拡大2
ヴァンセス帝国軍に占領された王都ユラステルの住民は当初、統率された亜人の集団に驚愕と恐怖した。
他国に占領された都市など略奪と陵辱の限りを尽くされるのが常識だ。何よりハイラット王国自身が領土拡張の際にそういった行為を繰り返しており、特に兵士を経験した住民は帝国軍の接近に際して我先に王都から逃れていた。
だが様々な理由から首都を離れられない者や逃げるには遅すぎた者たちは、征服者たる帝国軍の狼藉を受け入れるしかないと半ば諦めにも似た感情を抱いていた。
しかしそれは大きな誤解であったことを王国民は直ぐに知ることになる。
市街の各所には甲冑姿の王国兵に代わって軍服姿に歩兵銃を携えた帝国陸軍将兵が立ち、所々に帝国旗が掲げられている。
「告げる‼︎ 」
王城前の広場に可能な限りの住人が集められると、王城を囲む外壁の上から拡声魔法で呼びかけが行われた。
「ユラステルは我らヴァンセス帝国軍の占領下に置かれる事となった‼︎ だが案ずることは無い‼︎ 我々は略奪などといった狼藉は働かぬし、諸君らにはこれまでと変わらぬ生活を保障しよう‼︎ 」
集まっていた聴衆は一様にどよめきだした。
その後は住民統計の把握と並行して診療所の開設や炊き出しが行われ、住民達は戸惑いつつも帝国軍による占領を受け入れていった。
しかしその一方、堂々とした態度の裏で王城を司令部として接収した第1軍の幕僚達は険しい顔をしていた。
「捜索隊からの報告はまだか!?」
「未だ何も・・・」
「くそっ! 甘く見過ぎたか!」
余りにも抵抗無く首都を制圧出来たかと思いきや捕らえるべき王が既に逃げ出していたという事実に、第1軍司令部は焦燥していた。
「やはり航空隊や飛行猟兵も捜索に駆り出すべきでは?」
「航空隊は本国の飛行場から飛んだのでは捜索範囲がかなり制限される。近場に飛行場の設営を始めるにもまだ暫く時間が掛かるだろう。勝手に進めれば本省の施設局からクレームの嵐だ。下手をすれば更迭だってあり得る。」
平時において陸軍工兵隊は帝国内のインフラ整備を一部担っており、鉄道や飛行場の建設は国防省施設局が国土省の鉄道局や航空局と打ち合わせた上で裁可する規定となっていた。
軍事的な観点からのみでは国土計画との整合性が確保出来ないという理由によるものだったが、これまでは帝国が経験した戦争は戦域がそれほど広大ではなかったことに加えて、圧倒的な軍事格差もあって大きな問題とはならなかった。しかしここにきて弊害に直面した格好だ。
また飛行猟兵とは吸血鬼や龍人族など空を飛ぶことの出来る種族による部隊であり、その全てが精鋭と言っても過言でない程の実力を持っている。
「飛行猟兵は数が少ない上に派遣軍総司令部の直轄だ。ゼストール閣下に我らの無能を喧伝するのか?」
「しかしこれだけ探して進展がないとは、いささか不自然では無いでしょうか?」
「・・・陸ではなく海へ逃げたというのか?自国の海軍が壊滅しておいて海路を使うほど敵が無能だとも思えんがな。海軍からの報告も無しだ。」
暫くの後に港町での調査により、王族や貴族達とみられる者たちが船に乗り込む姿が目撃されていたことが判明すると、第1軍司令部の面々が顔面蒼白となった事は言うまでもない。
◆◆◆
ヴァンセス帝国 帝都
参謀本部庁舎の会議室に帝国軍の高級幹部が集まっていた。
「ハイラット王の逃亡先は資料にある通り、ロマニライ王国と判明しました。」
ダークエルフの参謀将校が簡易な説明をする。
ロマニライ王国はハイラット王国とは違って300年近い歴史を持つ王朝であり、支配地域も帝国よりは小さいが周辺の国家とは比較にならない程に大きい。
ハイラット王国は政略結婚によってロマニライという後ろ盾を得ることに成功し、のし上がる事が出来た経緯がある。友好国を救うという大義名分の下に、ロマニライが派兵することは容易に想像し得た。
「予想通りだが、厄介な事に変わりは無いな。」
「ロマニライに勝利するだけなら簡単なのだが・・・勝つだけなら。」
列席する将校達は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。
王族を取り逃がすという失態によって軍は他の官庁から批判の的にされ、戦争遂行に於ける軍から他省庁への要求は快諾されなくなっていた。
開戦前に定められた事前計画では、首都と王族を確保した上で帝国に従順な者を王国の支配者に祭り上げ、国としての体裁は保ちつつも、東部領土の割譲や鉄道敷設権及び沿線の治外法権を始めとした条約により事実上の従属国にすることで、戦争の長期化と余計な統治コストを避けるとされていた。
短期での戦争終結を目指すための要である王族の確保に失敗したという事実は、軍の立場を大いに損ねる失態だ。
また単純に現地軍司令部の判断ミスだけでなく、陸軍・海軍部隊間における連絡体制の不徹底や工兵隊の施設建設を巡る管轄・規定の問題など、組織としての問題が少なからず響いた結果としての失態である為に、前線司令部の幹部を更迭して終わりとはいかなかった。
「さらなる予算要求は厳しいぞ。陛下を説得しようとすれば先ず大蔵省は黙っていない。」
「全く、戦費を出し渋るとは・・・守銭奴共め。」
「ならばその守銭奴どもに殴り込みでもするか?それこそ我々が近衛憲兵に何を言われるか・・・」
「リーゼ長官が怖いとでも言いたげだぞ。」
からかい気味に問われた将校は不機嫌に言い返した。
「・・・私が小娘に怯える腑抜けに見えるのか?あの同性愛者で拷問が趣味の変態女に睨まれると仕事がしづらいだけだ。」
リーゼ長官とは近衛憲兵庁という機関のトップに君臨している龍人族の女性だ。近衛憲兵庁は日本で例えるならば警察庁警備局と皇宮警察が警察庁から分離独立したような行政機関であり、皇帝の身辺警護と国家公安を司る組織である。
特に官吏の不正行為を徹底的に摘発するリーゼ長官は各省庁の官僚や軍人から多かれ少なかれ恐れられていた。
「優秀なだけにタチが悪い。ウチの狂犬と本当にいい勝負だよ。」
「全くだ。」
多少の愚痴を零しながらも議題に沿って会議が進められる。
「軍政を敷いている各都市についてだが、早速内務省が出張ってきた。軍の負担軽減の為に早急な民政移管をすべきなどと尤もらしく言いながらな。」
「内務省主導の統治、というおまけ付きだろ?」
内務省は古今東西の例に外れず各省庁の中でも絶大な規模と権限を誇る巨大官庁である。軍と言えども正面から対立するのが得策では無いことは共通認識の範囲だ。
「当然そうだろう。元より統治に関しては向こうの管轄だ。いずれ占領地の行政を内務省が主導すること自体は仕方ないが、我々軍の事情を考えないとなれば話は別だ。」
「まぁ内務省が好き勝手するにも限界はあるだろう。国土省や商工省を敵に回してでも無理矢理に利権を得ようとすればリーゼ長官が出てくる。」
「あれは女である陛下に忠誠と言うより恋心を抱いてる様な女だ。不正の疑いがあれば誰だろうと容赦はせん。」
「単に男が嫌いなだけじゃないか?優秀なのは間違いないが、近衛憲兵庁の半数以上が女というのは・・・」
進行役の中将が咳払いした。
「雑談の為に集まった訳ではあるまい。今後のロマニライへの対処だが・・・」