開戦
ハイラット王国はいわゆる強国“だった”。
かつては吹けば飛ぶような小国の一つに過ぎなかったのが徐々に勢力を拡大させ、文字通り剣と弓の力で列強の一角として名を馳せるまでに至った。
そんなハイラット王国が魔の領域と呼ばれる土地に進出を始めたのは5年ほど前の事だ。
魔の領域は王国から見ると東に広大な森林の広がる土地なのだが、熟練の騎士でも対峙した時は落命を覚悟する魔物と呼称される凶暴な生物が大量に徘徊しており、とても人の住める場所ではなかった。
しかし7年ほど前を境に、それまで森から滅多に出なかった魔物が大量に出現して多くの被害が出たのだが、2年後には嘘のように魔物の姿が見えなくなった。
まともな国があるはずが無い土地だった事もあって農地拡大や鉱山開発を目指して開拓を始めたのだが、その後魔の領域に国家が存在することが判明した。
亜人が中心だという前代未聞のヴァンセス帝国と名乗る国家の存在にハイラット王国は当初困惑したが、拡張主義の真っ只中にあった王国は魔物による被害を帝国の責任だと一方的に非難し、高圧的な態度で賠償と土地の領有を主張。これに対してヴァンセス帝国は一切の要求を拒否し、以後は国境付近で小競り合いが頻発するようになる。
それから5年の月日が経過し、他国との戦争や外交課題をひと段落させたハイラット王国は本格的な帝国領内への侵攻計画を実行に移した。
しかしそれは虎の尾を踏むどころではなかった事を、王国軍は身を以て経験することになる。
◆◆◆
帝国陸軍・ハイラット派遣軍司令部
「閣下‼︎ ハイラット王国軍の越境を確認しました‼︎ 規模は偵察の通り約6万の模様です‼︎」
「砲兵隊へ通達。各隊は事前の攻撃計画に沿い、担当区画の敵兵を吹き飛ばせ。」
派遣軍総司令官、虎人族のゼストール陸軍大将は通信兵に命令を下すと煙草をふかし、戦域の状況が示された地図を眺めた。
地図には王国軍を示す黒い駒が西から向かっているのに対して、それを迎え撃つべく塹壕に待機する歩兵部隊や帝国陸軍が誇る重砲兵隊の陣地を表す部分には赤い斜線が引かれ、その後方には数個師団規模の兵力が待機していることが示されている。
「フゥーッ、しかし学習しない連中だな。これまでの小競り合いで銃の存在は知っているだろうに。剣や弓で重砲や機関銃とどう戦う気だ?」
「情報局の話では、国境沿いに領地を持ち、我が帝国の脅威を訴えた貴族や有力者の多くが臆病風に吹かれたとして失脚させられたそうです。おそらく王国軍の中に我々がどの様な存在なのか正確に理解している者は居ないでしょう。」
「愚かだな。」
「「正に。」」
ゼストール大将の言葉に周りの者が同意すると、参謀の一人が疑問を投げかけた。
「しかし独立重砲兵はともかく列車砲大隊まで初期から動員するのはやはり過剰なのでは? 相手は剣や投石機が主流の集団です。下手をすれば歩兵銃や歩兵砲だけで撃退も可能でしょう。」
独立重砲兵は師団司令部に隷属せずに直接軍団司令部か総軍司令部の指揮下に置かれる部隊であり、機動力は乏しいが射程・威力の高い大口径の重砲を運用する。
またこの世界は地球で言うところの中世レベルの国家が大半で大砲が誕生してから日が浅い。その中で帝国はエルヴィア皇帝の言わば前世の記憶に基づく施策によって、他国と比較して驚異的な発展を遂げていた。
「戦闘が始まってから足りないと騒ぐよりはマシだろう。いくら我々と比べて骨董品の軍隊だろうと敵は叩ける内に叩くに限る。」
他の参謀が答えた直後に重砲の砲撃音が鈍く響いた。
「始まったか。航空隊にも爆撃の準備をさせておけ。弾着観測だけでは連中は消化不良だろうからな。」
「はっ‼︎」
ゼストール大将の指示を受けた参謀は即座に己の職務を遂行すべく行動を始めた。
◆◆◆
帝国への侵攻を目指していたハイラット王国軍を殲滅したヴァンセス帝国軍は、すかさず王国領内への逆侵攻を開始。派遣軍は第1軍(王都攻略)、第2軍(北部国境の把握)、第3軍(南部の占領)の3軍で構成され、南方の海上には海軍も展開していた。
南北の第2、第3軍には混成大隊を基幹とした部隊が幾つか当てられているが、これは亜人の中でも特殊性の高い種族で構成された部隊や機甲部隊など実験的要素の強い部隊を指す。
帝国軍は近代国家に於ける軍隊を目指して作られた組織だが、亜人各種の向き不向きや他国の状況などから進歩している部分と停滞している部分があった。
例えば機甲部隊などは他国に戦車を運用する軍隊がない為に必要性が乏しく、従って戦車の開発は積極的にされずに精々が装甲車の性能向上に留まっていた。
その様な理由で戦車部隊は実験部隊の性格が強く、陸軍の予算の多くは機械化歩兵や砲兵隊の整備、軍用鉄道に当てられている。
一方で海軍はかなり発達していると言えた。ヴァンセス帝国は海を挟んだ別の大陸の海洋国家と長年対立していたが、ハイラット王国と接触する数年前に帝国は海洋の制海権を掌握しており、それまでの過程やエルヴィア皇帝の方針から旧日本海軍に近い強大な組織へと成長していた。
また最近は航空機の開発も進み、将来的には空軍の設立も検討されていた。