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11話

 一日前に遡る。日が落ちて、野草と水、セリンさんが狩った獣の肉で腹を満たした後、セリンさんは地面に座り木に寄りかかりながら目を閉じて眠りについていた。俺も固い地面に横になり目を閉じていた。


「……はぁ」


 目を開ける。俺がため息をつくのは、単に中々寝付けないからだ。それもそうだ。こういった野宿には慣れていないんだ。というよりも、しっかりとした寝具がある現代人にとっては、誰であってもこういった自然の世界で眠るなど困難であるといっても大袈裟ではないはずだ。俺だけが特別なんかじゃない。郷に入れば郷に従え、なんて言うが従った結果がこうなんだ。眠れない。睡魔の限界が来ない限り、寝付くことなんてできないんだ。

 苛立ちを紛らわすように俺はセリンさんを見る。鎧を脱いだ彼女の姿はとても刺激的であった。特に俺みたいな女性と付き合ったことのない男には特に。


「はぁ……」


 でも、あまり見ないようにしていた。公平じゃないからだ。彼女が起きている時にしっかりと見る。これが基本なのだ。決して、彼女の体に飽きたわけではないが、俺の性根がそれを許さないんだ。

 なんてことを言いながら、彼女の体を盗み見てしまう。俺は自分がダメな奴だと今度は理解して、空を見上げた。見上げる空には、たくさんの星々があった。家から見える夜空も綺麗だったけど、それ以上にこの世界の空は綺麗だった。そんな比較をしてしまうと、思い出すのは何日か前にいたはずの世界だった。


「父さん、母さん。怒ってんだろうなぁ……あぁ、そういえば道場も。俺が使わないと誰も使わないから、埃だらけになってんだろうなぁ」


 帰りたくない、なんて言ったら嘘になる。今でも目を閉じれば、元の生活に帰れるんじゃないかと思うことがよくある。でも、こうして目を閉じて、目を開けた世界がこの世界である度に、嫌になるほどに元いた世界に帰れないことを自覚してしまって、ほんの少しだけ悲しい気持ちになってしまう。忘れる、といってもあの世界で過ごした10数年の年月を切り離せるはずは無かった。

 だから、思い出すことを中断して、これからのことを考える。これからどうやってセリンさんと生き延びて、目的地であるエルフの里にたどり着くかを。限定されてしまった力をどう有効に活用していくかを。


「……ん?」


 そんなことを考えると、俺の中で疑問が浮かんだ。確信など無かった。単なる試しであった。俺は、頭に浮かんだ疑問を解消するように、ある男が唱えた呪文を唱え始める。


「精霊よ。我は闇を生きる道化師」


 俺とセリンさんを救ってくれたじいちゃの呪文。あれから生まれた勝利の剣をカイ=オルフェンスは幻想術式だと語っていた。そう聞いていたが、あれはじいちゃから俺に受け継がれた聖剣じゃないかと思っていた。


「我に宿りし聖剣は、世界をも騙す偽りの書。精霊よ。闇の盟約により、聖剣の封印を解き放て。出でよ、誓いの書」


 でも、それが勘違いであれば、もしかすると。


「――ッ!? おぉ! こ、これは――あぁ、これは!?」


 それは勘違いだったらしい。俺の右手は光輝き、誓いの書が現れる。でもその誓いの書はあの時この手に取った重みなどはなく、単なる赤い紙きれだったのだった。


「ふざけんな! 期待させるんじゃねぇよ!」


 俺はその紙きれを地面へと叩きつけたのだった。その紙きれの有用性を初めに気付いたのはふて寝して起きた後。さらにそれ以上の価値に気付いたのは、色っぽいお姉さんから精霊石を受け取った(?)後だったのだ。




「驚かせやがって、なんだそれは! カイの聖剣とは比べものにならないほどにどうしようもねぇ代物じゃねぇか」


 モヒカン男は、俺の右手に現れた赤い本を見てそう指摘した。最初こそ驚くそぶりを見せていたが、じっくりと右手のものを見て気づいたようだった。


「まぁ、偽物といったら偽物だけど。本物と言ったら本物だよ」

「……あぁ? どういうことだよ」

「誓いの書は、開いたページに記された魔法を詠唱無く扱える隙のない魔道書なんだろ? 俺の持つこれは、カイ=オルフェンスの誓いの書に比べれば遥かに薄く、彼の聖剣と呼ぶには失礼なんだろうね。でも――」


 俺は対峙する二人に見せつけるように書物を開いた。


「使える魔法があるんだ、詠唱を唱える必要も無く」


 そこに記されるのは、大自然から力をもらい使役する水の魔法、アイスニードル。つららのような物体が宙に現われて、相手へ向かって空中を飛ぶ魔法だった。

 どうしてそれを知っているかは、既に一日前に全てのページの魔法を扱えるか試しているからだ。試した結果俺にはわかったこともある。


「信じられないが、あれは幻想術式により生み出されたカイの聖剣に違いないようだぜ? どうする」

「……はっ、たかがアイスニードルぐらいで何言ってんだ。俺が本物の魔法を見せてやるぜ!」


 俺が扱えるものは、おそらく初期段階に覚える魔法であるということ。どれも相手を軽く傷つけることしかできず、相手へ対して牽制をするにも難しいほどの威力であるということ。カイ=オルフェンスが使っていたファイアボールと、俺が使える魔法のファイアボールにも威力の差があるということ。

 しかし、問題となる威力の差については既に解決済みだった。


「残念だけど、詠唱の隙は与えないし、俺が扱うのは単なるアイスニードルじゃない」

「……まさか、その首にかけているそれは――まさか!?」

「あぁ、そうだよ。これは水の精霊石。これさえもっていれば」


 と、説明をしようとしたところで、ナイフを持っていた男に動きが見える。俺の目には見える。相手がどういった経路を辿って俺の元へと到着して、どんな攻撃を仕掛けてこようとするのか。距離は十分にある。慌てる必要なんてない。ミーナさんの動きにも劣る。


「セリンさん!」

「承知した」


 セリンさんもその攻撃に備えていたようで今度は俺を後ろへと押しやり前へと出た。入れ替わりに一声かける。


「頼む、殺さないでくれ」


 彼女は答えはしなかったが、かすかに頷いてくれた。俺の意見を尊重してくれたのか、セリンさんは剣を鞘に収めたままで、迫り来る相手へと向かって剣を振るった。


「ちぃッ!?」


 その一振りは、男にとって予想外の早さに違いなく。


「これは多段スキルかッ!!」


 幾度の攻撃を受けるかように隠し持っていた盾を背中から取り出して、セリンさんの攻撃を受けようとする。盾から聞こえる音は、一振りのはずが一度のみではなく、数回鈍い音を酒場へと響かせた。


「くっ!」


 当然といえばいいのか、彼女の攻撃は早さだけなどではなく、相手を吹き飛ばすにも十分なもので、ちょうど酒場の空いていた出入り口から外へと吹き飛ばされていった。随分あっけないな、と思うのと同時に。


「……おぉ」


 すごいと思った。カイ=オルフェンスとの戦いのせいで彼女の真価は今の今まで発揮されていなかったが、間違いく彼女は強いんだろう。いとも簡単に。表情を変えることも無く、ただの一振りで相手を沈黙させることができる。そんな実力を持っているんだ。

 どうやらそれはモヒカン男も感じているようで、口を開けて間抜けな面を見せていた。俺もあんな顔をしていたんだろうと思う。俺は表情をキリッと引き締めた。


「で、どうする? 俺としてはこれ以上やりたいわけじゃないけど」


 俺は右手に誓いの書を持ったまま、相手へと尋ねる。気は抜くつもりは無い。相手が魔法を唱えたら、精霊石で強化したアイスニードルで相手を牽制する。威力のほどは正直わからないけど、セリンさんも言っていた。精霊石は、威力を強化する代わりに魔力の消費を大きくするものだって。一回、二回。どれだけ使えるかわからないけど、相手を一回牽制するだけでいい。後はセリンさんに素早く接近してもらい、それで終わりだ。


「ちっ、くそが。てめぇら、一体何なんだよ。意味わかんねぇぜ」

「こっちだって意味がわからないよ。なんなんだよ、あんたら。急に突っかかってきてのはそっちだろ」

「……へっ。てめぇら、覚えておけよ」


 案外あっさりと男は引き下がろうとする。しかし、俺もそこまで馬鹿じゃない。相手が何を考えているかはわかっているつもりだ。だから、その後ろ姿に声をかける。


「言っておくけど、外の様子ぐらいなら俺の目で見えるから。少しでもおかしな真似をしたら、わかるよね?」


 特に反応は無く、男は酒場を出て行った。俺は宣言通りに、見破るなのかわからないスキルを使って相手を追う。自らの視界が酒場の壁を越えて外へと突き抜けていく。二人の姿が見える。何やら話しあっているが、二人は頷き合い早足でその場を去っていったのだった。


「……ふぅ」


 ちなみにこの能力は、セリンさんを遠めに観察していた時に、もっと近くで見たいと心から懇願した時に発見したものだった。どこまで視界が伸びるのかはわからないが、これまた便利な力であるのには違いない。色々と使えそうだ……色々と。

 ただ残念なことに、この力は行ったことのある場所にしか適用されない。仕込みが必要なわけだ。まぁ、仕込みさえしていれば色々と使えるわけだけど、色々と。

 なんて邪なことを考えていると、二人が村から出て行くところで視界が元へと戻った。どうやら、このまま村を出て行くらしい。俺はセリンさんの方へと体を向けた。彼女は未だに手に剣を持ったままだった。


「セリンさん」

「なんだ?」

「もう行ったから、武器はしまって大丈夫だよ」

「あぁ」

「……ん?」


 嫌にセリンさんが素っ気なかった。無理もないか、と思う。彼女の事情全てがわかったわけではないけど、この村に来てからの彼女の扱いや態度を見れば見えてくるものもある。

 それを聞きだすことは簡単だろう。彼女は基本的に、俺の意見を尊重しようとしてくれるから。多分、どんな命令だって聞いてくれる。それこそ、体を差し出せといえば体を差し出すんだろう。それが当然だと思ってるんだ。本当はそれが普通じゃないはずなのに。

 きっとこれは、言葉で言ってもわかってくれないだろう。行動で示さないとな、俺なりに。


「体は大丈夫だよね。怪我とかもしてないよね?」

「私は問題ない」

「そっか、それなら俺達は大丈夫、ってことかぁ」


 辺りを見渡す。一言感想を言いたい。


「はぁ、これはひどい」


 先程の一件のせいで、テーブルがひっくり返ったり、酒みたいな液体が床に垂れ流されていたり、と。本当に色々と大変な状況だ。はたしてこれは、謝罪で済むものなのだろうか。金で払えといわれても、結構きついんじゃないかと思う。前提として、俺は所持金ゼロの文無し。セリンさんのヒモで無職の住所不定で勇者見習いの17歳。うん、なんか悲しくなるからこれ以上は止めよう。頑張ろう。


「あの~」


 意を決して、俺はカウンターの奥で隠れている店主へと声をかけた。二回、三回と繰り返すうちに、様子がおかしいことに気付いたのか、店主であるうさぎの耳に似たものが生えた獣人が立ち上がった。


「あっし、ですかい?」

「あっ、はい。そうなりますね。えぇと、実は――」

「命だけは御助けを!」


 えぇ……何その反応。この人は俺を何だと思ってるんだ。あっ、そうか。俺は人間か。さっき出て行ったやつらと同じということかぁ。

 と、自問自答し納得したところで、俺は再び店主へと話しかけとしたその時だった。


「あ、あんたら! 一体どうしてくれるんだ!」

「え?」


 脇の方のテーブルに隠れていた獣人の一人が声を上げた。俺はそちらへと体を向けると。


「ひ、ひぃぃ!? こっち見たぁッ!!」


 と、芸人真っ青なオーバーリアクションをかましてくれた。中々やるな、と秘かに感心していた。


「えっと、どういうことなんですかね。この有様のことですか?」

「そ、そんなことはどうでもいいんだ! あんたらがあいつらと喧嘩したことにだよ!」

「えぇと。それは何か問題があったんですか?」

「ワイルドウルフの討伐は、村の者たちじゃあできないんだ。だから、あいつらを雇ったんだ。顔も見たくない憎き人間達を。俺達は我慢してきたんだ。あいつらがワイルドウルフを討伐するまでだって……それをあんたらは台無しにしてくれたんだ。一体、どうして――」

「わかりました。じゃあ、ワイルドウルフは俺達に任せてください」

「くれるん――!? え、えぇ!?」

「だから、俺達が何とかします。事情はよくわかんないけど」


 そこに隠れていた獣人たちは顔を見合わせていた。あの人間は一体何を言っているんだ、と。人間がそんなことを言うはずが無い、あいつは人間の皮を被ったおかしな人間だ、などと好き勝手言ってくれている。


「ヤシロ、お前は……何を言ってるんだ」


 横にも若干一名、同じようなことを口にしている人がいた。もちろん、あそこの獣人たちとは意味合いが違うのだろうけれども。


「わからない。どうして、こんな厄介事を」


 と、セリンさんは呟いていた。俺は心の中で、それでいいと思う。

 勇者の力は、自分では無く誰かのために。時に理解されずとも、信念を曲げずに。ただ愚直に、歩みを進める。


「……そうだよね、じいちゃ」


 この世界を生きた藤堂疾風ならば。毎日のようにこの世界を語ってくれたじいちゃなら。きっと、同じように行動したと信じられるから。俺は間違っていないと、強く進んでいけるんだ。


 

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