第三十九話 大逆転と学園祭
コメディです。
次もコメディの予定です。
番外編でひとくくり。
そこからは……さてさて、どうなりますやら(笑)
たとえば、猫の間にはこんな伝承があります。
猫は生まれた時からとんでもない怠け者で、太古の昔には定住をしていました。
もちろん定住をすれば汚れは溜まっていきます。ゴミやらなにやらでどんどん汚れていきます。でも、そもそも猫は自分と他の誰かを綺麗にする方法しか知らないのです。
建物も汚れ、その汚れが悪影響を及ぼすなど考えてもいなかったのです。
だから猫たちは、自分たちの出したゴミやらなにやらで家が潰れた時にものすごく困ってしまいました。あんなに素晴らしい居場所が壊れてしまったことに、とてもとてもがっかりしたのです。
そこに、猫たちの間では間抜けで知られる人間の少女が通りかかりました。
女の子はほんの少し言葉が不自由で、猫の言葉どころか人の言葉も漢字とカタカナが失われてしまったかのように拙い女の子で、猫のみんなは猫の言葉を覚えられない女の子を不憫に思って、いつもいつも人の言葉で話をしていました。
少女は倒壊した家を見て、うん、と一つだけ頷きました。
ねこさんねこさん。
わたしにはなにもありません。
いままでねこさんたちにおんがえしもできませんでした。
でも、ようやくわかりました。
わたしがねこさんにおんがえしするほうほうがわかったのです。
わたしにはなにもありません。
でも、わたしには『わたし』があったのです。
わたしはねこさんたちのへやをそうじできます。
わたしはねこさんたちのごはんをつくることもできます。
わたしはねこさんといっしょにあそぶこともできます。
わたしはたてものだって、じかんをかければきっとなおせます。
そのかわりに、ひとつだけゆるしてください。
ねこさんたちは、わたしにひとのせかいにかえれといってくれました。
でも…………。
でも、わたしは……。
わたしは、ねこさんたちといっしょにいたいのです。
その後、家は建て直されて、猫たちはぐうたらな生活を再開しました。
女の子はそんな猫たちをかいがいしく世話をし、猫たちはそれに甘え放題。
それでも……甘えてにゃーんと鳴きながら、猫たちは思っていました。
空が裂け、地が落ち、誇りが穢れ一族郎党皆殺しになろうとも。
あらゆる災厄から彼女を守るために、我らは戦おうと。
山口コッコは、青少年の将来とやらを重んじる女である。
そんな彼女とて二十四歳。青少年が色々とアレやコレみたいなものを持っていても、動じない度胸くらいはあるつもりだった。
いや、並大抵のものなら動じることもなかったのだろうが、発見した物体が『並大抵』じゃなかったのがいけないのだろうと、掃除機をかけながらコッコは語った。
「つまりですね……その、私の育て方がまずかったのかなぁと思いまして」
あの後、コッコは美里の自宅を訪れていた。
あまり困ることはないが、なにかしら困ることがあると年上のメイド長に相談するのが常で、この日も彼女はわざわざ自宅にまで押しかけている。
まぁ、それはそれで美里も納得済みで、むしろ進んで掃除やら料理やらをやってくれるのでわりと助かっていたりもするのだが。
美里は少し考える素振りを見せてから、ゆっくりと溜息を吐いた。
「ねぇ、コッコちゃん」
「……なんでしょう?」
「掃除をしてくれるのはありがたいんだけど、二十四歳にもなってそんな些細なことで悩むのはどうかと思うわよ?」
「些細ですか?」
「ええ、とっても」
通販の雑誌などを読みながら、美里はほんの少し口元を引き締める。
「……それで、どんな本だったのかしら?」
「えっと、これなんですけど……」
「…………持ち歩いてたの?」
「いえ、その……不可抗力で持って来ちゃいまして」
顔を真っ赤にして俯くコッコの顔は美里の目にも可愛らしく映ったのだが、それはそれとして美里は試しにコッコが持ってきた本を開いてみる。
パラパラと数ページめくって、美里の目が真剣になった。
「……ふむふむ。なるほど、世界は広いわねぇ」
「美里、なんだか私の理解の範疇外で一人で楽しんでませんか?」
「大丈夫よ、ちゃんと見るべきものは見てるから。……とりあえず、これは坊ちゃんの趣味じゃないわね」
ページを閉じて、美里は考え込むようにあごに指を当てる。
「それに、坊ちゃんだったらもっと巧妙な場所に隠すと思うわ。自分の部屋で最も強固な部分……適当に金庫でも買ってそこに隠すんじゃないかしら?」
「……さすがに、そこまでは私も分かりませんよ」
「でしょうね。坊ちゃんは普通の男の子だけど、その辺は徹底的だから」
「徹底的?」
「たとえば、坊ちゃんは私たちに絶対に弱みを見せない。一緒に遊んだりはするけれど、絶対に『弱いところ』だけは見せようとしない。いつの頃からかは分からないけれど、少なくとも私がお屋敷に来た頃には坊ちゃんは既にそういう気質だったわね」
微笑みながら、美里はほんの少しだけ口元を緩めた。
「あの頃は……強がってばかりの生意気なお子様だったけど、ね」
「美里が坊ちゃんの鼻をへし折った時は、流石に私も引きましたよ」
「私も強がってたから。美咲が生まれて頑張らなきゃって思ってて、休みも取らずにがむしゃらに仕事をこなそうとして、疲れとストレスでかなり荒れてた時期だったし」
「……それで坊ちゃんの生意気な言動にブチ切れて、鼻をへし折るのはどうかと思うんですが」
「若かったのよ、私も」
あっはっはっはと空笑いしながら、美里は目を逸らす。
コッコは不審そうに美里を見つめながら、やがて諦めたように溜息を吐いて掃除機のスイッチを切った。
「掃除はこれで完了です。お昼ご飯はどうしましょうか?」
「あんかけ焼きそばと白いご飯がいいわ」
「分かりました」
美里がいつも使っているパンダ柄のエプロンを手早く身につけて、コッコは台所に向かう。
その後姿を見つめ、美里はほんの少し口元を緩める。
「あと少し、か。……ちょっと、未練かな」
そんなコトを呟きながら、美里はテーブルの上を片付け始めた。
話は、一週間ほど前に遡る。
その日のロングホームルームで、学園祭についての会議が開かれた。
私立の金持ち学校だけあって、ここの学校はやたら派手な催し物が多い。学園祭もその一つで、特に父兄が参加するこの行事には学校側もものすごい気合なのだとか。
しかし、修学旅行とか自腹負担できるものと違って使える予算が決まっているため、あんまり面白味に欠ける学園祭には、実のところ僕もかなりやる気が出ない。
事実、去年は適当に漫画を持ち寄って休憩所という退廃的な案をゴリ押しで通して、最初と最後だけ出て後は屋敷で一日ゴロゴロしていた。
今回も委員長の頑張り具合はかなり空回りし、全体的に喫茶店ということで決定していた出し物なのだが、どういう趣旨の喫茶店にするかは一向に決まらず、正統派と色物派で分かれて争いになる始末。この辺は前回と似たり寄ったりだ。
残り一週間。時間もないことだし、今回も前回と同じくテキトーなことになるんだろうと思い、僕はぼんやりしながら欠伸をしていた。
が、僕は失念していた。前回と今回では大きな違いがあることを。
目を覚ますと、出し物は逆転コスプレ喫茶に決定していた。
脳をフル回転させて状況を把握。とりあえず、世界が狂ってることだけは認識した。
いや、つーか……おかしいだろ、どう考えても。
「……ようやく目を覚ましたかよ、親友」
隣の席で意気消沈している友樹は、今にも死にそうな表情を浮かべていた。
「友樹、一体なにがあったんだ? どうしてこんな悲劇が生まれてしまったんだ?」
「うん……それなんだが、俺の美貌とやらはどうやら罪そのものらしい」
「………………」
事情はさっぱりとよく分からなかったけれど、なんだか気持ち悪かったので僕は友樹を三発ほどパンチして黙らせた。
「で、それ以上気持ちが悪いことを言うんなら、僕は実力行使以外のものすげぇコトをする覚悟を完了させるが、お前はそれでいいんだな?」
「……いや、ごめん」
友樹は素直に謝ると、今までに見せたことのない泣きそうな表情を浮かべた。
「親友。……お前は狂ってなんかいないよな? いつまでも親友だよな?」
「そういう『親友』ってのを殊更に強調される言葉を言われると即座に否定したくなるけど……なぁ、友樹。本当に一体なにがあったんだ? なにがお前をそこまで追い詰めちゃったんだ?」
「それはあたしが説明しようっ!」
「ああ、なるほど。ってことは、友樹の女装見たさにクラスの僕を除く全員が逆転コスプレ喫茶とかいうお笑い企画に投票したってことか」
「説明しようって言ったのに完全無視っ!?」
どうやら冷淡系(無視、舌打ち、暴言等々)の突っ込みに弱いらしいノンストップ女は、なんだかやたらショックを受けているようだった。
「むぅ、どうしてこのキツネはやたらあたしに冷たいんだろう。こんなに可愛いのに」
「自分で自分のことを可愛いってほざく女を、僕は絶対に認めない」
「……や、さすがにそれは冗談ッスけど」
僕の本気オーラを感じ取ったのか、由宇理は目を逸らしながらそんなことを言った。
僕はゆっくりと溜息を吐いて、由宇理を睨みつける。
「由宇理、提案の突飛さとインパクトの強さは評価できるけど、この企画じゃ本当に女装を嫌がる奴は速攻で逃げ出すぞ? 僕とか、友樹とか」
「大丈夫ッス。A組の三条院ちゃんを説得して資金は確保してあるし、山田ちゃんも苦渋の表情を浮かべながらGOサイン出してくれたし、この企画は、既にクラスの95%の支持を獲得済みッス。毒を食らわば皿まで、道連れは多い方がいいんスよ?」
「………………」
やべぇ。根回しが完璧すぎてぐぅの音が出ない。
寝ている間に逃げ道が全て封鎖されていた。
これで逃げようものなら、クラス全員からのフルパワーパンチという制裁が待っている。このクラスには友樹と僕と由宇理を除いて格闘術の心得があるのはいないみたいだけど、いくらなんでも四十人近い人数での集団リンチは軽く死ねる。
「ちなみに、アンタは屈辱的にメイド服を着るように打診しておいたッス! くっくっく、せいぜいクラス中の笑いものになることッスねっ!」
「……メイド服、ね」
嫌な思い出が蘇る。
屋敷のこととは関係ない。まだ章吾さんが屋敷にいた頃、僕がコッコさんの誕生日プレゼントを買うためにバイトをしていた頃に、ちょっとばかり嫌な思い出があるのだ。
……まぁ、仕方ない。由宇理の言葉じゃないが毒を食らわば皿までだ。
「ちなみに由宇理、お前はなにを着るんだよ?」
「アンタが好きに決めていいッスよ。山田ちゃん曰く『寝ていたのは悪いけど、刻灯さんが勝手に決めちゃうんだったら、キツネくんには刻灯さんの着るものを決めてもらうからね』ってことッスから」
「……なるほどね」
さすが委員長。素晴らしい公正っぷりだ。
僕は少しだけ考えて、にやりと笑って言ってやった。
「じゃあ、緑色の恐竜の相棒の着ぐるみってことで」
「………………え?」
「あっはっは、なにを呆けた顔をしてるんだ? 赤くてもじゃもじゃした見た目がちょっとグロいかもしれない『雪男』の着ぐるみを着ろって言ってるんだぞ、僕は」
「……や、あの、それはなんていうか、おいしくないし」
「逆転なんだろ? それに、自分で言い出したことは最後まで責任持とうな?」
「……あううううううう」
かくて、無謀にもキングたる僕に挑んだ挑戦者を下して僕はほくそ笑んだりする。
まぁ、結局なにも解決していないわけなんだけれど。
そして、僕は三日後に控えた学園祭を前に頭を抱えていた。
その挑戦者による、泥沼の報復は僕が食堂で美味しく味噌汁をいただいていた時に、唐突に始まった。
隣に座って親子丼を食べ始めた舞さんが、不意に口元をつり上げて言った。
「坊ちゃん、今度の学園祭で女装するって本当ですか?」
「ぐふっ!?」
唐突な一言に、僕は思い切り味噌汁を吹き出した。
そのままむせまくり危うく死にかける。
「げふっごはっげほっ……っ、ちょっと待て、どこでそれをっ!?」
「この前、坊ちゃんが屋敷に招待した由宇理ちゃんと意気投合しまして、メールアドレスなんぞを交換していたりするわけですよ」
「……すごいね。アレと意気投合できるなんて」
「慣れればそんなに気になるってほどでもないですよ」
そう言われても、あの小娘のテンションについていくためにはかなりのエネルギーを必要とする。僕のようにスロースターターな人間にはちょっとついていけないところがあるのだ。
元気が有り余ってるってのも、考え物だと思う。
「で、どんなメイドにするんですか? いっそのことフリフリヒラヒラの、超可愛い服にしちゃいましょうよ。笑いを取るんだったら開き直った方が楽ですし」
「……舞さん。なんだか妙に楽しそうだね」
「そりゃもう、坊ちゃんの恥をデジカメで撮影できるかと思うと……うふふふふ」
含み笑いが怖すぎる舞さんは、ニマニマと笑いながらうな重肝吸い付きなんていう贅沢な定食をパクついていたりする。
今までにないくらいに輝いた笑顔を浮かべて、舞さんは親指をぐっと立てた。
「私も協力します! 頑張っていい晒し者になりましょうねっ!」
「わぁ、ありがとう。でもその前に一発殴らせろ♪」
いくら我慢強いことで定評のある僕とはいえ、我慢には限度ってもんがある。
そもそも、僕にとっては女装はかなりの鬼門なのだ。BLを頭文字に持ってくる禁断の領域もあるにはあるけれど、女装はまたそれとは別格なのだ。
……とりあえず、いい思い出じゃないことだけは確かなわけで。
「大体、男が女装なんてしても面白くもなんともない。女の子の服ってのは、女の子にこそ似合うんであって、これはもう猫耳が猫にしか、和服が年上の美女にしか似合わないのと同じくらいの定説と言っても過言なんじゃないかと思うんだ」
「時々思うんですけど、坊ちゃんの嗜好って妙に偏ってません?」
「舞さんよりはシスターエゴよりはましだと思うよ」
「あはは、なんですかその悪意溢れる造語。言っておきますけど、私は確かにシスコンかもしれませんが、それは全て冥ちゃんの愛ゆえなのですよ?」
「自分でシスコンとか言っちゃってる時点でかなり駄目だと思うけど……」
相変わらず冥さんのことになると見境がなくなる舞さん。
はっきり言って将来が心配だった。
「で、話は戻しますけど結局坊ちゃんはどうするつもりなんですか? どんなフリフリのメイド服を着るんですか? いっそのこと私が自作して……くふっ」
自分が作ったメイド服を着て醜態を晒す僕を想像したのか、舞さんはとてもとても愉快そうに笑っていた。
僕はかなりげんなりとしながら、溜息混じりに言う。
「まぁ、目立たない程度にテキトーにやるよ。他にインパクト強い服着てくる連中なんざ腐るほどいるだろうし」
「えー? それじゃあ私がつまんないですよぅ」
「とうとう本音を出しやがったな……ッ!!」
呆れながら溜息を吐いて、僕は舞さんを睨みつける。
「よーし、そういうことなら絶対に目立ってなんてやらないからなっ! 草原に咲く小さなたんぽぽのような存在感で押し通してやるっ!」
「ふっふっふ、そんなのは無駄無駄ですよ。坊ちゃんの犯罪者じみた存在感は周囲を不快にさせ、意味もなく苛立たせるようになっているのですから」
「あっはっは、舞さんと今度会う時は法廷になりそうだねっ!」
無意味に真っ赤な火花を散らす僕と舞さん。
ここまではいつも通りのライフワークに近いものだ。睨み合って適当に罵りあい、適当なところで話が終わる。
そう、ここまでなら、いつも通りだった。
「……あらあら、学園祭ですか♪」
可愛らしい響きの声に、僕の背筋が凍りつく。
恐る恐る振り向くと、そこには少し顔を赤らめた美里さんが微笑を浮かべていた。
恥ずかしそうな苦笑ではなく……それは、獲物を見つけた時の狩猟者の攻撃的な笑顔だったような気がしたのは、僕の気のせいだったんだろーか。
「学園祭ですか……懐かしいですねェ」
「あの、美里サン?」
「私が通っていた学校はそれはそれはオンボロでしたけど、なんとか学園祭のようなものをやろうと色々と工夫しましたよ。支給品の食べ物を一気につぎ込んで豚汁大会やったり、それでも足りなかったから集積所から色々と接収してきたり、資材1トンをまるまる盗んでキャンプファイヤーのようなものをやったり……ああ、川をせき止めて魚を根こそぎ獲った後にキャンプファイヤーに放り込んで焼いて食べたのは美味しかったですねぇ」
若気の至りでは済まされないALL犯罪行為の告白に、僕と舞さんは素で引いた。
ちらりと食堂を見ると、京子さんは苦渋に満ちたなんとも言えない表情を浮かべている。思い出したくもないようなことを聞かされているような……そんな顔だった。
「まぁ、私の母校のことはどうでもいいんですけど。……ねぇ、坊ちゃん」
「……な、なんデしょうカ?」
「大丈夫です。ちゃーんと私がちょうきょ……もといメイドとしての心構えってものを一から十まで叩き込んで、可愛らしくしてあげますから」
恐るべき言葉と満面の笑顔に、背筋どころか全身に震えが走った。
本能的に危機を感じ取り、僕は逃げ出そうときびすを返す。
「それじゃあ、まずはその逃げ癖からきょうせ……もとい直していきましょうか?」
きびすを返すと同時に、僕の目の前に美里さんが『出現』した。
確実に五メートルは離れていたはずなのにどんなワープやねんと突っ込む暇もなく、僕は両手を押さえられて拘束、そのまま連行される。
「ちょ、待って美里さんっ! 話を聞いてくださいっ! 僕は正直女装とかそういうのにはトラウマが……」
「大丈夫ですよ……そんなトラウマなんて、これからのコトに比べれば心底どーでもいいことになりますからね♪」
「みぎゃあああああああああああああああああああああああっ!?」
全力で暴れるが美里さんは鼻歌なんぞを口ずさみながら僕を軽々と連行する。
かくて、僕にとって最悪となるであろうトラウマが、今始まったのだった。
空倉陸はその日、物置の掃除をしていた。
「なんつーか、よく溜め込んだもんだよな」
呆れながら溜息を吐き、とりあえずは必要なものと必要じゃないものに分類していく。アレ系な品物や劣化が激しいものは即座に必要じゃないものに放り込み、まだ使えそうなものや捨てたらまずそうなものは必要なものに分類する。
家事全般が嫌いじゃない陸にとってはいっそのこと全部捨てた方がいいような気もするのだが、それをやると後で殺されてしまいそうな気がする。
「あのにーちゃんも大変だよな……」
そんなことを呟きながら手早く物を整理していく。
奇妙な彫刻。なにを表現しているのか分からない代物。恐らくはあの庭の大魔神が造ったものだろうが、芸術に関してはさっぱりな陸にはよく分からない。
『……そう言われてもな、俺にもよく分からないさ』
一度、あの大魔神が普段何をしているのかを聞いてみたが、返事は曖昧だった。
『そもそも、坊ちゃんがなぜあの女を雇用しているのかすら謎だ。私がもしも坊ちゃんだったらすぐにでも首にしているところだ』
あの大魔神の彫刻やら盆栽は高く売れるんじゃないかと言うと、章吾は少しばかり不満そうな顔をしながら、珍しく拗ねたように言った。
『創った物で評価を受けて、それで暮らしていける人間など稀だ。ついでに言えば『創作物』というのは評価の浮き沈みが激しい。今は価値が法外だろうが、明日にはゴミになっているかもしれないものを頼るのはやめておくな。……坊ちゃんもそれは分かっているだろうが」
やれやれ、と溜息を吐いて、章吾は苦笑する。
「まぁ、はっきり言えば多少はひがみも入るな。私だって高校の頃は少々絵を描いたりしていたが……その絵も超絶的な問題児の妙に勘が鋭い男に『花がない』だの『なんか固そう』だの『とりあえず面白くない』などと散々酷評されたものだった。……その男の現状を考えると、笑ってもいられんが』
その男というのが、一体どこの誰でどういう状況に陥っているのかちょっと気になった陸ではあったが、章吾のしかめっ面を見て聞くのをやめた。
世の中には、あんまり深入りしちゃいけないことを、この屋敷で学んだ陸である。
それより見習うべきなのは、ひがんでいることを正直に言えることだと思っている。あの優秀なくせに不器用だった執事長は、そういうことは誤魔化さなかった。
「誤魔化した方が楽なのに……ホント、あの人は今どこでなにを……ん?」
と、そこで気づく。
「何度言えば分かるんですかっ!? スカートの裾を押さえちゃいけませんっ!」
「だ、だってこれスースーして歩きづらいし……それ以前になんか短くて」
「あーもう、可愛いですねっ! 抱き締めていいですかっ!?」
「目が怖いです美里さんっ!」
「口調はそれでいいですけど、もっと声は可愛らしくっ! 女装の神域とは『女装』だということを分からせた上で、相手に『女装している』という事実を否定させることですっ! 頭では分かっているけど体と感覚が理解している事実を否定するっ! つまり、これこそがギャップ萌の真髄と言っても過言じゃないかとっ!」
「絶対いやだああああああああああああああああああああああっ!!」
「返事は『承りました、お嬢様』、もしくは『以後気をつけます、お嬢様』ですっ! 泣きながら逃げようとしても無駄ですからねっ!」
「……う、承りました、お嬢様」
「涙目になったりして、無闇に嗜虐心を煽らないっ! 私が坊ちゃんを襲っちゃったらどうするんですかっ!?」
「いやあああああああああああああああああああああああああっ!!」
なにやら壮絶な絶叫が響き渡る。
そっと物陰から外を見ると、ものすごく楽しそうな表情を浮かべたメイド長に、屋敷の主である彼がメイド服を着せられてズルズルと引っ張られていくところだった。
あまりのことに、陸は思わず二人を見送って、三十秒してからようやく我に返った。
「…………世も末だなぁ」
そんなことを呟いて、陸は掃除を再開する。
一日では終わりそうにはなかったけれど、そんなことはもうどうでも良かった。
そして、三日後。学園祭当日。
仕方なく振袖を着た友樹に対し、クラスメイトはおおむね好意的だった。
言うまでもないことだが、執事服の虎子や軍服の山田恵子こと委員長を始めとした男装の女子たちはかなりいい感じなのだが、友樹以外の男子は散々で、中には普通の女の子が着ないようなフリフリドレスを着て、大爆笑されている者もいるくらいだった。
友樹も一緒に笑いながら、適当な席に座った。
「……なんつーか、こういう盛り上がりも久しぶりっちゃ久しぶりだな」
「そうですね」
透き通るような声に反応し友樹は振り向いて……絶句した。
「…………えっと、どこのどちら様で?」
「そういうボケはあんまり面白くないですよ、友樹くん」
エプロンドレスに黒のワンピース。オーソドックスなメイド服と呼ばれるものを身に着けたつり目の少女が、肩まである髪の毛を指でいじりながら憂鬱そうに溜息を吐いていた。
「まったく、なんでこんなことをしなきゃいけないのか理解に苦しみます」
「……あ、ああ。そうだな」
「それはそうと、その振袖似合いますね」
「褒められてもあんまり嬉しくねぇんだけど」
「まぁ、それもそうですね。私だって行事じゃなかったらこんな格好してませんし」
行事。メイド服。つり目。……私?
なにやら色々とおかしなところはあったが、友樹は恐る恐る口開く。
「……あのさ、もしかしてお前って、俺の親友だったりする?」
「だから、そういうボケは面白くないですって」
「………………」
友樹は顔を真っ青にして、頭を抱えた。
「……は、はは。なぁ親友。とりあえず言わせてもらうが、お前本当にどうした?」
「どうしたと言われても、やる気になった美里お姉さまに色々と仕込まれたとしか言えませんけど。……まぁ、仕事はちゃんとやりますよ。小型カメラとか仕掛けられてるんで、今日一日はこれで通さないと後で怖いことになりますから」
「いやいやいやいや、そういうことじゃなくてだなっ! なんでお前メイド服とか違和感なく着こなしてるんだよっ!? 違和感なさすぎて全然分からなかったぞっ!」
「化粧と服装と声色と仕草を変えれば、人は別人になれるみたいです」
「なるなよ。そのままでいてくれよ、頼むから」
「あら」
そう言って、『彼女』はにっこりと笑う。
「それは、なんだか普通に嬉しいですね」
いつも通りのどこか穏やかな微笑。まるで違和感のない柔らかい笑顔。
そんな仕草一つに、一瞬心臓を丸ごと持っていかれそうになった。
「っ!?」
「……どうしたんですか?」
「いや、いやいやいやいやいやいやいやいや。なんでもねぇッスよ? ホラ、それよりそろそろ準備始まってるから手伝おうぜ」
「まぁ、なんでもないならそれはそれでいいんですけど、無茶はいけませんよ?」
キツネ目の彼はそう言って、ペットボトルの山をぶちまけてる虎子を助けに向かう。屋敷に勤めている虎子以外の人間は彼の姿を見るなり思い切り顔を引きつらせ、中には意味もなく壁を殴りつけたり、顔を赤らめたまま速攻で顔を逸らす者もいた。
友樹は気分を落ち着けるようにゆっくりと息を吐いて、呼吸を整えた。
「……親友。化けすぎだろ、どう考えても」
「かくて、ここにBLフラグが成立し、少年たちは禁断の領域へと踏み込むのでありましたッス」
「……さて、気分も冷めたところで仕事すっか」
「ちょい待て若白髪。なんですかその白い目は。こっちだって好きで白熊が好きな赤い雪男のコスプレをしてるわけじゃねーんスよ?」
「よく考えなくても、メイド服を着た男以上に色気のない女って最悪じゃね?」
「むがああああああああああああああああああああっ!」
殴りかかってくる赤い雪男の拳を片手で防ぎながら、友樹は息を吐く。
かくて、なんだか波乱づくしの学園祭は幕を開けたのだった。
世界に数多ある不条理の中で、それは恐らく最も陰湿で性質の悪いものだった。
小さな頃から学園祭などを楽しんだことがない彼は、呑気に学園の中を歩いていた。
普段は進入禁止な学園は、祭の時には門を開放してくれるのだが、彼にとっては祭だろうが平日だろうがそんなものは一切関係ない。
好きな時に好きな場所に行って、勝手気ままに好きなように振舞う。
彼はつまり最初から最後までわがままな人間だった。普段そういう風に見えないのは、ひとえに彼の妻が彼を越えたわがままを発揮するからに他ならない。
身勝手という意味では、彼も彼女も似たようなものだった。
「さてと……ウチの息子さんはどこに行ったかなぁ」
灰色の髪を揺らしながら、彼はゆったりと学園祭を見て回る。
今も体は健康的でもなんでもない。妻と息子と娘がいなかったらとっくに死んでいるだろうと彼は思う。今も昔も家族というものを男は大事にするようにしていたが、娘の病状が良くないことを知ってから、専ら息子の方は放置していた。
(よくもまぁ……あれだけ立派に成長したもんだ)
歩きながら、彼はそんなコトを思う。
立派とは社会的に成功することではない。立派とは心の在り様でもない。
立派とは妻にツッコミを入れられることだと、彼は信じて疑ってすらいない。
つまり、それだけ愛妻に対して手を焼いているということであり、彼女のわがままを止める術が今のところ『浮気をするぞ』と『息子に言いつけてやる』の二つしか手段がないからとも言える。
息子が中学校の頃、本気で一緒に風呂に入ろうとしてゴミを見るような目で見られたというだけで一ヶ月ほどへこんで仕事にならなかったくらいである。
甘えさせ上手というか、身近な女性の扱いがとにかく上手いのである。
長い階段をゆっくりと歩いて登り、彼はゆっくりと息を吐く。
「まぁ、息子はどっちかっていうと織さん似でもてないみたいだから、男女関係でゴタゴタするようなことはなさそうだし、そのへんは安心って言えば安心かな」
さてさて、息子のクラスはどんな出し物をしているだろう。そんなことを思いながら、こっそりと……あくまでこっそりと息子のクラスを覗き込んだ。
「お嬢様、食後のコーヒーはいかがでしょうか?」
輝かんばかりの笑顔を浮かべて女子生徒に接客する息子が、そこにいた。
ちなみに女子生徒はなんだか気恥ずかしいやらくすぐったいやら微妙な表情を浮かべており、それじゃあお願いしますと顔を赤らめながら返事をした。
それ以上はなんだか見ていられなくなって、彼は顔を引っ込めた。
頭を抱えながら、世界一の不条理な嘘吐きは、久しぶりにめまいを覚えた。
「……あははははははは、完全にぼくの血じゃねぇか、おい」
そして、空虚に笑いながらゆっくりと立ち上がる。
とりあえず、リンゴ飴でも食べて、それから考えようと思った。
第三十九話『大逆転と学園祭』END
第四十話 『大逆転と反流転』に続く
カキリカキリと音が鳴る。
循環するのは血液ではなく水銀で、胸から響く音は心音ではなく駆動音。
生まれた時に壊された、存在意義のない自分。
それでも、なにもかも嘘の私に。
貴方はどうして、笑顔で応えてくれるんですか?
次回、第四十話『大逆転と反流転』
与えられることだけを望むなら、そんなのはただの甘えでしかない。