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番外編『伍』 バレンタイン・デス(前)

バレンタイン企画ってのをやってみよう思った。

ネタがないわけじゃなくて、前回ちょっと気張りすぎたせいか、骨休めしたくなったのです。

前後編合わせて合計二万文字になっちゃった。全然休めてねぇよ(笑)


 この日はチョコが一番美味い。



 そういうわけで2月14日。バレンタインという名のチョコが美味い日だ。

「はーい♪ そういうわけで全国モテない男の代表である僕が、君のチョコレートを処分しに来てあげたよ♪」

「……帰れ」

 見た目だけは抜群にいい僕の親友は、僕を見るなり帰れと言った。

 そう言われても、今の時間は午後の二時。帰るのにはちょっと早い時間なのである。

「えー? せっかくコーヒーとかお茶も用意したのに。友樹は僕にチョコを奢らないとでも言うつもりなのか?」

「なんでテメェは俺がもらったチョコレートを食う気満々なんだよ」

「友樹は気持ちを貰う。僕はチョコを貰う。……それに、こう言っちゃなんだけど、その量のチョコレートをを全部食うつもりか?」

「いや……まぁ、確かに食い切れないのは事実なんだけどさ」

 机の上に山盛りになったチョコレート群をちらりと眺めて、友樹は溜息を吐いた。

 まるで漫画か小説のごとき山となったチョコレート。毎年のことではあるけれど、いつ見ても壮観だと思う。

 ……ある意味アホだとは思うけど。

「で、キツネ。お前はいくつもらったんだ?」

「虎子ちゃんと委員長に板チョコを一個ずつもらった。お返しはバッグと財布どっちがいいかな?」

「……ホント、テメェは好きな相手には出し惜しみしねーな。何倍返しだよ?」

 そう言われても、義理は義理で嬉しいものだ。

 日本の美学、義理チョコ。そう、人情と善意に溢れた義侠の甘味。それこそが義理チョコなのである。

「大体さ、こんな無節操に何個も貰っても嬉しくもなんともなくなるだろ? レアリティっていうのは、数が少なければ少ないほど価値を増すものだよ」

「……くっ、親友のくせに妙な正論を」

「そういうわけで、駅地下のデパートで売り切れ必至の生チョコなんぞを買ってみたりしたわけだけど」

「あの女の園に一人で踏み込んであまつさえ目玉商品までゲットしてくるお前の精神構造がよく分からねぇぞっ!?」

「食べないの?」

「……いや、食うけどさ」

 チョコの山を尻目に缶コーヒー(ブラック)で生チョコをパクつく男が二人。

 ちなみに、今は休み時間なのでそういうことを咎める教師はいないが周囲からの視線は氷点下。

 しかし、基本的に甘いもの好きな僕らには一切関係ないのだった。

「つうか、普通に美味いなこれ」

「一箱千五百円のチョコだからねェ。友樹が貰ったモノにはもっと高級なチョコもあるかもしれないケド」

「……まぁ、そうかもしれねーけどよ。手作りと既製品をどうやって選別すんだよ?」

「んー……包装とかはいくらでも誤魔化せるから、強いて上げるならパッケージかな? ちゃんとしたメーカーなら自分の会社のロゴくらいは入れてるでしょ」

「味とかじゃないのか?」

「友樹、一口食べたらそれで終わってしまう食べ物も、中には存在するだろ?」

「…………うぐ」

 友樹は思わず顔をしかめる。一瞬『青酸カリ』とかいう探偵ものではありきたりな毒物の名前が頭を掠めるが、そんな生易しいものではないことを、僕も友樹も十分に知り尽くしている。

 

 はっきり言おう。手作りには超やべぇ品も存在する。


 髪の毛なんぞはまだ序の口。中にはヴァンパイアしか喜ばないよーな品もちらほらあるのだとか。

 僕と友樹が小学校の頃に遭遇したアレは、そんなもんとは比較にならないほどおっかなかったケド。

「友樹……正直アレは僕のトラウマになって余りある恐怖体験だった。もうあんまり思い出したくはないな」

「その通りだ親友。あの時ほどお前がいて良かったと思ったことはなかったな。お前がいなかったらえらいことになってた」

 青くなりながら震える親友。あの出来事は、きっちりとトラウマになっているらしい。

「この世に生息する幼児愛好家は全員抹殺されればいい。いや、むしろ俺が八つ裂きにしてやるぜ」

「その通りだ友樹。同じように同性愛者も全員ことごとく死ぬべきだな」

「なんで俺たちはデ●ノートとか持ってないんだろうな?」

「使い方なんざ一切気にせずにメモ帳とかに使いそうだからだろ」

「じゃあ、なんで俺たちは四次元ポケットとか持ってないんだろうな?」

「それはドラえ●んに聞いてくれよ」

 チョコをたくさん貰っているくせに、そのチョコをどうやって始末したらいいのか未だによく分かってない僕の親友は、実は内心かなりふて腐れていた。

 まぁ、ありていに言えばこの男、実は意中の相手からチョコレートをもらったことが一度もないのだ。

 見た目がやたら良くて女の子にも優しくて、ついでに言えば家が金持ちの人生勝ち組の友樹だが、本当に好いている相手からは一度もチョコレートを貰ったことがない。僕にしてみれば一個でもまともなチョコを貰えるならそれでいいんじゃねーかとは思わなくもないが、どうやらモテる男の心というものはかなり複雑なものらしい。

 とりあえず、一回死んでみればいいんじゃないかと思う。

「……なぁ、親友。なんだかお前の視線がものすげぇ冷たいような気がするんだが、気のせいか?」

「いやいや、お前みたいなパーフェクト人間の悩みなんざ凡俗たる僕にはさっぱり分からないって思っただけさ」

「俺は完璧でもパーフェクトでもねぇよ」

「そう思ってる限り、お前は無敵だと僕なんかは思うんだケドね」

 飢餓と渇望。満たされないから不安になって、不安を払拭するために足掻き続ける。

 もしかしたら、それは存在としての弱さかもしれない。ただ単に弱いから足掻いているだけかもしれない。

 でも……僕はそういうヤツの方が好きだ。

「完全じゃないってことはいいことだ。欠けている部分があって当たり前。むしろなんでもできる人間の方が必要のないコンプレックスとか持っちゃって面倒だろうしな。それでも、そういうものに正面から立ち向かおうとするお前の根性は、まぁまぁ褒められたものなんじゃないか?」

「……なぁ、キツネ。お前なんか変なものでも食ったか?」

「見返りがある場合限定で僕の舌は思ってもいないことを口走ることがあるんだ」

「なるほどな」

 友樹はにやりと笑う。僕も合わせて口元を緩めた。

 こういう行事でもらったものは、いつも通りに二等分することになっている。

 ……というか、友樹が処分しきれないぶんを僕が負担することになっている。

 腐れ縁ってのはえてしてそういうもんだ。

 と、僕がいつも通りに友樹のチョコレートに手を伸ばした、その時。


「駄目ですよ、バレンタインのチョコレートには気持ちがたくさん入ってるんですから」


 そんな、ロマンチックな言葉が響いた。

 顔を上げると、そこにはメイドの見本のような彼女が立っている。黒縁眼鏡に切れ長の瞳。全体が黒で統一されている中、エプロンドレスとカチューシャだけがまるで新品のように純白。白と黒の協調こそが、その完璧なメイドの特徴である。

 友樹の付き人。有坂家筆頭侍従、芳邦鞠。

 学校には不釣合いもいいところな彼女は、にっこりと綺麗に笑って綺麗なお辞儀をした。

「どうも、お久しぶりです。いつも友樹様がお世話になっております」

「いえいえ、いつものことですから。むしろ毎度毎度よく刺されないなぁと感心しています」

「刺されればいいんです。死ねばいいんです。……いいえ、むしろ私が殺してやる」

「殺人罪は人間的に非常に良くないと思うなっ!」

 あからさまな殺意を感じ取って、友樹は涙目になりながらも抗議した。

 しかし、鞠さんは『臓物をブチ撒けるぞ』と言わんばかりの視線を友樹に向けて、一瞬で黙らせる。

「……毎度毎度後始末を引き受ける私の立場にもなれってもんですよ、本当に」

「………………ごめんなさい」

 友樹は真っ青になりながらも素直に謝った。この場で土下座せんばかりの勢いだった。

 まぁ、もしも僕が友樹の立場だったら、土下座程度では済まないのだけれど。

 あまりにもかわいそうなので、ちょっとフォローを入れてやることにした。

「で、話は変わりますが、なんで鞠さんがここに?」

「ああ、そうでした。私としたことが怒りのあまり最初の目的を忘れるところでしたよ」

 鞠さんは口元を緩ませて、ふところから綺麗にラッピングされた箱を取り出して、僕に手渡した。

 思わず受け取ってしまってから、それがなんなのかようやく気づいた。

「……あの、これってもしかして」

「チョコレートです。まぁ、お口に合うかどうかは分かりませんけど」

「えっと……ありがとうございます」

 顔を赤くしながら、それでも僕は笑いながらお礼を言った。叫びたい衝動に駆られたりしたけれどそこは堪えておく。

 いや、だってねぇ。ここで大げさに喜んだりしたら後が怖いもん。

 後ろからビンビン感じる激烈な殺意。それは紛れもなく友樹のものであり、ひがみだとか妬みだとか嫉みだとかそういうものがいい感じに混ぜ合わさった殺意だった。

 もちろん、そんな風に普通に嫉妬する友樹を見逃すはずがない侍従さんは楽しそうに笑うわけで。

「友樹様、なにをそんなに怒っていらっしゃるんですか?」

「……別に。なんでもねぇよ」

「そんなに心配しなくても、ちゃんと友樹様のぶんもありますよ」

 鞠さんはそう言いながら、ふところからなにやら重厚感溢れる黒いラッピングのされた箱を取り出した。

 嫌な予感がする。バレンタインなどという軽薄な行事を嘲笑うようなその箱に僕は見覚えがあった。

「はい、どうぞ」

「お、おう」

 ぶっきらぼうながらもかなり嬉しそうに友樹は箱を受け取って、少しだけ顔をしかめた。

 包装紙を破かないように丁寧にラッピングを剥がし、現れたのは木目が美しい木造の箱。

「……なァ、鞠」

「なんでしょう?」

「これはもしかして、『みつやのおはぎ』なんじゃねーか?」

「ご名答」

 にっこりと笑って、鞠さんは満足そうに頷いた。

 みつや。僕もよく利用する、和菓子洋菓子節操なしに作っているお菓子屋。元は和菓子の老舗でもある。

 そのみつやには二種類のおはぎが存在している。

 一つはリーズナブルな値段のおはぎ。子供からお年寄りまで様々な人に親しまれる味のおはぎである。

 そして、もう一つが桐の箱に入った馬鹿みたいに高いおはぎ。材料は全て超がつくほどの一級品で作られたおはぎ。その美味さは最早この世のものとは思えず、一年待ち状態になっているのだとか。

 友樹が箱を見つめながらちょっと泣きそうになっていると、鞠さんは追い討ちのように言い放った。

「チョコレートばかりで食傷気味だと思いましたので、趣向を変えて和菓子を用意いたしました」

「………………」

「彼に感謝してくださいね? 私もこのような嗜好の味に巡り合ったのは初めてなのです」

 自慢げに語る鞠さんの視線の先には僕がいるわけで、ついでにこのおはぎを紹介したのも僕だったりする。

 うーん……鞠さんに加担したわけでもないのに、この罪悪感は一体どういうことだろうか。

 ちらりと友樹を見つめると、友樹はなんだか涙ぐんでいるようだった。

「…………う」

「う?」

「うああああああああああああああああああああああああんっ!!」

 ほぼ泣きながらダッシュで教室から逃げ出す友樹を、僕は追うことができなかった。

 沈黙に包まれる教室内。もう少しで休み時間が終わるというのに、空気がやたら痛々しい。

 チョコ貰えなかったくらいで泣くなよと思わなくもないけれど、僕にはあいつが泣いてしまう原因がなんとなく分かった。

「……鞠さん」

「なんでしょうか?」

「もしかしなくても、鞠さんってあいつにチョコあげたことないでしょ?」

「無論、ありません。今年は友樹様が好きそうな女性全員と結託して、チョコをあげないように取り計らっております」

「………………」

 鬼がいる。ここにまごうことなき鬼がいる。

 鬼は外でも内でもなくメイドの中にいたのだった!!

「それに、友樹様は甘くするとすぐに調子に乗ってつけ上がるので、このあたりで手綱を引き締めるべきなんです」

「……そのわりにはかなり高額なモノをプレゼントしてたみたいですが」

 驚くべきことに、みつやの高級おはぎは一箱六個入りでお値段は一万円だ。僕が今手にしているチョコレートなんざ足元にも及ばない、超が付くほどの高級品なのである。

「鞠さん。前々から思ってましたけど、実は鞠さんってかなり友樹のことが好きなんじゃないですか?」

「……泣き顔は大好きですが、にやけた笑顔は大嫌いです。プラスマイナスゼロで『どーでもいい』って感じですね」

 鞠さんは臆面もなくきっぱり断言した。そこに嘘はない。まごうことなき本音だった。

 ……鬼じゃない。この人は修羅だ。サディスティック星からやってきた鬼子の修羅だったんだ!

 僕が戦々恐々としながら怯えていると、鞠さんは不意ににっこりと笑顔を浮かべた。

「さて、そういうわけで一ヵ月後が楽しみです」

「え?」

「貴方はどんなお返しをしてくれるんでしょうか?」

 被害が飛び火した。対岸の火事がこちらにも燃え移った。

 僕の手の中には当然さっき渡されたチョコレートがあるわけで、ついでに言わせてもらうならこのチョコレートはラッピングが異様に凝っていることから考えて間違いなくっていうか間違いであって欲しいっていうくらいに明確な『手作り』のチョコレートである。

 このチョコレートに勝るお返しなんて存在するわけもない。

「まぁ、私としましては一日だらだら食べ歩きなんかをしながら適当に服飾店などを物色し、疲れたら喫茶店などで休んで、ちょっと映画を見てから最後はホテルにしけこむというのが理想的なお返しかと愚考いたしますが」

「……怠惰なデートですね」

「じゃあ、普通に遊園地とか連れて行ってください」

「友樹に殺されそうだなぁ……」

「友樹様なんてどーだっていいじゃないですか。私一人いなくなったって困らないでしょうし」

「……うーん」

 いや、正直なところかなり困ると思う。

 ヘタレな男には性格のきつい女の子が非常に似合うと思う。

 まぁ、僕的には一生尻に敷かれろみたいな感じなのだけれど。……そっちの方が友樹に似合ってるし。

「失礼ですが、なにか失礼なコトを思い浮かべませんでしたか?」

「いや、お似合いだなって思っただけなんですけどね」

「……謝ってください」

「ごめんなさい」

 かなり嫌そうな顔をした鞠さんに、僕は大人しく頭を下げた。

 どうやら、鞠さんは友樹のことが冗談抜きで嫌いらしい。てっきり仕方がないから世話を焼いているんだと思ったけれど、そうでもないようだ。 

 あるいは、独占欲かもしれないけれど。

「いえいえ、私としては『死ねばいいのにあの若白髪』といった具合で、他意は一切ありません。どちらかというと、貴方のような姑息で狡猾で卑怯な人間の方がタイプです」

「……全然嬉しくないんですが。っていうかさりげなく人の心を読まないで下さい」

「そういうわけで、ホワイトデイのお返しはデート的なものがいいかと」

「……デートですか」

「多分、貴方にとって悪い話ではないと思いますよ?」

 悪い話もへったくれもない。デートしてくれるというのならこちらから頼みたいくらいだ。

 それでも……あまり気が進まないのは、きっと僕がヘタレだからだろう。

 あらゆる意味で。

 けれど、いくらヘタレだって踏ん張らなければならない時っていうのが存在する。

「……分かりました。それじゃあ、ホワイトデイにデートしましょう」

「ご理解いただけてありがとうございます」

「ええ。……と、いうわけでこのチョコはお返しします」

「え?」

「実は僕、和菓子も好きなんです。みつやのおはぎとかもう最高ですよね」

 渡されたチョコを突っ返しながら友樹が置き忘れた桐の箱を持ち上げて、僕はにやりと笑う。

「そういうわけで、そのチョコレートは鞠さんが『直接』友樹に渡してくださいね」

「………………え? あの、ちょっと?」

「じゃ、そういうコトで」

 手を振りながら鞄を手に取り、僕はこっそりと逃走する。

 次の授業はサボるしかないのだけれど、こんな面白いイベントと引き換えならまぁ別にいいだろう。

 友樹が明日どんな顔をしているのか楽しみにしながら、僕は帰路に着いた。



 バレンタイン。チョコレートと愛と恋と義理と人情が飛び交う日。

 僕はこの日を完璧なる他人事だと思い込んでいた。

 その思い込みが……本当の絶望を招くことになろうとは、この時は思ってもいなかった。

 


「ほれ」

「へ?」

 屋敷に帰って来た後、グレープフルーツジュースを飲むために食堂にやってきた僕は、京子さんから綺麗なラッピングの施された四角い箱を受け取った。

 目を白黒させた後、四角い箱を見つめて僕は口を開く。

「……えっと、これは?」

「バレンタインチョコ。……ま、あたしの柄じゃないってことはよく分かってるケドね」

「………………」

 サクリと心に染み入る言葉のナイフ。

 ……やべぇ。

 これはものすごくやばい。洒落になってない。嬉しすぎて泣きそうだ。

「あの……京子さん」

「ん?」

「ありがとうございます。……なんつーか、生まれて初めてバレンタインで普通にチョコ貰った気がします」

「そーなの? あたしはてっきり山口から毎年貰ってるもんだと思ってたケド」

「………………」

 や、貰ってないこともないですよ? ただアレをチョコレートと認めるには若干の抵抗があるだけで。

 創意工夫を凝らした瞬間に料理を劇物に変える特性を持つコッコさんのおかげで、僕にとってバレンタインとは『地獄』と同義語になっております。

 ……素直に『食えるかこんなもん』って言えればどれだけ楽になることだろう。

「……なんか、かなり深刻そうだね、坊ちゃん」

「いや、実際問題かなり深刻ですよ。……去年は本気で死にかけたからなぁ」

「こっそりどっかに埋めちまえばいーじゃん」

「小学校の時に実行して殺されかけました。食べ物を粗末にするのは良くないそうです。……どこかに捨てるのも気が引けますし、捨てたとしても、万が一子供が拾って食べたりしたら僕が殺人犯になっちゃいますしね」

「………………」

 京子さんはものすごく悲しそうな表情を浮かべて、僕の肩をポンと叩いた。

「坊ちゃんってさ、要らない苦労を平気な顔で背負って誰も見てないところで泣いてたりするよな」

「……そういうセリフはもっとシリアスな場面で言った方が説得力が増すと思うんですが」

「じゃ、いっそのこと逃げちゃうか?」

「へ?」

「んー……まぁ、つまり……」

 京子さんは頬を掻きながら、ちょっと顔を赤らめて苦笑した。


「このまま二人でさ、どっか行っちゃおうかってコト」


 ガツンと殴られたような衝撃が走る。

 ついでに言えば、僕の心の大事な部分がごっそり持っていかれるような感覚が走る。

 やばい。本当にやばい。今かなり理性を忘れそうになった。

 心臓が刻むビートは通常のおおよそ三倍程度。このまま緊張状態が続けば僕が保ってきた全てが崩壊すること間違いないだろう。はっきりと言ってしまえば、狼さんに変身する一歩手前くらい。

 そんな過酷な状況下で、京子さんはさらに追い討ちを加えてきた。

「で……どうするの?」

「……う」

 大きな瞳が僕を覗き込む。可愛いと素直に思うのはこの場合は失礼でもなんでもなく自然なことだろう。

 ついでに言えば、京子さんは少しだけ震えていた。軽く言っているように見えるけど、実際に男と付き合ったことのない京子さんとしてもかなり恥ずかしい言葉だっただろうことは、想像するに難くないことだ。

 頭がオーバーヒートする。本能が理性を撲殺し勝利の咆哮を上げる。ギチリと歯車が狂い出す。


 それらの全てを、ただの意地で叩き潰した。


 頭がクリアされる。理性が血塗れになりながら本能をアッパーカットで沈める。ガチリと歯車が噛み合う。

 僕はにっこりと笑う。いつもの通りに笑って、ほんの少しだけいつもじゃないことをした。

「え……あの、坊ちゃん?」

 指を伸ばして、京子さんの頬を撫でる。柔らかい感触が指を通して伝わってくる。

 それから、少しだけ顔を近づけて、京子さんの顔を間近で見つめる。いつ見ても可愛いなぁとは思ったけど、口には出さずに瞳の色を脳裏に焼き付けた。

「京子さん」

「……はい」

「ありがとうございます。覚悟は決まりました」

「………………へ?」

 ホント、なんつーか京子さんには苦労をかけっぱなしだ。

 今回も僕がへたれていたばっかりに気を使わせる羽目になってしまった。

 本当にやれやれだ。自分が情けなくて仕方がない。京子さんに心配をかけさせるな。彼女はかなりの心配性で、ついでに言えばものすごいお節介だ。こっちが困っていることなんざ容易く見破って手を貸そうとする。

 そういう人を困らせちゃいかんだろ、男として。

 黒ずんだ劇物程度、平気な顔で食ってやれってなもんである。

「すみません、毎度毎度手を煩わせてしまって」

「……えっと」

「じゃ、行って来ます」

 悲壮な覚悟を固めて、僕はゆっくりと背を向けて歩き出す。

 さてと……それじゃあ、ちょっくら死にに行ってくるとしましょうか。


 

 彼が立ち去った後、梨本京子はテーブルに突っ伏して頭を抱えていた。

 少しだけ顔を上げて、目を伏せて、なぜか顔を真っ赤に染めた。

「………………はぁ」

 溜息を吐いて、ぼんやりしながらさらに溜息を吐いて、もう一度溜息を吐いて再びテーブルに突っ伏した。

 主がこんな調子のため食堂は開店休業中であり、そもそも客の大半が食堂に入った時点で背中に哀愁を漂わせている京子に気づいて即座に引き返している。

 君子危うきに近寄らず。気落ちしている虎に近づこうとする馬鹿はいないのである。

 虎に匹敵する竜のような実力者を除けばの話だが。

「どうしたの? 京子ちゃん。まるでクリスマスのプレゼントが想像したのと違った子供みたいな顔してるけど」

「うるせーよ。あと京子ちゃんとか言うな、美里」

「はいはい。それで、一体どうしたの?」

「……うるせーよ」

「ふぅん?」

 顔を伏せながら拗ねたように頬を膨らませる京子を、美里は微笑ましく見つめた。

「ちょっと期待した?」

「なにをだよ?」

「キス」

「っ!?」

 顔を真っ赤にして一瞬で美里から距離を取る京子。

 警戒心をむき出しにする京子に対して、美里は溜息混じりに言った。

「一部始終見させてもらったの。……まぁ、見るつもりはなかったんだけど、そこは不可抗力というか」

「……説得力がねーぞ」

「じゃあ素直に『ちょっと盗聴してました』とでも言えばいいのかしら?」

「あーそーだな。そっちの方がアンタらしくてついでに説得力にも満ち溢れてるわこの野郎っ!!」

「だって京子ちゃんってばみんなを出し抜こうとするんですもの。そのくらいはいいと思わない?」

「出し抜こうなんて思ってもいねーよっ! あと、いい加減に京子ちゃんはやめろっ!!」

「まぁ……今回は坊ちゃんにしてはちょっと積極的でしたけど」

 美里がポツリと呟いた言葉に反応して、京子はピタリと怒りを収めた。

「……っていうかさ、普通に考えりゃ誤解するだろあの行動は」

「そりゃそうかもしれないけど、坊ちゃんとしても京子ちゃんの行動はかなりギリギリだったと思うわよ?」

「……そーゆーもんなのか?」

「そういうものよ」

 美里はそれだけを言って、口元を緩めた。

 自分の可愛らしさを一切合財自覚していないどころかむしろコンプレックスにしている京子には全然予想もつかないだろうが、あの瞬間確かに少年は確実に陥落していた。美里も盗聴してて『キスか? とうとうちゅーしちゃうのかっ!?』などと嫉妬心そっちのけで手に汗握ってしまったのだが、結局少年は京子になにもしなかった。

 少年が最後の最後で踏ん張れた理由はよく分からないが、度胸がなかったかあるいは他の理由があるのだろう。詳しいところは美里にも分からないが、とりあえず今やるべきことは明確だった。

「じゃあ、そういうことで、私はそろそろ業務に戻るわね」

「…………待てコラ」

「あら、なにかしら?」

「美里。アンタなんかロクでもないこと考えてるだろ?」

「ロクでもないことは考えてないと思うんだけど。……強いて上げるなら『やっぱり押しの一手ね』くらいなもので」

「考えてるじゃねぇかこのド阿呆っ!!」

「好きな男の子に性的な嫌がらせをしたいって思うのは、女として当然のことでしょっ!?」

「当然なわけねーだろうが! どこの淫魔の理屈だよそりゃっ!!」

「本当はキスしたかったくせに♪」

「…………死ね。今すぐ死ね。むしろあたしが殺してやらああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

「ほーっほっほっほ、やってごらんなさいキョーコっ! 愛とは奪い取るものよっ!!」

 椅子を振り上げる京子と、テーブルを持ち上げる美里。互いの眼光が交錯し、派手な音が響き渡る。

 第二ラウンド開始の合図だった。



 番外編『伍』『バレンタイン・デス(前)』END

 番外編『六』『バレンタイン・デス(後)』に続く。

はい、そういうわけで番外編です。番外編なので特に問題もペナルティもなし。楽しくお読みください。

と、いうわけで後編は双子+コッコVSリミッター解除美里になります。お楽しみに♪

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