9話
謎の女性との一件が落ち付いた後、俺とセリンさんは宿に宿泊する前に腹を満たすことにした。アンバーという村には、食事をする施設は多いとは言えず、三か所ほどしか見つけられなかった。
「選んでいいぞ」
と、セリンさんから許可を頂いて、俺は意気揚々と秘かに食事をするならここだ、と選んでいた場所をチョイスした。
「こ、これは!?」
そこは、アンバーにある酒場。この村に住まい生活する者たちが訪れ、大人たちは酒を飲み本日の疲れを清算する聖域ともいえる場所。そんな大人たちの喧騒に囲まれて、俺は愕然としていた。
「なんなんだ……?」
目の前のテーブルに置かれているのは、久しぶりのまともな料理のはずであった。俺は思い出す、あの親子の会話を。
「パパぁ、私久しぶりにあそこの料理が食べたいよ」
「あそこ、か。酒場のくせして、粋な料理を出しやがるからなぁ。よし、飲んだくれが集まる前にでもいくか!」
「うん!」
満面の笑みで二人の親子がここに入って行ったのを俺は見たはずだった。だからこそ、俺は期待していたのだ。きっとここは、普通の食事処と違って、玄人に好まれる隠れた名店であると。
「ちくしょう。あいつら騙しやがって。俺のときめきを返せよ……!」
「久しぶりの食事だからって、あまり興奮するな。これが最後の晩餐なんだ。しっかりと味わって食べるんだぞ」
「しかも最後の晩餐かよ!?」
「まぁ落ち着け。あまり興奮するな。ちょっとした冗談だ」
目の前に置かれた料理は、大皿三品。まず一品目はこれだ。俺は指を差してセリンさんに尋ねる。
「で、セリンさんこの料理は何?」
「カルバンベラの姿煮だ」
かるばんべらの姿煮、か。まぁ、姿煮なのはわかる。明らかに魚っぽいやつをそのまま煮込みましたぁ! って感じだからね。俺が気に入らないのはそうじゃない。こいつの顔の凶悪さと煮付けの色だ。
「なんで緑色なんだよ、食欲がわかないよ」
「そんなにおかしいか?」
「おかしいよ。なんかネチャネチャしているし。何かの体液使ってんじゃないの?」
「よくわかったな、ヤシロ。この色は、カルバンベラが死の間際に放出する液体だ」
「えぇ……」
平然と語るどころか、いつもよりトーンが半分くらい高い。ウソでしょ。セリンさん、こういうのいつも食べてるってことなの。これ、グロテスク料理に分類されるよ?
「……」
まぁいい。次だ次。気になるのはこれだ。俺は次なる料理に指をさす。それは、米を使った料理に見えた。
「これは?」
「カルバンベラのあんかけご飯だ」
またお前か!?
「だから緑色なんだ」
「あぁ、カルバンベラの体液は何にだって合うからな」
「えぇ……」
この世界に米があるのはありがたい。でもこれなら、普通に何もかけていない米が食べたかったよ。なんだよ、緑色の液体が乗っかったご飯って。
俺は何度目かわからないため息をついて、ためらいつつも最後の料理に指を向けた。
「……これは?」
「アルタニアベアと野菜の炒め物――」
ここまではまともな料理だ、ここまでは。
「生きたカルバンベラ添え」
「ふざけんなッ!」
嫌な予感は的中した。だって、緑色なんだ、こいつも。緑色なだけならまだしも、肉になんかウネウネネチョネチョしたの乗っかてるんだもん。姿煮とは違って大きさは大分ミニマムだけど、顔怖いんだもんこいつも。しかも生きてるし。つーか、カルバンベラってホント何だよ。汎用性高すぎだろ。
俺はひとしきり落胆した後に、重い頭を上げるとセリンさんが暗い表情をしているように見えた。
「すまない。まともな料理の注文もできない女で。これならば、ヤシロに決めてもらうべきだったな」
「い、いや違うんだ。そういうことじゃなくて」
「じゃあどういうことなんだ?」
「え、えぇと……いやあれだよ。ふざけんな、少なねぇぞ! って言いたくてさ。いやぁ、俺って実はカルバンベラを一回食べさせてもらったことがあって、食べたくて食べてたくてしょうがなくてね。ほら、この手の震え。武者震いだからね」
「そうか、それは良かった! じゃあ早速食べてくれ」
そう言うと、セリンさんは木製のフォークらしきものを渡してきた。俺は震える手で受け取った。受け取りながら、ダメージの少ない食べ物がどれであるか計算をする。
うずまく思考の結果、俺はカルバンベラの煮付けを選択する。
「ごくり……」
フォークを滑らせて、カルバンベラの皮を剥いでいく。見た時から気づいてはいたが、こいつは魚だな。骨っぽいのもあるし。
緑色の液体を避けながら皮を剥いだおかげか、緑色に染まっていない身をフォークで掴むことができた。セリンさんがもったいない、という顔をしているのは当然無視だ。
「南無三ッ!」
口の中へと運んだ。おっ、これ完全に魚ですわ。これならいけ――
「ヤシロ」
「え?」
「そうじゃない、ヤシロ」
セリンさんは指を差してくる。正に無慈悲な指差し。
「絡めるんだ」
「いやぁ、それは」
「か・ら・め・ろ」
「……」
やっぱり半トーン高い声だ。明らかにセリンさんは、善意で俺に対して勧めているのだ。このカルバンベラの素晴らしさを共有したいがために。それなら。
「南無三ッ!」
乱暴な手つきで俺は、緑色の液体に絡めた身を口に運んだ。ぬるっとした生温かい液体が口全体に広がっていく。
「……ん?」
酸味が効いたまろやかな味わい。ヘビーな見た目とは裏腹な優しさを感じる。酢のようなものがこれに含まれているんだろうか。残念ながら俺の好きな味ではないけど、これはこれで全然いける味だと思った。
勢いのついた俺の食欲は止まらず、三つの料理へ次々とフォークを伸ばしていく。本当に、久方ぶりの調理されている料理のせいか食は進んだ。が、その手は止まる。
「あれ、セリンさんは食べないの?」
「食べていいのか?」
「え、あっ、うん。俺が食べてよくて、セリンさんが食べちゃダメっておかしいよね。逆ならわかるけど……」
と言っても、セリンさんは黙ったままで食べようなどとしない。カルバンベラ嫌いなのかな、と思いもしたがそれなら彼女がそれを三つも注文するのは流石におかしい。それなら、何か違う原因がある?
俺は、セリンさんの目が泳いでいるのに気付いて、周りを見る。特にこちらを気にしているものはいないように思える。俺は目線を戻す。よくわからないが、それなら強制的に彼女の分を分けてあげれば済む話なんだろう。そもそも、大皿にフォークを突っついて食べていた俺の行儀も悪いか。
「どうぞ」
取り皿に取った料理をセリンさんへと渡した。遠慮がちだったがセリンさんはそれを受け取った。そしてぽつりと一言言う。
「すまない」
ちょっと様子がおかしいことに気付きながらも、俺は続けて他の料理も彼女へと分けてあげた。セリンさんはそれを伏し目がちに受け取り、とても静かに食していた。
そういえば、セリンさんこの村に来てから様子がおかしいな。大分おとなしいというか縮こまっているというか、遠慮しているというか。どういうことなんだろう。
――愛想のねぇ奴隷だぜ。
ふと、門番をしていた男が言っていたことを思い出す。
――そういうことじゃないのよ。あいつらが怯えているのは。
確かあの女性だってそんなことを言っていた気がする。胸騒ぎがする。まさか、とある考えに行き着いた時だった。酒場のドアが乱暴に開かれた。
「邪魔するぜ」
遠慮ない足音が店内に響く。響く、いやそれはおかしいだろ。
「酒だ。とりあえず酒を持ってこい」
「は、はい!」
「あと肉もな。一番いいのもってこいよ」
「はい!」
セリンさんは食べるのに夢中になっているため、気づいていない様子だが、ドアが開いてから明らかに店内の様子は一変した。先程までの宴会状態はどこへ消えたのか、グラスを置く音すら聞こえない葬式のような雰囲気になった。変わらず俺の耳に入ってくるのは、セリンさんが美味しそうに料理を食べる音だけ。てか、やっぱ好きだったんだ、カルバンベラ。
「いつまで待たせんだ! 人間様を待たせるんじゃねぇ!」
「はいぃ! 今すぐ持っていきやす!」
「へっ、ぶるってやがるよ。その辺にしておこうぜ」
「まぁ、そうだな。弱い者いじめをしたって何も楽しくねぇからな」
続いて聞こえるのは不快な笑い声だった。さすがに我慢できず俺は振り返って辺りを見渡した。その男たちを囲うように座っている獣人たちは、巨躯な体を小さくして酒を飲んでいた。あからさまに二人のことを意識していて、下手な動きを見せないようにゆっくりとした動作で、何も喋らずに座っている。
次に目に入るのは、中央のテーブルに足をのせて座っている二人の男。人間だ。昼間の出会いを入れて、3、4人目。そんなことを考えながら見ていると、俺はモヒカンの男と目があった。お互いに、あっ、といった表情をしていたと思う。
俺は不味いという感情から、相手は素直に驚いたという感情から。だからこそ、俺は先に動けなかった。
「おい! あいつ人間だぞ!」
と、指を差されてしまう。当然、もう一人の男も俺の存在に気付くわけで。お前もな! なんて突っ込みをすることもできず。
「おぉッ! 人間じゃねぇか!」
厄介なことに、二人の声は敵対的などではなく、友好的に感じ取れてしまい。どうしよう。と心の中で呟いてしまった。
こちらとしては特に親しみなど感じないばかりか、不快要素が強いわけで、でも相手は友好的で一方的に嫌っているのはこちらということになってしまう。ここは、どう切り抜けるべきなのか、セリンさんに指示を仰ごうと試みたが。
「もぐもぐもぐ……」
いつの間にか大皿にまで手を出していて、まるでこちらの様子など眼中にないと語っていた。俺は腕を組んで、ろうそくの火で照らされていない暗い天井を見上げる。そして、一つ息を吐いて結論を出した。
「よし、とりあえず無視をしよう」
手にフォークを持って、カルバンベラの姿煮へと手を伸ばしたのだった。俺は知っていた。こんなことでどうにかなるわけではないことを。だからこそ、料理へと手を伸ばしたのだ。
セリンさんが最後の晩餐と言っていたから。食べられなくなる前に、食べておこうと思ったのだった。




