妻の事情 その一
「……」
「……」
いつものように隣同士で、いつものように仕事をしながら、いつもとは違い無言。
最近ではそれが俺とライルの日常だ。
「……腰が痛い」
「座りっぱなしだからだろ? 少し外で体動かふへいっくしょん! 何だろうなー、鼻がムズムズするなー」
俺がボソッと何かを呟けば、半ば無意識に反応してはあからさまな誤魔化し方でやり過ごそうとする。
少々面白いのでたまにこうやってライルで遊んでいる。
最近ライルは俺を避けまくっている。原因ははっきりしているが、俺やライルがその原因を取り除こうと動いても逆に深みにはまっていくだけなので俺は放置する方向で日々を過ごしている。しかしライルは俺をあからさまに避けまくる方向で行動しているのだ。それが余計な悪循環を生んでいるというのに、奴はそれに気付いていない。全くの阿呆だ。
しかしながら、ライルが俺と話さないのであれば俺もライルと話さない。もともとライルがいちいち俺に話しかけてきていただけなので、話さなくなっても全く問題はない。むしろ静かでいい。
「この報告は明日か」
最後の書類を確認し終わると、俺は早々に帰り支度を始めた。
今夜はライルの家の夜会に参加する予定となっている。ライルが夜会の招待状をリリに渡した事についての魂胆は見え見えだったが、俺としてもフロウ伯爵家の夜会ならリリを妻だと公表する場としては都合が良かったため、ライルの思惑に乗ってやる事にした。まあ参加を決めた一番の要因は、リリが参加したいと言ったからだがな。
「ではな」
一応ライルに声をかけると、「うん、じゃあね~」という言葉が返って来た。
おそらく静かに仕事ができるのも今日が最後だっただろうと思う。最近では邪魔する奴がいなかったから仕事がはかどっていたのだが、明日からはまた騒がしい毎日に戻るのだろうと思うと、少しだけ静かな職場環境を惜しく思った。
◆◆◆◆◆
「ああ良かった! 来てくれなかったらどうしようかと思った!」
夜会会場であるフロウ伯爵家に着いた途端、早速うるさいのに出迎えられた。
「リリちゃんすっごく綺麗だね。ディートの奥さんじゃなかったら絶対口説くのに」
「まあ、ライル様ったら」
朗らかに笑っているリリの横で、俺はライルに渾身の睨みを送りつける。リリを口説こうとする奴は全て消すから覚悟しろ、という意味で。
今日のリリの装いは、裾がふんわり広がる少々可愛らしい感じのドレスを着ており、普段は背に流している髪を結いあげる事で可愛らしさと美しさを両立させている。そんな可憐なリリの姿は最早地上の女神といっても過言ではない。彼女は会場に入った瞬間から注目の的だ。それはそうだろう。リリはこの会場内の誰よりも美しいのだから。
俺としては、これが俺の妻だ! とこの場の皆に自慢したいという気持ちと、清楚で可憐な美しい俺の妻を邪な目で見るんじゃねえ! という嫉妬の感情が入り混じり、多少複雑な心境だったりする。ライルと親しげに話しているのを見るだけでもライルを土に埋めてやりたくなるのだから、俺の独占欲は相当だ。自分にこんな一面があった事には俺自身かなり驚いている。
「今夜の夜会は私が予想していたものより規模が大きくて、少々緊張しております」
「そう? これでも慎ましい方なんだけどな」
「そうなのですか? 実家にいた頃に参加させてもらった夜会は、何というか、領民の皆さんも参加できるモノでしたので。今回の夜会のような厳かな感じではなくもっと賑やかな感じで……」
「それはそれで楽しそうだよね。機会があったらその夜会に俺も参加したいな」
「そうですか? では是非いらしてください。きっと皆さんも喜びますから。あ、ちゃんと一発芸は用意しておいてくださいね」
「うん、もうそれは夜会じゃなくて親睦会だね」
若干緊張していたリリがライルとの会話でいつもの調子に戻っていたので、コイツもたまには役に立つということで後日土に埋めるのはやめてやろうと思う。
「あれ? ディート君だ。来てくれてありがとね~」
不意に現れて間延びする言葉使いで話しかけてきたのは、夜会の主催者であるエイル・フロウ伯爵殿だった。エイル殿はライルの兄でもある。
「本日はお招きありがとうございます。今日は妻も連れてきましたので、妻と共に楽しませていただきます」
「なになに? ディート君結婚したの? 僕でも知らなかったよ~。それで? お嫁さんどこ?」
俺の隣にいる可憐な美女が見えないのかこの男は。それともわざとか。
全く兄弟そろってイラッとする。
「お初にお目にかかります。妻のリリと申します」
すかさず妻だと自己紹介をするリリ。
嬉しいやら気恥かしいやらでとても不思議な気持ちになる。
「わー、可愛い子だね。リリちゃんか……、僕結構顔が広い方だと思うんだけどリリちゃんの事は今日初めて知ったかも。リリちゃんってどこのお嬢さん?」
「あ、はい。えっと、ディー様。お教えしてもよろしいですか?」
リリは既にリリア男爵家の噂を知っている。だから俺に迷惑をかけまいとして伺いを立ててきたのだろう。俺としては自分自身の噂の方がとんでもない事になっているため、リリア男爵家の噂が加わったところでどうという事はないのだ。むしろリリの実家なのだから俺にとっても大切な家だ。だからこそ隠す必要など何処にもない。
「構わない。エイル殿。妻はリリア男爵家のご令嬢です」
「あのリリア男爵家? そっか~、あの変な噂ばっかりの家の子か~」
「兄さん言葉には注意しようねッ。俺の命に関わるからッ!」
エイル殿には直接手を下せないから弟であるライルにその罪をあがなってもらおう、という意味でライルを睨みつけていたら俺の意思は伝わっていたらしい。
「ほ、ほら! 兄さんもまだ挨拶の途中だろ? 早く終わらせないと義姉さんが待ちくたびれちゃうよ?」
「それもそうだね。それじゃあゆっくりしていってね~」
エイル殿は軽く手を振りながら他の参加者の方へと向かっていった。
エイル殿は人畜無害そうに見えてかなりの情報通であり、先代が傾けかけた伯爵家をあっという間に立て直した凄腕事業主でもある。人は見かけによらないという言葉をあの人は正に体現している気がする。貴族たちの間では、あの人に睨まれたら家を潰されるとまで囁かれているくらいだ。それくらいの情報をあの人は持っているのだ。
変な噂を持っている俺が言うのも何だが、あの人には俺でも睨まれたくはない。
「そうだ。オーレル宰相も来てるんだよ。一緒に挨拶に行かない?」
「宰相が? あの人にわざわざ足を運ばせるとは、お前の兄は本当に凄いな」
「何言ってんのさ。お前なら家名だけで呼べるだろうに」
「家の名で呼ぶのと実力で呼ぶのとでは全く意味が違ってくるだろうが」
「それはそうかも。とりあえず兄さんを褒めてくれてありがとう」
宰相もエイル殿の事は一目置いているという事だろう。
はっきり言って、エイル殿は凄いのか恐ろしいのかよく分からない人物だ。
「宰相様というのはリヴェルト・オーレル公爵様ですよね?」
「ああそうだ」
たとえ地方を治める貴族であっても中央貴族の情報は持っているのが普通だ。リリもまた、宰相の事は知っているのだろう。何せ、宰相は陛下の右腕として名高い人だ。オーレル公爵家が王家の分家筋に当たる家なので、そもそも知らない者の方が少ないだろう。
「宰相には俺もディートも若い頃にいろいろとお世話になったんだよ」
「そうなのですか?」
「ああ。俺もライルもあの人からいろいろと教わった」
一、二年ほど下っ端仕事を延々とやらされ、いざ正式に各部署に配属となった時、宰相の一言で俺とライルは外交官になった。本当はそれぞれ違う部署に配属されるはずだったといのに。ライルと同じ部署に放り込まれた当時はかなり恨んだが、今はまあ、それなりにうまくやっているから恨みも既に薄れている。
そんな事を思い出しながら、宰相にリリを紹介しておけば今後根も葉もない噂はたたないだろうと打算する。こういう考え方は宰相から教わった事の一つでもある。
「おお。やっと来たか」
宰相の元に挨拶に訪れると開口一番にそんな事を言われた。やっと来た、という事は宰相はこの夜会に俺が参加する事を事前に知っていた事になる。宰相が珍しく夜会に参加しているという事もあって、何か思惑があるのだろうかと勘ぐってしまう。
「久しいな、リリ」
「はい。お久しぶりです」
俺とライルに言葉をかけると思いきや、宰相が最初に声をかけたのは、なんとリリだった。




