表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
19/25

16話

「お、おぉ。おぉ! おぉ!?」


 どうして、この異世界にこんなものが。ずっと諦めていた光景が、俺の目の前で広がっていた。


「うぉぉぉぉ!! よっしゃぁ!!」


 などと、思いもがけず歓喜に酔いしれてしまうのは日本人に生まれてきた男としての当然の性。そう、今まさに真っ裸の俺の目には湯気が舞い上がる湯が見えている。つまりここは。


「温泉だッ!」


 現実の銭湯の設備と遜色は無く、あえて挙げるならばシャンプーやコンディショナーといったものはなく、灰色の万能石鹸があるというところだろう。他に関してはほぼ不満などはなく、ごく一般的な温泉の設備を保有している。なんなら、サウナだってあるようだ。

 俺は桶を手に取り湯を体に浴びる。うん、冷水なんてオチだってないようだ。まさに温泉。まごうことなき至福の湯。俺は灰色の石鹸を泡立てて全身を洗っていく。全身の汚れが噴き出すのではないかと懸念したが、今日一日分の汚れといったとこだろうか、そこまで汚れてはいなかったといえる。

 どうしてなのか、と問われればそれはこの世界に存在するあれのおかげだろう。汎用型魔法カプセルリフレッシュ。体中の汚れだけではなく、衣服の汚れすらも落としてくれる魔法のカプセルだ。飲み込むことで効果を発揮する代物だが、飲んだ瞬間になんともいえない爽快感が体中を駆け巡るのだ。

 実際問題、ここの人たちがそれで満足しているように、体の汚れを落とすと意味では間違っていないのだろう。しかしながら、湯船につかるという行動は物理的な問題だけではないと俺は主張したい。

 体中を洗い終えて、俺はこの空間に誰もいないことを確認して湯船へとダイブした。


「ふぅ……」


 これだよ、これ。この安心感。本来裸であるために無防備であるはずなのに、体中を包むお湯が体中をリラックスさせていく。まるで、一日の疲れがお湯に流れ解けていくようなんだ。人間以外の種族がこの温泉を好まないというのが信じられないほどだ。


「それにしても、参ったな」


 こうして考え事をするにもここはぴったりだろう。思えば、こうして一人っきりになるのは久しぶりだった。

 この世界に来てから、誰かと一緒の時間が多かった。幸か不幸か、そんな話になれば間違いなく幸なのだろうけれど。やはり、こうした一人の時間も必要なんだ。誰の言葉にも惑わされない貴重な時間が。


「聖剣、かぁ」


 湯につかりながら大きく息を吐いて、目を閉じた。そして、思い出していく。俺が聖剣を持たない、ということがどういう意味であったのかを。

 聖剣が無い、なんてことを言われたあと、セリンさんはここでする話ではないと思ったのか、場所を帰る様に提案した。俺とセリンさん、ラティさん。三人で向かった先は、少女のような外見をしたラティさんが泊まっている宿だった。部屋に入るや否や、畳の部屋、まさに温泉宿に見られるような和室の造りに驚きながらも、俺とセリンさんはラティさんを対面に座った。


「姉様。先程聖剣が無いと言いましたが、それはどういう意味なんでしょう」


 間を入れることも無く、セリンさんは切り出した。俺自身も気になってしょうがなったが、セリンさんは俺よりももっと気になっていたのかもしれない。

 よくよく考えてみれば、もっともなことだろう。セリンさんはいわば、俺の使者だ。責任を持っているんだろう。異世界の人間を連れて帰ることを。だから、こうして食いつくんだ。俺というよりも、異世界の人間のことを。


「そのままの意味。この人……ん?」


 ラティさんは首を傾げた。俺はその意味を察した。


「社です。藤堂社。親しい人からはヤシロンって言われてます」

「ヤシロンは、聖剣そのものを持ってない」


 受け入れるんかい! なんて場違いな突っ込みをするわけにもいかなかった。隣のセリンさんが唾を飲み込む。


「ということは、ヤシロは人間ではないということでしょうか?」

「うん」


 俺が人間じゃない? 一瞬、この人達が何を言っているのかわからなかった。だから反応が一歩遅れた。


「いやいやいや! その発想は流石におかしいでしょ!?」


 一段や二段じゃない。6段跳びぐらいの変化。砂糖と思って舐めたら塩だった。なんてちょっとしたケアレスミスじゃなくて。砂糖と思って舐めたら胡椒だった、よく見れば黒かったし、匂いだって違かったね、てへっ。なんてレベルの違いだ。飛躍しすぎだ。


「何もおかしくない。この世界では人間は誰しもが己の内に聖剣を持つから」

「だから持たない俺は、人間じゃないって?」

「統計的に言えばそうなる」

「なるほど」


 はっきり言って全く納得していない。なぜなら、俺は正真正銘人間であると信じているからだ。例え、この世界で人間でなくとも、元いた世界では間違いなく人間で、俺という人間が存在したという歴史も確かに存在するからだ。

 なるほど、なんてことを言ったのはラティさんの言いたいことがわかったからだ。この女の子――彼女が言いたいことはこういうことなんだろう。

 証明しろ。信用できないから人間であることを証明しろ、と。そういうことなんだろう。

 一度大きく呼吸をする。果たして俺は、人間であることを証明する必要があるのだろうか。何か俺に落ち度があるなら話は別だけど、今回の場合は俺が何かをしたわけでもない。つまり、証明する必要性が感じられないということだ。必死に俺は人間だと、叫ぶ必要すらない。

 なぜなら、特段人間ということにも拘る必要がないから。別に何だっていいんだ。俺がしたいことはただ一つ、救うということ。それは、人間じゃなくてもこの世界で言われる勇者じゃなくてもできるはずのことだ。だから俺は――


「ですが、ヤシロは聖剣を使えます」

「……ん?」


 今度はラティさんの眉がぴくりと動いた。首を傾げたり、眉を動かしたり。あんまり表情には出さない代わりにこういった仕草で表情を出すのだろう。


「どういうこと?」

「おそらく幻想術式の類ではないかと思いますが、他者の聖剣を使うことができます。私が見たのは三回。少なくとも四回以上使っていて、さらに2種類の聖剣を使うことができます」

「ほんと?」

「はい、間違いありません。一つはカイ=オルフェンスが持つ聖剣誓いの書。詠唱無しで魔法を使えるのを確かに確認しました」

「んー……」


 セリンさんの方へと向いていた視線が俺の方へと戻ってくる。深紅の瞳が俺の体全体を捉えているような気がした。


「聖剣を使ったあと、何か異変はあった?」

「異変?」


 思い返してみる、聖剣を使った後のことを。練習も含めれば幾度も聖剣は使ってきたわけだが、特に体に異常などは無かったはずだ。特別疲れたと思うことも無い。

 異変があったとすれば、この世界に来てすぐのゴブリンとの戦闘中。加えて、ワイルドウルフに囲まれた時、ぐらいか。頭の中が割れそうなほどに痛み、立っていられなかったよなぁ。あれは明らかに異変であるはずだけど、そういった意味では聖剣を使ったあとに異変が無いことは間違いないだろう。


「無いですよ」

「それはおかしい」

「そ、そうなんですか」


 できればどうおかしいのかきちんと説明してほしいところだけど。ラティさんは明らかに考え事をしている。話をしても、うるせぇこの野郎、と一瞥されてしまいそうだった。


「ヤシロ。悪いが、少し姉様と二人にしてくれないか?」


 どうして、なんて問いかけをするのは野暮なんだろうし、これから二人でする話はおそらく俺抜きでしたほうがいい話。セリンさんなりに俺を気遣ってくれたんだろう。

 かといって、行く場所があるわけじゃ――


「温泉」

「……え?」

「この宿には温泉がある」

「温泉? ジャパニーズオンセン!? まじかッ!!」


 そんなラティさんの言葉に俺は勢いよく部屋を飛び出したのだった。


「よくわからないな……」


 わからないことは、ラティさんが俺に抱いている感情。セリンさん以上に表情に出てこないためにわかりずらい。俺が聖剣を持たない者だと知って、俺を異世界の人間じゃないのと疑っているのか、それとも聖剣を持たない俺に価値が無いと思っているのか。そうでなければ、あの時セリンさんが俺が聖剣を使える発言をした時の若干食いつくような反応の説明がつかない。

 悲しいかな。どんな場合にせよ彼女が俺に対して持っている感情はあまりよくないと見て間違いないだろう。下手をすれば、見限られて路頭を彷徨うはめになるおそれだって。

 やめだ、やめ。こんなことを考えていたってしょうがない。せっかくの温泉だ。これから先入れる保障が無いんだからちゃんと満喫しなきゃ。


「でもなぁ、もしセリンさんに見捨てられたらどうするかは考えておかなきゃ、だよなぁ」


 とりあえず、俺が何も持っていない以上、生活していくにはまず人間が多くいるところに行く必要があるな。例えば、何度も聞いたアーグレスト、という街とか。聖都なる場所も人間が生活するには不便なく生きていけるのだろうけど、ちょっとした偏見だが嫌だ。カイ=オルフェンスがいるような街になんて正直行きたくないし。

 あっ、この街で職を探すってのもいいかもしれないなぁ。ここなら、どんな人の手助けをしたって糾弾されることは無さそうだし。まぁ、得体の知れない俺を雇ってくれる善良な人がいたらの話だけど。


「はぁ、不安になってきた」


 これまではセリンさんに養ってもらってたけど、それが無くなるのかもしれないんだもんな。って、言ってて情けなくなる発言だ。ヒモ宣言を高らかにしているようなもんだし。はぁ。

 心の中でまでため息をしてしまっていると、急に戸が開かれて中へと人が入ってくる。

 人間だ。金髪のツンツン頭。思わず目が向いてしまうのは、彼の肉体だろう。目を見張るような全身の筋肉と皮膚に宿る複数の傷。無敗の剣豪のような存在感に息を飲んでしまったのは内緒だ。


「おっ、先客がいるのか。それに人間だなんて珍しいこともあるもんだ」


 珍しい? そうですね、と返すべきなんだろうか。とりあえず、話しかけられたわけではなさそうなので、軽く会釈をしておいた。


「湯はいいよなぁ。今日の疲れが湯へと流れ込むようだ」


 確かに。心の中で同意しておく。


「だが、同時に不安なこともある。この湯へ疲れと一緒に、今日得たものも一緒に流れてしまわないかと、な」


 それは違う。湯の中では誰しもがリラックスすることができやすい。無防備な中でもう一度、今日学んだことを思い返すんだ。思い返す度に、あぁこうすればよかったとか、こんな方法があったんじゃないかと考えることもできるものだ。


「君も湯が好きだろ? 顔にそう書いてある」


 桶に湯を取り全身をぬらしながら、男は俺へと尋ねてくる。さすがに独り言だと割り切るには難しい。俺は男の方へと顔を向ける。やはり俺の方を向いていて、二カッとした笑みを見せてくれた。


「そうですね、俺も好きです。日に一度と言わず二度入ってもいいくらいに」

「そこまでとはっ! 中々いないぞそういう人間は」

「そうですかね?」

「そうだ。オレが言うんだから間違いない」


 現実の世界では、おそらく珍しいとは言われないだろう。温泉に入るために旅行にいる人が大勢いるくらいで、観光の中で温泉というジャンルが存在するほどだ。不思議なことではない。

 だけど、この人が言うことが本当に間違っていないのだとするのならば、この世界では人間も湯に入るということが日常化されていないことを示しているというわけだ。少し前の言葉に振り返るならば、人間が珍しいと言っていた。ということは、人間よりも他の種族が温泉に入ることが多いということも情報としてわかったのだった。


「温泉好きの人間。しかも男。君とは仲良くなれそうな気がするな」


 男は湯船へと入り、俺の近くへと腰を下した。


「ふぅ」


 と、一つ小さな息を漏らして。ちょっと距離が近いような気がしたので、ちょっとだけ距離を取ったのはここだけの話だ。


「君は少し、他の人間と雰囲気が違うな」

「雰囲気が違う?」

「説明しろと言われれば、少し難しいが。君から発せられる雰囲気は、穏やか。そうだな、優しい感じがする。この世界の人間はそうじゃない」


 何か引っかかる言い方だ。


「確かに先の戦争で勝利したのは、魔獣でもなく獣人でもなく。聖都の勇者率いる人間達だ。当時世界を支配していた魔王を打ちのめし、人間たちに人権が与えられる世界が誕生した。そして、それまで魔獣が頂点だった世界はくずれ、人間が頂点に魔獣が最下位に交代し世界の支配権は人間へと移行した。そのこと自体にオレは何ら不満は無い。しかし、その支配する人間が傲慢に世界を支配するのは間違っているはずだ。やられたらやりかえす。そんな幼稚なことを大半の人間たちは無意識に容認する。だから、人間たちが醸し出す雰囲気は傲慢なものへと成りがちなんだ」


 そうなんですね。と返せばいいのかもしれないが、それは少しおかしいだろう。それではまるで、この世界にいた人間じゃないことを示しているようだ。

 そこで違和感に気付く――この世界の人間?


「さて、少々長湯になってしまったな」


 何も言わない俺を気にしないように、隣の男は立ち上がった。そして、俺を見下ろして値踏みするような目を向ける。


「オレの名前は、ライナス。ライナス・ベルト。君は?」

「俺は……社。と――ヤシロです、社といいます」

「ヤシロ、君とはまた会いそうな気がするよ」


 またも心の中で俺は同意した。なぜかわからない。俺とは縁のなさそうな人間に見えるけど、また会いそうなそんな運命みたいなものは感じる。


「今のままなのか、何か変化があるのか。はたまたこの世界に染まってしまうのか。願わくば、この世界に染まらずにいてほしいものだ」


 といって男――ライナスさんは去っていった。その後ろ姿を見送りながら俺はのぼせそうになっていることに気付く。


「あれはきっと気づいているなぁ」


 立ち上がり、俺は水風呂へと向かったのだった。

 おそらく意図的な出会い。そもそもの話、あの程度の時間で長湯というほどだ。下手をすれば大して温泉が好きじゃない可能性だってある。俺が一人になるタイミングを探していたのか。はたまた、どこかで俺達の話合いを聞いていて俺へと目をつけたのか。目的はちっともわからないけれど、これまで出会った人間の中ではいい印象だった。

 もし、セリンさんたちに振られたら。その時は、あの人についていくのも有りかもしれない。彼の思想は、なんだが俺と似たような。夢幻のような甘さを感じたから。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ