、部屋の明かりも付けずに長時間考え込んでいたようだ。
姉は、もう既に寝ている頃だろうか。
もしかすると今頃、夢の中で想い人と会っているのかもしれない。
幸せそうに想い人へ微笑む姉を思い浮かべて、俺の心は酷く軋んだ――――。