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第三十五話 鋼の恋と無双の愛

はい、お待たせしました。

美里ルート、ここに完結でございます♪

今回はアホみたいに長いです。ご注意を(笑…えない)

 みんなが幸せになれれば、それで。



「前々から気になってはいたんだ。……なァ、どうしてテメェはここまで無茶苦茶な嫌がらせをしやがるんだ? あいつはどこまで行っても普通で、ありきたりに普通でどうしようもなく普通じゃねェかよ。努力を重ねても境地に至ることはなく、修練を積んでも極限に達することはない。アイツはあまりにも普通で極めて人間らしい野郎じゃねぇか。なのに、どうしてこんな嫌がらせができる? ……お前はもう『ないものを羨む』ような存在でもねーだろうがよ」

「分からぬか、白き者よ。だとすればお前の目は節穴だということだろうさ」

「分からねぇよ。……俺には、お前がなにを考えているのかなんざ、さっぱり分からない」

「では言おう。お前は本当にあの少年が『普通』などという枠の中に収まるとでも思っているのか?」

「当たり前じゃねぇか」

「普通と呼ばれる人間はな、格闘家に対して銃撃戦を挑んだりするようなことはせん。ましてや剣を相手に言葉で戦おうなどとは思いもつかんだろうさ。……言うなれば、普通でありすぎた故に、ヤツは普通を逸脱した」

「……何が言いたいんだよ、結局」

「当然のことが言いたいのさ、白き者。……全ての者には等しく選択する権利が与えられる。もしも我が乗っている少年が一歩でも選択を踏み違えようものなら、我はすぐにでも少年から離れよう。だがな、今を持って我は彼の背中に乗っている。それはつまり彼が選択する者であり、我ではなく他のなにかを背に背負う人間であるということだ。普通でありながら普通を逸脱する、そういう存在であるということだ。心を押し殺し、心の中で叫びながら生きる馬鹿ということだろうさ」

「………………」

「なんのことはない。当然を百億回繰り返せばそれは当然ではなく、呼吸をするように普通を繰り返せばそれは既に普通ではない。……もっとも、今の時点ではヤツが我を凌駕するのか、我がヤツを飲み込むのか、そこまでは分からない。……あと一つ、なんの見返りもなくヤツの味方をしてくれる酔狂な人物が一人ほどいれば、ヤツが我を凌駕することも可能だろう」

「……お前は最悪だ」

「当たり前だろう? 我が名はデッドエンド。居座った背中にあらゆる死と試練をもたらす一匹のタヌキ」

「聞くに耐えねぇ自己紹介だな、タヌキ。お前はいつもそうだ」

「当たり前だ。死と試練を食い止めたければ堕落させればいい。ヤツが自分の本当の望みと希望を叶えようとするのなら、我は一も二もなく離れることを快諾しよう。それほどまでにヤツの本当の望みと希望は、素晴らしいものなのだから」

「………………」

「しかし、それだけはできぬだろう。……なぜならば、ヤツはどこまで行っても、男の子なのだからな」

 タヌキはそう言って、苦しそうに微笑んだ。

 


 そして、僕は白銀の騎士剣を幻視した。



 悪寒が全身を駆け抜ける。意味不明な衝動のままに、僕は美里さんを突き飛ばして横に飛んだ。

 空を切る感触。ぎりぎり鼻先を掠めるか掠めないかという一線。ちなみにぎりぎり掠めなかった方だけど、一歩間違えると頭から割られていたと思うと生きた心地がしない。

 横に飛びながら受身を取り、一回転して起き上がる。

 見ると、厚手のコートにスカートという普段着には似合わない騎士剣が、美里さんの手に握られていた。

 ……やばい、普通に殺される。

 甘いムードから一転、僕は一気に命の危機に晒されることになってしまった。

 僕はゆっくりと立ち上がりながら、いつでも逃げ出せるように重心を変えておく。

「……あの、ミサトサン? いくら僕でも国家権力に頼らざるを得ない瞬間っていうのがありますよ?」

「………………えっと」

 美里さんはちょっと顔を赤らめながら、騎士剣を背中に隠した。

 いや、柄は隠れたけど刀身が隠れてない。最高におっかねえ頭隠して尻隠さずだった。

「いえ……そのですね、私としては坊ちゃんを一刀両断にするつもりはなくてですね」

「一刀両断じゃないのなら、より確実に刺殺ですか?」

「…………えーと」

 美里さんは愛想笑いを浮かべながら、ゆっくりと視線を逸らした。

「ほら、なんていうか……恥ずかしいじゃないですか」

「照れ隠しで剣を振るうのは、女性としてどうかと愚考するのは間違いでしょうか?」

「……まぁまぁ、それはともかく」

 それはともかくで、話を誤魔化そうとする大人の女性がここにいた。

 でも、いくらなんでもそりゃねぇだろと思う。

 ……さて、ここで混乱する頭を少しばかり整理してよく考えてみよう。いつかどこかではツッコミ忘れたような気もするが、今まさにここで突っ込もう。

 騎士剣ってなんだ? なんで美里さんがそんなモノを? そして告白の後になぜかそれを僕に一閃するんだ?

 意味が分からない。僕はアレか、剣と魔法の世界にでも迷い込んでしまったというのか。

 さぁ、こんな時にこそ叫ばなければならない魔法の言葉があるだろう。

 助けて、ドラえも○っ!!

 ドラえも○はおまわりさんと言い換えても可。美里さんのことは好きか嫌いかと言われれば絶対に好きの部類に入るくらいには好きだけど、本物のソードを見せつけられては僕とておまわりさんを頼らざるを得ないだろう。

「坊ちゃん、なにか勘違いをしてませんか?」

「へ?」

「この剣は運命に干渉する剣。銘はサレナといいます。物質を切るのでも精神を絶つのでもなく、そのものが辿った運命の一部を上書きする剣なのです」

 ……ファンタジーな発言だった。一歩間違えれば危ない人に見えなくもないくらいに。

 本当に僕はなんて迂闊なんだろう。美里さんの有能さにかまけてここまで追い詰めてしまうとはっ!


 ザゴンッ!!


 一瞬、殺されたかと思った。

 僕の考えていることなど美里さんには見抜かれていたのか、彼女は額に怒りマークを浮かべながら、よりにもよってその騎士剣をまるでスローイングダガーのように手首のスナップだけで投げ放っていた。

 その剣は真っ直ぐに僕の足元を穿ち、靴の先を綺麗に切り取っていた。

「……あの、美里サン? 今さっき『物質を切るのでも』とか言いませんでしたっけ?」

「切ろうと思えば切れますよ。まぁ、なんだかんだ言っても剣ですから」

「………………」

 さりげなく嘘を吐く主婦がここにいた。

 もう一度だけ、先を切られた靴を見る。新品ではないけれど履き慣れた靴だったというのに、あっさりとダメになった。僕は長年の相棒に別れを告げるように心の中で手を合わせて、

 違和感を覚えた。

 はて……僕の相棒はこんなにカラフルな色だっただろうか?

「そう、今のはこの剣で『靴に塗られる色』を上書きしたんです。元々の色ではなく、別の色を塗られるように運命を改変した。それが……『運命干渉剣・サレナ』の能力です。……能力発現には対価が必要で、対価とは『等価の提供』を指します。つまり、『存在そのもの』なんていう大きなものを消せば、使用者の存在も消えるってことですね」

 ちらりと見ると、美里さんの靴の色も変化していた。

 ただ、それまでのなんだか地味な緑色ではなく、洒落っ気は少ないが重厚感のある黒色だった。

 どうやら、『色を変えた』という対価さえ払えば、どういう色に変えるかは美里さんの意志で決定できるらしい。

 ……そして、ここからは僕の推測。

 もしかしたら、『支払う等価』とは別に自分のものでなくてもいいのではないか? ということ。

 たとえば、あの靴は間違いなく美里さんの所有物だろうけど、もしも差し出せる対価の条件が『所有物』とかに限定されず『肌に触れているもの』ならばこれほどおっかない武器も存在しない。

 右手で切った相手の存在を消すために、左手で触れた相手を対価として支払う。

『運命干渉』なんておっかないものに相対するのならば、そういうことも考えておかなければならないだろう。

 もうなんかファンタジー色に染まりつつある考え方だけど、目の前で靴の色をハワイアン風に変えられては信じるしかない。もしもこれがマジックを使用したトリックだったとしても、僕の頭じゃ解きようがない。

 逃げ出すために事前に重心を変えておいて良かったと思う。美里さんと僕じゃ性能に差がありすぎる。

 差があるのなら先行予測するしかない。

「で、美里さんは僕をどうするつもりなんですか?」

「矯正します」

「………………」

 超おっかないことを言われた。

 もしかして、今から人生やり直せとでも言うんだろうか? 

 それは困る。対価はそこらへんに落ちてるレシートとかでもなんとかなりそうなくらいペラペラで軽い僕の人生だけれど、大人に振り回される幼年期と、周囲に振り回される小学校時代と、メイドさんに振り回される中学時代を経験するのは二度とごめんだ。絶対に嫌だ。確実に死んだ方がましだと断言しよう。

 そんな僕の思いを知ってか知らずか、美里さんは腕組をしながら自分を納得させるように言った。

「そもそも、前々から思っていましたが、坊ちゃんはやたらめったら馬鹿みたいに女性に優しすぎます」

「……や、男としてそれはわりと誇っていいことでは」

「見てるこっちの気持ちにもなりなさい……ああ、いえ、そうじゃなくてですね」

 しどろもどろになりながら、誤魔化すように顔を赤らめて手を振る美里さん。

 ……やべぇ。こんな時になんだけど、ちょっと可愛いかもしれない。

「えー……まぁ、つまり、坊ちゃんに彼女ができれば少しはそういう態度も改まるのではないかと」

「彼女?」

「はい。たとえば、京子ちゃんとか」

「へ?」

「告白されたのに、保留とかはマジいけませんよ? 女の子に恥をかかすとは何事ですか」

 貫くような冷たい視線を受けて、僕の背筋に寒気が走り、髪が逆立ち口元が引きつった。

「ちょっ……な、なんでそれをっ!?」

「なんで知っているのかと言われれば、私もあの場にいたからですよ、坊ちゃん」

 笑顔で恐ろしいことを口にする美里さん。

 いや、既にそれは笑顔でもなんでもない。あからさまな殺意と憎悪を放つ、般若でも生易しい女性の顔だった。

「ええ、なんかもうこの際開き直ってしまいますが、私は坊ちゃんが好きです。男性として愛しています。前々から薄々とは自覚していましたが、完全に自覚したのはあの瞬間でしょう。……なんか、非常にカチンときましたし」

「……や、その、そう言われましても」

「こうなったのも、全部坊ちゃんが優柔不断なのが悪いんです。そもそも、坊ちゃんと京子さんがくっついていれば、私のこの気持ちもそのうち諦めと共に霧消していたのに……ホント、どうしてくれるんですか?」

 どうしてくれるんだと言われても、本当にどうしようもない。

 美里さん……リミッターが外れるとここまで激しい人なのか。後先考えないというか、かなりわがままというか自分勝手というかやりたい放題というか。もしかしたら、こちらが地なんじゃないかと思わなくもない。

 少なくとも、自宅では美咲ちゃんに甘えっぱなしだったわけだし。

 ……でも、美里さんの言ってるコトは、なんかおかしくないだろうか?

「あの、美里さん」

「なんですか?」

「これは他人事だったらいいなと思い込みながら考えた愚考なのですが、別に『彼女』というポジションに無理に京子さんを置かなくたって、いっそのこと自分が『彼女』になってしまうという選択肢はなかったんですか? ほら、それなら矯正するのも容易かろうと思うわけで……や、矯正されたいわけじゃありませんけど」

「………………」

 僕がそう言うと、美里さんはチラチラとこちらを見ながら顔を赤らめて言った。

 

「だって、二十八歳の主婦が、高校生を本気で好きになったりするのは人としてどうなのかなって……」


 ……いや、それはある意味では至極もっともな話だとは思うケド。

 それを言われちゃおしまいだと思うのは、僕の気のせいなんでしょうか?

 僕が思っていることはもろに顔に出ていたのか、美里さんは頬を膨らませて拗ねたように言った。

「だから嫌だったんですよ。……好きだって言ってしまったら、言いたくないことまで言わなきゃいけないんですから」

「……まぁ、そりゃそうですけど」

「大体、坊ちゃんは基本的に女性がものすごく苦手じゃないですか」

「………………」

 図星を言い当てられて、僕は口を閉ざす。

 そう、自覚しているし自覚できる。どう考えても、どういう風に考えても、そういう結論にしか行き着かない。

 女の子はもちろん好きだ。……ただ、それとこれとはまた別の話。

 真っ直ぐに彼女を見つめて、僕はいつも通りに微笑んだ。

「いつから、気づいてました?」

「屋敷に居ついてから一ヶ月くらいですね。章吾くんには屋敷に来てから三日で懐いたのに、私に対しては絶対にあと一歩を踏み込ませなかったですし。……どうもおかしいと思ってちょっと考えてみたんです。それで思いついたのが、『もしかしたらこの坊ちゃんは女性がものすごく苦手なんじゃないか』って、そう思えたんです。……女性に接する態度が異様に優しいというか他人行儀というか、とにかくそういう一面があるように感じたんですよ。自分の好みの女性に対しては特に顕著でしょう?」

 大正解。大当たり。これ以上ないくらいに的確な指摘だ。

 いつか遊園地で舞さんが『結界』と評した。それはつまり僕のパーソナルサークルのことで、『間合い』というものに敏感な彼女のことだ。恐らく、僕と一緒に歩いただけではっきりと察したのだろう。

 ああ、こいつ女の子めちゃめちゃ苦手なんだな、と。

「……だって、仕方がないじゃないですか。母さんはあんなんで、コッコさんにはどつかれて、小・中・高とクラスの女子には『やたら口の悪いキツネ』と言われて罵られる毎日を送れば、誰でも苦手になりますよっ!」

「奥様とコッコちゃんは仕方がないにしても、クラスの女の子に嫌われてるのは坊ちゃんの素行のせいなのでは?」

「ふっ……否定はできないけど、肯定もしませんよっ!!」

「それはほとんど肯定してるようなものですが……まぁ、坊ちゃんは『強い女の子』こそが好きなんでしょうケドね」

「…………あう」

 冷たい視線+溜息の上に呆れたような顔をされてしまった。

 うーん、前々からはっきりと分かっていたけれど、ここまで手も足も出ないとは。

 あっはっは…………いやまじ本当にやべぇ超恥ずかしい。僕という人物の性質をここまで見抜かれてるとは思わなかった。

 我ながら情けないと本気で思っていたから、必死で隠してきたのにっ!

 僕が羞恥で顔を真っ赤にして、叫びたくなるのを堪えていると、不意に美里さんは物憂げに溜息を吐いた。

「……ホント、坊ちゃんっていい顔しますよねぇ。なんというかこう、いじめたくなるというか、辱めたくなるというか」

「やめてください。いい加減にしないと泣きますよ? 本当に泣きますからねっ!?」

「私、そんな貴方のことが好きみたいです」

「うああああああああああああああああああああああああんっ!!」

 数分前はかなりときめいたのに、今そんなコトを言われても僕にとっては悲しいことでしかなかった。

 僕は彼女の素顔を知らなかった。ちょっとぽややんな主婦で、頼りになるメイド長さんだと思い込んでいた。

 美里さん……どうやら、かなりのドSらしい。

 どれくらいのSかというと、『告白』すらも相手に羞恥を与える言葉に変えてしまうくらい。

 サディスティック星のプリンセス、もしくは究極体だった。

「さて、坊ちゃん。それじゃあ役所に婚姻届でも提出しに行きましょうか?」

「いきなり結婚かよとかもっと段階踏ませろよとかそれ以前に、この時間じゃもうお役所は閉まってますからねっ! あと、僕の年齢は十七歳ですから日の国の法律では結婚は不可能ですっ!!」

「段階? キスからですか?」

「どこの世界の人間がお付き合いをするのにキスから始めるんですかっ!? 騎士剣とか出てきた時点でかなりアレですが、現実と空想をごっちゃにしちゃいけませんっ! 日本の心、和の意識。これこそが我らの誇る文化ではないですかっ!」

「文化? 和装の時のうなじと細い指先とかですか?」

「よく分かってると言いたいところですが、いくら美里さんでもそれ以上の侮辱は絶対に許しませんよっ! 和服とはつまり心を表現するものであって、決してエロスを追及するものではないのですっ! どこぞの白いお馬鹿さんがメイドなどというものに専心しているようですが、和服とはああいうモノとは一線を画す、素晴らしい物なのですっ! どこの世界に『メイド服職人』などというくそたわけたものが存在しますかっ!? しないでしょうっ!?」

「そもそも、メイド服とは汚れるのが前提のエプロンドレスとワンピースなので、職人に作らせるものではないのでは……」

「………………」

 ごもっともな意見だった。

 思わずツッコミが停止するくらいに、それはそれは真っ当な意見だった。

 この会話の剛速球キャッチボールの中でそれは言ってはいけないんじゃないだろーかと思わなくもないくらいだった。

 と、僕を黙らせた美里さんは、にっこりと微笑んで満足そうに言った。

「どうです? 私なら坊ちゃんの性能をここまで引き出せるのです。コッコちゃんほどではありませんが、私とて本気になればこの程度は造作もありません。その気になればコッコちゃんより上手く扱ってみせましょう」

「な、なにぃっ!? 会話を止めるためのツッコミすらもそのセリフのための布石でしかないとは……っ!? あとさりげなく『性能』とか『引き出す』とか『扱う』とか僕を人間扱いしていない発言が混ざっているだとっ!?」

「京子ちゃんとは違うんですよ、京子ちゃんとは」

「死をも恐れぬ発言だっ!!」

「坊ちゃんはロリ巨乳と元人妻、どっちがいいですか?」

「僕じゃ思いつかないくらい最悪の選択肢を用意できる美里さんの性根は絶対に縄文杉くらいに丈夫でしょうねっ!」

「違います。私の性根はどちらかというと苔とか(かび)にも似たような感じで」

「つまり不死身とか不屈とか、そういうコトだというのかっ!?」

「私は普段取り澄まして『僕はなんでも知っています』みたいな顔をしてる男の子を虐待できるなら、不死鳥のように何度でも蘇ることができる女なのですよ」

「考え得る限り最低の蘇生条件だな、おいっ!!」

 どう考えても高校生と主婦の会話じゃねぇよな、これ。絶対に違うと断言できる。

 リミッター解除美里さん。彼女は異世界なんかじゃなくて、サディスティック星からやってきたお姫様、もしくはあまりにもサディスティックすぎて追放されたサディスティック型究極体、別名S型究極体だったりするに違いないと確信する。

 なんてコトだ。女性に告白されると、もれなく彼女の知らなかった一面が見えてくるとは。

 ……それって、絶対にこういう意味じゃねーよな。

 まぁ、それはともかく。

「さて……楽しい会話はここまでにしておきましょうよ。なんかそのへんの公園でいちゃついてるカップルに奇異の目で見られそうですし。……まぁ、そのカップルたちが一番注目してるのは、僕の足元に突き刺さってる騎士剣でしょうけど」

「そうですね。……あの、坊ちゃん。それはわりと大切なものなので、返してもらえませんか?」

「わりと大切くらいの大切さなら、溶鉱炉に放り込んでしまいたい気分なんですケド。運命干渉とか卑怯すぎますし」

「気持ちは分かりますが、夫の形見なんです」

「………………」

 夫の形見をわりと大切とか曖昧に言っちゃいかんだろう。

 僕は片手で扱いには信じられないくらい重い騎士剣を引き抜いて、美里さんに差し出した。

「はい、どうぞ。今度からは形見を片手でぶん投げたりしないでくださいね?」

「そんなに簡単に渡していいんですか? しねーざくーとかやられちゃうかもしれませんよ?」

「なんかもう、それならそれで仕方ないです。そんなふうにやられちゃう僕の生活態度が悪かっただけのことですから」

「……なるほど」

 美里さんは、なんだか嬉しそうに笑って剣を受け取った。

「坊ちゃんってアレですよね。言葉では言い表せない、想像を絶するバカですよね」

「……そろそろ訴えていいですかね? 名誉毀損とかで」

「結婚してください」

「振り出しでも言いましたケド、高校生は法律上結婚できません」

「事実婚でもいいですから」

「………………」

「ちょっと考えましたね?」

「それは健全な青少年男子としてはかなり仕方がないような気がするんですがっ!」

 誤魔化すように叫びながら、僕は頭痛を堪えるのに必死だった。

 事実婚。未婚(役所に婚姻届を提出していない状態)にも関わらず、まるで結婚しているように振舞っている男女の状態のことを指す。結婚はしていないけれど、『ほぼ結婚』という状態であると言える。

 そういうわけで……僕がちょっと考えてしまったりするのも仕方がないのだった。

「坊ちゃんもなかなか強情ですね」

「高校生ってのはそういうものでしょう」

「では、こういうのはどうでしょう?」

 美里さんは挑発的に笑いながら、さりげなく僕に体を寄せてきた。

 そして、にっこりと笑いながら美里さんは僕の腕を取り、指を絡めるように手を握り体を寄せてきた。

 ……ってちょっと待ておい。なんでいつの間にか『恋人同士の手の繋ぎ方上級編』みたいな感じになってんだ?

 美里さんは僕を精神的に殺す気なのか? だとしたら……僕はとんでもない人に目をつけられてしまったっ!!

「ホント免疫ありませんね、坊ちゃん。顔に出すぎです」

「……うるせぇです。こう見えても僕は、健康的な高校生その1なのです」

「それはそうと坊ちゃん。こうしているとまるで恋人のようですが……そろそろ、気づいたんじゃないですか?」

「………………そーですね」

 ええ、気づきましたよ。気づいてしまいましたよ。

 あんまり気がつきたくなかったし、人通りが少ないこともあってちょっと油断してたけど。


 激烈な殺意を放つ視線を感じた。


 具体的には美里さんが寄り添ってきたあたり。そのあたりで僕は視線を感じた。

 尾行されてる。しかも、ここまで完璧な尾行術ともなると、僕の思いつく限り一人しかいない。

「……京子さんですね」

「ご名答。ついでに襟首に盗聴器がつけられてることは気づいてますか?」

「………………」

「もちろん、坊ちゃんの身を案じてのことですけどね」

 美里さんは少しだけ呆れたように溜息を吐いて、苦笑した。

「昔からあの子はずっとそんな感じでした。ドジなくせに他人想いで努力家でそれを誰にも見せようとしないくせに、いざとなると勇気が出ない臆病者です。……あんな風に『頼れる姉御』みたいにしているのも、他人に必要とされたいからでしょうね。あの子は独りでも生きていけるけど、他人がいないとしっかりできない子ですから」

 信じ難いことに、あの京子さんがクソミソに言われていた。

 そして、不意に美里さんはにやりと邪悪そうに口元を緩めた。

「さぁ坊ちゃん、どうしましょう? 確実に誤解されてますよね、あれは」

「全部美里さんが仕掛け人でしょうが。……っつーか、気づいてたんだったら言ってください。あんな殺意を放ってる京子さんは未だかつて見たことがありませんよ。僕は僕の命の行方がとても心配です」

「告白されたのに、いつまでも結論を出さないからそうなるんです」

 ごもっともな言葉だった。

 でも……結論を出せと言われても、今の僕じゃ女の子を幸せになってできっこない。

「坊ちゃんは、ちょっと重く考えすぎですね。惚れた腫れたなんてノリでいいと思いますけどね」

「……そうかもしれませんけど」

 そういうのは、なんか嫌だ。

 特に、僕は友樹みたいに器用にはできない。大事なものなんて一つか二つしか守れない。

 それすらも守れないかもしれないのに、他に意識を向ける余裕なんてない。

「……まぁ、言いたいことは多々ありますが、深くは突っ込まないでおきましょうか」

 美里さんはそう言うと、スルリと僕の腕から体を離した。

 そして、僕に向き直ると、ポケットからなにやら白い布のようなものを取り出す。

「なんですか、それ?」

「手袋です。……これを、京子ちゃんに渡してください」

 美里さんは綺麗に折りたたまれたそれを僕に手渡して、苦笑を浮かべた。

「それじゃあ、私はここで」

「まだアパートまでは距離がありますけど?」

「いいんです。最後まで送ってもらっちゃったら、思わずキスとかしちゃうかもしれませんし」

「…………僕は一向に構いませんが」

「意地っ張りもそこまでくると、ある意味感心しちゃいますね」

 微笑む美里さんとは対照的に、僕はちょっとだけ目を逸らした。

 見抜かれてるなぁ。……ホント、こんな時にこそ気の利いた言葉の一つでも言えれば良かったのに。

 この苦手意識は、本当にいつかどうにかしないとまずいかもしれない。

 と、美里さんは不意ににっこりと笑った。

「坊ちゃん。最後にいいですか?」

「なんでしょう?」

「坊ちゃんに一番良く似合うのはどれでしょうか? 1:蝶々の形を模したナイフ。2:鉄パイプ。3:カトラス」

「………………」

「じゃあ、くれぐれも夜道にはお気をつけください。それでは」

 美里さんは最高に嫌な言葉を残して、ちょっとご機嫌そうに立ち去って行った。

 うん、これで確信した。

 あの人、絶対に超ド級のSだ。間違いない。

「……やれやれ」

 覚悟をしながらゆっくりと振り向く。

 そこには、姿を隠しもせずプカプカと煙草を吹かしている京子さんがいた。

 機嫌は言うまでもなく、最高に悪い。ここまで機嫌が悪い京子さんを僕は見たことがないってくらいに。

「あの……きょ」

「黙れ」

 発言を拒絶されました。

 わぁ、これは本当にやばいね! 絶対に殺されるよっ!

 京子さんは不機嫌顔のまま携帯灰皿に煙草を突っ込んで、ゆっくりと僕に歩み寄ってくる。

 手にはなにも持っていない。しかし、言うまでもなく現在の僕の師匠は京子さんと言っても過言ではなく、その小さな体に秘められたハイパワーは僕を殺すのに十分な力を発揮する。

 僕はゆっくりと溜息を吐いて、目を閉じた。

 足音が響く。五歩で足音が止まる。恐らく京子さんは僕の目の前にいる。とりあえず、殺される覚悟だけ決めておく。

 が、衝撃は来なかった。

「坊ちゃん。……目、閉じたまま聞いて欲しい」

「……目は開けちゃいけないんですか?」

「うん。今から最低なことを言うから、顔は見ないで欲しい」

 京子さんがそう言ったので、僕は目を開けないことにした。

 僕が目を閉じているのを確認したのか、京子さんはポツリと言った。

「昔、あたしは美里に嫉妬した。今もしてるけど、今とは比にならないくらいに嫉妬した」

「嫉妬?」

「簡潔に言うとそういうコトになる。……あたしの初恋の相手、美里の亭主だから」

「………………」

 僕が思っているよりも、事情は複雑だったらしい。

 友樹がおっかながる理由が今ようやく分かった。

 あいつだけは、あくむさんすら知らない事実を知った上で、それがどうしようもないことを知っていた。

 みんなを守るために敵に立ち向かった京子さんと、好きな人を守るために逃げ出した美里さん。

 どちらが間違っていてどちらが正しいなどとは……絶対に言えないだろう。

「美里は昔はもっと気性の荒い女でね、わがまま放題であたしによく面倒をかけたもんだった。絶対に人に謝ることなく、自分だけは世界で一番って思い込んでるアホでね、ついでに言えば他人が困るのを見て頬を綻ばすような超がつくほどのSで、それも全部意味もない意地を張るためにできた虚構だった。……ホントは寂しがり屋なくせにね」

「………………」

「知ってたから言いたくなかった。逃げたことも今となっちゃ過去のことだし、そうでなくとも美里は十分以上の苦労をしてきたんだと思うから。……ホント、我ながらつまんないことをしたもんだ」

 京子さんはそう言ってゆっくりと息を吐いた。


「……みっともないね、あたしは」


 疲れたような声が響いたと同時に、僕は目を開けていた。

 ゆっくりと息を吸う。ゆっくりと息を吐く。それだけのことがなんて重労働。呼吸をするのが苦痛になる。

 なんだって……どうしてこの人はいつもこうなんだろうか?

「……京子さん」

「なに? 言っておくけど、お説教とか得意の口車とかは気分じゃないから」

「ああ、大丈夫です。……ちょっと怒ってるだけですから」

「なんで坊ちゃんが怒るの?」

「京子さんはこんなに頑張ってるのにどうして自分を卑下するようなことを言うんだとか、それを上手く流したり慰めたり自分だとか、友樹の様子がおかしいことをもうちょっと追求しておけばいくらでも対処ができたんじゃねぇかとか、あとは京子さんがやたら可愛いのでこりゃもう抱きしめていいのかな? ……とか、まぁそんな感じですね」

「……やれるもんならどーぞ。さっきまで美里にデレデレしてた男の言葉とは思えないがね」

「いや、デレというよりどっちかっていうと虐待だったよーな……」

 会話を楽しんでいたのは否定しないけど、確実にいじめだったぞ、あれは。

 僕で遊ぶために告白してきたようなもんだと思う。っていうか、間違いない。あれが美里さんの本性だ。

 と、そんなことを思っていると、不意に京子さんはほんの少しだけ目を細めて僕を睨みつけた。

「そーだよなァ、坊ちゃんは大人の色気が満載した美里みたいなのが好みなんだよなー。あたしみたいなガキは眼中にないってわけだ?」

「いや、それだけは完全否定させてもらいます。京子さんは絶対にガキじゃないし」

「じゃあ聞こう。あたしのどの辺がガキじゃないってのさ?」

「過去の因縁を態度にも出さなかった精神力、自給自足できるだけの生活力、それなりの一般教養、大人としての常識的なマナー、世話焼きや姉御肌なところは『臆病だから』って美里さんは言ってたけど、僕はおっかなびっくりながらも一歩ずつ歩いていく女性の方が好きです」

「……ホント、口だけは上手いよな」

「本心ですから。あと、胸と腰もかなり大人っぽいかと」

「……ホント、最後の一言さえなけりゃな」

 京子さんは呆れたように言うが、話にオチをつけたがるのは性分なので勘弁して欲しい。

 まぁ、なんにしろ京子さんの気分を害してしまったのは僕的にはかなりのマイナスだ。わざとじゃないとか、僕のせいじゃないとか、そういうのは一切関係ない。京子さんは厨房でみんなの話を聞きながらニヤニヤ笑って的確に対応する、食堂の主にして小さいけれど頼りになる姉御じゃなきゃダメなのである。

 僕は、いつも通りに笑った。

「京子さんの気分を害したんだったら謝ります。土下座もしましょう。むしろ、今だったらどんな要求でも通ってしまうかもしれません。裸踊りしろとか、鼻からうどんを食べろとか、そういうのは却下ですけど」

「女装しろ」

「絶対に似合わないので却下の方向で。……友樹か陸くんなら似合うかもしれませんけど」

「じゃ、一日でいいからどっかの採石場でも借り切ってくれ」

「……………へ?」

「広くて爆発なんがか起こっても迷惑がかからない場所なら、どこでもいいけどね」

 京子さんはそう言って、さっき僕が美里さんから受け取った手袋を、僕の手から取り上げた。

 なんの変哲もないその手袋をしげしげと眺めて、京子さんはゆっくりと溜息を吐いた。

「どうやら……凶悪に面倒なことになったみたいだから」

「どういう意味ですか?」

「教えてやらない。……と、言いたいところだけどキスでもしてくれたら教えてやろう」

「はい。まぁ……キスくらいなら」

「へ?」

「京子さんがして欲しい場所にしますけど、要望はありますか?」

「……ちょ、ちょい待てこらぁっ! なんだその『まぁキスくらいなら』とかいう言葉はっ!? なにか、あたしが知らないだけで坊ちゃんは女性経験が豊富とかそういう裏設定でも隠されてるとでもいうつもりかっ!?」

 京子さんはめちゃめちゃ動揺していた。なんだか今にも泣いてしまいそうだ。

 ……ちょっと可愛かったので、僕は少しばかり恥を晒すことにした。

 なるべく、無表情を装ったままで。

「いえいえ、僕は女の子と付き合ったことすらありません。単に母さんの知り合いが全員キス魔だっただけで」

「ホントあの女、ろくな知り合いいねぇなっ!!」

「正直トラウマになってないこともないんですけど、京子さんを悲しませるくらいだったら死んだ方がましですしね」

「………………」

 京子さんは思い切り顔を引きつらせながらも、頬を赤らめていた。

 それから、思い切り溜息を吐いて言った。

「……なぁ、坊ちゃん」

「はい」

「前々から思ってたけど、坊ちゃんってかなりぎりぎりなセリフを平然と言うよな」

「そうですか?」

「ああ。あたしが言うのも自意識過剰みたいで嫌なんだけど、あんまり思わせぶりなセリフは誤解を生むから気をつけたほうがいいと思う。……いくらあたしだって、あんまりそういうことばっかり言われると『こいつもしかしてあたしのことめちゃくちゃ好きなんじゃないだろーか?』って勘違いするかもしれないし」

「………………」

 いや、心の中でだけはきっぱりと断言しておくケド、それは勘違いでもなんでもありません。

 基本的に僕は『強い』と思える女の人が好きで、中でも京子さんは筆頭で格好いい上に可愛いパーフェクトさんだ。

 そんな人を嫌いになる道理がない。

 どうやって嫌いになればいいのかすら思いつかない。

 っていうか、なんでこの人『勘違い』とかアホみたいな結論に達してるんだろう。あれだけあからさまなセリフを吐きまくっているっていうのに、まだ『自分は女として見られていない』とか思ってるんだろうか?

 だとしたら、認識が甘すぎるってもんだ。僕の理性なんぞ京子さんの前では薄氷同然だというのに。

 経済力のない男は女性と付き合う権利すらないっていうのに、京子さんはその我城すらも崩壊させかねない人なのである。

 そう……その可愛らしさは下手をすると、猫と拮抗するかもしれないのであるっ! 

「……坊ちゃん。なんかとんでもなく失礼なこと考えてない?」

「いえいえ、ちょっと呆れていただけです。京子さんはいまいち自分の魅力が分かっていないようなので」

「…………あたしに魅力なんてねーよ。ちびだし、可愛くねーし」

 顔を赤らめてぼそぼそと呟く京子さんは、まさに『魅力の化身』と言ってもおかしくないほど可愛かった。

 ……やばいな。うっかりと抱き締めてしまいそうな衝動に駆られそうだ。

 理性の危機を感じ取った僕は、とりあえず話題を変えて気分を落ち着けることにした。

「で……話を戻しますが、あの手袋って一体どういう意味があるんですか?」

「あれ、気づいてなかった? 考えるまでもなく意味なんて明確だろ?」

 京子さんは口元を緩めて、ニヤリと笑った。

「なんだかんだ言っても、美里は育ちのいいお嬢さんだからね。こういう方法でしか喧嘩を売る方法を知らないのさ」

「えっと……つまり」

「そう、こっちの世界にもある簡単な作法。貴族が相手に手袋を投げつける。その意味はたった一つしかない」

 まるで、この時を待ち望んでいたような獰猛な笑い。


「美里はあたしに一騎打ちを申し込んだってコトさ」


 京子さんは楽しそうに笑いながら、目を細めて手袋を見つめていた。



 一騎打ちとか決闘とか、本当はやめて欲しかった。

 喧嘩をするのは自由だし、喧嘩をすることでなにかが吹っ切れるのならそれでもいいだろうと思う。

 でも、考えてもみよう。相対するのは京子さんで、美里さんだ。

 そんな二人が思い切り喧嘩して無事で済むわけがない。

 それでも、僕は止めなかった。

「っていうか……まぁどう考えても止められるわけないしね。止めたら僕の命がかなり危うい」

「俺はお前の命よりも、俺の命の方が心配だよ。っていうかなんで俺を巻き込んだ?」

「一人じゃ寂しいからに決まってるだろうが」

「死ね。頼むから死んでくれ。いや、なんかもう死ななくてもいいから俺を家に帰してくれ」

 僕の親友は、僕のことを睨みつけながら疲れたような顔をしていた。

 決闘の場所に選んだのは戦隊ものの撮影なんかに使われる採石場で、地面に打ち付けられでもしたら最悪死ぬんじゃねーかと思わせるくらいに岩やら石がごろごろしている場所だ。

 本当はもっと安全な場所が良かったんだけど、二人が戦う被害のことを考えると生半可な場所では場所ごと破壊される可能性も捨て切れなかったので、結局採石場を選ぶ羽目になってしまった。

「他人の心配より、自分の心配しとけよ、親友。言っておくが橘さんと京子に告白されるなんざ最終聖戦に巻き込まれるより不幸なことだと思いやがれ。……死を覚悟以前に、生きて帰れると思うな」

「別に生きて帰れるなんて思ってないよ。……あと、人の告白を『不幸』とか失礼なことほざいてんじゃねぇよ」

「………………」

 友樹はゆっくりと溜息を吐くと、呆れたように苦笑した。

「なぁ、親友」

「なんだよ、友樹」

「正直なところさ、お前って京子と橘さん、どっちが好きなんだ?」

「どっちも」

「どちらか選べって言われたら?」

「どっちも選ばない。考え得る限りの手段を尽くして逃げる」

「なんで逃げるんだよ。好きなんだったらどっちか選べばいいじゃねーか。屋敷がどうとか関係なしにさ。前々から思ってたけどお前ってかなり身持ちが固いよな。もう少し柔軟になってもいいんじゃねーか? ……好きなら好きでさ、それでいいだろ」

 友樹の言うことは正論だ。

 が、僕には僕の理由ってものがある。

「友樹」

「あんだよ?」

「言っておくけど、僕はかなり惚れっぽい。一度告白なんざ受けようものなら、その人のために一生を使ってしまうくらいに」

「………………」

「考え方は重いかもしれないけど、テキトーにはしたくないんだよ」

 少しだけ真面目に理由を語って、僕は前を向く。

 友樹はそんな僕の横顔を見つめて、口元を緩めた。

「……変わらないよな、お前。昔と比べてもさ」

「失礼なことを言うな。それはまるで僕が小学生以下みたいじゃねぇかよ。一応成長はしてるっつうの」

「そうじゃない。……変わらないっていうのは、性根の部分さ。お前はいつだってそうだったからな。不平等やら甘ったれたのが嫌いで、よくクラスの女子と喧嘩してただろ? 不機嫌そうな顔しながらいじめてる方もいじめられてる方も、全員例外なくぶっ飛ばしてだだろうが」

「人を泣かせて楽しむような人間も殴られても抵抗せずに黙ってる人間も嫌いだったんだよ。人を殴って楽しむ人間の気持ちも、殴られても殴り返さない人間の気持ちも、僕には理解できないからな」

「そのわりには、虎子にはめちゃめちゃ甘かったじゃねーか」

「殴り返すのが殴られるより嫌で、嫌がらせを受けても健気に笑ってた女の子をかばって何が悪い?」

 結果には結びつかなかったかもしれないが、その心だけは絶対に間違ってなどいない。

 僕がそう言うと、友樹は楽しそうに笑った。

「……つまり、お前はそういうヤツなんだよ。嫌いな人間に対しては異様なまでに冷たくなれる反面、好きになった人間に対してはこれ以上なく惜しみない敬意と愛情を向ける。そいつがどんな人間だったとしても、お前は許容する」

「それがなんか悪いのかよ?」

「悪くはないかもしれないけどな…………」

 友樹はゆっくりと息を吐く。それから、真面目な顔をしてあらぬ方向に顔を向けた。

「っと……話はここまでだ。来たぞ」

「え?」

 友樹が顔を向けた方向に振り向くと、百メートルほど先に当事者の一人である美里さんが立っていた。

 腰に下げているのは昨日見た騎士剣。髪の毛は屋敷にいる時と同じく結い上げてお団子にまとめている。

 まぁ、そこまではいい。……騎士剣はともかく、そこまではいいだろう。

 問題なのは美里さんの体を包んでいる軽装鎧(ライトアーマー)と呼ばれる鎧。半身を包む上部そうな胸部装甲にちょっと風変わりな五指が自由に動くガントレット。中世の騎士がまとうような鉄の鎧を、美里さんは違和感一つなく着こなしていた。

 ……違和感がないのが反対に恐ろしいと思うのは、僕の気のせいだろうか。

 美里さんは鎧を身につけながらも、まるで重さなど感じていないような力強い歩みでこちらに歩み寄ってくる。いつになく真剣な表情で、なんだか声をかけるのが躊躇われた。

 それでも、僕は彼女に声をかけようと口を開く。

「あの、みさ――――」


 ドガァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァンッ!!


 そして、一瞬で美里さんの姿を見失った。

 爆音が響き粉塵が舞い上がる。僕らの横を乾いた風が通り抜け、ついでに石片が友樹の頬を掠めていた。

 ちらりと友樹を見ると、泣きそうな顔になっている。僕もたぶん似たような顔をしていたし、思いも一緒だっただろう。

 来るんじゃなかった。

「あーっはっはっはっは、長年の恨み、今ここに成就せんっ! 成仏しろ、美里っ!!」

 そして、いつの間に僕らの後ろに立っていたのか、楽しそうに笑いまくるメイド服の少女が一人。

 京子さんだった。

「って、いきなりなにどえらい先制攻撃かましてんですかアンタは! いくらなんでもやりすぎでしょうがっ!!」

「馬鹿だなぁ、坊ちゃん。女の戦いってのはもっと陰湿でドロドロしたもんだぞ? あたしなんてまだまだ」

「いや、絶対にやりすぎですからっ! 美里さんが死んじゃったらどうするんですかっ!?」

「甘いなぁ……坊ちゃん」

 不意に、後ろから剣で貫かれるようなイメージが、頭の中を掠めた。


「あの女があれしきのことで死ぬわけねーだろ」


 京子さんの言葉は頭の中に入って来ない。

 ズシャッ、ズシャッ、という重々しい音が響き渡る。

 信じられない。信じられないけど……彼女はどうやら無傷で健在のようだった。

「あらあら、京子ちゃん。おいたはダメじゃない♪」

「はン、地雷踏みつけてもかすり傷一つ負わないテメェの存在こそおいただと思うのは、あたしの気のせいかね?」

「言うようになったわねぇ」

 朗らかに笑いながら、美里さんは騎士剣を引き抜いた。

「……それじゃあ、行くわよ。這いつくばって許しを乞いなさい」

「やってみろよ。アンタこそ、ビビッて逃げ出すんじゃないよ」

 京子さんはどこからともなく、彼女の体格に見合ったカトラスを取り出した。

 それが、戦闘開始の合図だった。



 在り得ない光景が展開されていた。

 打ち下ろされる剣戟、鍛えられし剣が奏でる音が戦場を支配していた。

 どのような技術と膂力を持っているのか、 美里さんが振り下ろす剣の速度は半端じゃない。こうして遠目に見ても、美里さんの剣はまる大瀑布。巻き込まれればそれだけで体がバラバラにされることは言うまでもない。仮に立ち向かったと仮定しても僕なら一撃目で即死。逃げたとしても三撃目には死んでいる。

 剣の心得なんぞあまりないけどそれでも分かる。あれに立ち向かえるのは友樹の所の鞠さんか、コッコさんくらいだろう。

 だが……本当に驚嘆すべきはそこじゃない。

「せやああああああああああああああああああっ!!」

「うらあああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 地面を切り裂くかのごとき一撃を、京子さんは裂帛の気合と共に弾き散らす。

 そう、あの小柄でありながら、京子さんは美里さんとまともに打ち合っている。剣を振るうには不向きな体。どう考えても不利な身長差を覆すかのように、京子さんの手には二振りのカトラスが握られている。

 一振りを剣に、一振りを盾のように扱って、美里さんの剣撃を凌いでいる。

 いや……実際には、逸らしている。

 美里さんが横薙ぎの一閃を放つ。京子さんはまるでその剣の軌道をあらかじめ読んでいるかのように、振るわれた剣に合わせて自分の剣を合わせる。

 そして、最小の力で軌道を逸らす。言うまでもなく『攻撃の直後』っていうのは隙以外の何者でもない。京子さんが振るうもう一刀から逃れるために、美里さんは間合いを離した。

 既に四度。京子さんはその技術で美里さんの攻撃を凌いでいた。

「……ありえねぇだろ、あれは。どうすればあそこまでやれるんだ?」

 僕が呆然としながら呟くと、友樹はちょっとだけ眉をしかめた。

「京子のことか? いや、あれは別に大したことねぇだろ」

「え?」

「だってさ、あれじゃどう考えても『勝つ』ことはできねぇだろ。体格じゃどう考えても京子の方が不利だし、剣を二本持ってる京子の方が負担も大きい。あの戦い方じゃ……いずれやられるぞ」

「………………」

「そもそも、京子は接近戦向きじゃねぇんだよ。……なのに、なんでああいう戦い方するかなー」

 友樹の口調はなんだか呆れているようでもあり、ほんの少し楽しそうでもあった。

 視線を戻すと、京子さんは目を細めながら美里さんの攻撃を再度凌いでいた。これで都合五回目。恐るべき集中力だった。

 間合いを離し再び剣を構えて、美里さんは溜息を吐いた。

「埒が開かない、か。……ねぇ、京子ちゃん。いつから貴女はそんなに強くなっちゃったのかしら?」

「……さぁな。そんなもん、『気がついたら』としか言い様がねぇよ」

「………………」

 美里さんは目を細めた。


「じゃあ、貴女の強さに敬意を表しましょう」


 美里さんはそう言い放って、騎士剣の柄に手を伸ばす

 そして、『運命干渉』というとてつもない力を秘めた剣を、あっさりと捨てた。

 続いて、ガシャ、という硬質的な音が響いて、鎧が地面に落ちた。

 最初から必要ないかのように美里さんは鎧を脱ぎ捨てた。

 残っているのはちょっと変則的な五指が自由に動くガントレットのみ。

 普通、手甲というものは五指が自由に動くようには作られていない。相手の攻撃から腕を守るということを主眼においた手甲は『得物を握る』という行動を妨害しないような造りになっていはいるが、腕を守るという大前提があるために指を自由に動かせるようには作られていない。……現代においてでさえ、剣道の小手は指を自由に動かせる構造にはなっていない。

 ……まさか、もしかして、僕は思い違いをしていたのかもしれない。

 あの人は、剣を振るう人でもなんでもない。ましてや鎧に身を包む人なんかでもない。貴族だったかもしれないが騎士ですらないだろう。

 あの人は、人を叱り付ける時に地面に叩きつけ、容赦なくぶん殴るような人なのだ。

「それじゃあ……本気で行くわよ、キョーコ」

 声の響きが変わる。美里さんは一瞬だけ真顔になって、

 姿を消した。

「ちぃっ!?」

 いや、姿が消えたわけではない。単純に目視できない程の速度で京子さんに肉薄しただけ。

 京子さんはそれにすら対応する。左のカトラスを振り上げ、そのまま振り下ろす。

 ギィンッ!!

 その刀身を、美里さんは手甲で打ち払った。それはまるで先ほどの京子さんの再現でもある。

「忘れたのかしら? この技術を教えたのは……私だったはずよ、キョーコ」

「はンっ!」

 鼻で笑いながら、京子さんは右のカトラスを横薙ぎにする。

 どうやらこれが狙いだったらしい。タイミングはこれ以上にないくらいに完璧。美里さんの動きがいくら早いとはいっても、その動きを凌駕するほどに完全無欠のタイミング。回避はおろか防御も不可能。

 が、京子さんの剣は不意に停止した。

「…………ぐっ」

「甘い」

 身長差。体格差。そういったものがここで明確に現れる。

 カトラスを振るおうとした京子さんの右手首を、美里さんはがっちりと掴んでいた。

「貴女が二刀を振るうのは一刀の斬撃に二刀の手数で対抗するため。質より数。数で質に匹敵させる。……でも、これで互角以上。なぜならば――――私の手は二本ある」

 美里さんは思い切り体を逸らす。

 そして、両手を封じた京子さんに向かって、人体でも最も固い部位を打ち下ろした。

「がっ!」

 単純な頭突き。だが、身長が違うってことはつまり……それだけ威力があるってコトだ。

 血が流れる。ぽたり、ぽたりと京子さんの鼻から血が落ちる。

 だが、京子さんは鼻を赤く腫らしながらも、不敵に笑った。

「……はン、そんだけかよ。ミサトお嬢様?」

「もちろんそれだけではないわ、キョーコ」

「なにがそれだけじゃねーのか見せてみろよ。仲間を見捨てて逃げ出したアンタに、あたしが倒せるか?」

「………………」

 京子さんの軽口はまるでいつもと同じようで。

 けれど、その重い言葉は、美里さんの顔から『美里さんらしさ』を剥ぎ取るのに十分だった。


「だから……だから貴女は卑怯なのよ、キョーコッ!!」


 とんでもない勢いで、美里さんは京子さんを蹴り上げた。

「ええ、そうね。貴女の言う通り。私は仲間を見捨てて逃げ出した!」

 宙に浮いた京子さんの体を掴み、腹に拳を一発叩き込む。

「言い訳なんてしない。私は逃げた。戦場から逃げた。なにもかも全部捨てて、彼だけを抱えて逃げ出したっ! 後悔もしたし苦労もした。そんなことで誤魔化せないくらいに、私はいつもいつも後悔したっ! 後悔し続けたっ!」

 絶叫するように叫んで、美里さんは京子さんに回し蹴りを叩き込む。

「それでも、それでもこんな罪深い私でも、彼は愛してくれたっ!」

 弾き飛ばされた京子さんを追撃。あっさりと追いついた美里さんは、京子さんの首を片手で掴む。

「美咲が生まれて、彼がいなくなってっ、だから私は決めたの。なにがあっても、他の全てを敵に回してでもこの子を守らなきゃいけないって! ……それを、後悔したことなんて一度もないっ! 逃げた私は罪深いけど、それでもこの子を守るためならなんでもできるはずだって、そう思えたからっ!」

 既に京子さんはボロボロだった。もう腕を上げる力も残っていないだろう。

 細い首を掴んでいる美里さんは、真っ直ぐに京子さんを見つめて、叫び続けていた。


「だから、私はあの子を守るっ! 章吾くんの所には……あの世界には行かせないっ!!」


 美里さんは、全部知っていた。

 章吾さんがどこに行ったのかも、美咲ちゃんがどんな思いを抱いていたのかも。

 けれど……美咲ちゃんの身を案じていたから、章吾さんが向かった先がどれほど危険かも知っていたから道を阻もうとした。

「それがどんなに卑劣なことなのかは私が一番知ってる。でも、私は美咲のためならなんでもする。……美咲がちゃんとした人間として生きるためならなんでもするの」

「……大した、エゴじゃねーか、よ。美里」

「そんなの、貴女も同じじゃない」

 唇を噛み締めて、目に涙を浮かべて、美里さんは京子さんを睨みつける。

「貴女はただ怖いだけじゃない。怖いから、誰かに死なれるのが怖いから強くなって、怖いから伝説になるまで戦って戦って殺し続けたんじゃないの。不相応に、なんの才能もないくせに、努力だけで敵を殺し続けた伝説の殺戮者。結局仲間に忘れられたのが怖くてこの世界に逃げ込んで、そこでも怖くて怯えて震えてるだけじゃない」

「………………」

「だから告白の後もなにも言えなかったんでしょ? 都合良く『気のいいお姉さん』の役割を演じ続けたんでしょ? 本当は自分だけを見て欲しいくせに、本当はもっと構って欲しいくせに、本当は好きだって言って欲しいくせに、本当は、本当は、本当は、本当は本当は本当は本当は本当は本当は本当は本当は本当はっ!! 貴女はいつだってそうじゃないのっ! 本当に望んでいることは二の次三の次にして、他人のことばっかり考えて自分を捨てた卑怯者っ!」

「………………」

「私は捨てない。私は美咲を守る。私は彼が好き。私は逃げた。私はここにいる。それが私の全てだから」

 美里さんは真っ直ぐに、どこまでも決然とした瞳で、京子さんを見つめていた。

 京子さんはされるがままで、ボロボロの体を動かそうともしていない。

 ただ、その口元だけは……不敵に笑っていた。

「……そう、だね。アンタの言う通りだ、美里」

「………………」

「昔から分かっちゃいたんだけどね。あたしはどうしようもなく臆病で、誰かに死なれるのが自分が死ぬよりもすごくすごく怖かったから強くなろうと思った。友達を殺そうとするヤツは例外なく皆殺しにした。……美里、アンタが知っている以上に、私は色々殺したよ。たくさん殺した。途中からなんにも感じなくなったけどね。そんな自分も怖かった」

「………………」

「こっちに来ても怖かったよ。衣食住に不自由しなくなったのは良かったケドさ、とんでもねぇ馬鹿がいるんだ。そいつはあたしにそっくりで、鏡写しみたいにそっくりでさ、他人のことばっかりで自分のことなんてどーでも良さそうに考えてる馬鹿だったんだ。人のふり見て我がふり直せっていう感じでさ、あたしがどれだけ危なっかしいヤツだったかって、そいつを通してようやく分かった。……そんなヤツを放っておけって言う方が無理なんだよ。あたし、お節介だから」

「………………」

「でもさ……そいつ、あたしのコト褒めるんだよ。やたらめったら、褒めまくるんだよ。あたしはこんなヤツなのに」

 京子さんは血の気の失せた顔で、力なくぎこちなく笑って。

「嬉しかったんだ」

「……キョーコ」

「こんなガラクタでどうしようもないあたしなのに……そいつは、あたしを認めてくれた」

 あんまり無茶とかさせたくないし。

 頑張ってるそいつを見るのもわりと悪くないし。

 褒められるのは嬉しいし、仕事も楽しいし。

 なにより……好きになってしまったのだから、守ってやるくらいはしてやろう。

「だから、守るって決めた。自分勝手にそう決めた。あいつと、アンタと、屋敷のみんなと……全部ひっくるめて、守るんだ。あたしは伝説なんだから、それくらいはきっとできる」

 京子さんは鼻血を流しながら、美里さんに向かって微笑んだ。


「あたしはアンタを止めるよ、美里。身勝手はここで打ち砕く」


 それは、全開戦闘の合図だった。

 京子さんは不自然な姿勢のまま、足を思い切り振り上げる。その足は短かったけれど、美里さんの鼻先を掠めた。

 その一瞬、刹那の間に京子さんは拘束を外し間合いを離す。

 そして、次の瞬間にはその手には無骨なアサルトライフルが握られていた。

 フルオート射撃で弾丸が一斉にばら撒かれる。普通の人間なら一瞬でひき肉になってしまいかねない弾幕の中を、美里さんは射線に入らないように高速移動しながら、自分に当たりそうなものだけを手甲で防御し、軌道を逸らしていた。

 在り得ないというか、ここまで来るともうなんでもありだった。

 二百発の弾丸をばら撒いたアサルトライフルはあっさりと弾切れを起こす。その瞬間を狙って、美里さんは京子さんに突っ込んでいく。言うまでもなく間合いを詰められれば京子さんの負けだ。近接戦闘では美里さんが有利すぎる。

 しかし、まだ距離はある。美里さんにとっては致命的で、京子さんにとってはチャンスとも言える距離。

 だが、


「――奏でよ、我が足は大地を穿つ」


 ただでさえ視認が容易じゃない美里さんの姿が、本当に見えなくなる。

 そのまま宇宙まで飛べるんじゃねぇかってくらい在り得ない加速。美里さんの足が大地を踏み抜く音に合わせて響いてくるのは、どこか穏やかに響く歌声。破砕音と混ざり合っているくせに、それはやけに耳に残る歌声だった。

 歌姫。……別名、『奏歌の姫巫女』。戦場の最前線で『呪歌』を歌い、味方を鼓舞し敵を紙くずのように殺す。

 分かりやすく言えば、歌で他者を強化しながら敵の能力を下げ、しかも自分も能力を底上げしながら戦えるという、なんというかRPGとかにいたら反則極まりないキャラクターだろう。

 それが美里さんのもう一つの姿だった。

 とはいえ、僕がそれを知るのはこの戦いが終わってからのことで、この時の僕はぶっちゃけて言えば『もうついていけません。勘弁してください』という気分でいっぱいだった。これなら普通に殴り合いでもしてもらった方が余程気が楽だっただろう。

 だが、それを迎え撃つかのように、京子さんは不敵に笑いながらアサルトライフルを足元に捨てた。


「来い、(クロガネ)


 京子さんが次の瞬間に取り出したのは、真っ黒な拳銃。自動式ではなくリボルバータイプの拳銃。

 グリップには『鉄』という刻印。趣味が悪いといえばその通りだが、京子さんはその拳銃をよどみなく構えた。

 メイド服にリボルバーだというのに違和感がまるでない。カトラスを握っている時とも、アサルトライフルを撃っている時とも、以前に見た変な武器の数々で戦うのとも違う。……そこには、明確な闘志と戦意しかない。

「……美里」

「せやあああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 全体重を乗せた一撃を放つ美里さんを見つめながら、京子さんは最後にポツリと呟いた。


「子供はね、いつだって大人の予想なんて簡単に越えるんだよ」



 決着は着いた。完全に、完璧に、これ以上なく明確な形で。

 黒い拳銃が、美里さんの額に突きつけられている。京子さんは引き金に指をかけながら笑っていた。

「……あたしの勝ちだ。美里」

「……ええ」

 美里さんは頷いた。少し納得いかないような顔で、それでも負けを認めた。

 最後の激突の瞬間、突進する美里さんに対して、京子さんは普通に石を蹴り上げた。

 普段ならその程度は楽にかわせる。しかし、美里さんは能力を底上げし、人間とは思えない速度を発揮していた。

 車は急に止まれないのと同じように、速ければ速いほど、加速すればするほど『停止』は困難になる。

 美里さんは結局石を避けることはできずに、正面からまともにぶち当たって、たたらを踏んでこけた。

 京子さんはこけた美里さんに、容赦なく拳銃を突きつけたというわけだ。

 なんつーか……ひどい勝負だった。一番盛り上がらなきゃいけないところで、そんな決着だった。

 まぁ、勝負なんて得てしてそういうものかもしれないけれど。

「さて、美里。あたしが一体なにを言いたいのか、ここまでやればアンタなら分かるだろ?」

「……美咲の好きにさせてやれ、でしょう?」

「半分当たり。もう半分は、アンタも好きにすればいいってコトさ」

「え?」

「だってそうだろ? 子供はいつか大きくなる。大きくなれば親から離れる。そうなったら美里はどうすんの? 子供のために働き続けて、子供が独立してやれやれご苦労様って時に、アンタはそれからどうやって生きるの?」

「……えと、それは」

「ほら、考えてない。前々から思ってたけど、美里はちょっと思い込みが激しいからね。一意専心って感じ」

 結局は……そういうコトだった。

 京子さんは美里さんと美咲ちゃんのことしか考えてなかったし、美里さんは今の自分が悪いことを薄々察していた。

 それでも、お互いに意地を張るべきものがあって、引くことができなかったからこその喧嘩だった。

 京子さんはにっこりと笑って、美里さんに向かって言った。

「美里。あたしはやっぱりアンタを許さない」

「………………」

「だから、美里もあたしを許すな。それで、おあいこってことにしておこう」

「……はい」

 許せないものは許さずに、それでも『許す許さない』以前に守りたいものがあるのなら、きっと我慢くらい楽勝だ。

 京子さんの言葉は、そんな風にも聞こえた。

 京子さんは満足そうに笑う。つっかえていたものが取れたせいか、その顔は晴れ晴れとしていた。

 ハンカチで鼻血をぬぐいながら、ボロボロの体を引きずって、京子さんは笑顔のまま歩き出す。

「……さて、と。坊ちゃん、後は任せた」

「は?」

「女を慰めるのは男の役目ってこった。あたしは一発かましてわりとすっきりしたからね。このまま帰って寝る」

「………………」

「む、なんだよ、そのアホを見るみたいな目は。アレか、まさかちゅーまでなら許せとでも言うつもりか?」

「どういう解釈ですか。……っていうかですね、どう考えても京子さんは病院に行くべきでしょうが」

 見るからにボロボロっていうか、どう見ても瀕死だもの。

 骨や歯が折れていないのが奇跡みたいなもので、内臓破裂していないのが不思議なくらい。

 いくら僕でも騙されてやれる限度ってものがあるのだが、京子さんは苦笑しながら肩をすくめて言った。

「……あたし、医者苦手なんだよね」

「友樹、頼む」

「ほいよ」

 友樹はあっさりと頷いて、これ以上ないくらい無駄のない動作で京子さんの首筋に手刀を打ち込んだ。

 普段ならそんなコトはないのだろうが、疲労と怪我が積み重なっていたせいか、京子さんはあっさりと気絶した。

「とりあえず、ウチの病院に運んどく。まぁ、京子は丈夫だから入院ってことはないと思うけどな」

「分かった、京子さんのことはお前に任せる。……僕は、ちょいとばかり怒られてくるさ」

「おう。そっちは任せたぞ」

「任されたよ」

 友樹に背を向けて、僕は歩き出す。それと同時に友樹も歩き出す足音が響いた。

 気を利かせてくれたのか、あるいは京子さんの容態が本当にやばいのか判断がつかないところだったけれど、あいつは任せると言って僕は任せたと言った。なら……今だけはこっちに専念しよう。

 美里さんの目の前に立つ。ほんの少しだけすっきりしたような美里さんは、ぼんやりと空を見上げていた。

「……坊ちゃん」

「はい」

「んーと……手を握ってください」

「お安い御用で」

 恭しく美里さんの腕から手甲を外し、僕は彼女の手を握った。

 僕の手を握り返して、美里さんは口元を緩めて言った。

「それじゃあ、感想をどうぞ」

「へ?」

「ですから、今回の私の空回りっぷりを毒舌な言葉で責め立ててください。ええ、今回ばかりはどんな言葉だって甘んじて受けましょう。そもそも坊ちゃんが美咲の言うことをそのまま真に受けて美咲を鍛えたりしなければこういうことにはならなかったのですからとか、そういう恨みがましいことは言いませんから」

 口に出している時点で言っていることになるのだけれど、そのへんはもうどうでもいいらしい。

 仕方なく三秒考えて、僕は思ったことをそのまま言った。

「美里さん」

「はい」

「見事に空回ってましたね♪」

「………………」

 美里さんはこれまでに見たことがないような、それはそれはものすごい目つきで僕のことを睨みつけた。

 事実に勝る毒舌はないという一例だろう。茶化した言い方がさらに怒りをヒートアップというおまけつき。

 まぁ、おふざけはここまでにしておくとして。

「で、とりあえず僕からも聞きたいんですけど、どうして章吾さんのことを知ってるんですか?」

「私が元々いた世界にいるアウラって友達から連絡が入りました。『執事服の大馬鹿がウチの娘を娶ることになった』って。……で、100%これは間違いなく章吾君だな、と思いまして」

「………………」

 ホント、なんつーか……あの人はどこに行っても女で苦労する運命の下にあるらしい。

 と、不意に美里さんは苦笑した。

「美咲と章吾君との間になにがあったかまでは知りませんけど……私のいた世界はこっちに比べると危険です」

「だから、美咲ちゃんを止めようと思ったんですね?」

「はい。……でも、それはきっと間違いだったんです。あの子は軽い気持ちで人を好きになったりはしませんから」

 微笑みながら、少し寂しそうに、『あの人に似てるんです』と美里さんは呟いた。

 僕は、ほんの少しだけ美里さんの手を掴んでいる手に力を込めた。

 昨日一日、必死に色々と考えて、出した結論は大したことのないことだった。

「危険が分かってるなら、簡単じゃないですか」

「え?」

 最善とは言えないかもしれないし、美里さんは大いに嫌がるかもしれないけれど、これが一番だと僕は思う。


「美里さんが、美咲ちゃんを鍛えればいいんです」


 どんな危険が待ち受けているのか、美里さんなら知っている。

 なら、それを教えてやればいい。教える過程で美咲ちゃんが音を上げたのなら、それはその程度だったということだ。

 章吾さんは自分でも美咲ちゃんでもない、毒舌家のシスターのために異世界に向かった。

 そんな彼を助けると言ったのは、他でもなく美咲ちゃんだ。

 ならば、責任は彼女にある。

「美里さんが一方的に間違ってるなんてことはないんです。親が子供を心配するのは当たり前のことですから。……子供がそれに同意するのも反発するのも、それは子供の意思次第。決めたことの責任は全部自分にあります。親子とかそういうのは一切関係ないんです」

「……坊ちゃん」

「まぁ、僕個人の意見としては美咲ちゃんを応援したいなって思いますけどね」

 苦笑しながら頬を掻いて、僕は素直に言葉を紡ぐ。

 いつも通りの笑顔はそこにはない。自分が言っていることが美里さんを傷つけるかもしれないと理解している。

 それでも……僕は、美咲ちゃんを助けたいと思う。

 あの子は真っ直ぐでいい子だから。……理由なんて、たったそれだけだったけれど。

 美里さんは僕を見つめる。僕も美里さんを見つめ返す。真っ直ぐに、目を逸らさず、思いを伝え合うように。

 やがて、美里さんは柔らかく微笑んだ。

「条件が一つだけあります」

「なんでしょう?」

「……もしもの時は、責任、取ってくださいね?」

 うあお。

 せ、背中に寒気がビリビリと。なんかしたわけじゃないのに、どうしてこんなに足が震えますかっ!?

 顔には出ていたかもしれないけれど、口元が引きつっていたかもしれないけれど、それでも僕は言った。

「分かりました。もしもの時は、僕が責任を取ります」

「…………はい」

 美里さんはいつものように、柔らかく微笑んだ。

 それから、ごく自然に当たり前のように、僕の肩にもたれかかってきた。

「や、あの……美里サン? ちょっとそういうことをされると心臓が爆発しそうになるんですが」

「…………つかれました」

「え?」

「……すみません……ちょっとだけ、眠らせてくだ……さ」

 言うか言い終わらないかのうちに、美里さんは寝息を立てて眠り始めた。

 その寝顔はとても可愛らしく、無防備で、どこかとても穏やかだった。

 僕はいつも通りに笑った。

「お休みなさい、美里さん」

 採掘場は殺伐としていて、とても美里さんを寝かせてはおけなかったけど、眠いと言うのなら仕方ない。

 なるべく、美里さんを意識しないように空を見上げる。

 いつも通りの晴天に、僕は目を細めた。



 かくて、二人の喧嘩は幕を下ろす。

 しかし、これが美咲ちゃんにとって本当の地獄の始まりになることを、

 僕だけは、ほんのちょっとだけ予想していた。

 


 第三十五話『鋼の恋と無双の愛』END

 第三十六話『にゃんことわんことおばかさん』に続く






 私の名前はMAGIUS。三千世界でただ一つ。心を成し得たシステム。

 未来が変革しました。彼女が諦めない限り、執事は帰還できるでしょう。

 助力をありがとう。どこかで見ている貴方たちに、感謝を送ります。

 これにより、物語は正常に復帰しまし――――。

 ・・・・・・・・・・

 MAGIUSは世界の異常を検知しました。

 MAGIUSは世界の異常を警告します。

 異常の原因を抽出します。しばらくお待ちください。

 ・・・・・・・・・・

 ・・・・・・・・・・


 私ガ、彼ヲ、狂ワセタ


 ・・・・・・・・・・

 ・・・・・・・・・・

 異常原因検出不可能。MAGIUSは終了処理を行います。

 時間障害が発生しました。これ以後の助力は不可能になります。

 最後に、未来予測を送ります。

 手遅れになる前に、どうか。


 to be next……『今ここにいるアナタノナミダ』

あーっはっはっは、今回ばかりは冗談抜きでもうダメかと思ったぜ。日本の企業の3社に1社は残業時間100時間とかいう統計があったけど、そういうのは本当にダメだと思うな僕はっ! もへーっ!

さてさて、いい感じに崩壊したところで次回はコメディです。息抜きします。

と、ここでステップアップ問題開始。


問題1(難易度:中辛)

桂木香純の二人の姉の名前を当てよ


それでは、頑張ってくださいね♪

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