雨狂いの愛
おおい、外出てくるぜ。なに?「雨降りだってのに」って? お前、違うぜ全然わかっちゃあいねえ、雨だからさ。雨が降っているから、おれはそいつに会いに行くのさ!
ああ、ざあざあ降りじゃねえか、たまんねえ! なんて素敵だ、美しいんだ! どうか、美しき貴女、踊っていただきたい。貴女に狂ったこのおれと、一緒に舞って回ってくれ!
素敵な貴女、美しきヒト、どうかもっと降りてきて。カミナリのお嬢さんや、強き風の貴婦人も、いらっしゃい。好きだ、君たちが好きだ、愛している! 愛している! 愛しい君に抱かれるおれは、なんて幸せなんだろう。
もう行ってしまうの? 悲しい、悲しい、もう寂しい。美しい君、去り際であっても愛しいヒト。また会いたい、君の黒い執事が来て、君を連れて来るのを、いつまでもいつまでも待っているよ。ずっと、君に焦がれ続ける。さようなら、さようなら、また会う日まで! ……ふう、いい出会いだった。ん? なんだお前、「あたしと雨のどっちを愛してんの!」って、バカヤロウこんちきしょう、てやんでえ! 人間様への愛と、大いなる自然への愛が、一緒なモンなワケねえだろう!
お前、お前への愛を彼女にするように叫べってのかい! バカヤロウてやんでえ、そいつはナンセンス、これっぽっちも粋じゃねえ!
愛ってのはな、手前で気づくモンだ。他人から教えられるモンなんて、たかがしれてらあ。手前で気づいて理解して受け止めなけりゃあ、お前、そいつは手前にとってどうでもいい塵屑と一緒だ! 小さな親切大きなお世話、ありがた迷惑ってのは、つまりそういう手前の問題だ。人間ってのは勝手なモンで、善行も悪行も、知って分かって受け止めなけりゃあ、無いのと同じなんだよ。「善い事した」って意識がなけりゃ、善行だと褒められたって、当人はちいともピンとこねえ。認識の差って奴は、如何ともしがてえのさ。
だからよ、お前、人を頼ったって、何にもならねえよ。強請って得た言葉に、お前本当に満足するのかい。おべっかだ世辞だと疑うんじゃあねえのかい。だからよお、求めるんじゃねえ、まず自分からだ。人からじゃない。お前が本当のモンを与えてくれりゃあ、おれは本当のモンを返すよ。返さねえ奴もいるだろうし、そういう奴が嫌だって思ってんなら、その時は縁を切ればいい。そいつはお前の担当じゃなかったと割り切って、深い付き合いを避けることだ。誰だって自分が可愛いのは一緒なんだから、それで文句言ってくる奴は受け止める状態じゃねえってだけだ。皆自分の状態と受け取るタイミングってモンがある、他人のそれに合わせるようじゃ、手前が辛いだけだぜ。
人は押し付け合ってるだけなんだよ。言葉も、行いも、善意も悪意もな。だから、生きることは、楽しくて辛いんだ。
そうなると、生きてねえモンを愛するのは当然だろう? あん? 「話が飛んだ」って? いやいや、繋がってんだろう。非生物には意志がない。だから、押し付けられることはなく、押し付けることができる。それって、酷く安心できることだろう。
わかんねえか。じゃあお前、童女だった頃、お人形の友達がいなかったか? そいつと、可愛い可愛い、これを食べましょう、おいしいねえ、可愛い可愛い、なんて遊んだ経験は? うん、あったか。これ、お前、楽しかったか? 楽しかった、そうだろうなあ。
じゃあお前、これをこれを自分の友達にできるか? 人形じゃない、生きた人間にさ。「バカを言うな」、うん、そうだよな。その通りだよ、人間相手にこんなことしたら、大抵の奴は嫌がるさ。けどよ、人形は嫌がらねえ。意思が無い、生物ではない故に。だからお前は、“安心して”可愛がれただろう? いくらでも、好意を愛情を押し付けられたんだ。つまり、これが非生物のいいところ、愛しいところってわけだ。
大いなる好意にしろ大いなる悪意にしろ、よっぽど相手を想ってなけりゃあ受け止められねえし不快にすら感じる。そしてそう反応しちまうのが人間、そして生物だ。けれど、非生物は何も言わず、動かず、伝えない。美術品とかは伝えているように見えるかもしれねえが、あれはつまり手前がそこから感じるものがあるってだけだろうよ。
そういうのって、人間相手に疲れちまった時、どうしようもない気持ちの時、溢れる何かを持て余す時に、ぶつけてもいいと思えるんだよ。何の憂いも不安も懸念もなく、ありのままの全てをそのままで伝えられる。それって、いいことだろう。幸せなことだろう。人間相手にこれをするのは、生半可な覚悟じゃできねえってなモンだ。
だからお前、おれを詰るのは見当違いってモンだぜ。嫉妬したってんなら、雨でも人形でもマイクにでも、「雨のバカヤロウ」、とでも当たればいい。気が済むまで詰って、攻撃すればいい。あいつらは何も言わねえからな。あん? おれを詰りてえ、殴りてえって?
……ハア、そういうのは許可を得てするモンじゃねえだろう。言ったろ、押し付け合いだ、善意も悪意もな。お前に殴られて、どう受け止めてどう返すかはおれだけの話だ。それが嫌だとか怖いと感じるんなら、初めからやるなってことだ。
けど、受け止めてくれるっていう相手への信頼を押し付けるのも、それで受け止めてもらえた時の歓びってのも、人間同士、生き物同士の特権だぜ。詰りたけりゃ詰れ、殴りたけりゃ殴ればいい、自分本位、それが幸福への近道だぜ、なあ、お前。