嫁が来ました
「ライル。リリア男爵家の情報を述べろ」
「え、何いきなり。何でリリア男爵家?」
隣の机で仕事をしている同僚は不思議そうに首を傾げながらも問いの答えを返してくる。
「えっと、我がアムリア国の隅っこであるリリアリム地方を領地としてそこを細々と治めてる田舎貴族。しかしその実態は屈強な戦闘一族だと噂されている。未だ開拓の進んでいない未開の地として知られているリリアリム地方には凶暴な猛獣が多数存在していると言われ、それらと日々戦いながら暮らしているというリリア男爵家の面々は、男女問わず屈強な戦士であり皆が片手で熊を倒せるだとか何とか。滅多に領地から出る事がないためリリア男爵家の面々を見た者は少ないが、皆が熊のように大きな体をしているらしいという噂がある。貴族たちの間では『辺境の熊一族』とか『未開の地の狂戦士』として恐れられている……っと、大体こんな感じかな? あとは旧王国時代の王家の末裔だ、とか、リリアリム地方にある幻の銀山を守ってる、とかかな。まあほとんど眉唾な噂だけどね」
「とりあえず熊だの狂戦士だなどと称した奴を見つけたら連れて来い。地獄を見せてやる」
「一体何があったの!? リリア男爵家と何かあったの!?」
何故かガタガタと震えだす同僚を一瞥してから、手元の書類に視線を落とす。「え、俺の質問は無視なの!?」という同僚の言葉はちゃんと無視して仕事を再開した。
昨日、俺の元に嫁が来た。リリア男爵家の娘だ。リリア男爵家の噂については同僚が述べた内容が一般的な情報となっている。そもそも社交界に顔を出さない貴族家なので関心を持つ者があまりいない事もあってか、リリア男爵家の情報は未だに不確かなものが多いのだ。
しかしながら、リリア男爵家は王家からの舞踏会や宴の招待状であっても詫状一つで常に不参加という猛者だ。そのため、俺も皆が噂する内容はほぼ事実なのではないかと思っていたのだ。
リリ・リリア嬢に会うまでは。
◆◆◆◆◆
俺自身、事実とは異なる噂を多数囁かれている。猛獣と素手で戦えるだとか壁を破壊できるだとか逆鱗に触れた者は消されるだとか何とか。
外交で他国に行った際に大型の肉食獣に襲われて撃退した事もあるが、あれは素手ではなく剣で応戦したから事実とは異なっている。たまたま当たった拳が壁を破壊した事もあるが、それは建物自体が老朽化していただけだ。確かに俺の逆鱗に触れた奴は今まで何人かいたが、その誰もが次の日には辞表を提出してさっさと辞めていったためにその後姿を見る事がなくなったというだけの話なのだ。
どれもこれも事実が誇張されて広がってしまっただけに過ぎないのだが、今では俺は『歩く凶器』とまで言われ、目が合っただけで誰からも萎縮されてしまうという毎日を送っている。俺はそこまで凶暴な人間ではないというのに。まあ、それも今更だがな。
そんな訳で、そういった理不尽な噂のせいで俺には縁談話が一つも持ち上がる事はなかった。ただ一つの例外として祖父同士の口約束で決まった仮の婚約者はいたが、相手の令嬢は婚約者が俺である事を泣いて嫌がり、早々に婚約の話はなかった事になった。
もう五年前の話であるし、俺としても会った事もない女に泣いて嫌がられたとあっては未練など微塵も感じなかった。何より彼女の家とは縁続きになりたくなかったため、むしろ婚約を破棄してくれて良かったと思っている。彼女とはこれからも赤の他人のまま生きていくのだろうから、既にこの婚約に関しては記憶の彼方に葬り去っている状態だ。
しかしながら、元気だった祖父が三年前に亡くなってしまった今、両親も成人前に亡くしている俺としては嫁さがしに苦労する羽目になっている。苦労の大半は貴族の間に流れている噂のせいでな。
残念ながら俺には兄弟がいないため、兄弟の子を跡継ぎに据えるという選択肢が存在しない。そのため、必然的に自分の子を何が何でも作らなければならないのだが、如何せん、子供は俺一人では作れない。必ず相手が必要だ。しかしその相手となる娘がなかなか見つからないというのが現状深刻な問題だった。
一応我がレヴェリー侯爵家は国内でも上位に位置する大貴族であるため、相手との釣り合いも考えて(釣り合いのとれない下位の貴族に縁談を申し込むと娘を差し出せという脅迫に取られる事が多い)いくつか縁談を申し込んでみたりもしたが、その全てに断りの返事が来た。
こうなっては仕方がないので、少し下位の貴族にも申し込んでみたがそれも惨敗。既に縁談を申し込んでも差し支えのない家がなくなってしまい、もうどうにでもなれと自棄になり手当たり次第に縁談を申し込んでいたら、一つだけ了承の返事が返って来た。それがリリア男爵家のリリ・リリア嬢だった。
縁談の申し込みを送った事すら記憶になかったリリア男爵家からの返事にはさすがに困惑した。返事が来たという事は俺が縁談を申し込んだという事に他ならないのだが、もし記憶に残っていたとしてもまさかリリア男爵家から承諾の返事が来るとは思わなかっただろう。
俺はリリア男爵家に娘がいた事すら知らなかったのだ。それなのに(記憶にないが)リリア男爵家に縁談を申し込んでしまった俺は、嫁さがしに躍起になり過ぎてどうかしていたのだと思う。
かの男爵家は領地から滅多に出ないと言われているため、男爵家の人たちと面識がある者は本当に僅かしかいないという話だ。というか、俺自身面識があるという人物に会った事すらない。俺としても噂程度でしかリリア男爵家の事を知らないし、おそらくあちらも俺の事は噂程度でしか知らないだろう。そんな状態でよく縁談を受け入れたものだと不思議に思う。
相手は熊や狂戦士と称されている人たちだ。いくらこちらの方が格上だと言ってもこの縁談を脅迫に取られたというのは考えられない。むしろ脅迫だと思われたとしたら報復の戦いを挑まれそうだ。噂から考えれば。
本当に何故申し込みを受け入れてくれたのか謎だ。
しかしながら跡継ぎが欲しい俺としてはリリ嬢が屈強な女戦士だろうが何だろうが子供を産んでくれさえすればそれで良い。『辺境の熊一族』や『未開の地の狂戦士』などと噂されている一族の女性なら、おそらく体つきもしっかりとした健康体に違いない。そうであるのならきっと逞しい子をたくさん産んでくれる事だろう。そう考えれば、リリ嬢を妻として迎える事は良い事のように思えた。
そうして迎えた昨日。本当はリリ嬢を迎えるため休むはずだったのだが、少々問題が発生して俺まで駆り出されてしまった。なかなか収拾がつかず、部署内はずっと慌ただしかったが、俺は夕刻には返ると先に宣言していたので日が落ちる前に帰る準備を始めた。しかし同僚のライルに泣きつかれ、渋々残ったら最後まで付き合わされてしまった。
アイツには後日俺の仕事を丸一日分押し付けてやろうと思う。
そんな事もあり、ようやく帰り着いた邸では家令のダグラスににこやかな笑顔で帰りが遅いと怒られてしまった。そこは全面的にライルが悪いという事で話をしておいた。事実だからな。
日付も変わってしまった夜中にリリ嬢の部屋を訪問するのはさすがに気が引けたが、出迎える事ができなかったのだからせめて挨拶だけでもしておくべきだろうと思い直し、部屋へと向かった。
事前に屈強な女戦士を想像していた俺は、扉を開けて現れた少女に言葉を失った。
俺と同じくらいの目線に顔があると思っていただけに、現れた少女が予想より遥かに小さくて、一瞬ひとりでに扉が開いたのかと勘違いしてしまった。
その体つきも想像していたものよりずっと華奢で、腕など俺が掴んだ瞬間に折れてしまうのではないかと心配になるほど細かった。
くりっとした小動物のような愛らしい瞳で見上げられるとその整った美しい容姿と相まって神が創った完璧な彫刻を前にしているかのような錯覚を覚えた。
目の前の少女が生きた人間なのか若干疑ってしまったほど、本当に彼女は美しかった。
この少女は本当にリリア男爵令嬢なのだろうか。何かの手違いで別人が来てしまったのではないか。そんな事を考えながらも、招き入れられた部屋の中でリリ嬢と共に長椅子に座った。
妻のために用意したこの部屋に居たのだからリリ嬢で間違いないのだが、これ程可憐な少女だとは思ってもみなかったので驚きの方が大きかった。相手はきっと屈強な女戦士だろうから俺の噂など歯牙にもかけないだろうと高を括っていたが、隣に座るリリ嬢を目の当たりにすると、その辺りから弁解しておかなければすぐに実家へと逃げ帰ってしまう気がしてならなかった。
俺としては一人でも跡継ぎを生んでくれさえすればそれで良いので、それまではここに留まってもらいたい。子供を産んでもらった後、リリ嬢が実家に帰りたいと言えばそうしてもらっても構わないと思っている。……本当は妻としてずっと留まって欲しいが。
とりあえず本音は隠しつつ、そういう事をはじめにちゃんと伝えておいた方が良いだろうと思って話しておく事があると告げれば、少しの間をおいてリリ嬢が口を開いた。
「ご安心ください。ご満足いただけるよう精一杯頑張らせていただきますから」
言葉を失った。まさか閨事に関しての頑張る発言が返ってくるとは思っておらず、一瞬どう反応していいのか分からなかった。
リリ嬢は俺を前にしても委縮しないし、物怖じせず真っ直ぐ俺の目を見て話をしてくる。そういうところは大変好ましく思う。怖がられ、萎縮され、敬遠されるのは日常茶飯事となっている俺にとってリリ嬢のような存在は稀有なものであることは最早言うまでもないだろう。出来ればこのまま夫婦になれたらいいという願望を抱かない訳ではないが、リリ嬢から積極的な発言を聞いてしまうと、舞い上がるどころか逆に何かを企んでいるのではないかと勘ぐってしまう。
これは最早職業病だ。外交官などという職に付いていると腹の内を探り合うのが常だからな。
そんな風につらつらと余計な事を考えてしまったが、既にダグラスからうちの事情を聞いたのだろうという事に思い至る。そういう事ならリリ嬢の発言にも納得できるし、彼女自身も既にそう言った事を了承しているという事なのだろうと分かる。
ならば話は早い。さっさと目的を達成させるために頑張ろう。その方がきっとリリ嬢も早く俺から解放してやれるしな。俺のように不穏な噂ばかりの男とずっと一緒では、リリ嬢のような可憐な少女には辛いだろうから。
長椅子から立ち上がりリリ嬢に手を差し出せば、小さな手が重ねられる。その手の小ささに少々緊張しながらもそっと握ってリリ嬢を立たせると、そのまま寝台へと連れていった。
何の抵抗もないまま付いてくるリリ嬢をそっと寝台に寝かせ、俺はそのままリリ嬢を抱いた。
翌日、長旅と慣れない邸で初めて過ごした疲れに追い打ちをかけるかの如くリリ嬢を抱いてしまった事は、ダグラスにこっぴどく叱られた。
◆◆◆◆◆
「何が熊だ。正しくはウサギだ」
「え、何? ウサギがどうしたの?」
思わず呟いてしまった言葉にライルが反応する。別にお前に話しかけた訳ではないと睨んでやると、でっかい独り言を呟くお前が悪いと言い返された。余計なお世話だ。
俺の言葉に言い返してくるのはこの部署内ではライルくらいだが、たまにその存在を鬱陶しく思う時もある。
「なあ、今日のお前ちょっと変じゃない? 何かあったの?」
いつも人好きする笑顔でヘラヘラしているくせに、コイツは他人の微妙な変化に敏感に気付く。だから外交官という仕事がこなせるというのもあるが、今回ばかりはその鋭さは迷惑だ。
「何もない」
「うっそだぁ。じゃあなんでリリア男爵家の事聞いたりしたんだよ」
チッ、確認の意味でコイツに聞くんじゃなかった。
「うるさい。俺の仕事はもう終わったから帰らせてもらう。じゃあな」
「え、ちょ、嘘!? もう終わったの!? 待って! 俺まだ終わってない! お願い手伝って!」
「ああ? 昨日お前の失態の尻拭いをしてやったのは誰だったか言ってみろ」
「お、お気をつけてお帰り下さい……」
別にそこまで凄んだつもりはなかったというのに、ライルは捕食されそうな小動物のようにブルブル震えているし、部署内からも「ヒィッ!?」という悲鳴が多数聞こえた。皆失礼だ。
「悪いが今日は早く帰りたい」
「そっか。それじゃあまた明日な~」
部署内の雰囲気を悪くしたまま帰るのは申し訳ないと思いライルに詫びを入れると、人の良い同僚は察してくれたようでいつものように笑顔で手を振って来た。それに片手を上げて答えると、俺は職場を後にした。
今日は何故か早く家に帰りたいと思ってしまった。
それはきっと、一日中リリ嬢が実家に帰ってしまわないかと気が気じゃなかったからだと思われる。
早くリリ嬢の存在を確認したいがために急いで家に帰ると、なんとリリ嬢自らが出迎えてくれた。笑顔で俺を迎えてくれるリリ嬢の姿にホッとすると同時に、わざわざ出迎えてくれた事に驚きつつも感激してしまった。
健気に俺の帰宅を喜んでくれるリリ嬢に昨夜の事をちゃんと侘び、今日は大人しく自分の部屋で寝ようと自室へと向かう。しかし何故かリリ嬢は当然のように俺の部屋までついてきた。もう部屋に戻ってもいいと告げてみれば、リリ嬢は「ではお部屋でお待ちしております」と言った。聞き間違いではない。確かに言った。俺の耳は正常だ。幻聴ではない。
だが俺は我慢した。近年稀にみる苦行だったが我慢した。
しかし自分の寝台にはリリ嬢を連れ込んだ。それくらいは許して欲しい。
リリ嬢は寝台に連れ込んでおいて何もしない俺に不思議そうな視線を向けてきたが、俺がリリ嬢を抱きしめたまま眠ろうとすれば、彼女もそのまま俺に身を寄せ目を閉じた。
理性が崩壊しかけた。
ただ抱きしめて眠っただけだが、俺にとってはこの上ない至福の睡眠時間だった。
次話からは昼の12時更新になります。




