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第六話 コッコさんと綺麗な洋装

笑顔を学べ。



 愛用の電動補助自転車を転がして三十分。駅前にそれは建っている。

 ちょっとした結婚式場にも使われるそのホテルは、基本的にはパーティー会場にも使われたりするホテルである。しかし、いわゆる『金持ち』がこぞって来るようなお高くお堅いホテルではなく、ケーキバイキングがあったり、ラーメン屋まであったりする、いわゆる『宿泊施設付きデパート』といった印象が強い。

 当然、貸衣装もしているわけだ。

「お待ちしておりました。こちらにどうぞ」

 黒服の従業員に招かれるまま、僕は華やかな衣装中を歩いて行く。そんな僕の後ろから、コッコさんは不安そうについてきた。

「あの……坊ちゃん。一体これはどういうことなのですか?」

 シンプルなカーディガンに、紺色のロングスカート(スカートの下には当然のようにハサミ常備)といういでたちの普段着姿のコッコさんは、メイド服とはまた違った可愛らしさがあった。(ハサミに関しては考えないことにする)。

 なんとなく頬が緩みそうになるけど顔には出さずに、僕はいつも通りに答える。

「来週、美里さんの誕生日がありますよね?」

「はい……そうですけど」

「美里さんにはかなりお世話になってますし、ちょっと今回は豪勢に、立食パーティーとか、そんな豪勢な感じでやろうと思いまして」

「それは分かりましたけど……なぜ私が連れてこられたのですか?」

 なにやら、落ち着かない表情のコッコさん。

 まぁ、彼女も薄々は勘付いているはずだ。

 僕は、にこやかな笑顔で答えた。

「ここに来る前にちょっとドレスについて調べてみたんですけど、これがなかなか多種多様でしてね、たとえばヨーロッパでの伝統を継承したパーティマナーでは、正式な式典や晩餐会などといった、パーティのための服装は正装って呼ばれるんですけど、正装の場合は、時間帯によって着ていくドレスが異なるらしいんですよ。昼に着ていくドレスならアフターヌーンドレス、夜に着ていくドレスならイブニングドレスっていうふう感じですね」

「あ、あの、坊ちゃん……」

 置いてけぼりなコッコさんを突き放すように、僕の舌は滑らかに言葉を紡ぐ。

「で、それが正装フォーマルなんですけど、正装の他にも礼装、または準礼装セミフォーマルっていうのがありましてね、伝統的な晩餐などの改まった席を正装とすれば、礼装はちょっと砕けた席でのドレスってことになります。でも、僕らが伝統的行事に参加することはあまりないんで、パーティドレスといえばこれでいいと思うんですけどね。ちなみにこの形式ですと、女性には決まったドレスはなくて、基本的にカクテルドレスでいいらしいんですよ」

「いえ、ですから……」

「でもですね、個人的な趣味としてはやっぱりアフターヌーンドレスやイブニングドレスがいいと思うんですよ。ちなみにイブニングドレスっていうのは、やわらかくて光沢のある、シルクのような生地を使って、ワンピース風にしてトップとボトムを一体にして縫製し、裾を長くして、襟をつけずに胸元や肩を広げたようなものが多いですね。スカートの裾は床すれすれになるぐらいのフロアー丈もしくは足首が隠れるくらいのロング丈になります。 色は、はっきりした色使いのものが多いです。 肩や胸元が開くので、胸元にはネックレスなど着用するのが一般的ですね。ファンタジーとかの『パーティドレス』っていうものは、これを指すのがほとんどかな。アフターヌーンドレスはイブニングドレスと違って、シルエットのはっきりした印象のデザインが多い……」


 ドスッ!


 あまりの激痛に声を出すこともできず、僕はわき腹を抱えてその場に突っ伏した。

 見上げると、コッコさんの無表情があった。

「坊ちゃん。時には噛み砕いて話すことも必要ですよ?」

「……コッコさん、早口で専門用語をまくし立てたからって、肋骨の隙間に抜き手を差し込むのはやめてください。下手しなくても死にます」

 ゴホゴホと咳き込みながら、僕は腹を押さえて立ち上がる。

 コッコさんは無表情だったが、なんだか怒っているようだった。

「さっきから専門用語で惑わすのがいけないんです。つまり、どういうことなんですか? 坊ちゃんの意図が読めません」

「や、つまり……コッコさんはどんなドレスが着たいですか?」

 率直に言うと、コッコさんはきょとん、とした。

「………ドレス?」

「はい、ドレスです」

「ドレスっていうとアレですか。やたらヒラヒラして動きにくいことこの上ない、実用性の欠片もないくせに馬鹿高い素材をふんだんに使った服のことですか?」

 なぜか少し目を細めながら、コッコさんは言った。

 ……この年上のお姉さんは、豪華な服に恨みでもあるんだろーか?

 とりあえず、僕は説明と説得を試みる。

「動きにくいのは正装のドレスの方です。今はどっちかっていうと、アンフォーマルなドレスの方が主流ですよ。さっきも言いましたけど体のラインにフィットして、動きやすくしたようなやつでカクテルドレスっていうんです。……分かりやすく言うと、お見合いパーティで女性が着てくるようなやつってとこです」

「……普段着でいいじゃありませんか。誕生日なんて」

 むう。なんだかご立腹の様子。

 もしかしたら『一緒に買い物=デート』などという公式がコッコさんの中で組み立てられていたとか……そんな感じなのか? いや、それはないと信じたい。まさかそれはないよね。いやいや、そんな馬鹿な……。

 えっと……とりあえず、フォローをしておこう。

「駄目ですか?」

「駄目じゃありませんけど、お金の無駄です」

「……そうですか。コッコさんのドレス姿も見たかったんですけど、仕方ありませんね。今回は諦めるとしましょう……」

「誰が着ないといいましたか?」

 ……をや?

 コッコさんは、珍しく苦笑していた。

「思いつきとしては悪くありません。美里だって女の子ですから、ドレスを着てみたいって思ってますよ、きっと」

「お金の無駄ですけどね」

「それは、私の考えです。坊ちゃんには坊ちゃんの考えがあるでしょう?」

 ……うーん。なんか、色々と見抜かれている気がする。

 悪巧みというほどのものじゃないんだけど……なんだかなぁ。

 僕は一生女性には勝てない宿命らしい。

 さて……勝てないなら勝てないなりに、ちょっと頑張ろう。

 片手を差し出して、僕は微笑んだ。

「それじゃあコッコさん、今日一日、衣装選びにお付き合いいただけますか?」

「……はい。少々不本意ですが、喜んで」

 にっこりと、コッコさんは綺麗な笑顔を浮かべる。

 そして、僕の手を握った。



 さて、男にとっては『女性の服選び』というのはかなり苦痛を強いられる時間でもあることは、全国の男性の方々はご存知のことであろう。

 ホテルの方に用意してもらったドレスはおおよそ五百着。ホテルの方にコッコさんの身長と体格は伝えてあるので、サイズが合わないということはないはずだ。本当なら体重と3サイズがあれば完璧だったのだけれど、そこまでやったら絶対にセクハラになってしまうので自粛した。

 というか、殺される。

(まぁ、たまにはこんな休日も許されるよな……)

 真剣な眼差しで貸しドレスを選んでいるコッコさんを見つめながら、僕はなんとなく口許を綻ばせていた。

 と、その時。

「まぁ、そこでふんぞり返っているのは、Bさんではありませんか!?」

 嫌な感じのキンキン声が、耳に届いた。

 僕は即座に顔を逸らして、そいつが視界の中に入らないようにした。

 しかし……その子がこちらの拒絶などおかまいなしなのは分かっていることで。

「あらあら、貴方のような下賎な人がこんなウチのグループの一傘下でしかないこんな薄汚れたホテルに何の用なのでしょう? いえいえ、分かっていますの。どうせ貴方のことですから、ラーメンでも食べに来たのでしょう? それか、ケーキバイキングかしら? どのみち食品関連にしか興味がないというのは悲しいことですのね。ほーっほっほっほっ!」

 うーわぁ、絶好調だヨ。

 三条院アンナ。誰しもが聞いたことのある格式高い三条院家の、取り返しがつかないくらいにあまーく育てられた長女であり、僕の学友。格式、資産、個人の資質(不幸なことに勉強はできる)を全て兼ね備えた少女で、クラスはA組に所属している。

 父親が日本人なのにも関わらず、イギリス人である母親の血を大半受け継いだらしく髪の毛は見事なプラチナブロンドで、瞳の色は完璧なカットをされたエメラルドのような濃緑色。顔立ちは整っていて、体つきも人形のように細い。背は百六十五センチの僕より頭一つ小さいくらい。黙っていれば超絶美少女なのだけれど、口を開くと音波兵器になるのが玉にキズである。

 そんな彼女がなぜ僕にからんでくるかというと、入学式の時のあまりの尊大な態度に腹を立てて、一発といわず三発ほど、平手で泣くまで叩いてしまったのが原因である。……あの時、僕はまだ若かった。中学時代の反抗期が抜けてなかったのだ。

 その後に三条院家に呼び出された時は死を覚悟したのだが、彼女の父親には『娘のことをよろしく頼む』とか言われ、母親には『ありがとうございます』と感謝され、二人の兄からは『君、根性あるな。すげえよ』『どうだい、いっそのこと妹を君の方でもらってくれないか?』などと賞賛される始末。どうやら家族ぐるみで甘やかしたのが見え見えで、しかも家柄も相まって叱ってくれる他人が皆無というなんとも酷い有様だった。

 それはそれとして、彼女が絶好調の時に返事をするとなお調子に乗ってくるので、しばらく放っておくことにする。アンナさんは僕が黙っている間延々と喋り続け、『ほーっほっほっほ』と笑っていたのだが、やがて寂しくなったのか、素直に聞いてきた。

「……それで、Bさんはなんでこんな所にいるんですの?」

 ちなみにBさんというのは僕がB組に所属しているからである。なんとも安直なあだ名のつけ方だが、彼女の周りにはAどころかSクラスの人間の方が多いのだ。まぁ、庶民として認識されているということだろう。

 素直な問いかけに、素直に答えることにする。

「ちょっと屋敷の方で小さなパーティをすることになってね。で、せっかくだからドレスでも見繕おうと思って」

「……こんな安い場所で?」

「三条院グループと一緒にしちゃいけない。それに、気を使わなくてもいいぶん気安くなれるしね。安いからこその利点っていうのもあるんだよ」

 微笑みながら言ったのだけれど、内心ははらわたが煮えくり返ってるわけで。

 いや、でも怒っちゃいけない。特にアンナさんの発言には悪気は全くないのだから……まぁ、それがなお腹が立つっていうか、ぐーぱんちで殴りたいっていうか。

 などと自分を抑え込んでいると、なんだか視線が突き刺さってきた。

 どーせ痛いモノを見る視線だろうと思って振り向くと、なんだか『キラキラ』とした尊敬の眼差しだったり。

 …………あれ?

「……すごいですのね」

「へ?」

「私、そんなこと考えたこともありませんでした」

「や、そんなことはないんだけれど……」

「いいえ。Bさんはすごいのです。確かに、高級感溢れるパーティには気品と美しさがありますけど、『気安さ』という一点に関しては、まったく欠けていますの。そういう配慮を忘れていた私の失言……どうか、お許しください」

 ……えっと、なんだろ、これ。

 なんで僕はそんなに『尊敬』されてるんだろーか。むしろアレは負け惜しみの言葉だったというのに。……なにが彼女の琴線に触れたんだ?

 ……まぁ、いいか。悪く思われるよりは。

 などと考えていると、アンナさんは興味深そうに聞いてきた。

「それで、どういったパーティですの?」

「簡単に言うと慰労会かな。従業員にちょっとしたお礼と感謝を込めてね」

「…………従業員に、ですの?」

「従業員なんだけど、ものすごくお世話になってる人がいるんだ。その人は色々自分のことでも苦労しているんだけど、ついつい他の人の世話も焼きたがるお人好しで、いっつもなにかに悩んでいるような人なんだ。だから……たまには、こんなふうにねぎらってあげないといけないと思ってね」

 分かることと分からないことがたくさんある。

 知らないことが致命的になることもあるし、知らなくていいこともある。

 お屋敷での美里さんはそつのないメイド長で、コッコさんや黒霧シスターズを簡単にコントロールしてしまうくらいに強い人なのである。

 でも、その反面とても弱い人でもあるのだ。

 強いは弱い。弱いは強い。簡単に言ってしまえばそういう言葉になると思う。強い人は歯を食いしばって頑張っている。だからこそ時には自分の許容限度を越えて頑張ってしまう。余計なお節介をするくせに、自分が世話を焼かれるのは嫌がる。他人のことをこの上なく心配するくせに、自分が心配されると『大丈夫』だと強気に出てしまう。……美里さんは、そういう意味で強い人なのだ。

 でも、僕は思う。

 そういう人こそ、大切にされるべきだと。

 コッコさんが『家族』なら、美里さんは『師匠』と呼ぶべき人だから。

「余計なお世話かもしれないけど……その人には、本当に感謝してるから」

 そう言って、僕は口許を緩めた。

 ……っと、流石に雑談が過ぎたか。こんな女々しいことを簡単に口に出してしまうようじゃ、僕もまだまだである。きっと呆れられているだろうな、と思ってアンナさんをちらりと見ると、

 彼女は、ハンカチを目に当てていた。どうやら泣いているらしい。

 …………って、おい。

「……話は、分かりました、の」

 ぐすぐすと涙を拭いながら、アンナさんは涙に濡れて充血した目を僕に向ける。

「そういうことなら、私も一肌脱がさせてもらいますの!」

「いや、あの……そういうことって、どういうこと?」

「そのパーティ……私、三条院アンナが一から十まで徹底的にプロデュースさせていただきますの!」

 いや、ちょっと待て。頼むから待ってくれ。

 いつからどうしてそんなことにっ!?

 僕の困惑などおかまいなしに、アンナさんは携帯電話を取り出した。

「国枝。今すぐ『パーティ』の手配をなさい。ええ、その城でいいわ。それと、衣装はとびっきり豪華なものを。汚してもかまわないように全部買い取りなさい。楽団の選別は貴方に任せるわ。それと、食事はビッフェ形式で最高級なものを。この前買った馬がレースで勝ったでしょう? アレの賞金を使ってもいいわ。どうせスズメの涙程度の額ですし」

 頼む。お願いだから待ってっ! なんかものすげえおおごとになりつつあるっ! 僕はただコッコさんや他の人のドレス姿が見たかっただけで、そりゃあ美里さんの誕生日を祝いたいというのが本音ではあるのだけど、そこまでしようとは思ってなかったわけでっ!!

 僕の気持ちも知らず、アンナさんは満足そうに微笑んで携帯を切った。

「……久しぶりに私、感動いたしましたの。従業員にも敬意を払い、感謝を忘れずにその想いを実現させようとしている……貴方の、その純粋な気持ちに」

「い、いやあ……ふ、フツーのコトですよ」

 ダラダラと汗を流しながら、僕は必死で言い訳を考える。

 まずい。これは本当にまずい。小さいながらも豪華な誕生日パーティを予定していたのに、大きくてとんでもなく壮大な誕生日パーティになりつつある。これはあまりにも想定外だ。棚からぼた餅っていうか、棚そのものが降ってきたくらいの勢いだ。なんとか断らなくては……断らなきゃいけないのに。

 いけないのに……。

「謙遜する必要はありませんの。Bさんのような人は……あまりいませんの」

 うぐああああああああああああああっ!

 アンナさんの信頼しきった微笑が胸に痛すぎるっ!

 ざ、罪悪感がっ!! こっちが悪いわけじゃないけど、意味もなく罪悪感が! なんかお金持ちの令嬢を騙している気分にも似たりっ!? そんな馬鹿な、僕に『たらし属性』なるものがあるわけもないのにっ!

 はっ! まさかこれこそが新手のスタンド攻撃か!?

 三条院のお嬢さんは『微笑みの爆弾』という戦略核攻撃を使用し、僕の心をものの見事に爆砕していく。

「その方のお誕生日はいつですの?」

「ら、来週の月曜日なんだ……けどね」

「では、そのように。詳しいことは後日、報告いたしますね」

「や、あの、ちょっと……」

 ダメです。精神抵抗が出来ません。『いいや、別にいいよ』という一言がどうしても言えません。躊躇しているうちにアンナさんはにっこりと微笑を浮かべながら立ち去っていった。

 くそ……あの小娘、いつの間にこんな芸当を覚えたんだろうか。僕の罪悪感に訴えかけてくるなんて、屋敷でも美里さんと冥さんくらいしかできないぞ。

 ………ただの天然かもしれないけど。

「いや……やっぱり天然が一番恐ろしいか」

「どうしたんですか? 坊ちゃん」

「ああ、なんでもありませ………………」

 聞き慣れた声に振り向いて、言葉を失った。


「あの……どう、でしょうか?」


 一瞬、彼女が何者なのか分からなかった。

 もちろん分からなかったのは一瞬のことだ。しかし、彼女が誰なのか頭では分かっているのだけれど、頭の認識の方がついていかない。あまりのことに軽いパニックを起こしていた、というのが正確なところだ。

 肩のあたりで切りそろえられた髪は銀の髪留めによってまとめられ、いつもは『面倒だし、お金が勿体無い』という社会人とは思えないような理由でしていない化粧もしていて、唇に引かれたルージュがとてもよく似合っていた。体を包んでいるのは純白のドレスとシルクの手袋、そしてハイヒールだ。その姿はいつもの野暮ったいメイド服のイメージとは全く違うもので、『高貴』という表現がぴったりだ。

 童話はあまり好きではないけど、まさに『シンデレラ』といった感じ。

 ……参った。まさかここまでとは思わなかった。

 僕は阿呆のように、ポカンとした頭をようやく回復させて言った。

「……えっと、とても似合ってます。お姫様みたいだ」

「またまた、坊ちゃんってばお世辞が上手いんですから」

 コッコさんは機嫌よさそうに、にこにこと笑っていた。コッコさんが上機嫌など甘味を食べる時以外にはないのだけれど、僕はちょっと死にそうになっていた。

 サムい……あまりにも寒すぎる。

 お姫様みたいだ、なんてどこのロマンチストのセリフだ。

 冗談抜きで……もうちょっといい言葉が思い浮かばなかったものだろうか?

 などと苦悩してると、コッコさんが不思議そうにこちらの顔を覗きこんでいた。

「坊ちゃん? どうしたんですか?」

 その言葉で、正気に戻った。

 僕はずり下がっていた眼鏡を上げて、いつも通りに微笑んだ。

「なんでもありません。やっぱり着飾ると女性って化けるんだなぁと再認識したところです」

「それはそうですよ。古来より、化粧や豪奢なドレスというのは女にとっては戦装束なんですからね。祖父がよく言ってました『女の着飾りは戦いの合図。誰よりも華やかに、煌びやかに、艶やかに。そして、ことは速やかに』って」

 ………………。

 なんか、コッコさんの性格の一端が見えたような気がする。

「つーか、なんすかその一撃必殺みたいな男女交際」

「お祖父様に限らず、私の家系は男女の縁が希薄ですからね。そういうものが家訓になったわけです。………ところで坊ちゃん、話は変わりますが先ほどの変な女性はどちらさまですか?」

 コッコさんのナイフのような視線が僕に突き刺さる。

 そのナイフを心臓に直接突き立てられたような気分になったけど、僕は平常心を保ちながら返答した。

「うーん……かなり説明が難しいんですけど、一応カテゴリーとしては友達に分類されますね。名前は三条院アンナさん。聞いての通り三条院グループの娘さんです」

「……………三条院、ですか」

「見ての通りの世間知らずで、今回のスポンサーです」

「……へ?」

「なんか話の流れ上そういうことになってしまいましてね。僕らじゃ想像もできないくらい豪華な誕生日会にしてくれるそうです。細かい部分は相談しながら煮詰めていくとして………」

「……よろしいのですか?」

「え?」

 不意に、真剣な言葉が聞こえた。

 顔を向けると、コッコさんは真摯な眼差しで僕を見つめていた。

 なんだか……彼女と出会った頃を彷彿とさせる……そんな真っ直ぐな目。

 コッコさんは、しかしその視線を逸らして、口を開いた。

「差し出がましいとは思うのですが、坊ちゃんはそれでよろしいのですか?」

「………どういうことでしょう?」

「美里は見ての通り、潔癖な女性です。身内だけで豪華なパーティを開催するならまだしも、外の方を巻き込んでしまったら……きっと怒りますよ」

「……ま、確かにそうですね」

 確かに、美里さんなら怒るだろう。あの人はそういう人だ。

 僕はコッコさんの言葉を肯定しながらも、苦笑した。

「でも、何事にも例外はあります。まぁ、コッコさんが心配するようなことは一切ありません。全部が全部とはいきませんけど、『誕生日会』の脚本くらい上手く描いてみせますよ。……それが、雇用主の勤めですからね」

「しかし……」

「とにかく、この件は僕に任せてください。いいですね?」

「………分かりました」

 コッコさんは不承不承といった感じで頷いてくれた。

 うーん、いきなり機嫌を損ねてしまったような気がする。

 コッコさんはあの屋敷の侍従さんの中では美里さんと一番仲がいいみたいだし、美里さんを怒らすということがどのような悲劇を招くかは身をもって知っているからこそ僕に忠告してくれたのだろう。……他に何か事情があったとしても僕には分からない範疇のことなのでなんとも言えないし。

 でも……その忠告には、素直に心の底から感謝しておく。

「ところで坊ちゃん、そういうことに決まったのなら今回のドレスの試着はもう意味がありませんね。もう着替えてもよろしいですか?」

「……そうですね」

 もうしばらく見ていたい気もするけど、仕方ない。

 僕は少しだけ考えて、余った時間を有効活用することにした。

「それじゃあ、次の店に行きましょうか」

「え?」

「ずっと思っていたんですけど、コッコさんは普段着が非常に地味な上にレパートリーも少ないです。元々美人なんですから、お洒落にはもう少し気を使ってもいいと思うんです。……というわけで、これから普段着を見立てに行きましょう」

「……地味で悪かったですね。機能的だからこれでいいんです」

 ちょっと顔をしかめて膨れっ面になるコッコさん。

 いや、悪いとは一言も言っていないし、むしろ地味な服というのは素材の良さを引き立てる。僕的にはコッコさんの普段着はものすごく気に入っているのだが、地味な服でここまでの威力を発揮するのだったら、お洒落した時はどうなるのか……少し楽しみで少し怖くもあるのだ。

 ま、初っ端に『ドレス姿』っていうヘビー級ボクサーのストレート並の一撃をもらっているので、次はなんとか耐えられるだろう。

「それにコッコさん、ついさっき、『今日一日衣装選びに付き合ってくれる』って言ったじゃないですか」

「う………………」

 僕の卑劣とも言える揚げ足取りに、コッコさんはまともに怯んだ。

 うーん……二十歳過ぎた社会人のお姉さんが高校も卒業してない小僧にいいように手玉に取られるのはどうかと思うけど……ま、これはこれで。

 可愛いので、よし。

 ちなみにここで言う可愛いという概念は『不良が子猫にミルクをやる』などというようなすなわち『ギャップ』であって、決して『ご主人様、お帰りなさいにゃ☆』などというようなかわいこぶりっこのような古代言語で表現できるようなものではない。そう、可愛いものが可愛いく着飾って可愛い仕草をすれば可愛いのは当然なのだ。しかし普段つっけんどんな人がものすごくうろたえる姿というものは、そういう作られた可愛らしさを軽く凌駕する。僕が言いたいのはそういうことである。

 麻衣さんに言わせると『ツンデレが好きなんですね〜』ということらしいのだが、意味が分からなかったので黙殺しておいた。

「じゃあ、ここで待ってますから、着替えてきてくださいね?」

「……分かりました。その代わり、条件があります」

「条件?」

「服を見た後は、昼食を摂って園芸店に行きます。いいですね?」

 なぜか顔を真っ赤にしながら、コッコさんはそんなことを言った。

 どんな条件を出されるかと思ったが、思ったより簡単なことだった。

「ええ。それくらいなら、お安い御用です」

 僕は、当然のようににっこりと笑う。コッコさんはなぜか顔をさらに赤く染めて、速攻で顔を逸らした。

「……じゃ、じゃあ着替えてきますっ!」

 バタバタと慌しく試着室に戻るコッコさんの背中を見つめ、僕は口許を緩める。

 さて……と。

「じゃあ、本題に入りますか」

 ここまではほぼ想定どおり。

 頭の中で予定を組みなおして、僕はゆっくりと息を吐く。


 たまの休日。天気は快晴。

 そんな日にすら口実がないと、家族を誘うことすらできない自分を笑う。

 ま、それでも結果オーライってことで。

 今日一日はコッコさんと遊び倒すとしましょうか……。



 第六話『コッコさんと綺麗な洋装』END

 第七話『みんなと楽しい誕生日会』に続く。




 おまけ。執事長さんの苦労日記。


 はちきれそうな緊迫感。

 声にならない緊張感。

 怒声と罵声、ついでに銃声が響き渡る。

(……なぜ、こんなことに?)

 簡単な状況説明をすると、プレゼントを買うために銀行に金を下ろしに来た章吾だったが、そこで銀行強盗に巻き込まれてしまったのだ。

 まるで漫画のような急展開。警備員は足を打たれて絶叫中。その叫び声に反応して子供が泣き出し、主婦が子供をなだめようとして大騒ぎになり、銃声一発で銀行内に静寂が戻る。

 敵は三人。金を銀行員に詰めさせているのが一人、客を見張っているのが一人、外を見張っているのがそれぞれ一人づつ。全員が銃を所持。……今にも死人が出てもおかしくない状況である。

(やれやれ……どうしたものかな)

 このまま状況を傍観すれば『生還』するのは思ったよりも容易そうだが、その後に事情聴取やらなにやらで多大な時間を費やすことになる。そうなれば仕事に遅延が出るのは確実で、仕事に遅延が出るということは下手をすれば美里の誕生日に出席できないということになりえる。

 なにより……警察には厄介になりたくない事情がある。

(一瞬で三人倒すのは容易だが、その刹那で脱出するとなると骨が折れるな。いっそのことここで傍観して、警察が来る前に逃げ出すというのも……)

「うっわ、すごいですよ。銀行強盗ですよ、銀行強盗っ!」

「頼むから黙ってろ」

「そうですよ。いい加減にしないと引っこ抜きますよ?」

「どこをっ!?」

 命が危ないにも関わらず姦しい三人組に、章吾は思考を中断して目を向ける。

 見知った顔であることに、少し驚きを覚えた。

(あれは……確か、坊ちゃんの知り合いか)

 屋敷で一度見たことがある三人組。主人曰く『女の子に生まれておくべきだった男の子と、全身凶器なサムライガールと、悪魔みたいなシスターの子。街中で見たら全力で逃げたくなる組み合わせだよ』ということらしい。

(やれやれ、面倒な……)

 赤の他人なら放っておくところだが、相手は主人の友人である。ここで放置しておいて射殺でもされてはかなわない。それに、彼女らの声が銀行強盗を刺激しているのは明らかで、彼らの一人が頬を引きつらせてこちらを見ている。

 溜息混じりに、章吾は忠告をすることにした。

「おい、君たち。ちょっと黙った方がいい」

「あ、先輩の家の執事さんだ。どうもっす」

「執事? ……随分と無骨な執事だな。まるで武士のようだが」

「武士のように従順ということなのでしょう。ま、どっちかっていうと犬のようですが」

「………………」

 なんだかものすごくむかつく物言いだったが、章吾は大人なのでなんとか堪えた。

 デビルシスターは章吾の心の動きを敏感に察知したのか、にやりと笑う。

「ところでわんこさん。貴方、逃げ足は速いほうですか?」

「………なんのことだ?」

「私は、逃げ足に自信がないのです。抱えて走ってもらうと嬉しいのですが……」

「………どういうことだ?」

「こういう……ことですっ!!」

 デビルシスターはいきなり立ち上がり、消火器を強盗に向けた。


 シュバアアアアァァァァァァァァァァッ!!


 消火用の粉が一斉に噴霧され、あたり一面が真っ白になる。当然視界も利かなくなり、下手をすれば強盗が適当に発砲して怪我人が出る恐れもある。

 しかし、視界が利かなくなると同時に、シスター以外の二人は走り出していた。

(ちっ……これだから最近の若者はっ!)

 章吾は舌打ちをしながら、シスターの体を抱え上げる。

 ドッ! ドスッ!

 二人が一瞬にして、強盗を打ち倒す音を聞きながら、章吾は走る。入り口には見張りが一人。その見張りに鮮やかなハイキックをぶち当てて、一瞬で昏倒させる。もちろんスピードは緩めない。あっという間に銀行を脱出した。

「このまま行くと公園があります。そこで二人と落ち合いましょう」

 言われるままに公園に行くと、既に二人はそこで待っていた。

「あ、来た来た。やっほ〜!」

「む……無事で何より」

「お二人もご無事でなによりです。私の方はこちらのわんこさんの手際が悪かったので、今ひとつでしたけど」

「……おい」

「警察が来ていなかったのは僥倖でした。せっかくの休日がたかが銀行強盗程度に潰されるのは我慢がなりませんもの。全く……あの『■■■■』連中、私が世界を征服した暁には、全員ひっこ抜いて好事家に売り払ってやろうかしら」

「………………」

 なにか言おうと思ったのだが、デビルシスターは抗議を軽やかに無視した上に、明らかに人として発言してはいけない言葉を口走り始めたので、章吾は口を閉ざした。

 世の中には、関わってはいけないことというのが存在する。

「えっと……まぁ、色々言いたいことはあるが、助かった。私も取り調べにはいい思い出がないのでな。それじゃあ、私はこれで……」

「お待ちなさい、わんこさん」

 逃げるタイミングを奪われ、章吾は一瞬泣きそうになった。

 振り向くと、デビルシスターは悪魔的に笑っていた。

「全く、最近のわんこさんは忠義というものを知りませんのね? 助けてあげたんですから、ここにいる全員に食事くらい奢ってもよろしいでしょうに」

「い、いやしかし、私にはやることが……」

「女性へのプレゼント選び、なんなら私たちが手伝ってあげてもいいんですよ?」

「……な、なぜそれを?」

「ただの洞察力です。銀行に来る途中でものすごく難しい顔をしながらショーウインドウとか見ていれば、そりゃ女性へのプレゼントだって思いますよ」

「ぐっ………」

 かなり恥かしいところを見られていたらしい。

 逃げ道なし。退路は完全に断たれた。

 がっくりと肩を落として、章吾は観念する。

「分かった……。食事くらいなら、奢らせてもらおう」

 三人の歓声が上がる中で、章吾は絶望に打ちひしがれていた。



 ちなみに、プレゼントはそこそこいい物が買えたのだが、プレゼントを含めての合計金額は、その月の章吾の生活を非常に困難なものにしたという。

ほぼ一ヶ月ぶりの更新です。待っていた人には最大級の感謝を。では、また次の話で。

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