期待
国交及び通商協定締結に向けての実務者協議を開始することで合意した日本政府とヴァンセス帝国政府は、日本から見た異世界、つまりヴァンセス帝国側の世界で第一回目の協議を行うことを決定。ヴァンセス帝国と海上門の途上に位置する諸島へ双方の代表を乗せた船を派遣することとなった。
◆◆◆
帝国と日本が代表を送り込んだ島々は、地球で最大級の堡礁に囲まれたチューク諸島に類するものであり、トラク諸島と命名されていた。
ロマニライとの開戦に伴い小規模ながら海軍の根拠地として整備が始められていたが、海上門と諸島が距離的に近いと判明してからは陸軍工兵隊と海軍施設隊がダブル投入されている。
まだ簡素な施設がいくつか使用できる程度だが、航空基地、燃料タンク、乾ドックなどの整備も計画されており、日本との貿易が本格化すれば軍事と経済の一大拠点となるだろう。
そんな島々の中で両国の船は帝国海軍トラク泊地に停泊し、上陸した双方の外交官たちによる協議が海軍基地の一室で始まった。
「日本国外務省の原田です。」
「帝国外務省のブローニルと申します。」
日本からは前回と同じく原田を代表に外務省を中心とする担当者が赴き、帝国からは帝国外務省に勤務するダークエルフ族のエルリランス・ブローニルを代表に、外務省以外の省庁からの出席者の姿もあった。
「・・・・・・」
「どうかされましたか?」
戸惑いのような表情を浮かべる原田に対してエルリランスが問いかけた。
「失礼、随分お若く美しい方だと思ってしまいまして・・・」
「お褒めの言葉ありがとうございます。」
帝国側の出席者は皆スーツを着ていたが、エルリランスは褐色の肌に長い耳と一般的に想像されているダークエルフの特徴に加え、女性の割に高い背丈と控えめな胸の膨らみ、灰色の長髪を有していた。
「それにしても、帝国の国力は想像以上ですね。」
「と言いますと?」
「前回の訪問からそれほど経ってはいないと思いますが、これほどの部隊を派遣するとは。」
工兵隊と施設隊に加え、小規模とはいえ艦隊と水上機部隊も門の監視警備のために送り込まれており、帝国軍の展開能力の一端を示していた。
「ロマニライ王国に対する戦争計画の一部を変更してでも、対日外交を優先すべしというエルヴィア陛下の勅命です。」
『対日外交は何よりも優先である』
女帝の今までに無い強力な宣言を受け、帝国政府は大きく国家方針の舵を切った。
戦争に関しては元々ロマニライの第一王子と貴族たちの内紛誘発が目的のような侵攻計画だった事に加え、その内紛が予想以上に豊かな展開となっていた事から対ロマニライ戦はシャウトフルク攻略を含む作戦の初期段階の達成で事実上止まっており、現在は旧ハイラット王国領を含む占領地の維持と散発的なハラスメント攻撃を行う方向で帝国軍は動いていた。
「こう申し上げては何なのですが、そのような事を我々に話して宜しいのですか?」
どう考えても軍事外交における最高レベルの機密をあっさりと話すヴァンセス帝国の外交代表に、日本側は疑問を抱かざるを得なかった。
「外交交流が進展してからのことになるかと思いますが、時期を見計らって我が帝国とロマニライ王国との講和交渉の仲介を日本にお願いしたいと考えております。」
「講和の仲介、ですか・・・。」
「正直に申し上げればロマニライなど捨て置きたいのですが、明確な区切りが無ければ戦時体制を解くことが叶いません。」
ヴァンセス帝国は間違いなく、異世界における最強列強の一角である。大陸一の大国を標榜するロマニライ王国を容易く翻弄していることがその証明だろう。
しかし超大国であるから、いくらでも好きなだけ戦争を繰り広げて良いとはならない。
戦争はとにかく金と人命を消費する国家の大規模な公共事業だ。武器弾薬の製造や兵士の訓練費用に給与その他諸々、莫大な額の負担が国庫にのしかかる。
それに戦闘は無くとも占領地の治安維持を含め、行政の執行にも金がかかるのだ。占領地を帝国領として併合したとしても、徴税が本格化するまでは完全に本土の税収入からの持ち出しとなる。
正直言ってこれ以上占領地を拡大しても占領行政に人員と金を必要とするばかりで、メリットが薄いこともロマニライ王国への更なる侵攻を行わない理由だった。
そのため講和という明確な区切りをつけた上で、最低限の兵力は残すとしても早く軍の主力を撤退させ、戦時経済体制を解除したいというのが女帝の本音である。
「ご協力出来るかは・・・」
「直ぐ返答を頂けるとは思っておりませんので、ご安心下さい。今後の外交次第で判断しくださって構いませんので、本日の本題に入りましょう。」
「分かりました。」
厄介ごとがまた増えてしまったと心の中でため息をしつつも、原田は日本政府の見解を話す。
「貴国の皇帝陛下よりお預かり致しました我が国への要望に対する返答ですが、職員の日本視察は少人数ならば我々としても歓迎します。」
帝国政府は今回の実務者協議にて最初に日本視察の可否を確認したいと、前回の日本外交団の訪問の際に日本側へ伝えており、それだけ視察を重要視しているとアピールしていた。
「ありがとうございます。日本への視察団構成に関する案として、帝国としては此方に記載している役職の者を派遣したいと考えています。」
「拝見いたします。」
渡された紙には外務省、内務省、商工省、国土省、保険労働省、農務省などの各省の職員たちの氏名が役職付きで書かれていたが、特に目立っていたのは国防省だった。
「これを見ると、国防省の方は他と比べかなり多いようですが。」
「実を言うと、陛下の対日方針に軍部が大いに反発していましてね。ごく一部には無謀な強硬論を唱える者も居るのです。」
日本に当初から媚びへつらうような態度は軍部の中でも特に陸軍総司令部から猛烈な反発を受けていた。
海軍のサクラハマ鎮守府は直に護衛艦を見た上での結論として日本の力は侮りがたいと評していたが、陸軍はその信憑性に疑問があると主張している。海軍の揶揄い猫と言われているウルス海軍中将と中佐の親子を陸軍の上層部が嫌っており、鎮守府長官のウルス中将の言葉を信用しようとしなかったためだ。
さらに海軍内でも対日方針に対する反発は小さく無く、海軍にとって身内であり、軍政家としても能力の高いウルス中将が皇帝の方針は妥当だと主張している為に、大っぴらに異議を唱えるのを控えているだけでだった。
「それは・・・穏やかではありませんね。」
「陛下と帝国の威信を守りたいのは分かりますが、軍には困ったものです。」
実際には戦争へのリソースが対日外交に転換されることに対する反発の面もあった。
「なのでそういった将校たちが日本を一目見れば、その考えを改めるのではないかと。それこそ掌を返して日本製兵器の輸入も血眼になって進めようとするでしょう。」
「そうは申されても、これだけの人数を受け入れるのは我々としても困惑してしまいます。仮に視察メンバーを10人以下にするのならば、どの方を選ばれますか?」
「では外務省からは私ともう一人、内務省から一人、商工省から二人、国防省より二人の7名でどうでしょう?」
「宜しいので?」
即答するエルリランスに困惑する。
「軍としては最低でも身内の優秀な者が日本の力を本物であると認めなければ、対日外交に異議を唱え続けるという姿勢のようで。国内の不和の解決を日本に押しつけるようでありますが、何卒お願い致します。」
「この場で即答は出来ませんが、持ち帰って検討しましょう。」
「感謝申し上げます。では次に貿易に関して、具体的な取引品目と通貨為替について詳細を話し合いたいと思いますが・・・」
◆◆◆
帝都 皇城 皇帝執務室
「・・・以上が協議の結果です。」
「なるほどね。」
交渉団が帰還したその日の内に、ボクはサトナカ外務大臣とエルリランスから実務者協議の報告を受けていた。
貿易に関しては日本側の関心も非常に高いらしく、お互いに自国通貨を借款し合う提案には予想以上に反応していたという。
更に日本企業が取り引きを行いやすいようにするため、初期においては帝国から貴金属類を日本の商社に円決済で輸出し、その円で各種の日本製品の輸入資金とする提案については前向きに検討してくれるとのことらしい。
日本から見れば輸入代金の支払いが即、輸出代金の受取りとなる訳だ。円決済ならば為替リスクを理由に企業が及び腰になる懸念はかなり小さくなる。
取り引きの規模と数を順次拡大し、帝国内への日本企業の営業所や工場の進出までも早期に実現したい。
そう思案しているとノックの音が聞こえ、部屋の扉が開かれた。
「来たね。待ってたよ。」
予想通りの顔が現れ、ボクは声を掛けた。
「どうもお久しぶりだな〜。我らが敬愛すべき皇帝陛下。」
「相変わらずだね。前から言ってるけど、少しは周りに合わせた言動をしてくれないかな、ブラウバルド中佐?」
「気楽に話していいと言ったのはそっちじゃないか。それに軍内での規律はピカイチなんだぞ。」
周囲に呆れたような、或いは驚愕した表情をさせながら第一飛行猟兵連隊長シャリア・ブラウバルド中佐は、皇帝エルヴィアとの雑談に花を咲かせていった。