番外編『四』 空倉陸の恋愛相談
まったくけしからんですね、中学生なのに羅武羅武しやがって。これくらい手軽な文章量なら、いくらでも書いてやるZEとか調子ぶっこきそうな予感。
いや、ごめん。やっぱり無理(笑)
というわけで、番外編です。本編はちょっとお待ちください。
いのちみじかしこいせよしょうねん。
それは、いつも通りと思われた昼休みのことだった。
最近の少年は勉強に訓練にとハードな日々を送っており、はっきり言って疲れていた。
ただ、自称親友の香純という少女(正確には少女ではないらしいが)はそのあたりのことを分かっているのか、こうやって三日に一度は中休みを入れてくれる。二日動いたら一日休む。あんまりハードな運動は成長期には良くないしね、とのこと。
そういうわけで、陸は三日に一度ののんびりとした時間を過ごしていた。
屋上で寝転がりながらぼーっと空を見上げて、陸はゆっくりと溜息を吐く。その隣では香純が黙々と読書に耽っていた。
なんだか熱っぽくその本に見入っている香純をちらりと見て、陸は口を開いた。
「なぁ、香純。その本、面白いのか?」
「面白いよ」
「どんな本なんだ?」
「男と女が出会って、色々あった挙句くっついちゃう話」
「………………」
なんで恋愛小説と素直に言えないんだろうと思ったが、突っ込むのも面倒なので溜息を吐くだけにした。
今の陸にとっては、『恋愛』というのはいささか重い話題だったからだ。
なにも言わないまま、先ほどと同じく緩やかな沈黙が流れる。
と、ページをめくりながら、不意に香純は口を開いた。
「……もしかして、なんか悩んでる?」
「………………」
目を逸らし、陸はゆっくりと息を吐き出した。
「やっぱり、分かるか?」
「うん、ばればれ。隠し事をするんだったらもっと顔や仕草に出さないようにしないと」
「別に隠していたつもりはねーんだけどよ……」
「でも隠したいでしょ? 直球ど真ん中でありきたりな悩みだからね、色事って」
「………………」
陸はかなり嫌そうに顔をしかめて、それからゆっくりと起き上がった。
「……そんなに顔に出てたのかよ?」
「うん。なんていうかこう……女の子を魅了する物憂げな仕草っていうかね、そういう母性本能をくすぐるオーラがもにゃもにゃと排出されているわけですよ、歩く成長ホルモンくん。あたしもちょっとときめきかけたね」
「あだ名を勝手につけるな。つーか歩く成長ホルモンって、嫌がらせにしても最悪のあだ名じゃねーかよ」
「いやぁ、もてる男はうらやましいですなー。今日も顔がいいだけで下駄箱にはラブレター♪」
「……いや、そんな漫画みたいな展開はねぇから」
「ツッコミも精彩を欠いてるねぇ。そんなんじゃこの世界にいる存在意義がなくなっちゃうよ?」
「俺の存在意義はツッコミだけかっ!?」
「甘いね、良いツッコミがいるからボケが生きる。ボケとツッコミっていうのはつまり信頼関係で成り立っているものなんだから。面白くない漫画と小説の大半が、作者の自意識過剰か、良いツッコミの不在によるものなんだからね?」
「知るかァァァァァァァァァァァァァァァッ!!」
「お、元気出てきたじゃん。その調子その調子。君が突っ込まなかったらこの世界にはボケが飽和してしまうんだからね?」
「よーし、分かった。とりあえず一発殴らせろこの野郎。性格が女だからって容赦しねぇぞコラ」
「くっくっく、あたしから一本でも取れるというのはぐぅっ!?」
陸が思い切り放ったデコピンに、香純は思わずのけぞった。
「痛ったぁぁぁぁぁぁぁぁっ!? いきなりデコピンって、あたしを殺す気か!?」
「デコピンくらいで死んでたまるかッ! 大体お前、俺が必殺のタイミングで打った打突も楽勝でかわすじゃねーか!」
「や、タイミングは必殺でも普通に攻撃が遅いし」
「あっさり言われるとなんか異様に傷つくんですけどっ!!」
ちょっと涙目になる陸。別に負けるのは構わない性分だったが、それでも悔しいものは悔しいのだった。
が、香純はにっこりと笑うだけだった。
「仕方ないよ。陸くんと比較すると、あたしってば五百倍くらい強いしね」
「……まぁ、それは分かるけどよ」
手も足も出ないどころか、軽くあしらわれている。
この前など漫画片手に割り箸で相手をされたのだからたまったものじゃない。ちなみに陸が持っていたのは竹刀。威力はないが振りの速さと軽さでいえば、かなり扱いやすい武器である。もっとも、『威力がない』とはいってもそれは『武器』というカテゴリーに当てはめてのことである。実際の威力は棒でぶん殴られるのと、そう変わらない。
もっとも、『当たれば』の話であるが。
「確実にカウンターで合わせたはずなのに、どーしてかわせるんだよ。意味が分からねぇ」
「最初からカウンター狙いだって分かってればなんとでもなるもんだよ」
「ならねぇよ。どうやったら人の動きで残像が残るんだよ。うっかり惑わされるっつうの。本体を目で追えても体がついていかないっつうの」
「………うーん。まぁ、そうかもねぇ」
曖昧な笑いを浮かべながら、香純は内心で口元を引きつらせていた。
目で追うのと体を動かすのは大きく違う。……しかし、本気になった香純の動きを目で追える人間はそうはいない。
陸の雇い主であるキツネの少年がそこまで見抜いていたかどうかは知らないが……それは、才能である。
卓越した動体視力。地味ではあるが、それこそが陸が持っていた才能だった。
(……まぁ、日常生活じゃスポーツ選手にでもならない限り、使うことはないだろーけど)
大半の才能は『生活』という戦場の中では使用されることはない。ましてや、戦闘技術などあるだけで無意味だ。
それでもキツネの少年は、陸を鍛えろと言った。
礼節はこちらで引き受けるから、とりあえず根性だけ叩き込んでやってくれと。
(きっついなぁ……あのにーちゃん)
自分がくぐってきた修羅場を、平気な顔で他人に適用する厳格さ。
身内に甘く他人に厳しく、大切なコトだけは直球で、どこまでも鋭い視線の先にある現実を直視する。
一目見たときから化け物だと信じて疑っていない。人の形をした化け物。威圧感は皆無で雰囲気も柔らかい。殺意など存在せず、緩やかな笑顔だけを向けてくる、そういう化け物。
足元が煉獄でも。
目の前が地獄でも。
己が血塗られようとも。
それらを全て直視して、それでもなお笑う化け物。
彼以外にも二人、そんな化け物を見たことがあった。
「おい、香純」
不意に声をかられて、香純は顔を上げた。
「え? ……ああ、うん。なに?」
「時々思うんだケドよ、お前って絶対に中学生じゃねーよな」
「それはひどいなぁ」
「そんなにゴチャゴチャ考えても意味はねぇと思うぜ。……結局は、なるようにしかなんねぇさ」
体を起こして、陸は立ち上がる。
そして、にやりと笑った。
「そういうもんだろ?」
「……そうだね」
口元を緩めて、香純はゆっくりと立ち上がった。
「陸くん」
「ん?」
「それじゃあ放課後にマックで待ち合わせってことで。……君の青臭い悩みを聞かせてもらおうか?」
「うるせぇよっ!!」
顔を赤らめて、陸は怒鳴った。
香純はそんな彼を見て、穏やかに笑うのだった。
竜胆虎子は大いに悩んでいた。
彼女には珍しく食欲もなかったので、食事は朝に買った牛乳だけだった。
いつもならば真っ先に購買に並び獅子奮迅の活躍を見せる彼女は、その点に関してのみクラスメイトに絶対の信頼を置かれていた。どんな苦境からも焼きそばパンとメロンパンを確実に奪取する彼女は、『購買の獅子王』として名高い。
ちなみに、B組では購買を利用する学生が四分の一ほどで、A組に至っては皆無である。金持ち学校と名高い所ではあるが、本当に金持ちなのは一握りなのだった。
「………………はぁ」
似合わない溜息を吐いて、虎子はパックの牛乳を飲み干し、どんよりとした気分で机に突っ伏した。
教室内はいつも通りに和気あいあいした空気に包まれているが、それすらも鬱陶しく感じる。
(……私は、なにを悩んでるんでしょうか?)
気分が優れない。胃が痛い。なんだか妙にイライラする。
その原因は確かめるまでもなく分かり切っているのだが、虎子はあまりそのことを考えたくなかった。
と、虎子が鬱々としていた、その時。
「よう、なに似合わない顔してんだよ、虎子」
「……友樹さん」
白い髪にピアスの美少年、有坂友樹は笑いながら虎子の隣の席に座り、ビニール袋から焼きそばパンやメロンパンといった虎子の大好物を取り出して、彼女に向かって差し出した。
「食うか?」
「……いりません。なんか、食欲ないんです」
「なるほど」
かなりの重傷だと判断して、友樹はパンを頬張る。
竜胆虎子。B組の核弾頭にして、ある意味問題児。やることなすこと全てが空回る少女。それでも失敗に挫けず、にこにこといつも元気そうにしている彼女は、いつだって全力投球で人に迷惑をかけまくる。
はっきり言って、クラスでの評判は良くないが、そんな彼女のファン兼幼馴染が二人。
一人は友樹で、もう一人はキツネ目の少年だった。
(『僕じゃどうにもならないから、なんとかしてくれ』とか言いやがって。……凶悪なまでに難易度が高い要求じゃねーかこりゃ。つーか、明らかに《説得力》だけで俺を選びやがったな)
事情は全て聞いているが、友樹はこの時点でかなり逃げたくなっていた。
それでも意を決して声をかける。
「……や、あのさ。やたら不機嫌みたいだけど、なんかあったのか?」
「………………さぁ」
虎子はそう言って、窓の外に顔を背けた。
明らかに不機嫌そうな表情だったが、それを指摘されると大半の女の子は怒り出すので、友樹はなにも言わない。
こめかみを押さえて、言っていいものかどうか思案して、結局結論は出なかった。
「あー……虎子?」
「なんですか?」
「俺が今付き合ってる女に」
「不純異性交遊はいけません」
「………………」
一刀両断だった。ついでに、虎子の不機嫌度が50UPした。
(……おっかねぇな。逃げちゃおうかな。でもそうするとあいつに無能呼ばわりされるしな)
仕方ないと腹をくくる。女は度胸で男は甲斐性。……しかし、時には男にも度胸が必要なのだ。
友樹は決意を固めて、口を開いた。
「虎子」
「なんですか?」
「大体のところはあいつに聞いてる。後輩があいつの母親にキスされてるのを見てから、機嫌が悪くなったそうじゃねぇか」
「っ!!」
虎子は髪の毛を逆立てて、驚いたような表情で友樹を見つめる。
友樹はその目を真っ直ぐに見つめて、きっぱりと言った。
「前置きなしで悪いが、言っておく。そいつは『独占欲』だ」
目を逸らさず、言葉を曲げず、白の男は断言する。
「簡単に言っちまえば、可愛がってた捨て犬を目の前で拾われちまったような感じなのさ、今の虎子は。なんだかぽっかりと穴の開いたような気がして、その感情のぶつけ所が分からない。……だから不機嫌なのに不機嫌になる理由が分からんのだろうさ」
「………………」
「……でも、そいつは人間としては当然のこった。気にするこたぁない。虫の居所が悪かったことにして、少しずつ態度を軟化させればいいだけのことだ。そうすりゃ、相手だって冷たくされたことなんざ忘れて……」
ガタン、と椅子が揺れる音が響いた。
いきなり立ち上がった虎子は、目を閉じて拳を握り、唇を噛み締めていた。
「……友樹さん」
「な、なんだ?」
「感謝します。私一人じゃどうにもなりませんでした」
そう言って、虎子は目を開き、何も持たずに歩き出す。
鞄も教科書もなにもかもを置き去りにし、決意を秘めた虎子は真っ直ぐに教室を出て行った。
その迫力たるやおそらく野生動物が裸足で逃げ出し、ファイターと呼ばれる職業に就いている男でも二の足を踏めぬほどであろう。友樹も声をかけることができず、ただ彼女を見送るだけしかできなかった。
「うんうん、友樹に任せて良かったよ。これでもう安心だ」
不意に届いた声に、友樹は思わず顔をしかめる。
振り向くと、親友たるキツネ目の少年が友樹が買ってきたパンを頬張っていた。
「やっぱり、百戦恋磨の友樹が言うと説得力が違うね。これで僕も一安心だ」
「……テメェ」
「そんなにおっかない顔するなよ。結果的にことは上手く運んだ。今回ばかりは全面的に友樹のおかげだ。虎子ちゃんに足りなかった『自覚』ってものを芽生えさせてくれた。……今回ばかりは本当にお礼を言ってもいいかもしれない」
「俺は殺されるかと思ったぞ。っていうか……死んだかと思った」
「お礼にこれをあげよう。ウチのメイドの生写真」
「あっはっは、この程度造作もないな。こんなことならお安い御用だぜっ!」
写真を受け取って小躍りする友樹を、少年は生暖かいというか異世界の生物を見るような目で見つめた。
と、不意に友樹の小躍りが止まる。
「……ん? あぁ、なんだ。よく見ると貧乳の方じゃん。なぁ、巨乳の方の写真はねぇの?」
「いらないなら返せよ」
「いや、死んでも返さねぇけどさ、ホラ、やっぱり女は胸が大きい方がいいだろ?」
「なんで友樹って生きてるんだろう。不思議だね。刺されて死ねばいいのに」
「なんで急に不機嫌になるんだよ。いーじゃねぇか巨乳。むにぽにょーんもにゅーんって感じで」
「いや、その表現は素で最低だと思う。……それに、ウチのお屋敷には巨乳に分類される人が特に親しい人たちでも四人いるから、一口に巨乳と言われても誰が誰だか」
「京子以外全員」
「死ね」
少年はにっこりと笑うと、凄まじい毒を吐いた。
さすがに死ねと言われて少々カチンと来たのか、友樹は口元を引きつらせる。
「あっはっは、さすがにロリコンは言うコトが違いますなぁ。橘さんはもちろん、京子とかも好きそうだもんな、お前」
「京子さんは大人だって何回言わせんだコラ。人としてありえないスペックを有してるだけで差別は良くないなぁ、友樹くん。それに、テメェがこの前連れてたグラサンの女だって趣味はいいとは言えねーぞ?」
「……くっくっく、痛いところ突いてきやがるなぁ、親友。残念ながら、俺が付き合ってる女に俺の趣味に沿う女はいない」
「もっと痛いところを突いてあげよう、親友。……なんで付き合ってんだ?」
「…………寂しいから♪」
「死ね。あと五百回くらい死んでこの世界に生存する全ての雄生命体と雌生命体に謝れ。話はそれからだ」
「ふっふっふ、そう言うお前こそみんなに謝れよ。メイドさんのいる屋敷に住みやがって。いつか殺してやるからな」
「メイドに『さん』とかつけるな、アホかお前は。メイドってのは血と暴力の象徴であって、それ以上でも以下でもない」
「よーしそこに座れ。今日はちゃーんと木刀を持ってきたからな。一撃だぞ?」
「甘いなぁ、親友。今日の僕はきっちり止めを刺すためにカトラス(肉厚の大刀。相手を叩き切る。とっても丈夫)を持ってきた。これでお前も年貢の納め時ってわけだ」
「馬鹿だろお前。絶対に馬鹿だろ。なんでカトラスなんて持ってるんだよ」
「ころしてでもうばいとる」
「って、あの写真は冗談抜きで宝物かよっ!? 本当にお前は虎子がらみだと出し惜しみしねぇなぁ、この野郎っ!!」
叫びながら、友樹は木刀を振り上げる。彼が秘めるのは写真は渡さねぇと言わんばかりの裂帛の気合。
対して、少年はカトラスを構えながら冷静に相手の急所を狙っていた。彼が秘めるのは鋭利な殺意。
技量ならば友樹に、武器の質ならば少年に分がある。どちらが頭を叩き割られてもおかしくないこの状況。
それを止めたのは、コン、という小さな音だった。
ダーツ。二人のちょうど中間点に、それは突き立っていた。
小さな針。当たっても少々痛いくらいで済む程度の武器。高校生ともなれば恐れるような凶器ではない。
その針に、即効性の筋弛緩剤とかが塗っていなければ、だが。
「んー……なんつうか、さ」
二人の喧嘩を止めたのは、通称『狂犬』で知られる科学教師。
白衣に天然パーマ、だらけた眼光にくわえ煙草。どうして教師を続けていられるのかよく分からない女。
狂犬にして、この学校で最も難儀な性癖を持つ女は、欠伸交じりに言った。
「……授業、始まってるから。あと、世界で一番可愛いのは幼稚園児だから」
『イエス・マム』
友樹と少年は即座に己の得物をしまい、席に着いた。
少年はまるで何事もなかったかのようにノートを開き、友樹はいつものように退屈そうに授業を眺める。
静かにしていれば狂犬は噛み付いてこないことを、二人はとっくに知っていた。
友樹はちらりと少年の方を見つめる。十人並みの容貌、鋭い目つき、眼鏡、そんな彼は大して面白くもなさそうに、黒板の内容をノートに写し取っていく。その横顔は、どこからどう見ても普通の少年にしか見えない。
視線を黒板に戻して、友樹はゆっくりと溜息を吐く。
いつかの答えを思い出す。
問いかけに対する答えは至極明瞭で、友樹はそれに救われた。
だから決めた。親友が出した答えなら、きっと間違いはないだろうと信じて。
結果は最悪だったけれど、それでも……今でもその答えは、正しいと信じられる。
(さて……どうしたもんかな)
口元を緩めて、友樹はこれからのことを考えた。
いつも通りに、考え続けることにした。
帰り道、陸は仏頂面で、香純は楽しそうに笑っていた。
「つーかさ、『なにもすんな』ってどーゆーコトだよ? 意味が分からねぇよ」
「いやだなぁ、陸くん。たった三千円ぽっちで有益な情報が入手できると思ってたの?」
「……思ってたに決まってるだろーが。三千円っていったら、中学生にとっちゃかなりの高額だぜ?」
「バイトしてるんだったら、けっこーもらってるんじゃないの?」
「…………まぁ、わりと」
あまり語りたくはないのだが、実はわりとどころじゃなくもらっていたりする。
章吾がいなくなってから初めての給料日。口座振込みにすればいいのに、未だに茶封筒で給料を渡す少年から、陸はいつも通りに給料を受け取った。いつもなら小遣い程度の額だ。……が、今回に限っては厚みが若干違った。
受け取った瞬間に背筋から冷や汗が流れた。ちらりと少年を見ると、彼は楽しそうに笑っていた。
『頑張ったで賞ってところかな。……次も頑張れとか陳腐なことは言わないけど、そのお金は大切に使うんだよ? 地獄の沙汰も金次第。お金があれば大抵のことはなんでもできちゃうけど、中には買えないものもある』
次も頑張れ以上に陳腐なことを言いながら、少年は言葉を続けた。
『お金とはつまりね、『まごころ』を示すための一つの手段であるべきなんだよ、どんな時も』
ちょっと感心してしまったことは、一生の不覚だと陸は思う。
少年はそう言うと、陸の肩をポンと叩いて、邪悪とも思える微笑を浮かべた。
『と、いうわけで、明日ちょっと付き合ってくれない? 妹のプレゼントを選ぶのを手伝って欲しい』
庭の大魔神でも誘えよと思わなくもなかったが、自称最近の流行に疎い少年は、『焼肉』の一言で陸を釣り上げた。
焼肉を餌にする方もアレだが、引っかかる方もどうかしてるよなぁと陸は心の中で反省する。
(いや、でも異様に美味かったしな、焼肉。にーちゃんも喜んでたからまぁいいか)
そのにーちゃんに妹がいるという話は聞いたことがなかったが、多分自分が知らなかっただけだろう。
実際には山口コッコを除いた屋敷のほぼ全員が知らないのだが、もちろん陸の知るところではない。
そして、もちろんこの後の展開も、知るところではなかった。
屋敷に至る坂を登り切って、陸は絶句して反射的に物陰に隠れた。
門の前で虎子が神妙な面持ちで待ち受けていた。
これから真剣勝負にでも行きそうな闘気を放っている彼女は、じっと正面だけを見つめている。
理屈ではなく直感と本能で、陸は悟った。
「どうしたんですか? 陸くん。いきなり怯えた顔で家と家の隙間に入り込んだりして」
「……屋敷の前に修羅がいる」
「修羅? 私には、ものすごい覚悟を決めたお姉さんが立っているようにしか見えませんが」
「殺される」
「…………大げさな。大体、陸くんはあのおねーさんと付き合ってすらいないでしょ。理由がないってば」
「ぐっ」
よく分からないが、なんとなく傷つく陸。
それからゆっくりと息を吸って覚悟完了。同じクラスの男子に『顔がいいくせにじじくさい』と呼ばれる由縁なのだが、空倉陸という少年は、余程のことがない限り事実は事実として受け止める度量があった。
このへん、育ちのせいかあまり中学生らしくない。
「よ、よーし。分かった。ま、まあ、別に俺を待ってるっていうことも、な、ないしね」
「声が震えてますぜ、陸ボーイ」
「うるせぇよっ!!」
顔を真っ赤にしながら怒鳴る陸は、香純から見てもそこそこ可愛かった。
(……手のかかる弟。いや……上姉さんみたいかな)
ほんの少し昔の郷愁。今も元気に生きているだろう、二人の姉を思い出す。
一人はお姉さんぶるのが好きな人で、一人はクールビューティだった。
上の姉は思い切り香純に優しくて、下の姉もこっそり香純に優しかった。
幸せだった時間があった。人形なのに、幸福だった瞬間があった。
ただ、会いたいとはあまり思わない。思ってはいるが、きっと姉にも自分の生活があるだろうし、香純にだって今の生活がある。離婚した夫婦の言い訳みたいでアレだが……香純は、無事を確認できればそれで良かった。
生きてさえいれば、きっと幸せになれるだろうから。
香純は口元を緩めると、右足と右手を一緒に出して歩く陸の背中を軽く叩いた。
「……な、なんだよ?」
「ん、頑張れ、男の子」
「………………おう」
ぶっきらぼうに応えて、陸は歩き出す。多少は緊張がほぐれたのか、今は普通に歩いていた。
色っぽいことにはならないだろう。陸には度胸がないし、相手はそもそも気づいているかどうかも怪しい。
それでも、香純は笑っていた。
くっつこうがくっつくまいが、どちらに転んでも自分に損はなく、きっとどっちも面白い。
だから香純は、最後まで親友の初恋とやらを見届けることにした。
謝る必要のないことを謝って、虎子は泣きそうになっていた。
後輩ができてはしゃいで『自分が育てたんだ』みたいに独占欲丸出しになった自分が恥ずかしいと言っていた。
普通に褒めてくれるのは陸くんとキツネくんと章吾さんだけだったから、嬉しかったと言っていた
あの野郎共と、心の中で毒づいた。
ついでに、これも一つの独占欲かと思って、ちょっと反省した。
(……よくないよなぁ、やっぱり)
舞が家を出て行く直前に、半狂乱になって泣き叫んでいる冥を見たことがある。
いつも優しく穏やかに笑っていた姉が、そうやって泣いていたことは、とてもとても苦しかった。
舞が家を出て行く直前に、土蔵でこっそり泣いている舞をうっかり見たことがある。
いつも自信満々で不敵に笑っていた姉が、そうやって泣いていたことは、とてもとても悲しかった。
屋敷にいる時の二人は本当に楽しそうで、それを見て陸は安心した。
ただ、安心する反面不安でもあった。二人の姉を雇った少年は、なにか考えがあるんじゃないかと思っていた。
だから聞いてみた。いざとなったら殺すつもりで、陸は少年に姉のことを聞いてみた。
『まぁ、単純なことだよ。……女の子が泣いてるのは、僕の精神の衛生上とてもよろしくない』
舞と冥が来る前に、核弾頭を三つほど抱え込んでいたキツネ目の少年は、笑いながらそう答えた。
馬鹿みたいに単純な返事。本音を隠しもしない、心の底からの言葉。
あまりの単純さに呆れて、世界には単純な男がいるんだなぁと不思議に思ったものだった。
けれど、今なら分かる。確かにこれはよろしくない。
普段は快活に笑っている女の子が、目に涙を溜めていたりするのは、最悪に気分が悪い。胸が痛い。
陸は悟る。ついでに膝を折った。完全完璧に負けを認める。
完全敗北を認めた。
(……ホント、あのにーちゃんは馬鹿だ)
溜息を吐く。
あの馬鹿は『こんなもの』に真っ向から立ち向かっているのだ。
陸が今にも逃げ出しそうになっているものに、正々堂々真正面から立ち向かっているのだ。
だから……やれないことはない。自分にだってきっとできる。
あっちは四人だか五人で、こっちはたったの一人だ。
だったら、やれないことはない。
「あのさ――――俺は、気にしてないから」
陸は口を開く。とりあえず、虎子が辛そうにしているのは嫌だった。
そんな顔をさせるくらいだったら、気休めでも慰めでも誤魔化しでも、なんでも言ってやる。
「気にしてないならいいってものではありませんっ! 私は……私は今、一人の人間として恥ずかしいんでスっ!」
敵はかなり大げさだった。責任感が強すぎるとも言う。
陸は愛想笑いを浮かべながら、頭を回転させてなんとかこの場を凌ぐ言葉を探す。
「……ま、まぁねーちゃんが気にしてるんだったら、今度昼飯でも奢ってくれりゃいいからさ」
「分かりました」
「え?」
エマージェンシー。緊急事態発生。
予想外の返答に頭がオーバーヒートした。
「この竜胆虎子、今持てる限りの全てを尽くし、陸くんにご飯を奢ってあげましょうっ! ついでにこの際でス、見たいけど家計がやばいから見逃そうと思ってた映画も見ちゃいまスッ! 全部奢ってあげましょうッ!!」
「いや、さりげなくものすげぇこと言ってないかっ!? 家計がやばいのはさすがに駄目だろうっ!!」
「大丈夫でスッ! ちょっと家族が一週間水団生活になっちゃいますけど、それくらいなら許容範囲でスッ!」
「絶対ダメだああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
叫びながら頭を抱える陸。
全然たった一人ではなかった。陸の双肩には一人どころか五人くらいの運命が乗っていた。
(……まずい。このままじゃ、俺のせいで一家全員がひもじいどころか餓死の憂き目にっ!!)
パニックに陥った頭を回転させる。
『お金とはつまりね、『まごころ』を示すための一つの手段であるべきなんだよ、どんな時も』
混乱する頭の中で、不意にあの言葉を思い出す。
やぶれかぶれで陸は咄嗟に提案していた。
「そーだっ! 俺も最近の映画は見たいと思ってたんだっ! よーし、そういうことなら虎子姉ちゃんが飯で、俺は映画を奢るってことでどうだろうっ!? いやいや、むしろそうすべきだろ、先月はけっこー給料もらったし、それもこれも全部俺に仕事を教えてくれた姉ちゃんのおかげなんだから、お礼として、映画を見に行こうっ! なっ!?」
心の中でガッツポーズ。完璧な理屈だ。これで一つの家族が餓死することもなくなるだろう。
陸が心の中で自分を喝采していると、不意に虎子は笑った。
にっこりと、輝くように、いつものように、笑った。
「ありがとう、陸くん」
「あ……うん」
「今はちょっと忙しいケド……暇ができたら、一緒にご飯食べましょう」
虎子はそう言うと、顔を真っ赤にしてそそくさと逃げるように立ち去った。
後に残されたのは、心臓をバックンバックン鳴らしている陸で、彼はようやく訪れた平穏に思わず溜息を吐いた。
「あー……死ぬかと思ったぜ」
「そのわりには上手くやったじゃん?」
物陰からこっそり見ていた香純が顔を出す。顔はなんだか楽しそうに笑っている。
「いやいや、思わず感心しちゃったよ。あたしもちょっとときめきかけてしまったね」
「あ?」
「や、だって、デートでしょ?」
「………………は?」
言われてようやく思い至る。
日曜日にお出かけ。一緒に食事と映画。
とりあえず、陸の知識の中ではデートと呼んで差し支えないシチュエーションだった。
「……どうしよう、香純」
「え?」
「俺、デートなんてしたことねぇぞっ!?」
陸は叫んでいた。
今までに見ないような悲痛な表情で、叫んでいた。
言うまでもなく後の祭りで、陸はこの時ほど自分を恨んだことはなかった。
かくして、少年は戦場に向かう。
番外編四『空倉陸の恋愛相談』END
はい、そういうわけで番外編でした♪
予告しておきます。次からはドシリアスになります。大人のルートと言い換えても過言じゃありません。橘美里ルート始動です。
番外編ということで、今回は物語にまるで関係ない無茶な問題を提示します。妄想を働かせて、どーぞ♪
正解、不正解のペナルティはありません。
・高倉望を主人公の下に送り届けたのは誰か? ちなみに父親、母親といった身内ではない。
と、いうわけで次回もよろしく♪