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第四十話 大逆転と反流転

コメディ分、ちょっとだけカット。

その代わり次回はコメディ。ただし、ラストコメディ。

それまでに命題は解けるでしょーか?

 キミになりたい。アンタになりたい。

 叶わぬ望みの裏表。



 彼には師と呼べる人間が腐るほどいるが、本当に師匠と呼んでいたのはたった一人だけで、彼女は母親の愛のライバル兼理解者兼友達だった。

 ついでに言えば武術の師範でもあり、戦い方の基本は彼女に教わった。

 とはいえ、彼女は特別強かったというわけではない。子供の頃の彼から見ても、極めて普通の女性だった。ただ和装と長い髪と扇子が似合う、そんな女性だった。

 けれど、彼女は絶対無敵だったのだ。

「典雅に欠けますよ、弟子。なんでもかんでも死に物狂いになればいいというものでもありません。……ありていに言えば、ここは負けてもいいところです」

 散々痛めつけられて鼻血を流し、それでも立ち上がった弟子に彼女は言う。

「貴方には才能はない。それでも、『才能がない』という領域の中で戦う根性は持ち合わせている。……ならば、才能がないまま戦えばいい」

 武術の稽古をしているのに振袖を着ている彼女は、鉄扇を広げ妖艶に笑う。

「負けなさい。負けることが悔しくなくなるくらいに負けなさい。負けたら必ず分析なさい。原因を洗い出し、徹底的に排除しなさい。決して相手のステージで戦っては駄目。運に頼るのも駄目。流されるのも信じるのもやめなさい。なにもかもを疑いなさい。なるべくなら戦いは避けるようにしなさい。戦ったら負けと思いなさい。……そして、戦う時は徹底的に、相手を完膚なきまでに叩き潰しなさい。それでも誇りを忘れずに、心に一つの御旗を立てて戦うのよ」

 精神修練だとか、心を育てるだとか、そういうことは一切言わない師匠だった。

 負けても死ななきゃいいと平気で口にする師匠だった。

 凡庸なまま最強と渡り合う、そういう女だった。

「みんなが特別になりたがるけれど、『特別』などというものは結局のところ『弱さ』の証明でしかない。特殊な存在は、ただそれだけで孤立するし、その特殊性が故に大抵の場合は『一点突破』にしか向いていないの。弱点を突けば必ず勝てる。……そして、なんでもできる貴方の母親であろうとも、絶対に勝てない相手というのが必ず存在する」

 稽古のついでに、彼女は必ず風呂に入るのが常だった。

 話の内容はよく分からなかった幼い少年は、彼女に言われるがままにシャカシャカと彼女の髪を洗っていく。師匠の言うコトは真に受けるなと母親は言っていたが、少年は師匠のことが大好きだったので、忠告は聞き流した。

「とまぁそんな感じなのだけれど……弟子、ちゃんと聞いてるのかしら?」

「はい、ししょー! ……ししょー? どうしたんですか?」

 急に突っ伏して湯船に顔を沈めた黒髪の彼女は、顔を上げて思い切り溜息を吐いた。

「……いえ、なんていうかね。遺伝子って不思議だなって、ちょっと思ったのよ。……あの奇天烈女と色ボケ亭主からどうしてこんな可愛い子供が生まれるのかしら?」

「?」

「まぁ、そうね……つまり、弟子は可愛いわねってことよ」

 彼女は笑いながら少年の頬を撫でて、少年は嬉しそうに笑った。

「で、弟子。今日はなにが食べたいかしら?」

「ひややっこかごーやちゃんぷるーがいいです、ししょー!」

「……なんでこう、嗜好がちょっとオッサンっぽいのかしら」

 可愛い弟子の将来を心配しながら、師である彼女は苦笑する。

 どこまで行っても凡庸な弟子は、にこにこと嬉しそうに笑っていた。



 メイドとは、燃えの化身である。

 萌えではない。燃えである。古今東西どこを見回しても、『萌え』なる概念に抵触するメイドはメイドではない。それは、エプロンドレスを着た家政婦さんである。

 エプロンドレスを着た家政婦こそがメイドという職業なのだろうが、『到達』してしまった彼女たちはそうは考えない。メイドとは家事をこなすだけの職業ではなく、ましてや主に仕えるだけの存在では決してない。


 メイドとは、燃えの化身である。

 漢と書いておんなと読み、メイドと書いておとこと読む。

 つまり、メイドとは心に御旗を立て、烈火の魂を抱く者なのである。


 と、いうような胡散臭いことを説明してから、彼女は熱っぽい溜息を吐いた。

「……素晴らしい働きっぷりですね。思わず、スカウトしたくなります」

「やめてくれ、頼むから」

 メイド服に着替えた友人の後姿を見つめながら、友樹は溜息を吐いた。

 テキパキとしたそつのない動き、お客様に向けられた柔らかな笑顔、紅茶の入れ具合やティーカップの出し方。彼は、メイドとして十分な働きを見せている。

「本当に素晴らしい。あれほどのメイドは、有坂家にもそうはいないでしょう」

「……いや、いるだろ。鞠を除いても五十万人くらいは」

「残念ながら、私を除いても彼の働きに匹敵できる侍従はいませんよ」

 鞠はきっぱりと断言して、運ばれてきたチーズケーキに舌鼓を打つ。

 今日はオフの日なので鞠が身につけているのは動きやすそうな私服である。

 もちろん、言うまでもないことだが彼女がここにいる理由は、学園祭でみっともない服装をするであろう友樹を激写することである。

「うーん……友樹様の着物姿以外に面白いところなど何一つないと思っていましたけど、予想外でしたね。まさかあそこまでやれる人がこの世界にいるとは」

「あそこまでやれるって……何気なくあいつもけっこー失敗してるんだが。オーダーミスしたり、さっきなんかはパフェの盛り付けをテキトーにしてたしな」

「それでいいのですよ」

「……へ?」

「友樹様、貴方は少しばかりメイドというものを勘違いなさっているようです」

 鞠はきっぱりと言い放つ。

「確かに、彼の働きぶりは並より少し上というところでしょう。しかし、彼には他の誰にも真似できない武器がある。それこそが、メイドとして最も必要とされる要素であり、逆を返せばそれ以外には必要ないのです」

「武器?」

「笑顔です。見るだけで人を安心させるだけの……しかし、それこそがメイドにとって最も必要とされるもの。メイドの役割とは、雇用主に対し安心と安息を与えることなのですから」

 鞠はそう言いながら、テキパキと働く彼を見つめる。

「本当に勿体無い……殿方でさえなければ、すぐにでもスカウトしますのに」

「あいつが男で本当に良かったよ。……鞠に教育された親友なんて、恐ろしすぎて考える気も失せる」

 と、友樹が嫌そうな表情を浮かべてかなりげんなりしていると、メイド服の彼は不意にこちらに近づいてきた。

「こら、親友。サボっちゃダメでしょうが」

「……なぁ、親友。頼むからその口調やめねーか? なんかこう、落ち着かない」

「悪いけど、今日は一日この口調で貫かないと美里お姉さまに『お・し・お・き』をされてしまうんですよ。……ホント、それだけはまぢで勘弁っていうかね?」

 真っ青な顔色になった彼は、一瞬だけ死ぬほど嫌そうに顔をしかめたが、次の瞬間には元の笑顔に戻っていた。

 人を安心させる、柔らかくて暖かい笑顔に。

「まぁ、私の店番は午前中だけですから、せいぜい自分を騙し続けますよ。……さすがに、一日中このテンションだと発狂しちゃいそうですし」

「……無理すんなよ、親友」

「そっちこそ、手は抜かないでくださいね、親友」

 口元を緩めて注意を促してから、彼は笑顔のまま客席に向かった。追加オーダーのコーヒーをてきぱきとした動作で煎れ、客に笑顔と共に出した。

 彼の働く姿を見つめながら、鞠はポツリと呟いた。

「……なんで彼と友樹様がくっつくルートが存在しないんでしょうか?」

「鞠サン?」

「冗談ですよ」

 意地悪っぽくにやりと笑う鞠の目には、本気しか見て取れなかった。

 友樹はゆっくりと溜息を吐いて、かいがいしく働く彼の姿を見て、さらに深く溜息を吐くのだった。



 自分を騙すことは一番難しいことだと、私の師匠は語っている。

 誰しもが自分を偽って隠している。偽らなくても隠さなくても生きていけるのは、貴方の母親のような馬鹿だとだけ言いながら、師匠はよく笑っていた。

 言葉の裏には『羨ましいけど、あいつにだけは絶対になりたくない』という本音が含まれていたのかもしれないけれど、それは私にはどうでもいいことだ。

 どうでもいいことは気にしない。これも、師匠が教えてくれたこと。

 で、なんで師匠の名前が出てくるかというと、私が以前勤めていたバイト先の店長がなにを隠そう師匠で、そのバイト先でよく女装をさせられていたからなのだった。

 結局のところ、章吾さんにバイトをしていることがばれて結局やめることになってしまったのだけれど、その時にはもう目的は果たしていたから未練はなかった。ちなみに、女装を見られたわけじゃないので、それが唯一の救いと言えば救いだろう。

 ……まぁ、師匠の楽しそうな笑顔が見られなくなるのは、ちょっと未練だったけど。

 こうやって仕事をしながらも、やっぱり私は和服美人に超弱いんだなぁとしみじみ実感する今日この頃だったりする。

「はい、ブルーマウンテンとショートケーキです。ご注文は以上でしょうか?」

「ん、まぁこんなもんでいいか。……ところで、このクラスに山田って子いない? もしくは竜胆って、手足の長いちょっと間抜けなヤツ」

「委員長と虎子さんは今出払っております。お呼びいたしましょうか?」

「……んー、まぁいいや。ここで気長に待つ」

 ちょっとぼんやりとした感じのハンサムな美青年さんは、恐らく持参であろう新聞を広げてコーヒーに口をつけた。

 私は伝票を彼の横に置きながら、さりげなく聞いてみる。

「ちなみに、お二人とはどういったご関係で?」

「俺は虎子の兄貴だ。恵子とは同じ職場の仲間で、俺がチーフで恵子がバイト」

「虎子ちゃんの? へぇ……」

「……あいつ、迷惑かけてないか? なにかと言えばドン臭いやつだからな、クラスでも浮いてるんじゃないかとちょっと心配だ」

「迷惑は……まぁ、ちょっとだけ。でも、虎子ちゃんはいい子ですよ」

「……俺には、キミの方がいい子に見えるけどね。と、いうわけでコーヒーおかわり。ミルクは三つ、砂糖は四つで」

「はーい。コーヒー追加入りましたー♪」

 私はいつも通りの笑顔で対応し、テキパキとコーヒーを入れて彼に出した。

 ちなみにコーヒーにはミルクと一緒にこっそりとチョークの粉と料理用の片栗粉ときなこを少々混ぜておいた。

 ついでに委員長にメールを入れておく。

『あと五時間くらいは超余裕。楽しんできてね♪』

 我ながら『シットみっともない』といった感じではあるけれど、まぁ私の今の状態を考えれば八つ当たりもやむなしといったところだろう。こうやって自分を騙し続けていないと、ふとした拍子に我に返って自殺してしまうかもしれない。

 生き恥を晒していても、こんな馬鹿げたことで死にたくはない。

 と、私が陰険なことをしていると、不意に後ろから肩を叩かれた。

 振り向くと、そこには見覚えがある、ある意味ではとても久しぶりな女の子が困惑の表情で立っていた。

「あの……すみません、二年B組の催し物はここでよろしいんですの?」

 髪の毛は見事なプラチナブロンドで、瞳の色は完璧なカットをされたエメラルドのような濃緑色。顔立ちは整っていて、体つきも人形のように細い。背は百六十五センチの私より頭一つ小さいくらい。

 三条院アンナさんが、そこにいた。

 私は咄嗟に営業スマイルに切り替えて、にっこりと笑う。

「はい。二年B組主催、逆転喫茶はこちらになっております。ところでお嬢様、今日はどのようなご用件でしょうか?」

「……七十点。割と好みですの」

「え?」

 なんだかさりげなくとんでもないことを言われたような気がしたが、アンナさんはにっこりと笑って、言ったことを誤魔化すように手を振った。

「ああ、いえいえ。なんでもありませんの。……ちょっと自分のクラス以外の催し物を見に来ただけですから」

「そうですか。……二年生の催し物でよろしければ、ご案内させていただきますが?」

 ちなみに、これはサービスの一環で、二年生限定という条件付だけど好きな子を連れ回せるという大チャンス。ただし、利用時間が限られている上に追加料金が必要で、身分証明ができるものを提示してもらわなければならない。

 ……まぁ、このクラスの人間に限って、羽目を外しすぎたり知らない人にホイホイついて行くなんてことはないだろうけど。

 私の言葉を聞いて、アンナさんはほんの少し目を細めた。

「……八十点」

「あの、なにか仰いましたか?」

「いいえ。……案内もいいですけど、今は喉を潤したいですの」

「それでは、お席にご案内しますね、お嬢様」

「……八十五点」

 アンナさんはにこにこしながら、なんだか奇妙なコトを呟いていた。

 私はなんだか背筋に寒気を感じたりもしたけれど、彼女を日当たりのいい席に座らせて、メニューを差し出す。

 アンナさんはざっとメニューに目を通し、ほぼ一分で決定したようだった。

「アップルティーとシナモンロールを」

「紅茶の温度はいかがいたしましょうか? 喉が渇いているということなら、ほんの少しぬるめにいたしますが」

「熱くなりすぎない程度でお願いしますの」

「承りました、お嬢様。少々お待ちください」

「……九十点」

 なんだろう? 点数が上がっていくに従って、背筋がゾワゾワする。

 背中に感じる視線が妙に生ぬるく、激烈に痛いような気がするのは私の気のせいなんだろうか?

「お待たせしました、アップルティーとシナモンロールです」

「それでは、いただきますの」

 アンナさんはにこにこと笑いながら、アップルティーに口をつける。

 良家のお嬢様だから『こんな安物を出すとはナニゴトですのっ!?』とか言うかと思ったけれど、一切そんなことはなかった。

 ……ちょっと期待はずれだなぁと思ったのは、秘密だ。

 アンナさんはシナモンロールをぱくつきながら、私の方を見た。

「なんでしょうか? お嬢様」

「私は三条院アンナといいます。貴女は?」

「私は一介のメイドにもなれない人間で、名乗るほどの者ではありません。好きなようにお呼びください、お嬢様」

「……前々から思っていたのですけれど、Bさんは素晴らしいですの」

 まぁ、当然のごとくウィッグで誤魔化そうが化粧をしようが、正体は顔を見れば分かってしまうわけだけど、アンナさんは真剣に私の顔を見つめていた。

「最初に見た時、一瞬貴方のことをBさんだと気づけませんでしたの」

「人を形成しているものは、容姿と声色と骨格と態度くらいなものです。そのうちのいくつかでも他の物に置き換えれば、明日から別人になれるんじゃないでしょうか?」

「………………」

 アンナさんは、私のことをじっと見つめる。私も目は逸らさない。

「……Bさんは、別人になれるとしたら、なってみたいですの?」

「興味はありますけど、なろうとは思いません。私もそれなりにお人よしだと言われてますけれど、きっとみんな似たり寄ったりだと思いますから」

 誰だって苦悩を抱えて生きていく。

 そんなものは、私だけじゃない。みんなが同じことだ。

「……似たり寄ったりではありますけど、同じではありませんの」

「え?」

「私たちは『自分』にしかなれませんの。いつの時代も、どこの世界でも、『どこかの誰か』になった人はどこにもいません。容姿と声色と骨格と態度を変えようとも、自分以外の誰かになることは絶対に不可能ですの。……もしも、他人を完全に模倣できる人がいたとしても、それは完全なる他人を真似できる自分がそこにいるだけですから」

「……まぁ、そりゃそうでしょうね」

 自分がここにいる限り、誰か他の人になんてなれやしない。

 自分という世界がある限り、誰か他の人を理解することなんてできやしない。

 難しくなんてない。至極当たり前で当然のこと。

「でも、まぁそんなことはどうでもいいことだと思いますけどね」

「……そうでしょうか?」

「ええ。他の人になれないのなら、『自分』のまま戦えばいいだけです」

 結論としては、そんなもんだろうと思う。

 私たちは誰かにはなれない。自分にはなれる。

 だから、自分のまま戦う。自分のまま在りのままに戦えばいい。自分にないものを他者に求めるのは、決して間違いじゃないだろうし。

「……それで、いいんですの?」

「いいと思いますよ? 悩むよりまず実行って言葉は、なんだか考えなしに動いてるみたいで私は嫌いなんですけど、それが必要なことだってあります。本当に大切なものなんて他人にとってはゴミクズ同然ってこともよくあることですし。……ま、テキトーにやるのが一番ってことなんでしょうね、きっと」

 なんだか話がグルグルして、アンナさんがなにを話したいのかはちょっと謎だったけれど、私は私で話の趣旨が不明なままシンプルに答えることにした。

 悩んだ時はシンプルな方がいい。疲れたから寝る、と似たようなものだ。

 安直ではあるけれど、明日にはいい考えが浮かんでいるかもしれないし。

 私の言葉を聞いて、アンナさんは苦笑していた。

「……Bさんは、複雑なように見えて、シンプルですのね」

「性分ですから」

「それは、本当に羨ましいって思います」

「褒められてるんだか貶されてるんだか、微妙なところですねぇ」

 私は苦笑しながら時計を見る。そろそろ午前も終了。店番はクラスの人間でローテーションしてるから、私がメイド服を着るのもそろそろ終了ってことだ。

「では、そろそろ交代の時間なので、私はこれにて失礼させていただきます」

「はい」

「本日は我が二年B組にお越しいただき真にありがとうございました。またのご来店を、心待ちにしております」

 私はそう言ってぺこりと頭を下げて、その場を辞した。

 さて、それじゃあさっさと着替えてしまおう。

 少なくとも……デジカメを持った舞さんがここにやって来る前に。



 飲み込んで受け入れて諦めた男の子がいました。

 彼は普通で、当然で、とてもとても幸せな男の子でした。

「……うん、やっぱりそうですの」

 紅茶を飲みながら、三条院アンナはポツリと呟く。

「私、きっとあの人のことが好きなんですの」

 ほんの少し唖然としながら、アンナは顔を赤らめる。

 それから誤魔化すように、シナモンロールを頬張った。

 既製品のシナモンロールは考えられないほど甘かったが、今はそれでよかった。



「や、メイド。なんか奢ってくれッス」

「おいおいムッ●。語尾が間違ってるぞ。『〜ですぞ』はどうしたよ?」

 ようやく交代時間に入れたと思ったのも束の間、教室を出たところでムッ●に捕まってしまった。

 まぁ、今は赤い毛むくじゃらではなく、いつも着ているウチの学校の制服なのだけれど、とりあえずスカート丈の短さは明らかに校則違反だと思う。

「ん? どこを見てるッスか? ははん、さてはあたしの脚線美に惚れたな?」

「足が綺麗でも性格が破綻してたらおしまいだよなぁ」

「相変わらずさりげなく毒舌を吐きやがるッスね、アンタ。クラスの女子からも『あいつはコンビニ寿司についてる緑色のなんか』ってよく言われてるッスよ?」

 まぁ、容姿で見れば友樹の引き立て役みたいなところがあるのは否定はしない。

 が、それはそれとして言わなくてはならないことがあるだろう。

「……とりあえず、ここのツッコミどころはそのセリフを言った女子の頭の程度があんまり良くないことだろうな」

「失礼な。その女の子はもしかしたら三つ編みの美人かもしれないじゃないッスか」

「美人って以外はどう考えてもテメェじゃねぇかよ。一応言っておくけど、あの緑色は笹の葉のイミテーションみてーなもんだから」

「笹? なんで寿司に笹を入れるんスか? パンダじゃねーんだから」

 ……どうしよう、この子。思った以上にパッパラパーなのかもしれない。

 僕は少し悩んで言葉を選びながら、口を開いた。

「えっとな、由宇理。回らない寿司には大抵笹がついているもんなんだ」

「だから、どーして?」

「風味が良くなるんだよ。あと、魚の生臭さも消えるし、殺菌効果もある」

「でも、生の笹じゃねーと意味がないッスよ? なんでイミテーションなんて入れてるんスか? そんなもんに経費割くより、飯の量を増やした方がマシッス」

「見た目にこだわる種族だからな、日本人ってのは」

「あ、それは分かるッスよ。アンタ、可愛くないメイドは絶対雇用しなさそうな顔してるもんね。あと、巨乳じゃないメイドも不採用でしょ?」

「なんでそんなに自信満々なんだよ。しばくぞテメェ」

 本当に、この小娘には一度口の聞き方というものを拳で教えてやった方がいいような気がする。

 僕がそんなコトを思っていると、不意に由宇理はにやりと笑った。

「まぁ、それはともかく、あたしは本物の寿司とか知らないから奢ってくれッス」

「寿司屋でバイトすりゃ腐るほど食えるだろ」

「うわ、思った以上にひどっ! せっかく妥協させて回ってるお寿司を奢ってもらおうと思ってたのに!」

 うん、まぁそんなことだろうと思ったし。

 僕は溜息を吐いて、少しばかり気になったことを聞いてみた。

「そーいや、由宇理ってどんなバイトしてんだ?」

「今は年齢と性別を誤魔化して警備員などを少々。寿司屋でバイトしてた頃もあるッスけど、魚の生臭さがちょっとねー」

「親とかなにも言わないのかよ?」

 その言葉に、由宇理はほんの少しだけ目を細めて、僕を睨みつける。

 そして、ポツリと言った。


「あたし、親とか兄弟とか姉妹とかいないもん」


 沈黙が落ちる。周囲のざわめきだけが、今の僕たちの全てだった。

 同時に納得する。一番最初、由宇理に出会った時、家族構成を聞いた僕に由宇理が殴りかかってきた理由も。

 由宇理にとって家族がいないのは普通のことで。

 けれど、それを同情されるのが悔しかったんだろうと思う。

 こいつは独りでも生きていける強い人間だから。

「別に、家族なんていなくても生きていけるケド、あんまりこういうことを口にするとみんなの空気がおかしくなるッスからね。なるべく口外はしないようにしてるのサ」

「……なるほどね。まぁ、だからって人に殴りかかっていい理由にはならないと思うけどな」

「いや、まぁ殴りかかったのはアンタの顔が気に食わなかっただけッスけどね」

「僕もお前の性根は心底気に食わないぞ」

「つり目垂らし」

「デコ偽善」

「ヘタレキツネ」

「貧困バカ」

「………………」

「………………」

 湿った空気から一転。僕たちの周囲に険悪なムードが漂う。

 今にも爆発しそうなギッチギチな空間の中で、僕らはお互いに笑っていた。

 言うまでもないことだけど、もちろん目は笑っていない。

「くっくっく、どうやらアンタとは一度マジで決着をつけなければならないらしいッスねェ。あたしの全存在をかけて」

「奇遇だな、僕もちょうど今そう思っていたところだよ由宇理」

 由宇理は笑いながらファイティングポーズを取る。それは言うなれば嫁いびりに己の存在をかける姑が編み出した『指先に埃』の構えである。

 それは、どんなエンターテイメントにも存在し得ない奇矯な構えであった。

 ちなみに、習得条件は貧困でバカでデコで作業着という難解かつ不可能に近い四属性を備えていなくてはならない。

「……なんか、アンタさりげなーくものすげぇ失礼なこと考えてないッスか?」

「考えてるけどあんまり大したことじゃない。貧困とバカとデコは仕方がないとしても、学校が終わったらずっと作業着ってのはどうかと思っただけのことだよ」

「ラクだし」

「……そーゆー考えだと彼氏もできねーぞ? ほれ、髪もボサボサだしさ」

「彼氏とか要らないし、髪の毛なんてまた生えてくるっしょ。……ま、あたしは、独りで気ままに気楽に生きていくッスよ。別にいつ死んでも構わないし」

「………………」

 どうしようかと、僕は一瞬だけ思い悩んだ。

 僕はこいつの気持ちがとてもとても良く分かる。理解できて共感もできる。

 刻灯由宇理は猫みたいな生き物だ。自由で気ままで気楽に生きている。

 僕だって、そういう生き方に憧れなかったわけじゃない。気持ちはよく分かる。


 でも、なぜかは知らないけれど。

 僕の頭の中で、ブチッという音を立ててなにかがキレた。


 怒っているわけじゃないのに、なぜか頭の中が急速に冷えていく。

 割り切っているはずだったのに、僕は胸の中に苦々しく重い物を抱え込んだ。

「……分かったよ、そこまで言うんだったら寿司くらいは奢ってやる」

「お、超ラッキーッ! いや〜、やっぱりキツネは話が分かるッスねぇ」

「その代わり、ちょっとだけ僕に付き合え」

「ほいほい、了解ッスよ〜ん」

 うきうきと心躍らせながら、由宇理は僕の横に並んで歩き出す。

 その笑顔は傍目に見ても可愛いものだったのかもしれなかったけど、僕はなんだかその笑顔を見て、妙な苛立ちを感じている。

(……ったく、我ながら情けない)

 そして、溜息を吐きながらある所に電話をかけた。



 三十分後。

 僕らが学園祭をサボッて寿司を食べ終えて店を出た時に、携帯が鳴った。

 西部劇の抜き打ちのような速度で携帯電話を取り、電話に出る。

「はい、高倉です」

『やぁ、久しぶりキツネくん。死之守あくむだ』

「どうも。今回はお手数をかけますね」

『いやいや、大したことはないよ。サイズの指定がなかったから、衣服の方は体格から算出してフリーサイズのものを選択しておいたよ。合計で十四万八千二百四十五円になるけど、なんていうかキミにしちゃ随分と大枚はたいた買い物だね。なんか嫌なコトでもあったのかな?」

「そうですね、似たようなもんかもしれません」

『自覚できているのならいいさ。ただ、一回破綻した者としてアドバイスをしておくけどキミのお節介はただの自己満足かもしれないよ?』

「これはお節介じゃありません。ただの自己満足ですよ」

『性質が悪いね、キミは。というかね、自覚しすぎって気がするよ』

「そうですかね?」

『……ま、いいや。荷物は駅前のコインロッカーに預けてある。鍵の方は交番にいる近藤ってお巡りさんに《近松門左衛門》って言えばくれるから』

「ありがとうございます。じゃあ、僕はこれで」

 電話を切って、僕はゆっくりと溜息を吐く。

 呑気な女こと刻灯由宇理は、にこにこ笑顔のまま問いかけてきた。

「おや? 誰から? 彼女?」

「普通、彼女に敬語は使わないだろ。……知り合いだよ」

「ほっほっほ。まぁまぁ、そんなに謙遜しなさんなって。はっきりと『彼女に顎で使われてる』って言っちゃえばいいじゃないスか」

「ホント、一回冗談抜きで決着をつけた方がいいのかな……」

 そんなことを呟きながらも、なんだか心の中はダークグレーだったり。

 なにやってんだろうなと思う。馬鹿なことをやっている自覚もある。ただ、単純に歯止めが効かないだけのことだ。

「で、これからどこに行くんスか? あたしはテキトーにブラブラしたい気分なので、家までチャリを取りに行きたいんスけど」

「僕は用が済んだら学校に戻る。ブラブラしたきゃ独りでやってろ」

「……なんか、さっきから妙な態度ッスね」

「いつも通りだろ」

「そう言い張りたいならそれでもいいッスけどね」

 言いながらも、由宇理は不機嫌そうにそっぽを向いた。

 由宇理が鋭いのか、僕の態度が見え見えなのか……どちらかなど、言うまでもない。

 そんなことは僕だって分かってる。いつもだったら、メイド服着てた時みたいに完全に隠し通してやるのに、今日だけは……いや、さっきからなぜか自制が効かない。

 本当に、僕はなにがしたいんだろうか?

 交番に寄って鍵を受け取って、コインロッカーを開ける。中に入っているのは大きめの紙袋で、その紙袋の中には僕とは無縁の品々が入っているはずだ。

 無造作に紙袋を取り出して、由宇理に渡した。

「……なんスか、これ?」

「やる。捨てるなり使うなり自由にしろ」

「は?」

 由宇理は怪訝そうな顔をしていたが、完全無視して背中を向けた。

「それじゃあ、僕は学校に戻る。学園祭は自由行動だけど、最後に点呼取るみたいだから、由宇理も程々にして戻っておけよ」

「………………」

 声をかけても反応がない。振り向くと、由宇理は顔を伏せていた。

「どうしたよ、由宇理。回らない寿司とか食ったせいで胃がびっくりしたか?」

「……………な」

「な?」

「なめんとんのかわりゃああああああああああああああああああああああああッ!!」

 由宇理は怒りの形相を僕に向けると同時に跳躍。膝蹴りを僕の顔面に叩き込む。

「ぶッ!?」

「同情かッ!? 金持ちの同情かこの野郎っ!! アンタだけは絶対にそーゆーことはしねぇと思ってたのに、ふざけんなよくそったれっ!」

 罵声が響く。駅を利用する方々が全員こちらに振り向く。

「ちょ、やめろ由宇理。なんかものすげぇちゅうもぐっ!?」

「死ねっ! 死にまくれっ! アンタなんかお相撲さんに潰されて圧死しろっ!」

 執拗に顔面を殴る由宇理。いつもだったら腰が入っているパンチを放ってくるのだが、錯乱してるせいかまるで力が入っていない。

「だからがッ、やめぶっ、ちょ、ま……」

「死ねっ! 死ねっ! 死んじゃええええええええええええぇぇぇぇぇぇぇぇッ!!」

 しゃべろうとする度に顔面を殴られる。口の中が切れて鉄の味が口の中に広がった。

 殴られる。殴られる。殴られる。殴られる。痛みが少しだけ遠くなる。

 ぶちんともう一度切れた。

「ざっけんな、この自意識過剰小娘っ!」

「ぶがっ!?」

 章吾さん直伝、ドライバーのごとき回転力の加わったアッパーが炸裂。手加減はしたので気絶させるほどのものじゃないけれど、由宇理に尻餅をつかせることには成功した。

 尻餅をついた由宇理の胸倉を掴み上げて、僕は思い切り叫ぶ。

「勘違いすんな、誰がテメェみてぇな馬鹿に同情なんざするかっ! 自分の身も省みずに教会に寄付しまくってるような馬鹿は、そのまま飢えて死んじまえっ!!」

「じゃあ、この化粧品やらなにやらの『女性の必需品』の数々は一体なんなんだっつうのっ! ざっと見積もった感じだと軽く十万は越えてるじゃんかっ!」

「神様の粋な計らいに決まってんだろうがっ!」

「こんな俗物的な神様がいるわけねーだろうがっ! 馬鹿にしてんかよっ!?」

「馬鹿にしてるに決まってんだろうがっ! 人並み以上になんでもほいほいこなすくせして自分のことには凶悪に無頓着な女なんざ、馬鹿にされて当然だろうがっ!!」

「あたしが好きでやってることにいちいち口出すんじゃねーッスよっ!」

「ンなこと、とっくの昔に分かってるさっ!」

「じゃあこれはなにっ!? この毒にも薬にもならんよーな品の数々は一体なんの意味があるのかさっぱりわかんねーッスよっ!」

「そんなもん………………」

 ほんの少しだけ迷う。迷って、0.3秒で決断した。

 由宇理とはそんなに長い付き合いじゃなくても、分かったことが一つだけある。

 単純馬鹿に理屈は通用しない。

 なら、対処は極めて簡単なことだ。

 理屈が通用しないなら、『理由』をそのまま言えばいい。

 僕は大きく息を吸った。


「そんなもん、テメェがいつ死んでも構わないとか言うからだろうがっ!!」


 時間が止まった。冷たくて悲しい沈黙が、駅構内を支配する。

 言うまでもなく由宇理もきょとん、とした顔になっていた。

 言われたことの意味が分からない。そんな表情だった。

 それでも、由宇理は口を開く。

「……あの、さ」

「あんだよ?」

「言いたいことも聞きたいことも腐るほどあるだろうけど……とりあえず、仕切り直しっていうか、警察の方々が来る前に逃げるッス」

「……そーだな」

 僕はゆっくりと溜息を吐いて、腰の抜けた由宇理を持ち上げて走り出す。

 そして、念のために携帯電話を取り出してあくむさんに後処理を頼んだ。

 もっとも……こっちの後処理は、自業自得とはいえあくむさんに頼んだものよりずっと大変そうだったけど。



 過剰反応なのは、十分に承知しているつもりだった。

 いつ死んでも構わないって言うやつがいたら、「じゃー今殺してやるZE」とかほざいちゃうような僕だからこそ、今回のが過剰反応なのは十分に自覚できていた。

 重く考えなくても、ただの戯言なんだから気にしても仕方がない。

 いつもならそう割り切れた。割り切ってこれた。冗談だと笑って流せた。

 今回に限っては……由宇理がそういうコトを言うのが、許せなかっただけのことだ。

 我慢が足りない現代っ子と言われても仕方がない。

 警察の魔の手から逃げ出した後、僕らは近所の喫茶店に入った。僕は今回やらかしたことの説明をして、由宇理はそれを始終黙って聞いていた。

「……意味が分からないッスよ。その話の流れで、なんでこんな物を私に?」

 洗顔石鹸やら椿油やら各種化粧品やらが入った紙袋を指差して、由宇理は珍しく困ったような表情を浮かべていた。

 よく考えると、話の途中で茶々が入らなかったのも珍しいことだった。

 僕は由宇理と視線を合わせないように顔を逸らして、それでもきっぱりと言った。

「ハ、愚問だな。僕が女の子の髪が荒れてるのを見るのが最高に嫌いだからに決まってるだろうが。特に長い髪」

「や、これは散髪代がないから伸ばしてるだけで」

「関係ないね。由宇理のことだから、どーせ散髪代云々以前にバイトでかなりストレス溜めてやがるんだろうが。さっき殴られて分かったケド、お前見た目より繊細だし」

「う………………」

 思い当たるところがあったのか、由宇理は言葉に詰まる。

 その隙に、僕は紙袋を由宇理の方に突き出した。

「あと、お前はこれを使ってもうちょっとお洒落ってものを学びやがりなさい」

「…………うわ、めんど」

 由宇理はあからさまに顔をしかめた。薄々感づいてはいたが、やる気0だった。

 それから、ゆっくりと溜息を吐いて、苦笑しながら僕を見つめる。

「なーんとなく、アンタの性格が掴めてきたような気がするッスよ」

「なんだよ、僕の性格って?」

「アンタって、タイプ的には熱血系なんスよ。一度決めたらとことんまで世話を焼くタイプの……そういう、暑苦しいタイプ」

 ぎくり、と肩が跳ね上がる。

 由宇理はニマニマと楽しそうに笑いながら、僕を見つめた。

「もしかして、アンタってあたしのこと好きだったり?」

「それだけは断じてねぇな。友人ならまだしも、恋人とかそういうのは在り得ない」

「んじゃあ、少なくとも友達とは思ってくれてるわけッスね?」

「………………」

「アンタの場合、無言の時は大抵肯定なんスよねェ」

 クツクツと楽しそうに笑いながら、由宇理は嬉しそうに目を細める。

「よく考えてみると、アンタってゆっちんにだけは異様なまでに優しいんスよねぇ。殴ったり殴られたり突っ込んだり突っ込まれたりしてるせいであんまり目立たないケド、アンタはここぞという時には絶対にゆっちんの味方をするし、ゆっちんだってアンタには一目置いて、絶対の信頼をしてる」

「………………」

 ゆっちんって友樹のことだろうかと思ったが、それなりに真剣な場面なので僕は口を閉ざしていた。

「……まったく、羨ましい友人関係ッスねぇ。あたしには真似できそうにねーや」

「………………」

「って言うと、アンタはものすごく怒るんスよねぇ」

 ご名答、その通りだばか女。口にこそ出しはしなかったが、確かに僕は今ものすごく腹が立った。……否定できないくらいに、むかついた。

 もう言われるまでもない。

 由宇理に指摘されるまでもなく、僕はとっくに知っていた。


 なんだかんだ毒づきながらも、僕はこいつを友達だと思っている。


 自由で気ままという無制限の責任の中で生きる由宇理のことを、羨ましいと思った。

 でもそれ以上に、そんな嫉妬以上に、僕はこいつを友達だと思ってしまった。

 だから、『いつ死んでもいい』というこいつの言葉に腹が立った。

 つまらないことに腹を立てたと自分でも思う。由宇理がなにを体験し、なにを感じたのか他人には分かるわけがないからこそ、黙ってやり過ごそうと思っていた。

 だけど、できなかった。

 僕は、由宇理のことを友達だと思っていたから。

 そんな苦しいことを、言って欲しくないと思っていた。

「……なぁ、由宇理」

「なに?」

「1から10までお前の言う通りだ。……不本意だけど、どうやら僕はお前の世話を焼きたいらしい」

「……難儀な性格してるッスね、アンタも」

 由宇理はそう言いながらやれやれと肩をすくめた。

 なんとなく嬉しそうな気がしたのは、僕の気のせいだと思いたい。

「でも、まぁ対等なのが友人ってものッスからね。これは借りにしておくッスよ」

 十五万円相当の美容製品が入った紙袋を持ち上げながら、由宇理はにやりと笑う。

 僕としてはくれてやるつもりだったのだけれど、それを言うと由宇理は怒るだろう。

 食い物をたかってくるわ、ハイテンションで周囲をかき回すはとロクなことはしないけど、由宇理は恐らく『施し』とか『同情』って言葉が大嫌いなタイプの人間だ。

 そのあたりは、僕と同じかもしれない。

 と、由宇理は不意に顔を上げて、喫茶店にあった時計を見た。

「お、そろそろ学校に戻らないと山田ちゃんに怒られちまう時間ッスね」

「まだちょっと早くないか?」

「なに言ってるんスか。かがり火の前でフォークダンスを踊る男女を一人ずつからかってやろうという超面白企画があるというのに」

「……いや、それは真剣にやめてやれよ。かわいそうだろ」

「じゃ、一緒にマイムマイムで踊るんスか?」

「んー……それは絶対に嫌だなぁ」

「あたしも願い下げッスよ」

「素直じゃないね、二人とも」

 いきなり割り込んできた声に、僕と由宇理は反応が遅れた。


 いつの間にか、僕の隣に灰色の髪を持つ男が座っていた。


 見覚えのある童顔。少年のような顔。ダボダボの白いローブに、足の悪い人が持つような杖。

 存在感が希薄で、母さんとは対称的な……そんな男。

「いやいや、父さんはちょっと心配しちゃったよ。息子の学園祭に行ってみたら息子がメイド服のコスプレしてるんだもの。正直……目の前が真っ黒になったね」

「……父、さん?」

「はいはい。父さんですよ」

 母さんとは対称的で、母さんを圧倒する男。

 僕の父親が、僕の隣で呑気に座っていた。

「でもね、今のでまぁまぁ安心したよ。どうやら息子はいい友人を持っているみたいだ。いっそのことこのまま友人から恋人にスライドしても、父さんは全力で応援する気満々になっちゃうさ。……と、いうわけで刻灯さん。息子要らない?」

「金づるとしてはそれなりに」

「息子。こういう女の子はいいぞ。実に面白いから」

「……父さん。僕が言うのもなんですが、父さんはやっぱり女性の趣味が最悪です」

「顔なんていずれ朽ちる。最後にものを言うのは、面白さだよ」

 僕の父さんはそう言いながら、にっこりと邪悪に笑う。


「ねぇ、息子くん。キミはそうは思わないかな?」


 嫌な予感がした。最悪最高に、恐らく99%これから嫌なコトが起こる。

 この人は……僕の父さんはサラリーマンだ。出張ばかりでどこに行っているかも不明で、あんまり家には寄り付かない人だけど、この人が帰ってくる度に僕は散々な目に遭ってきたような気がする。

 師匠と別れることになったのも、この人が原因みたいなもんだし。

 京子さんたちの世界を滅茶苦茶にしたのもこの人だし。

 母さんが不機嫌になる原因は大抵この人だし。

 コッコさんを連れてきたのも……この人だった。

「さて、前置きと前提条件だ、息子くん。まずキミの現在の状況を認識してもらうと、これはあんまりよろしくない。というか、かなり不健康だ。一介の男子高校生の領分を確実に越えている。本当なら君は普通に学校に行って、普通に帰って来て、ダラダラと惰性で緩やかで楽しい日々を送るはずだったのに、その時間を『屋敷』などというつまらないものに割いてしまっている。織さんの見立てだと一年で力尽きるはずだったんだけどね、まぁあの人の見立てはいつも甘いからね。その辺は問題じゃない。……問題なのは、君が愉快な生活を送れなくなっていることなんだよ」

 僕の父さんは、笑顔のまま淡々と語る。

「章吾くんが離脱して、それで屋敷を維持していられるのは驚嘆に値するけど、それは君にかなりの負担を強いたはずだ。やりたいこともできず、日々の疲れをそのままに勉学に励み、たまにやってくるトラブルに頭を悩ませる。……親としての意見を言わせてもらえば、そんなことは許し難い。ぼくらは君に楽しい生活をして欲しいんだよ」

 僕の父親は邪悪な笑顔を浮かべながら。

 最後にこんなコトを、言い放った。


「だから、あの屋敷は解体する。君は普通の高校生に戻りなさい」


 その言葉は、間違いなく僕を根こそぎにする言葉だった。


 第四十話『大逆転と反流転』END

 第四十一話『社員旅行とみんなの気持ち』に続く。

と、いうわけで次回は最初で最後の社員旅行。

みんなと一緒の旅行です、お楽しみに♪

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