再開戦
旧ハイラット王国王都・ユラステル
軍司令部として機能している王城の一室で、ローブを羽織った男と騎士甲冑姿の2人の人間がテーブルを挟んで帝国軍人と対峙していた。
「ロマニライ国王より特使の命を受けたエルガーダと申します。」
「帝国陸軍ハイラット派遣軍指揮下、第1軍司令官のルフトバルト中将だ。」
宝石をあしらったローブを着ている男、エルガーダは丁寧な口調で話しながらも内心で軽蔑していた。彼の目の前に座っているルフトバルトと名乗った白狼の獣人だけでなく、部屋に居る亜人は全員が生意気にも仕立てのしっかりした衣服を着ている。
亜人は奴隷か下層市民だという常識の中で生きてきたエルガーダにとって、亜人が軍の指揮官をしているという光景は滑稽なものにしか見えない。
「それで、わざわざロマニライ王国の特使殿が何用でこの様な場所へ?」
背もたれに体重をかけながらルフトバルトは問うた。気の短い貴族ならば既に怒り狂っているだろうが、エルガーダはいたって平然としていた。
「我が国の国王陛下よりヴァンセス帝国への要望をお伝えに参りました。」
「伺いましょう。」
自分が渡した書状には速やかなるハイラット王国からの撤兵、賠償金の支払い、毎年の奴隷献上、ヴァンセス帝国皇帝をロマニライ第二王子の側室にするといった内容が婉曲な表現で書かれている。
領土の割譲を要求されないどころか下賤な亜人が大陸の覇者たる王国の王子に娶られるのだ。こんな破格な条件なら諸手を挙げて喜ぶだろう。
「・・・・・・貴方はこれを一国の君主に対して要求する事が正しいとお思いなのか?」
「聞けばヴァンセス帝国の王族はエルヴィア皇帝ただ一人だというではないですか。いずれ世継ぎを生ねばならぬのなら、血筋としては申し分ないでしょう?」
「我々が貴国の要求を拒むならば?」
恐らくは亜人が大国の王子に嫁ぐことなど想像できずに戸惑っているのだろう。
「断る理由は無いかと思いますが、その場合はあまりよろしくない結果になるかと。」
「・・・今すぐ返答しても良いが外交は私の職務ではない。本国に確認を取りたいのだが、少々お時間を頂いてもよろしいですかな?」
「では1ヶ月後にご返事を聞かせて頂きます。」
本国に確認するという形で返答を先延ばしされるのは折り込み済みだ。しかし提示した1ヶ月という期間を延ばすことは無い。
「いや、1時間も掛かりますまい。おくつろぎを。」
「え? いや・・・分かりました。」
どういう事だ?この場に決定権を持つ者が居るとでもいうのか。
或いは通信具を持っていて・・・いや、亜人がそんなものを保持している筈がない。それに通信具の使用には並外れた魔法の技量が必要だ。単に魔法力があれば使えるという類いの道具ではない。
では一体・・・。
あれこれ思考している内に1時間が経ってしまったようで、軍司令官だという先ほどの白狼の亜人が戻って来た。
「本国に確認しました。これは書状の内容を我が国の公用語で書いたものとなります。」
「では賠償金から話し合いを始め・・・」
「寝言は寝てからほざけ、屑が。」
「・・・はい?」
「これは貴国が帝国にどの様な要求をしたのかをしっかりと記録し、後々の言いがかりを防ぐためのものだ。」
訳がわからない。罵倒や恨み言を浴びせられるのは職務上全く無い訳ではないが、それでもこんな事は初めてだ。
「・・・何を仰っているのか理解しかねますが。」
「我々は貴国の一切の要望を拒否するということです。」
◆◆◆
特使の帰還後、ロマニライ王国軍は間髪を入れずにユラステルへの攻撃を開始。それに対して占領軍である第1軍は隷下の第5師団を迎撃に当たらせた。
師団砲兵隊には軍司令部直轄砲兵隊ほどの火力は無いが、それでもロマニライ軍の撃退には十分過ぎた。
甚大な被害を被ったロ軍はユラステルから退却し、残存兵は西部の主要都市に駐留している友軍と合流。部隊の再編成とユラステルへの再攻撃を画策していると予測された。
ロマニライの行動を受け、国防省はこれ見よとばかりに戦線拡大の不可避を主張。各省庁は渋々ながらもロマニライとの戦争を了承し、戦線不拡大の急先鋒だったリリーム大蔵大臣すら限定的な攻勢を認めた。
そして今、何処まで攻めるのかを最終決定するために再び御前会議が行われていた。
「国防省としては迅速なる敵首都の包囲・占領でもってロマニライ王国を帝国の版図に取り込むべきかと愚考致します。」
「反対です。首都の制圧に拘ってはハイラットと同じ結果となる可能性が極めて高い。」
前回の御前会議と同じようにリリーム大蔵大臣が、しかし以前にも増して眼光を鋭くしながら意義を申し立てた。
「ハイラットでは後ろ盾のロマニライが出張って来た訳ですが、ロマニライを超える国が無い以上は最早これ以上の戦争拡大はあり得ないでしょう。」
「戦火が広がらずとも占領地行政を担う職員の絶対数が足りません。暫くは軍政を続けるとしても引き継ぎ先が無ければ話になりますまい。」
「作戦方法にも問題があるのでは?地上を丁寧に進撃していてはハイラットと同じように首都を脱出する猶予を敵に与えることになります。」
「この国防省の資料には海上から艦砲射撃を加える作戦の検討もされたとありますが、それだけでも構わないのでは?」
攻勢を仕掛ける範囲のみならずその方法や投入兵力にまで各省のトップから国防大臣に批判が相次いだが、各省の認識にも少なからずズレがあり、中々妥協点は見出せなかった。
そんな中でボクはある報告書から1つのアイデアを思いつき、右腕を半分上げて大臣たちの議論を中断させた。
「サトナカ外務大臣。」
「はい。」
「確かロマニライの第一王子が貴族たちの反対を押し切って戦争を強行しているんだったね。」
「はい。ロマニライ王はここ数年臥せっているらしく、次期国王の第一王子が国を主導する存在となりつつあるようです。」
国防省と外務省の調査によれば現王はかなり重篤らしく、実質的に第一王子が実権を握っているようだ。
ただ貴族たちの反対などを見ると、その権力基盤は必ずしも盤石なわけでも無いらしい。なら・・・
「王族の直轄領についての情報は何かある?」
「少々お待ちを・・・。ええ、首都の他に大規模な鉱山を有する領地が3つほど。それに交易都市が2つと、港町のシャウトフルクがある海沿いの領地が主だった王族領となります。」
シャウトフルクはロマニライ第二の首都と呼ばれ、大陸最大を自称する港湾都市である。
「アイレス。」
「はっ」
「シャウトフルクに対して海からの上陸占領は出来る?」
「シャウトフルクですか? 事前準備にお時間を頂けるのならば十分に可能ですが・・・」
「陸軍が旧ハイラットとロマニライの国境を越えると同時に海軍がシャウトフルクを落とすというのはどうかな?」
アイレス大臣は後ろに控えていた官僚を耳元に呼び、僅かな相談をした上で発言に移った。
「確かに・・・そのまま国境を越えただけでは初期だけでもロマニライ国内の団結に繋がる可能性が無いとは言えませんな。逆に王族領と貴族領を同時に攻めれば第一王子と貴族達の対立を煽れるかも知れません。」
「しかしシャウトフルクを落とすのは容易でも占領維持は難しいのでは?」
他の大臣からなお異論が出る。
「ならば海軍の戦艦でも留まらせて占領部隊の支援に充てましょう。それならば重砲の類いを欠いた陸軍部隊でも防衛が用意となります。」
その後は時間が掛かったものの、作戦の開始時期や陸地での進軍範囲、占領方針についての一応の合意形成は成し得た。