夫の事について その三
「そうそう。初恋の話を聞いた時に流れで誘拐の事も聞いたんだけど、その事もディートは心配してたんだ。本当リリちゃんが無事で良かったよ」
もう過去の話ですしディー様に余計な心配をかけたくありませんでしたので、私からはその件に関しては話していなかったのです。
ナナが何を思ってその話をしたのかは分かりませんが、知られて不味い話ではないので話したという事なのでしょう。
「あの時あの人に助けてもらえなければ、今頃私はここにはいなかったと思います。ですから私にとってあの人は恩人であり憧れの人なのです」
あの人の言葉は私にとって信条としている言葉でもあるのです。
「あのさ、お節介な事かもしれないけど、その人の事探してあげようか?」
「え……」
「情報屋に伝もあるし結構広範囲で探せると思う。この際本格的に探してみない?」
「ですが、ディー様はその話をあまり良くは思っていないのでは?」
ディー様の婚約者様の話を聞いた時の私と同じ感情をディー様も感じていたというのなら、あの人を探すような事をするのは良くないと思うのです。そう考えたのですが、ライル様はそんな事はないと首を振ってくれました。
「ディートはリリちゃんを助けてくれたお礼が言いたいって言ってたよ。だからディートだって探そうとしてたわけだし」
「そうなんですか?」
「ディートだってリリちゃんが会いたいって思ってるなら探してあげたいと思うんじゃないかな」
「そうでしょうか?」
「そうだと思うよ」
ディー様は私と違って心の広い方なのですね。もし私がディー様の立場だったなら、一生見つからなければいいのにと考えてしまうと思います。事実、ディー様の婚約者様のお話を聞いた時、この先も一生ディー様の前に現れないで欲しいと願ってしまいましたから。
それなのにディー様は私のために探そうとしてくださったばかりか、お礼が言いたいなどと言ってくださるとは。ディー様は何て素晴らしい人なのでしょうね。私などとは大違いです。
「そういう訳だから、どうかな? 探してみる?」
「本当に探せるのでしょうか?」
「大丈夫。任せて」
もし会えるのなら改めてお礼が言いたいと思っておりましたので、ライル様の申し出は願ってもないものなのです。ですがお仕事でお忙しいというのに私の個人的なお願いをしてもいいのかと少々躊躇ってしまいます。
「お仕事も大変だと思いますし、私事をお願いするのは申し訳ないです」
「いいからいいから。気にしないでよ。……ディートより先に見つけないと大変なことになりそうだし」
「え、何ですか?」
「いやいや、何でもないよ。とにかくこっちの事は心配しなくていいから。仕事関係の情報集めるついでに情報集めるだけだからさ」
まだ少しお願いしてもいいものかという気持ちはありますが会えるのなら会いたいという気持ちも確かにありますので、今回はライル様のお言葉に甘えることにしようと思います。
「お仕事に差し支えがない程度に探していただければありがたいです。私のお願いは後回しとかついでとかで本当に構いませんから」
「うん、分かった。それで、リリちゃんはその人の事どれくらい覚えてるの?」
「そうですね……、実を言えば覚えていることはそれほど多くはないのです」
その当時、私は逃げることだけを考えていたため、偶然出会ったあの人の事をまじまじと観察している余裕など全くなかったのです。それこそ良い人なのか悪い人なのか、自分を誘拐した人たちの仲間なのかそうじゃないのか、そういった事を全く考えもせず縋り付いたのです。それくらいに当時の私は切迫詰まっていたのです。
「場所とかはどう? それなら後からでも知ることはできたでしょう?」
「はい。それなら分かります。あの方とはローランド地方で会いました」
「え、ローランド? ローランド地方ってルフレム国の?」
「はい、そうです」
十年前、私は家族と共に隣町まで足を伸ばしていたのですが、そこで怪しい大人たちに拐われてしまい有無を言わさず箱に詰め込まれてしまったため、移動していることは分かっても自分が現在何処にいるのかなど全く把握できなかったのです。幸い、アムリア国と隣接しているローランド地方で助けていただいたので次の日には無事家族のもとに帰ることができましたが、もっとアムリア国から離れていたらそれも叶わなくなっていたかもしれません。ですから、あの時あの人に助けてもらえなければ今頃どうなっていたのだろうかと考えると今でも怖くなるのです。
そんな風に当時の事を少しばかりお話しすると、ライル様はそうだったのかと言って少し考えるような仕草を取られました。
「てっきり国内での話だと思ってたんだけど、国外となると情報を集めるのもちょっと時間かかりそうだなぁ」
「やはり難しいでしょうか?」
「うーん、今は何とも言えないかも。もう少し情報ない? 容姿を覚えてなくても、背の高さとか何処かに傷があったとかアザがあったとか、そういう事でもいいんだけど」
そう問われたので、頑張って記憶を手繰り寄せながら答えを探します。
「背は、確か見上げた時の顔の高さがお父様と同じくらいに感じましたので、ディー様やライル様よりは低かったと思います。傷やアザ等は覚えていないのですが、あの方は左腕をこう、首から下げた布で吊っておりましたから、おそらく左腕を骨折していたのか、或いは腕を怪我をしていたのではないかと思います」
「左腕を吊っていた、か……。うーん……」
ライル様は唸りながら何故かぐるりと辺りを見渡し、少しばかり険しい表情をしておりました。
「ライル様?」
「ああ、いや、何でもない。他に身体的な特徴とかは覚えてる?」
私に向き直ったライル様に再び問いかけられたので、思い出しながら答えを返します。
「容姿の方は本当に朧気なのですが、目の鋭さだけは印象に残っています。獲物を狩る獣のような感じでしたので。ディー様の目元とちょっと似ていたような気がします」
「え、まさかその人ってディートだったりしないよね?」
「それはないと思います。年が違いますし」
「まあそうだよね。もしリリちゃんを助けたのがディートだったら、ビックリするどころか何かの陰謀を疑うよ……」
確かにミランダさんのお祖父様とは思わぬ繋がりがありましたが、いくらなんでもそこまでの偶然はないと私も思います。
「年が違うっ事は、いくつくらいだったか覚えてるって事?」
「正確に覚えている訳ではないのですが、印象としては二十代前半か半ばほどだったと思います」
「そうなんだ。他には何かある?」
「そうですね……、あ! これだけは鮮明に覚えているということが一つあります」
鮮烈に記憶に残っているとある光景は、今も思い出すだけで胸が高鳴るくらいなのです。
「それは何?」
「あの人はとても素晴らしい蹴り技をお持ちだったのです!」
「え、蹴り技?」
「はい! 実はあの人に助けを求めたすぐ後で誘拐犯に見つかってしまったのですが、あの人は腕を動かせないにも関わらず華麗な身のこなしで次々と誘拐犯を容赦なく蹴り倒してくださったのです! その姿がとても格好良くて、子供ながらに見惚れてしまいました」
私が今まで蹴り技を磨いてきたのはあのときの光景が忘れられなかったからなのです。
華麗な身のこなしで敵を圧倒する姿に憧れた私は無事に家に帰ることができた翌日からお父様の『リム』に頼み込んで武術を教えてもらい、重点的に蹴り技を磨いて参りました。女の身では打撃が軽くなってしまうという話も聞かせてもらいましたので、重り代わりのアンクレットは常に装備しております。
ちなみに、『リム』というのはリリア家当主に仕える側近兼侍従兼護衛兼その他諸々……というような何でもできる凄い人なのです。この『リム』というのはリリア家特有の役職名のようで、他では側近や侍従、護衛などの役職はそれぞれ違う人が担うのが普通のようです。リリア家の場合は、おそらく人件費削減のために何でもこなせる人を雇っているのだと思います。実家の事ながら何とも悲しい事情ですね……。
そんな訳で、お父様の『リム』も何でもできる凄い人なのですが、彼は特に武術に秀でた方なので無理矢理師匠になっていただいたというわけです。
「あの人の蹴り技が忘れられなくて私も蹴り技を磨いてきたのです。現在は自分の身くらいは自分で守れるようになりました」
「リリちゃんって武術も嗜んでたの!?」
「はい。助けていただいたあの人に『自分の可能性を見出すための努力は惜しんではいけない』というお言葉を頂きましたから、あの出来事の後から日々精進してまいりました。ですからあの時のような事が再び起こっても今度は自分の力だけで対処して見せます!」
力強くそう告げると、ライル様が何故か首を傾げておりました。
「その言葉、俺も聞いた事があるような気がする……」
「え? 本当ですか?」
まさかライル様のお知り合いに私を助けてくれた方がいらっしゃるという事なのでしょうか?
ミランダさんのお祖父様もそうでしたが、もしあの人がライル様のお知り合いだというのなら本当に世間は狭いのだなと思ってしまいます。
そんな事を思いながらライル様を見上げれば、ライル様は少しばかり唸っておりました。
「うーん、もう少し情報があるといいんだけど、思い出せない?」
「情報ですか……」
そう言われましても、お教えできる情報はもうお伝えしましたから、あの人の事で覚えている事はこれ以上ありません。
「お伝えした以上の特徴は残念ながら覚えておりません。その、当時の私は男の子の格好をしていたので、あの人は私の事を男の子だと認識していたと思います。こんな事でも情報になるでしょうか……?」
とりあえず情報になりそうな事をと思ってそれを告げてみると、ライル様が少々驚いた様子で見下ろしてきました。
「男の子の格好してたの?」
「はい。お父様の言い付けでリリアリムの外に出る時はいつも男の子の格好をしておりました」
男の子の格好は動きやすかったので私としては全く気にしておりませんでしたが、リリアリムの地を出るときだけ男の子の格好をしなければならない理由については未だに分からないままです。もしかしたら過保護な両親による誘拐防止策だったのではないかとも思うのですが、もしそうだったとしたらあまり意味はなかったと言わざるを得ないでしょう。
「十年前……男の子……俺より背が低くて目つきが鋭くて左腕を吊ってて蹴り技が凄い、か……。何か、何か思い出しそう……」
「もしかしてライル様のお知り合いが私を助けてくれたのでしょうか?」
「今はまだ分からない。俺も思い出せなくてもどかしい」
ライル様はしばらく難しい表情で唸っておりましたが、気を取り直すように私を見下ろしてきました。
「とにかく今ある情報を元に探してみるから、俺からの回答はちょっと待ってもらえる? 俺も頑張って思い出してみる。でも全く関係ない事かもしれないから俺の回答はあんまり期待しないで」
「分かりました」
「思わせぶりなこと言ってごめんね」
「いえ、お気になさらず。私としては見つかればいいなというような気持ちですから。たとえ見つからなくても構いませんのでよろしくお願いいたします」
「うん。任せて」
この十年、お父様も探してくださったのですが、全く見つける事が出来なかったので見つからない可能性の方が大きいと思います。ですからライル様の回答を気長に待とうと思います。
「……」
「ライル様? どうかされましたか?」
ライル様が不意に明後日の方向に視線を向けたのでどうしたのかを聞いてみると、すぐに笑顔を向けてくれました。
「何かさっきから見られてるなって思ってたんだけど、気のせいじゃないみたい。俺の知り合いかもしれないからちょっと声かけてくるね。あ、リリちゃんはここにいてね。すぐに戻って来るから」
ライル様はそれだけ言うと、あっという間に人の波に消えて行きました。
これだけの人がいるのに見られていると気付いたライル様は凄いと思います。しかしながら、私が一緒だからそのお知り合いかもしれない人は声をかけて来なかったのでしょうか? そう考えると、申し訳なかったなと思うのです。
「お嬢さん。ちょっとよろしいですか?」
ライル様が離れていったすぐ後、不意に影が差したと思ったら身なりの良い壮年の男性が私に声をかけてきました。
「何でしょうか?」
「突然すみません。王立図書館に行きたいのですが、道に迷ってしまいまして。どうやって行けばいいか教えていただけませんか?」
以前ダグラスさんと王都を散策した時に王立図書館の場所も教えていただきましたから場所は分かっております。ですが私もあまり王都の町を歩き回った事がないので、侯爵邸からの行き方しか分からないのです。
「申し訳ありません。私も道を詳しく知っている訳ではないので、この場所からの行き方を上手く説明できません。本当は王立図書館までお連れできるといいのですが、生憎人を待っている最中ですので」
「そうでしたか。あの、地図を持っているのですが、現在地だけでも教えていただけませんか?」
そう言って男性が持っていた地図を広げようとして、行き交う人にぶつかりそうになっておりました。
「すみませんが、そこの脇道まで付いてきてもらってもいいですか?」
「はい。構いませんよ」
地図を広げるにしてもこの通りは人の往来が多いので迷惑になってしまいますから男性と共に人が少ない脇道へと向かいました。そうしてここなら大丈夫ですねと振り返ろうとしたその時、後ろから男性に羽交い締めにされ、おまけに口まで塞がれてしまいました。
「ようやく見つけましたよ」
耳元で聞こえる声に眉根が寄ります。
私は男性の顔に見覚えなどありませんでした。ですが、この状況は十年前のあの時と似ていると本能的に感じました。
「さあ、共に参りましょうか。リリアの姫君」
ああ、この人は。
あの時の誘拐犯たちと同じなのですね。




