12話
夜が明けて、また日が昇る。いつもと違う日常が始まりを告げて、その違う日常が新しい日常なのだと理解する。そんな新しい日を迎えて、俺は朝っぱらからある場所へ一人で訪れていた。
え? セリンさんはどうしたかって? セリンさんは宿に置いてきたよ。ここからは俺一人の戦いだからね。
「で、大将。ワイルドウルフについて情報がほしいんだ」
俺が訪れた場所は酒場だった。なぜ俺が開店前の酒場に訪れるという迷惑極まりない行為をしているかというと、酒場には情報が集まる、なんて話を耳にしたことがあるからだ。情報を集めるなら酒場に行くのが定石だろ。なんて、ゲームの話をして笑いあってる連中もいたのだ。酒場こそファンタジー世界でいえば情報の宝庫である。
そんな風に考えていた時期も、俺にはありました。
「なんであっしなんですかい……」
酒場の店主であるうさ耳を生やした獣人は実に迷惑そうに、かつ昨日のように怯えていた。
「それにあっしは、人間様に大将なんて呼ばれるほど偉くなんてないですぜ」
話が違うじゃないか! 誰かに抗議をしてやりたくなったが、抗議する相手もこの世界にいるわけなんてなかった。まぁいいか。気を取り直そう。
「まぁ、それはなんとなく呼びたいだけだから。なんか、こういう場所って、よっ大将! なんて言葉が飛び交いそうな場所だからね」
「へ、へぇ……」
「それにそれを言えば、俺だって人間様って言われるほど偉くなんて無いよ」
「そ、そうですかい」
ほんとに話が違うなぁ。でも、昨日に比べれば幾分も落ち着いていた。言葉の端々にそっけなさも見えるし、こうして話になるだけマシと言ったところだろう。
「あっしは開店の準備が忙しいんで質問に答えられませんぜ」
「そう言わないでよ。準備なら後で手伝うからさ。それに、ワイルドウルフの討伐はこの村のためでしょ?」
「それは」
「……ん?」
俺の言葉になぜか大将は口ごもった。カウンター席の向こう側で背を向けて作業をしているため、様子を伺うことはできなかった。
「どうして、ワイルドウルフを討伐しようと思ったんですかい。ワイルドウルフを討伐することで、人間様に何かあるんですかい?」
「別に特に何もないよ。ここの人たちがどうして討伐したいのかもわからないけど、困ってるんだよね? 困ってるから助けたい。その他の理由は後付けで構わない」
「あっしには、わかりませんねぇ。人間様があっしらを助けたいって思う気持ちが。あっしらが人間様を嫌うように、人間様だってあっしらを嫌う。それが常識ってもんですぜ。それを困ってるから助けたいなんて、おおよそ人間らしからぬことを人間様は仰ってますぜ」
「人間らしからぬこと、か」
また一つ、この世界の常識を知った瞬間だった。どうやらこの世界では、人間は人間以外の種族を忌み嫌い、逆に人間以外の種族も人間を疎んでいるらしい。そして、お互いに助け合うことは無縁な関係性ということらしい。
さらに言えば、そのルールを破ろうとする者は、この世界では枠からはみ出る非常識者で、あまりまともに相手にされないらしい。まぁ、これに関してはどこの世界も一緒だし、今さら気にすることでもないか。
「まぁ、俺は別に人間でも人間じゃなくても何だっていいよ。やりたいことをやる。ワイルドウルフの討伐だって、この店の準備の手伝いだって」
「へ?」
「じゃあ俺はテーブルを片っぱしから拭いていくから!」
勢いよく俺は、カウンターに置いてあったテーブル拭きのような布を手にした。一瞬、こんな薄い布でテーブルを拭くのかと疑問を感じた。が、俺のこの意思はそんなことで止まりはしなかった。
「それはあっしの大事な手ぬぐい!? 使うなら、こっちにしてくだせい!」
「……う、うん。わかりました」
ちょっとだけ気持ちは萎えかかったが、俺は大将から今度はちゃんとしたテーブル拭きをもらって、一つ一つテーブルを綺麗に拭いていったのだった。チラチラとこちらを伺う視線を気にしないようにしながら、黙々と作業を続けた。
「ふぅ」
テーブル拭きも終盤に差し迫ったころ、大将から声をかけられた。
「そういえば、今日は一人何ですかい?」
「あぁ、それは……」
俺は思いだす、朝の悲しい出来事を。朝起きたら置き手紙とともにセリンさんの姿が無かったのだ。彼女が残した手紙はちょうど2枚。A4ほどのサイズの紙にびっしりと文字が埋め込まれていた。
「よ、読めねぇ……」
誓いの書は、自分が幻想術式で生み出しているせいか、解読できるようになったが、セリンさんが残してくれた手紙は一向に読める気配は無く、見破るを使って得られた情報と言えば。
「おそらく、セリンさんが書いた手紙っぽいね。じゃねぇよ! それはわかるわ!」
その程度のものだった。俺はしばらく子供のようにジタバタと暴れていた。
その数秒後、何事も無かったかのように宿を後にしたのは言うまでも無い。つまり、俺はセリンさんを置いていったのではなく、無情にも置いて行かれた。これが悲しい真実だったのだ。
「置いてかれたんだ。愛想がつきたんだって」
「そ、そうなんですかい。奴隷なのに、ずいぶん勝手なことをするんですね」
「奴隷?」
「は、はぁ。違うんですかい? でも、人間様にとってエルフといえば」
「違うよ。彼女は、セリンさんは奴隷なんかじゃない。セリンさんは、俺の恩人で助けたい相手なんだ」
「……そうですかい」
それっきり会話は無かった。俺はテーブル拭きを片付けた後、道場を雑巾がけするかのように酒場の床も綺麗に水拭きをして、テーブル同様ピカピカとまではいかないが、結構綺麗に仕上げることができた。
「ふぅ……」
無事手伝いを終えて、しばらくカウンターの席で大将の様子を見ていたが、こちらを向く気配など無く、せっせと開店の準備に勤しんでいた。そんな様子を見て、邪魔するのも嫌だと思い、挨拶をして酒場から出ようとした時だった。
「お待ちくだせい!」
「ん?」
「ワイルドウルフは、北の草原を抜けた先の山にいますぜ」
大将は貴重な情報をくれた。しかし、大将が話してくれた情報はそれだけではなく。
「近寄らないほうがいいですぜ、旦那。これは、旦那みたいな人には関係の無い話ですから」
「それは一体――」
「これは、手伝ってくれたお礼ですぜ!」
とてもでかいおにぎりのようなものを投げた寄こしたのだった。俺はそれを受け取り、再度大将が話してくれた意味を尋ねようとしたが、大将の背中がこれ以上は話せないと語っている気がして、そのまま酒場を去ることしかできなかったのだった。
「もぐもぐ、もぐもぐ」
酒場を去った後、俺は昨日の広場のベンチに座り休憩をすることにした。片手には先ほど大将からもらったおにぎりのようなものを持って。
「あぁ、これ完全におにぎりっすわ。具は入ってないけど、塩みたいなのかかってるし、美味い!」
なんて独り言を呟きながら、考えるのは今後の行動であった。まず第一に考えなくてはならないのが、セリンさんとの合流。こんな時にスマホがあれば合流するのは簡単なのにな、なんて現代的な思考をしながら割と重要なことを思い出す。それは、家に置いてきた俺のスマホだった。ロックをかけたか、かけていないか。中を見られてしまうか、中を見られないか。極めて重要な案件だった。
それに伴い、今まで特に気にしていなかったことを確認することにした。おにぎりを持っていない手で俺は、制服のポケットを漁っていく。手ごたえは特に無く、残っていたおにぎりを口に放り込んで空を見上げた。良い天気だ。
「……まぁ、何度も確認したけど。やっぱり持ってきたのは、あれと生徒手帳だけか」
「生徒手帳ってなにかしら?」
「生徒手帳ってのは、高校生である俺の身分を証明するものだよ」
あれとは言わずもがな、手錠を開けるさいに使った例のあれなわけで、割と役に立つ機会があるのではないかと思うけど、生徒手帳にかんして言えば全く意味を為さないだろう。そればかりか、無くしたら無くしたで現実世界に戻った時――
「やめだやめだ。こんなことを考えても意味ないし、寂しくなるだけだ。それよりも今は、セリンさんがどこにいる――ん?」
「彼女ならどこに行ったか知ってるわよ」
「んん?」
「はぁい」
いつの間にか、独り言が一人では無くなっていた。隣には、人間が座っていた。なんか、ピースとかしちゃってる。
「に、に、に――ッ!?」
「はい、立派な人間よ」
「そうですね、色々と立派すぎる人間ですね」
特に驚かずにいられたのは、昨日対面していた女性だったからだ。相変わらず、色っぽい人だな、と軒並みの感想を抱いて、俺は早速彼女に話を聞くことにした。
「――あぁ、えぇと……」
が、言葉が詰まった。理由はわかっている。彼女を信じていいかわからないからだ。それに伴い、前日の騒ぎがある。この女性があの男たちの中まである可能性だって十分にある。
あれ……? 俺疑ってばっかだな、この人に関しては。
そんなことを考えていると、俺の考えを見透かすように笑う。心臓が一つ大きく動いた。
「信用してないのね」
「えっ、あぁ、いや。そんなことは」
「目がね。目がそう言ってるの。私を疑ってるって……はぁ、お姉さん傷ついちゃうなぁ」
どう反応していいかわからなかった。ちょっと冗談ぎみに笑って、誤魔化すのが正解なのだろう。そして、ちょっと冗談を言って本題に入る。そんな流れが理想的なのだろうし、普段の俺なら問題なく演じられただろう。
心臓がもう一つ跳ねる。気になってしょうがないのは、チラチラと見え隠れする太ももと太ももの隙間何かではなく。その横に添えられた右手だ。何か得体の知れないオーラが俺の目に見え隠れしているような気がする。昨日はこうじゃなかった。昨日の右手はこんな雰囲気じゃあ――
「勘が良い子ね」
「!?」
「嫌いじゃないけど、それ以上はダメ。きっと、貴方は私のことが嫌いになるから」
まぎれもない。一瞬、ほんの一瞬だけど。殺気を感じた。とても鋭く、顔を。目を刺されたかのような感覚。
気を紛らわせるように広場へと目を向ける。やっぱり、こちらを見ている獣人などはいなく、誰もが俺と女性がいる側を避けるように歩いていた。その事実に、ほんの少しだけ落ち着く。この怖いという感情は間違っているわけじゃないと。人間を怖がってしまうことは、何らおかしくない現象であるということ。それを知っただけで幾分を落ちつけたのだった。
「セリンさん。褐色肌のエルフはどこへ向かったんですか?」
「あら、お姉さんと一緒にいるのに、別の女の話?」
「最初にこの話を出したのはそっちですよね……で、彼女は一人でどこに行ったんですか?」
「うぅん、どうしよっかなぁ。教えようかなぁ、教えないかなぁ」
「割と俺は真面目ですよ」
「いきなり真面目にならないでよ。私が悪者みたいじゃない」
悪戯めいた言い方をしながら、目の前の女性はどこからか木の杖を取りだした。一瞬、どこから取り出しのか困惑しかけたが、深く考えないことにした。人間のやることだ。何が起きても不思議じゃない、と。
「彼女はねぇ」
その杖を一体どうするのかと思ったが、色っぽい女性は杖を地面にたててそのまま手を話した。当たり前だが、杖は寄り手を無くして倒れたのだった。
「あっち」
「おぉい!? 随分適当だなッ。さすがにそれは嘘でしょ!」
「あら、やっぱりばれたか」
「当たり前っすよ!」
「彼女は北の草原にいるはずよ」
冗談からの真面目なトーン。心底反則だな、と心で糾弾していた。
「北の、草原?」
とりあえず、それは置いておいて。北の草原といえば、今さっき大将から聞いた場所だ。嫌な予感がする。まさか、セリンさんは。
「どうして、セリンさんは一人で……」
「わからないから」
「え?」
「わからないからよ。わからないって怖くない?」
その言葉に、先ほどの感覚が蘇る。確かに、わからないことは怖い。わからないことに突っ込んでいくことは、本当に怖い。俺がこの世界に来たときだって、この村に来たときだって。怖かった。
だけど、それを乗り越えられたのは、誰かが支えてくれたから。セリンさん。でも俺は彼女を支えてあげられる存在じゃないってことだ。さっきの杖のように、寄り手を無くして倒れたのは反対に。彼女は寄り手を必要とせずに倒れることを望んでいる……?
いや、馬鹿な。それなら俺みたいな人間に助けを求めてこないだろ。信じたいのに信じられないだけ。きっとそうだ。
だったら、やっぱり俺は。
「これは返します」
「いいの? これは、貴方に必要な物。本物の勇者になれない貴方には、きっと多大な力と勇気を与えてくれるものよ?」
「俺が信じるべきものは、そんなものじゃなくて」
俺が彼女のことを心から信頼して、信頼してもらえるように強く進んでいくだけだ。
「自分の力とセリンさんだから」
そんな青臭い宣言を目の前の女性は笑ってくれた。それだけで少し彼女のことを理解できた気がした。きっと、この人は敵ではないと、信じたくなったのだった。




