記憶
「間も無く一番線に電車が参ります。黄色い線の内側までお下がり下さい。」
聞き慣れたアナウンスとホームを埋め尽くす人混み。いつもと何ら変わらない駅の光景の中に溶け込み、僕は大学へ向かおうとしていた。
都内の自慢出来るほどでは無いがそこそこのレベルの大学に合格し、特出すべき出来事も無い平凡な大学生活。
そろそろ就活について考え始めるべきだろうなと思いながら扉の開いた電車に乗ろうとした瞬間、爆発音と共に僕の意識は途絶えた。
◆◆◆
「災難だったね〜。」
意識が戻ると、真っ白な空間に薄い灰色の着物を着た小学生ぐらいの男子が居た。
「不幸だったと言えばそれまでなんだけどね。」
子供が憐れむような目をしながら指を鳴らすと、その足もとに都会を空から見下ろした様な光景が現れた。
何やら中心部から黒煙が火の粉と共に舞い上がっているのが見える。
そこで気づいた。今自分は声が出ないどころか身体の輪郭すら見えず、自分の名前すら覚えて無いことに。
「この風景は君が此処にいる原因だよ。テロって言ったっけ、これ? それに巻き込まれて君は死んじゃったんだ。」
衝撃的な事をさらっと言われた。自分が死んだと言う事もそうだが、都心でしかも世界有数の乗降者数を誇る駅で朝のラッシュ時にテロが起こったならば、その人的・経済的・政治的な被害は計り知れないだろう。
「全く勘弁して欲しいよ〜。よりによって世界の歪みが一番酷い絶妙なタイミングでこんな事が起こっちゃったもんだから、世界のバランスを保つのにすごい苦労したよ。」
愚痴なのか説明なのか分からないような話を暫く続けた男子は、突然ドッキリの種明かしをするかのような顔になった。
「僕が何者かって考えてるね。一言で言えば神様なのだ!そして君を異世界に転生してあげるのさ!」
胡散臭い事この上ない。それ以前に自分が死んだという実感が無いから当然なのだが。
「あっ! 一瞬胡散臭いって思ったでしょ!」
頬を膨らませてあからさまに怒った。
「確かに僕は若輩者の部類だけど、れっきとした神なんだよ。それに君ってこういう感じの‘しゅちゅえーしょん’が好きなんでしょ?」
確かに自分は異世界転生や転移モノの小説や漫画が好きではあるが、それはあくまでもフィクションとして楽しむ場合の話だ。
現実に異世界転生があると信じるほど自分は頭がお花畑では無い。
「不幸中の幸いと言えるか分からないけど、君は別の世界で新たな人生を手に入れるチャンスを得たんだ。まぁ、なんで転生云々になるかは諸々の経緯があってそうなるとだけ言っておくよ。」
大雑把すぎる上に勝手に話を進めないで欲しい、と言いたいがやはり声は出せない。
「今の君は魂だけの状態だけど、向こうの世界に送る時はちゃんと肉体に宿らせるから。それじゃあ早速・・・。」
自称神の男子が何やら万歳すると、僕の意識は再び途絶えた。
◆◆◆
「・・・・・・か・・・陛下!!」
「・・・うん?」
いつの間にか執務机に突っ伏して寝ていた所を起こされた。
「お目覚めですか?陛下。」
声を掛けていたのは“ボク”の首席補佐官を勤めているレイラだ。青みがかった髪を肩口で切りそろえて凛とした雰囲気を纏う彼女は、異性よりも同性からプロポーズされる方が多いことで有名である。
「・・・夢を見てた。昔のボクのね。」
「一度ゆっくり休息なさっては? 流石にお疲れなのでしょう。」
血液か余分な食事さえ取っていればボクの肉体は睡眠を取らなくても平気なのだが、流石に疲労を蓄積し過ぎたみたいだ。
「大丈夫。それより戦況はどうなってるの?」
「ほぼ予定通りです。我が軍はハイラット王国の6割を占領し、首都を含む東方主要都市は粗方制圧済みです。しかし・・・」
レイラの声が急に気まずい感情を含んだ。
「・・・王族を取り逃がしてしまいました。どうやら首都を攻め込まれる前に海路にて脱出していたようです。」
声には出さなかったがレイラの報告にボクは目を見開いて驚いた。
「・・・・まさか海に逃げるとはね。」
「完全に意表を突かれました。我が方の海軍力を知らしめた以上は海路を選ばないだろうと捜索も陸路に集中していたので、船で脱出したと判明した時には既に・・・・」
自惚れていたと言えばそれまでだが、まさか制海権を奪われておいて海路を使うとは全く予想していなかった。こればかりは軍の失態だと言い切るのも躊躇してしまうだろう。
「捜索も芳しくありません。海軍は動ける艦艇を総動員し、空からの捜索も先ほど本格化しましたが、機体の少なさが影を落としています。」
「体制の見直しが必要だね。予備戦力の拡充もだけど、航空部隊の絶対数自体を増やさないと・・・・・陸も海も空も戦訓が多すぎるよ。」
「航空部隊の増設については参謀本部と軍務局が動き出しています。ただ彼らの事ですから、また大蔵省や兵器局と殴り合いにならなければ良いですが・・・」
「そうなったら最悪、近衛憲兵を動員してでも止めて。戦争中にそんな事で怪我されても困るから。」
「了解しました。万が一の際はリーゼ長官に助力を請います。それと追加予算に関して大蔵省より・・・」
地球とは異なる世界に、ヴァンセス帝国と呼ばれる国家が存在した。
世界で有数の国土、経済力、軍事力を有し、何より科学技術水準で他国を数世紀レベル引き離していた。
魔法と呼ばれる不思議な力が実在するその世界では、地球上と殆ど変わらない姿の人間に加えて龍人族、ラミア族、エルフ族など亜人と呼ばれる多種多様な種族が存在しているが、人口は人間が圧倒的に多い。
その為に多くの国家が政治的にも人口構成でも人間中心なのだがヴァンセス帝国の住民の大半は亜人であり、皇帝は吸血鬼の女性であった。
腰にまで届きそうな程に長く、毛先まで艶のある白銀の髪。血のように深い赤色の瞳。雪のように白く皺の無い肌。長身で手足や腹部が恐ろしく細いながらも豊満な膨らみを持つ胸囲。口元からは尖った2つの牙が僅かに姿を見せる。
エルヴィア・デュークフォル・ヴァンセスは帝国が建国されてから今日まで、人間で言えば20代後半の女性の容姿を全く変えずに女帝として君臨しているが、彼女はあらゆる面で特殊だった。
吸血鬼という種族の中でも特に強力な能力を持ってはいたが、何よりその身には日本で男子大学生だった人物の記憶が宿っていた。