手打ち
前回の投稿より時間がかかり申し訳ありません
米国工作員によるシャリア・ブラウバルド中佐拉致未遂から5日後、エルリランスたち視察団と日本側の協議が行われた。その結果、視察団の一時帰国でひとまず事態の収束が図られることとなる。
帰国時には米側の横槍も想定されていたが、拉致実行者らの遺体の状況に加え、日本側へシャリアが千切った遺体の指や銃器が提供され、同時に提出された報告書に実行者の一人の事細い経歴や家族構成、性格や病歴などのあらゆる情報が書かれていたためか、一切手出しが無かった。
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帝都 皇城 大会議室
ガヤガヤ・・・ガヤガヤ・・・
広々とした空間に巨大なテーブルが鎮座し、その周囲には各省の大臣、副大臣、事務次官、省によっては審議官や官房長、局長級の幹部が補佐の部下と共に顔を揃えていた。
甲種御前会議
重要案件における帝国政府の意思統一と皇帝エルヴィアに対する最終的な上奏、正式な議事録作成のために開かれるこの会議は、基本的に事前の協議などでその内容は殆ど決まっている。
形式的な意味が強いものの、政府としての見解が部署によって相違の無いようにすることを目的としており、かつ女帝に対して最終結論を報告する場でもあるため、帝国政府において最も重視される会議の一つだ。
また甲種に対して、皇帝が閣僚などと共に意見を交わす会談の場は乙種御前会議と呼ばれ、単に御前会議という場合はこの乙種を指す。
「皇帝陛下、御入室‼︎ 」
騒ついていた会議室が静寂に満ち、皆が立ち上がる。
入室した皇帝エルヴィアの着席を待って、会議参加者が一斉に腰を下ろした。
「これより、日本国に対する我が国の外交方針に関する甲種御前会議を行います。」
議事進行役のヤスト宰相が会議の開始を宣言する。
「まず最初に、日本にて発生した我が国の視察団員拉致未遂について、外務省のブローニル課長より説明を。」
指名されたエルリランスは静かに立ち上がり、口を開いた。
「外務省総合政策局のブローニルです。訪日視察団の代表として日本へ赴きました私から、皆さまへ説明をさせていただきます。」
事前に用意された付随資料に沿って、拉致未遂事件の概況を説明していく。
「・・・以上が事件の経緯です。また今回の件について、シャリア・ブラウバルド中佐の行動に過剰な部分があった事は否めませんが、根本的な責任は日米の2カ国にあり、帝国に問われるべき責任は一切ありません。」
概要説明の終わりにエルリランスが発した一言に対して、国防省関係者は眉をひそめる。
国防省としてはシャリア中佐にも騒動の責任があるとも聞こえる報告は受け入れ難く、事前調整にて外務省と相当な駆け引きを繰り広げていたのだ。
最終的にはヤスト宰相の説得もあって外務省に譲歩した国防省だが、外務省に対して好ましい感情を向けられないのは当然と言えた。
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トラク諸島 合同行政庁舎
女帝の大号令により開発が進められているトラク諸島。その中心となる島の一角にて、各省庁の現地事務所として建設された建造物が存在感を放っていた。
突貫工事とは言え、陸海軍に於ける建築のプロフェッショナル達が集結して作られた施設だ。抜かりは無い。
庁舎だけでなく、諸島全体の開発も国土省や国防省を中心に、全省庁が予算の確保から都市計画策定、資材調達、労働力の投入とあらゆる面で全力を尽くしている。
日本との外交・経済交流の第一次拠点として、更には地球各国に帝国の国力を示すという副次的な目的もあり、トラク諸島開発はまさにヴァンセス帝国の威信をかけた大開発プロジェクトだ。
そのような場所で、接岸した船舶より日本側の外交担当者たちが埠頭に降り立った瞬間から、両国の駆け引きが始まろうとしていた。
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「こちらの乗用車にお乗りください。」
「・・・手厚いもてなしに感謝致します。」
埠頭から合同庁舎までのそれほど長くない距離を、あからさまに多数の帝国兵が装甲車や兵員輸送トラックに乗り込み、日本外交団の護衛として同行する。
この島どころか周辺の海域を含めても、帝国軍及び帝国政府関係者しか居ない中でだ。
その光景は、帝国の日本視察時における日本側の落ち度を示しているようであった。
到着した合同庁舎周辺にも大隊規模と思えるほどの多数の歩兵が陣取っており、まるで軍団司令部を警備しているかのようだ。
そんな居心地の悪さが最高潮の空間を歩き抜いた外交員たちを、庁舎内の会議室にて帝国側の代表として迎えたのはダークエルフの外務官僚、エルリランス・ブローニルであった。
日本との折衝を担うエルリランスは新設組織である帝国外務省日本局に籍を移し、名実共に帝国の対日本外交の現場責任者となっていた。
「早速ですが、皇帝陛下は先の騒動を不幸な行き違いによるものと認識しており、日本政府に対してその責任を声高々に問うことには疑問をお持ちです。」
開口一番、彼女の言葉は日本側に僅かな安堵と警戒感を抱かせた。
「・・・改めまして日本政府を代表し、貴国に謝罪致します。また、皇帝陛下のご厚意にこの上なく感謝させていただきます。」
問題を大きくはしない。帝国の対応を訝しみながらも謝罪と感謝の言葉を述べた日本外交団に対して、エルリランスは再び言葉を発した。
「しかしながらエルヴィア陛下の寛大な御心とは別に、帝国政府内には日米に対して断固たる処置を取るべきだとの声も根強い。日本と米国の行動次第では、陛下の御意向に反する対応を取らなければならないでしょう。」
室内の空気が一気に張り詰まり、交渉は早速本題に突入した。
「・・・具体的に、どの様なことを望まれますか?」
「ああ、誤解させてしまったようですね。個別の案件についてあれこれと要求する意思は我々にありません。あくまで日米の誠意がどの程度なのかによって、此方も対応を決める所存です。」
「・・・・」
「ただ少なくとも、今後我が国の要人が訪日する際には、警護のために同行する人員や荷に関して、此方の要望をそれなりに聞いていただけるものと考えております。」
来日の際には警護の名目を盾に、日本にとって不都合な種類の人間や物資でも入国と持ち込みを認めろということか。
加えて、今回の件について要求の上限が示されていない。
帝国の頂点たる女帝は日本に対してこの上なく好意的のようだが、それで安心するのは楽観的を通り越して無思考だ。
これまでの交渉の経緯から考えても、ヴァンセス帝国は皇帝エルヴィアによる専制的な政治が主流である一方で、政策の立案と実行には官僚たちにもそれなりの裁量権が与えられている。
彼らから見れば、日本の落ち度は外交カードとして極上の逸品に違いない。
実際のところ、帝国としては技術支援や経済交流をお願いする立場から、多少有利になりたい程度の認識だった。がめつい要求をちらつかせながらも決定的な所で譲歩し、日本政府に恩を売ることを優先するという方針でいた。
しかし日本としては外交の相手として、信用を回復させられるかどうかの極めて重大な局面だ。
担当に充てられた日本の外務省職員にとっては貧乏くじを引かされたようなものだろう。
結果として交渉の末に、警護要員と物資の件は合意文書に載せず、日本側の黙認という形で落ち着くことになる。
その他にも以前から協議中だった円借款とは別枠での無償資金協力や技術支援など、帝国に対する配慮が幾つか取り決められた。
これにより、ヴァンセス帝国は今回の視察団員拉致未遂事件を一切不問とすることを約束。
合意文書には日本側の責任を否定しつつ、道義的な観点から帝国を経済援助する内容の文言が並んだ。
さらにヴァンセス帝国は日本に対して謝罪や賠償を求めないことが明記され、加えて事件の当事者であるシャリア・ブラウバルド中佐も個人としての請求権を一切放棄する旨が記された。