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第四十三話 Good by My World(上)

終わりの準備。

準備の終わり。

前フリでちょっと色々場面が飛んでちょっと読みづらいかもしれない。

これは、そういうお話。

 Good by My World(上)

 サブタイトル:それぞれの戦い(準備編)。



 始まりはアパートの一室から。

 柱に縄と鎖とワイヤーで縛り付けられている獅子馬麻衣は必死で叫んでいた。

「離せ、刺青小麦少女っ! せっかくの出番が台無しになっちゃうでしょーがっ!」

「だめ。まいが行くとややこしくなる。あと、めがねの人に頼まれたし」

「あんな先輩の言うコトを聞いちゃダメだよっ! ダメ人間になるよっ!」

「それに、まい(サイフ)がいなくなると漫画の続きが買えなくなっちゃうし」

「……あの、ルゥラちん? 今なんかさりげなくものすごく酷いこと言わなかった?」

「きのせい」

 きっぱりと断言しながら、ルゥラは窓から外を見上げる。

 空は快晴。見事な雲一つない空。

 ルゥラたち戦女神の部族にとっては、雲一つない空を見た日は要注意だ。

 空には雲があるのが当然で、それがないということはなにか異常事態が起こっているということである。

 異常が起こっているのは、坂の上の屋敷。あそこだけが空間から隔絶されている。そのことに気づいたのは猫たちが騒がしいからだが、空間隔絶を突破するには様々な条件が必要となるため、大抵の者には突破は不可能だ。

 少なくとも、力押ししか知らないルゥラにはどうにもならない。

 彼に恩義は返さなければならないが、麻衣を止めておくことしかできそうにない。

(……しょーごと一緒にいたほうが、ややこしくなかったかも)

 ドラ焼きをはむはむと食べながら、ルゥラはこれからのことを思う。

 まずは修行のやり直し。少なくとも、章吾と他数人くらいは守れるようになりたい。

 それから、勉強を始めよう。頭が悪いことは致命的な欠点であることを、この前の学園祭でルゥラは学んだ。

(いくさめがみさまの力を借りたのに……子供扱いだった)

 イセプテュリア。

 ルゥラの部族が信仰している戦女神。

 実際には、その昔ルゥラの部族にやってきた二流の嘘吐き兼絶望が、刺青が気持ち悪いといじめられていた少女のためにでっち上げた架空の神様である。

 ああ、その血族に伝わりし力はまごうことなき女神様の再来である、と。

 嘘吐きとして二流だったのは、最後の最後に良心の呵責に耐え切れなくなったその嘘吐きが嘘をなにもかもばらして逃げ出したからである。その逃げ足たるや当時最強を誇っていた精鋭を揃えても追い切れなかったほどだ。

 ただ……年月が経つうちに、次第にルゥラの部族は神様が嘘か本当かなどどうでも良くなっていた。


 御子がそこにいれば、それは女神様の再来なのだから。


 だからこそ、部族に御子は1人だけ。代が変わる時に真実を告げられる。

 知っている者だけが知っている風習はずのではあるが、実際のところ大人はみんな知っている風習。……ただ、大人の誰もが知っている。

 御子は巫女であり、間違いなく女神の再来なのだと。

 神様がいようがいまいが構わない。

 ただ、御子という大役を果たしたのは、まごうことなき彼女たちなのだから。

(……って、言えちゃったら面白いだろうけど、『で?』とか言われちゃった後に本気で殴られそうな気がするので言わないあたしなのだった。まる)

 鎖に繋がれた麻衣は、気持ち悪いほどに澄み切った青空を見上げる。

 助力は必要ない。いざという時には、麻衣さんは好きな人を守れ。

 それが彼の言葉。麻衣が絶対に裏切りたくない、ある狐の少年の言葉。

(うん、分かってる。分かってるよ、先輩。……でも、さ)

 本当ならば鎖やワイヤーなど一瞬で千切れる自信がある。

 本当ならば本気になったルゥラ程度、容易く突破できる自信がある。

 それでも……約束があるから、思い留まった。

(……一回だけだからね。あたしが我慢するのは)

 歯軋りしながら、麻衣は耐えていた。

 好きな人に嫌われたくないから、絶望の女は一回だけ我慢することにした。



 その日、鞠が受け取った電話は、変な内容だった。

「えっと……すみません。こちらは有坂さんのお宅でよろしいでしょうか?」

「はい、確かにこちらは有坂友樹の自宅ですが……失礼ですが、貴方は?」

「あ、すみません。俺、えっと……とにかく名前は名乗れないんですけど、っていうかいじめられるから名乗っちゃダメってにーちゃんが言って……えっと、とにかくすみません」

「………失礼ですが、用件を言えないのならば切らせていただきます」

「あ、いや……えっと、なんか俺もよく分からないんですけど……」

 少年はしどろもどろになりながらも、ようやく言うべきことは言った。


「なんのことか分からないんですけど……借りを返してくださいって」


 鞠は黒電話を叩きつけるように切った。

 それから目を細めて、溜息を吐き、居間でテレビを見ている主を睨みつけた。

「……どういうことですか?」

「さぁな。……ただ分かるのは、あいつがピンチだってことと、今回の件に俺は一切手を出せないってことだ」

 白い髪の彼は欠伸をしながら……いや、顔をしかめながら、きっぱりと言った。

「今回のことはあいつの自業自得だからな……最初から最後まで、あいつが責任を負うだろうさ。俺にはなんの関係もない」

「友達なんでしょう?」

 鞠の声には糾弾するような響きが含まれている。

 それを受け止めながら、白の彼こと有坂友樹はきっぱりと断言した。

「親友さ。信頼もしてる。……でもな、だからこそ手を出しちゃならん時がある」

 頬を引きつらせて、震える拳を握り締め、友樹は血を吐くように言った。

「あいつは俺を巻き込まない。絶対に巻き込まない。そういうヤツなんだよ」

 本当は手を出してやりたい。助力をしてやりたい。

 彼から借りたものはそれほどに多く、返しきれないほど溜まっている。

 しかし……あの狐目の少年はそれを絶対に望まない。


 お前の力は誰かのためにある。

 僕のためでもお前のためでもない。お前は誰かを助けるべきだ。

 お前が望むなら……お前は、正義の味方になるべきだ。

 正義が嫌ならさっさとやめろ。誰かと幸せに生きろ。子供をじゃんじゃん作れ。

 それでも、お前がお前の正義を諦め切れないのなら、覚悟を決めろ。

 誰かのために生きて――――

 誰かのために、死にやがれ。

 

 最後の別れの時、彼はそんなことを友樹に言った。

 正義の味方になることを、運命だの宿命だのそういうものでかんじがらめに固められて決定付けられていた友樹は、正義の味方なんかになりたくないと弱音を吐いた。

 彼は、だったらそれでいいじゃねぇかと笑った。

 正義なんて曖昧なものの味方になんか最初からなれはしないと言って、笑った。

「……それでも、『正義はある』とあいつは言ったんだ。俺の正義は、俺やあいつを助けるものじゃない。困っている女を助けるためにあるんだと」

「あの人らしいですね」

「ああ。……全く、困った親友だよ」

 かくあるべきと定めて進み、胸に一つの御旗を掲げろ。

 その旗こそが正義であると……少年は少年らしかぬ穏やかな笑顔で語っていた。

 

 その言葉を真に受けて、友樹はここまでやって来た。


 後悔はたくさんした。

 助けられた人もいて、助けられない人もいた。

 血反吐も吐き尽くして、それでもここまでやってきた。

 後悔と苦悩と絶望の果てに辿り着いたものなんて、結局はちっぽけでありきたりなものに過ぎなかったけれど、友樹はそれでもそれを恥じたりはしない。

 本当は恥じているけれど、外面ではふてぶてしく笑ってみせよう。

 自分は正義の味方なのだから……せめて、それくらいはしてみせないと。

「……鞠」

「はい」

「あいつのことを、頼む」

「それは、ご命令ですか?」

「いいや」

 友樹は首を振って、鞠の目を真っ直ぐに見据える。

「命令じゃない。……ただの頼みだ」

「……了承しました、我が主」

 鞠は恭しく頭を下げる。主に対する臣下のように、ゆっくりと頭を垂れた。

 主に礼を尽くす、ただのメイドがそこにいた。

「その頼み事、我が全身全霊を尽くして果たしましょう。私は貴方の道具にして、貴方の命を果たすただの侍従。……せいぜい、有用に遣い潰してください」

「……絶対に使い潰してなんてやらん。生きて帰れ、馬鹿野郎」

「わがままですね、我が主は」

「お前よりはましだ」

「では、善処しましょう。……いつも通りに」

 メイドはにっこりと笑い、不機嫌そうな主の瞳を真っ直ぐに見つめる。

「ところで友樹様……一つ、ご相談が」

「あんだよ?」

「戦力がいささか足りません。電子兵装はニートがなんとかするとしても、私一人で彼女の兵団の全てを相手にするには少し荷が重いかと」

「……分かったよ」

 有坂友樹……いや、白の魔法使いは溜息混じりに己の武器を懐から取り出す。

 それは、一本の白銀に輝く万年筆。……その銘を(シロガネ)という。

 願いを貫く一振りの筆を軽く握り、現存する最強の『助力使い』、ユーキ=シリアスホワイトはメイドに三つあるうちの一つの魔法をかける。


「白き助力は今ここに……現象せよ、White・Holy・Dress」


 それは、小さな妖精が創意と工夫の果てに作り出した豪華絢爛な純白のドレス。

 花を象った純白のヴェールに、地面についた流れるようなスカート、あらゆる黒を払拭するウェディングドレスをまとった鞠は、腰に不釣合いな日本刀を差した。

「では、行って参ります」

「……おう」

「最後になるかもしれないので一応言っておきますが、友樹様の馬鹿な妄想がたっぷり詰まったこの魔法、相変わらずクソみたいに動きづらいです」

「…………や、それ創ったの妖精だから」

「はいはい、ワロスワロス。どうせ幻覚症状の一種でしょう?」

「ワロスゆーなっ! いい加減にしないと、これからネット廃人って呼ぶからなっ!」

「ぶー、つまんないの」

「可愛く拗ねたってダメ。行くんだったらさっさと行け」

「はーい。とりあえず私がいないからって女の子連れ込んだら、プッツンしますから覚悟しておいてくださいね♪」

「………………」

 最後まで毒を吐くのを忘れないメイドは、疾風怒濤の勢いで姿を消した。

 強風に煽られて倒れそうになりながらも、そこは男の意地で耐えた友樹は、深く深く溜息を吐いて、ゆっくりと座り込んだ。

「……ったく、恨むぜ親友。お前はいつも俺を大切にしすぎだ」

 毎度毎度ウエディングドレス姿に見惚れてしまう自分に少しだけ自己嫌悪しながら、

 友樹は顔をしかめて、彼にしては珍しく、親友である彼に毒づいた。



 笑う笑う笑う笑う笑う笑う笑う笑う。

 真っ黒な部屋の中で、ニートと呼ばれた彼女は不吉な笑いを浮かべていた。

「……ふふふふふふふふふ」

 にやにやと笑いながら、ニマニマと笑いながら、目に映らない速度で彼女はキーボードに文字を打ち込んでいる。

「いいねいいねいいねいいね実にいいねキツネくん。さすがキミだ。さすがはキミだ。もしもボクに伴侶っぽい不良青年がいなかったらうっかり惚れてしまうくらいだ。素晴らしい顛末だ。素晴らしいほどに悪夢だ。まるでボクの名前のようじゃないか」

 明らかに人知を超えた速度に、キーボードがメキメキと悲鳴を上げる。

 彼女はニヤニヤと絶望的に楽しそうな笑顔を浮かべながら、キーボードに指を叩きつける。画面には0と1の羅列が表示されては消えていく。

 見るものが見れば、それは二進数……全ての概念が0と1のみで構成されている機械言語だと気づいたことであろう。

 さながらそれは、機械と会話をしているかのようだった。

「手を貸してくれとは実にキミらしくないじゃないか。……キミがそこまで追い込まれたのは生まれて初めてじゃないかな? そう、ただ情報が欲しいというのではなく、全面的にボクの手を借りようというくらいなのだから、実際には後先なんて考えちゃいないんだろうねェ。……まったく素晴らしいよ、キツネくん」

 ガガガガガガガとキーボードの音が破壊的になっていく。

 それでも、彼女は指の速度を緩めようとすらせず、笑い続けていた。


「驚いたよ、心底。……まさかボクに友達から救援要請があるだなんてね」


 死之森あくむ。

 利用する女。破壊する女。電子クラッカーにしてワールドクラッシャー。

 彼女は生まれてこの方……人に助けを求められるという経験が二回しかない。

 一回は惨殺たる彼の要望に答えてのことで、

 今回が二回目だった。

 ましてや、友達に頼られるのは今回が最初で最後かもしれない。

「了解したよ、キツネくん。キミの望み通り、ボクは壊して潰して引きずってミンチにしてやろう。キミのために、キミのために、キミのためにダンスを踊ろうじゃないか」

 最後にあくむはエンターキーを叩いた。

 それで、作業はほぼ完了。あとは現地をイメージしての仕事となる。

「さて、それじゃあ調子こいてる娘ちゃんに一発かましてやろうかな。……キミの望み通りにね、レッドフォックス」

 あくむはそんなことを呟いて、使い潰したキーボードを粗大ゴミに放り込む。

 そして、今度は壊れにくい鋼鉄製のキーボードを用意した。



 高倉望は赤髪の病弱な少女である。

 彼女には最近、兄が一人いることが判明した。眼鏡で、普通で、ちょっとどころかかなり面白い、目が細い兄貴である。

 基本的にも応用的にも面白い誰かが好きな望は、会話を交わすなり一瞬で兄に懐いている。彼女が異性にこれほどの好意を示すのは生まれて以来始めてのことで、後々考えるともしかしてアレは初恋だったんじゃないかと思うようになったりもしている。

 このことは彼女が成長するにつれ、色々と厄介なことになっていくのだが、まぁそれは別の物語の話であり、現在の話とは一切関係がない。

 そんな彼女は、いつも通りに寝る前に兄にメールを出していた。

 携帯電話でのメールなのだが、いつもならば三分以内に届くはずのメールが、今日は五分経過しても来る気配がない。

 兄の携帯電話は、世界中のどこにいても通話可能な代物だというのに。

「…………おかしい」

 望は一瞬で察知した。

 この時間帯ならば兄が起きている時間だろうし、まず間違いなく兄は自分を悲しませるような真似を回避しようとするはずだ。

 ただその一点。普通の人間ならば気のせいで済ませるような、たった一つの違和感から望は兄が実はものすごくピンチなんじゃないかと思っていた。

 ほとんどの場合それは杞憂で、大抵は兄に直接電話をかけた後「んー、おにーちゃんは元気ですよー? ただちょっと眠いだけで」とか言われてしまうのだが、この時ばかりは状況が違った。

 望は腕組をして少し考えた後、今の段階で最も信頼できる人物に電話をかけることにした。

 相手は3コールちょうどで電話に出た。

『はい、橘ですけど?』

「もしもし、美咲お姉ちゃん? 望だけど」

『ん、のぞちゃん? どうしたのこんな時間に。パパと喧嘩でもした?』

「っていうか、お兄ちゃんが電話に出ないの」

『………………』

 奇妙な沈黙。電話の向こうの相手は、ゆっくりと溜息を吐いた。

『……なるほど、ね。こういう意味か』

「美咲お姉ちゃん?」

『のぞちゃん。一つだけ覚えておいて。……パパはね、極端に年下に甘いの』

「え?」

 意外極まりない言葉に、望は一瞬唖然となる。

 橘美咲は、フンと電話の向こうで鼻を鳴らして、不機嫌そうに言った。

『たぶん、陸兄も冥お姉ちゃんも同じようなことを言われてると思うけど、とりあえず私が言われていることは二つ。一つはのぞちゃんを守ること。もう一つはデヴィルなシスターを守ること。……どんな手段を使ってもいいからってお墨付きでね』

「……なにか、あったのね? 美咲お姉ちゃん」

『よく分からないわ。《連絡が取れなくなったら》そういう風に対処しろって言われてるだけだから。……ただ、なんとなく推測はできると思う』

「ああ、それは望もなんとなく分かるよ」

『……で、どうする? それが分かって、パパの言うコトを素直に聞く?』

「まさか」

 恐らく電話の向こうの相手と同じように、望は口元だけで不敵に笑う。

 まるで最強のように、ふてぶてしく笑った。

「お兄ちゃんをいじめる奴は、私が八つ裂きにしてやるんだから」

『のぞちゃん……それ、ちっとも可愛くない。むしろ怖い』

「で、美咲お姉ちゃんはどうするの?」

『恩義を返しに行くよ。借りは返せないほど溜まってるからね、ここいらでちょっとずつ返済していかないと』

 電話の相手は苦笑しているようだった。

 望も、相手に合わせるように苦笑した。

「じゃあ」

『そういうことで』

 会話としてはたったそれだけだが、互いの思いだけは痛いほどに伝わったと感じる。

 望は携帯電話をポケットにしまいこんで、遠出をする準備を始めた。



 遠くを見つめながら、高倉織はゆっくりと溜息を吐く。

「……これがお前の狙いかよ、馬鹿旦那」

「ご名答だよ、奥さん。僕は息子が強くなるためならなんだってやるのさ」

「やり口がいちいちえぐいんだよ」

「現実はもっとえげつない。この程度で済めば、御の字だよ」

 世界に抹消された誰かは、そう言いながら目を細め、口元を歪ませる。

 その程度と言っておきながら、山口コッコと呼ばれた女の行動に二番目に怒っているのが彼だった。

「……ったく、これだから最近の子は軟弱なんだ。僕の言葉の意味も考えずに真に受けて、否定することもなく受け入れるなんて、どこの馬鹿のやることだ?」

「きょーちゃんの言葉はいちいち真に受けそうな信憑性があるんだよ。……実際には全然そんなことはないのにな」

「背が低くて可愛くて腕力がない男の性格が、いいわけないでしょうが」

 当たり前のように言い放ちながら、嘘吐きはにやりと笑う。

 まるで、全てを嘲笑うかのように。

「あの女は下らなくてつまらなくて全然さっぱり最低極まりない。人には思考能力があるんだから考えて考えて考えて考えろ。真に受けるな、常に疑え、……怠惰に聞いたことだけを信じるような生き方は、すぐにやめてしまえばいい。転じて生きるのもやめろ。はっきり言えば存在が迷惑だ」

「……それ、直接本人には言ってねぇな?」

「言ってないよ。……僕はね、僕の好きな人にしか忠告しないのさ」

 最低なことを言いながら、嘘吐きは苦笑する。

「ま、言いたいことは息子が全部言ってくれるだろうからね、言わないことにした」

「……お節介が」

「いいねぇ、それは褒め言葉だ。ちょっと嬉しくなっちゃうな。ちゅーしていい?」

「………………きょーちゃんにイニチアチブ取らせると妙にエロくなるからやだ」

「あっはっは、織さんは可愛いなぁ」

 ある意味では世界最強を手玉に取る嘘吐きの旦那は、心底楽しそうに笑う。

 この夫婦、妻が暴れ放題で夫が暴走しないようにその手綱を握っているように見えるが実際は逆である。

 妻のやることには計画性がないが、夫のやることは綿密に計算しているので、さらに注意が必要だったりするのだ。

「で、きょーちゃん。……今回のこの仕込み、なんか意味があったのか? 息子に色々と押し付けてたみたいだけどさ、また世界がどーとか時間がどーとか、そういう重要なことに関わってたりするのか?」

 わりと核心に迫る質問に、嘘吐きは少し考えてからあっさりと答えた。

「そんなには重要でもなんでもないんだけど、黒霧さんの姉妹がちょっとね」

「おう、あの萌えメイドね。あれがどうしたの?」

「息子に預けないまま放置されてたら、舞ちゃんは散々追っ手と戦った後に無残に死んじゃって、それを見ちゃった冥さんが《廃滅なる絶望》として覚醒。全魔法使いとキミを殺害後、人類の80%を隷属化するという裏シナリオに突入していたという設定が……」

「……設定とかほざいてる時点でありえなくね? っていうか、それは嘘だろ?」

「ま、嘘かどうかなんてどーでもいいことさ。ありえない未来を夢想しても、意味なんて何一つないんだから」

 飄々とした口調で言いながら、嘘吐きはにっこりと笑う。

 その笑顔だけは、心からのものだった。

「ところで織さん。今回は息子のピンチに駆けつけたりはしないの?」

「どーせ、きょーちゃんが止めるだろうが。……それに、これは息子の戦いだからな。手出しはしねーよ」

 不貞腐れたように言う織の横顔を、嘘吐きは楽しそうに見つめる。

 そして、彼は不意に織の頬をぷにりと軽くつまんだ。

「……あんだよ?」

「なんでもないよ、奥さん」

「……………けっ」

 毒づきながら、織はゆっくりと溜息を吐いて遠くを見つめる。

 それから、自分には似合わないが『助けない』という我慢をすることにした。



 山田恵子は、戸籍上は十七歳の少女である。

 しかし、実際のところは生まれてから十年しか経っておらず、その十年も最初の八年程度は人の頭を遠くから吹き飛ばしていた記憶しかない。

 狙撃銃を分解して、整備して、完璧な位置取りをし、引き金を引いた。

 その過程でどこをどう動けば相手を確実に制圧できるのか、どこを殺せば行動不能にできるのか、そういった戦術、戦略の類を学んでいるのだが、彼女にはその自覚はない。

 現在はそれなりに幸せで、最近は人の頭を狙う仕事も極端に減っているし、学校には通わせてもらっているし、死神のお面をつけた彼の進言もあって、バイトもさせてもらっている。

 バイトをする前までは恵子が今いる飛行船内に住んでいたのだが、バイトをするようになってからは、その死神のお面をつけた彼の家族と一緒に住んでいる。

 自分には分不相応な……とてもとても、幸せな環境だ。

 ただ、今の彼女は酷く憂鬱で、重い気分だった。

 今回の作戦に異論はなく、自分がやることも明確で、補給路は完全で味方も多く、なにより誰も死ぬことがない比較安全な作戦だというのに……作戦の前から参っていた。

「よ、隊長。なに重い顔してん……だっておいこらっ!!」

 戦場に出る時は確実に死神の仮面をつける男が、恵子のいる部屋にひょこっと顔を出して、顔がまるで見えないくせに顔色を変えたのが丸分かりな狼狽を見せた。

「馬鹿かお前っ! なんで鼻血垂れ流しにしてんだよっ!」

「じき止まります。貴重な支給物の無駄はなるべく」

「うるせぇ、黙れ。タコ」

 彼が本気で不機嫌な時の声で答えたので、恵子は口を閉ざした。

 死神は頭をがしがしと掻きながら彼女の鼻にティッシュを詰めていく。

「俺が誰だか分かるか?」

「死神礼二さん。キツネくんが絡むと極端に任務成功率の落ちる人」

「自分の好きな物は?」

「チーズ挟み焼きハンペン」

「今回の鼻血の原因は?」

「極度の緊張とストレスによるものです。私の悪癖のようなもので、新兵の頃はほとんど垂れ流しでした」

「………………」

 死神は極端に不機嫌なオーラを発すると、恵子の額にデコピンをかました。

「……痛いです」

「お前は俺が同じ状況になったらどう思う? 鼻血垂れ流して、腸とか丸出しで、血反吐吐いて地面に倒れてたら」

「………………」

 考えただけで、死にそうになった。

 それでも最後に残った意地で泣き喚くのだけは堪え、恵子は死神を見つめる。

「……やです。死んじゃやです」

「………………」

「死神さん? どうしていきなり顔を逸らすんですか?」

「んー……いや、なんでもないなんでもない」

 パタパタと手を振りながら、死神はなにかを誤魔化すように目を逸らす。

 実際には涙目になった恵子がかなり可愛く、思わず照れてしまったりしたのだが、そこを口に出さないのはただの男の意地であった。

「とりあえず、気分は悪くねぇんだな? 意識もはっきりしてるな?」

「大丈夫です。……死神さんはどうか分かりませんけど、私はこう見えても、生まれた時から今まで病気なんてしたことないんですからね?」

 恵子はそう言って笑った。

 思わず『隊長』ではなく、自分と一緒に喫茶店で働いている『山田恵子』の口調になっていたことに微笑ましさを感じて、死神は仮面を外して笑い返す。

「……そっか。ならいい」

 そう言って、恵子の髪を優しく撫でる。

「とりあえず、今は寝ろ。不安ならついててやるから」

「……不安ではありません」

「じゃ、言い換える。俺が不安だから、寝るまで側にいる」

「……分かりました」

 山田恵子こと隊長は、唇を尖らせたままベッドに横になる。貧血で頭がぼんやりしていたためか、死神がこっそり血のついたシーツが恵子に触れないように避けていたことには気づかなかった。

「……なんか、最近ちょっと眠いんです」

「学園祭とか色々あったし、疲れてるんだろ」

「そうです……か? って……あれ?」

 死神さん。なんで学園祭のこと知ってるんですか?

 山田恵子はその言葉を言う前に、プッツリと意識を失っていた。



 死神礼二は溜息を吐く。

 彼女の横顔を眺めながら、握り返してくる手を握りながら。

 口元を緩めている自分に気がついて、心が張り裂けそうになるのを感じていた。

「……やれやれ、だな」

 そろそろ限界であることは感じていた。

 安息と安寧の世界。自分が生きる場所ではない世界。

 小さな喫茶店で働くようになった、妙に肩肘と意地を張った女の子。

 色々とフォローをしているうちに情が移って、愛情になってしまった。

 俺ってロリコンなんじゃねーかと三ヶ月くらい悩んで、円形脱毛症になった時点で悩むのをやめることにした。

 好きになったもんは仕方がない。実年齢十歳だろうが、それは仕方ない。

 世話焼きな自分を恨んで、諦めようと思って……破綻が来たことに気づけなかった。

 死神は優しくない。

 死神は殺す者だから、愛とか恋とかしちゃいけない。

 分かっていたことなのに……分かっていなかった。

 もしも……もしも、一瞬の気の迷いかなにかで、好きな人を殺すところをほんの少しでも想像してしまったら。

 もう二度と、人が殺せなくなる。

 殺すよりも先に、自分が自分に殺される。

 心に破綻をきたすから。

「……ま、でも今回ばっかりは……あいつにゃ悪いが、殺させてもらう」

 あの子と出会って人が殺せなくなるかもしれないが……あの子と出会えなくなるよりは殺した方が百倍くらいはましだから。

 なにをしてでも殺さなければならない。……あの、兄を殺した女を。

 たとえ自分が……。

 死神じゃ、なくなったとしても。

「やれやれ、なんでこうなっちまうのかね……くそったれが」

 現在死神をやっている彼は、今にも死にそうな青白い顔のまま、陰鬱に笑った。



 目を覚まして、最初に浮かんだのはみんなの顔だった。

 たくさんの人と、出会った。

 みんなの笑顔を望んだこともあったけれど、僕は正義の味方には絶対になれないから、そういうものは諦めて、大切な誰かの笑顔を求めた。

 そのことを間違いだとは思えない。ばーちゃんが言っていた通り、人間が守れるのは自分の周囲1メートルだけで、それ以上は分不相応。

 けれど……その手を握ってくれる誰かがいた。

 ……それだけで、十分だった。

 僕にとっては、それだけで本当に十分すぎたから。

 だから、誰かを殺した人の気持ちなんて、分からない。

 だって、誰かを殺すってことは、その人の命の責任全部を背負うってことだから。

 そんなことは……僕らが日常でやっている。

 ウサギだろうが人間だろうが、僕らはなにかを殺しながら生きている。

 生き続ける限り業は積みあがって、終わらない宿題とか返せなくなる借金とかを、僕らは永遠に払い続けなきゃならない。


 命に重みなんてない。

 命も存在も概念も、結局はそんなもんだった。

 ……重みを感じるのは、大切な誰かだから。

 みんなのことが好きだから、僕はいつでも笑っていられた。

 みんなのことが好きだから、僕はいつでも僕でいられた。

 みんなのことが大好きだった。


 だから、許さない。

 それを否定することだけは、許せない。

 たとえコッコさんだろうとも、これまで積み上げてきたもの、母さんの子供だということ、父さんの息子だということ、ばーちゃんの孫だということ、望の兄だということ、章吾さんと出会ったこと、冥さんと買い物に行ったこと、舞さんと遊んだこと、京子さんと食事に行ったこと、美里さんにいじめられたこと、美咲ちゃんと訓練したこと、陸くんが頑張っていたこと、友樹と再会したこと、虎子ちゃんが笑っていたこと、委員長の小言が楽しかったこと、麻衣さんと友達だったこと、唯さんに告白されたこと、要さんが章吾さんとのデートの時にずっと笑っていたこと、アンナさんが学園祭の時に嬉しそうにしていたこと、死神さんのお節介、鞠さんの冷笑、あくむさんのだらしなさ……そして、コッコさんの泣き顔も、忘れてなんてやらない。

 それは、僕と僕以外の誰かが積み上げてきたものだ。

 誰にも否定させない。かけがえのない、それだけ価値のある時間だった。

 悔いもたくさん残して……それだけの嬉しさも残してきた。

 それだけの時間を……否定することだけは、絶対に、許さない。


 許さないから組み替える。

 許せないから組み立てる。

 許すわけにはいかないから……全部壊して作り直す。

 母さんから習った格好つけをやめた。

 父さんから習った嘘と誤魔化しをやめた。

 章吾さんから習った笑顔もやめた。敬語もやめた。拗ねるのもやめた。

 悲観は最初から持っていない。美里さんから習った楽観も今ここで捨てる。

 勇気は同じ名のあいつに渡してきた。

 人から貰った全部をかなぐり捨てて……俺は、立ち上がった。


「……あの女、俺を誰だと思ってやがる」


 生まれて初めて拗ねるのも嘘を吐くのもやめて、俺は前を向いていた。



 坂の上の屋敷の前に、月ノ葉光琥は立っていた。

 初めてこの屋敷に来た時は、こんな風に終わるとは思っていなかった。

 でも仕方がない。全部自分が悪いんだから……全部、自分のせいなんだから。

 責任は、取らないといけない。

 彼の誕生日に手渡すはずだったオルゴールを屋敷の門前に置き去りにしながら、彼女は涙を一つ落とす。

 死にたくないのは山々だったけれど、苦しいのも事実だったけれど。

 死のうと決めた。誰の心からも消えようと思った。

 だって……自分は誰のためにもならない、身勝手な人間だから。

 彼女はそう決めて、そう思い込んで、ホルスターから鋏を引き抜いた。

 毎日手入れは欠かしていないからいつでも起動はできたけど、そうしなかったのは躊躇っていたのと……そう、彼のことが好きだったからだ。

 だから、彼のためになるなら躊躇はしない。

 彼女は微笑みながら、手入れをしていた庭木に芽生えた新芽に鋏を伸ばして、

 パチン、とそれを刈り取った。


 彼女が手入れしていた、庭の全てが鳴動した。


 下準備なんてとっくの昔に終わっていた。

 彼女は最初から、過去に起こした自分の過ちをなんとかするために、『屋敷の大きくて広い庭』が必要だったのだから。

 時間転移結界陣『月ノ葉参式』。

 月ノ葉の最秘奥とされるその結界は、土とそこに自生する木々に手を加えることにより、少しずつ時空を歪ませる。

 そして、設定したスイッチを入れることによって、『結界を敷いた範囲限定の時間移動』を可能とするのだ。

 つまり、屋敷の中に結界を敷いたのなら、『屋敷の過去』に行くことはできるが、他の場所の過去には行けないということになる。正確には行けないのではなく時間の狭間に引きずり込まれて、元の場所に戻ることができなくなるのだが、それはどちらでも同じことだろう。

 人類が成し遂げられない時間旅行を体現するこの技法ではあるが、言うまでもなく欠点が満載している。

 一朝一夕では結界が完成しないこと、毎日の手入れが必要なので手間がかかりすぎること、時空が歪んでいる間は鳥や虫一匹たりとてよりつかなくなるため、下手をすれば異常を感知した『神族』に誅殺されてしまうこと、完成しても三十分程度しか結界が持続しないこと、時間移動をできる範囲が結界を敷いた場所だけになる……など、メリットに比べてデメリットが多すぎる。

 某タイムマシンと違って、あまりにも非効率過ぎるため、いくら理論があっても実証する人間などいるはずもない。

 しかし、常人には不可能なそれを、彼女はやってのけた。

 自責と後悔の果てに……成し遂げてしまった。


「ホント、馬鹿もここに極まれりって感じですよねェ」


 そんな彼女を、嘲笑う誰かがいた。

 手にシルクの手袋を嵌めている以外は見慣れたメイド服姿で、彼女は悠然と光琥の前に立っていた。

「……舞、さん?」

「ええ、山口さん。あ、今は月ノ葉さんって呼んだ方がいいですか?」

 ヒゥンヒゥンと糸を操りながら、黒霧舞は光琥を見つめていた。

 いつも通りではない真剣な眼差しで、彼女は彼女を見つめていた。

 それでも、少しだけ面食らったが、光琥は鋭い眼差しで舞を睨み返す。

「……舞さん。どうやってあの島からここまで戻ったのかは分かりませんが、ここはすぐに危険な場所になります。早く避難を」

「ざけたコトぬかしてんじゃないですよ、ババァ」

 ゾクリ、と光琥の背中を寒気が這い上がる。


「人の居場所を奪ったくせに……いつまでも、甘えてんじゃないですよっ!!」


 憎悪がそこにあった。

 憎しみがそこにあった。

 後悔がそこにあった。

 心で泣いて顔で笑っている女の子が、心の底から叫んでいた。

 全登場人物の中で最も甘えん坊で、最も苛烈で、最も優しい女の子は、

「死にたいのなら……私が、殺してやるっ! 自分のことも大事に出来ないような人なんかに、生きる資格なんて、これっぽっちもないんだからっ!」

 泣き叫びながら、

 絶叫しながら、

 彼女は、光琥の前に立ちはだかった。



 第四十三話『Good by My World(上)』END

 第四十四話『Good by My World(下)』に続く



 現在の状況。


 次回戦闘カード(修正版)。


 世界制圧兵団 VS 芳邦鞠(W・H・D)&死之守あくむ。

 精鋭兵団 VS 美咲&望。

 月ノ葉香純 VS 月ノ葉鞠絵(W・H・D)。

 死神礼二&山田恵子 VS ミサト(B・S)&キョーコ。

 執事スミス VS 黒霧冥。

 月ノ葉光琥 VS 黒霧舞。


 保留カード。


 ??零?。→????。

 ルゥラ=ラウラ→傍観確定。

 獅子馬麻衣→傍観確定。

 高倉織→傍観確定。

 虚構士(彼女の夫)→傍観確定。

 ■■■■(彼)→????。

正しき怒りはここに。

彼は怒り、彼女は叫び、戦いは始まる。

己の意地を通すために。


次回 Good by My World(下)


なにがグッバイだこの野郎。

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