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15話

 見晴らしの良い草原をひたすらに歩く。日は若干の沈みをみせていて、夕日と似たようなオレンジ色の日差しが辺りを照らしていた。

 昼から夜へと変るこのわずかな時間、実家の屋根に上って見る街並みがたまらなく好きだった。夕日と何かが相まった風景。この世界に来ても、変わらずに好きでいられたことは嬉しかった。この世界で生きることを決めた今だけれど、現実の世界に戻ることを捨てたわけじゃない。少しでも、思いだせることがあるというのはいいことだと思う。きっと俺は、この世界で夕日を見るたびに現実の世界を思い出せるから。


「ヤシロ。一つ聞きたいことがある」

「うん、いいよ。一つでも二つでもいくつでも。なんでも聞いていいよ」


 ワイルドウルフとの一件があってから、俺とセリンさんはアンバーには寄らずにそのまま旅路に出た。理由としては色々とあるわけだが、セリンさんは約束の刻までもう時間がない、と言ったのが一番の要因であった。どうやら、次到着する予定の街で仲間と落ち合うらしい。が、時間がない、と焦燥感に駆られるセリンさんの様子は、それだけが理由じゃないことを伺わせた。

 俺をこの世界に呼び出したエルフの姫様。あの語りかけてくれた優しい女性の声。彼女に何かしら迫っているということなのか。セリンさんは話してくれないし、こちらからも聞きはしない。せめて、俺だけも焦らずに冷静な判断ができればと思うからだ。ん? 冷静な判断。まぁ、まるでできていないよな。今日だって――


「……お前は、私の。私達の味方か?」

「味方だよ」


 振り向かずにそんな質問をしてくる。いつも思う。セリンさんは感情を見せないためにこうして背を向けたまま話すのだと。ずるい。俺はいつだって、セリンさんに向き合ってるつもりなのに。そんな俺の心の愚痴を流すように彼女は質問を続けた。


「獣人は。敵か、味方か?」

「どっちでもないけど、敵じゃない」

「魔獣は。ワイルドウルフはどうだ?」

「敵にはしたくない。分かり合いたい」

「……人間は。ヤシロ、お前にとって人間はどうだ?」


 セリンさんの足が止まった。既に日も沈んでしまっている。俺は、離れていた距離を詰めて、止まっている彼女の目の前に出た。表情はいつもと変わらないように見えた。

 逆に、俺は問いかけたくなった。セリンさんが俺のことをどう思っているのか。敵なのか味方なのか。好きなのか嫌いなのか。それとも、分からないのか。

 俺にだって分からない。分からないことは怖い。だから俺は。少しでも俺をわかってもらえるために、本当の声を出すんだ。


「どっちでも無いよ。俺は――人間が好きだしね」


 答えた瞬間。横面をセリンさんの手で叩かれたのだった。痛かった。親父にもぶたれたことない、そんなことは決してないけど。

 彼女の負の感情が込められていた気がして、ひどく痛かった。







「精霊よ、我は勝利を掴む光の勇者」


 ワイルドウルフの長が吹き飛ばされていた場所は、奴らが住処にしているといわれる山の中だった。来る途中、本当にこんな場所まで飛ばされてきたのか、嘘じゃないかと思ってしまったけど、なぎ倒されている木々や、所々穴が空いた不自然な地面を見るごとに。途方もない力があの風の刃に込められていたことを知った。

 そして、ようやく見つけた先にいたワイルドウルフの長の姿は、重傷と呼ぶには可愛いほどの傷を全身に負っていたのだった。迷うことなく俺は、じいちゃの持っていた聖剣を召喚したのだった。


「精霊よ、光の盟約により、聖剣の封印を解き放て。出でよ、勝利の剣」


 勝利の剣は、眩い光を放ちながら、俺の右手に徐々に徐々に形を為していく。


「……ヤシロ。それは何だ? 今度は誰の聖剣を呼びだしたんだ」

「これは――そうだね。伝説の勇者と呼ばれる人が使っていたと言われる聖剣だよ。名は、勝利の剣。持つ者も、持たざる者も勝利をさせるための剣だって聞いたことがある。俺が初めて幻想術式を使った時、この聖剣を編み出せたんだ」

「こんな頼りない短剣が。カイ=オルフェンスを引かせたのか?」

「……うん」


 正確に言えば、彼を撤退させる切っ掛けになったのは、セリンさんがその身に宿す聖剣ダーインスレイヴだ。未知の聖剣との遭遇に奴は引いたんだ。でも、それをセリンさんに話すべきかは悩む。そもそも、どうして勝利の剣を刺して、傷が治るだけではなく彼女の聖剣を取り出せたのかもわからない。しかも、幻想術式では無く、間違いなく本物の彼女の聖剣を。今は余計なことを話すべきではないだろう。どんな副作用があるかだって俺にだって分からないんだから。


「それに、セリンさんを救えたのもこの剣の力なんだ」

「そうか、この短剣にそんな力が――ヤシロ。ちょっと待て」

「何かな」

「救った、って言ったな、今」

「そうだね。確かに、セリンさんを救ったのはこの剣だ。間違いないよ」


 何かに気付いてハッとするセリンさん。そんな彼女の態度に気付かないふりをして、俺はあえて彼女の求める答えをしなかった。彼女を救ったでは無く、彼女の傷を癒した聖剣なのだ。わざと俺は読み違えている。反対されることはわかっていたから。


「ヤシロ、貴様。一体何をしようとしている? まさか、そんな……そんなことをして、どうなる。考え直せ。それじゃあ、意味が無い。命がけであいつを倒したことが」

「あぁ、そうなるかもしれない。でも、救わなきゃいけないんだ。間違ったことをして、勘違いをしたまま死ぬなんて、そんなことは許しちゃいけない」

「勘違い? 間違い? 人間を憎むことがか?」

「それもある。だけど、そうじゃない。こんな間違ったやり方で、いくら憎いからって。嘘をついてまで卑劣な罠にはめるのは、間違ってるって言いたいんだ!」


 俺は地面へと勝利の剣をさした。最初は片手だったが、剣を持つ手を両手にして力を入れて祈る。救いたい。この一帯全てを。

 どんどんと、剣から光が溢れだしていく。やがて、周囲を認識できないほどの光を俺達を包んで――世界は、光に満ちた。刹那、勝利の剣を中心に世界は徐々に変わっていく。

 元の自然に満ちた様子に。倒れていた木も草も鼻も、穴が空いた地面も。その全てが修復されていく。そして、例外なくワイルドウルフたちも。全てが勝利を手にした瞬間だった。






 最初に違和感に気付いたのは、酒場であった。俺とセリンさんが二人の人間を追い出した時に、俺は確かな違和感を感じていた。そう、まるで舌打ちをされたかのような感覚。どうして逃がしたのか、という風な空気を感じた。

 そもそもの話だ。あの二人が村の金を使って雇った者であるならば、あの場面加勢するべきだっただろう。それなのに、獣人たちは隠れながらもこちらへと視線を向けていた。いいぞ、やれ、と。おそらく小声で言っていた者だっているはずだ。

 とどめとなったのは、大将が俺にくれた言葉。俺には関係の無い話。つまるところ、討伐は緊急を要していないのだ。

 となればこれはもう。考えられる結論は一つだけで、あろうことか獣人とワイルドウルフは手を組んでいたということだ。憎き人間を殺すためだけに、罠にはめようというのだ。仮に動機が不純であるとしても、依頼をこなそうとした者を罠にはめようとしたんだ。

 そんなこと許されるわけがない。だから俺は、依頼を受けたんだ。これ以上犠牲を増やさないためにも、いつかこのからくりに気付いて魔獣もろとも、獣人も滅ぼそうとする者が現れる前に。もっとも、その者はもう現れているのかもしれない。

 例えば、あの謎の女性。明らかにアンバーにいるのはおかしいはずの人間だった。彼女こそが彼ら全員に神罰を加えるための神官であったのかもしれない。もはやそれが、どうであるかはわからないけれど。


「……すまない、感情的になってしまった。お前はまだ、何も知らないというのに」


 彼女に関しては一つだけわかることがあった。きっと、彼女は優しい人間だということ。この世界で初めて会った良識人といえばいいのだろうか。横柄ではない人間。ちゃんとした感性を持っている人間。

 彼女みたいな人間もいるのならば、まだこの世界には十分可能性が残されていると思った。じいちゃが作ったはずの世界の再生。全ての種族が助け合い暮らす理想の世界。


「許してくれ。思い直さないでくれ。頼む、私達を。救って、くれ」

「……セリンさん」

「私は怖い。人や獣人、魔獣さえ。人種など気にしないって態度のヤシロを見ると、ひどく不安になるんだ。もしかしたら、って。思い直すんじゃないか、って。あっちの方がいいってそっぽを向くんじゃないか……って」


 でもそれは、そうあってほしい、ってバカみたいな幼稚な妄想なのかもしれない。


「頼む、ヤシロ。お前は私達の希望なんだ。聖剣を使えなくとも、勇者じゃなくたって。ただ、生きて連れてきてほしいと姫様に言われたお前なら。だから、頼む。私達を救ってくれ」


 セリンさんのこんな態度を見てしまえば、嫌でもそう思ってしまう。まるで藁にでも縋りたいような。はっきり言ってしまえば、得体の知れない実力も確かじゃない、本物の聖剣すら持てない俺なんかに。こんなにも懇願するほどに、彼女達は追い込まれどうしようもないのだろうか。もはや、和平が不可能なまでに。


「……俺は」


 もし、彼女達の救いが、人間を滅ぼすような、そんな破滅的な選択であるならば。俺は本当に彼女達の協力を喜んでできるのだろうか。そんなじいちゃの想いに反するような行いに手を貸せるのだろうか。

 もしもじゃなくて、本当にその時が来たら。俺は、どうするんだろうか。じいちゃのように迷わずにいられるのだろうか。


「もし、もしも。お前が私のような女を望むなら、私はいくらだって――」


 いや、それは違う。俺も迷うべきでないんだ。救うことが勇者としての矜持であるとするならば、そんな決断に真っ向から刃向かうべきなんだ。

 本当にそうであるなら。俺は、妥協するんじゃなくて、セリンさんにこそ見せていかなければいけないはずだ。誰かを救い続ける姿を。仮に、最初に彼女たちを救わなくとも、必ず最後には救うってことを。


「セリンさん」

「な、なんだ?」

「それなら、一つ約束してほしい」


 救い続けて、信じてもらわなければいけない。彼女を安心させるほどに、俺はそういう存在だって信じさせるほどに。


「こんなやり方は止めてほしい。こんな、誰も得しないようなやり方……俺だって望んでいないし、セリンさんだって望んでいないよね?」

「それは」

「少しは信用してほしい。セリンさんが俺の剣になるって誓ったように、確かに俺もあの時誓ったはずだ。セリンさん達を救うって。聖剣を持たない俺がどこまでできるかなんてわからないけど。俺は救いたいって思ってる」


 目が合う。これまで目を背け続けていたセリンさんの目が、俺の目を真正面から見つめている。本当に、不謹慎かもしれなけど。改めて、本当に綺麗な人だって思った。それこそ、俺なんかが一緒にいることが不自然なほどに。


「……わかった」

「うん、よかった」

「長居しすぎたな、先を急ごう」


 凛とした態度に戻り、颯爽と歩き始める彼女の後姿もまた、どうしようもなく美しかった。俺はそんな後ろ姿を見つめながら、後を追う。


「ヤシロ」

「何?」

「すまなかった。お前が情熱的な視線で私を見るから、そいうことを望んでいるんだと勘違いしてしまった」

「え、え!? い、いや。そんなことは無いっすけどぉ……」

「本当か?」

「ま、まぁ。純度100パーセントかと言われれば、不純なものが含まれてるといっても間違いないかもしれませんが……」


 それは、まだまだ遠いかもしれないけれど。少しだけ距離は縮まったと思った。

 信頼という名の。契約を結ぶための距離が。

 エルフの里に着くまでに俺は、どこまでその距離を縮められるのだろうか。そんなことを考えていたのだった。



勇者の在り方編END

 

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