姉と弟
「姉さん、これ美味しいね」
「そうでしょう。侯爵家の料理人さんはとても腕が良いのよ」
ディー様が帰宅後、突然やって来てしまった弟を紹介すると、ディー様は少々驚きつつもナナの事を歓迎して下さいました。
ディー様の帰宅が早かった事もあり、皆で食事をしようという事になって現在はディー様とナナと私で食卓を囲んでおります。
「この料理は確かに美味しいけど、やっぱり僕は姉さんの手料理の方が好きだな」
「あら、ありがとう」
そうやってナナと話していると、ディー様から声がかけられました。
「二人は仲が良いんだな。俺には兄弟がいなかったから、リリたちを見ていると羨ましく思う」
「そうですか? 今でこそ関係は良好ですが、子供の頃はこれでも喧嘩ばかりしていたのですよ」
「リリでも喧嘩をするのか?」
「姉さんが怒るとそれはもう怖いなんてものじゃ」
「ナナ、後でちょっと話があるのだけれど」
「う、うん。姉さんは優しい……ネエサンハヤサシイ……」
小刻みに震えだすナナを神妙な面持ちで見つめるディー様。
大丈夫です。いつもの事ですから。
「ところで、ナナ君はリリを訪ねてきただけなのか? 他に――」
「もう! みずくさいですよ。姉さんの旦那様なんですから、僕の事もナナって呼んでください」
「そ、そうか? では次からはそう呼ばせてもらう事にしよう」
「はい。そうしてください」
あら、何でしょうか。この胸に広がるモヤモヤは。
「どうしたリリ?」
「いえ、何でもありません……」
「何でもなくないでしょう? 何で拗ねてるのさ」
「……何でもないわよ」
拗ねている訳ではありません。出会ったその日に名前を呼んでくれと言えるナナの人懐っこさを少しだけ羨ましいと思っただけです。
私は名前を呼んでもらうのにふた月程かかったというのにどうしてナナはそんなに簡単に呼んでもらえるの! などと悔しがったりはしていません。ええ、していませんとも。
「本当にどうしたの? 言いたい事はちゃんと良いなよ。義兄さんだってその方が良いですよね?」
「に、義兄さんか……」
ナナの言葉に少々動揺するディー様。
何故でしょう。先ほどまでのモヤモヤが一気に消えて、今度は嬉しいような気恥かしいような、何とも言えない気持ちになってしまいました。
ディー様は私の旦那様なのだから、ナナからすれば義理の兄という事になるのですよね。ナナが私の旦那様を義兄と呼んでくれると、私の大切なディー様の事を家族として見てくれているのだと嬉しくなります。
「二人ともどうしたの? 僕、何か変な事言ったかな?」
「い、いや、そんな事はない」
「そ、そうですよ。何でもないですから」
「そう? 姉さんも義兄さんも何か変」
まあいいや、と言いながらナナは料理を頬張っております。そんなナナを横目にディー様と視線を交わし合うと、思わず二人して笑ってしまいました。
「そうそう、義兄さんの質問ですけどね。姉さんを訪ねる事が一番の目的だというのは変わりないのですが、ついでに陛下へも挨拶して来いって父に言われていますので、明日にでも会いに行こうかと思ってるんです」
「そうか。だが陛下への謁見を希望するとなると申請が必要になる。明日会うというのは難しいと思うのだが」
「ああ、大丈夫ですよ。申請は必要ありませんし」
「申請がいらない……?」
「はい。だって陛下は僕らの従伯父ですから」
「……ッ!?」
「ぶふぉッ!?」
私は口に入れた料理を根性で押しとどめましたが、ディー様は呑んでいたワインを盛大に噴き出しておりました。
お気持ちはお察しいたします。
「ちょっとナナ! その話は」
「大丈夫だって。言ってもいいって父さんに許可はもらってきたから。伯父さんの事はもう話してあるんでしょう? だったらそこまで慌てなくても……あ、もしかして使用人の皆がいる前ではしない方がよかったとか?」
「それは、ゴホッ、気にしなくていい。うちの使用人は信用に足る者たちしかいないから安心してくれ。ゴホッゴホッ」
咽ながらもナナに答えてくださるディー様に手巾を渡している最中、侍女の方たちはあっという間にディー様の噴き出したワインをふき取りその場を綺麗にしてくれました。
さすがは侯爵家の侍女さん。仕事の早さは天下一品です。
「陛下が君たちの従伯父というのは事実なのか?」
「事実ですよ。父と陛下は従兄弟ですから」
「という事は、君たちの祖母は……」
「はい。祖母は前王陛下の妹でした」
そうなのです。リリア男爵家はド田舎に住まう下級貴族でありながら、王族の血筋を持っているのです。この事はオーレル侯爵家の縁者だという事実以上に秘匿しておかなければならなかった事実だったのです。それなのにナナはあっさりそれを話してしまったので、ディー様に言えず心苦しい思いをしていた私は一体何だったのだろうかと遠い目になってしまいました。
「そうか……そういう事だったのか……」
ディー様が途方に暮れたような様子で何かを呟いております。こんなとんでもない事実を団欒の場である食卓で他愛ない話の一つのような気安さであかされてしまっては、さすがのディー様でも戸惑われたと思います。
「ディー様、その、すみません。いきなりこのような話を聞かされても困りますよね……」
こんな面倒くさい身の上の女を妻に迎えてしまった事をディー様が後悔なさったらどうしましょう。やっぱり実家に返品すると言われてしまったらどうしましょう。何を言われても絶対にディー様から離れないと心に決めておりますが、ディー様が本気で嫌がってしまったら離れざるを得ないのかもしれません。
きっと私の身の上を知ったら誰でも私の事を敬遠なさると思うのです。王家とオーレル公爵家の縁者ではあるものの実家の家格は最下層。家格相当に扱えばいいのか血筋相当の扱いをした方が良いのか、私だって迷うと思います。私自身はド田舎住まいの下級貴族という認識なのですが、残念ながら、周りの皆がそう思ってくれるとは限らないのです。その事に関しては、私も十分に分かっているのです。
「リリが言えなかったというのも頷ける」
「すみません……」
「謝らなくていい。確かに王家の血筋を持っているというのは驚いたが、ちゃんと知る事ができて良かったと思っている。知らないままではリリをちゃんと守れなかっただろうから」
「ディー様……」
ディー様が心配するなというように微笑みかけてくれるので、思わず泣きそうになってしまいました。
「お嫌ではないですか? こんな面倒な身の上の私は……」
「嫌ではないよ。むしろ俺の元に嫁いで来てくれてとても感謝している。だからこれからも俺の妻として側にいて欲しい」
ああ本当に、私はこの方に嫁げて幸せです。
「はいっ。これからもよろしくお願いいたします」
「ああ」
私もディー様の妻にしていただけて本当に感謝しております。こんなに面倒くさい身の上の私でも変わらず側においてくださるのですから。
きっと貴方に出会えた事が私の人生にとっての最大の幸運だったのでしょうね。
「私が話せなかった事情はこれで全部です。ようやくディー様への隠し事がなくなったので良かったです」
「そうか」
「はい!」
ディー様に隠し事がなくなったため、とても清々しい気持ちです。私の身の上のせいでディー様に迷惑をかけてしまうかもしれないという心配は消えませんが、それでもディー様が私をちゃんと受け入れてくれた事がとても嬉しいのです。ですから今後はディー様に迷惑がかからないよう、これからも妻として頑張っていこうと思います。
「すみません。これのお代わりあります?」
不意にナナが料理の追加を要請したため食卓に視線を向ければ、いつの間にか食卓に並んでいた数々の料理が姿を消しておりました。
「見た目に反して良く食べるのだな……」
「この子、昔から大食いなんです……」
「何言ってるのさ。姉さんだって僕と同じくらいはぐッ!?」
「あら? 何か言ったかしら?」
「何も、言ってません……」
卓の下でナナの足を蹴るというはしたない行動を取ってしまいましたが、それだけはディー様に知られたくないのです。二、三人前は軽く食べる女だなどと知られたくないのです。もうディー様に隠し事はないと言いましたが、これだけは隠し通したいと思っております。
「リリも良く食べる方だとは思っていたが、弟はそれ以上だったな」
「はう!?」
「ん? どうした?」
非常事態発生です。
ディー様に私の大食いがばれております。
「ど、どうして、それを……」
「いや、俺と同じ量を食べた後でもう一品追加で食べた揚句にデザートまで二、三種類食べるものだから、リリは良く食べる子なのだなと思っていたんだが……」
何たる失態! こんなことならデザートは一種類で我慢しておけばよかったです。
「やっぱり隠せてなかったし。姉さん食べるの大好きだもんね」
「お願いだから、それ以上余計な事を言うのはやめてナナ……」
「恥かしがる事はないだろう。俺は幸せそうに料理を食べるリリを見ているのは結構好きだ」
「そ、そうですか? ではこれからは我慢せずに食べようと思います!」
「そうしてくれ」
ナナが「食費が凄い事になりますよ」などとディー様に言うものですから、もう一度卓の下でナナの足を蹴っておきました。
「そ、そうだ! 義兄さんはもう姉さんの手料理は食べましたか? 姉さんはこう見えて料理上手なんですよ?」
不自然にならないような話題を振るナナに、何て素晴らしい話題を挙げてくれるのだと胸の内で感謝しました。この子はやればできる子です。
「料理を嗜んでいるという事は聞いているが、残念ながらリリの手料理はまだ食べた事がない」
「そうなんですか? 姉さんの事だからお弁当でも作ってるのかと思ってました」
「弁当を?」
「はい。リリアリムでは仕事に行く際は奥さんのお弁当を持って行くのが普通なんです。姉さんも誰かに嫁いだ時はお弁当作りを頑張るのだと張り切っていましたから、てっきりそうしているモノと思っていたんですけどね。まあここは王都ですし、そもそも習慣自体が違いますから、なかなか言い出せなかったのだと思います」
ああ、ナナ。さっきは足を蹴ってごめんなさい。貴方は本当にいい子ね。大好きよ。
「職場には食堂があるから弁当を持って行くという考えがそもそもなかったが。そうか、リリアリムでは弁当を……」
何かを考えるような素振りを見せるディー様の様子に少々期待が高まります。これはもしかすると私の希望が叶うかもしれません。
「リリの負担にならないのであればそれも良いかもしれないな」
「はい! 喜んで作らせていただきます!」
「……姉さん。義兄さんはまだ作ってくれって言ってないから」
あら? 今の言葉は作ってくれと言われたも同じだと思うのですが?
「それほどやる気に満ちた返事をされては作ってもらうしかないな」
口元を手で押さえながらそう言うディー様は笑いを堪えようとして失敗しておりました。
ディー様に笑われてしまいましたが、別に構いません。ようやく手料理を披露できる機会に恵まれたのですから、精一杯愛情を込めてディー様のお弁当を作ろうと思います!
「早速明日から作りますね」
「明日からか? そんなに急で大丈夫か?」
「ええ。お任せ下さい!」
「そうか。では頼む」
「あ、僕も明日は王城に行くから僕の分も作って欲しいな」
「分かったわ。ついでに作ってあげますね」
「僕はついでなんだ……」
しょぼんと項垂れるナナにはちゃんと冗談だと伝えておきました。




