夫の事情 その一
カトレアおば様にご挨拶している最中、途中からディー様とライル様も加わってしばらく四人でお話をしました。その後はディー様と共にたくさんの方々にご挨拶をし、ディー様は私の事を妻だと皆様に紹介して下さいました。お仕事を一緒にしている方々も参加していたようなので、その方たちにも妻としてご挨拶出来たので嬉しかったです。
しかしながら、私は嬉しさのあまりディー様の隣にピタリとくっついたまま締りのない笑みを浮かべていたと思います。妻として恥かしくない振る舞いをしなければならないのに、私とした事が浮かれ過ぎておりました。反省です。
「一曲踊らないか?」
一通り挨拶を終えた後、ディー様にそう誘われたので嬉しさのあまり差し出された手を取ってしまったのですが、正直に申しまして、私はあまりダンスが得意ではないのです。
「あの、私はあまりダンスが得意ではないので、その辺りはご容赦くださいね」
「心配しなくてもいい。こういうものはただ楽しめばいいんだ」
「はい。ありがとうございます」
丁度良く流れていた曲が終わり、次の曲が流れはじめました。その曲に合わせてディー様と踊りはじめると、ディー様の足を踏まないように細心の注意を払ってステップを踏んでいきます。
「俺よりずっと上手いじゃないか」
「そんな事はありません。ディー様の方がお上手です」
曲に体が乗り始めると少し余裕も出てきて、ディー様と目を合わせて互いに笑いあったりもしました。
礼儀作法や踊りの作法は全てお母様に叩きこんで貰ったのですが、子供の頃はそれらを身に付ける事を嫌がったりもしていたのです。ですが今は嫌々ならがでも修得しておいて良かったと心から思っております。こうしてディー様としっかりと踊る事が出来るのですから、お母様の鬼のような特訓に涙した日々は決して無駄ではありませんでした。
「宰相から君の事を聞いた」
不意にそう語りかけてくるディー様を見上げながら、心の中は申し訳なさでいっぱいになってしまいました。
「まさか宰相と縁のある家だとは思わなかった」
「ずっとお教えできなくて申し訳ありませんでした。ディー様にご迷惑がかかるからと父に込み入った事情は黙っているよう言い付けられておりましたので」
「それもちゃんと教えてもらった。だからそう落ち込まないで欲しい。宰相は近いうちにいろいろ分かると言っていたから、それまでは何も聞かない事にする」
「ディー様……」
おそらく伯父様は、私が伯父様の姪である事以外はディー様たちに話さなかったと思います。ですが、どうやら伯父様はその話以外にもまだ事情がある事はディー様たちに伝えたようです。という事は、いずれディー様には全てを話してもいい日が来るという事なのでしょう。ディー様はまだ話せないそれを無理に聞こうとはせず、時が来るまで待つと言ってくれました。ですから、その時が来た時は包み隠さずディー様に全てをお話ししようと思います。
本当は今この時に全てをディー様に話してしまいたいのです。確かにディー様が私の『事情』を全て知った時に私の事をどう思うのかを考えると不安になりますが、ディー様に隠し事をしている事の方が私は心苦しいのです。こんな私を妻として大切にしてくれる人だからこそ、私もその気持ちにちゃんと応えたいのです。
ディー様は私が伯父様の姪であろうと決してそれを利用して何かをしようとする事はないと断言できます。ですが事はリリア家だけの話では終わらないので、それぞれの許しがなければお話しできないというのが悲しいところです。
「あー……、何も聞かないと言っておきながら聞くのも何だが、リリは俺の他に誰かから縁談話があったのか?」
「いいえ。ありませんでした」
事実なので即答しておきました。
「本当に?」
「はい。父から聞いた縁談の話はディー様からの申し込みが初めてでしたから」
「そうか……」
ディー様からの縁談の申し込みを知らされるまでは全くと言っていいほど我が家では私の縁談の話はされた事がありませんでした。両親に対して私を嫁がせる気があるのか不安を覚え始めていた頃、ディー様との縁談の話を聞いたのです。
私にも縁談を申し込んでくれる人がいてくれた事にホッとしつつ、やっぱり行かないでくれと追いすがる両親を前にして、この縁談を断ったら私は何処にも嫁げないと確信してしまったくらいです。
「リリア家の事情はどうあれ、うちは地方の田舎貴族ですから縁談を申し込んでくれる奇特な方はいなかったのです。ディー様だけが私を妻にと望んで下さったのです。ですから私はディー様に嫁ぐ事ができて幸せです」
「そ、そうか……」
あら? 何故視線を逸らしてしまわれるのですか? ハッ! もしかしてリリア男爵家に縁談の申し込みをしたのはただの気まぐれだったとかそういう事ですか!? いえ、それでもいいのです。私はディー様の妻でいられる今が幸せなのでそれでいいのです!
「たとえ縁談の申し込みがディー様の気まぐれであっても、私は貴方の妻になれて嬉しいのです。だから当時の事情はどうでもいいのです」
「……リリの眩しい笑顔が心に突き刺さる」
何か呟かれたようですが聞き取れませんでした。
「ディー様?」
「いや、俺も君を妻に迎える事ができて幸せだ。君と出会えたことは俺にとって奇跡だった」
笑いかけてくれるディー様に見惚れながら、私も嬉しくて笑みが浮かびました。
ディー様が笑ってくれるだけで、私の心はとても満たされるのです。ですから、ディー様がいつも笑顔を向けてくれるように、私はいつも笑顔でいようと思うのです。
「そろそろ曲も終わる。後はゆっくり過ごそう」
「はい」
曲の終わりと共に足を止めると、ディー様に手を取られたまま会場の隅へと移動しました。すると見計らったかのように声をかけられました。
「ディートルト殿も参加されていたとは。いやあ、久しぶりですな」
声のした方へと振り向けば、ディー様よりいくつか年上の男性が近くにおりました。
「お久ぶりです、オズ殿」
「最近顔を見なかったから他国で死んだのかと思ってしまったよ」
「……不吉な事を言わないでください」
「はっはっは。いやあ、生きていて良かった良かった」
どうやらディー様のお知り合いのようです。貴族の事に疎い私ではお名前を聞いてもどなたなのか全く分かりません。そういった知識を得て来なかったツケが今回って来ております。ディー様に恥をかかせないためにも、今後は貴族の人物名鑑を自作する事にいたしましょう。
「そういえば先ほど踊っておられたそちらのお嬢さんはご親戚の方なのですか?」
「いいえ、妻です」
ディー様がそう説明した途端、オズ様が固まってしまいました。
先ほどから思っていたのですが、ディー様が私の事を妻だと紹介するたびに誰も彼もが一時停止するのですが、私たちの結婚はそれほど予想外の出来事なのでしょうか。確かにリリア男爵家の娘が格式高いレヴェリー侯爵家に嫁いだという事実は驚く事なのかもしれませんけれど。
ですが、一時停止している人は決まって、
「君が結婚するとは思わなかった……」
と、驚愕しながら一言呟くのです。謎です。
私と結婚したという事実に驚くのなら分かるのですが、何故ディー様が結婚した事をそれほど驚くのかよく分かりません。
ディー様はレヴェリー侯爵家という伝統ある大貴族のご当主ですし、外交官という立派なお仕事もしております。見目に至っても、多少眼つきの鋭さはありますが、綺麗な顔立ちの方なので女性に人気がありそうなのですけれど。
ですがディー様はもう私の旦那様ですから、たとえ私のような田舎娘にはもったいないと言われようが妻の座は誰にも譲りませんけれどね。
「お初にお目にかかります。妻のリリと申します」
「これはご丁寧に。私はオズ・クラトと申します。こう見えてオズウェル商会の代表を務めております」
「まあ! オズウェル商会の会長様ですか」
「まだまだ若輩者ですけどね。何かご入り用がございましたら我がオズウェル商会をご贔屓に、奥様」
この方が、世界をまたにかける大商会であるオズウェル商会の会長様だったなんて驚きです。オズウェル商会はリリアリム地方にも行商に来てくれる奇特な商人さんたちが所属している商会でもあるのです。ここは一言、リリアリムを代表してお礼を申し上げておいたほうがいいでしょうか。
「いやはや、まさかこれほどお綺麗な奥様を娶られるとは。ディートルト殿も隅に置けませんな」
「リリを妻に出来た事は自分でも信じられないほどの幸運だったと思います」
「……おやおや。まさかそう返してくるとは思いませんでした」
「謙遜も出来ないほどに妻が美しいので事実を語る事しかできないだけです」
「貴殿は本当にディートルト殿か?」
ディー様が私の事を褒めてくれるので、嬉しいやら恥かしいやらで頬が熱くなってしまいます。
「それだけ妻がいる事が幸せだという事ですよ」
「はっはっは。愛する人を見つけると人は変わると聞きますが、正にその通りですな」
軽快に笑うオズ様は、顔に笑みを浮かべたまま言葉を続けます。
「奥方との親交も深めたいところではありますが、実は一つお耳に入れておきたいお話があるのです。どうです? 買いませんか?」
ディー様が少し困ったような顔で私を見下ろしてきましたから、おそらく私はいない方がいいという事でしょう。
「少々喉が渇いてしまったので、あちらで果物でも頂いてきます」
そう言って料理が並べられているテーブルを示すと、ディー様が少しだけ周りを見渡して誰かを探すそぶりを見せました。
「ちょっと待っていろ。ライルを側につけるから」
「いえ、一人で大丈夫ですから」
ライル様だって参加している方々との親交を深めているでしょうから私のためにその貴重な時間を割いていただくのは申し訳ないです。ですから私は邪魔にならないように一人で離れる事にします。
「ディー様から見える位置におりますのでご心配なさらず」
そうして何とかディー様に場を離れる許可を頂くと、私は一人で料理が並べられたテーブルへと向かいました。




