第四十四話 Good by My World(下)
最終話直前、戦闘開始。
リミッター解除ですが、分量はいつもと一緒になっております(笑)
あ、あとGood by My Worldは誤字ですが、誤字ではありません。
直訳すれば、タイトルの皮肉がよく分かるかと(笑)
Good by My World(下)
サブタイトル:赤き努力。紅き怒り。朱き心。
何回も繰り返すけど、この物語に目的なんてものは存在しない。
この物語は、どこかのお節介な女の子がちょいちょいと干渉してきたからこそ、なんらかの目的があるように見えるけれど、実際のところは目的なんてありはしない。
その女の子ですら、今の時点では干渉ができなくなっている。
彼女は彼女でこの時点ではかなりいっぱいいっぱいなので、関われる余裕もない。
まぁ、それは当たり前のことで、色恋沙汰というのはおおよそ全ての人間から余裕というものをことごとく奪い取る。……いい意味でも、悪い意味でも。
そして、別に心がシステムな女の子が関わらなくても、この物語は終わって続く。
彼には才能がないから、正義の味方やら英雄になんてなれるはずもないし。
彼女には未来がないから、そもそも誰かに関わることなんてできやしない。
だからこそ、この物語には意味がない。
意味がないまま始まって、散々人を迷わせた挙句に終わる物語だ。
……だが、それでも。
もしもこの物語に意味があるのなら。
それは、誰かがこの物語に意味を持たせたということだろう。
息子を怒らせるほどの意味を、持たせてしまったのだろう。
息子は、基本的に怒ることがない男の子だ。
母親があんなで、父親がこんなせいか、基本的に怒ることがない。傍目にはそう見えなくても、すぐにキレる最近の若者のように見えても、彼が怒る時は大抵の場合『計算』あるいは『意識的』という言葉がつきまとう。
心を冷たくしたまま、冷静なまま正論を吐く。それが息子の怒り方だ。
けれど……今は、そうではなくなった。
息子は怒った。心の底から。
その怒りは今までの虚飾を全て剥ぎ取った。
格好付けも見栄もなにもかもを打ち捨てて、息子はようやく立ち上がった。
いつも通りに。
なにやら胸の内でぐるぐると渦巻くものがある。大抵の場合それは嫌な予感と呼ばれるもので、冥は目を覚ますなりベッドから跳ね起きた。
「………………」
こっそり持ってきた鉄剣を掴んで部屋を出る。
ロッジの中に気配は二つ。一つは美里のもので、もう一つは京子のものだろう。
そう……気配が二つしかない。
彼と、コッコと、隣の部屋で眠っているはずの姉の気配がない。
「……舞ちゃん?」
ノックしても返事がない。
ドアノブを捻ると鍵はかかっていなかった。
部屋の中は冥が寝泊りしている部屋とほぼ同じ内装で、唯一違うのは舞が持ってきたリュックサックがベッドの上に置かれていることだった。
そして、リュックの上には一通の手紙が残されていた。
「………………」
冥はその手紙をまじまじと眺めて、顔を伏せた。
また置いていかれたと、そう思った。
なんのことはない。黒霧舞という少女は人よりも聡くて優しいだけのことだ。
優しいから放っておけず、聡いから人より先んじてなんでもやろうとする。
典型的なお人好し。ちょっとでも困っている人がいれば『仕方ないな』の一言で助けることをあっさりと決断できる、そういう人間なのだ。
「……あのばか。またそうやって……」
手を握り締める。震えるほどに握り締め、冥は目を閉じる。
「……またそうやって、誰かを置いていくつもりなの」
笑顔が綺麗な彼がいた。根性悪なくせに、身近な女の子のことに関してはやたら真剣という、そういう馬鹿が1人いた。
冥が好きな人。冥の主。姉以外で唯一自分を助けてくれた人。
頼りなさそうでなんでもできないように見えるくせに、実際のところは色々と努力をしすぎたせいでかなりなんでもできる人であり、章吾やらコッコやら美里などのとんでもない面子の影に隠れてはいるが、実際のところ『平均ちょい上』くらいの働きは平気の平左でやってのける男。
一流にはなれないが、限りなく一流に近い二流にはなれる。
超一流にはなれないが、二流のままそれに近づく方法を模索できる。
彼はそういう厳しい人間だった。ついでに言えば、自他共に厳しいくせに、気に入った相手(特に年下)には際限なく甘くなったりする、普通の男の子みたいな面もあった。
だから、冥には優しかったし……舞にも優しかった。
それで……たったそれだけで、きっと舞には十分すぎた。
忘れていた自分を、取り戻してしまうくらいに楽しかった日々があった。
当たり前で大切な……冥のためにと願った日々こそが、彼女が望んだものだった。
なぜなら、彼女はずっと人を信じることなく生きてきた。
友達なんて1人もいなかったから、誰かと笑い合えるのが嬉しかった。
だから、屋敷がなくなることになって一番辛かったのは他の誰でもなく――――
冥は目を開ける。息を吸って吐いて、それだけで心の静けさを取り戻す。
「……姉さん。……とりあえず、いっぱい、たくさん恨みますからね」
そんなことを呟きながら、冥は手紙を読むことなく破り捨てて灰皿に放り込み、ライターで火をつけて燃やしてしまった。
中になにが書いてあるかなんて、興味はない。
別れの言葉なんて聞いてやらない。
「ったく、肝心なところでいっつも臆病になるのは変わらない。……未練は自分で果たしなさいよ、姉さん」
そして、黒霧冥は最速で行動を開始する。
大好きな姉と、世界で一番好きな主のために。
最速で美里と京子を叩き起こし、冥は2人をロッジの外に呼び出して、これまでのいきさつを説明した。
京子は終始不機嫌そうな表情のまま黙って冥の話を聞き、美里は所々で相槌を打ちながら、冥が意識していない部分の話を聞きだしていく。
話を聞き終わると同時に、京子はゆっくりと溜息を吐いた。
「……ったく、厄介なことになってやがるな」
「はい。……それでも、厄介だろうがなんだろうが止めねばならないのです」
冥の決然たる言葉に、美里は頷きながらも目を細める。
「確かにそうですが……問題は、どうやってこの無人島から脱出するかということです。この無人島自体は屋敷からさほど遠くないから陸地につけば車を調達することくらいは朝飯前ですから、なんとかなりますけど」
ここで彼がいれば、車の調達を『朝飯前』とか言えてしまう美里を見て顔を青くしたりするのだろうが、あいにくここにはツッコミが不在していた。
「京子ちゃん、なにかいい道具はないの?」
「あたしはドラ●もんかよ。……まぁ、ないこともないけどそれを使っちまうと全員一緒にってのは無理。その道具、誰か1人残らないと転移できない道具だから」
「それじゃあ京子ちゃんが残る以外には何一つ道がないじゃない」
「……待てコラ。なんであたしが残る以外に道がねーんだよ」
「ここで坊ちゃんの危機を救えば、評価がうなぎ登りだからに決まってるじゃない」
「あっはっは、そういう魂胆ならテメェが残れコラ」
よく分からない内に、2人の空気が一瞬で険悪なものになった。
冥は仲良く喧嘩をする2人を見ながら、心の中でほんの少しだけ溜息を吐いて、ゆっくりと口を開いた。
「私が残ります」
『は?』
「ですから、私が残ります。この場で一番戦力が劣っているのは私ですから」
きっぱりと言い放ちながら、冥は2人の目を見据える。
決意と覚悟。そこにあるものを見て、京子と美里は同時に溜息を吐いた。
「決まりだな」
「では、私たちでコッコちゃんを止めに行きましょう」
「……よろしくお願いします」
冥が頭を下げると、不意に京子は彼女の頭をくしゃりと撫でた。
そして、冥の耳元に小声で囁いた。
「……死ぬなよ」
「そっちこそ」
冥は不敵に笑う。京子も不敵に笑い返す。
そんな2人を見つめて、美里も微笑んだ。
「では行きましょうか、京子ちゃん」
「おう」
京子はどこからともなく、どこかの漫画で見たような赤いバットを取り出す。
「……京子ちゃん? なんだかものすごい嫌な予感が」
「ってなわけで死ねえええええええええええええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇッ!」
「はうんっ!?」
腰の入ったスイングで、京子は赤いバットを美里に叩きつける。
そして、どこからともかく《カキーン!》という球を打ち返したような金属音が響き、美里の体がものすごい速度で吹き飛ばされ、空の星になった。
美里が吹っ飛んでいく姿を見つめながら、京子はポツリと呟く。
「いやー、やっぱこの道具超格好悪りぃな。もう一生使いたくねぇ」
「使いたくないというわりには妙に楽しそうな笑顔です。あと、掛け声は『死ね』じゃなくてもいいんじゃないでしょうか?」
「あっはっは……まぁ、なんつーかその、色々と積もる恨みもあるってもんだから。……まぁそれはそれとして、こんな感じで頼む」
「分かりました」
冥は京子から赤いバットを受け取り……不意に、にやりと笑った。
それはまるで『これまでの鬱憤を一気に叩きつけてやるZE』と言わんばかりの、禍々笑顔だった。
「……ちょ、冥? なんか背筋が寒いんだけど……」
「そうですね、私個人としては京子さんにはお世話になりこそすれ恨みはまるでないんですが、なんだか坊ちゃんと話している京子さんを見ると胸が悪くなるということで星になりなさああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁいっ!」
「けふっ!?」
冥は先ほどの京子の五倍くらいの速度でバットを一閃する。
見事なフルスイングで吹き飛ばされ、京子はあっさりと星になった。
「ふむ……これはなかなか、面白い道具です」
「デザインは古めかしいがな」
「古いものは良いものだと相場が決まっているものです。……まぁ、あんまり言い過ぎると懐古ウゼェとか言われてしまうのが難点ですが」
「老人の特権というやつだ。その程度は許してやれ」
「ならば、昔を否定するのも若者の特権というやつでしょう。自分たちだけが特別扱いされようだなんて、世界が許しても人が許しません」
冥は微笑みながら、ゆっくりと振り向く。
木の影から姿を現したのは、テールスーツに身を包んだ初老の男だった。
その腰には、白木拵えの日本刀が下がっていた。
「……やれやれ、だ。三人で立ち向かえば私を倒すことくらいはできるだろうに」
「それでは意味がないのです。大体、『時間稼ぎ』が目的の相手にまともに立ち向かってどうするんですか?」
「だから死に残ると? 悪いが、私はこの状況で手加減できるほど甘くない。実力で劣ろうが、前に立ちふさがるならば……斬る」
「………………」
断固とした紳士の言葉に、冥はなんの反応も示さない。
ゆっくりと息を吸って、ゆっくりと吐き出した。
溜息だった。
「……簡単に斬れると思いますか?」
「なに?」
「この私を……メイドを志す私を、主のためにまだまだ働かなくてはならない、この私を、簡単に斬れると思うのかと、問うたのです」
背中に背負った鉄剣に手を添える。
それは、ただの剣ではない。
「確かに私は実力で劣る。……しかし、それは『軍団戦』の話。一対一で私に勝とうと思うのならば、相打ち覚悟で来ることです」
剣を模した鋼鉄の鞘から、冥は本当の《剣》を抜き放つ。
鞘の両端から引き抜いたのは、一振りの短剣と、一振りの短刀。
前双剣『夜白』。
後双刀『虎月』。
彼女が持つ左右鋏である『右紋』、そして『左獄』と対を成す二振りである。
「我が名は黒霧冥。メイドを志すただの女。主の敵を討つ者」
静かに宣言し、冥は執事を見据える。
執事はなにも言わず、ただ白木の鞘に片手を添えた。
1人の侍従見習いと1人の執事。
意地をかけた戦いが、今まさに始まろうとしていた。
第一戦:執事スミスVS黒霧冥。
戦力比:30対1。
特記事項:救援なし。
戦況:圧倒的不利。
頭がぼんやりとする。なんだか首筋のあたりがやけに痛い。
そもそも、首筋を叩いて気絶させるっていうのは漫画でよくやる手法だが、アレは武術の熟練者でも凶悪に難しい。
下手すると死ぬ。死ななくてもかなり危うい感じになる。
今まで死ななかったのが……本当に不思議なくらいに。
まぁ、そんなのはいつものこった。どうってこともない。問題なのは、自分が眠っている場所が妙にいい匂いのする場所だということだ。
俺は、恐る恐る目を開ける。
「……お目覚めですの?」
「………………」
目の前には、見覚えのある女の子。
エメラルドの瞳と腰まで届いた金色の髪。そして、どこか底知れぬ不敵な笑顔。
俺が知っているようで知らない彼女がそこにいた。
ゆっくりと体を起こす。俺が眠っているのは、普段眠っているベッドとは比較にならないくらいに柔らかなベッド。
彼女は、不敵な笑顔のまま俺の顔を覗き込んでいた。
「……アンナさん、か?」
「はい、三条院アンナですの」
彼女はにっこりと笑う。いつものように。いつもと違って。
誰かを嘲笑うように口元を緩めて、俺の瞳を覗き込む。
「気分はいかがです?」
「最悪に近いな。もちろんアンナさんのせいでもなんでもねぇけどさ」
「……なんだか、少し印象が変わりましたの」
「気のせいだろ」
ゆっくりと溜息を吐いて、俺は起き上がる。
「……ところで、煙草吸っていいか?」
「いいですよ」
「一応聞いておくけど、煙草は大丈夫な方?」
「そうですね、Bさんの好みは知りませんが、私は大嫌いですね」
「分かった」
俺はそう言って胸に入れておいた煙草の封を切り、躊躇なく火をつけた。
「あー……まっず」
「……あの、Bさん。人の話とか聞いてましたか?」
「Bさんって呼ばなくなったら話くらいは聞いてやるよ」
京子さんお勧めの煙草は残念ながら俺の口には合わなかったので、半分ほど吸ったところで携帯灰皿に放り込む。
それから、眼鏡を押し上げて、口元を緩めた。
「で、そろそろ本題に入るが……結局のところアンナさんが黒幕なんだな?」
「はい、その通りです」
彼女は笑う。狂々(くるくる)と、まるでなにもかもを嘲るかのように笑う。
「所属は世界制圧同盟、ナンバーは28の『く』、二つ名は『皇妃剣』。……同盟内ではアンナ=クイーンブレイドと名乗らせていただいております」
エメラルドの瞳を持つ彼女は、邪悪に笑いながらそんなコトを言った。
この一連の出来事の……全ての糸を引いていた人物が、彼女だった。
「最初に知っておいて欲しいのは、貴方の屋敷で山口コッコと名乗っている女は、私にとっては《仇》だということ。……彼女が殺した主は、私の兄ですから」
そう、コッコさんの情報をあくむさんから仕入れた時点で、それは知っていた。
コッコさんが忠誠を誓った人物は三条院家の跡取りであり、アンナさんの兄にあたる人だったと。
アンナさんには、兄が二人いる。
しかし……実は三人目がいて、既に死んでいるなどとは普通なら口には出さない。
辛い思い出を自分から進んで話そうとする人もいないだろう。
「言うまでもなく、貴方が今までに遭遇した不条理な出来事の数々は、全部私が裏で人を引いていましたの」
「………………」
「まず、最初にあの凶悪なまでに優秀な執事さんにご退場願いました。なぜなら、あの人がいることによって、最初から最後までなにもかもがあの人の手で解決できてしまうからですの。今回のことだって……あの執事がいれば、あの女を止めてそれで終わりだったはずなんですよね?」
「……確かに、な」
確かにその通り。章吾さんがいれば、こんな出来事は一瞬で終わる。
移動する手段があって、章吾さんがいれば……コッコさんを楽に止められた。
あの人は、存在としては弱すぎるが、生物としてはこれ以上なく強い。
「でも、それじゃあ全然ダメです。全然さっぱり全く面白くもなんともない。執事さんがあの女を止めて、貴方が彼女を説得して、そんな平々凡々でクソみたいな終わり方を、私は絶対に認めませんの」
薄く笑いながら、彼女は俺を直視する。
憎悪に染まったその瞳で、俺のことを見つめていた。
「精一杯に頑張って死ねばいいですの。……あの女は、お兄様を殺したんだから」
俺は黙って、その恨み言を聞いた。
否定はできない。否定することはできない。彼女の気持ちは至極真っ当なものだ。
俺だって、家族が殺されたらそいつを殺し返すくらいはする。
友達が殺されたら、一番残虐な方法で殺してやる。
猫を殺す人間がいたら、存在したことを後悔させてやる。
なにかを奪うということは、誰かを殺すということは、つまりそういうことだから。
だが、
「……一つだけ聞かせろ、クイーンブレイド」
「なんでしょう?」
「お前は、コッコさんがなにをやらかすのか、あらかじめ知っていたのか?」
「………………」
アンナさんはそこで目を細める。
「……残念ながら、彼女がなにをするかまでは、想像の範疇外でしたの」
「なるほど。……どうやら嘘じゃないらしい」
俺はちょっと安心しながら、ほんの少しだけ口元を緩める。
ああ、だったら別にいい。今までアンナさんがやってきたことが、全部コッコさんに対する復讐だったとしても……『今回』のことがアンナさんの手によるものじゃなければそれでいい。
「ん、了解した」
「………………え?」
「鳴り物入りで黒幕であることを明かしてくれたのはいいけど、それは比較的どーでもいいかと思ってね」
「ど……どうでもいいとは何事ですのっ!?」
いきなり顔を真っ赤にして怒るアンナさん。
どうやらプライドかなにか大切なものを足蹴にしてしまった気配。
「私のせいで、貴方のところの執事が辞めちゃうことになったんですのよっ!」
「あれは章吾さんが選んだことだ。……あとどれくらいかかるかまでは分からないけど、章吾さんのおかげでシスターも歩けるようになるんだから、万々歳じゃない?」
「有坂家に政略結婚を持ちかけたのも私ですしっ!」
「あー……そんなこともあったな。アレはちょっとほろ苦い思い出って感じだなぁ。唯さんには結局フルパワーで殴られちゃったわけだし」
「貴方を守ろうとする人を度々襲撃したのも、私ですのっ!」
「まぁ、なんつーか戦車か戦闘ヘリくらいじゃ死にそうにない面子だし。……ことごとく返り討ちだから、俺としてはむしろご愁傷様って感じなんだけど」
「………………」
アンナさんは、阿修羅一歩手前くらいのものすごい目つきになった。
あ、やべぇ。とても怒っていらっしゃるようだ。
深々と溜息を吐いて、アンナさんは俺のことを上目遣いに見つめて言った。
「……今、死神さんともう1人が、あの女を殺しに行ってますの」
「へぇ、そうなんだ? ……死神さんも大変だな」
「止めに……行かないんですの?」
「止めるよ。ただし、死神さんがコッコさんを殺しに行くのを止めるんじゃない」
俺は口元を緩める。
いつもと同じではなく、母さんと同じようにふてぶてしく笑う。
「俺が、あの人を止める」
「無理ですの」
アンナさんは、きっぱりと断言する
当たり前のことだ。俺はコッコさんよりも弱い。勝てる道理がない。
いつも頼ってきたみんなも側にいない。ここがどこかも分からない。
それでも――――助けてくれる人はいる。
「無理じゃねぇ。無駄でもねぇ。止めると言ったら止めるんだ」
俺が彼女の瞳を見返して、きっぱりと断言した、その時。
ドォンッ!
爆音が響き、ガタガタと部屋の中が揺れる。
揺れるということは言うまでもない。……ここは、航空機の中だ。
「な、なんですのっ!?」
「なんだと聞いている時点で甘いんだよ、三条院アンナ」
「っ!?」
「心ってのはな、言葉と物で受け渡すものだ。それが届いた時、心はまごころになる」
準備は整えてある。
それだけの努力をしてきた自負はある。
ただ一つ不安だったのは……本当に俺なんかに力を貸してくれる人がいるのかということだったが、どうやらなんの見返りもなく俺を助けようとしてくれる人はいるらしい。
だからふてぶてしく笑う。今だけは、世界最強のように振舞ってやる。
「分からないなら教えてやるよ、クイーンブレイド。才能で勝負できるのはスポーツまでだ。……戦いってのはな、いつだって準備を整えたやつが勝つんだ」
爆音が響く。粉塵にほんの少しだけ目を細めて俺は俺を助けに来てくれた人を見た。
白いウエディングドレスに身を包んだ彼女の手には、不釣合いな漆黒の日本刀。
究極の侍従たる彼女は、俺に向かって恭しく頭を下げた。
「お迎えに上がりました、我が主の友。私に貸しを作れる人」
「予想よりも三十秒ほど遅い。これで友樹の役に立てると思っているのか?」
「是非もありません」
ゆっくりと顔を上げる鞠さんは、真っ直ぐに俺を見据える。
「……では、行きましょう。そんなに時間は残されていません」
「ああ」
差し出された鞠さんの手を握って、歩き出す。
少しだけ後ろを振り返って、唖然としているアンナさんに、俺は言い放った。
「アンナさんとコッコさんにどんな因縁があるのかなんざ、俺は知らない。……ただ、これだけは絶対に、なにがなんでも、この役目だけは譲らねえ」
真っ直ぐに見据えて、俺は彼女に向かって、ただのわがままを言った。
「あの女は俺が止める。……それだけは、譲らない」
俺が俺であるために。
俺が『僕』であるために。
もう後ろは振り返らずに、俺は歩き始めた。
第二戦:制圧兵団VS芳邦鞠&死之森あくむ。
戦力比:10000対31(鞠:30、あくむ:1)。
特記事項1:あくむの『電子遮断』において制圧兵団の電子兵装が使用不可。
特記事項2:友樹の《WHD》により、鞠の全能力×500及び全所有スキルが一時的に『神域』に到達。
修正後戦力比:100:27001(鞠:27000、あくむ:1)
戦闘結果:圧倒的勝利。
転移した先は、屋敷の近くにある公園だった。
いや、実際には転移ではなくここまで吹き飛ばされてきただけだが、一瞬で移動できるならなんでもいいだろうと、京子はかなり不機嫌になりながら納得しようとしていた。
着地した際に衝撃を殺しきれず、床を転がったせいで体のあちこちについた擦り傷やら切り傷を気にしながら、京子は溜息を吐く。
「……だからあの道具使いたくねーんだよ。痛いし、目標地点の近くにしか転移できないし、バットだし、撲殺道具だし、野球で使うと球が消えてなくなるし」
「もっと穏便な道具はなかったんですか? ナシえもん」
穏やかに問いかける美里に傷一つないのは、ひとえに体力と筋力の差だろう。
埃を叩いて払いながら、京子は口元を引きつらせる。
「ナシえもん言うな。……また微妙に語呂がいいのがむかつく」
「冥ちゃんは大丈夫でしょうか?」
「大丈夫じゃねーよ。あのじーさんだかおっさんだか微妙な年頃の男、かなりできる」
「私が残るべきでしたかね」
「やめとけよ。覚悟に水を差すもんじゃない。……それに、あたしらもそんなに余裕があるってわけじゃねーからな」
「ですね」
転移(というか、吹き飛ばされている)最中に、二人は見ている。
髑髏の仮面をつけた男と、軍服を着た不安げな少女を、しっかりと見ている。
こっちからあっちが見えたということは、あっちもこっちを見ているだろう。
「あの髑髏仮面と女は、前に見たことがある。……坊ちゃんとプールに行った時に、戦車持ち出して襲撃してきた連中だよ」
「……デートの水着は黒ビキニだったそうね?」
「………………」
京子の顔が一瞬で真っ赤に染まる。
誤魔化すように咳払いを一つして、京子は口を開く。
「あー……まぁ、その、なんだ。とにかく相手は手段とか選んで来ないから注意しておけよ、美里」
「大丈夫よ、京子ちゃん。ほら、なんていうか……」
と、美里が言いかけたその時。
ザリ、と靴が砂を引っ掻く音が響いた。
「……久しぶりってところか?」
そこにいたのは、髑髏仮面の青年と、銃器を持った軍服の少女。
京子は口元を引き締めて一歩後ろに下がり、美里は微笑みながら一歩前に出た。
髑髏仮面の男……死神礼二は、深々と溜息を吐いて二人を見つめる。
「やれやれ、とんだ貧乏くじだぜ。まさか、一度負けた相手ともう一度やり合う羽目になるとはよ。……あーめんどくせ」
「ハ、嫌ならやめとけよ、髑髏のにーちゃん」
「そうも言ってられねぇんだよ。俺っちにゃ、色々と事情があるもんでな」
京子の言葉に、死神は心底面倒そうな声で応えた。
「かといって、ここでアンタらを見逃すこともできねぇしな。……アンタらの目的はあの女を止めることで、俺っちの目的はあの女を殺すことだ。交渉の余地もない」
「……ま、戦いってのはえてしてそういうもんだろうね」
京子は真っ直ぐに二人を見つめる。
死神と軍人。敵がなんであろうが容赦する気など微塵もない。
退けない理由がある。負けられない戦いがある。大切なものを守りたい自分がいる。
戦う理由なんて……それだけで十分すぎる。
そして、それは死神の方も同じことだった。
「あの時は遅れを取ったが、今日は余計な人間がいないんでな、悪いが全力でやらせてもらう」
「あらあら。それは物騒な話ですねぇ」
にこにこと笑いながら、美里は一歩前に出る。
京子は口元を引きつらせながら、さらに一歩下がった。
「ケツにもう一つ穴を開けられたくなかったら、帰ってクソして寝なさいね♪」
戦慄が走る。美里は全体的に笑顔のまま、ゆっくりと歩みを進める。
京子は知っている。
本当に怒っている時、美里は背筋も凍えるような笑顔になるのだ。
「さっきから聞いていれば、殺すだとか止めるだとか本当に下らない。どこのやんちゃなお子様ですかって感じです。……ホント、御託もたいがいにしときなさいよ、テメェら。……こっちは、急いでるんです」
この物語『最恐』の女は、笑顔を消して真顔になる。
かつて、あまりにも圧倒的だった絶望群の先陣を拳一つで突破した、『魔群潰し』が再来していた。
「彼女の前で恥をさらしたくなかったら、そこをどきなさい愉快仮面」
「ハ……調子こいてんじゃねぇぞっ!」
死神は一瞬で間を詰めて、美里に向かって鎌を振るう。
牽制のつもりで放ったその一撃を、美里は避けもせずに見つめている。
「……乱れ歪む、発祥」
コンマ数秒。生か死かの狭間で、美里は己の武器を引きずり出した。
「流転操作、ブラック・サレナ」
美里も詳しくは知らないが、夫が所有していたサレナという武装は《流れをコントロールする》という概念をそのまま武器にしたものらしい。
効果範囲が《運命》という人には手が出ないものに届いてしまったからこそ、その武器は剣の形を強いられ、『運命干渉』などと本来の用途とは異なる二つ名がつけられたのである。
いつもは髪留めにして持ち歩いている『サレナ』の形状を変化させる。
分解し、収束した『サレナ』は漆黒の手甲……ブラック・サレナとなって美里の腕に装着された。
「……それでは、行きます」
漆黒の手甲を身につけた美里は、死神の刃をその身に受けた。
「――――な」
手ごたえのなさに、死神の顔が引きつる。
と、同時に美里の足元には『鎌で抉られたような』傷が走っていた。
傷を受けないように運命を変革するのではなく、体に受けるはずだった斬撃の全てを地面に流す。
ないはずのものをあることにするのではなく、元々あったものを他に移し変える。
それこそが、サレナという武装が持つ本来の力だった。
美里はゆっくりと顔を上げる。
覚悟と決意を秘めた瞳で、死神を真正面から睨みつけた。
「地を這いつくばる覚悟はよろしくて? 愉快仮面さん」
死神は舌打ちをしながら、にこにこと笑う専業主婦と対峙する。
「……やってみろよ、おばさん」
肝心な時に貧乏くじを引く死神は……しかし、不敵に笑って大鎌を構えた。
美里が《おばさん》の辺りで『この愉快仮面、誰もが引くくらい残虐な方法で殺そう』と思っていたことには、結局気がつかなかった。
第三戦:死神礼二&山田恵子VS橘美里&梨本京子。
戦力比:23対21。
特記事項:告白注意報発令中。
戦況:ほぼ互角。
純白のドレスをなびかせて、俺を抱えた彼女は何事もなかったかのように、上空三千メートルから軽やかに着地した。
まぁ、気分は飛び降り自殺に近い。
「……やれやれ、荒っぽくはないが肝が冷えるな、流石に」
「パラシュートを使って呑気に脱出することもできましたが?」
「やめておこう。今は時間がない」
アンナさんが直接決着をつけようとしていたからか、飛行船が飛んでいたのは屋敷からそう離れた位置じゃなかった。
着地した場所は田んぼの真ん中。近くには細い農道が走っていて、この辺は電車で他の街に行ったりした時に見たことがある。
徒歩で屋敷まで戻ろうとすると、結構かかる距離だ。。
「車でも早くて一時間ってところか。……まずいな」
「一応三十分で到着する手段もありますが」
「却下」
鞠さんのことだから、絶対に『抱えて走る』とか言い出すに決まってるので、俺は彼女が二の句を告げる前に提案を却下した。
そもそも、時速百キロを超える速度で抱えて走られたら、人に見られる上に屋敷に到着したところで俺の体がボロボロになっていると思う。
京子さんがいればなんとでもしてくれたんだろうが、彼女は今ここにはいない。
「……さてさて、どうしたもんかな」
「その前に、一つ聞かせてもらえないでしょうか?」
「ん?」
「貴方は、姉さんを止めるつもりなんですね? 殺すつもりじゃなくて」
それは……どこか怒りのこもった、恨み言のようにも聞こえた。
鞠さんがなにを思っているのかまでは知らないので、俺は俺なりに即答する。
「ああ、力づくでも止めるさ。今回ばかりは許せないんでな」
「甘いですね。……正義の味方だってそこまで甘くはありませんよ」
「………………」
俺は彼女を真正面に見据える。彼女は俺を真っ直ぐに見つめる。
先に口を開いたのは、俺の方だった。
「本物の《正義の味方》が、甘いとか甘くないとか下らないことに頓着すんだな?」
一瞬で鞠さんは眉をひそめた。
普段ならその時点で目を逸らしているが、俺は真っ直ぐに彼女を見つめた。
「鞠さんがコッコさんとどんな因縁があるのか俺は知らない。知識の中にはなにがあったのかくらいは知ってるが、そんなことはどうでもいい。……鞠さんがなにを感じて、なにを思ったか、それが鞠さんにとって一番大切なことだからな」
「………………」
「だがな、アンタはもう《正義の味方》なんだろうが、芳邦鞠」
普通の人にこんなことは言わない。
しかし、ウエディングドレスを着た彼女はまごうことなき正義の味方。
白の魔法使いの側で、一生彼をいじめ倒すと誓った一人の侍従なのだから。
「胸に一つの御旗を掲げ、かくあるべしと定めて生きる。俺が執事に教わった最初のことだが、アンタは既にそれを成し遂げる覚悟を決めてんだろうが。なら、その通りに生きろ。誰かを助けて、誰かを殺して、魔法使いを守っていじめながら生きればいい」
「………………」
鞠さんは、相変わらず真っ直ぐに俺を睨みつける。
そして、根負けしたように目を逸らして溜息を吐いた。
「……やっぱり、貴方ですか。友樹様に正義を教え込んだ人は」
「知らねぇよ。言ったろ、『胸に一つの御旗を掲げろ』ってな。万人が納得する絶対正義なんざこの世界のどこにもないが、『自分』が納得できる絶対正義ならその辺に掃いて捨てるほど転がってる」
「その正義が間違っていたら?」
「その時は、誰か他のお人好しがちゃんと注意してくれるさ。もしも誰からの忠告もないんだったら、それは生き方そのものが悪かったってことなんだろうよ。……誰かにとってどうでもいいように生きてきたから、誰にもなにも言われないのさ」
「……厳しすぎませんか?」
「甘い現実なんざ、世界中のどこを探しても存在しないからな」
現実は厳しい。膝を折って倒れてしまうくらいに厳しい。
だからこそ理想を口にしろ。笑われても構わない。口に出来なくたって行動で示せる。かくあるべしと定めて生きる。自分のために生きることは誰にだってできる。
甘いことを言って生きればいい。
仕方ないと諦めてしまうよりは、腐るほど頑張って後悔した方が百倍ましだ。
「まぁ、そんなことはどうでもいいさ。それより今は移動手段だ。なんとしてでも屋敷に戻って、あのアホメイドに制裁くれてやる」
「……また貴方のことですから、手ぬるい制裁っぽいですけど」
「大丈夫だ。ちゃんと友樹に『女の子がやられたらかなり微妙な嫌がらせ』をきっちりと聞いておいたからな」
「………………ほぅ?」
「ちなみに、長時間相手に抱きついたりスリスリするのは、男は和むだけなんだけど女はなんか色々と葛藤があるとかなんとかでそれなりにしんどいらしいが、プライドの高い女限定ってことだから、あの女には最適だろ」
「……ほほぅ?」
「付け加えるなら、鞠さんには絶対にできないって言ってた」
「………………ふーん?」
どんよりと黄色く光った鞠さんの目は、最高に怖かったので見なかったことにした。
と、怒りに燃える鞠さんにドン引きしていた、その時。
「やぁやぁ、お二人さん。仲がよろしくて大変結構だね!」
パッパー、というクランクションの音と共に、やたら心がざわめくエンジン音を響かせながら、やってきた車は農道で停車した。
車から降りてきたのは……意外極まる人だった。
「そういうわけで、死之森あくむ只今参上ってところだね!」
「うわ、すっげ。カスタムし放題で原型がなんだか全然分からない車って始めて見たよ! 品のない暴走族とかが乗るやつみたいだっ! つーかあくむさんってニートのくせに免許持ってんのかよっ! すげぇな、最近のニートはっ!!」
「下品な車ですね、乗っている人間の品性が知れるというものです」
「……あのさ、いきなり言いたい放題だね、君達」
失礼なことに、あくむさんはドン引きしていた。
ちなみにあくむさんの服装はOLのようなスーツ姿で、それがまた異様なまでに似合うっていうかエロスだったのだけれど、そこはとりあえず言わないでおいた。
「で、狐くん。どこに行きたい?」
「俺の屋敷まで。……もちろん、交通法規は一切無視で」
「了解したよ、親友さん」
車のキーを弄びながら、あくむさんは口元を緩める。
俺は躊躇なく助手席に乗り込んだ。
鞠さんは、車に乗らなかった。
「鞠さん?」
「ニート。その人を確実に屋敷までお連れしなさい。……できなかったら、私が直々に殺しに行くから覚悟なさい」
「了解したよ、メイド。これでも友情には敬意を払う方だからね、心配は無用だ」
鞠さんを置いたまま、あくむさんはアクセルを踏み込む。
車は重々しいエンジン音を響かせながら発進した。
「………………」
俺には分からなかったが、鞠さんが残ったのにはなにか理由がある。
いや、予想はできるが確証はない。……連絡がつかなかったのは唯一あの子だけだし、彼女ならば、恐らく今の鞠さんと互角の勝負ができるはずだ。
それに……あの子はずいぶんとコッコさんと仲が良かったらしいし。
無茶かもしれなかったけど、俺は二人が無事に帰ってくることを願っていた。
「さーてと、今度はぶつけないぞぅ」
その言葉の意味を悟るのに、30秒かかった。
「………………ぎゃあああああああああああああああああああああああああっ!?」
そして、俺の命の無事も願わずにはいられなかった。
月の光が差す場所。ただ広いだけの農地で、こんな会話があった。
「……久しぶりね、香澄」
「うん、久しぶりだね。鞠絵お姉ちゃん」
「一応言っておくけど、邪魔をするなら貴女でも斬るわよ?」
「邪魔はしたくない。でも……鞠絵お姉ちゃんは我慢ができない人だから」
「………………」
「私はね、光琥お姉ちゃんにも、鞠絵お姉ちゃんにも死んでなんて欲しくない。お人形さんだった私に意味を持たせてくれたのは、お姉ちゃんたちだもの」
「……私と、あの女を戦わせたくないから邪魔をするの?」
「うん」
「下らない理由ね、香澄。……そこをどきなさい」
「どかないよ。私は、絶対にここからどかない」
「どきなさい」
「どかない」
「……ならば、仕方がないわね」
「うん」
ウエディングドレスを着た彼女は、腰から漆黒の日本刀を引き抜く。
同じように、セーラー服の彼女は、腰から汚れきった騎士剣を引き抜く。
「散り狂え、『黒桜』。その名の如く」
「全再現解放。現象せよ、『聖剣草原』」
かくて、世界最高峰の姉妹喧嘩はここに幕を開ける。
互いの、譲れぬ意地を守るために。
第四戦:月ノ葉香澄VS月ノ葉鞠絵。
戦力比:30対27
特記事項1:友樹の《W・H・D》により、鞠の全能力×500及び全所有スキルが一時的に『神域』に到達。
特記事項2:香澄の《聖剣草原》により武装制限解除。騎士剣『汚れし誇り』以下3000種の武装を意のままに支配できるようになるため、特殊スキル『応用操作』、『武装アレンジ』、『刀剣解放』を一時的に取得。
修正後戦力比:30対27
戦闘結果:引き分け。両者共に戦線を離脱。
負けられない戦いがあって、譲れない想いがあった。
他愛のない日々があって、たくさんの思い出をもらった。
好きとか嫌いとかじゃない。本当の幸せをたくさんもらった。
口には出さないし、意地っ張りだから図星を当てられても鼻を鳴らすことしかできなかったが、誰よりもその日々を楽しんでいたのは、なにを隠そう彼女だった。
彼女の名前は黒霧舞。
この物語の真のヒーローである。
ヒーローとは人物ではない。役割の問題である。
彼女は『間違ったもの』に対し本当の意味で怒ることができるという、ある種人間としては間違った感性を持っており、それがどんな時であろうとも彼女をヒーローにしているのだった。
彼女自身は、そんなお節介な自分を嫌っている。
しかし、彼女に注意された彼……まぁつまり狐目の彼のことだが……彼は、そんな彼女のことを大絶賛し、手放しで褒めている。
誰が聞いても背筋が震え上がるような人物評価を下す彼にとって、それはあまりにも特別で特例で異例だったりするのだが、当の本人はそんなことを微塵も感じさせずに舞をからかったりしているのだから始末に終えない。
本人すら自覚していないが、気に入った相手ほどからかうのが狐目の彼である。
そして……本物のヒーローは、ここに至っても本物だった。
誰にも言われていないのに、舞はコッコの目的を看破した。
間違っていると、気づいた。
だから彼女はここにいる。生きる資格がないとか言っておきながら、力の限り叫びながらも、山口コッコを止めるために……仲間のために、ここにいるのだった。
まぁ……意地っ張りなので彼女自身まるで自覚はないのだが、それでも彼女は怒りと共にここまでやってきた。
そう、いつも通りに。
秘奥の発動まで、残り30分。
その30分の間、彼女は孤独な奮戦を続けることになる。
正当なる勇気と怒りと共に、独りきりの戦いを始めたのだった。
第五戦:月ノ葉光琥VS黒霧舞。
戦力比:3対2。
特記事項:双方共に奥義を封印中。修正の可能性あり。
戦況:ほぼ互角。
終局まで、残り30分。
第四十四話『Good by My World(下)』END。
最終話前編『足掻きと叫び』に続く。
※ここで示した戦力比は、あくまで戦力の比率であり『スカウターで計測した値』のような戦闘能力値ではないので、あしからず。
※また、戦力比は戦況、救援、武装などによって前後する可能性があります。
ラストエピソード・開始。
というわけで今回は短め。次回をお楽しみに♪