8話
見晴らしの良い草原に囲まれた村。緑豊かなこの場所は、豊富な資源に恵まれていることが一番の特徴だとセリンさんは語っていた。村の名前は、アンバーと言うらしい。
アンバーへとたどり着いた俺達は、特に問題など無く村の中へ入ることを許された。その時に、なぜか門番をしていた獣人の男が俺に対してこう言った。
「旦那。羨ましいですねっ! こいつぁ、上玉中の上玉じゃねぇっすか!」
「は、はぁ……?」
「またまたぁ、とぼけちゃって! 旦那は若そうに見えてやり手ってことですねッ!」
意味がわからずセリンさんの方へと助けを求めたが、彼女は表情を変えずそのまま先に歩いていったのだ。そして、男はこう呟いていた。
「愛想のねぇ奴隷だぜ。旦那も大変ですねぇ」
と、うすら笑いを浮かべていた。
「……あれはどういう意味だったんだろうか」
正直な話、予想できないわけじゃない。彼女が自分のことをさげずんていることと、あの男の対応、それに奴隷という言葉。いくつかつなげられる予想はある。
でも、セリンさんの凛とした背中を見つめると、予想全てが外れているような気がする。
「おい、ヤシロ」
そんなわけない、と。俺は思ってしまう。じいちゃが救って、素晴らしい世界に変わったはずの魔法の世界が、そんなつまらない人種差別をしているなど。俺は信じたくなんて無かった。
「ヤシロッ!」
「は、はいッ! 藤堂社は――何もやましいことも、エロい妄想もしてませんッ!」
「……そんなに怯えるな。私はただお前のことを呼んでいただけだ」
「はい! どうなさいましたか? セリンさん!」
あえて元気良く彼女へと接すると、セリンさんはあからさまに嫌そうな顔をしていた。というよりもこれは、呆れ顔といえばいいんだろうか。それとも、こいつ逝っちまってる、なんて表情だろうか。
「私は今夜の宿を探しに行く。ちょっとこの広場で待っていてくれ」
「え……?」
と一方的に告げて、彼女は去っていった。俺は思う。
「別に俺も連れて行ってくれてもいいじゃん」
そう思いもするが、これは彼女なりの気遣いなのだろうか。それとも俺の存在が邪魔だというのだろうか。
どれも憶測にすぎず、短すぎる付き合いの俺にはわからない。まぁ、とりあえず座るか。
「……固いな」
ベンチっぽい椅子は、とても堅そうな石で作られていた。ならば固いのは当然だろうという突っ込みは心の中でして、俺は村を見渡す。
様々な種族が暮らすこの村であるが、村人同士の中は円満なのだろうか。なごやかな時間が流れているように見えた。まるで平和な街並み。俺がいた世界と違う点といえば、ただその平和を演出しているのが人間ではなく、様々な種類の獣人達が演出しているという点だろう。
こうして考えるとまるで動物園のようだな。と思った。もちろん、俺が見世物の動物園に違いないわけだが。この村に入ってから、この世界に来てから俺は、人間と呼ばれる人種に一人しか出会えていないのだ。
「でも、動物園にしては観客数が全く足りてないよなぁ」
物珍しいはずの人間の俺だが、一向にこちらを見ようとする者どころか、誰も近づいてこようとなんてしない。獣人の子供さえ、俺と目が会ったら、あっ……、なんて具合に視線を逸らしてどこかへと消えていく。これってもしかして。
「……臭い? もしかして俺って臭いか!?」
必死にずっと着ている制服の匂いを嗅ぐ。少々汗っぽいような気もするが、肌寒い気温のおかげかそこまでひどいとはいえないだろう。
同時に匂いで思い出して俺は欲求に駆られる。風呂に入りたい。まともな食事を食べたい。人間らしい生活をしたい。なんてわがままを考えてしまう。
これまでが恵まれていた。そう思えばそうなのだが、それを認めるには日数がまだ足りていない。
「はぁ……」
などと、脱線して考えてもしょうがないことを考えていたのに気付き、大きなため息をついた、その時だった。
「大丈夫よ。そこまで匂わないわ」
「ん……?」
「そういうことじゃないのよ。あいつらがビクビク怯えているのは」
隣に、人間がいた。青い髪に青い瞳。三角の帽子をかぶった艶めかしい女性。
「う、うわぁ! 人間だ! 人間がここにいるぞぉ!?」
「失礼ね。あなたも人間じゃない」
「あっ、そうか。俺も人間だった」
立ち上がり奇声を上げてしまったが、俺は落ち着きを取り戻して何事も無かったかのようにベンチに座った。うん、やっぱり固い。
という感想は置いて、いつの間にか隣に座っていた人間(しかも女性)に目を向ける。この世界の者にしては露出が激しい。青いドレス、なんて言えばいいのだろうか。タイトなスカートは丈が短く、かつ豊満な胸がかなり露出されているのだ。
本来であればその色香に惑わされてしまいかねないが、セリンさんで鍛え上げられた耐性が俺を冷静にさせる。見破るは、彼女の去り際に使おうと。冷静でかつナイスな判断ができたのだ。
「へぇ」
「何ですか?」
「結構かわいい顔してるわね。タイプよ」
「そ、そうっすか……」
今使ったろうか。と、心が揺らいだが、強靭な精神で何とか踏みとどまった。いかんせん、得体の知れない相手だ。近づいてきたのさえ勘付くことができなかったし、この世界では二人目の人間との遭遇だ。場合によっては、カイ=オルフェンスの味方なんて場合もある。というか、その線が一番濃厚だ。
あいつは確か、聖都の勇者なんて話もしていた。おそらくあいつの仲間に人間がいてもおかしくないし、もしもの時に備えてこの村で待機していたのかもしれない。とにかく怪しい。ひたすら怪しい。怪しいのは分かっている……! でも――
「ちょっと左手を見せてもらってもいい?」
「えっ、あっ、その」
「私、占い師なんてのをやってるのよ。ねぇ、ほら。いいでしょ? ちょっと見るだけだから」
「い、いや。それは」
抗えない。俺の未熟な部分が抗うな、と叫んでる。手を握ってもらえと、叫んでるんだ。だが、何度だって言おう。俺はそんな安い男じゃない。ちょっと色気にさらけ出されたぐらいで俺は!
「ちょっとだけですよ」
あっけなく手を差し出した。後悔など一切感じずに、目の前の理を追求したのだった。横にいる女性は一言感謝の言葉を述べると、俺の掌をジロジロと眺める。そして、極めて真剣な眼差しで凝視したのだった。
「貴方の運命は、一つじゃない。でも」
「……え?」
「貴方はきっとつらく険しい道しか選べない。だからこそ、覚えていなさい。時には、どうにもならないことをどうにもならないって言える勇気と、他人から手を差し伸べられるのを求めること」
雰囲気が変わった。艶めかしさはどこかへと消えて、俺は彼女の青い瞳を見つめることしかできない。視界にそれ以外入れることを許されない。これは、魔法なのだろうか。と一瞬疑問が浮かぶがすぐにその考えは消え去っていった。
「貴方は本物の勇者じゃないんだから」
「俺は!」
「ね?」
「……そう、ですね」
代わりに生じたことは、この人が何者なんだろうという疑問。敵という線が濃厚であったのは間違いないが、敵であるならばこれらの発言はおかしい。だが、一概にそうとも言えない。
結局のところ、俺にはわからない。でも、たった一つだけわかることはある。
悔しい。勇者じゃないと否定され、あっけなく肯定してしまったことに。そしてほんの一瞬でも、俺は俺の目指す勇者になれないと思ってしまったことに。
情けない。せめて、前言を撤回をしなければと口を開こうとした時だった。目の前の女性の顔の真横から鋭利な刃が飛び出してきた。ちょっとちびりそうになったのは内緒だ。
「貴様、何者だ?」
「私はねぇ――」
目の前の女性が動じることは無かった。俺の手を離して、右手で刃を優しく撫でた。すると、何か不穏な気配を感じ取ったのか、瞬時にセリンさんは剣を手放し拳を突き出す。
「なっ!?」
が、目の前にいたはずの女性は背後にいたはずのセリンさんの後ろに立っていた。瞬間移動。この言葉がぴったりなほどであった。
「名乗るにはまだ早いわ。また会いましょう、偽の勇者君」
という言葉を残して、今度は完全に姿を消したのだった。セリンさんが落とした剣の刃は凍っていて、地面から冷気が舞い上がっていた。しばし俺はそれを見つめていたが、手にかすかな違和感を感じた。
「ん……?」
「ヤシロ。あいつは一体――」
俺の掌には綺麗な青い石がついたネックレスが残されていた。ほぼ同時に、それに気づいたセリンさんは顔を近づけて眺める。そして、一言呟いたのだった。
「これは、精霊石……?」
またしても、この世界でしか使われないワードが出てきて、何もわからない俺は首を傾げることしかできなかったのだった。




