リリア家の秘密 その四
俺が部屋を出たすぐ後でナナも部屋から出てきた。
ナナは俺に話しかけるでもなく後を付いてきたが、人気がなくなった辺りで声をかけてきた。
「義兄さん」
その声に足を止める。するとナナも俺の背後で足を止めた。
「昨日義兄さんが言ってくれた言葉を嘘だったんですか?」
先ほどとは違い、不安げな声が耳に届く。
ナナに言った事は嘘ではない。あれは確かに俺の本心だ。
リリのためならどれだけ被害を被ろうと構わない。リリを守れるなら俺はどうなっても構わない。リリは俺にとってかけがえのない人なのだ。だから今回だってリリのために力を尽くそうと決めている。
「リリを守るという言葉に嘘はない」
「じゃあ、どうしてさっきは」
「リリだけじゃないんだ」
どうすればいいのかまだ正確な答えは見つからない。しかしこうなってしまった以上、全てを守るために対策を講じておく必要がある。
「俺の噂に隠れているのは、リリだけじゃないんだ」
リリの他にも俺の噂に隠れているモノはある。それがある限り、俺は決して国を裏切れない。
「噂で隠しているというよりは、俺が秘かに抱えていると言った方が正しいがな」
この状況でルフレム国にリリを攫われてしまったら、リリを助けるために俺が抱えているモノを見捨てるか、それを守るためにリリを諦めるかの二つに一つの選択肢しか残らなくなる。
宰相たちは俺が後者を選ぶと考えているからこそ、あっさりとナナの言葉に頷いたのだ。
「宰相たちはその事を知っている。だからこそ俺に権限を持たせたかったんだろう。最悪の事態に陥った場合の責任を全部俺に押し付けるために」
俺が得た権限は、陛下や殿下ですら使う事ができるくらいの効力を持っている。王家がリリア家から見限られたくないと思っているくらいなのだから、リリア男爵殿の言葉の重みは相当だ。しかも今回の権限はリリア男爵殿すら俺の決定に文句は言わないというモノでもある。これだけ見れば物凄い権限だと思うが、逆を言えば俺さえ従わせる事ができればリリを駒にする事は簡単に出来てしまうという最悪の権限でもあるのだ。
宰相たちは、万が一リリをルフレム王家に奪われ連れ戻す事が困難になってしまった場合、俺が抱えているモノを人質にしてリリを諦めさせ、国家間の亀裂を最小限に抑えようという腹積もりなのだ。ルフレムの国王は何でもかんでも武力で片付けようとする戦闘狂で、ほんの些細な切っ掛けでも戦争を吹っ掛けてくるような人物だ。故に、たとえ旧王家の末裔で滅多に生まれないという女児で俺の妻だとしても、宰相たちはアムリアの民を守るためにあっさりリリを引き渡してしまうだろう。
彼らは為政者で俺もそこに名を連ねる一人だ。宰相たちの考えている事は嫌でも分かる。分かるからこそ、この権限は放棄したかったのだ。
事実俺は抱えているそれを見捨てる事は出来ない。俺が抱えているモノに関しては宰相たちも一枚噛んでいるため、俺がそれらを見捨てる事ができない理由は宰相たちも知っている。だから現状厄介なのだ。
誰かに利用されないようにと思って上司の管理下のもとで俺が抱えたのだが、ここに来てそれが裏目に出てしまった。
「俺にとってもリリを守る事が最優先事項だ。だが、俺にも事情がある事だけは分かって欲しい」
「義兄さん……」
ルフレムの国王がアムリア国に戦争を仕掛けようとしていたのはリリが俺の元に嫁いで来る前だったが、彼の王はリリの嫁ぎ先がアムリア国だと断定して潰しておこうとでも思ったのだろう。ルフレム国内で内乱が勃発したためそれは叶わなかったが、リリの所在を今でも探っているのは確かなのだ。俺がリリを公にしないようにしていた頃はまだ良かったが、リリを妻だと公表してしまった今となっては、リリが見つかるのも時間の問題となってしまった。
あのまま隠しておけばよかったと思わずにはいられないが、フロウ伯爵家の夜会の時に宰相が言っていた言葉を思い出せばそれも難しかっただろうと思う。
宰相は最初からリリが俺の妻になった事を周りに知らせたかったようなので、今にして思えば、俺の妻になった事を周囲に知らせる事で、ルフレム国王にリリの所在を突き止めさせようとしたのではないかと思う。
この件が長引いても百害あって一利なしだ。だから宰相たちはリリア家の事情と絡めて今回の事はさっさと片付けておきたかったのだろう。下手をすれば戦争に発展するかもしれない事態なのだ。国を担う立場であればさっさと片付けたいと考えるのは当然の事だと思う。
宰相たちだってそれに伴う対策は考えていただろうと思いたいが、今までの自分の扱いを思い出せば、最初から俺に丸投げる気だったのではないかと思わずにはいられない。まあ、結局俺が一任する事になった訳だから、ナナが加勢してくれるかそうじゃないかの違いしかなかった訳だが。
「逃げるような事を言ってすまなかった」
力ない笑みを浮かべながら振り返ると、ナナはそんな事はないと言うように首を振ってくれた。
「謝るのは僕の方です。一方的にこっちの事情を押し付けようとしたんですから。僕らに事情があるように、義兄さんにだっていろいろと抱えているモノはあるんですよね。さっきは責めるような言い方をしてすみませんでした」
そう言って項垂れてしまうナナに少しばかり困惑してしまう。
そこに踏み込むと決めたのは俺だ。だからどんな事態になっても最善を尽くそうと初めから決めていた。少々面倒な事態になってしまったが、リリはもう俺の妻なのだから、俺がリリを守るのは当然だ。アムリアだろうがルフレムだろうが、大切なリリは決して誰にも渡さない。
「事前に話しておかなかった俺も悪い。だから気にしないでくれ。俺の方は手を回しておけばおそらく何とかなる。だが問題は最悪の事態に陥ってしまった場合だ。はっきり言うが、事態がどう転んでも痛くも痒くもない宰相たちは初めから助ける気など微塵もないだろうから当てにはしない。むしろ宰相たちも敵認定しておく」
「それが賢明な判断だと思います。伯父さんたちは為政者なので、仕方ないと言えば仕方ないんですけどね。まあ、協力はすると言っていたんですから思い切り利用してあげればいいと思いますよ」
その辺りは任せて欲しい。
「俺の方にもいろいろと面倒な事はあるんだが、要はリリをルフレムから守ればいいだけの話だ。リリさえ守り抜けば最悪の事態は回避できる。折角この件は俺に一任されたんだ。その権限を大いに活用する事にするよ」
この件に関しての一切は俺が責任を負う事になった。しかし考え方を変えれば、宰相たちはこの件に関しての一切を黙認してくれるという事にもなる。
こうなってしまった以上、今回はその辺りを最大限に利用して使える物は何でも使う事にしようと思う。
「義兄さん。父さんから伯父さんたちには内緒にしておけって言われた話があるんですけど」
そんな前置きをするナナが、周りに誰もいない事を確認してから俺に向く。
「父さん曰く、今回の件に関しては物凄く有効な手札がこちらにあるみたいなんです」
「有効な手札?」
そんなモノがあるのなら今すぐ出してもらいたい。はっきり言って、今の状況ではもったいぶっている場合ではないのだ。
しかしその手札が現時点で出されていないという事にはそれなりの理由があるからだろうと思う。
「その手札は今は使えないみたいなんですけど、もしどうにもできないくらい手詰まりになってしまった時はリリアリムにそれを探しに来いって父さんが言ってました」
「探しに来い? リリア男爵殿が持っているのではないのか?」
「僕もその辺りはよく分からないんです。ただ、父さんが持っている訳ではなくてリリアリムにあるそうなんです」
「リリアリムにある、か」
リリア男爵殿がそういうのだからその手札はリリアリムにあるのだろうが、ナナの言葉からその手札は最後の切り札にして欲しいという意思が見える。
どんな手札なのか分からない現状ではそれをあてにする事もできないため、とりあえずはこちらでできる対策を練っておいた方がいいだろう。
「曖昧ですみません。どう有効なのかも全く教えてもらえなくて……。姉さんの危機なのに肝心な事は教えてくれなかったから、報復措置として父さん秘蔵の娘の成長記録をこっそり隠してからこっちに来たんです。今頃家中探しまわって泣いてるんじゃないかな」
ナナの仕打ちがリリア男爵殿にとってどれだけ酷い仕打ちなのかは正確に分からないが、俺としてはリリの成長記録とやらが物凄く気になってしまった。
「だから父さんを責めないでください。父さんもいろいろと僕らの事を考えてくれているんです。自分が母さんを妻にしてしまった事で子供である僕と姉さんにそのしわ寄せがいく事を僕らが生まれる前から気にしてくれていたみたいですし。加えて第一子が女の子だったものだから、父さん自身もこの因習をなくそうと尽力してきたみたいなんです」
確かにリリア男爵殿の婚姻が今回の件の原因なのかもしれない。しかしリリア男爵殿が宰相の妹と結婚しなければリリもナナも生まれなかったし、俺もリリには出会えなかった。
結局のところ過去の事をどうこう言っても現実は変わらないのだから、今更それを責めたところで何の意味もないのだ。
俺としては最初からリリア男爵殿を責める気など全くないので、その事だけはちゃんとナナに伝えておこうと思う。
「俺はリリア男爵殿がリリの相手として俺を選んでくれた事をとても感謝しているんだ。だから責めようなどとは全く思っていない」
「ありがとうございます。義兄さん」
リリが妻になってくれた事。
ナナが義弟になってくれた事。
リリア男爵家の事情に踏み込む理由はこれだけで十分だったのだ。
それを守るためなら、何だってできる。
「俺はこれからもリリやナナ達と家族でありたいと思っている。だから何としても今回の件は望んだ形で終結させる。そのための努力は惜しまない」
今回の事は様々な事態が想定されるが、それでも大切なモノを守るという事は今までと同じだ。
「リリさえ無事なら、後は俺が何とかする。ナナの婚姻に関しても横やりが入らないように牽制しておこう。だからナナも好いた相手と幸せになってくれ」
「義兄さん……」
リリの婚姻に関しての方が現段階では深刻なのだが、最悪の事態に陥った時、きっとナナはリリのために望まぬ結婚を選択してしまうだろう。だからこそ、ナナの事もちゃんと守ってやりたいと思う。
「僕も義兄さんが抱えている事で手伝える事があればお手伝いしますから言ってください。僕も義兄さんの義弟として役に立ちたいですから」
そんな事を言ってくれるナナに思わず笑みが浮かぶ。
「ありがとう。ではこの後ももう少しだけ俺に付き合ってくれないか?」
「何処かに行くんですか?」
「ああ。会わせておきたい人物がいる」
とんでもない話の展開になり最初は頭が上手く働かなかったが、悩んでいても仕方がないので少しずつでも思い付いた行動はとっておこう。
そんな事を考えながらナナと共に廊下を進む。
一度部署へと顔を出して外出る旨を伝えておく。それから、とりあえずすこぶる気になっているリリの成長記録の内容を少しばかりナナに聞きながら城外へと向かった。




