21話
「ハッ、ハッ、ハッ!」
幼いころから幾度も繰り返してきた正拳突き。最初は、やっている意味がわからなかったけど、年を重ねる度にちょっとずつわかってきて。振りぬくことができる力強さも実感できた。
この世界に来ても、欠かさず行うことができているのもしっかりと稽古を毎日行い、習慣化できていたからだろう。やらないと落ち着かない。そんな領域に来ているからこそ、だろうなぁ。
「……ちょっと試してみるか」
セリンさんは近くで眠っている。あまり大きな音を立てるのはダメだろう。右拳に布を巻きつけた。
そして、俺は一本の大木へと向かって、腰を落として構える。続いて、フッと一呼吸。
「ハッ!!」
右拳に衝撃が来る。ビリっとした痛みも。木から拳を離す。特に木に外傷は無し、と。それに打ち抜いた感じも、以前と特に変わりは無い。
何か、変わったと思ったんだけどなぁ。
「もうひと眠りするか」
セリンさんの許へと戻ろうとした時だった。
「なっ!?」
物音が聞こえ振り返ると、大木が今まさに倒れようとしていた。
「やばい!」
セリンさんにばれる!
俺は大木を支える選択肢を取らず、抜け出していたことを誤魔化すようにセリンさんの近くで素早く横になったのだった。その後、セリンさんが飛び起きて、その場所から移動することになったのは言うまでもない。
勇者になるためには力を身につけなければいけない。身に付けた力は、自分のためじゃなく救いたい者のために。
――いいか、社。身に付けた技を使う相手を間違えるな。ここで学んだことは護身のための技だ。
父さんだってそう言っていた。
「かかってこないのかにゃ……?」
今は使うべきなのだろうか。でも、使わなければいけない世界に来たことは確かだ。セリンさんにだって、思わず使いそうになったほどだ。
「なら、こっちからいくにゃ!」
ミーナさんが迫ってくる。以前見せたスピードと同じ。見える。先を望まなくとも。
「なんてにゃ」
と、思っていたのは間違いだったのかもしれない。ミーナさんは俺の目の前で消えた。今までで見た中で、一番のスピードだ。目で追えないし、反応だって――
「にゃ」
と、耳元で囁かれた。遊ばれているのか?
「くそっ!」
早い!
振り向き応戦を試みる。が、姿は見えない。予感がする。
「にゃ」
今度は、右ではなく左耳だ。完全に遊ばれている、これじゃ駄目だ。先は望まないと、俺の力では追いつくことすらできない。
またも俺は振り返る。見える。ミーナさんがどう遊ぼうとしているのかを。後ろなんてそんな何度もするわけ――
が、見える。またもミーナさんは俺の耳元で囁くその姿が。俺は振り向く足を止めずに360度のターンをして、やっとミーナさんの姿を捉えた。
「にゃ!?」
続いて、ミーナさんの体に向かって手を伸ばす。が、難なく避けられてしまい、距離を取られてしまう。
「鋭い良い突きにゃ。良いものはもってるけど、成長段階ってところかにゃ。まだまだ、ミーナ様の相手をするにはスピードが足りないのにゃ」
「スピード、か」
ミーナさんの言う通りなんだろう。圧倒的なスピードの差がある。はっきり言ってしまうと、セリンさんのスピードにはまだついていく余地がある。でも、ミーナさんの速度は手も足も出ない。
「なら、それなりに頑張るよ。ついていけないならついていけないなりに」
「にゃっ……? はったり、にゃ?」
できることを全力でやるしかない。先を読んで、先を読んで、未来を見て、ミーナさんの動きを。幾つものパターンを読んで、その度に軌道修正をして。彼女と渡り合うんだ。
力を試すだけじゃない。これからの旅路で何ができるのか。セリンさん達を助けるために何ができるのかを理解するために。
「はったりじゃなさそうにゃ。親分がお前を求める理由、確かめさせてもらうにゃ!」
「くるッ!」
ミーナさんが予備動作を始めた瞬間、俺は先を読む。この予測が正しければ、彼女は真正面から駆けてくる。
俺は半身になってその突進を避けるべく動作を始める。続いて、またも先を読む。ミーナさんの進行方向が変わる。俺の動きを見ての判断なのか、彼女は俺とぶつかる直前一度ステップを踏んでタイミングをずらそうとしている。
それなら、と。当初予定していた彼女の首元を掴むことをあきらめて、一歩踏み込んで後ろ回し蹴りを下段へと叩きこもうと試みる。
ミーナさんがステップを踏み、俺が一歩足を踏み込んだところでさらに先を読む。またもミーナさんの行動は変わっていて、俺が回し蹴りをすることを察してか。俺が一回転するその間に、頭上を飛びぬけて距離を取り、一瞬で距離を0にして後ろから羽交い締めをしてくる。
そうはさせまいと、俺は回し蹴りを途中で止めながら、勢いを前方へと流すように手をついて力いっぱい地面を手で押した。狙うはミーナさんの首。左足で首を絡め取り、そのまま地面へと突き落とす。
このまま行けると思ったが、思い直し一度先を読む。
「くっ」
その結果に満足なものを得られず、俺は足を閉じて優しく地面へと着地した。ほぼ同時にミーナさんが着地をし、俺と対面する。目をパチクリさせているミーナさんと目があった。
「にゃんと! 驚いたにゃ。お前、どんな手品を使ったにゃ」
驚いたのはこっちも同じ。俺がほんのわずか先の未来を読んだ先に、ミーナさんは地面へと伏せていなかった。逆に地面に伏せていたのは俺。技が決まるどころか、俺はうつ伏せに転がり、ミーナさんは俺の背中付近に座っていた。
読んでも読んでも、先を行かれてしまう。対セリンさんを想定するなら、さっきの攻防で俺が一歩上回ることは十分に可能だったはず。それがミーナさんではそうはいかない。それがどうしてか。
おそらく、ミーナさんが身体能力にスキルの割り振りを特化してるから。魔法を使えないのか、それともスキルに頼らずに俺を叩きのめそうとしているのか。
わからない。わからないが、わかることはある。
「動きはとろいくせに、思い通りにいかないにゃんて。おかしいにゃ! よくわからないけど、おかしいにゃ! おかしいのにゃぁ!!」
あまり頭は良くない。脳筋と言われる部類。だからこそ、俺の動きに反応して本能が働く。要は条件反射のような戦闘スタイル。考えてはいないけど、その分厄介。駆け引きとかがあまり通用しないタイプ。
どうする? 逆に小細工は通用しないぞ。小細工が通用しないからこそ、勝っている部分で勝負をしなければいけない。
そうなると、俺が勝っている部分といえば……?
「何もおかしくないよ。だってミーナさん、何をするのか顔に出てるしね」
「にゃんだとッ! お前、喧嘩を売ってるにゃ!」
「最初に喧嘩を売ったのはミーナさんでしょ……」
真っ先に思い浮かぶものは、幻想術式で編み出す聖剣。しかし、それを見せるのはあまり良い判断とは言えなさそうだ。どこでだれが見ているのか分からない。もはや、聖剣を生み出せることが異常なことぐらい俺ですら理解した。
「口応えすやつは、こうするにゃ!!」
そうなると、もはや俺にできることは限られていた。
再び、ミーナさんが直線的な攻撃を仕掛けようとしてくる。一手先を見て、体を横へと動かそうとする。
「なっ!?」
が、行動に合わせてどんなに先々を読もうにも、ミーナさんの攻撃を避けることができない。これではまるで意味が無い。どんなに先を読んで行動しても、それらを踏まえたうえで俺に攻撃できるような力を持っていては。
少しは成長したと思っていた。5階から落ちても無傷なぐらいに、地面から5階へと這いあがれるくらいになって、少しは人間離れしたと思っていた。
それでも足りない。せめて、この足が今よりも、少しでも早くなってくれたら――
「えっ?」
その瞬間、未来が変わる。俺が見ていたはずの世界が、一変する。先を読んで、避けられなかったはずの未来が変わる。
「にゃー!!」
「――えっ?」
「にゃにゃ!?」
あまりにもあっさりとかわせてしまった。横へと半歩踏み出し、半身になって。その違和感に俺とミーナさんは驚きを隠せない。
「なら、容赦はしないにゃ!」
それも束の間再び戦闘態勢に戻る。今度は単なる読みやすい直線的な攻撃では無い。手を開き、手に宿した鋭利な爪で襲い掛かってくると思ったが、開いた手を閉じ拳を握る。
本気ではないという意思の表れ。その意思の表れにちょっとだけホッとする。俺は安心して、ミーナさんが繰り出す攻撃を先を読んでかわしていく。
どの未来も変わることは無い。一度読んだ通りに先が進むということは、ミーナさんが考えて行動する時間を多少以上に減らすことができたということ。
それが示すことはつまり。
「こいつ、スピードが上がってるにゃ!?」
そういうことに違いない。実感は正直あまりない。逆に、ミーナさんがスピードを落としてくれたのではないかと疑ってしまうほどだ。
それでも、避けられていることには変わりは無い。四苦八苦したはずのミーナさんの攻撃を、ようやくかわせるほどに。傍から見れば大した進化ではないかもしれない。
だけど、俺にとっては計り知れないほど大きなことだった。
先を読んで、先を読んで、先を読んで。一度先を読んで相手の攻撃をかわせるのならば、先の先を未来を。読み続ければきっと勝機が――ッ!?
「ぐぅッ!?」
頭が割れるような痛み。二歩、三歩と素早く後退する。
「なんだこれ……ッ!」
我慢するには難しいほどで。おぼつかない足で後退しながら頭を抱えてしまう。脳内から何かがひり出しそうなほどにズキズキと。心臓の鼓動のようにドクドクと脳が揺さぶられながら自ら暴れているようだ。
「隙だらけにゃ」
「ッ」
いつの間にか。いや、隙だらけの俺にミーナさんは音もなく近づいていた。目の前にいる。手を伸ばせば届く距離に。
動かなきゃ。何かしなきゃ。殺されるわけじゃないけど、難なく連れていかれてしまう。
「か・く・ほ・に――にゃ!?」
が、そうはならなかった。二本の女性らしい足が離れていった。代わりに、何かが頭上から降りてきたのか、突風のようなものが吹き荒れ、その衝撃に飲み込まれるように吹き飛ばされた。
まずい。そんなことを思ったのも束の間、何かが俺を受け止めて屋根から落ちることを引き止めてくれた。脳裏によぎるのは、セリンさんただ一人。
「ありがとう、セリ――」
が、俺を助けてくれたのはラティさん。小さな体で俺を容易に支えていたという訳だ。
「ありがとうラティさん」
この一連の流れで頭の痛みがすっかり消え失せていたから、ラティさんの方へと顔を向けていたが、目が合うことは決してない。ラティさんが捉えて離さないのはミーナさんただ一人だった。
「ふー、相変わらず姑息な手を使ってくるにゃ」
「それは褒め言葉?」
「何を言ってるにゃ。相変わらず頭のおかしいツルペタにゃ」
「それは褒め言葉じゃない。無駄な脂肪を持ったデブのアホネコ……?」
それは言いすぎでしょ……
「お前っ、言いすぎにゃ! ミーナが気にしてることをペラペラと! もう許さないにゃ!」
でも、ミーナさんも沸点低いよな。顔からにじみ出る憎しみが演技でないことを示している。
「ヤシロン、言いすぎ。デブとかアホとか馬鹿とか考えなしとか盗賊団の面汚しとか。ひどいよ」
「いやぁ、ほんと言いすぎっすよ、ラティさん。確かにミーナさんはちょっと頭があれですが」
「にゃ、にゃ……にゃぁ!!!!」
もはや、発狂しかねるほどの怒りを面に出していた。
「覚悟するにゃ」
「いつでもいいよ」
俺はこの場についていけない雰囲気を感じ取って、そっとこの場から離れようとした。が、俺を支えてくれた手が俺の服を掴んではなさない。
「……えっと?」
当事者であることに違いないけど、この場に留まることを強制された俺は、少しだけ嫌な予感を感じながらもここに残るしかなかったのだった。




