船材
血が溢れていく。
どくどく、どくどく、どくどく。
鼓動が早くなる。
どくどく、どくどく、どくどく。
血流の喪失対して心臓は精一杯に抗っている。全身に血を送り届けようとしている。だが目的に相反して、それはより多くを失っていくばかりだ。
体の下、嵩を増して広がる血だまりは、暗々と死を思わせて黒い。
やがて黒は領域を広げ、私の横たわる地面を、見上げる空を埋めていく。視界は死の色に塗りつぶされて、私が死ぬ事と世界が死に絶える事との間には、大差がないに違いなかった。
全身が、軋むように冷たい。
やがてこの寒さすらも感じなくなり──そうして、私は死ぬのだろうと思った。
*
昔から、何でもそれなりにこなす事ができた。
要点やコツといったものを把握するのが得意だったのだ。何事もちょっとした努力で、それなりの成果を収められてしまう。ただ結局、それは「それなり」止まりで、直向に努力する人間には到底敵わない。人気者のまとう華やかさとも縁がない。
そして、何でもそれなりにしかできなかった。
他者との関係がその筆頭になるだろうか。
私は上手く人の輪に溶け込めない。その外でぼんやりと佇んでいる事しかできない。
どうやって未知の他人と話そうか、話しかけようか。考えて手をこまねいているうちに、周囲はいつの間にか仲良し顔のグループを成立させている。そして一度構築されたその関係に、横から押し入る勇気は私にはない。
次こそは気をつけようと次こそは上手くやろうと思いながら、小学校、中学校、高校。それぞれの入学と新年度において、悉く私は失敗した。定かな記憶は残っていないが、きっと幼稚園の頃だって失敗していたのだろう。
私は臆病で愚鈍なのだ。様子を窺って逡巡する間に、最初の波に乗り遅れてしまう。そうするともう周りについていく事はできなくて、ひとりぽつんと指をくわえて眺めているばかりになる。
それでも一応、やはりそれなりに、私にだって知人はいた。
ただ、関係は深くなかった。
私は他に誰もいない折にだけ話す相手であって、わざわざ特別に交流したい存在ではないのだ。その証拠に、彼らには友人には必ず、もっと親しい別の友人がいる。
私にとって、クラスは水族館のようなものだ。
楽しげに群れて泳ぐ魚のようなクラスメイトを、私だけがぼんやりとガラス越しに眺めている。暗い順路で、関われないままに立ち尽くしている。
稀に親しみを見せて寄るものがあっても、冷たい水槽に阻まれて触れ合う事は叶わない。
「戸森って、何考えてんのかわかんないんだよね」
自分がそう評されているのを聞いた事がある。
表情が乏しくて主体性がないから、どう思っているのか測れない。そんな言いだった。
でも私にだってちゃんと喜怒哀楽はある。映画を見れば感動もするし、漫画を読めば笑いもする。理不尽があれば腹を立てるし、友人を得られないのを悲しく感じて俯きもする。
でもそれらが周囲に伝わる事はまるでなくて、結局のところ私のコミュニケーション能力が低い、という事になるのだろう。
学業や運動の全てがそれなりであったのが、何を考えているかわからないという印象に拍車をかけた面もあるのかもしれない。
例えばテストでいい点を取る。
それは自分の重ねた努力の証左になるし、父や母も喜ぶ。私だって純粋に嬉しくないわけではない。
けれど艱難辛苦を乗り越えてとか、克己努力に勤しんでとか、そんな形容を経て手にしたものではないから、そこまでの感動も感慨もない。ちょっとした努力の結果と認識するから、成果への自己評価は低くなりがちだ。
すると頑張って同じような点数を獲得した周囲からは、「わからない」と言われてしまう。どうして喜ばないのかわからない、と。
それは他者から見れば傲慢であり、贅沢であるのだろう。満足すべき結果を得ながら、どうでもいいような、興味のないような顔をし続けている。
嬉しい時に嬉しい顔をしない。悲しい時に悲しい顔ができない。そういった人間は異物なのだ。理解できないし、親しめない。
他者との繋がりとは、共感であると思う。
同じものへの感覚を共有すればこそ、その相手と共にありたいという気持ちが生じる。一緒に喜んで、一緒に怒って、一緒に悲しんで、一緒に楽しめる。そういう人間こそが好まれ、求められる。
人の感情は共感されて繋がり、より強く共感できる同士こそが更に絆を深めていくのだ。
逆に言うなら、共感しない者に繋がりは生まれない。
繋がらないなら、繋がれないなら共に居る事に意味はない。
それは「二人」ではなく、「一人と一人」なのだ。それでは独りであるのと変わらない。ならば共にいる意味などない。
そうして、私は孤立する。
わからない──。
この言葉は、誰へも繋がらない私の印象の濃縮だった。
だから、と冠するべきなのだろうか。
私の唯一の趣味はクロッキーになった。
数十秒から数分で、手早く対象を描画する速写画は、実に「それなり」が得意な私に向いた仕業だった。本来、ただの下絵や習作たるこの行為に、私は奇妙なほど強く心を惹かれた。
薄いクロッキー帳に鉛筆で、ざっくりと風景を切り取っていく時。
その時だけは私も、どこかと繋がっているような、繋がれているような気持ちになれた。それは私自身にすら明瞭ならざる私というものを代弁してくれているように思えた。
けれど絵すらも、やはりそれなりの手遊びでしかなかった。絵画を生業にしようとか、絵画に関わる人生を考えようとか、そうした熱にはなりえなかった。
私は進路希望調査には進学と記したし、親にも大学を受験すると話していた。特に学びたい事があったわけでも、志す事があったわけでもない。ただただ、皆が選ぶような道に追従しただけに過ぎない。
こんなふうに最後の最後まで、私は漠然とした無難を続けていくのだろうと思った、そうしてそれなりのまま生きていくのだろうと思っていた。
それなりの幸福を得て。
それなりの不幸を経て。
それなりの人生を送って。
それなりの終幕を迎える。
──ああ、なんて嫌な言葉だろう。
「わからない」が私の印象ならば、「それなり」は私の象徴だ。
コップの外を伝う、小さな水滴を想起する。ガラスの表面をただなぞって滑り落ちて、後には何も残さない。落ちて乾いて消えてしまう。
それでも大学へ進んで環境が変われば、同じように私も変われるかもしれない。そんな期待を淡く抱いてもいた。
けれどその前に。
高校最後の冬休みに。
私を取り巻く環境は、変わりすぎるくらいに変わってしまった。
正月。父と母と私、つまり私たち家族は全員で、父の実家に顔出しをした。
その帰りでの事だった。
私たちを乗せたプロペラ機は突然の霧に視界を遮られ、最悪の結果を迎えて尾根に落ちた。濃霧は事故のその後も視界を遮って深く立ちこめ、救出作業は難航を極めた。
飛行高度のわりに死者が多かったのは、その為であると聞いている。
乗員五十余名のうち、生存者一名。
生存者は戸森鴇、この私ひとりきりで、両親は駄目だった。
関係を上手く構築できない私ではあるけれど、父母はその例外だった。例のガラスを感じずに触れ合える存在で、私はふたりが大好きだった。
だというのに、どうしてだろうか。その二人を亡くしても、私は少しも泣かなかった。
それから、ふた月ほど入院をした。
重体であったのではなく、むしろその逆だ。機外に放り出されていたところを発見されたというのに、私の体に殆ど怪我はなかった。余程に上手い事投げ出されたのだろうと、医者からは幸運を賞された。
そもそも本当に幸運であったならこんな事故に巻き込まれないだろうけれど、それは言っても詮の無い事だ。
ただその後が問題だった。
私の体は成長しなくなっていた。まるで変化しなくなっていた。
爪が伸びない。髪が伸びない。月のものも来ない。応じるように食が細くなった。殆ど食べず、飲まず、それでまるで不足がない。
まるで体の時間だけが止まってしまったようだった。
医者たちは首を傾げて検査を繰り返し、その度に体のどこも異常はないとの診断を下さざるを得なかった。私は羨まれるほどの健康体である、と。
「あなたはご自身が生きている事に罪悪感を抱いているのではないでしょうか。あの事故で亡くなった他の方々に、何よりご両親に対して、自分だけ助かって申し訳ないと思ってしまっているのではないでしょうか。ひょっとしたらそういう心の強い働きが、あなたの体を止めてしまったのかもしれません」
私を担当した医者のひとりは、「ただの推論でしかないんですが」と前置きしてからそんな事を言った。
機微に疎い私にも、その医者が私を案じてくれているのは伝わった。彼は善人であると思い、けれど答える言葉を持たずに、ただひとつ頷くに留めた。
「あなたは、生きていていいんですよ」
そんな私の挙措をどう取ったのか。
彼は優しくそう付け加え、それから曖昧に微笑した。何の反応も示さない私を、きっと扱いにくい患者だと思った事だろう。
それからも、退院はなかなかできなかった。
異常なまでに健常であると言われながら、私は数日おきに熱を出した。
それはひどい高熱だった。声も出せないし、身動きもままならない。全身が燃え上がるように痛んで、まるで内側から何者かが私の体を打ち壊そうとするかのようだった。
熱は大抵は一日程度で治まったが、この病熱の原因もまた、一向につかめなかった。
そして私は熱を出すたびに、ふたつの夢を繰り返し見た。
ひとつは私ではない、誰かの生の記憶だった。私の記憶に入り混じる、別の誰かの記憶だった。
何故そんなものが見えるのかはわからない。けれどその夢は、混濁する意識の産物と一笑できない精妙さと現実感を備えて、幾度も私の枕を訪れた。
もうひとつは、あの日の夢。あの事故の日の夢だ。
──助けて欲しい?
霧の奥から、誰かが現れて尋ねるのだ。
無傷で発見されたはずなのに、その夢の中で私は、血だまりに伏して死にかけている。どくどくと血を流して、寒くて寒くて、凍えそうになっている。
──助けて欲しい?
問いかける誰かの顔は見えない。近くにいるはずなのに、映るのはただ、ゆらり揺らめく影ばかり。
か細いその声に、私はゆるゆると、全身の力を振り絞った速度で頷く。
「助けて。お願い、助けて。お父さんと、お母さんが」
かすれる言葉は、どうにか伝わったようだった。
だけど霞む視界の中で、影は否定を示して首を振る。
「ごめんなさい。それは、もう無理よ」
声が、不意に近くなる。すぐ傍らに跪いて、私を覗き込むようにしたようだった。
だけどその顔は少しも見えない。周囲にかかる霧の所為ばかりならず、もう、私の目が機能しなくなってきているのだろう。
「でも、あなたなら。あなただけなら」
私には永遠のように長い、数秒の静寂の後。
耳元で、躊躇がちに声音が囁く。
同時にぬるりと、口中にやわらかいものが侵入してきた。抗おうとしたが、もがく体をぎゅっときつく固定され、どこへも力が入らなくなる。
そうして、何か液体を含まされた。
それは驚くほどに熱くて大量で、反射的に吐き出しかける。でも影は私の口を塞いで許さない。呼吸の為に、私は必死で注ぎ込まれるものを嚥下した。
強い不快感と異物感。体の奥から、芯からこみ上げてくる熱。熱。熱。
犯されている。
酸欠で回らない頭で、そう思った。
味わった事のない強烈な感覚に、私は翻弄され、やがて全身の力が抜けて屈服する。
流れ込んだ液体は燃え上がる熱を保ったまま内臓の奥まで染み透り、血管を駆け巡って体中に染み渡り──そこで私は、夢の中でも意識を失う。
そうして眠りはそこで醒めて、次の瞬間、私はベッドの上の私に気づく。
こちらの夢もまた、どうしようもなく真実めいた感触を伴っていた。
本当はきっと、私もあそこで死んでいたのだ。
なのにそうならなかった。なのに、救われた。
──助けて、欲しい?
あの時。
その問いに頷いて、私は何を飲み干したのだろう。
その問いに頷いて、私は何を差し出したのだろう。
そればかりを、ただ思った。
繰り返し全身を蝕む病熱は、どこかあの液体の温度に似るようだった。