第八.五話 みんなと楽しい誕生日会(舞台裏戦)
執事長オンパレード+シリアス仕様、もしくは執事長と濃いの始まりでも可。
別に読み飛ばしても全体の流れに支障はありません。
その日は、雨が降っていた。
雨粒を体に受けながら、青年は血を吐いて世界を呪った。
青年はいつもいつも戦い続けていた。この世界の全て、あらゆる悪、自分が許せない全てと戦い続けていた。学校、教師、世間、親、自分の周囲が下らなすぎて吐き気すらしていたから、ずっとずっと戦おうと思っていた。
意味はないかもしれないが努力を続けた。勝つために、努力をやめなかった。
青年には大切にしたい女の子が一人いた。その女の子は幼馴染の女の子で、あまり頭は良くなかったけれど、彼女の笑顔を見れば青年は御伽噺のドラゴンとも戦えるだろうと思っていた。……好きだから、そう思っていた。
大切だから、そう願いたかった。
「くそ……ったれ」
なぜ、どうして、なんでこんなことに?
少女はいつの頃からか、少女の価値を知らない連中に迫害されるようになった。ただの無邪気な笑顔に腹を立てる生きている価値のない馬鹿に追い詰められていった。
それでも、少女は笑っていた。いつも通りの変わらない笑顔を浮かべていた。
その笑顔が、青年の知るものとは全く別のモノになってしまったことに気がついた時には、少女はもう手遅れになっていた。
少女は薬物(注1)に手を出していた。
一口に麻薬と言っても種類は多種多様。そもそも精製方法によって薬品というものは様々に姿を変える。後に麻薬と呼ばれるものが、戦時中は麻酔として使われていたり、鎮痛剤として用いられていたというのも珍しい話ではない。青年にもそれは分かっていたし、危険性は十分に把握している。麻薬と呼ばれるものの中には煙草よりはるかに依存性が低いものだってある。
青年が一時期手を出したのもそういう依存性の低い薬品であったが、さすがに緑色の妖精に「いい株があるんだけどどうよ?」などと話しかけられる幻覚を見てからは、薬物との一切の接触を絶った。
青年が使った薬品は『麻薬』とすら呼べないささやかなものである。……が、少女が使った薬品は、彼が服用したものとは比較にならないほど依存性が高かった。
少女が破滅するまで、青年はなにもできなかった。
青年の怒りは全てに向けられた。
あらゆる迫害を少女に向けた人間を全員再起不能にして青年は大学を辞めた。
少女に麻薬を売りつけた売人を叩き潰して、青年は殺人者になった。
少女に麻薬を売りつけた組織に喧嘩を売って、青年は死にかけている。
「ごふっ」
血を吐いて、青年は自嘲気味に笑った。
(……仇は、取ったんだ。あいつの仇を、オレは討った)
街に売られるはずだった麻薬の山は火に包まれている。両腕は潰されて、自分も死にかけているが、やるべきことはやった。……胸を張って少女の所に行けると、そう思っていた。
が、
「つまんないね、おにーさん」
顔を上げると、そこには少年がつまらなそうな顔で立っていた。
ふてぶてしい横顔。まるで狐のように鋭い目つき。右手には傘を持っている。
「敵討ちはいいけどね、実につまんない結果だよ。ホント、貴方みたいに能力のある人がどうしてこんなつまらないことをしているのか。……やれやれだよ、本当に」
狐の少年は悪戯っぽくにやりと笑って、青年を見つめた。
「だから、助けてあげる。貴方は望まないだろうケド、僕は貴方を助ける。こんな所では死なせてやらない。こんなつまらない所では死なせてあげない」
笑いながら、少年は傘を差し出した。
「死にたければ、生きている誰かのために生きて、それから死ね」
やれやれだ、と思いながら新木章吾は溜息を吐いていた。
偉丈夫という言葉がある。辞書を調べるのが面倒な方は『超格好いい男性』という解釈で問題ない。長身にはタキシードが信じられないほどよく似合い、赤いネクタイはそれら全てを引き立てている。細い指を覆う手袋もよく似合い、胸に差したボールペンですら、彼の完璧な容姿を引き立てていた。
「貴様らが、なんの目的でここにいるのかは知らん」
月光に照らされて、一人の偉丈夫が五人を相手に戦闘を始めようとしていた。
場所はホテルの近くの空き地。ここなら邪魔が入らないだろうと計算してのことだ。
「しかし、我が主と尊敬すべき女性の邪魔をしてもらうのは困る」
美里の誕生会という(章吾にとっての)大舞台において、章吾は進んでガードマンのようなことを人知れずやっていた。主人に話しても恐らく「心配ないよ。コッコさんは強いから」としか言わないだろうから、一人でやっていた。
無駄骨上等。安全ならそれに越したことはないのである。
しかし、危険はやってきた。タキシードの下に何か武器のようなものを仕込んだ男が五人、会場に紛れ込もうとしていたのを章吾は見つけて呼び止めた。
章吾自身は関わり合いのない連中だったが、章吾はその連中に見覚えがあった。暗殺者と呼ばれる裏の世界の人間。そんな化物が、パーティ会場に紛れ込もうとしていた。
(ふん、どうせ山口が引き連れてきた連中だろうがな……)
屋敷のほぼ八割の厄介ごとを引き起こす女の顔を思い出しながら、章吾は絹の手袋を外して、代わりに黒皮のグローブを手に嵌めた。
『ワレワレノジャマヲスルナ』
ボイスチェンジャーでも使っているのだろうか。機械的な声が響く。
章吾は警告を鼻で笑って、前進を開始する。
『ナラバ、シネ』
五人の姿が一瞬で消える。明らかに、戦闘に長けた者の動きである。
だが、章吾はまるで動じない。
「タキシードを汚すわけにはいかないのでな」
死角から伸びてきたナイフを指で挟んで掴み取りながら、『彼』は虎のような獰猛な笑みを浮かべた。
「悪いが、全力でやらせてもらう」
ナイフを指で弾いて無効化し、章吾は襲撃者の腹に拳を叩き込んだ。
人間の体には当然急所となる箇所が存在する。そこを打たれれば大抵の人間は身動きが取れなくなるが、戦闘に長けた人間でなくとも急所は無意識に守ろうとするものであり、なかなか攻められるものではない。だからこそ様々な戦法が存在する。
しかし、章吾の放った一撃は、『重さ』そのものが別次元だった。
『ゲェッ!?』
章吾の拳は、襲撃者のガードを軽々と弾き飛ばしていた。
仕込んでいた腕の手甲、そして体に着込んでいた防弾チョッキ。全てを吹っ飛ばして急所に拳を叩き込んだのである。
しかし襲撃者はプロらしい。一人の犠牲には構わずに、四人全員で章吾の命を取ろうと突進してくる。
章吾は迫り来る四人を見据え、目を閉じて、笑みを消した。
そして、襲撃者の攻撃を全て華麗に回避した。
文章にすれば一文。もちろんのことながら、そんなことは並の人間には不可能だ。
不可能を可能にした『漢』は、にやりと口許をつり上げる。
「世の中には性質というものが存在する。貴様らが生まれながらに『暗殺者』であったように、オレにも生まれながらに持っていた性質があった」
一人を拳でぶん殴り、章吾は目を開いた。
「"なんの意味もなくオレの気に入った奴が殺される"」
二人目を蹴り飛ばし、三人目を投げ飛ばして腹に膝を叩き込み、章吾は吼えた。
その瞳に映るのは、どこまでも深い真っ赤な怒りだった。
「オレはそんなものを許さない。生まれがどうとか、育ちがどうとか、そんなものは関係ない。オレはオレが気に入ったものを死んでも守る。世界で一番お人好しな、あいつと出会ってそう決めた!」
四人目の襲撃者を殴り飛ばし、喉を掴んで吊り上げる。
章吾は表情を消し、未だ意識を保っている襲撃者に問いかける。
「それで『空蔵』の方々が我が主にどうのような用事がある?」
『………………』
章吾の言葉にも、襲撃者は反応を示さない。章吾は溜息を吐いて再度口を開いた。
「片刃のことなら諦めてもらおう。あの子は屋敷の従業員だ。話も既についている」
その一言で、空気が変わった。
吊り上げられている襲撃者は目を見開いて、章吾を見据える。
「貴様に……貴様になにが分かるッ!?」
ボイスチェンジャーが壊れたのか、思ったよりも高く、澄んだ声が響く。
その声は、章吾の眉をひそめさせるのに十分な悲痛さを秘めていた。
しかし、章吾はその言葉を一蹴する。
「知ったことか」
怜悧な言葉にはなんの感情も含まれていない。章吾は襲撃者を地面に降ろして、見下しながらきっぱりと言い放った。
「お前がなんのためにここに来たのか、お前がなにを思いここまでやって来たのか、そんなものは知ったことか。私怨かあるいは憎悪か。どちらにしろ、私には関係のないことだからな。……しかし、我が主なら『つまらん』と言うだろうな」
「貴様ァっ!!」
顔を上げた襲撃者の胸倉を掴み上げ、章吾はさらに言葉を続ける。
「ただの子犬の分際でいきがるな。お前は負け犬なんだ。大切な人も守れない最低のクズ。己のミスを他人になすりつけようとするクズのクズだ。それが恥かしければ死ねばいい。楽になりたいんだったらさっさと死ね」
突き放すように胸倉を乱暴に突き飛ばし、章吾は目を細めた。
「死んだ人間は生き返らない。それはもう仕方のないことだ。……だが、大切なものを失って、それでも生きようと思う心があるのなら、死ぬよりも強くなれ。恥辱にまみれてそれでも生きようと願うのならば、大事なもの以外全てを捨てる覚悟を決めろ」
黒皮のグローブを外し、襲撃者に叩きつけて、章吾は言った。
「オレの名は新木章吾。屋敷の執事長にして主人の従僕。悔しいのならば殺しに来い。いつでも相手になってやろう」
そのまま、背中を向けて歩き出す。
背後の気配が消える。おそらく仲間を連れて逃げたのだろう。
絹の手袋をつけながら、章吾はゆっくりと溜息を吐いた。
「やれやれ、あの主人にも困ったものだ。本当に、進んで重荷を背負いたがる性質はなんとかならんものかな。……職業的暗殺者に狙われるこっちの身にもなってほしい」
「生まれとか育ちとか、そういうものは関係ないのでしょう?」
「そりゃそうなんだ……が?」
背筋に怖気が走る。聞き覚えのある声に戦慄が走る。
ゆっくりと振り向くと、そこには見覚えのあるデビルシスターが立っていた。
「こんばんわ、わんこさん。今日はいい月ですね?」
「………………」
「警戒しなくてもいいですよ。私はただの通りすがりですから」
「いや、通りすがりというより『黒幕』っぽく見えるのは私の気のせいか?」
「あらあら、本当にただの通りすがりを相手に面白い冗談を言いますのね。ちょん切られたいんですか?」
「………………」
「冗談ですよ」
章吾の憮然とした顔に満足したのか、クスクスと笑いながらデビルシスターこと清村要は無造作に章吾に歩み寄っていく。
「それで、あの乱闘は一体どのようなものだったのでしょうか?」
「キレるのが十代だけだと思ったら大間違いだということだろう」
「まぁ、そういうことにしておきましょう。あんまり深く突っ込むと怒られてしまいそうですしね」
やっぱり楽しそうに笑いながら、要は意地悪っぽく口許を緩める。
「ところでわんこさん。この近くに教会があるはずなのですが、ご存知ですか?」
「ああ、この交差点を右に曲がって、大通りをぐるっと回らなきゃならんから、車だと十分くらいだな。……ん? もしかして迷子か?」
「ええ。と、いうわけで連れて行ってください」
「……………は?」
「前も言いました通り、私、足が弱いんです。さっきからものすごく痛くて」
「タクシーでも呼べばいい」
「あら、わんこさんは私が来ることを楽しみにしている子供たちを前にしてもそんなことが言えるんですか? 外道ですねぇ」
「……………やれやれ」
章吾は三秒だけ考えて、仕方なく全力を出すことにした。
「分かった、連れて行ってやろう。その代わりあまりしゃべるな。舌を噛む」
「え? ……きゃっ!?」
章吾は体重の軽いシスターを軽々と抱え上げ、全力で裏道を走り出す。
お姫様抱っこというのはかなり恥かしいのだがこれしか手段がない。車じゃなければ裏道を使えるので教会までは七分。全力で走って五分というところだろう。
往復で十分。スピーチまでには十分間に合うはずだ。
「……あの、わんこさん。かなり恥かしいのですけれど」
「これしか手段がない。ついでに言えば、私にも予定というものがある」
「えっと……ごめんなさい。そんなに切羽詰っている用事とは思わなくて」
要は予想していなかった事態になったことにかなり反省し、素直に頭を下げる。
しかし、そこでさらに予想していなかった事態になってしまった。
お姫様抱っこをされているので、章吾の胸に頭を押し付ける形になり、彼の体温とにおいをもろに感じてしまったのだ。
「っ!?」
顔を真っ赤にしながら慌てて顔を上げるが、爆走している章吾は要に気を配っている様子はなく、真剣な表情で全力で走っていた。
素晴らしい体重移動でさながら人間ドリフトのように曲がり角を曲がる。
そこで、章吾は要に視線を向けた。
「ところで、あんな辺鄙な教会に何の用なんだ?」
「子供たちにハンドベルの演奏を聞かせることになってるんです」
「なるほど」
章吾は嬉しそうに、にっこりと笑った。
「それはいいな、うん。用事がなかったらオレも参加したいくらいだ」
いつものむっつりとした顔とは違う、無邪気な微笑み。
要は顔を真っ赤に染めて即座に顔を逸らした。口から出るのはいつも通りの皮肉。
「まぁ、むっさい男っていうか、わんこちゃんはいりませんけどね」
「失礼な」
言いながら、章吾はさらに加速する。
どうやら、教会は近いらしい。視界の端に十字架が見えた。
要は見えないように十字を切り、神に祈りを捧げる。
(主よ、願わくばこの馬鹿なお人好しに、人並みの幸福のあらんことを。彼の懺悔の心に祝福の雨を降らせたまえ。その心に安らぎを与えたまえ。……アーメン)
まるで儀礼的ではなく、簡易ですらないテキトーな祝福。
それでも、要は久しぶりに、心の底から祈っていた。
彼の努力と願いが、大切に思う誰かに届きますように。
作者注訳だぬーん。
注1:お薬はお医者様に処方してもらったものを使用しましょう。みだりにテキトーな薬を乱用したり、栄養ドリンクを飲みまくるのは冗談抜きで寿命を縮めます。作者は栄養ドリンクを乱用した結果、縁日で売られてるテキトーな彩色の怪人モドキが襲い掛かってくる幻覚というか夢を見たことがあります。アレ以来、本気で無理は控えておりますとも(笑)
はい、というわけでいるんだかいないんだか、よく判らないけれど執事長さんのファンのためにお送りします、苦労日記拡大版でした。いや、やっぱりコイツを主役にすると書きやすいです(笑)
と、いうわけで次回こそ本当の九話、『後半戦』をお送りいたします。