閑話・姉が結婚しました
僕には一つ違いの姉がいる。
姉さんは弟の僕から見ても綺麗で可愛い人なんだけど、その中身は外見を大きく裏切っている事を僕は知っている。
小さい頃は外見に見合った可愛らしい性格だったと思うんだけど、姉さんは八歳の頃に遭った誘拐事件をきっかけに変わった。具体的に何が変わったかと言えば、思いついた事は何でもかんでも挑戦しまくる、ある意味不屈の精神を持つようになったのだ。
「それは絶対できないからやめて!」と両親に懇願されようとも自分の意思を貫き、やり通し、己の力に変えていく。そんな姉さんに対し、一体何を目指して生きてるんだろうと思った事は一度や二度ではない。そんな風に姉さんはいろいろな事を修得し、今では盗賊団にも丸腰で立ち向かっていくほどの猛者となっている。
あの時の事は今でも鮮明に覚えている。姉さんが単身で盗賊団の元に突っ走って行っちゃった時の父さんや周りの大人たちの豹変ぶりは、それはもう凄まじかったからね。あの時の事を思い出すと今でも身が震えるよ……。
あの時、姉さんは無事に戻って来たけど、盗賊団の方がどうなったのかは未だに知らない。いい笑顔で戻って来た父さんたちの衣服に若干赤い模様が散らばっていたので、きっとそういう事なのだろうと思って何も聞けなかったから。
そんな話はさておき。
そんな姉さんにもようやく縁談の話が持ち上がった。
女の子の結婚適齢期は大体十六歳から二十歳くらいが一般的だ。だから女の子は十四歳くらいから縁談話が持ち上がって十七か十八くらいには誰かの元に嫁いでいくのだ。それなのに、姉さんに至っては縁談話すら一つも持ち上がる事はなかった。表向きは。
姉さんは知らないだろうけど、姉さんの縁談話に関してはそれはもう水面下で様々な思惑が行き交っていたのだ。
しかしながら、伯父さんたちからこれでもかというほど縁談話を持ち込まれていたにも関わらず、父さんはその全てを姉さんの耳に入る前にもみ消していた。
一度父さんには「姉さんが行き遅れたらどうするの?」って聞いた事があるんだけど、その時に「最終的にはお前がいる」とか結構真面目な顔で言われちゃったから、さすがの僕でもドン引いた。
本当何考えてるんだろうね、この人。僕と姉さんは血の繋がった姉弟なんだよ。異父でも異母でもない実の姉弟なんだよ。いや、異父だろうが異母だろうが血が繋がってる事に違いはないから、僕と姉さんがどうこうなる事は絶対にあり得ないんだけどさ。
リリア家の歴史を遡れば近親婚は珍しい事じゃなかったみたいなんだけど、さすがに同じ親から生まれた姉弟の結婚はなかったと思う。まあ前例があろうとなかろうと、実の姉弟での結婚はいろいろとダメだと思うんだ、僕は。
父さんの狂気染みた言葉は冗談だという事にしてその場は何とか凌いだけど、本気だったらどうしようかと今でも若干不安に思っている。僕にはシンシアがいるから父さんだって本気じゃないとは思うんだけど。思うんだけど……。
しかしまあそんな話ももう過去の話だ。姉さんもやっと嫁ぐ事が決まって僕としても一安心だ。姉さんの相手はそれはもう厳選に厳選を重ねた相手だろうから、姉さんの結婚についてはそれほど心配はしてなかったんだ。
その縁談が伯父さんたちとは別方面から舞い込んだ縁談だと聞くまでは。
◆◆◆◆◆
姉さんの婿に決まったのは、ディートルト・レヴェリー侯爵様だった。
そう。あの噂の侯爵様だ。
眼光だけで人が殺せる、とか、猛獣でもなんでも素手で倒しちゃう、とか何とかうい噂がそれはもう盛りだくさんな人だ。実際は噂も誇張されているんだろうけど、火のないところに煙は立たないっていうし、噂もあながち間違いではない部分もあるのだと思う。
だってさ、侯爵様って『歩く凶器』が代名詞なんだよ? なんかもう怖い人物像しか想像できないんだけど……。
これだけ不穏な噂ばっかりなんだから、婿候補とし名前が挙がろうと父さんなら速攻で弾き飛ばすくらいはすると思うんだけどな。どうしてよりにもよって一番の除外対象である侯爵様が姉さんのお婿さんに選ばれたのか全くわからない。
あの侯爵様、一体何者? というか、何で姉さんの存在を知ってるの? それ知ってるのが一番怖いんだけど……。それだけ凄腕の私兵を囲ってるって事なのかな? もう本当に訳がわからない。
とにかくこの侯爵様に関しては今のところ謎だらけだ。
伯父さんたちにも話を通さずに正面から堂々と姉さんを嫁にくれって言ってきた猛者は、僕が知る限りでは、侯爵様が初めてだった。恐らく、後にも先にも彼一人だけだろうとも思う。それくらいに姉さんの存在は中央貴族たちには秘匿されているのだ。だから姉さんには表だった縁談は一つもなかったのだが、何の手違いか、侯爵様からの縁談はうちに来た。本当にビックリした。
そんな不穏な噂ばかりの侯爵様に嫁ぐとなったらさすがの姉さんもいやがるんじゃないかと思ったんだけど、予想外に姉さんは縁談に乗り気だった。
姉さんはきっとこの縁談話が流れてしまったら次はないと思っているに違いない。周りにいる年頃の女の子たちが次々に嫁いでいく中、姉さん一人だけ縁談話のえの字もない状態だったからね。姉さん自身は誰からも相手にされないと若干落ち込んでたしね。
でもさ、表向きはそうだったかもしれないけど、裏ではそれはもうたくさんの候補者が落選していったという事実があるんだけどね。それを姉さんは知らないからなぁ……。僕も口止めされてるから言えないしなぁ……。
そんな事情もありつつ、張り切って嫁ぐ準備をしている姉さんを心配しながら見守ってた頃、僕は父さんからようやく姉さんの嫁ぎ先がレヴェリー侯爵様に決まった理由を教えてもらった。
どうして最初に教えてくれなかったのかと言えば、父さんも母さんもすぐには姉さんが嫁ぐという現実を直視できずに若干現実逃避をしていたため、詳しい説明は後回しにしていたらしい。
はっきり言わせてもらうけど、子離れできないのも大概にしろ。
そんな呆れるような両親の事情はさておき。理由を聞いて、何故父さんがレヴェリー侯爵様を婿に決めたのかという事に納得がいった。
納得はしたけど、それは外的要因だけの話だったから、侯爵様が姉さんの相手に選ばれた根本的な理由は、未だに分からないままだ。
しかしながら、あの過保護の度合いが振り切れている父さんが受け入れた縁談なんだから、きっと姉さんにとっては最良の相手だったんだと思う事にした。
◆◆◆◆◆
「え、姉さんのところに?」
姉さんが嫁いでから二月くらいが経った頃、父さんから王都に行ってくれという要請があった。
「別に行くのは構わないけど、今行ったら絶対に父さんの差し金だと思われるよ?」
「う……」
言葉に詰まる父さんを眺めながら、そういった意味での要請なのかとため息が出た。
「姉さんは侯爵様と仲良くやってるって連絡来てるでしょう? 今はまだそっと見守ってなよ」
姉さんからじゃなくて父さんが送り込んだ密偵からの連絡だけど、細かい事を気にしていたらきりがない。
「リリの事を心配しているのは確かだが、今回はそういう意味ではなくてだな」
父さんの表情が若干固い気がして、何か嫌な予感がした。
「何かあったの?」
「リリの身が危ないかもしれん」
父さんは難しい顔になると、その声音に若干の苛立ちを乗せてきた。
「ルフレム王家はまだリリを諦めてはいない」
「それはまた」
面白くもない冗談だ。
そんなことを考えながらも、顔から表情が消えていく。
「リリがリリアリムから出たことで好機と見なしたのかもしれん。おそらく面倒なことになるだろうから、ナナはリリの側に行ってもらいたい」
「分かった」
さてさて。
あのロクデナシ大馬鹿王が動く前にこっちも動かないと。
姉さんも結婚して幸せに暮らしてるんだから、邪魔者はさっさと退場してもらわないとね。




