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ラストエピソード1 右手に剣を左手に愛を(前)

はい、そういうわけで最終決戦。終わりの前の戦い。

……ラストエピソード2は一応推敲したいので、一日ほど待ってください。

案の定アホみたいに長いのでご注意を(謝)

 ラスト・ダンス。



 最後の物語を綴る前に、この物語の意味を説明しなければならない。

 彼はただの少年である。物語を通じて、誰かが彼のことをどう感じたかは分からないが、彼は基本的にも応用的にもただの少年である。たった四人の英雄になるかもしれない彼ではあるが、『誰かのために命を張る』という点では、そんなものは世の中の父親全てに当てはまる。

 彼はつまるところ、当たり前に生きることができる人間だった。

 魔王にはなれない。どんな運命を辿ろうとも、彼は89歳で大往生することが決定付けられている。

 そんな彼は、世界でも最強と呼ばれる母親と、世界でも偽証と呼ばれる父親の間に生まれて、コンプレックスと共に歩き続けた。

 そして、迷いに迷って暴走した彼女と出会うことになる。

 それからというもの、彼は全てにおいて平然と接してきた。

 慌てず騒がず、彼は誰かと接してきた。


 故に、彼はあらゆる意味での『普通』ではなくなった。


 当たり前に当然に平常で慌てず騒がない。

 そんな心はどこにも存在しない。

 故に、だからこそ人間は、誰もが特殊で特別なのだ。

 みんなが常識に沿って生きているだけのことで、実際には全ての人間が特殊性を持っている。自分が普通だと断言できる人間は、自分の特殊性にまるで気がついていないだけのことなのだ。

 たとえば、貴方は誰かにとって特別な人間かもしれない。

 あるいは、貴方がいることによってその場に笑顔が増えるのかもしれない。

 誰かで代用できることであっても……それは、きっと特別なことなのだ。

 貴方の代わりがたくさんいるのだとしても、誰も貴方にはなれはしないのだ。

 本来ならば、人間はそうやって自分を培っていく。誰かのための自分。特別でありたいと願う心。誰かのために……自分が好きな誰かのために、人は生きていく。

 自分とは探すものではなく、創り上げるものだから。


 けれど、彼は創り上げた自分のことを、最後まで誇ることはできなかった。


 彼はコンプレックスの塊だった。自分が信じられず、それでも信じたくて、もう限界だと分かっていたけれど努力を続けた。一流にはなれず平凡の範疇で成長が止まることを知っていたけれど、諦めきれずに努力を続けた。

 努力を続けて、それはとても苦しかったけれど、努力を続けるのはもっと苦しいことだから、やめなかった。

 影でこっそり泣いたりもしたけれど、見栄を張りたい相手に弱みは見せなかった。

 たった一つ当てにしてきたのは、自分が積み上げてきた努力のみ。それも足りない足りないと言い聞かせて、足掻き続けてきた。

 それは……ただの人間の足掻きだった。

 だからこそ、彼の笑顔は柔らかくて暖かかった。

 だからこそ、彼の周囲には笑いが絶えなかった。

 だからこそ、彼は孤独に墜ちた少女を救うことができた。

 だからこそ、彼は痛みに震える彼女を救うことができた。

 だからこそ、彼は喪失に怯える母親を救うことができた。

 だからこそ、意地っ張りな少女は少しでも彼を助けようとお節介を焼いた。


 だからこそ、彼は彼女を助けることができなかった。


 なぜならば……最初から最後まで必死で否定しようとしていたが、彼女は彼のことが本当に好きだったからだ。

 見栄を張って、意地を張って、否定しようとしただけだった。

 彼が他の女の子と遊んでいる時にイライラしていたけれど、全部無視していた。

 自分の気持ちを否定しようとした。

 だから、彼の言葉が重かった。

 心に響く彼の言葉が、あまりにも痛かった。

 努力を放棄してきた彼女には、彼の言葉はあまりにも重すぎた。


 そして、彼女は彼に傷を負わせた痛みに耐え切れず彼の前から姿を消し、

 彼はぼんやりと傷ついた左目に触れながら、彼女を諦めようとしていた。


 しかし……ここで最後の助力が現れる。

 それは広大なネットの海を彷徨う誰かの助力だった。

 一つ一つでは小さくて儚い、ちっぽけで淡い願いだった。

 その願いとは……物語を物語のまま、最初のカタチで終わらせること。

 この物語の作者は一番最初に二つの嘘を吐いた。

 タイトルで嘘を吐き、ジャンル選択で嘘を吐いた。

 彼女は家族でもなんでもなかったし、書かれている物語は大半が一人称のしゃべりだけでコメディと見せかける完全なフェイク。

 気づいている人はとっくに気づいているだろうが、この物語は後に出題される各種命題と腐るほど張り巡らせたトラップのために、情景描写を極力少なくしてある。

 ネットという広大な海にある孤島で『しゃべりだけで惹きつけようとする、子供向けの小説』と評価されてあったがまさしくその通りである。

 そういう風に、この物語は描かれていた。


 それでも……ハッピーエンドを願う誰かがいた。

 そして、誰かは願い続け、戦いを挑んだ。

 子供のように、ただひたすらに願い続けて、挑み続けたのだ。

 幾度となく敗れ、傷つき、駄目出しされて、それでも戦い続けた。

 そして……勝利した。

 故に、この物語は正常に復帰する。

 願いは今ここに届き、物語の目的は果たされた。

 ……さて、それではそろそろ始めよう。


 この物語は、彼と彼女と周囲の人間が織り成す、ちょっとヴァイオレンスな日常を描く愉快で楽しいコメディな物語である。

 その物語のタイトルは、


 僕の家族のコッコさん つヴぁいっ!


 ラストエピソード1:右手に剣を左手に愛を(前)

 サブタイトル:猫耳メイドと高倉天弧。



 この物語は、彼と彼女とみんなが織り成す、最初の物語である。



 私の名前は音子(おとこ)。名字はない。現在、記憶喪失中である。



 怪我をして運ばれた先は、奇妙な宿屋だった。

 なんで怪我をしたのかよく分からずに、起きた時には記憶を失っていた私はとりあえずその宿に世話になることになった。まぁ、記憶などシナプスがなんらかの原因で途絶したことによる一時的なものであろうし、こうやって適当に暮らしていけば治るだろうと楽観している。

 支払うべき対価が肉体労働くらいしかないので、宿屋の主の反対を押し切って、私は朝昼晩と宿屋で働いている。

「運ぶのはこれだけでいいのか? 京子」

 黒マグロを片手で持ち上げると、割烹着を着た厨房の主こと梨本京子は心底感心したように溜息を漏らす。

「うん。……つーか、お前本当つくづく人間じゃねぇよな。マグロ一本とか持ち上げるってフォークリフトかっつうの」

「京子は小さいからな。そう思うのも無理はないだろう」

「どついたろか、このアマ」

「小さいのが悪いというわけではないさ。小さいのは小さいのらしく色々な戦術を使って自然界を生き残っている。リスやネズミなんかは自然界の典型的な王者だろう。知恵と工夫と特徴的な体格で、彼等は生き残っている」

「……それとあたしに、なんの関係があるんだ?」

「よく考えると関係はないな。まぁ、そう不機嫌になるな。お前の想い人が私に甘いのは、別に私に惚れているわけではないだろう」

「………………」

 私がそう言うと、宿屋の厨房を取り仕切る小さな巨人は顔を赤らめて口をつぐんだ。

 私に優しい宿屋の主に、彼女は惚れている。

 肉球やら髑髏やら日によってデザインの違うトレードマークがプリントされた眼帯に、典型的な黒のスーツ。笑顔はまぁまぁ可愛い部類で、目つきは悪いというより鋭い。ここ数週間の様子を見る限りではずる賢く、卑怯で、自分が気に入った相手にはとことん優しいが、どうでもいい相手にはかなりどうでもいい対応を取っている。好きな女は四人(暫定で五人とかなんとか)、底の知れないメイド、気の強いメイドの姉、ここにいる小さな巨人、なんだか異様に強い淑女というラインナップ。

 とりあえず、女の趣味が悪いことはよく分かった。

 記憶を取り戻した頃に、可愛い女でも紹介してやろうかと思っている。

「をい、音子。……なんか変なこと考えてねーか?」

「いや、別に」

 しれっと答えながら、私は箒を手に宿に戻ろうと一歩を踏み出す。

 いつものように、ちょっと気になったことを聞いておく。

「京子。毎朝思ってるんだが、あの奇妙な植木の数々はなんとかならないのか?」

「音子。毎朝言ってると思うケド、あれは植木じゃなくて盆栽だよ。あれを始末するとテンはともかくあいつが怒りそうだからねぇ」

「あいつ?」

「まぁ、色々あったってコトさ」

 京子はいつものようにそう誤魔化して、歩いて行った。

 その後姿を見送りながら、私は少しばかり考える。

「……ふむ」

 京子が言う『あいつ』、すなわちこの宿にとって曰くつきの人物は、少なくとも私が調べた限りでは宿屋の古参メンバーならば誰もが知っている人物らしい。

 触れてはいけない人物なのかもしれないが、残念ながら私は半分は人間なので……えっと、なんだったかはよく思い出せないが、人間なのだから興味を持つのは仕方ない。

 一番簡単なのは屋敷の主に直接聞くことだが、あいつの嘘は1級とまでは言わないが、人の虚を突く2級品だ。適当に誤魔化されてしまう可能性が高い。

「まぁ、それでいいか」

 誤魔化しの中に本当のことがある。それを見抜けばいいだけだ。

 私はゆっくりと背伸びをして、宿の入り口をちらりと見る。

 今日も入り口は猫で溢れている。門柱の上でダラダラする者、なんだか私のほうをじっと見てる者、欠伸しながら寝入ってる者、他の猫と戯れている者。

 どこからどう来たのかは不明だが、この宿屋には猫が集まる。

「……猫に好かれるのは人徳か、あるいは性分かな。やれやれ」

 なにやら訳の分からないことを呟きながら、私は空を見上げる。

 いつも通り、真っ青な青空だった。



「それで、高倉君は誰が好きなんだ?」

「ぶっ!?」

 思わぬ一言、思わぬ言葉に、僕は口に含んでいた紅茶を吹き出した。

 藪から棒に執務室にやってきた音子さんは、そんな僕の様子を見てにやりと笑う。

 客人こと音子さんが宿屋に来たのが数週間前。

 全治一年はかかるだろう大怪我を負った彼女は、一週間でそれを完治させた。ただ、脳の損傷、記憶部位の修復にはいくばくかかかるだろうからそれまでなにかやらせろという要請に従い、彼女には色々な仕事を手伝ってもらっている。

 僕としては客人に仕事をさせるのは、甚だ不本意なのだけど。

 と、まぁそれはともかく。僕が思い切り咳き込んでいると、音子さんはふむ、と呟きながら口元を緩めた。

「なるほど……その反応を見る限りでは、『全員』と考えるのが妥当かな?」

「い、一体何の話ですか?」

「単純さ。君が欲情する、あるいは愛すると言い換えてもいいな。そういう風に見ている女性はあの中の誰かと聞こうとしただけだが。……まぁ、『全員』なんだろうなと思っただけのことだ。大したことはない」

 ……相変わらず、京子以上にサバサバしてるな、この人。

 人には大っぴらに言えない事をざっくりと突いてきやがる。

 僕がかなり恥ずかしがっていると、彼女は少しだけ不思議そうな顔をした。

「なにを恥じることがある? いい男が女の面倒を見るのは当然のことだろう」

「……いや、まぁそうなのかもしれませんけど。人間の風習だと、一応男女の関係ってヤツは一対一が基本なんで」

「基本から外れるのは普通だ。黒霧姉妹も、京子も、ひよっ子美里もお前のことを少なからず想っているだろうさ。……ま、ユーリとかいうあのちゃらんぽらんな魔法使いまでは知らんが、あいつはあいつなりに友情でも感じてるんじゃないか?」

「………………」

 最初に会った時から思ってたけど、この人鋭すぎる。三日でこの宿の人間関係を把握された時は、正直かなり引いた。

 まぁ、とりあえずここでのツッコミどころは、美里のことをひよっ子呼ばわりしているところだろうか。

 しかも、本人の目の前で。

 僕に紅茶を煎れてくれた美里は、にぃぃぃっこりと怖すぎる笑顔を浮かべていた。

「あらあら、音子さんにとっては私はひよっ子ですか? そりゃあ、私は貴女ほど長生きはしてませんけど、それは少々心外ですよ?」

「そうやっていちいち突っかかるあたりがひよっ子だと言っている。大体、人前で男に甘える勇気もないくせに、いちいち私に嫉妬をするあたりがみっともない」

「………………ふぅん?」

 やばい、図星だ。美里のオーラが5倍に膨れ上がる。

 つか、頼むから僕の前で喧嘩をするのはホントやめて欲しい。

 怖いからね。今とか、後々とか。

「大体、なんの伏線かは知らんが若くてピチピチな私が美里より年上なわけないだろう? えっと、今年で32歳だったか?」

「………………殺してやる」

「ちょっ、美里っ!? 目がマジだぞっ!! 音子さんもいちいち挑発するのはやめてくださいっ! 怖いからっ!」

「私は挑発してるんじゃない。遊んでるんだ」

「そんなさも『心外』みたいな顔でものすごいことをさらりと言うなっ! 音子さんは遊んでて楽しいのかもしれんが、あとで色々とフォローすることになるこっちの身にもなりやがれっ!」

 まさか美里で『遊ぶ』という表現をする女の人が存在するとは思わなかった。

 世界は広い。どこまでも広い。広すぎて嫌になるくらいだ。

 まぁ、僕は井の中の蛙っぽく、せいぜい自分の世界を守るために頑張らせてもらうけどね。

 それはともかく、美里の力は相変わらずものすごいわけで。僕はもう敗北寸前にまで追い込まれていた。

「離してくださいっ! 私はあの女を殺すために生まれてきた、今ならそんな風に思うことができるんですよ!」

「いや、完全に気のせいだからっ! どこの運命の戦士だそれはっ!」

「どうせ貴方も『32歳なんて年増』とか思ってるんでしょうっ!?」

「いいえ」

「ドラク○の勇者みたいな冷淡かつきっぱりとしていながら有無を言わせないゴリ押しの即答っ! やっぱりそうなんですねっ!!」

「いや、ちゃんと否定したかっただけだから。あと……そろそろ静かにしないと、『本気』出しますけどそれでもよろしいなら、どうぞ」

「………………」

 美里は僕の言葉を聞いて一瞬で動きを止める。

 そして、こほんと咳払い一つしてから、優雅な動作で一歩下がった。

「……えっと、すみません。少々取り乱してしまったようで」

「まぁ、年齢に敏感になるのは女性として当然のことですから別にいいんですけどね。……ただ、程度を弁えないとこちらとしても対応を考えざるを得ないんで」

「………………は、はい。分かりました。じゃ、じゃあ私はこれで」

 美里は顔を真っ赤に染めながら、執務室を出て行った。

 うーん、可愛いなぁ。でもちょっとお茶を煎れてもらったくらいでこの騒ぎになるのはちょっとやめて欲しいような気もする。

「いやいや、騒がしくなって申し訳ありません。で、なんの話でしたっけ?」

「……あの、高倉君。その前に一つ聞いておきたんだが、『本気』ってなに?」

「本気でちゅーするぞって意味ですけど」

「えっと……うん、とりあえず君が本気でおっかない人間だってことはよく分かった」

 いや、キスのどこがおっかないのかよく分からないが、なぜか音子さんは僕から思い切り目を逸らしていた。

「で……まぁ話を戻すんだが、ちょっと気になることがあって」

「山口コッコ」

「え?」

「山口コッコ。名前は詐称、本名は月ノ葉光琥。天才錬鉄士にして忠臣一族。経済市場を破壊されることを危惧した彼女の主によって月ノ葉一族は滅ぼされて、それを知った彼女は主を殺害。流れ流れてどういう経緯かは不明ですが母さんに拾われ、父さんにスカウトされて、僕が以前住んでいた屋敷に勤めていました。勤務態度はわりと良好だけど一部問題あり。朝早くて夜も早い。自分の趣味以外のことには基本的に指一本動かしたくない女性で、趣味は盆栽。切り揃えた髪の毛にいまいち表情が隠せていない無表情が特徴的。……色々あって屋敷も潰れたんで、現在は親友のところで働いています」

 一息で言い切って、僕はにっこりと笑う。

「みんなが言う『あの人』とか『あいつ』というのは、彼女のことです」

「……なんで、私の言いたいことが分かった?」

「音子さんはわりと周囲に気を使う人ですからね、ただ、やたらと勘が鋭い。聞きたくても聞けない。それでも断片から推測することくらいは平気でやるでしょう。隠すことでもありませんし、勘ぐられるのもいちいち面倒なので、話しました」

「………………」

 音子さんはゆっくりと溜息を吐く。鋭い目つきで僕を見つめる。

 その目を真正面から見返して、僕は口元を緩めた。

 僕が笑ったのを見て、音子さんは苦笑した。

「……なるほど、彼女のことは君にとってはそれなりに辛い思い出というわけだ」

「まぁ、否定はできませんね。最後の方は本当にわりと辛い思い出です」

 失明とかしちゃったし。

 彼女のせいで色々と苦労する羽目になった。

「恨んでますし、憎んでます」

「……悪いことを聞いたな」

「いえ、そうでもないですよ。それと同じくらいには好きですから」

「え?」

「僕は、僕の好きな人に強制はしたくないんです。愛してくれとか、好きになってくれとか、まぁそりゃあ心の底ではそういう風に願ってはいますが、好きな人が幸せになれば基本的にはオールオッケーなんですよ。…………でも、まぁ」

 僕は笑う。

 にやりと、笑った。

「彼女に対してはその限りではなくてもいいんじゃないかなーと思ってます」

 いつものように笑いながら、きっぱりと言い放った。


「やったことに対しての、責任を取ってもらおうってね♪」


 いつかコッコさんが言ったこと。

 行為に対しては、どんな小さなことであろうともそこには責任が生まれる。

 ならば、責任ってヤツを取ってもらおう。

 まだ、小学生だった僕にそんな言葉を吹き込んでくれた、貴女の責任を追及してやろうじゃないか。

 ま、由宇理に吹き込まれた以上に、あんな楽しい人を放っておけるかっていう僕の強い希望もあるにはあるけれど。

「……高倉くん。ふと思ったんだが、君って意外と根に持つタイプか?」

「そりゃそうですよ。根に持たずに生きることができたなら、こんな生活はしてません。恨み辛みは人の業。それでも嫉んで生きていく。それが人の道ってもんです。……ま、人間なんざ突き詰めていけば大切な人と明日のおまんまの心配してれば十分なんで、他人を恨んだり憎んだり嫉んだりする暇があるんなら、そっちの心配をすべきでしょうね」

「まぁ、そうだな」

 音子さんは苦笑を浮かべて、僕を真っ直ぐ見つめた。

「なぁ、君にはそのわがままを通すだけの覚悟と度胸はあるのか?」

「あります」

 昔は断言できなかった。きっと曖昧なまま押し通したはずだ。

 今は違う。自信なんかこれっぽっちもないけれど、それでも今なら言えるのだ。

 みんなが助けてくれるから。だから僕は断言しよう。

「僕はあの人を連れ戻す。略奪する。奪い返す。それを押し通すために今まで努力してきた。そのわがままを貫くために、これからも努力を続ける」

「なんとなくだが、微妙に思い出せないが、君のような馬鹿な男の子を一人知っているような気がするよ」

「その馬鹿に一言『このシスコン馬鹿』って伝えておいてください」

「……いや、だからまだ色々と修復中だから思い出せないというか……もしかしてその男の子と高倉くんは仲が悪いのか?」

「宿敵です。怨敵と言い換えてもいい。……あいつは全然分かってないんです。髪の長い日本人形みたいな妹を持ってるくせして、和服を着せないとかもう意味が分からない。あいつ絶対にムッツリスケベだから自分の前だけで着せて楽しんでやがるんですよ。もしくはアレだ、路線を変えてチャイナドレスとかそのあたりに違いない」

「…………本人が聞いたら名誉毀損とかで訴えそうな言葉だ」

「くっくっく、受けて立ってやりますよ。スリットみたいなチラリズムごときに、和服の素晴らしさが負けるはずがありませんからね!」

「……いや、そっちじゃなくて」

 僕がにやりと笑うと、音子さんは溜息を吐いてドン引きしていた。

 ま、今日も今日とでお宿は平和そのもの。暖かい一日が過ぎて行くのだった。



 高倉天弧はそんな風に笑っている。

 まるでいつも通りだと言わんばかりに、昔あったことを笑い飛ばす。

 そんな風に生きられたらいいなと思いつつも、やっぱり私には無理かなと思い返して、私は彼の部屋を出た。

 温泉にでも入ろうかとちょっと思った矢先、苦手な和服姿を発見する。口を開かなければ完全なる日本女性なのだが、口を開いた瞬間に印象が崩壊する。

 ある意味では損をしている女である。

 そいつはくるりと私の方に振り向いて、にっこりと笑った。

「お、音子(ボイン)さん。おはようッス」

「………………」

 開口一番でこれだ。

 朗らかな態度とは裏腹に、この女は私を完全に馬鹿にしている。

「やだなぁ、朝からそんな剣呑な目つきで睨んでくるなんて。美人が台無しッスよ?」

「由宇理、お前の言葉にはいちいち悪意を感じるんだが?」

「ふっふっふ、美里さんをいぢめるヤツはあたしが許さねぇぜっ!」

「……うん、分かった。とりあえず私の周囲10メートルに近づくな。同性愛とか本当に駄目だと思う。生産性ないし」

「極大な誤解があるようだけど、それは違うッスよ。美里さんをいぢめると、キツネの負担が重くなる。キツネの負担が重くなると、他の四人が心配する。他の四人が心配すると仕事が滞る。……というわけで、割りのいいバイト先を失わないためにも、こうやってちくちくと伏線を張ってるだけッスよ♪」

 楽しそうな笑顔でそれを言ったりしているため友情なのか悪意なのか判別できないところが、この小娘の怖いところだ。

 まぁ、しかしその言葉はある意味では本質を突いている。

「……ま、高倉くんは女の趣味が悪いからな。全員優秀だがアクが強過ぎる」

「それ、もちろん自分も含んで言ってるッスか?」

「残念だが、私は由宇理ほど好かれてはいないのでな」

「それも残念。あたしとあいつは親友であって、それ以上にはならないんスよ♪」

 にやりと不敵に、それでも若干の寂しさを残して、由宇理はきっぱりと言った。

 そう言い張ることが……誇りだと信じるかのように。

「おばはん、なんか致命的な勘違いをしてないッスか?」

「殺すぞクソガキャ。人がせっかく好意的に解釈してやろうと思ったのに」

「や、だってあたしがキツネを好きとかまぢでありえねぇッスもん。あたしが昔住んでたアパートの隣の部屋に越してきたこともあったけど、やっぱり親友くらいが一番楽しい野郎だしね。……まぁ、アパートの風呂が壊れて一緒に銭湯入りに行った後の湯上りの姿にはちょっとだけときめいたりもしたけど。それはなんとかちょっと違うし」

「……ああ、あれは仕方ない。鎖骨のあたりが妙に色っぽいからな、あの男」

 こんな軽い対話で、私の由宇理に対する悪意が少しだけ薄れた。

 ……うーん、私ももしかしたら思ったより軽い人間なのかもしれない。

 まぁ、基本的には人間じゃないから別になんでもいいが。

 …………あれ? 人間だよな、私。

「残念ながら、アンタは人間でもなんでもない。ただの化け猫ッスよ」

「……なんの話だ?」

「逃避と隠蔽の話ッスよ。……ねぇ、音子さん。ここでの生活は楽しい?」

「それは…………」

 楽しいのだろう、きっと。

 そうだ、ここは楽しい。働く場所があって、気が置ける仲間がいて、窮屈なことも辛いこともそれほどなくて、なんの遠慮もせずに生きていける場所。

 私の居場所ではないけれど、ここにいるのはきっと楽しい。

「そんで、それからどうするの?」

「……どうすると言われても」

「アンタがあたしを嫌っている理由は極めて簡単。それは、あたしが『消去』や『破壊』に通じている魔法使いだからね。なにかを壊す、消す、滅するというメカニズムにおいては、あたしの右に出るのはあたしを作った人しかいない。……あたしの見立てでは、アンタの記憶は壊れちゃいない。単に封印してるだけッス」

「私が、記憶を取り戻すのを嫌がってるとでも言いたいのか?」

「話が早くて助かるッスよ。……ま、あんなことがあったんじゃ仕方ないッスよねぇ」

 にやりと……着物を着た女は不敵に笑う。

 私がなにを忘れたいのか、なにを思い出したくないのかしっかりと知っているようなその眼差しに、不覚にも私は呑まれた。

 そして、私の躊躇などおかまいなしに、魔法使いは目覚めの呪文を唱えた。


「そう、それは銀河を駆ける、ふぉ〜りんL・O・V・E♪」


 その瞬間に全てが繋がる。

 あまりの衝撃に一瞬だけ志向を忘れ……私は頭を抱えて蹲った。

 頭が真っ白になり、私は衝動的に叫んでいた。

「こここここここここここここここ殺せえええええええええええええええぇぇっ!!」

「嫌ッスよ♪ せいぜい、悩み抜いて返事を決めて、ちゃーんと応えるんスよ? あんなに恥ずかしい告白なんて古今東西そうそう聞けるものじゃないんスから」

「ううううううううううううう!!」

「そんじゃ、あたしはこれで♪ あとは音子さん次第ッスから。ばいび〜♪」

 手を振りながらものすごくいい笑顔を浮かべて、悪魔は去って行った。

 全部を思い出した……もとい、ようやく封印していた記憶を解除した私は、赤面しながらちょっと泣きそうになっていた。

 しばらく悩んで、とりあえず、ちょっとだけ前に進むことにする。

「よし、とりあえず怪我の治療に専念しよう! やっぱり怪我は自然治癒に限るよな! あっはっはっはっはっは!!」

 あとはかすり傷と打ち身くらいなものだったけれど、私はそう決めた。

 自然治癒に任せれば全治まで二週間はかかる。それまでに、なんとか決めないと。

 それが逃避だとは分かっていたが、少しだけ時間が欲しかった。

 ……ココロの準備を整えようと、私はとりあえずそう決めた。

 まぁ、時間稼ぎだってことは分かっていたけれど。



 僕の部屋をノックする音。

 返事をしないで待つこと3秒。ドアを開けて入ってきたのは僕の親友だった。

「やれやれ、余計な御世話を焼かされたッスよ」

「悪いな。こればっかりは説得力って点で由宇理が適任だと思ったんだ」

「いやいや、あたしも正直、音子さんにはちょっとやきもきしてた部分もあるッスからねぇ。猫神族からは早急に彼女の引渡しが望まれてるんでしょ?」

「まぁね。……猫たちにとっては、彼女はものすごく大切な存在で英雄だから」

「で、従うの?」

「まさか」

 僕は笑う。いつも通りに口元を緩めて。

「彼女には、気が済むまでこの宿でゆっくり休んでもらう。あの人は『お客様』だからね。それを妨害する輩は容赦なくぶっ飛ばすさ」

「そりゃご立派なことで。んで、彼女はあれでいいとして、私の創り手の方はどうすんの? 本当に手助けとかは必要ないッスか?」

「要らない」

 きっぱりと断言する。

 真っ直ぐに僕を見つめる、由宇理の目を見て言った。

「ま、こればっかりは僕の力で奪い取らないと意味がないしね」

「りょーかい。じゃ、あたしは留守番ッスね。歓迎会の準備でもして待ってるッスよ」

「ん……そうだな、盛大に頼む」

「あいあいさー♪」

 由宇理はそう言ってにやりと笑い、僕も合わせて口元を緩めた。



 明日の宿のことは由宇理に任せて、僕は最後の準備に取りかかる。

 本当は由宇理には色々とやることがあって、それは由宇理自身が望んだことだ。高校時代と違って、今はボロアパートに住んではいないし、仲のいい友達に勉強を教えるくらいはする。……で、宿に来る時は和服に着替える、と。

 ちなみに今の由宇理は長い黒髪を綺麗に結い上げ、僕が用意した臙脂(えんじ)色を基調とした花柄の着物をなんの違和感もなく着こなす完璧な和服美女である。

 まず女性という自覚を芽生えさせるために、僕が知りうる限りの知識を動員し、ボサボサだった髪をサラサラに修正し、作業着は全部廃棄させ、由宇理が許容する限りでスポーティかつ女性らしい服を選択、礼儀作法の方は師匠に任せてみたら一年で改善されたが、言葉遣いの方はあえて直さなかったらしい。『いざという時はちゃんとした言葉遣いができるように仕込んでおいたし、外側が清楚な美人で内側が元気少女ってむしろ萌えると思わない?』というのがその理由なのだけれど、僕にはイマイチよく分からない。

 少々やり過ぎた感はあるが、ぶっちゃけこれは全部、意地っ張りなくせにやたら可愛いものが好きな舞の『いいからやっちゃいなさい。このままだとあの子彼氏すらできないわよ』という指示の賜物である。

 かくて、ここに『綺麗な由宇理』が誕生したわけである。

 ……うーん、いっそのこと口説いときゃ良かったかなぁ。

「ご主人様。なんだかフラチなことを考えていますね?」

「いや、わりと神聖なことを考えていた。和服万歳ひゃっほー」

 不意に現れた気配に驚くことなく即答すると、彼女は少しだけ目を細めた。

 目を細めたまま、じっと僕のことを見つめる。どうやら今の言葉はご不満らしい。

 僕は少しだけキーボードを叩く手を休めて、口元を緩める。

「お帰り、冥」

「ただいま戻りました、ご主人様」

 一礼する姿には一分の隙もなく、どこでどう学んだものか所作に関しては完璧。

 自称『僕のメイド』を名乗る彼女の名前は、黒霧冥。

 黒縁の眼鏡に黒いワンピースにと白のエプロンドレスというオーソドックスなメイド服にヘッドドレスと袖にはカフスという、まさしく『メイド』と呼ばれるにふさわしいいでたちだけれど……友樹や由宇理が絶賛しあんなにこだわる理由がいまいち分からない。

 冥が着物とか着たらすごく似合うと思うんだけどなぁ。

「ご主人様の言いたいことなど手に取るように分かりますが、言いたいことがあるんだったら素直に仰ったらいかがですか?」

「冥は可愛いなぁ」

「………………」

 無言で超ド級のアッパーカットを食らわされて、僕は10分ほど悶絶した。

「……冥、君は僕を殺す気か?」

「ご主人様が予想外すぎることをほざくから悪いのです。というか、侍従をそんな簡単に褒めてはいけません」

 顔を真っ赤に染めて、冥は俯きながら言った。

 言いたいことがあるんだったら素直に言えと言ったのに、なんて理不尽なんだろう。僕はメイド服には興味などカケラもないが、冥のことは本当に好いているのに。

 でも、行動で好意を示そうとするとなんか殴られるしなぁ。

 照れ隠しだとしても、冥に殴られると普通以上に痛いし。

「殴られるようなことをする、ご主人様が悪いのです」

「それは明らかに加害者の理屈だと思うけど。ま、それはともかく……首尾の方はどうだった? 上手くいきそうかな?」

「私を誰だと思っているのですか? ……まぁ、ちょっと疲れましたけど」

「ん、ありがとう。ご苦労様」

 ポンポンと冥の頭を撫でると、彼女は嬉しそうに笑った。

 思わず抱き締めたくなってしまったのは、男の本能だけど、それよりも生存本能の方が優先順位が上なので抱き締めるのはやめておいた。

「ところでご主人様、私は喉が渇いてしまいました」

「ん、じゃあ京子の所に行ってもらってこようか?」

「京子さんは本格志向なので飲み物一つ取っても美味しいのですが、今はそういう気分ではありませんので、コンビニの炭酸リンゴジュースとかがおすすめなのです」

「はい、飲みかけだけど」

「たぁっ!」

 ヒュゴッ! というありえない音が響いて、頭蓋骨でも粉砕できそうなパンチが僕の頬を掠めて通り過ぎる。

 頬を流れるのは血か、あるいは涙か。ちょっとよく分からなかった。

「ねぇ、冥? さりげないジョークを流す度量とかそういうのってメイドに不可欠な技術だと思うんだケド、そのあたりはどうなってるんだろうね? そもそも、僕は正直君がメイドとは到底思えないっつうか、ぶっちゃけヴァイオレンス度で換算すると君は着実にコッコさんを上回りつつあると思うんだケド?」

「ふ、真のメイドにそんなものは不要なのです。主であろうとも見敵必滅なのです」

「……へぇ」

 適当に返事をしながら、僕はスイッチを切り替える。

 君がそういう態度に出るのなら仕方ない。僕も少々本気を出すとしよう。これ以上殴られると仕事に支障が出るし、なにより命に関わる。

 ギチリと音を立てながら、僕はちょっとだけ僕を捨てる。

「……いたずらっ子だね、冥は」

「っ!?」

 異常を察したのか、冥は一瞬で顔を強張らせて一歩下がる。

 僕は口元を楽しそうに緩めて、その一歩をあっさりと詰める。

「そんなに僕を困らせて、なにを期待しているのかな?」

「あ、あう。……ご、ご主人様? あの、ちょっと……」

「それで、冥は僕になにをして欲しいのかな?」

「……だから、その……り、りんごジュースを……」

「ご褒美はそれだけでいいのかな?」

「え?」

「君が本当に望むことはなにかな……冥?」

「あ、あう……」

 頬に手を添えると、それだけで冥は真っ赤になって硬直してしまった。

 僕は微笑みながら体を寄せ、ゆっくりと顔を近づけて……。

 ガチャリという音を聞いた。

「テン、この書類なんだけどさ。ちょっと私じゃ分からない所があって……ってなにやってんのアンタはああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁ!!」

 ノックもせずに部屋に入ってきた舞は、問答無用で僕を蹴り飛ばした。

 その跳躍距離、概算で三メートル。恐るべき運動能力だった。

「アンタねぇ、ドアを開けたらいきなりセクハラってどーゆーことっ!?」

「あー……えっと、舞。苦しい。首絞めるのはちょっといかんと思うよ。死ぬから」

 舞の飛び蹴りによって、僕のスイッチがあっさりと元に戻った。

 しかし、言われなき誤解を招いているようで、このままだと僕の命が普通にやばい。

「あの、舞。ちょっと……その、言い訳をさせてくれると嬉しいな」

「……分かったわ。とりあえず冥ちゃん。なにがどうなってあんな状態になったの?」

「ご主人様が飲みかけのジュースを無理矢理私に飲ませようとしましたので、拒否したらいきなり襲いかかってきました」

「死刑」

「ぎゃあああああああああああっ! ちょ、執行人は公平な視点かつ採決をっ! 加害者と被害者の言い分も考慮してっ!!」

 最高のタイミングで僕のジョークをそのままちくった冥は、舞の後ろでにやりと笑いながら可愛く舌を出していた。くそ可愛いなぁもう。

 やれやれと、肩をすくめて僕は両手を上げた。

「えっと……とりあえず、落ち着いて聞いて欲しいんだけど」

「大丈夫よ。下手なコト言った瞬間に殺す準備はできてるから、極めて落ち着いていると断言できるわ」

「……それは多分、処刑人の心境なんじゃないかなぁ」

 舞は青筋を浮かべながら、僕の言葉を待っている。

 仕方なく、溜息混じりに僕は口を開いた。

「えっと、冥のドメスティックバイオレンスが最近ちょっとひどくなってきたので、予防線というかそういうのも含めて、ちょっと手を出す振りをしただけです。実際には出そうなんてコトは全然思ってません。……すみません、本当はちょっと出しかけました。お願いだからシャープペンの先端を眼球に近づけるのはやめてください。でも、ちょっとジョークを言っただけで頭蓋骨が吹き飛びそうな威力で頬を掠められるのは正直きついと思いました。まる」

「………………はぁ」

 舞は深々と溜息を吐いて、僕を少しだけ睨みつけた。

 その様子がいつもより覇気がないように見えたのは……僕の気のせいか?

「まぁ……正直、そんなことだろうと思ったわ」

「あれ? 舞、もしかして疲れてる?」

「んー……ちょっとね。あ、別に仕事は忙しくないから安心して。山田ちゃんの相談に乗ってるうちに日が昇ってただけだから」

 ……いや、それって完全に徹夜じゃん。

 付き合いが長い今だから分かるけど、舞ってちゃんと様子を見ててやらないと、自分の体調とか無視して無茶をやらかすんだよなぁ。

「冥」

「はーい」

 僕の声に応えた冥の手には、既に毛布があった。

「舞ちゃん、ちゃんと休まないと駄目ですよ? ……もう、舞ちゃんの体は舞ちゃんだけのものじゃないんだから」

「あの、冥ちゃん? その言い方はかなり誤解を招くと思うんだ……けっ!?」

 舞の首筋に軽く手刀を打ち込んで気絶させた冥は、舞の体を支えながらソファに寝かせて、毛布をかけてやった。

「では、姉さんは私が見てますので、リンゴジュースの方をよろしくお願いします」

「普通逆だと思うけど……ま、いいか」

 そんなに忙しいわけじゃないし、たまには外出もいいだろう。

 財布と携帯電話をポケットに押し込んで、僕は歩き出す。

 と、その前に。

「冥。ちょっといいか?」

「なんでしょうか?」

「疲れてるならぼかさないでちゃんと言え。膝でも腕でも君が望むなら好きなものを貸してやる。僕はみんなのもので、君が望む限り僕は君の主だ。……それは忘れるなよ」

 冥は少しだけばつの悪そうな顔をして、肩をすくめた。

「侍従は主の前では見栄を張っていたいのですが。……まぁ、以後気をつけます」

「よろしい。じゃ、僕はちょっと出かけてくるから。留守番よろしく」

「行ってらっしゃい、ご主人様」

 定例的な挨拶と共に、僕は僕の部屋を出て、気分転換に出かけることにした。

 さてと……それじゃあ、どこに行こうかな。



 さてと……僕は、どこに連れて行かれるのかな。

 正確にはどこに連れて行かれるという表現は正しくない。僕は自分の意思で車のハンドルを握って、自分の意思でアクセルとブレーキを踏んでいる。ちなみにクラッチはない。残念ながら、僕は安定性重視のオートマ志向である。

 まぁ、それはどうでもいいだろう。問題なのは、僕が向かう先を僕自身が知らないというコトだ。僕の行く先は……助手席と後部座席に座っている二人が知っている。

「あ、そこ右折ね。……美里、こっちでいいんだっけ?」

「はい、こっちのはずですよ。ところで……私にハンドルを握らせないのはおろか、助手席に座らせもしなかったのはなぜですか?」

「……や、運転席は当たり前として、助手席でも運転の途中で横から『いいからさっさと抜きなさいっ! あんなドンガメに前を走らせてていいんですかっ!?』とか叫ばれるのは、かなり集中が乱されるので。僕だって命は惜しいですしねぇ」

「…………む」

 なにやら複雑な表情を浮かべながら、後部座席から僕の頬をつねる美里。

 頼むから車を運転してる最中にいたずらとかはやめて欲しいところだけど、可愛いので放って置いた。

「で、そういえばどこまで行くんですか? なんか強制連行みたいだったんで、行き先とか聞いてなかったんですけど」

『とりあえず、美味しいお肉でも奢ってもらおうかと』

 京子と美里の言葉がハモる。

 二人がにやけているところを見ると、どうやらあらかじめ二人で画策していたことらしい。……もちろん、決して仲が悪くないとはいえ、これはとても珍しいことだ。

 ついでに言えば、珍しいことには大抵裏がある。

「……まぁ、たまには美味しい食事もいいですね。どこがいいですか? 一応、おススメの店の一つや二つくらいなら知ってますけど」

「ん〜……そうだなぁ。美里、どうする?」

「……そうですねぇ」

 美里は、僕の顔をじっと見つめている。

 僕は表情を崩さずに、口元を緩めるだけに留めておく。

 そんな僕の顔を見て、美里は小さく溜息を吐いた。半分は呆れたように、半分は感心したように。

「……ホント、年々貴方は扱いが難しい人になっていきますね。それなのにきちんと扱うことができたら使い勝手は最高なんて、ある意味矛盾してます」

「男ってのは使い勝手が悪い程度でちょうどいいんですよ。あえて言うなら、専用装備みたいな。まぁ、有名なロリコンかつマザコンさん専用機ほど真っ赤に染まらなくてもいいんですが」

「……ん〜、なんだか二人で勝手に会話を進められても、あたしは全然理解できないんだけど、ちょっと説明してもらえると嬉しいね」

 ツッコミはなく、京子の不機嫌そうな声だけが響いた。ちょっと残念。

 僕は口元を緩めながら、言いたいことだけを言った。

「ま、つまり……美味しい物を食べに行く前に、用件を聞きましょうってことですよ」

「んー……なんであたしらが天弧に用事があると思ったんだ?」

「ほぼ推測ですけどね。……まず、京子と美里がこんな風に仲良く僕を誘いに来ることがレアです。二人とも仲は悪くないどころかむしろいい方ですけど、基本的に趣味は違いますし。となると、あとは簡単な推測。二人に関わりがあってかつ僕にも関係のあることでなにか用事があるんじゃないかと思いまして」

「いや、全然違うけどね。……っと、そこの路地右折して。今日はあたしが、超美味しいけどものすごく高い店を紹介してやろう。今度個人的に連れてくるように」

「………………」

 死にたくなった。

 いっそのことアクセル全開にして、みんなで死んでしまおうかと思った。

 いや、なにこれ? したり顔で推測して相談事はありませんって。名探偵が推理を外した時がこんな気分なんだろうか? 穴があったら入りたい。むしろ殺してくれ。


「で、あたしらに黙って面白いコトやろうとしてるみたいじゃないか?」


 ゴリ、とこめかみに押し当てられるなにやら固い感触。

 ちらりと横を見ると、京子は回転式拳銃の引き金に指をかけながらにやりと不敵に笑っていた。

 ついでに、僕の喉元に剣が押し当てられる。

 バックミラーで後ろを確認すると、美里は世にも恐ろしい笑顔を浮かべていた。

「まぁ、別に用事とか相談ってわけでもないんですよね。これ、尋問ですから♪」

「そーゆーこった。……ま、アンタのことだから聞けば答えてくれるとは思う。ただ、あたしらに黙ってたのが気に食わないってだけのことでね」

 まぁ、なんて怖いんでしょう。ちょっと隠し事してただけでこれだ。

 さすがに拳銃と騎士剣には勝てないので、僕は溜息混じりに言った。

「……えっとですね。とりあえず、話を全部聞いてもらえますか?」

「そうだな。全部聞くのはいいが手短に頼む。……一応、予約取ってるから」

「じゃ、手短に。陸がやめたからコッコさんに戻ってもらいます。冥の話だと多少はましになっているようなので、それなりに使えると判断しました。あとは少々今までにやったことの責任を取ってもらおうと思っていますが、二人が嫌なら雇用するのはやめます。二人に黙ってた理由は、四年前のことをまだ怒ってると思ったからです。……正直、京子と美里に怒られることほどおっかないこともないんで」

「で、相談せずにさらに怒られるってか?」

「反省してますよ」

 拳銃をこめかみに突きつけられながら、首筋に剣を押し当てられながら、僕は神妙に頷いて京子の頭をポンポンと撫でた。

 ついでに、むにっと美里の頬をちょっとつまんだところで、拳銃の圧迫感が強くなって剣がほんのちょっとだけ首筋に食い込んだ。

「反省の色が見えませんが?」

「天弧、言っておくがおふざけはここまでにしとけよ」

「じゃあ、そろそろ本気で話そうか」

 声音を変える。口元をつり上げる。

 俺はにやりと笑いながら、口を開いた。

「たった一つのわがままだ。俺はあの女を奪い取る」

「なぜですか?」

「理由なんざ、とっくの昔に決まってる」

 最初で最後の大博打。

 また同じことの繰り返しかもしれない、みじめで愉快な自己満足。


「きっと、あいつがいた方が楽しいに決まってるからだ」


 それが、たぶん一番の理由。

 楽しくならないことなんてやらない。俺がみんなと一緒にいる一番の理由は、楽しいからに他ならない。宿を始めたのも、そのための準備も、全部楽しいからやっている。

 でも、その『楽しい』は冥と舞と京子と美里と他のみんながいて初めて成り立つものだ。だから、誰かが一人でも反対したら、俺はわがままを一瞬で却下する。

 楽しい時間が終わるくらいだったら、我欲なぞさっさと折り曲げてゴミ箱に捨てるに限る。二人に怒られるくらいなら、わがままなんてさっさと捨てよう。

 そう思っていた。

 しかし、京子も美里も、俺の考えに反してゆっくりと溜息を吐くだけだった。

「……ま、正直そんなこったろうと思ったよ。予想通りでむしろ安心した」

「ほら、京子ちゃんが心配しすぎなんですよ。残念ながら、天弧さんに一途な恋愛ができるだけの性能はありません。……この人は、好みの女の子以外には見向きもせず、好みの女の子もうっかりいぢめてしまうという難儀な性質を持ってるんですから、私たち以外の女性に好かれるわけないじゃないですか♪」

「……もしかしなくても、俺って今馬鹿にされてないか?」

『自業自得』

 二人は全く同じことを言って、同じように武器を消した。

 どこにしまったのか今の俺には簡単に知覚できるが、まぁそれはどうでもいい。

 ほんの少しだけ口元を緩める。二人に比べると、まだまだ修練が足りないなぁと自嘲気味に笑う。この二人はとっくに俺の考えなんてお見通しで、ついでに言えば四年前の色々を水に流すことはできなくとも……それなりに、ココロのどこかで清算してくれたのだろうと思う。

「……いいのかよ? 止めないと、俺はあいつを連れ戻すぜ?」

「いいんじゃないか? もう四年だ。山口もそろそろ反省した頃合だろ。怒ってないとは言わないが、それはあたしの個人的な感情だし、陸がやめた今山口が入ってくれると正直ありがたい。……それに、あいつはアンタにとっちゃ、なくてはならない女だろ?」

「初志貫徹を果たすには、絶対に必要な子ですからね」

 二人は不敵ににやりと笑う。

 その笑みに返答するように、俺も不敵に笑った。

「了承したよ。……で、取引条件は?」

「そーだな、飯か服でも奢れ。……その、バストのせいであたしが着れる服って大きめのやつが大半だからね。……なんつか、もーちょい良い服が欲しい」

「そういえば服で思い出したけど、京子はこの前僕があげたチャイナドレスって今どうしてるの? 京子のサイズきっちりにしておいたけど、着てる?」

「あんなもん、普段着どころか寝巻きも難しいわばかたれっ!!」

 顔を真っ赤にして怒鳴り返す京子は大層可愛かったのだけれど、僕は口元で笑うだけでなにも言わなかった。バックミラーで後ろをちらりと見ると、美里も同じような笑顔を浮かべている。

『それでは、今度はミニスカートかものすごく女の子女の子した可愛い洋服で』

『素晴らしいですね。本当に、天弧さんは女の子の可愛らしさを際立たせることに関しては天下一品ですよ』

 アイ・コンタクトでそんなコトを伝え合う。

 まぁ、放っておくとTシャツとGパンみたいなラフかつ男っぽい服装を好む京子のことを思っての行動なのである。九割ほど遊んではいるが、残り一割はわりと本気だ。

 せっかく可愛いのに、素材を殺してはいけません。

 ……男っぽい服装もそれはそれで可愛いことは言うまでもないけれど。

「なぁ、テン。なんか変なコトを考えてたりしないか?」

「気のせいでしょう。じゃ、そういうことでそろそろご飯を食べに行きましょうか」

「りょーかい。……言っておくけど、ここは本気で高いぞ」

「その分は味に期待しておきますよ」

 笑いながら僕は車から降りて、ちらりと空を見上げる。

 抜けるような晴天。意識が飛んでいきそうな青空に、僕は目を細める。

 さて、それじゃあ。

 美味しいご飯に舌鼓を打ってから、最後の我がままを貫きに行きましょう。



 山口コッコはよく笑うようになったメイドである。

 仕事もそつなく、かなり優秀で、話題も多く、人間関係で頓挫するような心配のない女性。よく笑い、よくしゃべり、人にも配慮でき、ささやかな気配りもできる、そんな女性が山口コッコである。

 時折、笑顔の奥に秘める小さな影を除けば、完璧なように見えた。

 仕事もできて、人間関係にも配慮できて、気配りもできる。

 そんな人間なら速攻で仲良くなりたいというのが芳邦鞠の持論だったが、胸の奥のもやもやしたものを感じずにはいられない。

「大体、あの姉さんがあんな完璧超人なわけないんですよ。能力的には問題なくても、性格的には極めて問題ありの人なんですから」

「……ま、そりゃそうかもしれんけどよ」

 買い物袋を二つほど抱えながら、有坂友樹はほんの少しだけ溜息を吐く。

 山口コッコを雇用してから四年間。こうやって鞠と週末に買い物に出かけるのがいつの間にか習慣化していたが、その実態はデートでもなんでもないと友樹は思っている。

(……心配性なんだよなぁ、鞠は)

 苦笑しながら、友樹は買い物袋を持ち直して口を開く。

「現状で問題がないなら、それでいいんじゃないか?」

「問題がないから問題なんです。私の知ってる姉さんは、なんかもうやたら自信過剰で、やること成すこと私を平気の平左でぶっち切って、それで『鞠絵はちょっと慎重さが足りないよね』とか言っちゃうようなクソ生意気なおガキ様だったんですよ?」

「……すごいなぁ。俺には絶対に真似できないよ。殺されるから」

「私は真面目に話してるんです」

 頬を膨らます鞠はかなり可愛かったのだが、それを指摘すると確実に殴られるので、友樹はあえて黙っていた。

 代わりに、鞠の期待通りに真面目に答えておく。

「……まぁ、あの人の気持ちは分からないでもないさ。色々あって辛くて、忘れようとしても忘れられなくて、だから一生懸命なんだろうさ」

「………………」

「その不安は消えることはないかもしれないし、わりとあっさり消えてしまうのかもしれない。自分のやったコトは絶対に消えないし、許してももらえないのかもしれない。それでも、生きてる以上はその責任を取らなきゃいけないだろ。……あの人が抱いてるのは、多分そういうものなんじゃないか?」

「……責任なんて、取れっこないじゃないですか。あの人が許しでもしない限り」

 不意に呟いた鞠の言葉に、友樹は少しだけ表情を曇らせた。

「……ま、無理だろうな。あいつ、きつい所はとことんきついからな。少なくとも四年くらいで許してやるような度量は持ち合わせちゃいないだろう」

「だったら……光琥姉さんは、ずっとあのままですか?」

 上目遣いの視線に、友樹は少しだけ顔を逸らした。

 鞠は決して優しい女ではない。姉妹想いでもない。厳しすぎるほどに厳しくて、それ故に確固とした信念を抱いて生きてきたような女性であり、メイドである。

 それでも、長年付き合ってきた友樹には分かる。……彼女はなんだかんだ言いながらも、ずっと頑張り続けている長女のことを応援しながら心配してるのだろう。

 だが、友樹にはその心配を払拭する手段がない。残念ながら……友樹が山口コッコに対してできることなど、働く場所を与えることくらいしかできない。

「……正直な、俺は彼女があのままでもいいと思ってる。あの人が頑張ってるのは、鞠も認めるだろ? 滅茶苦茶な無理をしてるわけじゃなくて、少しずつでも着実に、自分を変えようとしてるのは、さ」

「………………」

「だから……もうあの人は大丈夫なんじゃないかって、思うんだ」

 不安なのは分かるが、きっともう大丈夫。

 一人でも生きていけるし、誰かと関わって生きていける。

 友樹には少なくともそう見えた。今の山口コッコは、自分なんかよりも余程努力しているし、下手をすれば鞠よりも自分に厳格だ。

「えっと……だからさ、もうそんなに心配しなくてもいいんじゃないかと、俺は思う」

「……かもしれませんね」

「ンなわけねぇだろ、バカップル」

 声が響いた。

 友樹と鞠は一瞬でその声に即応。戦闘態勢を取りながら振り向いた。


「大丈夫? そんなもんじゃ全然さっぱり全く足りるわけねぇだろうが」


 そこには、眼帯を身につけた黒スーツの男が立っている。

 黒髪を風に揺らした男は、猫の肉球がプリントされた黒い眼帯を身につけ、傲然とした態度で主従を見つめている。残った片目はこれ以上なく鋭く、どこまでも鋭利な気配は眼前に刃を突きつけられているかのよう。

 不敵な笑顔は、世界全てを相手にしても遜色ないほどに研ぎ澄まされていた。

「ったく、正義の味方が聞いて呆れる。シュークリームのように甘いのは、女を大切にする男か、男を大切にする女か、どっちかでいいと相場が決まっているってのに」

「……よう、親友。なにしに来た?」

「ああ。久しぶりだな、友樹。三日ぶりくらいか?」

「そーだな。この前はほぼ同窓会モードだったよな、確か。舞と委員長はちと急用ができたみたいだったから、俺とお前と由宇理で鍋囲んでゲームしてたっけ」

「あのゲームの内容は正直忘れたいんだけどさ。由宇理の一人勝ちだったし」

「さすがに罰ゲームであんなことになるとはなぁ。なんだよ、メイド服って」

「和服は鑑賞するものだってのに、わざわざ僕に着せがやって」

「…………どんだけ仲いいんですか、あんたら」

 鞠の冷静なツッコミで少し我を取り戻したのか、眼帯の男は口元を緩めた。

「さて……楽しい話はこれくらいにしておこうかな」

「で、親友。何の用なんだ? まさかふらっと通りかかって俺たちを見かけたから声をかけたってわけでもないんだろ」

「まぁな」

 眼帯の男は、不敵に笑いながら二人を見据える。

 友樹も鞠もとっくの昔に分かり切っている。

 彼が『俺』と言い出したら、それはスイッチを切り替えた合図。容赦が一欠片もなくなる切り替え。愚劣卑劣に振舞う……それは極めて分かりやすい変化だった。

 分かりやすい理由は極めて簡単。

 分かりやすくしてるんだから、分かったらさっさと尻尾を巻いて無様に逃げろという、ただそれだけの意味でしかない。

 そんな意味を含めたまま、彼はゆっくりと口を開く。


「うん、近いうちに彼女を略奪しに行くから、面倒なことにしたくなければさくっと引き渡してくれると嬉しいんだけどな」


 そして、そんなコトを言った。

 山口コッコこと、月ノ葉光琥は加害者である。

 全人類から責められるようなことをやろうとしたし、実際に彼に責められたっておかしくはない。彼が眼帯をつけているのは……彼女が原因なのだから。

 しかし、友樹は真っ直ぐに彼を見据える。

「もし、断ると言ったら?」

「別にどうも」

 それは、恐らく眼帯の青年が生きてきた中で発した、最も強い言葉だった。

 相手の意思など関係なく、完全無欠に叩き潰す言葉だった。

「断ろうが断るまいが、そんなもんは知ったことじゃない。相手が友樹だろうが世界最強だろうが、叩き潰して奪い取るのみだ」

「随分と強く出るじゃないか、親友。……俺を出し抜くことくらいはできるかもしれないが、お前の母ちゃんと渡り合おうなんざ、お前らしくもないな」

「お前こそ、随分と俺を高く買ってるようじゃないか『魔法使い』。だが……今の段階では少々安すぎる気はするけど……なぁっ!」

 彼はにやりと口元を緩めると同時に、完全に死角になっている左側に振り向いた。

 足音も殺した。気配も消している。なのに、彼はそれを察知した。

 鞠が、彼を一撃しようと間合いを詰めていたことを悟っていた。

「っ!?」

「残念、甘い。弱点を狙いすぎだ」

 彼は口元を緩めている。

 鞠には彼を凌駕する自信があった。彼の身体能力と技術は、『平凡』の範疇に留まる。決して一流にはなれず、二流止まり。

 しかし現実にはこうやって、彼は鞠の腕を握り締めて一撃を凌いでいる。

「鞠さん。……いきなり暴力沙汰はよくないと思うぞ。ってことで、おしおき」

 バチッ! という派手な音が響いて、鞠の目の前に火花が散る。

 デコピンされたのだと気づく前に、あまりの痛みに叫んでいた。

「いったああああああああああああああああああああっ!?」

「一流だろうが二流だろうが、グラップラーや改造人間じゃないんだから肉体の耐久度まではそう変わらない。自ずと反応速度や運動神経にも限度ってもんがある」

 当たり前のように言い放ち、二流止まりの男はにやりと笑う。

「だったら、予測するのは簡単だ。思考時間はどんなに頑張っても0.5秒を切らないが、その間に俺を切り崩す術がないのなら、対策など百通りは思いつく」

「…………親友、お前」

「ま、正直俺としてはお前とは争いたくない。これは別に警告でもなんでもない宣言。……ただのわがままだ」

「で、それを聞いた俺がなにをするか、お前は知ってるよな?」

「知ってる。……だって、友樹は情に厚い人間だからな。四年間も匿った女性を見捨てるわけがない」

「……そういうわけだ。よく分かってるな、親友。俺ァ基本的にはお前の味方だが、応用的には困ってる女の味方だ。悪く思うな」

「思うわけないだろ、正義の味方。お前はそれでいい。お前は僕じゃないんだから、ギャルゲーの主人公みたいに女の子を助け続けりゃいい」

「……じゃあ、お前はどうするつもりだ? どんな風に、生きるつもりなんだ?」

「そんなコト、4年前に決めてるさ」

 彼は笑う。

 胸に刻んだ傷を秘め、四年間足掻き続けてきた男は笑う。


「俺は、みんなの味方になる」


 その一番のカタチが、宿屋だった。

 傷ついた誰かの力になりたかった。

 本当に好きな人は5人くらいかもしれないけれど、もしかしたら、本当に手助けを必要としている人がいるんじゃないかと思ったから、宿屋だった。

 根本的な助力はできないかもしれないけど、気休めくらいならなんとでもなろう。

 彼は……高倉天弧は、いつだって『誰かを助ける』ことに憧れ続けてきたのだから。

 母親は世界最強で、平気の平左で人を助ける人だった。

 父親は詐欺師で、平気の平左で人を騙して心を軽くすることができる人だった。

 親友は正義の味方で、平気の平左で誰かを助けることができる人だった。

 そして……山口コッコは、平気の平左で高倉天弧を助けてくれた。

「だが、今回ばかりは例外だ。俺は俺のわがままを貫き通して押し通す。……あらかじめ忠告しておくが、俺のわがままは洒落にならねぇぞ? なんせ、20年ぶんのエネルギーが詰まってるんでな」

「20年? それってどういう……」

 と、友樹が言いかけた、その時。

 会話をぶち切るように電話が鳴った。

 それは友樹の携帯電話からで、友樹は怪訝な顔をしながらも電話を取った。

「もしもし……え? あ、ああ、分かった。すぐに戻る」

 躊躇はほとんどなかった。友樹は携帯電話をポケットにしまうと、天弧を一瞬だけ睨みつけて走り出す。

 鞠は少し躊躇しながらも、友樹の後に続いた。

 二人の後姿を見送って、天弧はつり上げていた口元を元に戻した。

「さてと……」

 声を聞いて、足音が響く。

 その足音は四つ。

 一つはメイドのものだ。彼女は主を守るように、毅然とそこに立っている。

 一つは勇者のものだ。彼女は半ば呆れながらも、真っ黒な手袋を身につける。

 一つは元伝説のものだ。彼女は口元を緩めながら、緩やかな風を楽しんでいる。

 一つは恋する乙女のものだ。彼女は微笑みながら、全員を見守っている。

 四人の女を見つめてから、高倉天弧は一歩を踏み出した。

「さてと……じゃあ、そろそろ行こうか、みんな。彼女を奪い返す」

『了解』

 その後を追うように、彼女たちは歩き出す。


 かくて、……まぁ、なんというかどうしようもない戦いが幕を開けた。


 ありきたりな話だが、正義の味方というものは秘密基地を持っている。

 正義の味方である有坂友樹こと、白の魔法使い、ユーキ=シリアスホワイトもそれは例外ではなく、あちこちに活動拠点を持っている。

 ある空間軸の狭間に隠した本拠地に帰った友樹は、指令席について叫んだ。

「状況はっ!?」

「先程、宣戦布告がありました。敵は世界制圧同盟、アンナ=ハンドレッドソードと名乗っています。……要求は、その、山口さんの引渡しと、この前貸りた鞠さんのシャワーシーンを盗撮したDVDを譲渡しろと」

「……友樹様?」

「なんで俺を疑う方向で話を進めるんだっ!? ンなもん、たとえ手元にあったとしても誰が人に貸すかばかたれっ!」

 思わず叫んでから、我に返って友樹は深呼吸をする。

(……落ち着け。これは挑発だ。親友が絡んでるんだったらこーゆーこともあり得る)

 呼吸を整えて、友樹はオペレーターに問いかける。

「……で、敵戦力は? 情報は掴んでるんだろうな?」

「それも……その、視認できる限りでも重機甲歩兵が5000人、戦車が5000両、航空機3000機、可変形人型兵器が3機ほどかと」

「あ、そうだ。いいことを思いついた。クッキー焼いてこなきゃ!」

「友樹様っ!」

「もぉぉぉぉぉ! だからあいつと喧嘩したくねーんだよっ! 手段とか人脈とか一切合財なりふり構わず使ってくるんだもん! 小学校の頃とか、ラブレターをわざわざ女子に偽造させて屋上に呼び出して閉じ込めたりするしさ!」

「………………」

 どうやらかなりのトラウマらしく涙目で語る友樹に、鞠は同情を禁じえなかった。

 が、友樹はそれでも挫けなかった。ゆっくりと深呼吸して、目を細める。

「ま、まぁそれはともかく。……今、山口さんはどこに?」

「第三シェルターの方に避難してもらっています。あれだけの大軍勢ですからね、こちらもただでは済まないと思いますが……」

「ああ、だがここが落とされれば他の仲間に影響が出る。それだけは避けなきゃならん。俺たちが俺たちである理由がなくなっちまうからな」

 呼吸を整えながら、友樹はいつもの顔に戻る。

 魔法使いの顔。正義の味方の顔。……ユーキ=シリアスホワイトに。

「敵が戦端を開いたら即時結界を張れ。第一波を防いだ後、ジャベリンミサイルによる一斉砲撃を……」

「やってられるかあああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

「えええええっ!?」

 突如、女性オペレーターの一人がマイクをぶん投げた。

 そして般若のような形相で、隣の男性オペレーターに掴みかかる。

「うううううう浮気ってどーゆーコトだこらあああああああああああっ!!」

「え、ちょ、話が見えないぞっ!?」

「黙れこのろくでなしっ! 今なんか変なメールが届いて、アンタが鞠ぼんと一緒にホテルに入っていった証拠写真とか画像とかそういうのがあああああああっ!」

「……そうなのか?」

「なんで捨てられたウサギのような目で見るんですか友樹様っ!? 他の男と遊ぶくらいなら、私は貴方をいじめることに全精力を使うような女ですよっ!」

 それもどうなのかなぁと友樹は思ったが、とりあえず今は誤解だと信じておく。

 というか、鞠が他の男といちゃついてるのが本当に想像できなかった。嬉しそうな顔で顔面をぶん殴ったりするのは容易に想像できるのだが。

(……しっかし、親友。お前なんつう手段を使いやがる)

 現場の統制を乱しつつ、時間を稼いでいるような感じだ。

 事実、オペレータールームはたった一人の錯乱により混乱に陥っている。情報の伝達が遅延し、現場に情報が届いていない。

「……なんのために、こんなことをする必要があるんだ?」

「おそらくは、私たちをおちょくるためじゃないかと。あの人がやりそうなことです」

「いや……なんか、それだけじゃないような気がするんだよなぁ」

「その通りです」

 いきなり響いた聞き慣れない声に、友樹は振り向いて絶句する。

 そこにいたのは、彼の親友の隣でいつの間にか笑っているメイド。

 黒髪に垂れ目。眼鏡に肩まで伸ばした髪を綺麗に切りそろえている少女。その豊満な肢体を包んでいるのは黒のワンピースとシンプルなデザインのエプロンドレスで、親友の側にいなければその場で口説いているだろう女性。

 ……もっとも、今はそんな気すら起こらない。

 なぜなら……彼女は片手で、ボロボロになった老紳士の胸倉を掴み上げていた。

 その老紳士を見つめて、鞠は思わず口元を引きつらせる。

「す……スミス師匠っ!?」

「ふ、ふふ……久しぶりだの、我が弟子よ。しかし……とんでもないメイドを育てあげたものだ。いつぞやの仕返しとはいえ、まさかここまでやられるとは」

「あの時の私は未熟でしたからね。今なら貴方の剣など止まって見えます」

「……いや、工業用の電磁石とか使われたら、剣を振るとか無理」

「ふんっ!!」

「ぐほっ!?」

 冥は容赦なく老体にボディブローを叩き込み、悶絶させた。

 気絶したスミスを床に放り捨て、何事もなかったかのように冥はスカートの裾を掴んで恭しく頭を下げた。

「お久しぶりです。友樹様、お姉さま」

「お久しぶり、冥。……で、一応立ち位置を確認しておきたいのだけれど、貴女は敵という認識でいいのね?」

「ええ、お姉さま。恩を仇で返しに参りました」

 にっこりと笑って、冥はどこからともなく取り出した鞘から二刀を引き抜く。

 それに応じるように、鞠は腰に差した黒刀を抜いた。

「お、おい……鞠」

「友樹様は下がっていてください」

「でも、いきなり刀を抜くなんて……そんな」

「お願いですから下がっていてください! 今の私であっても、貴方をこの子から守れる自信はないんですっ! 魔法も使わないで。この子なら魔法を使う前に、一瞬で貴方を殺害する程度、造作もない!」

 鞠の言葉に、友樹は息を飲んで一歩下がった。

 冥はそんな二人を見つめながら微笑んでいた。

「殺害する程度造作もないだなんて失礼ですね、お姉さま。メイドは殿方を惨殺するような真似はいたしませんよ。……まぁ、主の敵になるようなら話は多少変わってきますが、それでも捕縛が主になりますね」

「……冥。一つ聞いておくわ。貴女はなにをしにここまで来たの?」

 まともな返答が返ってくるとは思っていなかった。

 しかし、冥は意地悪っぽく笑って、きっぱりと言った。

「時間稼ぎ、ですよ」

「時間稼ぎ? ……まさか、彼が既に姉さんの下に向かってる?」

「お姉さま、この私がそんな暴挙を許すはずがないでしょう? 彼女の元に向かうのは一番最後、抵抗勢力を残さず綿密にぺんぺん草一本残さず廃滅した時だけです」

 にっこりと笑いながら、冥はきっぱりと言う。

 あまりと言えばあまりな言葉だったが、鞠は少しだけ引っ掛かりを感じた。

「……抵抗勢力? 今回のこれは、アンナ嬢と彼が組んだのではないの?」

「ええ、表向きは。我が主がアンナ嬢をお誘いしてここまでやらせました。もっとも、それはあくまでも表向き。今こうやって、私がスミスさんを……まぁ、なんというかこれ以上なく圧倒的な戦力差であっさりぷちっと叩き潰してしまったのが、その証拠と言えるでしょうね」

「いや……電磁石はさすがにひきょ」

「ぬんっ!」

「がはっ!!」

 背中を思い切り踏みつけてスミスを黙らせ、冥は薄く笑った。

「……私は、お姉さまと戦った時は一度も勝てませんでしたね」

「そうね。でも、私は油断しない。驕りもしない。貴女を最悪最強の敵として迎え撃つ。そう……なぜならば、貴女はいつも隠していた。奥の手を、切り札を。私に負け続けて……自分の手を隠しながら、分析していたっ!」

「それはおあいこと言いたい所ですけど……そうですね、私の方が一枚上手かもしれないことは否定しません。それは我が主に学んだこと。愚直で卑劣な我が主が、私に教えてくれた、恐らくは世界で一番正しいこと」

 視聴。

 分析。

 選択。

 学習。

 整理。

 工夫。

 実践。

「積み上げろ積み上げろ積み上げろ積み上げろ。見たもの聞いたもの感じたことあらゆる全てを積み上げ模倣しろ。正しいの間違ってるのか、分析して積み上げろ。分析しながら選択しろ。自分にとって必要なもの。正しいことを選び取れ。選び取った経験を学び己の力になるものを限りなく学び取れ。情報は正確に的確に迅速に。いつでも頭のデータベースから引き出せるように整理しろ。整理したら工夫しろ。己にとって最良のカタチ、自分にとって最高のイメージ。結実させて解き放て。その刃はただ自分が磨き上げた最強の武器。己が積み上げた最も確かな『世界最強』であると!」

 長い口上を噛みもせずに一息で言い放ち、究極たる侍従は朗らかに笑う。

 その笑顔は今の鞠には悪魔のようにしか見えなかったが、一つだけ確かなことを理解する。

 彼女にスキルを叩き込んだのは間違いなく自分だが、彼女を修羅(メイド)まで昇華させたのは、間違いなくあのキツネ目の青年であると。

 くるくると双刀……いや、一剣一刀、あるいは別の名を冠する二振りを回しながら冥はここまでで一番獰猛で挑発的な笑いを浮かべた。

「では行きますよ、お姉さま。……我が全開の舞踏、受けきれますかしら?」

「上等よ、冥。……刀の錆にしてあげるわ」

 鞠は笑う。冥も笑う。

 そして、互いの主の意地を賭けて、一歩を踏み出した。



 元来、戦場ってヤツはデリケートにできている。

 重装歩兵の方々はあらかじめ食事に睡眠薬を混ぜてご退場いただき、戦車やら航空機の方は冥に頼んでほぼ全機を使用不可能にしてもらい、人型兵器の方は京子と美里の必殺コンビネーションで始末してもらった。

 いや、つーかね……京子が持ってきた『対中型重虚獣専用狙撃砲』とかいう、明らかに人が扱うことを前提に考えてないとんでもない兵器で人型兵器の手足をあっさりと吹き飛ばし、美里が拳一発(ブラックサレナ着用済み)で、コックピットをこじ開けた時は正直引いた。

 二人は色々と言い訳をしていたけれど……まぁ、京子と美里のやることだから別にいいだろう。俺にとっては二人がどんな裏技を持っていようが驚くことじゃない。

 京子も美里も、俺にとっては愛すべき女性だから。

 それに、俺には今やることがある。

「ふっ!」

 手加減なく振り下ろされた一刀を、俺は紙一重で回避する。

 振るわれたのは大鎌。元々彼が持っていたデスサイズではなく、それを模した……とはいえ極めて高い剛性で組み上げられた、まごうことなき凶器だった。

 死神礼二改め、竜胆礼司。虎子ちゃんの兄貴。師匠の喫茶店経営を任せてる男。

 ついでに言えば、俺が借金を肩代わりしていたりもする。

 間合いを離して口元をつり上げる。今回の『仕込み』。アンナさんを巻き込んだ理由は最初から最後まで、この男を引きずり出すことにあった。

「……やれやれだ、礼司さん。アンタこんな所でなにやってんだよ?」

「バイトだ。あの女はよく喫茶店にもよく顔を出す上客なんでな、頼みを無下に断るわけにもいかねーんだよ。……それに、やっぱり、俺にはこっちの方が肌に合う」

「………………」

 恐らく、礼司さんの理屈は正しい。

 手はとっくに血に塗れていて、拭い去ることなどできはしない。

 戦場で生きて、殺し続けて……心は悲鳴をあげるけど、それでも体はより効率良く殺す術を覚えていく。拭い去れないくらいに、体に染み付いてしまう。

 それでも、俺はそれを嘲笑う。

「ああ、そうかもしれないな。コトがあんた一人だけのものなら、俺だってなにも言わないさ。礼司さんの命が礼司さんだけのものなら、俺もなにも言わないよ」

「……なにが言いたい?」

「テメェの命は、テメェだけのもんじゃねぇって言ってんだ」

 嘲笑いながら一歩を踏み出す。

「いいか、山田恵子は俺たちの仲間だ。仲間の中で一番頭が回って、二番目に世話焼きで、一番純真で、一番お前を好いてる女の子だ。……そいつを不幸にするのなら、俺はお前を許さねぇよ」

「……お前になにが分かる」

「知らない。……だが、これだけは言っておくぞ」

 俺は礼司を指差した。

 そして……女性には理解できぬであろう魂の咆哮を叫ぶ。

「いいか、軟弱野郎。テメェがなにを尻込みしてるのか知らないがこれだけは認識しておけ。……男ってのはなぁ、全員が全員まごうことなき生粋のド変態だっ!」

「…………は?」

「ああ、分かる。俺には分かるぞ。テメェが委員長に手を出さない理由が完全に理解できるっ! 確かに委員長は生まれてからちょっとしか経っていない子供と言い換えてもいいかもしれないようなクローン生命体で、精神年齢とかもちょっと幼いかもしれないが体は普通の女の子程度には成長している。そんな子に手を出すってことは、つまり『ロリコン』の称号を獲得するものと同じっ! それをお前は恐れているのだ!」

「っ!?」

「だがここで少しばかり考えてみよう。どうして竜胆礼司は山田恵子に惹きつけられてしまうのかっ!? ああ、答えは極めて単純明快極まりないっ! すなわち……それは、貴様が『長男』であることに起因するっ! 貴様は『お兄ちゃん』であるが故に誰かを守りたい誰かに頼られたいという気持ちが心の奥底に潜んでいるのだっ! それは貴様が家族想いであることからも知れようというものっ! だからこそ、委員長に萌えるっ! なぜならば委員長はある意味では生粋のお子様で、守ってオーラ全開なのだから、そんな委員長に竜胆礼司が萌えてしまうことは、もはや当然の帰結っ!! そしてそれは正しいっ! いいか、さっきも言ったが男ってのはどいつもこいつも生粋のド変態だっ! なぜそれを否定するっ!? ド変態であることが男のアイデンティティー、ド変態=男と等号で繋げようとも一切違和感がないほどに、男ってのはある意味では業が深い生き物。お前がロリコンであろうとも、それは男として正しいことなのだっ!!」

「……いや、それはまずいだろ」

「歯ァ食いしばれ軟弱スルメがあああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

「がはぁっ!?」

 冷淡なツッコミに、俺は最高潮にブチ切れて渾身の拳を叩き込む。

 礼司さんはあっさりとそれを喰らって、地面に倒れこんだ。

「い、いきなりなにしやがるっ!!」

「馬鹿野郎、なにを迷っている! いいか、何回でも繰り返すが貴様はロリコンのド変態だ竜胆礼司っ! 大体だな、週末とか休みの日は必ず委員長の家に赴き、料理やらなにやらを振舞って、テレビ見ながらべったべたな生活してる奴が今更『結婚』とかに尻込みするってどういう理屈ですかこの野郎っ!」

「な、なんで知ってんだよっ!?」

「俺はなんでも知っているっ! その他にも一緒にDVD見てたら貴様の膝ではしゃいでいた委員長が眠ってしまい、その寝顔にときめきながらも、つまんねぇDVDに無理矢理集中して凌いだというステキエピソードも知っているがまぁそれはいいっ!! 問題なのは、互いに好き合っているのにテメェがウジウジしてるせいで関係が一歩も進展しないことだっ! テメェの踏ん切りさえつけば、委員長もいちいち悩まなくたって済むし、舞だってその悩みに付き合わなくたって済むっ! テメェがロリコンだろうがシスコンだろうがド変態だろうがそんなもん、委員長が幸せになることに比べりゃ屁でもねぇっ! それとも貴様は委員長をさりげなく心の中で疎ましく思っていたりするのかっ!?」

「んなわけねぇだろが、このクソガキっ!! 俺だって結婚とかできるならすぐにでもしたいが、心の準備とか金の準備とか色々あるんだよっ! あと、人のことロリコンとか言いまくるなっ! あいつだっていつまでも子供じゃねぇんだよっ!」

「ほう? つまり……添い遂げる覚悟はもうあると?」

「だから……準備とか、金とか、そういうものが色々と足りないだけだ」

「よし」

 俺はニタリと悪魔のように口元を緩めて、胸ポケットからイヤホンを取り出して、礼司さんに押し付けた。

「……なんだこれ?」

「見ての通り無線機。委員長に繋がってるから」

「………………」

 一瞬で、礼司さんが停止する。

 唖然とした表情を浮かべて、口元を引きつらせていた。

「…………まじで?」

「こんな最高のタイミングで、俺が嘘を吐くわけねーじゃん♪」

「………………」

 礼司さんはものすごい形相で俺を睨みつけて、恐る恐るイヤホンに耳を当てる。

 その背中に哀愁が漂っていたことは、もはや言うまでもないだろう。

「……も、もしもし?」

『なーんてね、うっそぴょーん♪』

「がああああああああああああああああああああああああああああっ!!」

 とうとう礼司さんはキレた。

 むしろその前くらいからキレててもおかしくなさそうなもんだったので、よく辛抱したもんだなぁと心の底から感心する。

 彼は半泣きになりながらイヤホンを地面に叩きつけて、真正面から俺を睨みつけた。

「テメェ、よりにもよって最悪の手段で騙しやがったなこの野郎っ! うっそぴょーんとかわざわざ音声であらかじめ吹き込んでおくとか手間の込んだ真似をしやがってっ! そんなに俺をからかって楽しいかっ!?」

「そりゃもう、すっごく」

「死ねえええええええええええええええええええええぇぇぇぇぇぇぇっ!!」

 逆上した礼司さんは、大鎌を振り上げて俺に襲い掛かる。

 まぁ、言うまでもなく礼司さんと俺とじゃ『戦闘』に関する経験値が違いすぎる。このままじゃ良くて瀕死、悪くて一刀両断ってところだろう。

 礼司さんは思い切り、なんの躊躇もなく大鎌を振り下ろそうと手に力を込める。


 ビンッ! という鋭い音が響いた。


 それと同時に、礼司さんが持っていた鎌があさっての方向に吹っ飛んでいく。

 まるで見えない手に絡め取られたかのように、なんの脈絡もなく。

「………………な」

 続いて、礼司さんはなんの脈絡もなく……なにかに足を引っ掛けたように、俺に向かってきた姿勢そのままに、つまづいた。

 そして……俺はその隙を最初から知っていた。

 高校時代の仲間の話。俺が絶対的な信頼を寄せ一生裏切らない仲間たち。

 まぁ、明確に分類すれば、俺+二名と俺が好いている三人の女。俺たちがトラブルを起こし、彼女たちが力づくで解決するというパターンの日常だったりするのだが、その辺は機会があったら語ろうと思う。

 で、その6名はなぜか恐怖と畏怖の名で語られている。

 倒潰破砕:刻灯由宇理。もしくは三馬鹿筆頭。

 舌先騙り:高倉天弧。もしくは三馬鹿致命。

 荒唐無形:有坂友樹。もしくは三馬鹿唯一の良心。

 絶牙絶爪:竜胆虎子。もしくはストッパー1、死火山。

 領域検索:山田恵子。もしくはストッパー2、頭脳

 絶対停止:黒霧舞。もしくは……ストッパー3、無双。

 さてさて、ここまで言い含めればそろそろお分かりだろう。

 俺はこれまでにチクチクと伏線を張っていた。礼司さんの見える所と見えない所で、思わず聞き流してしまいそうな馬鹿話の中で、きっちりと張っておいた。

 そう……あの、優しく愉快で楽しく世話焼きな俺の女が、今ここに至ってなにもしないわけがねぇのであるっ!

 もちろん、俺が『転倒』なんて隙を見逃すわけがない。距離にして五歩の間合いを一瞬で詰めて、なにやら地面にも仕込んであったらしい糸に絡め取られた礼司さんに向かって、思い切り拳を打ち下ろす。

「アー●……パァァァァァァァァンチ!!」

「ごはっ!?」

 思い切り鳩尾を打ち抜くと、礼司さんはびくんと痙攣し、白目を剥いた。

 そう……俺は、ある意味では目標とも言える我慢強く辛抱強い男を、今とうとう打倒したのだ。

 ちなみに人体急所である鳩尾は本当に命に関わる急所である。人を死に至らしめることもあるので、絶対に真似しちゃいけないよ。

「……ふっ、ロリコンの分際で俺に勝とうなどとは、2年早いんだよ」

「いや、あんた全然さっぱりなんにもしてないでしょうが。とどめの一言もさりげなくかなりやばいし。つか、せめて100年早いくらいは言いなさいよ」

「いやぁ、ホント君のおかげだよ、ハニー」

「………………」

 舞はなんにも言わずににっこりと笑って、俺の顔面に拳を放つ。

 それを体を逸らしてかわし、俺は口元を緩めた。

「や、冗談抜きで助かった。俺一人じゃ流石にこの人の相手は無理だからな。さんきゅ、舞」

「……そりゃどーも。で、なんとかなりそうなの?」

「委員長にその気があるなら、今の会話聞いてればなんとかするでしょ」

 ちなみに、実はこの一連の会話、全部委員長に筒抜けである。

 礼司さんがどういう風に考えてるのかちゃんと知りたいと舞に相談したため、それを考慮しての強攻策。礼司さんの想いを聞いて、全部丸々筒抜けで、それを聞いてどうするかまでは俺の知ったことじゃないが、多分俺の願った通りになるに違いない。

 元死神で人殺しが大嫌いな、俺がある意味で尊敬する男は。

 嘘を吐くのが限りなく下手で、だからこそ委員長に対する気持ちも本物だからだ。

「さて……これにて前座は終了。いよいよ本番に取りかかろうか」

「……でも、いいの? アンナちゃんをこんなに手酷く裏切ったりして」

「事前に話はつけてある。アンナさんも礼司さんのことにはかなりやきもきしてたからね。冥の雪辱戦もかねて……まぁ、ちょっとした取引でなんとかなったよ」

「……ちょっとした?」

「ほっぺにちゅー一回」

「………………」

 舞は思い切り目を細めて、俺を射殺すように睨みつけた。

 うっわ、超怖い。ほっぺにちゅーは冗談なのに。正確には買い物に付き合ってくれってお誘いだったのに。

 ちなみに、由宇理と冥も一緒なのでデートではありません。

 ……ま、つまりたまには気軽にショッピングに行きたいから荷物持ちをしろとそういうことなわけなんだけど。

「……大体、山口さんを戻して今更どうしようってのよ? 私たちが反対したらどうするつもりだったの?」

「舞は嫌? それなら仕方ない。ちゃっちゃと撤収しよう。京子、美里、舞が嫌だって……ふぐっ!?」

「話は最後まで聞きなさい。このばか」

 手で口を塞ぐなどという生易しい手段ではなく、糸を首に巻きつけるという恐ろしいことこの上ない手段で俺を止めると、舞は溜息混じりに言った。

「……ま、あれから四年も経ってるし、そろそろ水に流してやってもいいかなって思ってるし、人手が若干足りないのも事実だしね」

「そうだね。人手不足は深刻だネ♪」

「あ・ん・た・が、陸をやめさせたのが原因でしょうがっ!!」

「ぐが……ふ、不当解雇ではなく、本人の意思でやめさせてくれと要望があったので、俺はそれに従ったまでって、いう、か」

「それでも、後任を見つけてもらうとかっ! 後任が見つかるまでバイト扱いで頑張ってもらうとかっ! 色々あったでしょうがっ!!」

「……わ、分かった。ごめん。し、死んじゃう……」

 俺が素直に謝ると、舞は意外にあっさりと糸を解いてくれた。

 ゆっくりと溜息を吐きながら、舞は口元を緩めて意外なことを言った。

「……ま、本音を言えば、私もあの人が戻るのに依存はないわ。むしろ期待してるの」

「………………へ?」

「それ以上は言及は避けるけど、覚悟しておきなさいよ、テンッ!!」

 なにやら、やたらノリノリだった。

 ついでに言えば、ちょっと嬉しそうでもあった。

 ん〜……これはなんていうか、アレだ。ちょっとやばい。可愛いもの耐性がカウンターストップする。

「舞、ちょっといいか?」

「あによ?」

「ちゅっ」

「っ!!??」

 一瞬で真っ赤になった舞からさりげなく離れて、俺は口元をつり上げる。

「そういうことなら、さっさと行くぞ。遅れるな、戦友」

「いいいいいいいいいきなりなんつうことすんのよばかぁっ!!」

「ちなみに、どこにちゅーしたかは想像に任せるのが吉だっ!」

「なんのことよもぉーーーーーーーっ!!」

 真っ赤になりながら叫ぶ舞を横目に見ながら、俺は歩き始める。

 それじゃあ……行こう。

 略奪戦だ。



 視認できない速度で打ち合わされる刃。火花が散り、その度に甲高い音が響く。

 英雄でもなく、勇者でもない。悪に染まることも正義に屈することも知らず、ただ誰かに従うことでしか己を確立できなかった彼女等は……故に、だからこそ、誰かのために戦うことを誓い、それを至上目的とし、『かくあるべし』と定めて生きた女たちである。

 侍従という名を誇りとし、主のためにと生きる彼女たちは、剣戟の中で笑う。

「ふふ……どうしたの、冥。コンマ3秒遅いわ。……そんな剣閃では、私には到底及ばないっ! 無論、師匠にもっ!!」

「そうですね」

 ぢぎんッ!! と音を響かせて、冥は鞠の一撃をなんとか受け止める。

 単純な話だ。それは経験の差。たった四年で極められるほど『剣』というものは甘くない。たかが鍛え上げられた鋼の一振り。……それを極めるのに、どれほどの年月が必要かなど、冥には分からない。

 そもそも……冥には『剣』という概念が理解できない。

 武器は消耗品。使い捨てて補充する。そうした方が手っ取り早い。

 自分は武器ではない。剣でもない。あくまでメイド。主の役に立つ道具にして、主を意のままに扱う道具だ。……他のメイドがどうかは知らないが、少なくとも冥の主は『僕を好きにしろ』と言っている以上、冥としてはその言葉に従うのみ。

「ええ、そうですね。『黒霧冥』の性能では、お姉さまに剣の腕で勝てる道理がありません。それは最初に会ったその時から、スミスさんに出会ったその時から、とっくのとうに理解していることですよ」

「……ならば、貴女は負けるわ」

「そうでしょうか?」

 冥は笑いながら、間合いを開く。その両手には一剣一刀。二振りの刃。

 そして……冥は両手に握った剣の持ち方を変えた。

 人差し指と中指で挟むような、まるで剣のルールにそぐわない持ち方に。

「剣では確かに貴女が上です、お姉さま。……しかし、侍従としてこの戦いに参加している以上、私は負けるわけにはいかない」

「できるのかしら、貴女にっ!?」

「やるやらないではない。……この手で、勝ち取るのですっ!」

 振るわれる一刀。今まで防戦に回って二刀で受け止めていたそれを、冥はかわした。

 冥は思い切り後ろに跳んで間合いを取り、一剣一刀を振り上げる。


「舞い踊れ……夜月白虎(やげつびゃっこ)っ!!」


 冥は、躊躇なくその二刃を、鞠に向かって投げつけた。

 前双剣『夜白(やしろ)』。……またの名を、飛翔剣『夜白』。

 後双刀『虎月(こげつ)』。……またの名を、跳躍剣『虎月』。

 そう、その剣は元々『剣』として作られたものではない。稀代の錬鉄士、月ノ葉光琥が所有していた『飛燕鶴翼(ひえんかくよく)』の大鋏と同じく二つで一つの飛刀である。

 高速回転しながら迫る二刃を、鞠は目を細めて見据える。

 そして、次の瞬間には二刃はあさっての方向に弾き飛ばされた。

「……それが、お姉さまの奥の手ですか?」

「いいえ。これは余技程度のものだけど、まぁ切り札程度には考えていいわね」

 右手には黒刀、左手には黒鞘。

 その姿は、まごうことなき二刀流だった。

「さて、それからどうするつもり? 言っておくけど、私は貴女が持っていた夜白と虎月に関しては既に知っていた。性能も、速度も、射程範囲もね」

「でも、お姉さまは私を知らない」

「多少は知っているわ。貴女は奥の手や切り札は見せなかったケド、私に師事したから。表情や身のこなしのクセなんかは、多少は掴ませてもらっている」

「そういう意味では……ありません」

 ふわりとスカートをたなびかせて、少女はにっこりと笑った。


「貴女は侍従である私を知らない」


 その瞬間、冥は腕を振るった。

「っ!?」

 放たれたのは取るに足らない小石。だが、その石が目を確実に射抜くとなれば話は別だ。あからさまな攻撃に鞠は内心で舌打ちしながら、小石を回避する。

「な――――っ!?」

 そして、驚愕した。

 鞠が回避した先に冥は立っている。

 ほんのコンマ1秒あるかないかの間に、冥は移動していたのだ。

 胸を指差しながら、冥は笑っていた。

「そう、私の剣はここにある。胸の奥の深淵。深い深いところにある。その奥にあるのは魂。我が魂は主と共に。侍従たれメイドたれ誰かのためにあれ。それが、我が剣にしてあるじのつるぎ!」

 パァンッ! と地面が弾けるような音が響く。

 同時に鞠の体に衝撃が走る。咄嗟に回避行動に移ったから助かったが、そうでなければ冥の掌底が鞠を打ち据えていただろう。

 いや……打ち据えるなどという生易しいものではない。今の冥の一撃は、骨など軽く粉砕して余りある威力を秘めていた。

 剣では勝てないと悟ったから、体を鍛えた。

 ただそれだけ。元々、黒霧冥には格闘術の方が向いていた。

 だから……鍛えただけだ。それだけだ。特筆すべきなのは、『それだけ』のことを毎日毎日欠かさずに継続し続けたことだけ。

「……ま、まぁそこまでは納得してあげるケド、貴女の存在はなんていうか……侍従とかメイドとかそういうものを確実に逸脱していると思うのだけれどっ!?」

『ふふふ、なにを仰るんですかお姉さま。あまりの高速移動に声が幾重にも響いているように聞こえ、多方向から攻撃されているように感じても本体はあくまで一つ。それが分からないお姉さまではないと思いますが?』

「なんか、貴女の場合さりげなく卑怯技を使っててもおかしくないのよね」

『まぁ、忍法多重影分身とか使ってますけど、気にしちゃいけません』

「……それが嘘か本当か分からないところが、また曲者っていうか」

 再び飛来した二刀を弾きながら、鞠は舌打ちする。

 そう、これこそが侍従黒霧冥の戦い方。恐らくはほんの一端ではあるが、これこそが彼女の戦闘パターン。ロングレンジとショートレンジの多面攻撃。冥に気を取られ過ぎれば必殺の二刀が敵を斬り裂き、二刀を警戒し過ぎれば冥に致命的な隙を晒す。

(考えてるわね。……確かに、これはやりづらいっ!)

 全力で向かわねばならない相手に、細心の注意を払わねばならない遠隔飛刀。戦闘という細心の注意を緊張を強いられる場において、この二つが同時に襲い掛かってくるのは最早脅威という他ない。

 三度飛来した剣を弾き返し、鞠はゆっくりと息を吐いた。

「……仕方ない。多少大人気ないが、主の前だ。全力で貴女を殺す」

「は〜い、みなさん♪ ここで注目するのは『主の前』というさりげないながらも好き好き大好きが溢れまくっている言葉ですよ♪ このお姉さまは好意を殿方に見せるのが凶悪なまでに苦手なお人ですから、こういうさりげない合図を見逃してはいけません♪」

「なななななななななななにを言っているのかしラねぇっ! 貴女はっ!!」

「いえいえ、ただの時間稼ぎでしたから、お気になさらずに」

「………………え?」

「では、後はご随意に……ご主人様」

 不意に冥は道を空けるように一歩下がり、スカートの裾をつまみあげて頭を下げる。

 カツン、カツン、と音が響く。

 姿を現した彼は、街中で出会った時と同じ人物のはずだった。

 しかし、あの時の彼と今の彼では……雲泥の差がある。

 畏怖堂々とした立ち姿。彼はなんの躊躇もなく一歩を踏みしめる。

 正義の本拠地で悪行を働きながら、その姿には微塵も揺らぎはなく、ただ当たり前のように彼は歩き続ける。口元を不敵に緩めて、鋭い眼差しを向けて、彼は立っていた。

 悪を蹴散らして、正義を吹っ飛ばして、彼はそこにいた。


「初めましてだ、正義の味方ども。俺の名前は高倉天弧。略奪者だ」


 自己紹介とも言えぬ自己紹介。傲慢極まりない挨拶。四年前の彼ならば、使うことすら躊躇した強い言葉の数々を、彼は当たり前のように口にした。

「有坂友樹。いや、シリアスホワイト。……宣言した通りに奪い取りに来た」

「……で、わざわざご丁寧に敵本陣まで切り込んできたってわけか?」

「ああ。もう相手にするのも面倒だからな、頭を直接狙いに来た」

「お前とその侍従で、俺たちを押さえ込めるとでも?」

「ハ、随分自信満々だな正義の味方。……お前はなにもすることなく、ただ俺の前に膝を屈すればいい。その方が確実に得をする」

 傲然と言い放ち、天弧はまるで悪党のように口を緩める。

 友樹……いや、白の魔法使いは目を細めて、彼を睨みつけた。

「よく分かった。……今ここで完全に、お前を敵と認識する」

「やってみろ。お前は俺に触れることなく、完全に敗北するんだ」

「抜かしてろっ!!」

 友樹は弾かれたように、天弧に向かって突進をかける。

 こちらを甘く見ているのか、侍従も天弧も微動だにしない。なにかをする気配すらない。あまりに無防備すぎて、友樹は殴るのを少し躊躇うくらいだった。

 天弧はにやりと笑う。そして、胸元から数枚の写真を取り出した。

「なっ!?」

 友樹は止まった。止めざるを得なかった。

 目を見開いて、信じられないという眼差しで、天弧が取り出した写真を凝視した。

「ば……馬鹿なっ!? そんな……ありえないっ! それは、そんなものが現存するわけがないっ!」

「だがこれは今ここにある。……そう、故にお前は敗北する。だがそれは恥じることじゃない。ごく当たり前で当然のこと。仕方がないことなんだ」

 優しい声で告げて、天弧は友樹の肩をポンと叩く。

 友樹はがっくりと膝をついた。彼の言葉通りに、友樹の心はあっさりと折れた。

 天弧は親友に向かって、ゆっくりと首を振った。


「そう、お前が『本物』の猫耳メイドに、勝てるはずがないもんな?」


 あまりにも下らない理由に友樹と天弧と冥を除く全員が、盛大にずっこけた。

 その中でも最速で復帰した鞠は、友樹に向かって思わず怒鳴りつけていた。

「な……なにやってんですか友樹様っ! たかが猫耳メイドの写真くらいで、膝を屈する正義の味方がどこにいるんですかっ!?」

「黙れメイドもどきがっ! 貴様に友樹のなにが分かるっ!?」

「なっ!?」

 天弧に怒鳴り返されて、鞠は思いっきり怯んだ。

「たかが猫耳メイドだとっ!? 確かに鞠さんの価値観じゃそうかもしれないがなぁ、有史より現代まで、猫が侍従となった記録はほとんど存在しないっ!! あの古代バビロニア帝国にすら存在していなかった『本物』の猫耳メイド、そんな神にも近しいものを前にして、君は拳を振るえと言うのかっ!?」

「えっと……」

「俺にはメイド属性なるものがどういうものかは、実はさっぱり分からないっ! だが、しかし、一介の猫好きとしてこれは理解できのだっ! そりゃあ猫の耳と猫の尻尾は猫にしか似合わないと断言できるっ! しかし……しかし、『本物の猫耳メイド』とははそんなものではないっ! 種族全体でツンデレを体現している猫たる存在が、誰にもなびかず、ただ己の遊び心と本能にのみ忠実で、ちょっとお腹が減った時なんかに可愛くすり寄ってくる猫が……メイドとして忠実に働いている。そんな矛盾を体現したのが、この『猫耳メイド』という存在なのだっ! 無論、耳と尻尾は『本物』でなくてはならないっ! 耳と尻尾の紛い物をくっつけたようなメイドとも呼べぬもどき未満ならば、友樹がこんなに迷うわけがないだろうがっ!!」

 高倉天弧は高らかに、とんでもなく下らないことを叫んだ。

「いいかよく聞けエセメイドッ!! 人間は、決して譲れない一本の柱を胸に秘めて生きていく! クソみたいに下らなくて、馬鹿みたいに明け透けで、故に……だからこそ心に秘めて戦い続けるだろう一本の柱がっ! その柱の名を……『萌え』というっ! 冥や舞や京子や美里が和服を着てくれるだけで100年は楽勝で戦えるっ! そいつはな……そういうもんなんだよ!」

「………下らないですね、心底」

 鞠は溜息を吐きながら、剣を構えた。一刻も早くこの茶番を終わらせたい。そんな雰囲気をまとわせながら、彼女は天弧を睨みつけている。

 が、天弧は不敵に笑うだけだった。

「下らない? そんな風に唾棄する資格が鞠さんにあるのか?」

「当たり前じゃないですか」

「当たり前? そんなつまらん言い訳を吐く前に、PCのDドライブの奥深くに隠してある友樹様フォトシリーズをなんとかした方がいいんじゃないかな?」

「っ!?」

 鞠の顔が一瞬で紅潮し、嫌な汗が背筋を流れる。

 天弧は困ったような呆れたような微妙な表情を浮かべていた。

「おやおや? 先程まで余裕しゃくしゃくだった鞠さんの表情が一変しちゃったね? でも僕はちゃんと言ったよ? 人間全てが心の奥に『萌え』を抱いていると。ちなみに『萌え』って言葉の概念は服装やら職業やらだけじゃなく、『個人』にも該当するんだが、それは知っているかな? 奥さん萌えとか、まぁそういうのにもある程度は適用できるってわけだ。……お分かりかな? 『友樹萌え』の鞠サン?」

「な……なんのことやら、さ、さっぱり分かりませんね。あはは……」

「なら問おう。君は意地を張るか? それとも意地を捨てるか? 言っておくが、君が意地を張る場合、俺は君の意地のことごとく破壊する。忘れてもらっちゃ困るが、ここはオペレータルーム。つまり指令室だ。『でっかい画面にスライドショー』を表示させるくらいは、前準備があれば楽勝なんだよ」

「………………ぐっ」

 鞠は膝をついた。そんなことをやられたら、自分はもう友樹の側にはいられない。

 が、心まで折れたわけではない。

 鞠は膝をついたまま、天弧を睨みつけた。

「……貴方は、光琥姉さんをどうするつもりなんですか?」

「別に。ウチの宿で働いてもらいながら、責任を取ってもらおうと思っただけさ」

「…………責任?」

「俺の目を抉ってくれた、責任さ。……っと、そろそろかな」

 にやりと口元を緩めながら、天弧は二歩前に進む。

 膝を屈した二人を追い抜くように歩を進めて、手を前にかざす。


「清らなる水彩のごとく」


 四人を守るように、半球状の結界が展開された。

 水で作られた移動式結界。静謐なる水彩のパラソル。ある伝説のメイドが所有していた、それはゴミの中から掘り出された移動式結界傘だった。

 その結界を、誰かが蹴り一つで吹き飛ばした。トラックのタイヤが、水を跳ね上げるような音が響く。

 いや……誰かなど言うまでもない。

 OLのようなきっちりしたスーツ、切りそろえられた黒髪、年齢など何一つ感じさせないしなやかな体躯。不敵に緩められた口元。猫のように挑発的で、どこまでもどこまでも真っ直ぐすぎて、他人の迷惑省みない。そんな人物は一人しかいない。


「よう、息子! ずいぶん久しぶりじゃねぇかぁ!!」


「全くもってその通りだなぁ……母親ァッ!!」


 こうして……戦いは始まった。

 最初で最後の親子喧嘩。

 一人のメイドを巡る戦いが、どうしようもない理由と共に始まったのだった。



 後編に続くっ!!


てなわけで、次回に続くっ!

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