第八話 みんなと楽しい誕生日会(前半戦)
ハッピーバースディ。
夜も更けて、僕らは真っ暗な大部屋で待機している。まるで狩りで獲物を待つときのように、全員が息すら殺していた。理由は至って簡単、下手に動くと色々と台無しにしてしまいそうなのが怖いからである。
そんな暗闇の中で、ぽややんとした言葉が響いた。
「あの〜、Bさん。このホテルに足を踏み入れた時点で大体分かってしまうと思うのですけれど〜」
「アンナさん。ちょっと黙ってて」
「むぐっ」
ご令嬢のツマラン意見を黙殺し、彼女の口を手で塞ぐ。
暗闇の中で肩を抱きかかえ、真っ直ぐにアンナさんの瞳を見つめた。
「いいですか? 分かっちゃってもいいんです。むしろ、そのドキドキ感を楽しむのがいいんじゃないですか。『あらら、もしかしたらこの展開は? これってもしかして……』というワクワク感を楽しんでもらうのが最上級なんです。……そりゃ僕だってテレビみたいにアイマスクとイヤホンをつけて欲しいですけどねっ! 美咲さんに下手なことすると、後日とんでもないことになるんだから仕方ないけどさ!」
「……坊ちゃん、白熱しすぎです」
コッコさんのクールな声で、僕の意識が正気に戻る。
慌てて、彼女を離して頭を下げた。
「いやぁ、ごめんごめん。サプライズを馬鹿にされたような気がして」
「……えっと、こちらこそ、ごめんなさい、の」
暗いのでよく分からないのだが、なんだか声が震えていた。うーむ、口を塞いだ上に肩を抱きかかえて真っ直ぐに見つめるというのは、かなり怖かっただろうか。
「いやいや、本当にごめんね。どうもお祭りごとになるとむきになっちゃうみたいで」
「いいえっ! そんな……えっと、別に、私は……」
あれ? なんか、声が若干幸せそうな気がするのは僕の気のせいだろうか?
ゴッ!
と、不意に足に激痛が走った。
「イタッ!? ちょ、誰か足踏んでるっ! マジイタイイタイ千切れるっ!」
「ほら、舞さん。坊ちゃんの足を踏んじゃいけませんよ?」
「えー? 私じゃないですよぅ」
ギチチチチチ。
「づあああぁぁぁぁぁぁぁぁッ!? つ、潰れるっ! っていうかもげるぅっ!」
「っていうか踏んでるの、山口さんじゃないですかー?」
「ふふふ、嫌ですねぇ。坊ちゃんの侍従である私がそんなこと………………するに決まってるじゃありませんか」
「なんかよく分からないけどすみませんすみません本当にすみませんコッコさんっ! 許してくださいっていうか、もうこの際土下座もしますからっ!」
僕が必死で叫ぶと、ようやく足の激痛が引いてくれた。
暗闇でよく分からないが、コッコさんは冷たく微笑んだ気がした。
「坊ちゃん。お戯れもたいがいにしておかないと、コッコは本気で怒るかもしれません」
「……えっと、すみません。なんかよく分からないけど」
と、僕が理不尽な暴力に頭を下げようとした、その時。
コツ、コツ、コツ。
耳元のイヤホンから、作戦開始の合図を聞いた。
体が跳ねる。僕は周囲を見回して、作戦開始の咆哮を上げる。
「おふざけはここまでですっ! 作戦開始まで残り三分ッ! 全員クラッカーの準備を開始、扉が半分まで開いた瞬間に鳴らすようにっ! それから、京子さんに滅殺されたくなかったら、蛍光塗料が塗ってある方向には絶対に向けないでくださいっ!」
『了解っ!』
全員の声が唱和する。ここに来て、僕らの気持ちが一つになった。
そう、全員がこの瞬間を待ちわびていた。クラッカーを握り締め、ワクワクしながら主役の登場を待つのだ。ドッキリはこの瞬間がたまらない。
後は豪華な扉が開くのを待つばかりである。さて、美里さんは今年はどんな顔をしてくれ……。
その瞬間、僕は豪華な木製の扉が、確かに歪むのを見た。
爆砕音が響く。豪華なパーティ会場の扉は、一瞬にして砕け散った。
開く間もなくあまりの暴力に材質が耐え切れなかったという感じの破壊。バズーカ砲で撃ったらそういう破壊になるのではないだろうかという、一方的にして絶対なる圧砕。その破壊跡を見ながら、僕はいつか彼女が言っていたことを思い出す。
『戦闘は破壊力じゃありません。速度と制圧力です』
いや、美里さん……確かにそうです。戦闘は速度と制圧力です。
けれどね、情報戦ってのも意外と重要なものなんですよ? どうしてそう貴女はいつもいつもあの双子のタワゴトに騙されてしまうのか……。
正直者は好きですけど、損ばかりですね、いや、正味な話。
つーか、やっぱり人選間違えました。
「坊ちゃんっ! みなさんっ! ご無事ですかっ!?」
必死な形相で、メイド服のまま、彼女は駆け込んできた。
彼女……橘 美里。年齢は27歳、身長は167センチ、体重、スリーサイズは当然のごとく不明。ほっそりとした体つきに反し、出るところは出て引っ込むべきところは引っ込んでいる美女。腰まで伸ばした髪の毛を、お団子にしてまとめている。温和な微笑を絶やさない菩薩のような人。特技は合気道五段。勝負事になると途端に容赦がなくなる僕の師匠で、屋敷内で一番エプロンドレスが似合う人。
怒らすと超怖い。
前回と同じことを復唱しながら、僕はゆっくりと溜息をついた。
(ちなみに……根っからの善人。体育会系で騙されやすい)
全員が圧倒的な破壊に唖然としている中、僕はクラッカーを鳴らした。
ポフ、という変な音が出た。クラッカーもびっくりしているのか、それとも業者から安く買い叩いたのが裏目に出たのか……まぁ、どっちでもいいか。
明りが点く。照らし出された光景に、流石の美里さんも足を止めた。
「……………え?」
「お誕生日、おめでとうございます。美里さん」
全員が例外なく唖然とする中で、僕はにっこりと、今日の主役に微笑みかけた。
全員がちょっと呆気に取られながらゴミと化した木製の扉を片付けている間、僕はホテルの人に頭を下げ、後々きちんと弁償することを確約した。扉の代金は……まぁ、お口には出せないような金額だったことは言っておこう。
パーティ会場に戻ってくると、扉はもとより木片も全て撤去されていた。
うーむ、さすがは僕の屋敷のスタッフ。性格はともかく仕事は完璧だ。
当然明りが点いたので、着飾ったみんなのドレス姿もきっちりと見えているわけで。
「あ、坊ちゃ〜ん。お片づけ、しっかりやっておきましたよーっ!」
舞さんが近寄ってくる。彼女は赤いパーティドレスだ。真紅というより、ちょっと淡い薄紅という感じの色で、背中がばっさりと見えてしまっている。足には桜色のハイヒールでアクセサリーや化粧もドレスに合わせた色合いにしているらしく……正直、なかなかに色っぽい。
「ふっふっふー、似合いますか〜?」
「うん。とっても似合ってる。可愛いね。まるでストライ〇ルージュ(注1)みたいな色合いだ」
「なんですかそれー?」
「花の名前だよ。ちょっと薄い赤の花でね、暁に照らされる時に種を撒くんだ」
「ほへー、花の名前はアグレッシブですけど、ロマンチックですねぇ」
無邪気に喜ぶ舞さんに、『実はガン〇ムだYO』と言ったらどんな反応をするだろうか。ああ、悪戯心がもぞもぞと暴れ出す。
……言いてぇ! すごく言いたいっ!
などと僕が爆笑寸前まで頑張っていると、不意に背後から小さな殺気が。
「坊ちゃーん。舞ちゃんをいじめて楽しんで良いのは、私だけなんですよー?」
「あ、冥ちゃーん」
と、いうわけで諸悪の根源が現れた。
「すみませんねー。なんか、『実は坊ちゃん他屋敷の人たちが美里チーフの誕生日会をやろうとしていたら、強盗が入り込んで全員が人質に』とか冗談交じりで言ったら、美里チーフってば本気にしちゃったんですよねー。しっぱいしっぱい」
言いながら、黒のドレスに身を包んだ冥さんは悪戯っぽく笑う。舞さんと同じドレスの色違いというべきなんだろうが、漆黒のドレスは冥さんに異様に似合っていた。なんというか、色気ではなく艶気があるというか……全体的に纏ってるオーラが違うというべきか……こっちの方が明らかに大人っぽい。
そんな彼女の額にチョップをかまして、僕は口許を引きつらせた。
「前も言ったでしょうが。美里さんは基本的に体育会系なんだから、単純で義侠心に厚い人なんだよ。そんなこと聞いたら飛んでくるに決まってるでしょーが」
「あははー、わりとまじでごめんなさーい」
どうやら、わりとまじで反省しているらしい。ちょっとしょんぼりしていた。
が、次の瞬間にはスイッチを切り替えたかのごとく明るい笑顔になる。
……本当に反省したんだろーか?
「そんなことより坊ちゃん。このドレス、似合ってますか?」
「うん、似合ってるよ。なんかいつもより大人っぽい」
「ではここでお題です。『花』にたとえて下さい」
むぅ、舞さんを可愛いとか言って褒めたのが仇になった。花に詳しくない僕が黒い花びらをつける花など知っているわけがないと知ってのことか。
少し悩んでから、僕は口を開く。
「チューリップかな」
「チューリップ?」
「いや、小学校の時にあんまり世話してなかった紫色のチューリップが花をつけた時にそんな感じの色だった。全体的には紫なんだけど、限りなく黒に近い、みたいな」
「………恨んでたんじゃないですか?」
むぅ……否定できないのが悲しいところだ。
「それより、他のみんなは? 美咲さんが来ないと始められないし、開会の挨拶は章吾さんに任せておいたはずだし、よく見るとコッコさんもいないし」
「橘は着替え、山口はその手伝いだよ、坊ちゃん」
聞きなれた声に振り向くと、そこには美少女が呆れたような顔をしていた。
背は低いが、顔立ちは流麗。鋭い目つきと真っ赤な唇が印象的。肩まで伸ばしている髪を鼈甲の髪留めで留めている。体つきは低身長のわりに女性らしくふっくらとしており、その肢体を包んでいるのは薄緑色のドレス。ドレスに合わせて薄緑色の手袋を身につけていたりする。
身長の低いエルフみたいな……そんな感じ。
「ったく、あたしは別にドレスなんてどーでもいいってのに。なにが悲しくてこんな格好せにゃならんのか分からないよ」
「………………」
ドレスに関しては事前に選んでもらっていたので、そんなふわふわした豪奢なドレスを着なくてもいいはずなんだけど……っていうより、誰?
「坊ちゃん? なにそんな呆けた顔してるの?」
「……京子さん、ですか? もしかして」
ようやく思い当たる顔を思い出して、僕は恐る恐る口を開く。
その美少女こと、梨本京子さんは変な顔をしていた。
「いや、なに言ってるの? 見ての通り、あたしはあたしだけど」
「……いえ、正直見違えました」
そういえば、いつも調理場にいるせいか、僕は京子さんの化粧しているところなど見たことがない。記憶にあるのはコック服か、時々しか着ないメイド服くらいだろう。京子さんは自宅から屋敷に通っている人なので、私服は見たことないし、以前街で会った時はなんだかきっちりとしたスーツを着込んでいたし。
まぁ、その、低身長の女の子がきっちりしたスーツを着込むというアンバランスさがものすげぇ可愛かったという意見もあるけれど。
「よく似合ってますよ。そのまま別会場にエスコートしたいくらいです」
「あはは、坊ちゃんもお世辞が上手くなったもんだ。あんたの一張羅も似合ってるよ。まぁ、まだ服に着られてるって印象はぬぐえないけどね」
む、流石に屋敷の中で一番厳しい場所を司っている人だけのことはある。言うことが辛辣だ。
ちなみに、僕の服装は黒のタキシード。あとは髪をほんのちょっとだけ染めて、眼鏡じゃなくてコンタクトに変えているくらい。男の礼装なんて、そんなもんだ。
辛辣な言葉を流しながら、僕は微笑む。
「でも、本当に似合ってますね。まるでエルフのお姫様みたいです」
「色々と誤魔化してるけどね。手袋をしてるのだって、切傷とか火傷とかを誤魔化すためだし、髪留めだって、母さんからもらった安物だしね」
「髪留めって……この鼈甲のヤツですか?」
なんの気なしに、京子さんの艶やかな髪に手を伸ばし、髪留めに触れる。
「いぃっ!?」
なんだか京子さんがやたら驚いていたけれど、そのへんは無視しておく。
どうやら……安物という表現は、嘘ではないらしい。
「まぁ、確かに鼈甲じゃありませんけど、これはこれでいいと思いますよ。手袋だって十分に似合ってます。切傷や火傷は確かにパーティにはそぐわないかもしれませんが、僕はそういう『職人の手』って好きですけどねぇ」
髪留めから手を下ろして、綺麗な黒髪に指を伸ばす。
「や、あの……その……」
「それにしても、綺麗な髪ですよねー。調理場で油使ってるから普通は痛むんでしょうけど、京子さんはちゃんと手入れしてあるし。男って結構こーゆー所にくらっと」
ズムッ!
ぎおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!?
「坊ちゃ〜ん。おいたが過ぎると、山口さんに怒られますよー」
「それにー。女の子の髪を不用意に触れちゃいけないと思いまーす」
りょ、両足の小指がッ! 小指がハイヒールの尖った部分で刺し貫かれそうなっ!
激痛の中、黒いハイヒールが、ギュリッと回転を加えた。
「づあああああああああああああっ!? イタッ! ちょ、ホントすんませんっ! 調子こきすぎましたっ!」
「分かればいいんですよー」
「ふふふー」
双子の姉妹は、ようやく僕の足を踏んづけるのをやめてくれた。
あまりの痛みにうずくまりながら、僕は恨めしげに二人を見つめる。
「……あのですね、いくらなんでも両足の小指にハイヒールで全力踏みっていうのはやりすぎのような気がするんですけど?」
「坊ちゃんがエロすぎるのが悪いんですー」
「エロ魔王ですか、あんたはー」
えっと、エロいとか言われてもかなり困るんだけど。単純に僕はつやつやすべすべした感触のものが好きなだけで……ってそれも言い訳になっちゃうな。
「えっと、すみません京子さん。気分を害したのでしたら、いくらでも罰をお与えください。どんな罰であろうとも、甘んじて受けましょう」
「い、いや、そんなに気にしてないから、うん」
なぜか顔を真っ赤にしながら、京子さんは恥かしそうに俯く。
……そーゆー仕草をされると、さらに嗜虐心をあおられたりするのだけれど。
まぁ、今はやめておこう。凶器を持った彼女たちは、今度は本当に僕の足を再起不能にする気満々だし。
「やっぱり、坊ちゃんって女の人口説いてないと死んじゃう病気なんですねー」
「『罰をお与えください』とか絶対誘ってるよねー。エロス超魔王って感じだねー」
「二人とも、人聞きの悪いコトを言わないでください」
「エロスってなんですの?」
「余計なコトは聞かなくてもいいんです……っと」
ついついいつも通りに返答しそうになってしまい、僕は慌てて修正する。
横から声をかけてきたのは、アンナさんだった。彼女が着ているのは体のラインに沿うように作られたタイプのドレスで、お見合いパーティや船上パーティなんかでよく見るドレスである。実はこの子、頭がぱーなのに成績がいいだけじゃなくスタイルもいいので、ある意味目の毒で、ある意味目の保養とも言える。
アンナさんは楽しそうに笑っていた。
「楽しそうですね、Bさん。デモンストレーションもすごかったですの」
「それは良かった。喜んでいただけて光栄です」
どうやら、彼女の中で、扉砕きはデモンストレーションとして処理されたらしい。
まぁ、普通に考えればそうなるだろう。というか……地球上の誰があれほどの勢いで扉を破壊できるというのだろうか。僕だってあの所業が『美里さん』の手によるものじゃなかったら、ただの演出と思っただろう。
最初に会った時のコッコさんは『特技は少林寺拳法』とかうそぶいていたものだったが、美里さんの『特技は気功を使ったタイプの中国拳法』ってのはマジだったからなぁ。あの人、指弾で分厚い木の板とか打ちぬけるし。扉を破壊したのも、破壊力を内部まで浸透させる技術とかなんとか。
不意に扉の弁償金を思い出して、心の中でかなりげんなりした。
それでも表情は微笑のまま。決して嫌な表情は見せないように心掛ける。
「アンナさん。この度は場所を提供していただき、ありがとうございました。本当に……なんとお礼を言っていいか分かりません」
「いいえ、大したことではありませんの。そんなに他人行儀にならなくても」
にっこりと微笑みながら、アンナさんは当たり前のように言った。
「そんなに高くないホテルですから」
「………………」
一瞬、目の前にいる人生勝ち組をどつきそうになりました。
「以前Bさんが『そんなに高くない方が気安くなれる』と仰っていたので、私も気を使ってみましたの。お気に召していただけたなら、光栄です」
「……お気に召すもなにも」
いや、そんなに高くないと言ってるけれど、ここは十分『高級』の部類に入るホテルなんだけれど……ついでに、従業員一同かなりガチガチに固まっていて、アルコールで誤魔化すつもり満々だけど、その辺の空気をこのご令嬢は分かっていないらしい。
……うーん、上流階級らしく豪儀なのもいいけれど、この子はもうちょっと『庶民の空気』ってのに慣れた方がいいかもしれない。
「……うん、そうだな。そういうのもアリかもしれない」
「Bさん?」
「いえ、こちらのことです」
本当は、『後日お礼をしたいので、空いている日はありませんか?』と言おうとしたのだけれど、双子の目つきがKILLモードになっていたような気がしたのでやめておいた。っていうか、これ以上やられたら両足の小指が壊れちゃうし。
さてさて……あとは主役の登場を待つばかりなのだけれど。
「主役っていうのは、遅れてやってくるものですよ、坊ちゃん」
「あ、コッコさん」
コッコさんが着ていたのは、前に見たような純白のドレスではなく、体にフィットするタイプの紫色のパーティドレス。前のドレスもかなりのものだったけれど、今回のドレスはなんというか……双子の小娘にはない妖艶な雰囲気が漂っている。
うーむ……素材がいいとなにを着ても似合うってのは本当なのかもしれない。自称だけど二十四歳だし、やっぱり年上の女性は色気が違います。
「坊ちゃーん。また足を踏まれたいならそう言ってくださいよー?」
不意に耳に届いたのは、冥さんの言葉だった。
「いや、すみません。……っていうかさりげなく心の中を読まないで」
背中に突きつけられた指と、耳元に囁かれた言葉に、僕はもう恐怖に顔をひきつらせるばかりだった。
どうやら……心の中で悪態をつくこともできないらしい。
「で、コッコさん。美里さんはまだ着替え中ですか?」
「いえ。もう着替えも済んだんで、すぐにこちらに来ると思いますけど……」
「あー、来ましたよぅっ!」
舞さんの声に、全員が振り向く。
そこには、絶世の皇女が立っていました。
煌びやかな純白のドレスに、金と銀をあしらったイヤリングと髪留め。頭に乗っているティアラが、彼女の美しさを引き立てています。腰まである髪の毛にはほつれ一つなく、ほっそりとした顔立ちに浮かんでいるのは柔和な微笑み。
全員が、その場で唖然として、彼女に見入っていた。
もちろん、僕も例外じゃなく。
スカートの端を両手で持ち上げ、彼女は恭しく礼をした。
「この度は私などのために、このようなパーティを開催してくださり、真に光栄です。本当になんと言っていいのか分かりませんが……ただ感謝を伝えたいと思います」
美里さんは静かな口調でそう言うと、ゆったりとした足取りで僕のほうに近づいてきた。
「そして、坊ちゃん……」
「……はい」
彼女は微笑を浮かべながら、ゆっくりと僕の頭に手を乗せる。
「ありがとうございますと言いたいところなんですけど、テメェあれほどお金は節約しろって言いましたでしょうが?」
「ふぐっあああああああああああああああああああッ!?」
美里さんの指が、僕のこめかみを的確に捕える。激痛が走って僕は絶叫した。
僕の体が、足が微妙につかない程度にゆっくりと持ち上がっていく。
「み、美里サンっ! 言い訳無用ってのはちょっとやりすぎっていうか、僕にも言い分があるんですっ! お願い聞いてっ! っていうか離してえぇぇぇぇぇぇぇっ!」
「うすらやかましいです。大体、こちらの予定も聞かずにサプライズパーティなんて一体何を考えているんですか?」
「だ、大丈夫っスッ。ちゃ、ちゃんと調査はしてありますっ!」
「勝手に従業員のプライベート調査してんじゃねぇよ」
「のぐああああああああああああああああああああっ!!」
目の前が真っ赤になる。意識が遠くなってなんにも聞こえなくなるカンジ。
あ、お花畑?
「ママ。そろそろ離してあげないと、パパ死んじゃうよ?」
その声を聞いた瞬間に、美里さんは僕の頭を掴んでいた手を離した。
振り向いた先にいたのは、ちんまりとした少女。美里さんが小学五年生くらいの時はこんな感じじゃないかなぁという雰囲気の髪の長い女の子。服装は僕が見立てた通りの淡い水色のドレスだった。
彼女の名前は橘 美咲。美里さんの一人娘だ。
ついでに、対美里さん専用の切り札だったりする。
「……美咲? なんでここに?」
「そりゃ、パパに頼まれたからよ。誕生日にママの予定が空いているかどうか、ちょっと調査してくれってね。ぶっちゃけて言えば共犯ってこと」
プチ美里さんこと美咲ちゃんは、にやりと小学生にあるまじき笑いを浮かべた。
「ママだって、着替えの最中とかけっこー楽しんでたじゃない?」
「こ、こら、美咲……」
「んっふっふー。その顔は、パパの目論見大成功ってカンジね?」
小学生ながらも計算高い彼女は、にこにこと嬉しそうに笑っていた。
いや、正直助かりました。ホント、冗談抜きで死ぬかと思った。でっかい川と、小船と、六銭を要求する船頭を見た時は、本当に死を覚悟した。
でも、とりあえずこれで美里さんに殺されることはなくなった。いやいや、本当によかった。このパーティでこれが一番の肝になる部分だったからね。
と、僕が安堵して一息ついた、その時。
背後から、ものすごい強さで肩を掴まれた。
冷汗が背筋を伝う。時を止めて調子こいてたTHE・世界さんもこんなカンジだったんだろうなと思わせるような、とんでもない悪寒だった。
恐る恐る振り向くと、そこにはコッコさんがいた。
「坊ちゃん……『パパ』とはどのような意味でしょうか?」
無表情のコッコさんは、どうやらかなり怒っているらしい。額に青筋が浮かんでいる。
「考えられるのは二通りですねー」
「本当の父親か、あるいはかなりまずい意味でのパパか」
コッコさんの後ろで笑っているのは、黒霧シスターズ。舞さんはどうやらかなり怒っているらしく、冥さんは口許だけ笑っていた。
まずい。なんか知らないが、屋敷でも筆頭の武闘派を怒らせてしまったらしい。
助けを求めようと他の従業員の人たちを見回すと、全員が即座に顔を逸らした。唯一目を合わせてくれた京子さんは『ごめん、無理』と視線で語ってくれた。
三人は顔を見合わせて、ほとんど同時に言った。
『で、どういうことですか?』
「あっはっはっはっは……」
力なく笑って、僕はあまりの恐怖に意識が漂白されていくのを感じていた。
背後で死神が鎌を持って嬉しそうな顔をしていたような気がした。
第八話『みんなと楽しい誕生日会(前半戦)』END。
第九話『みんなと楽しい誕生日会(後半戦)』に続く。
作者のこだわり注釈解説。今回は少なめだよ。
注1:ガン○ムSEEDに出てくるピンクのガンダ○。ある金髪の女の子専用機だが、次回作ではその少女はキンピカのガンダムに乗り換えていた。娘に託すモビルスーツってのもどうかと思うが、親父の趣味が仮面のあの人並みに悪すぎだと思う。
あ、作者はあのキンピカめっちゃ好きですけどね(笑)
と、いうわけでかなりお待たせいたしました。社会人になってからかなり辛いですが、なんとか書き進めております。いやぁ、まじで仕事しながらってきついですね(泣)
次回、誕生会は佳境に。そしてその中でうごめく陰謀とは!?