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17話

 カンカン、カン、カン。小気味良い音が響いている。


「……へぇ、これはすごいなぁ」


 温泉を上がった後、やはり行く当ての無かった俺は、宿泊施設をぶらぶらと歩き回っていた。どう見ても日本の旅館風なここに、もしかすると何かそういったものがあるのではと予想していたけど。まさか本当にあるとは。

 卓球。温泉=卓球なんてのは安易な結びつきだと思っていたけど。目の前で繰り広げられているこの光景を見れば卓球であることを信じなければいけない。


「この勝負の決着――忘れて無いわよね」

「もちろん。10ポイント先取の三本勝負。通常のルールと違うことは、球を破壊した方がペナルティとしてマイナス2ポイントを負うことになる」

「そう。そして、この勝負を勝った方が」

「「キーくんを食べられるッ!」」


 違うところといえば、卓球をしている人が人型の獣人であること。何か犬っぽいし、雌っぽい。だけど、力強そう。こう言っちゃ悪いけど、犬とゴリラを合体させて、ちょっとだけかわいらしくしちゃうとこんな風になるんだろうなって。

 てか、キーくんって何だろ。食べられる? 何か怖い予感しかしないけど。


「しゃぁぁぁッ!!!!!」


 気持ちの良いスマッシュが決まった。ガッツポーズを決める。反対に決められた女の人は悔しがっていると思ったけど、そうではなく。薄い笑みを浮かべて球を見ていた。

 ん? あれは、まさか!?


「しまったわっ」


 さっき点を取られた女性は、球を浮かせてしまい相手に絶好のスマッシュチャンスを与えてしまう。あまりにも絶妙なトスといえばいいのか、よだれを垂らしてしまいそうな球だった。


「ぃぃぃッ!! しゃぁぁぁッ!!!!!」


 これは決まった。そう思った瞬間だった。秘かに上手いな、と称える。


「甘いわね」


 球は相手のコートに着いた瞬間、ぺしゃんこに壊れてしまった。どういうことかというと、彼女達が交わした条件によりマイナス2点のペナルティを背負うことになったのだ。


「身体能力は私より高いけど、単細胞。やっぱりキーくんは私のものね」

「うっさい! このアバズレ女! あんたごと破壊してKOしてやるわッ!」

「まったくそれしか脳がないわけ? まぁ、あんたならやれる可能性もあるけどね」


 ふむ。冷静そうな女の人の方が優勢かと思ったけど、あの言いようだとそうとも限らないわけか。圧倒的な力と冷静な策略。実力が拮抗しているがゆえに、キーくんというもの(食べ物?)を争って卓球という勝負にまで発展してしまったということか。

 再びラリーが始まる。そんな俺の読み通り、勝負は五分五分といった様子で進んでいく。素直に面白い。いつしかギャラリーも、俺だけではなく数十人集まり盛り上がりを見せていた。いなかったはずの審判も、いつのまにかいる。ドヤ顔で判定をしていた。

 勝負の行方は互角。一見すれば互角に見えないことも無いけど。三本勝負。長期決戦が仇となったと言うべきか、明らかに疲弊の度合いが違う。


「しゃぁぁぁッ!!! マッチポイントッ!」

「……はぁはぁ。くっ、単細胞のくせに」

「何とでも言えばいいわ。私はこの試合に勝って、キーくんを口の中に入れるわ」

「そうはさせない」


 と言いつつも、前半のような動きの精彩さは無く、キレのある策略もあるわけでもない。疲れは思考を停止させるからだ。勝負は決まった。ギャラリーの誰もが思ったその時だった。


「待って、待ってよ!!」


 一人の男性らしき獣人が乱入してくる。背からは羽根を生やし、爬虫類のような顔をしている。あれだな。トンボを二足歩行にして人に近づけたらこんな感じだろう。


「争うのは止めてくれ! 昔はあんなに二人とも仲良かったじゃないか!」

「……それはしょうがないじゃない。私達はもう、昔と違うの。キーくんだって昔と違う」

「そうよ。私達はもう、ちょっとじゃ満足できないの。それに、全部食べたらキーくんの羽根だって」


 雰囲気が変わったな。俺は腕を組み、展開を見届ける。


「大丈夫だよ。羽根なんて無くたって。君たちさえいてくれれば僕はまた跳べるんだ」

「「キーくん!」」

「君たちが僕の翼だ!」


 何か言っていることはかっこいいことを言っている気がするが、目の前の光景はあまりにも混沌としていた。キーくんと呼ばれた人は、先ほどまで争っていた二人に挟まれて、羽根をむしゃむしゃと食べられていた。

 着地点がよくわからなさすぎて、流石に俺でも戸惑ってしまう。なぜか三人は涙を流し、ギャラリー達は拍手をしている。まさにカオスだ。


「……行くか」


 俺はそっとその場から離れていこうとすると、何者かに腕を掴まれる。俺の左手を掴むのは、褐色肌の綺麗な手。まぎれもない、セリンさんの手だった。


「ここにいたのか、ヤシロ」

「え……? あぁ、うん。話は終わったの?」

「終わったといえば終わった。終わってないといえば終わっていない」


 何とも歯切れの悪い言葉だった。


「それで、あれは何だ……? あの男、羽根を食べられてるんだが、大丈夫なのか?」


 セリンさんの顔を見ると、嫌悪感丸出しの顔で三人の様子を見ていた。良かった、俺がおかしいわけじゃなかったのか。


「うん、大丈夫なんじゃないかな?」

「そうか。それならいいが。それよりも、少し付き合ってほしい」

「わかったよ。まぁ、とりあえずここにいるのも気まずくなってきたから、まずは離れようか」

「同感だ。気色悪い光景だからな」


 本当の意味で大丈夫なのか知らない。でも、あれはあれで幸せの形と言うべきなんだろう。ちょっとだけ面白かったけど、正直試合を最後まで見たかったのが本音だったのは言うまでも無かった。




 セリンさんの後をついていく。セリンさんの行き先などわかるわけもなかったけど、上へ上へと向かっていく様を眺めていると、どうやら目的地が屋上であることに気付く。この建物は、5階建て。まるで日本の古き良き旅館のような綺麗な木目の階段を上り屋上へとたどり着いた。

 屋上へと繋がる扉を開けた瞬間、感嘆の息が漏れそうになった。所々に設置されている明りが街を照らし、この街の造形の綺麗さを醸し出していた。まさか、こんな光景が見れるなんて。素直に感動していた。

 セリンさんは何も言うことはなく、屋上へと進んでいく。俺もそのあとを続くが、街の綺麗さに目を奪われていたためか、足を進めていくと気づくことがあった。フェンスが無い。これだけ広ければ足を踏み外すことも少ないんだろうけど、フェンスが無い屋上が解放されていることは珍しい。

 なんて思い辺りを見渡してみるけど、目に見える範囲の屋上にはフェンスがついている建物など無かった。なるほど、この世界では幸いなことに、屋上から飛び降りるなんて行為は存在しないのか。はたまた、この高さから落ちても死ぬものはいないのか。どちらかなのだろうと予想していた。


「姉様には恩がある」


 背を向けたままセリンさんは話始めた。声のトーンから俺は、辺りの観察を止めセリンさんの方を注視した。


「姫様にも恩がある。二人にとって私が代わりのある存在だとしても、私にとっては二人はかけがえの無い二人だ」


 そう言いながら、セリンは腰に携えた剣を床へと置く。そして、鎧を脱ぎどんどんと軽装になっていく。


「どんな命令だって、どんな汚れ役だって。決してやりたくないことでも、納得をしないことでも私はやる」


 これは予感だ。これから始まることは、きっと男子高校生が夢に思うことなんかじゃない。予感じゃない、確信だ。彼女が鎧を脱ぎ、軽装になったのにも理由があるはずだ。


「だから私は……ヤシロ。これからお前にひどいことをする」


 その言葉を皮きりだった。セリンさんの体がフッと消えて、目の前へと右拳が迫る。


「なっ!?」


 避けるにはあまりにも近すぎる。選択肢は少なく、俺は上半身を捻り何とか右拳から逃れる。さらに殺気のようなものを感じて、その場で呑気に構えることが危険だと悟る。捻ったままの上半身を追うように下半身を動かして、その方向へと飛び上がり左手をつき転回する。

 着地した先に待っていたのは、左膝だった。今度はいくつか対処方法が浮かぶ。


「ぁぶねッ」


 と言いつつ、硬い膝をやわらかい手のひらで受け流す。距離を取ると、まるで敵に向かうかのような表情をしたセリンさんが、俺へと右手を伸ばしてくる。さっきよりもスピードは遅い。

 対格闘戦においてまず意識しなければいけないのは、そもそもの戦闘能力の差だ。俺とセリンさんではかなりの身体能力の差がある。最初に繰り出した攻撃スピードが一番早いもので無いにしろ、今、目の前に迫る攻撃のスピードは遅い。

 その理由が手加減をしてくれているのであればどれほど幸せなことか。しかしながら、やや直線を避けてフックぎみに放たれる開かれた右手は、何か狙いがあると考えて間違いないだろう。もちろん、そう捉えないのも自由ではあると思うが。

 俺は、彼女がその開かれた手で何かを企んでいると予想をして、引くのではなく、逆に一歩踏み出して彼女の右腕の肘を左腕で弾く。

 驚いた顔のセリンさんを見つつ、今度はしっかりと後退して距離を取る。もちろん、どうしてこんなことをするのか聞くためだ。


「どうして掴みにこなかった? この前見せた戦い方では、掴みにくるかと思ったが」


 それには当然理由があった。重ねていうが、セリンさんと俺では身体能力の差がある。一番の差は、おそらく力。例え掴みかかったとしても、ミーナさんの時のように腕を解かれればジ・エンドだ。セリンさんが後方で控えてくれている状況ならまだしも、誰も控えがいない状況であればそう易々と掴みにいくわけにはいかない。

 そもそもだよ、こっちが掴んだとしても相手には逆転の余地があるのに、逆にこっちが掴まれれば逆転などできないなんてずるいに決まっている。流石に俺だって学習する。

 それに、俺はセリンさんと戦っているわけじゃない。あくまでも一方的に、よくわからない暴力を受けそうになっているだけだ。だから、ここでする選択は反撃などではない。理由を聞く。そこからだ。


「セリンさん。どうしてこんなことを?」


 相手の言葉を無視し、短く単刀直入に。会話に意識してしまうと、一気に叩きこまれてしまう可能性もあるから。


「……姉様には恩がある。だから私は、やり遂げなければいけない。例え、ヤシロから失望されることになったとしても」

「失望? それは一体――」

「それよりも今の立ち位置。気付くことは無いか?」

「気づく、こと?」


 当然、気づいていないわけでは無かった。ただそれを認めなかったのは、セリンさんがそこまでやるとは思えなかったから。だがしかし、セリンさんに直接そのことを指摘されると、どうしても恐怖が先行してしまうのは防げない。

 俺の後方は、寄り手の無い崖。押し出されれば5階から一気に落下する。それが意味するところは、不可避な死だった。


「スピードを上げるぞ」


 宣言通り、セリンさんはスピードを上げて攻撃を仕掛けてくる。そのどれもが早さ重視の手刀で、力があまり込められていないため捌くのは容易だ。だが、それ以上のことをする余裕は無く、俺はずるずると後退させられていく。

 まさか、本当に? そんな焦りが、俺の受け手の行動を強張らせていく。浮かんでくるイメージは、先ほどの卓球での二人の戦い。一方的な力の圧力を肌で感じてしまう。策略を考える暇も無く。


「くっ」


 どんどん追い詰められていく。あと数歩でゲームオーバー。と思った瞬間だった。いつの間にかセリンさんは姿勢を落として俺へと接近し、両手が頭部へと突き出される。

 頭に浮かぶイメージは、宙へと浮かびあがり落下していくもの。

 恐怖に負けるな。畏怖するんじゃない。それが一番の敵だって何度も教わったろ。


「はッ!」


 何とか両手から避けて、相手の両腕を掴んで相手の進行方向へとさらに押し出してやる。


「なっ!?」


 予期せぬ力が働いたためか、相手は若干前のめりになり体勢が崩れていく。隙だらけだ。もはや後退の文字は浮かび上がってこず、相手をどう倒すべきかが思い浮かぶ。

 今俺が出せる強力な技。それが求められている。相手を吹き飛ばせるほどの、上手くいけば相手にダメージを与えることができる技。

 そんな技が頭に浮かぶ。即座に俺はそれを実行に移す。左足をあげて、間髪入れずに右足を蹴りあげて、右半身を捻る。右足を勢いよく地面へと着地させて、体全体の勢いを殺さずに相手へと右肩から背中付近へと接触させ相手を吹き飛ばす。鉄山靠。じいちゃと父さんから何度も教わった技。ここまでくれば失敗するわけもなく、鍛えられた技を真正面から食らったらいくら頑丈な相手だって――あっ。


「俺は一体、何をしようと……」


 が、相手へとぶつかる直前に、何とか右足で勢いを止めた。何でできた地面かわからないが、地面が削れているのが見えた。

 俺は一体何をしようとしているんだ。セリンさんは仲間だろ。そんな仲間をここから突き落とそうなんて。いくらやられそうだからって、そんな。救う行為と完全に対な行動をしようなんて。


「隙だらけだぞ」


 間抜けに立ち止まる俺を見逃すわけもなく、今度はセリンさんは俺の体を掴んで文字通り投げた。


「――あっ」


 宙へと投げだされる感覚。やばいと思いながらも抵抗することはできず。俺は、どうしてと思いながらセリンさんの表情を見る。


「すまない」


 泣きそうな表情をした彼女を見た時、俺は少しだけ救われた気がした。けど、落下していくスピードが増す度に、俺の心の中の感情が。誰かを救いたいという感情すらも消えていき。

 これで終わりか、と。ただただ。無限にあったはずの感情たちが、無へと変って行くのを感じたのだった。

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