3話
「色々と説明をしたいとこだが、まずはここを切り抜けるのが先だ」
褐色肌の女性は、俺にそう告げると腰に携えていた剣を引き抜く。剣の刃は研ぎ澄まされ頼りになりそうであったが、逆に凛々しいはずの横顔にどこか不安が見える。すぐさま確認しなければならないことを俺は聞く。
「あいつが敵なのはわかるよ。でも、親――斧を持った男は……どうなの?」
「……敵ではない。が、味方でも無い。加えて、双方聖剣持ち。厄介というしかない」
「そうなのか」
どうやら、この世界ではいくつもの種族が対立している、と見ていいだろう。少なくとも、彼女と親分とキザな男。現時点で三つの勢力があるということは確認できるということだ。
それにしても……
「もう一つだけ、早急に確認したいことがあるんだ。とても大事なことなんだ」
「手早く言え」
本来であるならば聞きにくいことだ。だけど、どうも気になってしょうがない。俺は溜めこんでいた唾を飲み込んで質問をした。
「君は――バスト95のGカップ。間違いないね?」
「…………は?」
「バスト95のGカップ、だろ?」
「貴様ッ! こんな時に何を言っている!?」
「バスト95のGカップ! なんだねッ」
「ふざけるなッ!」
目の前のクールに見えた女性は振り返る。顔がちょっと赤くなっているのは間違いないだろう。恥ずかしいことを聞いているんだ。そりゃ、そうなる。
だけど、俺は大真面目だ。下心無しの大真面目、だ。
「ふざけてなんかいない。気になったからでもない。ただ、おかしいんだ」
「……おかしい?」
「君の胸を見てしまうと、どうしてもその情報が頭に入ってくるんだ。見える、と言っても間違いでは無いんだけど、間違いなような気がして。頭に入ってくるって言えばいいのかな。バスト95のGカップ。それだけで頭が埋め尽くされそうなんだ」
「わかった。わかったから、その話はやめろ!」
胸部は鎧で覆い尽くされているためか、Gカップの迫力は感じられない。だからこそ、妄想が捗ってしまうのだろうか。言葉の圧力で頭の中が妄想だらけに支配されそうなんだ。
バスト95のGカップ。正直、あまりわからないけど、ABCDEFGのG。いわゆるG級。やばいことには違いないだろう。
などと、さらに想像していると、キザな男の姿が目に入る。
「……HP3000MPがはてな?」
続いて情報が入ってくるのは、親分。
「HP10000MP250……?」
と、見えてくる。HP、MPという読み方で間違っていないのだろうか。もしこれが事実であるならば、これはよくゲームなどで使われる用語なのだろう。
俺の言葉を聞いていたのか、褐色肌の女性は俺の目線を続けて追っていた。そして、険しい顔をして首を傾げる。
「嫌な予感がするな」
「え?」
ほぼ同時に、もう一つの馬鹿でかい声が洞窟内に響く。
「できたにゃー!!!!」
馬鹿でかい、というには生温く、渾身の絶叫と言えば近いのだろうか。そんな感じの声だった。俺は思わず耳を塞いだほどだった。
「精霊よ、我に風の足を与えたまえ――アクセラレーター!」
それは誰しもの注意を引いてしまうほどであった。そんな中、彼女は一人だけこの時を待っていたといわんばかりに一人行動を起こしていた。
彼女が呪文を唱えるのを邪魔できるものはおらず、俺すらもその一瞬に付いてなどいけなかった。俊敏な足を手に入れた彼女は、俺の体を乱暴に掴み地面を駆ける。
そして、出口まで最短距離を、親分とキザな男の間を駆け抜けようとする。親分は完全に猫女に気を取られてしまっている。しかし、キザな男は奪われた時間はほんの一瞬、のはずであった。
「……?」
そう予想していたが、男の目は完全に猫女の方を向いている。というよりも、唖然としていると表現した方がいいのだろうか。俺は急速に変わる景色の中で、なんとか猫女の方へと顔を向ける。誰もが注目している視線の先には、猫女が手に持つ石板が緑色の光を放っていたのが見えていた。
そう、俺達はあまりにもあっけなく外へと脱出することができたのだった。
「ここまで来れば大丈夫、か」
「そうだね」
「よっとッ!」
しばらく、森林っぽい場所を走り抜けた後、川らしき開けた場所に出た。そこで俺は、乱暴に石ころが無数に落ちている地面へと投げられた。
きっと力加減を間違えたんだろう。このままでは痛い思いをすると思った俺は、強引に体を捻って地面へと足をついて、衝撃を殺すためにさらに地面から離れて、横へ向かって一回転した。完璧な着地とはいかなかったが、特にどこも損傷はしなかった。
「ちっ」
なぜか舌打ちが聞こえたが、聞き間違えに違いないだろう。俺は彼女へと向き直り、頭を下げた。
「助けてくれて、ありがとうございます。君が来なかったら、きっと俺はどうにかなっていました。何もできないまま、何も残せないまま。ここがどこだかすらわからず。誰も知らない地で死ぬところだった。本当にありがとう」
「私は別に、命令通りに動いただけだ。感謝しなくてもいいし、勘違いもしないでほしい。私は、ありがとうなんて感謝されるほどの、立派なエルフじゃない」
「えっと? まぁよくわからないけど、聞いてくれれば受け取らなくていいよ。助けられたら言葉に出して感謝する。それが俺のしたいことだから。君は無視していいんだ」
「…………変な人間だな」
そう言うと彼女は川へと近づいて手で水をすくって口へと運んでいた。
「まぁ、良く言われるよ」
俺もそれだけ答えると、彼女の真似をして水を飲む。美味しい。こんなのに慣れてしまったら水道水なんて飲めないなと思いながら、お互いに無言で水を飲み続けた。
微妙な空気になってしまったが、未だ安心できないような状況に違い無いので、俺はまず自分自身の現状を把握することにした。今もっぱら気になってしょうがないのは、Gカッ――ではなく、急におかしくなってしまった眼の状況だ。
「それよりもGカップ――」
「次その話をしたら殴るからな」
「は、はい。以後気をつけます。えぇと……」
眼前に拳が迫っていた。彼女の動きが見えなかったわけではないが、腕の動きが明らかに殴るつもりではなかった。目の前で止まる。確かな確信があったのだ。
まぁ、その話は置いておこう。それよりも、もう一つ聞かなければいけないことを思いついた。
「そういえば、名前を教えてくれませんか?」
「私は、セリン=カルティア。セリンと呼んでくれて構わない」
「わかった。セリンさん、か。いい響きだね」
「……あぁ、そうだな。私のようなエルフにはもったいないんだ」
「……」
そんなことはない。なんて軽々しいことは流石に口に出せない。きっと何かあるんだろうけど、それは俺が知らない事情。力になるとしても、それはもっと世界のことを、彼女のことを知ってからだ。
「で、貴様何て言うんだ?」
「俺は、籐堂社」
「トウドウ ヤシロ? 変わった名前だな」
「そうだね。あっちでも変わった名前だって言われるよ。ちなみにあっちでは、ヤシロンなんて呼ばれている」
と、セリンさんの口から言わせてみたい。これが本音であった。しかし、彼女は無表情のままであった。
「ヤシロ。さっきの話の続きになるが、この剣を見てくれ」
「その剣が、何か……?」
彼女は鞘から剣を引き抜いて、俺の視線に合わせるように見せてくる。家に置いてあった日本刀とは違い、刀身の幅は広く中々ずっしりとしている。とはいっても、でかいという訳では無く、どちらかといえばスマートな作りだろう。
それに加えて、刃こぼれがほとんど見られず、刀身が日光に晒されると光り輝くのだ。かなり手入れが行われている。そう見て間違いないだろう。
「素晴らしい剣だ。鞘から予想するに、かなり年季の入ったものだと思うけど、手入れが全体にまで行き届いている」
「……そうじゃない。もっと目を凝らして、情報を得るんだ」
「情報?」
そう言われて再び見る。素晴らしい。何度見ても、見事な刀身だ。このままずっと眺めていたくなるほどだ。ここまでくると、家にあった刀とは全く別ものの素材で剣が作られている、と予想していいのだろうか。
などと考えていると、彼女の言う通りぼんやりと見えてくるものがあった。グリーンダイヤモンド。などという文字が見えてくる。
「……グリーンダイヤモンド? って、なんだろ」
「それは、この刀身に使われている素材の一部だ」
「へぇ、聞いたことがないなぁ。それにダイヤモンドって、確か硬いけど簡単に砕けるからこういう素材には向かないって、聞いたことがあるような……」
「ただのダイヤモンドであればな。グリーンダイヤモンドは、ダイヤモンドを魔法で加工した素材の一種だ」
「なるほどね」
実は、その情報は聞いたことがある。じいちゃが語っていた話だ。とっさに知らないふりをしてしまったのはなぜなのだろうか。正直、俺にもよくわからなかった。
それよりも今は、剣の情報が見えることが問題だ。次々とわけのわからない数字が頭に入ってきてどうにかなってしまいそうだった。いっそのこと、この剣の状態だけを知りたい。と、考えていたら。
剣の状態は良!? なんて端的な情報が入ってくる。わかってるよ、それは! それに、?つけんな。クレームの処理をしたくないからって、曖昧な発言は止めてくれよ。
「やはり、見えているのか。嫌な予感がしていたが、まさか……」
彼女は、深刻そうな表情をして俺から目をそらしあさっての方向を見上げる。これは一体、何を意味しているんだろうか。
「あの。これは一体どういうことなんですかね」
「それは私が聞きたいぐらいだ。この世界に来たばかりのお前がまさか、見破る、のオートスキルを身につけているとは……」
「見破る? オートスキル?」
「ヤシロのスキルボードを見せてくれ」
「???」
はっきり言って意味がわからなかった。が、そういえばスキルボードに関しては猫女と親分が何か話をしていたような気がする。
「知らないとは言わせないぞ。スキルボードを使用したからこそ、オートスキルが身に付いているわけだからな」
「えっと」
「出し方は簡単だ。念じればいい。こうやって……」
セリンさんは目を閉じる。すると、彼女の手にあの時見た石板が現れた。そう間違いなくあの時見た石板だ。
それにしても、簡単に出せるものなのだろうか。そうであるならば、俺も念じてみよう。それっぽいポーズもやって、と。
「……」
出でよ、俺のスキルボード!!
「出ないじゃないか! 嘘つき!」
「私は嘘なんてつかない。いいか、念じ方が足りないんだ。しっかりと、この石板をイメージしながら念じるんだ」
「……わかったよ」
出でよッ!! マイスキルボードッ!!!!
「ふざけんなッ! 欠片すら出てこねぇよッ! この世界に来たばっかりだからって、馬鹿にしてんだろッ!」
「何度も言わせるな。私は嘘をつかない。ちゃんと念じろ。5歳児にだってスキルボードは出せる」
「……くっ」
5歳児以下だって言いたいわけか。いいぜ、やってやる。やってやる! やってやる!!
「来やがれッ――スキルボードッ!!!!!」
が、やはりダメ。薄々気づいていたけど、やっぱりこの人嘘ついてますわ。もしくは、俺がこの世界に適用できていないか。
「……さすがにおかしいな。どういうことだ?」
「こっちが聞きたいっすよ」
「何か原因があるはずだ。スキルボードが出ない、となると……スキルボードが既に出ている? 馬鹿な。スキルボードは本人しか出せないし、本人にしか」
「――ん?」
その瞬間、俺は違和感に気付く。彼女のセリフではない。彼女が言う、スキルボードが本人しか出せず、本人にしかいじることができないんだとすれば、なぜあの時に二人はスキルボードについてあんな話をしていたんだ。まるで、どちらかのスキルボードでは無く、誰かの。そう、初めて見る人のスキルボードを見るように。
「あっ!?」
それは違和感などでは無く、段々と予測から確信に近いものへと変化していく。まさか、あのスキルボードは俺の――
「セリンさん。これは俺の予想ですが」
「待てッ。誰か来るぞ!」
と、俺なりの予想を述べようとしたところで、一人の人物が風のように現れる。風、というのは誇張表現などではない。その証拠に、セリンさんは剣すら抜けずに俺を庇うように立つだけで精一杯であった。場に緊張が走る。こんなにも早く追手が来たことに。
「なッ――!?」
そしてその人物の行動に思わず絶句してしまう。
「ごめんなさいにゃー!」
それは神速のジャンピング土下座。俺とセリンさんはその場で顔を見合わせてしまったのだった。