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夫婦らしい事 その二

 本日も侯爵様をお見送りするために玄関ホールにやってきております。ですが、この場にいる侯爵様をはじめ、ダグラスさんや使用人の方々の視線は私の持っているものに釘付けです。

 それはそうでしょう。侯爵様をお見送りするのに踏み台を持って現れたのですから、皆さんには訳がわからなかったことでしょう。ですがこの踏み台は私にとって必要不可欠なものなのです。


「リリ嬢。その、何故踏み台を?」


 踏み台を持ってきた理由を聞かれるのも想定済みです。

 今日の私は昨日の私とは違って準備万端なのです!


「はい。これから実践で理由をお伝えいたします」

「実践?」


 昨日と同じように侯爵様の目の前まで近づくと、持っていた踏み台を足元に置きました。これで準備完了です。


「そのままでいてくださいね」


 侯爵様にそう声をかけてから踏み台に上ると、ちょうど侯爵様と目線が同じになりました。この高さならバッチリです!


「では、行ってらっしゃいませ」


 そう言って、すかさず侯爵様の頬に口付けをしました。


 そうです。私はこれがしたかったのです。

 私のお母様はお父様が外出なさる時はいつも頬に口付けていました。それを幼い頃からずっと見ていましたので、ちょっと憧れていたのです。


「お仕事頑張ってください」


 ようやく目的が達成できたことに嬉しさを感じ、同じ目線にある侯爵様の顔を見つめながら自然と笑みが溢れました。

 しかし侯爵様はといえば、何故が目を見開いたまま固まってしまいました。


「あの、侯爵様?」

「え、あ、その、俺はこれから何をするんだったか……」

「お仕事に行かれるのでは?」

「そ、そうだったな。そうだった、うん」


 踏み台を下り、それを再び手に持ってから遠くなった侯爵様の顔を見上げてみると、侯爵様に思い切り顔を背けられてしまいました。


 ……何故?


「あの」

「で、では、行ってくる」


 声をかけてみたものの、侯爵様は私から逃げるように背を向け、足早に邸から出て行ってしまいました。

 それを呆然と見送ったあとも、私はしばらくその場に立ち尽くしていました。


 嫌がられてしまった。

 そんな考えが脳裏を過りました。


 私から思い切り顔を逸らし逃げるように行ってしまわれたというのなら、きっと私の顔など見たくもないと思うほど不快に思われてしまったという事なのでしょう。私は自分の憧れを叶えたいばかりに侯爵様のお気持ちを考えてはいなかったのです。私はなんて愚かだったのでしょうか。出来る事なら今日のお見送りをやり直したいです。


 まだ侯爵様好みの屈強な体を手に入れていないというのに、侯爵様の優しさに甘えて最優先事項を疎かにしてしまったのです。もし今回の事で侯爵様に嫌われてしまったとしても、それは自業自得というものでしょう。


「余計な事をしてしまいました……」

「そんな事はありませんよ、奥様」


 そう声をかけてくれたのはダグラスさんでした。


「旦那様はただ照れておられただけですから」


 そんな風にダグラスさんは慰めてくれましたが、侯爵様の態度が頭から離れず、私はまともに返事をする事も出来ませんでした。






◆◆◆◆◆






「昨日屈んでおけば……ッ」


 早朝の誰もいない部署内で、俺は自分の仕事机に何度も頭を打ち付けていた。


「何故素直に屈まなかったんだ! 俺のバカ野郎ッ!」

「ギャーッ! ディートが壊れてるッ!」


 入り口の方から絶叫が聞こえたと思ったら、次の瞬間には思い切り肩を掴まれていた。


「どうしちゃったの!? 失くしてた頭のネジでも見つけちゃったの!? それとも頭のネジが全部マシュマロになっちゃったの!? でも大丈夫だよ! お前が壊れても俺はお前の友達だからな!」


 意味不明な言葉を吐きながらガクガクと人の体を揺するのはやめろ。


「黙れ赤の他人!」

「ギャーッ! 腕がーッ!」


 俺の肩を掴んでいるその手をむんずと掴みそのまま捻り上げると、同時に腕の持ち主から悲鳴が上がった。


「ああ良かった。ちゃんと正常に凶暴ででででいででで」

「誰が凶暴だ、誰が!」


 もうやめてと泣きながら絶叫する同僚の手を乱暴に離すと、俺は椅子に座り直した。


「いったいなぁもう! 言っておくけど、誰もいない室内で机に頭の打ち付けてる奴見たら誰だって驚くからね。それがお前なら尚更恐怖だからねッ! 全くもう、何で机に頭の打ち付けてたのさ」


 腕をさすりながら隣の机につくライルに、俺は射殺さんばかりの眼光を向ける。


「貴様は昨日の時点でリリ嬢が俺に何をしたかったのかに気づいていたな。さぞ俺の馬鹿さ加減にほくそ笑んでいた事だろう」

「あ、ちゃんと気づいたんだ。気づいたって事は今日はしてもらったって事?」

「う……」


 ライルがニヤニヤしながら俺を見ている。気持ちが悪い。殴りたい。


「今日はちゃんと屈んだんだね」

「……屈んでいない」

「え?」

「屈んでくれと言われなかった……」


 今日も昨日のように屈んでくれと言われれば屈もうと思っていた。ライルのように、というのは心の底から言いたくないが、ヤツのように何も考えずに屈んだっていいのではないかと思い直したのだ。相手はリリ嬢であるし、彼女が俺に危害を加えるとは思えない。共に暮らすようになってからそろそろひと月ほど経つ。リリ嬢が真面目で礼儀正しい娘だという事くらいもう知っている。


 屈むくらい手間がかかるわけでもないのだから昨日の時点で叶えてやればよかったのだ。そうすれば俺の幸せは昨日からはじまっていたというのに……ッ。

 今まで生きてきた中でこれほど後悔したことがあるだろうかというほど、俺は今盛大に後悔している。


「でもさ、リリちゃんの背だとお前が屈まないと届かないと思うんだけど?」

「……彼女は踏み台を用意していた」

「何て言うか、リリちゃんって頑張る方向がちょっとおかしい気がする……」


 俺が昨日屈まなかったばかりに、彼女は解決策を見出して再挑戦してくれたのだ。こんな愚かな俺のために色々と考えてくれたのかと思うと、それだけで胸が熱くなる。ほんの僅かでも俺を想ってくれているのかもしれないと思うだけで、俺の心は幸せで満たされるのだ。


「足を削ぎ落としてリリ嬢と同じ目線になれば、彼女の頭を悩ませる事もなくなるだろうか……」

「ホントお前も大概だよねッ! 何で物理的に身を削ろうとするの!? 普通に屈めばよくない!?」


 リリ嬢に余計な手間をかけさせてしまった事実は変わらないのだから、俺もそれ相応に彼女のために何かしたいだけだ。本当に足を切ろうとは思っていない。


「まあでも良かったね。これからは毎日してもらえるだろうしさ。何だかんだ言っても、ちゃんと夫婦してるじゃん」


 ははは、と笑うライルの声を聞きながらハッとする。


 そうか。

 俺たちはちゃんと夫婦らしい事をしているのか。


「リリちゃんのお披露目期待してるね~」


 ライルの言葉に応じる訳ではないが、そろそろ本気でリリ嬢を妻だと公表する段取りを考えようと思った。






◆◆◆◆◆






 昨日、侯爵様からは朝の事に関してお咎めはありませんでしたが、邸に戻っていらした侯爵様は何処かよそよそしい感じがして、やはり朝の事を不快に思われたのだと思って悲しくなってしまいました。


 昨日の事もあり、今日は通常通りにお見送りをしようと思い、踏み台は部屋の片隅に封印して参りました。


「行ってらっしゃいませ……」


 本当は行ってらっしゃいの口づけを交わす事でより仲良くなっていけたらいいと思っていましたが、それはもう叶いそうにありません。

 私だけの憧れを侯爵様に押し付けてしまった結果です。この状況は甘んじて受け入れて然るべきでしょう。ああ、昨日に戻れるのならあのような強硬手段に出る事は決してしません。どうしてあんな事が出来たのでしょう、私は。


 そんな事を考えながらしゅんとしていると、突然侯爵様の顔が目の前に降りてきました。


「え……」


 何が起こっているのか訳が分からず固まっていると、侯爵様は体を屈ませたままの状態で私をじっと見つめてきました。心なしか頬を差し出されているような気がします。


「今日はその、してくれないのか?」


 何を言われたのか分かりませんでした。

 する? 何を? と頭に疑問符を浮かべていると、再び侯爵様の声が聞こえてきました。


「今日は踏み台を持っていないようだったから屈んでみたんだが……」


 『踏み台』『屈む』という言葉でハッと我に返りました。


 もしや頬への口づけを所望されているのですか!?


「あ、あの、でも、お嫌だったのでは……?」


 昨日、逃げるように邸を出ていってしまった侯爵様の背中が脳裏を過ります。あの姿を思い出してしまうと、侯爵様に願われたとしてもどうしても踏みとどまってしまうのです。


 もしかしたら私に合わせようとして無理をしているのではないかと。


「俺は嫌ではなかったが、もうしないというのならそれで構わない」


 何処か残念そうな顔でそんな事を言う侯爵様の様子に、思わず離れていく侯爵様の頭を両手でガシッと掴んでしまいました。


「侯爵様がお嫌でないのなら是非させていただきます!」


 勢いに任せて侯爵様の頬に口づけると、侯爵様の頬が少し赤く色づいたように見えました。

 気のせいかもしれませんが、ほんの僅かでも私の行為に何かを想ってくれるのなら、それはとても幸せな事だと心から思うのです。


「侯爵様がお嫌でなければ、これからずっと、毎日させてください」


 一瞬目を見張った侯爵様は次の瞬間には視線を彷徨わせ、そして最後はちゃんと私の目を見て「ああ」と短く返事をくれました。

 それがとても嬉しくて、私は心からの笑顔を侯爵様に返す事が出来ました。




 これからもこうして侯爵様と一緒に夫婦としていろいろな事が出来たらいいと、私は心から思うのです。


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